『お笑いスター誕生!!』 名鑑【い】


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名 前
泉郁江・伊佐代
初出場
 1980年5月24日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 小四のチビッコ漫才。
プロフィール
 多分二人とも本名。双子の姉妹です。吉本興業の子役だったようです。
ネ タ
 番組唯一の小学生チャレンジャー。アマチェアであることは間違いないだろうけど、番組創生期に出てくるくらいだから、既にプロ志向だったのでは?
 ネタはほとんど覚えていないけれど、たしか双子がお互いをツッコむ内容で、どう見ても誰かが台本を書いていたはずで(まあ、当然だろうけど)、講評時に「あなたたちはこの漫才の意味を理解して喋っているの?」と訊かれて答えられず、司会の二人が改めて訊き直しても答えられなかったことだけははっきり覚えています。あと、不合格だったとき山田さんが「もっと大きくなってから来てね」と声を掛けたことも記憶あり。
感 想
 不明。
エピソード
 『笑ってる場合ですよ』の「君こそスターだ!」には、泉郁江・伊佐代も「いずみシスターズ」名義で出場していました。3週くらい勝ち抜いて、敗退した週は、もろに春やすこ・けいこのパクリでした。番組中で、ネタは母親に教えてもらっていると紹介されていましたね。
 関西テレビの日曜12時枠で1980年に放送していた『花紀・岡八ドドンとお笑い60分』に花紀家(主人花紀京、妻中山美保)の子役で二人が出演していました。
その後・現在
 昔の『ぴったしカンカン』で、小学生の漫才師特集があり女性コンビが可愛らしいネタをやっていたのだが、泉姉妹かどうかは不明。「得意な料理は」「ラーメンでしょ、ハンバーグでしょ、カレーでしょ」「全部インスタントやないか。じゃあ一番得意なのは」「目玉焼きや」。時代的には近いのですが。
 '87〜88年頃(ちょっと曖昧)、松竹芸能に在籍しておりました。双子です。ネタも双子を活かしたものでした。鏡に向かって化粧をする、というシチュエーションなのですが、お互いに向かい合って化粧をしたり、体をくねらせたりしていました。『ライブ抱腹Z』という松竹系の番組で、「ビッグブラザーズ」、「サザンクロス」、「あ!リトル」と集団コントを繰り広げていました。
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名 前
イッセー尾形
初出場
 1980年12月20日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 8週勝ち抜き、金賞獲得。
 第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>敗退。
 サバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 漫談。
プロフィール
 本名尾形一成(かずなり)。1952年2月22日生。東京都出身。
 建設現場で働きながら、アクターズスタジオで芝居を学ぶ。アマチュア挑戦。1975年より自作自演の活動を開始していた。
ネ タ
(1週目)
 キャバレー呼び込み。
「ハイ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」の繰り返し。右へウロウロ、左へウロウロ。
「安いよ安いよ! ほらほらお兄さんたち今なら1時間3000円ポッキリだよ」

 イッセー尾形のキャバレーの呼び込みネタは紫のシャツでしょうかね?
 それならGルーキー賞でも演じています。
(2週目)
 子連れの田舎者の食事。
「田舎モノがレストランで食事するところ」と演じる前に状況説明をするなど、いまからでは信じられないようなことをやってました。確か中華料理屋が舞台で廻るテーブルがネタのアクセントになっていた事を記憶しています。

