「新潮45」編集部編『その時、殺しの手が動く』(新潮文庫)

 「引き寄せた炎、必然の9事件」。なぜ彼は、彼女は犯行に手を染めたのか。「新潮45」に掲載されている事件ノンフィクションシリーズ第3弾。日野「不倫放火」殺人事件、塩尻「人気AV女優」怪死事件、三島「女子大生」焼殺事件、宇都宮「散弾銃」主婦射殺事件、大分「十五歳少年」一家殺傷事件、札幌「歯科医」嫁惨殺事件、稚内「冷凍庫」夫絞殺事件、さいたま「実娘拷問」殺害事件、青梅「姉妹」バラバラ殺人事件を収録。

 事件はごく一部しか報道されない。加害者が鬼なのか、被害者に落ち度はないのか。それとも加害者は、必死の反撃が殺人という手段になっただけなのか。その答えは、もしかしたら当事者でさえもわからないかもしれない。しかしそこに殺人という現実があるのならば、加害者は裁かれなければならない。そして被害者遺族もまた、必死の戦いを続けなければならない。世間は忘れ去ったようにみえても、実は口にしないだけで、何かあったら記憶の底からほじくり返す。被害者の遺族は、そんな世間とも闘わなければならないのだ。
 本作で特に興味深いのは、日野「不倫放火」殺人事件のレポートだろう。妻と子供がいる男性と不倫したあげく、放火して子供二人を殺害したエリート女性といえば、思い出す方も多いだろう。あの頃、加害者の女性に同情的な意見が多かったと覚えている。確かに一面から見たらそうだろう。離婚して一緒になりたいなどと口説かれ、妊娠・中絶を繰り返したあげくの凶行だったのだから。しかし今回、被害者側の妻からの視点を読むと、改めて本事件の難しさと、加害者の身勝手さが見えてくるから不思議である。今まで読まされ、感じてきたことはあくまで一方的なものでしかなかったという事実に気がつき、今更ながら報道の恐ろしさを感じる結果となった。
 事件のすべての真実を知ることは不可能だが、限りなく近づくことは可能なのである。しかし、その機会は残念ながらほとんど閉ざされている。新聞や週刊誌は、話題のある事件に飛びつくばかりであり、その後の地味な内容には興味がほとんどない。だからこそ本書のようなノンフィクションが必要なのだ。事件の真相に近づこうとする地道な努力と多大な時間をかけて書かれ続けているこのシリーズに、拍手を送りたい。




加藤丈夫『「漫画少年」物語 編集者・加藤謙一伝』(都市出版)

 戦前は講談社「少年倶楽部」の編集長をつとめ、『のらくろ』『冒険ダン吉』などのヒットで部数を約十倍の六十五万部に伸ばした名編集長、戦後は学童社を設立し、伝説の漫画雑誌「漫画少年」を出版し続けた加藤謙一の伝記である。作者は加藤謙一の四男に当たる。
 出版側からの「漫画少年」が語られたのは珍しい。長谷川町子の「サザエさん」が創刊当初連載されていたことなど初めて聞くエピソードもあるが、まあだいたいはよく聞くエピソードが多い。もうちょっと面白いエピソードでもあるかと思っていたが、その辺は期待外れだった。
 貴重な記録になるかもしれないが、それ以上のものではない。




山本周五郎『寝ぼけ署長』(新潮文庫)

 40ぐらいの格好の悪い体つきをしている五道三省が署長として赴任してきた。五年の在任中、署でも官舎でもぐうぐう寝てばかりいるので、口の悪い新聞記者が付けたあだ名が「寝ぼけ署長」。署内でもお人好しでぐうたら兵衛でおまけに無能だともっぱらの評判。ところが在任中の犯罪事件は、前と後と比較すると約10分の1。他県へ転任するときは、陰口をたたいていた人間が悲しがり、町の住人たちは留任陳情のデモをするぐらい。そんな「寝ぼけ署長」の、痛快奇抜で人情味あふれる謎解きを楽しむシリーズ。
 作者が覆面作家のペンネームで「新青年」に連載した短編集。「中央銀行三十万円紛失事件」「海南氏恐喝事件」「一粒の真珠」「新生座事件」「眼の中の砂」「夜毎十二時」「毛骨屋親分」「十目十指」「我が歌終る」「最後の挨拶」の10編を収録。

