地裁判決(うち求刑死刑) |
高裁判決(うち求刑死刑) |
最高裁判決(うち求刑死刑) |
---|---|---|
21(0)
| 20(4)
| 13(1)
|
氏 名 | 山本英之(32) |
逮 捕 | 2016年6月5日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 殺人、銃刀法違反(発射)他 |
事件概要 |
愛知県半田市の指定暴力団・山口組系の組員、山本英之被告は2016年5月31日午前9時50分ごろ、岡山市のマンション駐車場と通路で、指定暴力団神戸山口組系池田組の男性幹部(当時55)に回転式拳銃4発を発射し、うち3発を左脇腹などに命中させて殺害した。 池田組は、資金力が豊富とされる岡山県の有力団体。2015年8月末の山口組分裂騒動では、池田組の組長が山健組組長らとともに山口組を離脱し、神戸山口組の傘下となった。 山本英之被告は6月5日正午過ぎ、捜査本部のある岡山南署に出頭。岡山県警は同日、逮捕した。 岡山県警は8月25日、共犯として同組系組員ら2人を殺人、銃刀法違反容疑で逮捕した。岡山地検は9月15日、2人を処分保留で釈放した。 |
裁判所 | 岡山地裁 松田道別裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年1月30日 無期懲役 |
裁判焦点 |
岡山地裁は2016年9月28日付で裁判員裁判の対象から除外し、裁判官だけで審理する決定を出した。2015年8月の山口組分裂に絡む裁判での除外決定は初めて。 2016年12月8日の初公判で、山本英之被告は起訴事実を認めたが、組織の関与は否定した。動機について、山本被告は「池田組に対し個人的に腹が立った」と述べた。 冒頭陳述で検察側は、山本被告が、池田組が対立組織を金で切り崩していると聞いたことなどから、幹部の殺害を決意したと述べた。 同日の被告人質問で山本被告は「池田組のやり方が気に入らなかった。組織の指示は一切ない」と話した。一方、犯行に使ったバイクの入手先など暴力団関係者の関与が疑われる問いには突然黙秘に。検察側の追究にいらだったのか、声のトーンが上がる場面もあった。 同日の論告で検察側は、「山口組から離脱して神戸山口組に参加した組織に報復し、所属組織での栄達を図るためだったと考えられる」と動機を指摘。山本被告が岡山市内に2カ月間潜伏し、高木幹部らの行動パターンを把握したことや、潜伏先やミニバイクを別の組員から提供されていた、警備が厳格な伊勢志摩サミットが終わるのを待った点に触れ「綿密かつ周到な計画」と強調。犯行態様について「至近距離からいきなり撃ったり、逃げる幹部を追い掛けたりした。強固な殺意があり冷酷かつ残忍だ。市民の生活空間で犯行に及び、地域を震撼させた。一般市民を巻き込む危険性も高かった。同種犯罪を根絶するため実行犯の被告を厳罰に処すべきだ」とした。 同日の最終弁論で弁護側は「組織的な関与というのは検察側の臆測にすぎない。犯行の5日後に自首した。反省から自首し、地域に不安を与えたことを申し訳なく思っている」として、有期刑を求めた。 公判は即日結審した。 判決で松田裁判長は、抗争状態にある神戸山口組側が山口組の組員を引き抜いていることに憤慨して殺害に及んだと認定し、「(被告と)被害者とは個人的関係はなく、面識もなかった。組織的な動機があった」とし、抗争を背景とした組織的なものだったと認定した。そしては犯行について「マンションを監視するとともに知人に手配してもらったバイクで移動し、犯行後には自分の衣服を燃やすなど計画的だ」と指摘。「逃げる被害者に背後から発砲し、前に回り込んでさらに撃とうとした。強い殺意がうかがえる」と述べた。多くの住民が出入りするマンションが現場となった点に触れ「発砲した弾のうち1発は流れ弾となり一般人に被害が及ぶ恐れもあった」と強調。暴力団同士の抗争を背景とする事件が頻発する中で起き、社会に不安を与えたことも踏まえ「極めて反社会的で、組織的な動機に基づく犯行だ。国民全体に不安と恐怖を与えた。起訴内容を全て認めるなど酌むべき事情を最大限考慮しても有期懲役が相当とはいえない。組織への忠誠心という暴力団特有の反社会的動機に基づく犯行で、厳罰をもって臨むべきだ」と結論付けた。 |
備 考 |