 地方出身の肉体労働者が銀座のレストランに入るネタを演じた時「同じ体験を僕もしたことがあります」と、赤塚さんが物静かに感想を述べたそうです。
(3週目)
 酒場のマスター。
 ドイツ語の堪能な客に「ねね、ドイツ語で車の事なんてえの?ふんふん、なるほど。じゃ、ドイツ語で財形貯蓄ってなんてえの?」
(4週目?)
 飯場の親方。
 土方のおやじで通り過ぎてゆく人たちを批評。
 土方の作業員のサボりネタの「あ〜〜〜疲れない!」とか。
(4週目? どっちが本当だろう?)
 子守するお母さんとかいうのだとうっすら覚えてます。おんぶしてたのが犬だったとかいうオチで、審査員に色々言われてた割には合格してました。
(5週目?)
 ウクレレコメディアン。
(服装)青いアロハシャツにウクレレ。レイをまとって、白いズボンだったと思います。
(髪型)トニー谷のようなヒゲをして、オールバックにポマードをベタベタに付けていた。
(ネタの内容)首から上は「トニー谷」っぽいがネタの内容は「牧伸二」っぽい4コマオチっぽい作り。
 ウクレレに合わせて何かを歌ったかと思ったら、最後に「あ〜〜あ、ウケないっ!!」っと手のひらを顔に当てて、言うんじゃなかったみたいな振舞いをしていた。
 歌の内容はたしか、ウクレレ漫談をしている自分をアピールするような内容だったはず。
(6週目?)
 野球応援団。
 巨人ファンです。球場の応援団みたいな事をやっていました。
 野球場で「それではみなさん原コールをお願いします」「(間の抜けた声で)はーら、はーら、はーら」
(7週目)
 歌手の前説。
 前説ネタではギターの腕前も披露していました。

 中華料理店ネタもそうだけど、この人のネタはこの頃から何処か哀愁を含んでいて、その頂点が7週目の「松山千春の前説」でした。笑わせるというより何処となくしみじみさせるネタで、「僕、今日でこの仕事最後なの」などと呟く場面では泣きそうになりました。
(7週目?)
 7週目を見ていた友人の話では、(酒場の)流しだったみたいです。「(お客さんがリクエストで)藤山一郎。あ、スジャータスジャータ」とか。
 その後同じネタを爆笑オンステージで演じ、このシーンを見た記憶があります。
(8週目)
 火事場の野次馬。

 パジャマ姿でカーテンから慌てて登場、階段を急いでおり、「火事だ火事だ。」と叫ぶ。どうやら自分の住んでいる家が火事になったらしい。

 イッセー、自分の家が燃えているのに、火事場にしては冷静な態度を示す。
……というのも屋根が倒れたら火災保険が全額おりて、小火(ぼや)で済んだら火災保険が一切おりないというシュールなコントをやっていた。

 最初はただ火事場を見ているだけだったが、次第に保険金欲しさに熱くなってロープを潜り抜け、いきなり火事場を「アタシん家なんだから」と勝手に仕切りだす。
「ピピッ、ピピッ!ハイそこ!白線から出ない」とドサクサにまぎれて野次馬を仕切ったり、
いちいち「柱倒れた? 全額? 玄関残ってる? 半額?」と保険金がおりる心配を野次馬たちに聞く。

 やがて消防団が火を消しにやってくるが、消防団が放水をしているにもかかわらず消してしまったら火災保険がおりない為、必死になって消防団が火を消すのを邪魔をする

 そして消防団に
「あんたらここに住んで何年だね?アタシゃここに住んで数十年も生きてるんだよ!!ちょっと出の一元さんのクセに偉そうにすんじゃねえよ!私の言うことを聞きたまえ!君たち。アタシャ〜この火事で生活がかかってるんだ。……だから火を消すのを止めたまえ!?」と消防団を煽ったため、このあと消防団から痛い仕打ちが……。

イッセー「放水用意!!放水止め〜い!!・・・ほら私の言うことを聞きなさい君たち(怒)」怒った消防団達からイッセー目掛けて放水開始!!