 「罪を憎んで人を憎まず」。人情あふれる署長裁きの心地よさを楽しむ一品。ミステリとしては弱い部分があるのも事実だが、「海南氏恐喝事件」「新生座事件」あたりのあっと驚く結末はなかなかのもの。それに作品全体に流れている作者の風刺にはどきっとするものがある。「最後の挨拶」で去ってしまったが、できればもう一度読んでみたかったキャラクターであった。




田中芳樹『創竜伝13 <噴火列島>』(講談社ノベルス)

 富士山の大噴火にあえぐ日本―終と余は見るからに奇怪な“トカゲ兵”と激闘、始と続はなんと“正義の美女戦士”小早川奈津子と手を組む羽目に。世界の最強国さえ自在に操る「閣下」の存在が不吉な影を落とす中、これまでの歴史を一変させる妙手が浮上した!?新たな波乱を呼ぶこと必至の超人気シリーズ最新作。(粗筋紹介より引用)
 2003年6月、書下ろし刊行。

 3年ぶりになるのか、ようやく13巻目。小説内時間はぜんぜん進んでいないはずなのに、小説で語られる世間の出来事は最新情報だから、もう無茶苦茶。お約束のフレーズのオンパレード。まあ、それを楽しみで読んでいるからいいんだろうけれど、さっさと物語を進めてくれと言いたい。なんだかんだ言っても、出たら買うんだから。




新保博久編集『私が愛した名探偵』(朝日新聞社)

 作家や俳優、タレントに政治家、経済人に大学教授。様々な職種のミステリ愛好家87名が、自分の好きな名探偵について語ったエッセイを纏めたもの。エッセイのあとにはシンポ教授による名探偵の詳細な「履歴書」が載せられている。
 朝日新聞東京本社版に1998年4月6日~2000年3月27日までの二年間、週一回掲載された。寄稿はミステリ畑以外の愛好家が多い。
 出てくる名探偵は、ホームズ、ポワロ、クイーン、明智、金田一などの有名名探偵。スペイド、マーロウ、ハマー、スペンサーなどのハードボイルド作品に出てくる探偵。メグレ警視、マルティン・ベック、バージェス刑事、三原刑事などの警察畑。半七、銭形平次、人形佐七、顎十郎といった捕物帳の岡っ引き。ヨギ・ガンジー、御手洗潔、フロスト警部、合田雄一郎、ケイ・スカーペッタなどの新し所。アイアンサイド、コロンボ、多羅尾伴内、七人の刑事、工藤ちゃん、古畑任三郎、安浦刑事といったテレビ番組の主人公。銭形刑事、ヒゲオヤジ、コナンなどの漫画の主人公と、バラエティに富んだ人選になっている。

 名探偵というとどうしてもいくつかのパターンで固定されたイメージしか浮かんでこなかった。だがこれを読むと、ああこんな人も名探偵のカテゴリに入れてしまうんだという新しい発見があった。そういう意味では面白かった。
 しかしこんな人も入れるの? という“名探偵”も登場する。確かに遠山の金さんや水戸黄門も事件を解決するけれどさ。しかし土方歳三を“名探偵”に入れるのは無理がないですか?
 エッセイを読むまでわからない“名探偵”もいた。大生部多一郎。そういえばそんな名前だった。エレン。確かに読んだけれどさ、この人が名探偵とは考えつかないよ。
 読んでもわからない“名探偵”もいた。久保隆? 『密会の宿』? そりゃわからないよ。確かに“名探偵”のカテゴリに入れてもいいだろうけれど。

 それと帯の「本格的ミステリー入門書!」というのは大嘘。確かにそれなりに名探偵を網羅しているが、出てこない名探偵も多い。デュパン、ルパン、ホームズのライバルたち、フェル博士、リュウ・アーチャー、神津恭介などである。当然のことながら、「新本格」以後の名探偵は全く登場していない。

 面白いのはむしろ「履歴書」のマニアックなデータの方じゃないかな。今更というデータがあるかもしれないけれど、こんなエピソードがあったの? みたいな話も結構ある。これだけでも読む価値はあると思う。




相原大輔『首切り坂』(光文社 カッパノベルス)