暴力団が絡む事件の裁判だけに、県警組織犯罪対策2課や所轄署の捜査員、裁判所職員が数十人態勢で報復などを警戒した。出入り口を正面玄関に絞り、金属探知機を使って来庁者の所持品をチェック。駐車場でも多くの捜査員が、暴力団関係者が来ているかどうか目を光らせた。法廷では被告人と傍聴席の間に「防弾パネル」を設置。2時間あまりで審理が終わり、傍聴人が退廷した後もしばらく警備を続けた。岡山地裁によると、特に目立ったトラブルはなかったという。 2017年2月27日付で、遺族は、共犯として逮捕された男性2人を不起訴とした地検の処分を不服として、岡山検察審査会に審査を申し立てた。 被告側は控訴した。2017年9月15日、広島高裁岡山支部で被告側控訴棄却。2017年12月13日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 少女(19) |
逮 捕 | 2015年4月23日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、逮捕監禁 |
事件概要 |
千葉県船橋市のアルバイトの少女(当時18)は、住所不定、無職の中野翔太被告、同井出裕輝被告、東京都葛飾区の鉄筋工の少年(当時16)と共謀。2015年4月19日夜、千葉市中央区の路上を歩いている船橋市の被害少女(当時18)に少女が声をかけ、井出被告が運転する車に乗せた。その後、井出被告、中野被告、少女は被害少女に車内で手足を縛るなどの暴行を加え、現金数万円が入った財布やバッグを奪った。さらに20日午前0時ごろ、芝山町の畑に連れて行き、中野被告が井出被告の指示で事前に掘っていた穴に被害少女を入れ、中野被告が土砂で生き埋めにして、窒息死させた。少女の顔には顔全体に粘着テープが巻かれ、手足は結束バンドで縛られていた。 被害少女と少女は高校時代の同級生。被害少女は高校中退後に家を出て、アルバイトをしながら暮らしており、飲食費などを複数回、逮捕された少女に借りたことがあった。少女は友人から借りた洋服などを返さなかった被害少女に腹を立て、井出被告に相談し、事件を計画。少女は少年にも声をかけ、参加させた。井出被告は中野被告に協力をもちかけ、犯行に及んだ。井出、中野被告は被害少女と面識はなかった。また少年も、井出、中野被告と面識はなかった。 21日になって船橋東署に「女性が埋められたという話がある」との情報が寄せられたため、事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査を開始。24日未明までに、車に乗っていた東京都葛飾区の少年と船橋市の少女、中野翔太被告を監禁容疑で逮捕し、井出裕輝被告の逮捕状を取った。そして供述に基づき芝山町内の畑を捜索し、女性の遺体を発見した。同日、井出被告が出頭し逮捕された。5月13日、強盗殺人容疑で4人を再逮捕。 6月4日、千葉地検は井出被告、中野被告を強盗殺人罪などで起訴。少女を強盗殺人などの非行内容で千葉家裁に送致した。地検は少女に「刑事処分相当」の意見を付けた。少年は共謀関係がなかったとして強盗殺人では嫌疑不十分として不起訴にし、逮捕監禁の非行内容で家裁送致した。千葉家裁は7月17日、少女について、「刑事処分を選択して成人と同様の手続きを取り、責任を自覚させることが適切」として検察官送致(逆送)した。千葉地検は24日、少女を強盗殺人などの罪で千葉地裁に起訴した。 |
裁判所 | 千葉地裁 松本圭史裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年2月3日 無期懲役 |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年1月13日の初公判で、被告の少女は「強盗は認めるが(事件で起訴された他の被告と)殺害について事前に話し合っていないし、殺意もなかった」と述べ、起訴内容を一部否認した。強盗と逮捕監禁罪については認めた。 冒頭陳述で検察側は「少女が元々友人だった女性との間で徐々にトラブルを抱えるようになった」と事件に至る経緯を説明し、知人の井出裕輝被告に女性殺害を持ちかけたと主張。女性を車で連れ去り芝山町の畑に着くと少女は現場から離れたが、井出被告の遊び仲間だった中野翔太被告が井出被告の指示で掘った穴に女性を埋めた後に再び現場を訪れ、女性が埋められたことを確認したと指摘した。弁護側は、少女が井出被告に「(女性を)拉致して売り飛ばす」「殺す」と話していたことを認めつつ、「普段から話している言葉であり、事件を起こそうと考えたわけではない」と反論。その上で「(女性を連れて)畑に行くとは聞いていなかった。そこで何をするかや、事前に穴を掘っていたことも知らなかった」と強調し、少女を家裁に送致するよう求めた。 16日の第2回公判で、中野翔太被告が出廷。中野被告は犯行当日、少女と井出裕輝被告と一緒に千葉市内の飲食店前で店内にいる女性を待ち伏せしたといい、女性が既に退店したことが分かると「(少女は)焦っていた。井出は『もう(女性を埋める)穴も掘ったんだよ』といら立っていた」と説明。