イッセー「あ〜ちべたい ちべたい・・・放水止め〜い!!・・・あ〜ちべたいちべたい」

 挙句の果てには屋根が倒れて・・・
イッセー「倒れた〜おめでとうおめでとう」と野次馬に握手をせがむ。

 オチは「炊き出しやんないの?ああやんないんだ、炊き出し。ああそお」だったと思います。炊き出しの意味がちょいわかりにくかったですね。

 「オチが弱い」て指摘されたのだけ覚えてます。何か唐突に終わった感がありました。今のイッセーさんでもこんな感じで終わるネタがあるように見えます。
 たしかにオチが弱いという指摘が圧倒的に多かったのですが、誰だったか忘れましたが1人だけかなり評価していました。
 このコントでイッセーはパジャマのボタンを互い違いにはめ、細かい細工をしていたので、審査員に「これだけのコントにそこまでやるとは素晴らしい」とかなり褒められていた。
 タモリさんは「自分に真似出来ない芸風だ」と、勝抜き時から認めてたようです(山藤さんの対談集で読んだ気がする)。
(9週目不合格)
 新聞勧誘員。
 じゃあ新聞とってみたいな、しっかりしたオチがあってこの部分は審査員に誉められていました。
 新聞勧誘員がなにかの粗品を客に受け取らせて「そちらは3か月分になっております」というものでした。審査員から「オチは今までで一番よかった」と言われていました。
(9週目再チャレンジ不合格)
 土方の親父ネタ。
(9週目再々々?チャレンジ不合格)
 自衛隊の勧誘ネタ。
 時期は1982年ぐらい、9週目にかけたネタで、女を食い物にするインチキスカウトマンのねたで、笑いは取れたのだが、唄子師匠が「イッセーさんらしくない人選」という変な理由で不合格に。「芸名考えてるんだ。山東レナとかね、山崎パンとかね、伊東ヨーカドーとかね、かまかけたのー」。
(Gルーキー賞)
 英語の先生。
「S+V」と構文を何度も黒板消しで消す動きが好きでした。

 「高橋。目みろ目みろ目みろ」のセリフが秀抜でした。

 先生ネタでは「ココ出るぞ〜」「試験に出るぞ〜」が印象に残ってます。

 ホワイトボードに書きなぐりながら、キャラの突出した先生がひたすら授業を進めて行く、というものです。
 ネタというよりイッセーさん独特の細かい「癖」で進んでいくものです。
 この時は会場の「凄いのは分かるけど、どう理解していいかわからない」というような芸に呑まれた雰囲気のほうがインパクトが強かったです。
 このネタをその後もう一度見た気がするので、ライブでやったとすればビデオになった中にも入っているかもしれないですが、かなりうろ覚えなので確かな事はわかりません。
(爆笑オンステージ)
 出稼ぎで東京に来て働く土方の人が、昼休みになり、休憩所のストーブに当たるところから、最後は実家に家をかけ、双子の子供が産まれてさあ残業するぞというオチ。  所々で笑いはあるが、やはり芝居の細かい描写に感心するようなネタ。
(爆笑オンステージ)
 コンサートに松山千春が遅れているため、前座で登場したクラシックギタリスト。なぜか舞台の袖に大森さんという人がいて、その人と話しながら前座の舞台を続ける。
(サバイバルシリーズ2回戦敗退)
 しょうえい建設の社長を、常務とともに、スナックに連れてきた酔っ払いのサラリーマン。スナックに入ってから、常務がカラオケで歌っているときにチークでダンスで踊るところ、帰る社長のタクシーを拾おうとするまでをリアルに表現。
 描写は細かいが、盛り上がりが足りなかった(米丸師匠)。
 NHKでは飲み会の席上で部下のOLに「おかめ」とかいうサラリーマンのネタを聞いた事があります。
エピソード
 第1週では、本名の尾形一成で出演した。
 挑戦のきっかけは、土方の昼休みに中華料理店で『お笑いスタ誕』を見たとき、小柳トムが出演していたのを見て、これなら俺も出てみようと思ったから。出演中も、建設現場でアルバイトをしていた。
 オーディションで赤尾PDに、自分のツバが唇に出てきて気になり、笑うことができないと指摘されて、ショックを受けたらしい。
 「工事現場」のネタを稽古場でやった翌朝、赤尾PDが二日酔いで家の近くを歩いていると「赤尾さ〜ん」と呼ぶ尾形の声。工事現場からネタと同じカッコウでハチマキを振っていた。勉強のためかと思っていたら、単にアルバイトをしていただけだった。
 1週目、まったくウケず、審査員のタモリに「つらかったと思います」となぐさめられていました。まさか合格するとは思いませんでした。
 イッセー尾形さんも凄すぎて初めて出て来た時は誰も笑えませんでした。審査員がどう理解していいか分からなくて青ざめてました。
 イッセー尾形が不合格だったた時に「あれは、芸術だ。審査員はわかっていない」と井上ひさしが抗議の電話を入れた。
 金賞を獲得したとき、トロフィーを前に愛妻と一緒にお祝いをした。
(お笑いスタ誕の持ち時間は約5分であることについて)
 そう言えば昔読んだ山藤章二さんとの対談集でイッセーさんがこの件に触れてて「バーテンのネタは本来20分やって面白いのに、それを短くやれなんて最初は信じられなかった」なんてコメントしてるのを読んだ覚えがあります。
感 想
 人間を体現、描写した漫談なので、完全な玄人向け。上手いなあとは思いながらも、あまり笑うことは出来なかった。審査員にも、よく「芝居が上手すぎて、笑うことが出来ない」と言われていた。
 イッセー尾形は金賞に(確か)6回挑戦してことごとく落とされてたはず。イッセーの大ファンだったので、落ちるたびに憤慨していた。GR賞でも低得点ばかりで、天才は理解されないものなのだなあと子供心にショックを受けたのを覚えてる。
 子供心に(失礼ですが)よく合格したなぁ……って思いながら見てました。
 勝ちあがるにつれ、「あ、面白いわ」と感じる前に、笑ってる自分がそこにいました。
 村松友視の『ダーティヒロイズム宣言』で取り上げ誉めてました。村松は、「プロレスのレフェリーをやって欲しい」と今考えると恐ろしい事を書いていました。
受賞歴
 1985年 第35回芸術選奨文部大臣賞文部大臣新人賞[大衆芸術部門]受賞(ライブ「イッセー尾形の都市生活者カタログ」を始めとする一人芝居の演技)
 1990年 第27回ゴールデンアロー賞演劇芸術賞受賞「世相を鋭くついた「とまらない生活」「都市生活カタログ」など、一人芝居の熱演が光った」
レコード
「葛飾亀有三丁目交番番歌」(1983.5)
著書、DVDは多数あるので省略。
その後・現在
 1982年から一人芝居シリーズをスタート。高い評価を得たことは周知の事実。現在も一人芝居を続けながら、テレビ、舞台、CMなどで活躍。森田オフィス所属。