 明治四十四年の初夏、小説家である鳥部は、編集者の中村から「A町の首切り地蔵の呪い」という話を聞いた。閑静な屋敷町であるA町と隣町のB町とを結ぶ道の一つに、首切り地蔵という四体の地蔵がある。この地蔵、その名の通り、なぜか首から上がない。いつからこの地蔵があるのか、いつから地蔵に首がなくなったのか、だれも知らない。二ヶ月前、A町に住んでいた神経質な男が、眠れぬ晩に散歩に出かけた。坂道を歩き、ふと地蔵を見ると、四体の地蔵の首の一つに生首が乗っているのを発見する。そして地蔵の裏からは、白い狐の顔をした人間が出てきた。男は近所の知人へ事の次第を語ったが、戻ってみると白い狐も生首も消えている。実は鳥部も友人たちと一緒にこの事件に遭遇していた。さらに数日後、境内から首なし死体が発見される事件が起き、鳥部は「これは呪いではないか」と戦慄する。

 光文社、カッパノベルスの「KAPPA-ONE 登龍門」第2弾3作品の第1作。第2弾では唯一の本格ミステリとのこと。この「KAPPA-ONE 登龍門」、前回は今後に期待できる4作品が並んだので、今回も期待していたのだが、いきなりのクリーンヒットであった。
 どことなく幻想小説っぽい幕開け、明治時代らしい西洋文化と日本文化がごちゃまぜになったままの風景、どことなく頽廃的な若者たちの会話、怪奇小説とも恐怖小説とも幻想小説とも取れるような事件、そして明快な論理による解決。一つ間違えるとごった煮で終わってしまいそうな話を、一つのトーンで途切れることなくまとめ上げたこの腕にはただ感心するばかりである。これでトリックがもっと洒落ていたらとは思ったが、そこまで望むのは贅沢な話だろう。本当にこれが新人の小説なのだろうか。羨ましく、そして妬ましい。ただ、これがベテランの作品だったら、もう少し点数が辛くなったかもしれないが。
 事件が呆気なさ過ぎると思われる人もいるだろうが、この話にこれ以上余計なものは付け加えるべきではない。当時の雰囲気を味わうミステリなのだから。




有栖川有栖『マレー鉄道の謎』(講談社ノベルス)

 マレー半島にいる友人を訪れた推理作家有栖川有栖と臨床犯罪学者火村英生。そこで待ち受けていたのは、隙間という隙間をテープで封印されたトレーラーハウス内での密室殺人。重要容疑者も殺害されており、さらにもう一人殺された。「目張り密室」の謎、そして連続殺人事件の謎を、火村はいかにして解くか。「国名」シリーズ第5弾。

 帯に『今だからこそ問う真正面の「本格」』とある。本格ミステリの定義、形が拡散してきている現在において、あえてスタンダードな本格ミステリに挑もうとした作者の意気込みが、作品から読みとれる。しかし正確に書くのなら、「本格」ではなくて、「名探偵をシリーズキャラクターにしている本格」だろう。人によってはまったく同じことかもしれないが。有栖と火村のやり取りもこのシリーズの一つの持ち味なので、その部分が「本格ミステリ」から見たら冗長に見えてしまうところでもある。特に今回はマレーシアを舞台にしており、しかも大学時代の友人が出てくることから、そのあたりに触れられている文章が多い。そのため、火村シリーズのファンでない人から見たら、作品が長すぎると思ってしまうだろう。
 連続殺人事件の動機や細かい伏線の張り方、推理のたたみ込みなどはさすがにうまい。複雑な人間関係のやり取りもスマートに書かれており、新人の作品みたいにこんがらがることはない。“真正面”という言葉に嘘はない。スタンダードな長編本格ミステリの佳作だろう。これで「目張り密室」のトリックがもっとすごいものであったらなら、傑作になっただろう。謎解きのところで、思わず口が開いたままになってしまった。「えっ、この程度」とはっきり言いたい。「目張り密室」の元祖ともいうべき『爬虫類館の殺人』や「この世の外から」に比べるとあっけなさ過ぎるし、説得力に欠ける。今時「目張り密室」に挑むのなら、もっと奇想天外なトリックを考案してほしかった。本格ミステリの出来不出来をトリックで計りたくはないが、やはりこの小説ではトリックも重要だろう。他の要素がよいだけに、残念である。

 最近の火村シリーズは全然読んでいないが、過去の作品と比較すれば上の部類だろう。しかし有栖川有栖の望むのは、やはり江神シリーズのようなスケールの大きい本格ミステリになってしまう。いつになったら新作を書いてくれるのやら。
 そう思っていたら、本作で日本推理作家協会賞受賞とのこと。悪い作品ではないが、なぜこの作品で協会賞?と首をひねってしまいたくはなるな。ここで受賞させておかないとみたいなイメージしか持てない。まあ、協会賞にはそんなイメージを持ちたくなるような作品が結構あることも事実だが。