少女が穴などについて問うことはなく、「(少女は殺害の計画を)知っているんだと思った」と証言した。また、女性を車に乗せて畑へ向かう途中、女性のかばんと携帯電話を奪ったのは少女だと指摘。車内では少女と中野被告が「被害者の手を縛ったりした」といい、「(少女は)被害者の足を殴ったり、たばこの火を押し付けたりした。笑っていて、楽しんでいる様子だった」と振り返った。 18日の第4回公判で被害者と少女の共通の知人である女性が出廷。検察側の「電話で、被害者が死んでいることや(殺害の)状況などについて被告人から聞いたのでは」との質問には「聞きました」と答えた。また「被告人をちゃんと止めてあげられれば、こんなことにはならなかった。(被害者と被告人の)どっちにも申し訳ない」と述べた。事件後に少女と電話で会話した内容を問われると「言いたくない」と回答を拒否した。 19日の第5回公判で少女の友人の少年が証人出廷し、事件直前に少女と電話で話した際に「今から人を殺すから」と言われた、と証言した。少女の中学時代の同級生である男性も証言台に立ち、「(少女から)『(人を)埋めた』などと言われた。『お前がやったのか』と聞いたら『頼んだ』と言っていた」と述べた。裁判官から「誰に何を頼んだかについて話したか」と問われると「その話はなかった」と答えた。 23日の第6回公判における被告人質問で、共犯の井出裕輝被告らから、事前に女性を埋める穴を準備したことや、女性を乗せた車の目的地を「聞かされていなかった」と説明。車は「(女性が借りた)卒業アルバムがある場所に行ってくれるんだと思った」とした。また少女は弁護側の質問に、被害女性の手足を結束バンドで拘束したことを認め、「驚かせるくらいならいいという軽い気持ちで、何とも思わなかった」と述べた。また、女性の足が当たっていらっとしたからと、たばこの火を押しつけたことなども認めた。畑で女性を車から降ろした際は「頭が回らなくて(次に何が起こるか)あまり深く考えなかった」と説明。女性が埋められた後は「埋めたのかと思ったが、半信半疑。あり得ないと思ったし、考えたくなかった」と当時の心境を語り、その後は「私も何かされるんじゃないかと思い、井出君と連絡を取らなかった」と述べた。事件前、少女が友人に「中途半端にやって警察に言われたら困るから、最後までやる。殺す」などと明かしたとされる点については「そのときは、捕まってもどうでもいいと思っていた」とした上で「殺すとは言っていない」と否定した。 24日の第7回公判における被告人質問で、「現時点で遺族にこういう謝罪をしよう、という具体的なものは何もないのか」と問われると、「はい」と即答。女性へは「自分は価値観が狂っているので、立ち直って今回の事件が重大なことだと理解するまで何も言えない」とし、今は「自分のことでいっぱいいっぱい」とはっきりした口調で答えた。また、過去に交際相手に暴力を振るわれた経験から人が暴力を受けるのを「目の前で見るのはダメ」とする一方「自分が(暴行)することには抵抗がない」と断言。自分の改善点については、人の痛みが分からない、感情をコントロールできない点を挙げた。証人尋問も行われ、少女の姉が出廷。姉は「妹だけの責任ではなく、家族で償おうと考えている。大切な命を奪ってしまい、謝っても謝りきれない」と涙声で遺族へ謝罪した。女性の父親も証言。事件前、女性と知人の間に金銭トラブルが生じた際は、知人から女性の実家に連絡が入ったことから「翌日に清算させている」と説明。その上で、今回の事件の原因とされる卒業アルバムの貸し借りについて「物でも一緒で、苦情が来たらすぐ清算させるつもりだった。被告人もそれを知っているはずなのに、どうしてこうなったのか」と心境を打ち明けた。また「『私は悪くないから反省しない』というように聞こえる」と公判での少女の印象を語り、「事件の目的が分からない。許しがたい」と語気を強め、「死刑を求めます」と強い口調で述べた。 25日の第8回公判において、被害者参加制度を利用して公判に参加した女性の母親は意見陳述で、「娘が借りたものを返していないのなら、謝ります。返すことができます」と涙に声を震わせ、「あなたが奪ったのは娘の命。娘はこんなひどい最期を迎えるために生まれてきたのではない」と訴えた。そして「娘を抱きしめることもできない。命はこんなに簡単に奪われていいのか。極刑以外望まない。生きながら償うことを許すことはできない」と訴えた。女性の妹も証言台に立ち、裁判員らに対して「被告人に、一生後悔させ続けたい。どうか被告人を許さないでください」と言葉を振り絞った。遺族代理人は死刑を求めた。 同日の論告で検察側は、女性との間にトラブルがあり腹を立てていたのは、事件で逮捕された井出裕輝被告ら4人のうち少女だけだと指摘。