尾塚野形『地獄で生きたる!―死刑確定囚、煉獄の中の絶叫』(鹿砦社)

発行:2013.1.20



 逝くも地獄、残るも地獄!ある朝、突然に看守の靴音が鳴り、居房の扉が開く・・・今回の“お迎え”は誰なのか? 三井環氏(元大阪高検公安部長)から「ほんまのブラックジャーナリスト」と評される作者が、刑務所の死刑確定囚から届いた極秘手記と膨大な取材メモを基に、誰も知らない死刑確定囚の非日常を赤裸々に暴く「地獄日記」!死刑囚の生活費はいくら? 服役中は何をしている? 病死を選ぶか、それとも執行を選ぶか? 一匹狼のフリージャーナリスト・尾野塚形の手によって、365日を死刑執行に怯えて生きる死刑確定囚の隠された咆哮と慟哭が牢獄を突き破り、真実の声として世に送り出される!(粗筋紹介より引用)


【目次】
はじめに
第一章 “お迎え”の朝
第二章 ゾンビの飼育舎
第三章 起床、点検、シャリ三本
第四章 ザンブロの日
第五章 身も凍りついたW執行
第六章 高いのか安いのか死刑囚の生活費
第七章 バックレ病!?
第八章 シャバからの除夜の鐘
第九章 差し入れられたトレーナー
第一〇章 再審請求と恩赦出願
第一一章 病死を選ぶか、それとも執行を――
第一二章 金沢刑務所での服役記1
第一三章 金沢刑務所での服役記2
最終章 逆恨み? ええじゃないか、地獄で生きたる
巻末資料
おわりに


 作者は旧満州国奉天市(現瀋陽市)生まれ。大学在学中に渡米してノースカロライナ州を中心に7年半ほど放浪の旅を続ける。帰国後は料理専門誌の嘱託記者となり、各地の有名料理店をルポルタージュ。1980年、誘拐殺人を犯した被告人と知り合って、クライム問題に関心を持ち、フリーライターに転身(本書より引用)。
 巻末資料には、池本登の死刑執行起案文書、死刑事件審査結果(執行相当)、執行命令書死刑執行命令の受領書、死刑執行始末書、死刑執行報告書ならびに山崎義雄の死刑執行命令が載せられている。参考文献は、河村啓三『生きる』(インパクト出版会)、藤田公彦『「粛正」刑務官』(光文社)、坂本敏夫『元刑務官が語る刑務所』(三一書房)、『あおぞら通信』(あおぞらの会)である。
 本書で出てくる死刑囚のうち、執行済みは本名のままだが、未執行の場合は仮名となっている。


 登場するのは川口一成という、大阪拘置所に収監されている死刑囚。中卒で読書を始めたのも拘置所に入ってからという死刑囚が書き溜めた数冊の大学ノートを、尾塚野形の親友が入手経路を明かさずに手に入れたという。尾塚野は、刑務官OBや大阪拘置所で衛生夫を体験した出所者を何度も訪ね、ノートの裏付けを行ったという。
 第一章で四年前(2008年)、山崎義雄が執行された当日のことが記されている。つまり手記を書いているのは2012年だ。そして第二章に、自分が確定囚になってから8名の仲間を見送ったと書いている。その中で一番古いのが宅間守であり、執行されたのは2004年9月14日。ここから、川口というのは誰かというのを推察することができる。
 宅間の前に大阪拘置所で執行されたのは、2003年9月12日に執行された前原伸二。つまり、2003年9月12日から2004年9月14日までの間に死刑囚として確定したことになる。大阪拘置所でこの期間に該当するのは、中村正春、河村啓三、末森博也である。しかし中村は、2008年4月10日に執行されている。となると該当するのは、河村啓三か末森博也しかいない。ただ、河村と末森は2004年9月13日に最高裁で棄却されているので、厳密にいうと宅間の執行日時点ではまだ確定していない未決囚である。また、第十章で「顔は見知っているが、口をきいたことのない同囚の川村卓一(養子縁組により改姓)が出版した自叙伝」と出てくるので、これは河村啓三のことだろう。参考文献にもあがっている。となると川口は河村ではなく、河村の共犯でもある末森でもない。つまり、該当する人物がいないことになる。