鮎川哲也『太鼓叩きはなぜ笑う』(創元推理文庫)

 無実の人間が事件に巻き込まれ、容疑者として逮捕される。依頼を受けた肥大漢の弁護士は、容疑者の無実を信じ、探偵の「わたし」に事件の調査を依頼する。「わたし」は調査を開始するが、どうしても無実だといえるだけの証拠を手に入れることができない。かえって容疑者の容疑を固めてしまうような事実ばかりだ。そんなとき「わたし」は、数寄屋橋近くの三番館ビル六階にあるバー「三番館」に行く。落ち着いた雰囲気のそのバーには、達磨みたいによく太ったバーテンがいる。このバーテンは、大学教授と太刀打ちできるほどの物知りだが、カクテルをこしらえるのは下手だった。「わたし」はバイオレットフィーズを飲みながら、バーテンに事件の概要を説明する。するとバーテンは、解決のヒントを授けてくれる。
 鬼貫警部、星影龍三に続く鮎川哲也第三のシリーズ名探偵「三番館のバーテン」シリーズ第1作。「春の驟雨」「新ファントム・レディ」「竜王氏の不吉な旅」「白い手黒い手」「太鼓叩きはなぜ笑う」の5編を収録。

 バー「三番館」同様、落ち着いた雰囲気の本格ミステリ。物語のパターンはいつも同じだが、それでいて読んでも飽きが来ない。そこが名人芸なのだろう。同じ定食を頼んでも、季節に応じて旬の味を引き出す食材を使う料理人のようだ。大げさなトリックがなくても、エキセントリックな名探偵が出なくても、奇妙な館が登場しなくても、良質の本格ミステリを作り出すことが出来るといういい例である。新しいシリーズということもあってか、第1集の本作は力の入った短編がそろっている。長編化を考えていたという「竜王氏の不吉な旅」はなるほどと思わせるボリュームである。日本の安楽椅子探偵ものを代表するシリーズ、読んで損はしない。

 ここからは独り言になるのだが、鮎川哲也は本格ミステリしか書かなかった作家なのか。それとも本格ミステリしか書けなかった作家なのか。私は後者だと思うのだが、どうだろう。




高山宏『殺す・集める・読む』(創元ライブラリ)

 ホームズ冒険譚を世紀末社会に蔓延する死と倦怠への悪魔祓い装置として読む「殺す・集める・読む」、マザー・グース殺人の苛酷な形式性に一九二〇~四〇年代の世界崩壊の危機を重ね合わせる「終末の鳥獣戯画」他、近代が生んだ発明品「推理小説」を文化史的視点から読み解く、奇想天外、知的スリルに満ちた画期的ミステリ論。(裏表紙より引用)

 文学者が文化史的視点から読み解いたミステリ評論集。ミステリをミステリ的に読まない研究者がミステリをどう読み解くか。その答がここにあるといっていいだろう。その文学的眩惑感に惑わされている気がしないでもないが、ミステリに毒されずにミステリ評論を書いてみたらこうなるいい例だろう。副題の「推理小説特殊講義」という言葉が示すとおり、一風変わった、そして刺激的なミステリ評論である。




横山秀夫『第三の時効』(集英社)

 舞台はF県警捜査一課。捜査一課は殺人、強盗事件等を担当している。捜査一課長田畑の下には三つの班がある。理詰めで捜査を進める一斑班長朽木。「冷血」と部下にも恐れられる公安上がりの二班班長楠見。現場での第一感が決して外れることのない三班班長村瀬。
 事件は発生順に各班に振り分けられ、班長の指揮のもと、捜査に当たる。各班毎にライバル意識をむき出しにして事件に当たり、高い逮捕率を誇っている。
 公判になって無罪を主張する被告のアリバイを朽木が崩す「沈黙のアリバイ」。時効寸前の犯人を捕らえるために楠見が罠を仕掛ける「第三の時効」。三人の班長に振り回されながらも3つの事件が解決するまでの田畑の動きを書いた「囚人のジレンマ」。マンションに追いつめて監視しているはずの犯人が消え失せた謎を村瀬が追いつめる「密室の抜け穴」。子供の頃誘拐犯に利用され、常に笑いを顔に浮かべることしかできなくなった矢代刑事がホームレス殺人の犯人を追いつめていく「ペルソナの微笑」。一斑と三班が同じ事件を交互に追っていく「モノクロームの反転」の6編を収録。