女性を連れ去ってから埋めるまで井出被告と行動を共にし、女性を助けようとしなかったとして「最初から殺意や共謀があったと推認できる」と強調した。また、井出裕輝被告が「怖かった」とする少女の供述は「(井出に)何も言えない関係ではない。供述が不自然」とし、「他の被告人を止めず、被害者を助けもしなかった。遺族への謝罪もない」と主張した。そして、「中心的役割を積極的に果たした。結果が極めて重く、成人と比べて刑を軽くする事情はない」と述べた。 同日の最終弁論で弁護側は、被告の目的は(女性が共通の友人から借りていた)卒業アルバムを取り返すことで、殺害は予想外だった」と主張。「殺害は他の被告が突発的に行った」と少女の関与を否定し、「主導したのは井出被告で、被告人が従属的なのは明らか。殺害しようとしていたとの推認は全くできない」として「逮捕監禁、強盗罪が成立する。刑罰でなく更生教育が必要。少年院での矯正教育による改善が期待できる」ため、「保護処分が相当」として家裁に移送するよう求めた。 少女は最終意見陳述で「(他の被告人と)殺すことについて話してないし、依頼もしてない。殺意もない。事件に関わったのは事実なので、今はまだ償い方が分からないが、立ち直って償いたい」と述べた。 判決で松本裁判長は、少女が犯行前後、周囲に「今から人を殺す」「拉致して埋めた」などと話したとする友人らの証言を「不自然な点はない」として採用。その上で、少女が殺害を発案して井出被告らを巻き込んだとされる証拠はないとした上で、「少女が女性とのトラブルの不満を漏らしたことが、井出被告らが犯行を計画する契機となったことは明らか」と指摘。殺害の直前に女性が「もう一度話がしたい」などと訴えたにも関わらず「もう遅い」といって取り合わなかったなど、一連の犯行に大きな影響を与えたとした。さらに井出裕輝被告らが計画していた犯行は「遅くとも犯行直前には、具体的に認識していた」と述べた。そして「井出らが被害者を殺害するかもしれないと認識しながら、それならそれでも構わないと考えた」として、未必の殺意があったと判示。「強盗殺人の成立は免れない」とした上で「被害者への不満を漏らしたことが、井出らが犯行を計画する契機となったのは明らか。被害者を見かけて接触し、他の被告に電話をかけるなど犯行の起点を担った。犯行を主体的、能動的に行い、奪った現金の一部を受け取るなど重要な役割を果たした」と結論付けた。そして、「緊縛し生き埋めにして殺害するなど、被害者に多大な苦痛や絶望を与え、非情で悪質。犯行時18歳1カ月だったことを考え合わせても、その刑事責任は重大である。厳しい非難は免れない」とした。 |
備 考 |
中野翔太被告は2016年11月30日、千葉地裁(吉井隆平裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。 被告側は即日控訴した。2018年12月11日、東京高裁で被告側控訴棄却。2019年6月3日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 溝部和也(32) |
逮 捕 | 2016年1月9日 |
殺害人数 | 2名 |
罪 状 | 殺人、現住建造物等放火 |
事件概要 |
福岡県苅田町の派遣社員溝部和也被告は2014年12月19日午前4時頃、大分県豊後高田市の実家の1階に放火し木造2階建て住宅述べ152平方メートルを全焼させ、2階で就寝中だった会社員の母(当時56)と介護士の妹(当時26)を焼死させた。午前4時10分には実家から炎が上がっていたが、溝部被告は直後に近所の駐車場から車で立ち去った。実家近くに住む弟から電話で火災を知らされた際に「寮にいる」とうそをついていた。溝部被告は2時間前に苅田町の寮を出て実家に向かい、合い鍵で中に入った。 溝部被告は2014年10月頃、当時の同僚2人から約33,000円を盗んだことが発覚し、返済を約束した。11月、福岡県の工場に就職して苅田町の寮に引っ越し。給料の口座は母親が管理していたが、被告は渡された小遣いをパチンコ代などに使ってしまった。12月、実家で妹が置いた5万円を盗み、発覚。消費者金融から借金も同僚2人から「実家にお金を返してもらいに行く」と迫られた。母と妹の2人には計約9,000万円の生命保険金、実家には約2,800万円の火災保険がかけられていた。 現場から油が検出されないなど、被告が放火したと示す直接の物証はなく、放火の方法も判明していない。 出火元である1階の居間にストーブなど火元になるようなものはなく、漏電も確認できなかったことから、大分県警は放火の可能性もあるとみて、約1年にわたって捜査。現場近くの防犯カメラの映像や目撃証言で、火災の時間帯に溝部被告が自分の軽乗用車で現場を訪れていたことが判明。大分県警は2016年1月9日、溝部和也被告を逮捕した。 |