 IsseyOgata Official Web Siteがあります。最新情報などが載っています。
 今度中学校(2年かな?)の国語の教科書に、作品が掲載されるそうです。
「テーラー」ってネタですが、DVD付になるとか。
 教科書の掲載は2006年の4月からで、ネタを作り上げる過程と出来上がった過程を教科書に載せて、公演毎に進化して行く過程をDVDにするんだそうです。
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名 前
伊東かおる
初出場
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ出場。
実 績
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
プロフィール
 本名伊東薫。1948年9月生。大分県出身。
 1974年、名古屋の大須演芸場でデビュー。1985年頃から名古屋弁漫談を始める。名古屋お笑い界の重鎮。
ジャンル
 漫談。
ネ タ
 伊東かおるの代表的ギャグ
 「名古屋から来た伊東かおるです」
 これだけで(お客は)笑いました。
 
エピソード
 若手二人をつれてネタ見せにきてました。赤尾PDに漫談の方がいいといわれて漫談で挑戦しましたが一回戦負けでした。
感 想
 お笑いスタ誕出場時は見ていないので、何とも言えません。
その後・現在
 その後も名古屋大須演芸場をフランチャイズとして活動。漫談の他にも、波たかしと組んで漫才も披露したりしていました。
 伊東かおるは、名古屋弁講座というカセットテープを90年に出していたと思います。
 また、婆さんの格好で漫談をしてた記憶があります(ただし、テレビ演芸で)
 2007年7月8日午前3時21分、腎不全のため名古屋市中区の病院で死去、享年58。告別式は10日午前10時から。喪主は長男篤(あつし)氏。
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