 今まで色々な刑事ものを扱ってきた横山秀夫だが、今回は捜査課が事件の謎を追う正真正銘(という言い方も変か?)の刑事もの。横山秀夫が今まで描いてきた刑事たちの人間ドラマも健在だが、本書ではさらに一級の謎解きも楽しめる作品に仕上がっている。「このミス」で横山秀夫は本書のミステリ度を5点満点中4.5点であると語っているが、その言葉に偽りはない。
 60ページ前後で事件、捜査、個性豊かな刑事たちの人間模様と葛藤、そして意外な解決が用意されているのだから、まさに警察小説のお手本。朽木、楠見、村瀬の1人だけでも十分シリーズ主人公として成り立つぐらいのキャラクターでありながら、三人はあくまで事件解決のキーパーソンでしかなく、各短編の主人公は彼らを取り巻く刑事たちであることに唸らされる。今まで書かれた刑事物の中でもトップに位置する作品集。作者、会心の出来ではないか。
 今年になって多くの作品が出版されており、多作による質の低下が予想されたのだが、嬉しいことに杞憂であった。ただ、同じようなパターンの警察ものが続くと、読者にマンネリと思われるのじゃないかという危惧もある。

 佐野洋が指摘し、作者本人が認めているミスが「第三の時効」にある。じつはその指摘した文章を読んでいないので、未だにそのミスがわからない。ただ素人が考えても「弁護人選定の問題もあるし、起訴状を被告人本人に見せないのはおかしい」だろう。執筆に忙しいのだろうが、やはり法律を調査しておく必要があるようだ。策におぼれるというか。




伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮社)

 仙台市内で連続放火事件が起きていた。放火された現場の近くには、グラフィティーアートが必ずあった。そしてアートには謎の言葉が残されていた。言葉をつなげることによって、何らかの意味が浮かび上がってくるのか。遺伝子を取り扱っている会社に勤める兄と、落書き消しを仕事とする弟は放火事件の謎を追いかけるのだが。

 取り扱っているテーマは結構重い。弟の「春」は、母親がレイプされて出来た子供。だから兄の「私」とは半分しか血がつながっていない。だけど、そんな深刻さは全く感じ取られない。親子の絆、兄弟の絆がじわりと浮かび上がってくる。たわいもないやり取りが繰り返されながらも、言葉と絆は心の闇を取り除き、人は前向きに生きていくことが出来る。さりげなく元気が出てくる小説、それが本書である。出てくる登場人物の多くが、平凡な人たちなのだが、格好良い。交わされる会話は普通なのに、なぜかそれが粋に思えてくる。“重力ピエロ”というタイトルは、実にうまい。「オーソドックス だけど古くない 地味で大人しい だけどカッコイイ」帯に書かれた言葉だが、これほどピッタリ来る言葉もないだろう。
 一見普通のように見えて、だけど格好いいやつらを、作者は物語を破綻させることなく結末まで引っ張っていく。もともとストーリーテングの巧さには定評があったが、本作によってその才能が開花したといえる。過去の作品を読んだ読者にとっては嬉しいボーナスも用意されている。
 謎が弱いとか、そんな野暮なことを言っちゃいけない。結末に異論がある人もいるだろうが、それは読者が考えればそれでいい。絶対正解といえる行動なんかないのだから。物語に起伏がない。それはそういう話だから当然なのだ。そうそうドラマティックな物語が人の一生に起きるわけじゃない。作品を読み違えてはいけない。これはそういう話なのだ。
 伊坂幸太郎にとって、これはブレイクの一冊になるだろう。読んだ後の爽快感。読者を裏切らない一冊である。




笹本稜平『フォックス・ストーン』(文藝春秋)

 かつての傭兵仲間で親友だったダグ・ショーニングが都内のホテルで死んでいた。麻薬の過剰摂取による心臓発作が死因で、事故もしくは自殺というのが警察の見解だった。ダグの友人だった檜垣耀二は、ダグが世界的なジャズピアニストであったことも、東京に来ていたことも知らなかった。そしてダグが死んだことを知ったのも、事件から一ヶ月後に読んだ週刊誌の記事からだった。檜垣はダグの死に不審を抱き、記事を書いたルポライター芦名彰久とともに事件の真相を追い、ダグの故郷ニューヨークにやってくる。しかし檜垣たちをあざ笑うかのように、ダグのマネージャー、そして母親までもが殺される。常に後手、後手に回ってしまう檜垣。ダグの死には、アフリカ某国の独立運動に乗じた恐るべき陰謀が隠されていた。「フォックス・ストーン」とは何か。全ての謎を解くために、舞台はアメリカ、そしてアフリカへと移ってゆく。