裁判所 | 大分地裁 今泉裕登裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 |
2017年2月13日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年1月16日の初公判で、溝部和也被告は「放火殺人はしていない。身に覚えがない」と起訴事実を全面的に否認した。 検察側は冒頭陳述で防犯カメラの映像から、溝部被告が火災発生時間帯に実家付近にいたと指摘。そして、「被告は当時、金に困り同僚や妹から金を盗み、返済を迫られていた」と述べたうえ、(1)出火の約2時間前、福岡県苅田町の寮から車で実家へ向かいながら、スマートフォンでネット上の火災の記事や死亡時の生命保険金について閲覧した(2)(家人を呼び出さず)合鍵で実家に入った(3)消火活動中、弟に保険金の分配方法を提案した、午前6時過ぎに鎮火後、妹の遺体が発見されるとすぐ保険代理店に電話し、2人が死亡した可能性を伝えた、午後に母親の遺体が発見されると同僚らに「多額の保険金が入る」と伝える――などから保険金目的と主張した。 一方、弁護側は、放火を示す痕跡がない一方、消防の調べで1階居間の電源タップのコードにショートしたとみられる痕跡が見つかったことから、「出火原因となった可能性を否定できない」と主張。携帯電話の検索履歴については「金銭トラブルを母親に相談しようと実家に立ち寄っただけだ。漠然と検索しただけで、放火の具体的な意図はなかった。母の寝顔を見て、そうした漠然とした考えもなくなった」などと述べた。また、弟の電話で火災を知ったが、「すぐに行くと疑われる」と考え、時間を空けて戻ったと説明。最終的に保険金は全く受け取っていないとした。 17日の第2回公判で、証人として出廷した県警科学捜査研究所の男性職員は「この現場からは出火原因は特定できない」と指摘。その上で「ショート痕付近の床は、床の他の部分よりも焼け方が非常に少ない。出火の原因ではなく、むしろ火災中にショートが発生したと言える」と強調した。火災原因判定書を作成した豊後高田市消防本部の消防吏員の男性は、被告の弟が火災当日に「たこ足配線にしていた。電気が原因としか考えられない」と話したと説明。「現場の検分結果から出火原因が特定できなかった以上、電気火災による失火の可能性も否定はできない」と証言するも、「焼損が弱い箇所が原因の可能性は低い」とした。同型のテーブルタップの輸入販売企業で、不良品を解析している担当者は「同タイプの製品が発火した割合は137万台中2件」と証言。実証実験から、「一般家庭の環境ではコンセントの差し込み口に毎日水分を入れ続けても、不具合は発生しにくい」と説明した。 19日の第3回公判で、電気機器による火災の専門家で、火災原因を鑑定した警察庁科学警察研究所(科警研)の元職員が証人として出廷。電源タップの材質や周辺の床の焼損の少なさなどから、電源タップからの失火の可能性を否定し、ショート痕は火災の中で焼損したとの見方を示した。 23日の第5回公判における被告人質問で、溝部被告は「母親に金策の相談をしようと思った」とした上で、当時インターネットで「火災死亡」「住宅火災 助かる確率」「保険」などを検索していた点には、「家が火事になれば、借金の取り立てが遅れるかなと思った」と語った。さらに被告は弁護士の質問に「家に火をつけようとまでは思わなかった」と話したが、その後質問した裁判官に対しては「運転中に家に火をつけようと一瞬思った。しかし母の寝顔を見て『良くないな』と思い直した」と証言が揺れた。また、実家を出た後に弟から電話で火災の連絡を受けた際、すぐに実家へ戻らなかった理由については「(放火したと)疑われたくない、という気持ちが勝った」と述べた。県警の取り調べで、被告が「母や妹に悪いことをした」などと供述していたことについては、「疑いを晴らすことができず、自殺しようと思っていたので、自供めいたことを話した」と述べた。 26日の論告で検察側は、溝部被告が出火前に「火災死亡」や「住宅火災 助かる確率」などの言葉を携帯電話で検索し、消火活動中には弟に保険金の分配を持ちかけていたことを指摘。「保険金目当ての犯行は明らかだ」などと主張した。 同日の最終弁論で弁護側は、出火元の1階居間で漏電が疑われる痕跡が見つかったことを捉え、「放火の立証はできておらず、失火の可能性は否定できない。被告が返済を迫られていたのはわずか十数万円で、家を燃やして肉親を殺害する動機はない」と述べ、犯人という証拠はないと無罪を主張した。 判決で今泉裁判長は、「電気製品や配線が出火元になった可能性はない」と分析した科学警察研究所・火災研究室の元職員の証言を「合理的な根拠による専門家の意見」だとして、全て採用。