 第一章は山崎義雄が執行された当日のことであるが、それ以降は死刑囚の日常が書かれている。請願作業、一人ぼっちの運動、食事の内容、起床から就寝までのスケジュール、通信事情などだ。途中で死刑執行にサインした法相への恨みつらみが書かれているのは、仕方のないところか。バレンタインデーには板チョコが、節分には豆が配られる。他にも死刑囚の習慣状況、刑務官の階級と勤務体系なども書かれている。夜のオナニー事情もある。死刑執行があったときや、死刑囚が病死したときに色々と思いを馳せる様子もある。他にも死刑囚一人当たりに対して、一年間で約260万円の国費が使われると言われている(根拠不明)という話や、法務省からのパンフレットによると、被収容者の一人当たりの直接経費は一日約1,257円だが、食費、光熱費、医療費などの内訳について、自分の経験からそんなに使われているとは思えない、などと文句を言っている部分もある。
 支援者から教えてもらったのか、それとも自分で調べたのかは知らないが、古谷惣吉などの古い死刑囚の話なども出てくる。第五章に出てくる、執行の前日に、この世の最後の願いとして、どんなことでも一つだけ聞き入れてやろうと言われたら、女を抱かしてくださいと頼みます、という文通相手はMとしか書かれていないが、高崎あたりでの強盗殺人で後に執行されたとなると中山實だろうか。Mは還暦を迎えているというので、違うか。ただ、群馬に広げても、該当者が見当たらないのだが。
 川口の事件内容については、二人を殺したということぐらいしか出てこない。ただ、被害者遺族に謝罪の手紙を送ったが全て受け取りを拒否されたことや、請願作業で貯まったお金で七回忌に供花、線香料を送ったが返送されたということが書かれている。他に被害者への謝罪などの言葉は一切ない。

 ところが読んでいくうちに、違和感を覚えるところが多く出てくる。先に書いた川口に当たる該当者が見当たらないことや、Mの該当者が見当たらないことなどもその一つだ。なぜなのだろうと思いながら読み終わってみると、あとがきでこう書かれている。以下に抜粋する。
 川口一成という死刑囚は、実際には存在しない。正確に言うと川口一成は二人おり、一人の川口は既に執行され、もう一人の川口は未執行で生きている。作者は死者と生者とを合成させて、川口一成という死刑囚に仕立て上げた、それは生者である川口からの強い願いにほかならない。
 ここで一気に胡散臭くなってくる。なんだそれは、という思いが強くなる。こういうことをやられると、どこまでが真実で何が嘘なのかがわからなくなる。

 例えば、第八章では、1991年7月に起きた神戸の強盗殺人で一、二審無期懲役判決を受けて上告中の元暴力団組員(事件当時19)の奇行(大声を上げてせんずりをする)についても書かれている。ただ、この元組員の無期懲役が確定したのは2004年10月。しかし手記では2009年の正月になっている。どういうことなんだと首をかしげてしまう。
 第一〇章では、小田原一家五人殺害事件の元死刑囚が千葉刑務所で2009年10月に獄中で病死している、と書いているのだが、これは初めて聞いた情報だ。
 極めつけは、第十二章、十三章で唐突に出てくる、1995年10月初旬に福井刑務所から金沢刑務所に移送された話。窃盗で刑期は1年2か月とのこと。しかし、1996年頃に金沢刑務所を出所して、2004年ごろに最高裁で棄却され死刑囚として確定しているというのは、当時の裁判ペースからするとちょっと信じられない。当時だったら、逮捕されてから最高裁で棄却されて確定するまでは10年以上経っている。

 「死刑囚の極秘手記」という内容なのに、世間一般で騒がれた様子は全くなし。書評で取り上げられすらない。市川悦子『足音が近づく』(インパクト出版会)と比べると段違いだ。さすがに嘘八百を書いたとは思わないが、執行日などの事実の部分を除くと、多くが創作、もしくは参考文献に書かれていない文献や取材内容からの改変ではないだろうか。
 いずれいしろ、元ネタがわからないという状況なので、参考文献としては使えません。それを頭に入れながら、読んだ方がいいです。



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