 前作『天空への回廊』でスマッシュヒットを飛ばした作者の、待望の新作。帯には「サントリーミステリー大賞受賞第一作」と書かれているのだが、もしかして前作は光文社にストックされていて、サントリーを受賞したから出版されたという経緯でもあるのだろうか。本作は単に文藝春秋から出た受賞後第一作という意味づけだろうか。どちらでもいい話だが。
 前作は山岳冒険小説のジャンルに挑んだ作者だが、本作はスケールの大きな国際謀略小説。謎が一つ一つ解けていくと、さらに大きな謎が待ちかまえているという展開もいいし、フォックス・ストーンの謎もよくできている。理想のアフリカ国家建設を目指すリーダーと、金で雇われる傭兵との、いわば光と陰の書き方も物語にうまくマッチしている。主人公だけでなく、脇を固める人たちも、悪人を含めて魅力的な人物ばかりである。悪役の書き方は本当に嫌らしい。アフリカという大陸におけるパワーゲームの書き方もしっかりとしている。
 とまあ、いいことずくめのような作品なのだが、残念ながら前作ほどの高い評価は与えられない。物語の起伏の付け方に問題があるのだ。
 例えがかなり露骨だが、じらされてじらされて、そして盛り上がり、さあここでというところで手綱を緩められる。一、二回ならいいのだが、これが何回も続くとさすがに苛立ってくる。そうしたらいきなりクライマックスを迎えてしまうのだ。頂点には達するのだが、その過程が楽しめない。そんな作品なのだ。特に別荘地での銃撃シーンの後、あれだけ長々と事後処理や情報収集の過程を書かれると興醒めしてしまう。肝心のクライマックスが短すぎるからなおさらだ。最後、一気呵成に書いてくれたら、傑作と呼んでよかったと思う。
 ただ、そう思うのは私だけかも知れない。それは他の人の判断に任せてみたいと思う。力作であることには、間違いない。冒険小説界の新星として、いずれ大化けするだろう。




中島望『Kの流儀 フルコンタクト・ゲーム』(講談社ノベルス)

 11月、冷たい雨の降る日。逢川総二は神戸市垂水区の丘陵地区に立つ、私立赤城高校に転校してきた。その高校は、暴力ばかりが幅を利かし、すでに荒廃しきっていた。総二も初日から応援団員4人にトイレに連れ込まれた。しかしトイレから無傷で出てきたのは総二の方だった。さらに総二は廊下でぶつかった柔道部主将の込山を膝蹴り一撃で沈めてしまった。総二は極真空手の達人だった。それ以来、総二は赤城高校を取り仕切る真壁宗冬一派を敵に回すことになる。総二は高校を退学した美少女小嶺明日香に淡い恋を抱きながらも、真壁一派との戦いに挑む。相手は七人。応援団長に、剣道、空手、柔道、少林寺拳法、ボクシング、中国拳法の達人。殺らなければ殺られる。極限の戦いの果てにあるものは。第10回メフィスト賞受賞作。

 登場人物が皆高校生であることに違和感があるのだが、その一点を除けばエンタテイメントとして一流の格闘アクション小説。極端な暴力描写は苦手なのだが、それでも一気に読み終えた。この手の小説は、一歩間違えると格闘ゲームの小説化と同じ状態になってしまい、登場人物がゲームキャラクタと変わらないという描写になってしまいがちである。まあ実際、真壁一派のメンバーのほとんどはそういう感じになってはいるが。ただ主人公の総二は、明日香との淡い恋のやり取りによって、なんとか無機質な登場人物から一歩抜け出た存在になっており、読者の救いにもなっている。
 総二と明日香の恋愛描写はあまりにも幼く初々しいし、かつ古くさいのだが、それが高校での荒廃しきった描写とうまい対比を見せている。
 極真会館所属という経歴は伊達ではなく、格闘シーンは迫力満点である。素人が取材と想像だけで書いた格闘シーンよりも描写が生々しく、血が通っている。
 この手の格闘アクション小説は、一歩間違えるとどれを読んでも同じということになりかねない。そんなマンネリをどう打破するか。それがこの作者に与えられた課題だと思う。いずれにしても有望な新人がまた一人登場した……って、1999年の新刊なんだよな。



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