失火の可能性についても、死亡した2人が就寝中だったなどとして退けた。一方、溝部被告の物とよく似た車が、火災前後に、実家への沿道にある複数の防犯カメラに映っていたことや被告自身の証言から、被告が当日の午前3時52分ごろから午前4時7、8分ごろまで実家にいたと推定。出火時刻は午前4時ごろ~同5分ごろだったとし、被告以外の第三者の関与を否定した。さらに「金銭トラブルを母親に相談しようと実家に立ち寄り、保険金は漠然と検索しただけ」という弁護側の主張に対しては「深夜にわざわざ実家に赴く合理的な理由はなく、被告の供述は信用できない」と退けた。そして、被告は金銭トラブルを抱え、事件前にはインターネットで、火災によって人が死ぬ可能性や保険金について検索していたことや消火活動中に「保険金の取り分は6対4やな」と弟に持ちかけたりしたことから保険金目的も認定。また被告が取り調べに「電気ショートが原因と思わせるため、電源タップ近くに火をつける方法を考えた」と供述したことも重視。弁護側は「仮定の話だった」と反論していたが、判決は被告が殺意を持ってこれを実行した、と結論付けた。最後に、「失火を装った計画性を伴う保険金目的の犯行で極めて身勝手。2人が就寝中に火をつけるという残酷な殺害方法で、一定の計画性も認められ、刑事責任は極めて重い」と断じた。 |
備 考 | 被告側は即日控訴した。2017年7月20日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2018年7月4日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 久保田正一(43) |
逮 捕 | 2016年5月12日 |
殺害人数 | 2名 |
罪 状 | 殺人、詐欺、電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪他 |
事件概要 |
甲府市の無職久保田正一被告は、笛吹市の元飲食店経営、岩間俊彦被告から山梨県韮崎市の整骨院院長の男性Tさんの死亡保険金をだまし取る計画を打ち明けられ、笛吹市の会社社長Nとともに加担。岩間被告と久保田被告は、住所不定無職K被告と、フィリピン国籍の久保田被告の元妻に、殺害の実行犯を探すように依頼。K被告はフィリピンで日本人の男に、Tさんを殺害する実行犯の手配を依頼した。岩間被告と久保田被告は、「フィリピンで新事業を設立する資金が必要だ」などと持ちかけてTさんから約370万円をだまし取り、その一部を殺害の報酬に充てた。そして両被告とK被告がTさんをフィリピンに誘った。2014年10月19日午前0時半(現地時間10月18日)ごろ、マニラ南部でTさん(当時32)をK被告がタクシーに乗せて連れ出し、自分だけ下車した後、バイクで近づいた実行犯に射殺させた。元妻は、Tさんの顔写真を用意したり、殺害の実行犯に支払う現金を保管したりして、殺害を手助けした。K被告は仲介役と実行役に成功報酬を含め計40万ペソ(約92万円)を支払った。 岩間被告と久保田被告は高校の同級生。岩間被告はTさんの整骨院に通院、他の3人は岩間被告を通じてTさんと知り合った。 岩間被告は元々Nを殺害する予定で、久保田被告を誘った。ところが岩間被告とTさんが、台湾での共同事業を巡って対立。そのため、殺害の対象はTさんに代わった。そして久保田被告とNは、Tさんを「一緒にフィリピンでビジネスを行おう」と説得。岩間被告とNが、Nの会社を受取人とする約1億円の海外旅行保険に、Tさんを加入させた。この会社には、岩間被告、久保田被告が役員に名を連ねていた。 事件後、岩間被告らが会いたいとTさんの父親に繰り返し連絡。Tさんの保険金がNの会社へ支払われる際には、Tさんの家族の押印が必要だったためで、不審に思った父親らが面会を拒否したため、保険金は支払われなかった。 さらに岩間、久保田両被告は、K被告の殺害も計画。2014年12月から2015年3月までの間、同社名義の生命保険契約を結び、死亡保険金を得ようと、K被告が同社の取締役に就任したとする虚偽の申請を法務局に提出するなどした。しかしK被告は2015年3月、韮崎署に自首した。 岩間被告とNは金銭を巡るトラブルで仲たがいし、岩間被告が保険金殺害計画を久保田被告に持ちかけた。久保田被告は、自首したK被告の行く先を知っている人物がいるとフィリピンに誘い出した。2015年5~7月、久保田被告は殺害のために3回フィリピンに渡航したが、うち2回は実行犯を手配できず、1回はNがパスポートを忘れたと引き返したため、いずれも失敗。その後、久保田被告は仲介役を通して実行犯を手配。2015年8月31日~9月1日、マニラ南部で、実行犯がNを銃で撃って殺害した。Nには約1億円の海外旅行保険が掛けられていた。なお、この件でも保険金は支払われていない。 県警は刑法の国外犯規定に基づいて捜査を行い、2016年2月にはフィリピンに捜査員を派遣して関係者から事情を聞くなどしてきた。県警捜査1課は5月12日、Tさんへの殺人容疑で岩間被告、久保田被告、K被告、元妻を逮捕した。元妻は後に殺人ほう助で起訴されている。6月7日、Nへの殺人容疑で岩間被告、久保田被告を再逮捕した。 |
裁判所 | 甲府地裁 丸山哲巳裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年2月14日 無期懲役 |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年1月20日の初公判で、久保田正一被告は「間違いありません」と述べ、起訴事実を認めた。 冒頭陳述で、検察側は、Tさん殺害については、岩間被告が計画を立て、久保田被告とNらが参加した、と主張。久保田被告は、K被告とフィリピン国籍の元妻の女に、殺害の実行犯を手配するように依頼した、と述べた。また、検察側は、久保田被告と岩間被告らは、Tさんに「フィリピンで新事業を設立する資金が必要だ」などと持ちかけて約370万円をだまし取り、その一部を、Tさんを射殺した実行犯の報酬に充てた、と主張した。検察側は、N殺害についても岩間被告が計画した、と指摘した。そのうえで、久保田被告が、Tさん殺害の際に知り合ったフィリピン在住の日本人の男に実行犯の手配を依頼した、と主張。久保田被告は殺害の具体的な計画を練り、Nをだまして殺害現場まで連れ出した、と述べた。 一方、久保田被告の弁護側は、2件の殺人について、「岩間被告が被害者との間でうらみや、仲違いがあった」と指摘し、「(久保田被告も)主犯格としての側面があるが、岩間被告に従属的で、役割は岩間被告ほど主導的ではない」と訴えた。 1月25日の第3回公判における被告人質問で、久保田被告は、男性の保険金の受取人を、Nが経営する会社にしたことについて「岩間被告から『捜査の目をNに向けるためだ』と聞いた」と証言した。また、2014年に殺害する対象は、当初はNだったが、男性に変わったことについて、「保険金が入れば、殺害するのは誰でもよかった」と述べた。 27日の第5回公判における被告人質問で、久保田被告は「恨みは何もなかった。金に困り、切羽詰まっていた」と動機を語った。 2月2日の論告で検察側は、「TさんとNに保険をかけたうえ、日本の警察権が及ばないフィリピンで、金で実行犯を雇って射殺させるなど、巧妙に計画された連続保険金殺人で残虐極まりない犯行だ」と批判。Nの殺害については、久保田被告はNをフィリピンに連れ出し、自ら実行犯を雇って殺害現場まで誘い出すなど、犯行に不可欠な役割を果たしたと指摘して、「岩間被告と共に計画を実行した主犯格だった」と述べた。動機については、「金を手にしてフィリピンに帰りたい、フィリピンで家族と優雅な生活をしたいというもの。あまりに利欲的かつ自己中心的」と断じた。そして「金銭欲のために人間性を捨てた犯行だ。行為責任だけみれば死刑に値し得る事件だ」と述べたものの、「久保田被告は県警に犯行を自白した後、(逮捕前に)2度フィリピンに渡航し、逃亡できる状態にあったが、逮捕されることを自覚しながら日本に帰国した。岩間被告がNさんの保険金を請求しようとしている状況を担当刑事に連絡するなど、新たな被害の発生防止や捜査に協力した。フィリピン渡航の際に(現地で使用していた)携帯電話や衣服を持ち帰り、元妻を説得して来日させ、警察などの取り調べを受けさせた」として、無期懲役を求刑した。 一方、弁護側は、犯行の計画は岩間被告が立てたものだと主張して「久保田被告は従属的な立場だったうえに、久保田被告は事件の真相を警察に話した後、フィリピンへの渡航を繰り返したが、逃亡しなかった。法廷でも真実を話している。特にNさん殺害事件は、フィリピン国内での事情は久保田被告が真相を話したことによって明らかになった。相当重い刑を科されることが予想されるところ、逮捕、起訴を覚悟して帰国し、真相解明に協力したことには深い反省と悔恨が認められる」と訴え、「有期刑が望ましい」と述べた。 丸山裁判長は判決理由で、岩間俊彦被告を計画の首謀者と指摘した。そして久保田被告の事件の役割について「重要で必要不可欠な存在だった」と指摘し、「計画的な上に巧妙で冷酷。殺人罪の中でも最も重い類型で、有期懲役刑を選択する余地はない」と断じた。一方で、共犯者との関係で「主導的な役割とまでは言えない」とし、犯行を自白したことなどから、「死刑を選択することは躊躇を覚える。終生の間、罪の償いにあたらせることが相当だ」と述べた。 |
備 考 |
岩間俊彦被告は殺人他の容疑で起訴されている。 Tさん殺人の実行役の手配を行ったとして殺人罪等に問われたK被告は2016年11月14日、甲府地裁(丸山哲巳裁判長)で懲役15年(求刑同)の判決が言い渡された。K被告はフィリピンに住む家族と一緒に生活するため、犯行と一緒に持ちかけられた共同事業に加わりたいと考え共謀した。被告側控訴中。 Tさん殺人を手助けしたとして殺人ほう助罪に問われたフィリピン国籍の久保田被告の元妻は2016年12月22日、甲府地裁(丸山哲巳裁判長)で懲役6年(求刑懲役7年)の判決が言い渡された。控訴せず、確定。 NはTさん殺人容疑で2016年7月13日に書類送検され、容疑者死亡で不起訴となっている。 2017年1月13日、フィリピン警察当局は、Tさん射殺の実行犯としてフィリピン人の男を殺人容疑で逮捕した。男はN殺害にもかかわった疑いがある。また、別のフィリピン人の男も事件に関わっていたとみて行方を調べている。ただし、日本とフィリピンの間には犯罪人引き渡し条約が結ばれてなく、男が日本で裁判を受ける可能性はほぼない。県警や甲府地検は、捜査段階で男の存在を把握していたが、日本の警察権はフィリピンに及ばないため、逮捕することはできなかった。また、今までの裁判の判決でも、実行犯は特定されていない。 控訴せず確定。 |
氏 名 | 宮地良多(29) |
逮 捕 | 2015年9月29日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、強盗殺人未遂、建造物侵入 |
事件概要 |
愛知県春日井市の無職宮地良多被告は2015年9月24日早朝、かつて働いていた同市のラーメン店に侵入。店員の男性(当時35)の男性を鉄筋(長さ約50cm、重さ約2.5kg)で殴って殺害し、別の店員の男性(当時39)にも重傷を負わせた。さらに金庫から、売上金など約265万円を奪った。 宮地被告は2009年4月から系列店で働き始めた。その後事件の起きた店で約5年勤務し、2016年8月末に退職していた。 同日午前7時20分ごろ、食材配送業者らが店内で倒れている2人を見つけて110番通報。27日、県警は関係者の一人として宮地被告を大阪府内で事情聴取し、アリバイの説明に矛盾があったため、特別捜査本部のある県警春日井署(春日井市)に任意同行して28日未明から聴取を始めた。睡眠や食事を挟みながら断続的に続けたが、同日夜、宮地被告は捜査員の制止を振り切って同署を歩いて出た。捜査員1人が約6時間追跡して戻るよう説得したが、宮地被告は同署から南へ約20kmの名鉄神宮前駅(名古屋市熱田区)近くで突然逃走し、姿を消した。宮地被告はJR大垣駅(岐阜県大垣市)まで約40km歩き、電車でJR大阪駅(大阪市)へ移動して、そこから約30km離れた大阪府岸和田市の実家に歩いて向かっていた。 この間の29日早朝、特捜本部は宮地被告の親族方で現金195万円の入ったバッグを発見した。これを決め手に宮地被告の逮捕状を取り、指名手配した。同日午後10時30分ごろ、宮地被告は実家に戻ったところを待ち構えていた捜査員に逮捕された。 |
裁判所 | 名古屋地裁 奥山豪裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年2月27日 無期懲役 |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年1月23日の初公判で、宮地良多被告は「殺意は認めません」と述べ、起訴事実を一部否認した。 検察側は冒頭陳述で、事件直前に店の経営会社を辞めた宮地被告が生活に困窮していたとしたうえで、事件を起こしたと主張。「死亡する危険性が高いことを認識しており、金を奪うために殺害する必要があった」と強調した。さらに事件直後、妻に店に押し入ったことを告白し、警察から事情聴取を求められた時には奪った金の保管場所を移すよう指示して、実際に妻が金を移動させていたと主張した。 一方弁護側は、店を襲ったのは、劣悪な労働環境だったことに対する不満から、店に嫌がらせをしようと考えた結果であり、「殺害は考えていなかった」と反論。さらに、中学時代に金属バットで殴られ気絶した友人の姿を見た経験から、金属の棒で殴れば店員を気絶させることができると考えたが、亡くなるとは思っていなかったと主張し、強盗致死、強盗致傷罪の適用を求めた。 2月13日の論告で検察側は、宮地被告が頭を狙い鉄筋で一方的に殴っているとして「死ぬ危険性が高い行為と認識し、殺意を有していたことは明らか」と述べ、「強盗を達成し発覚させないためにも(自分の顔を知る元同僚を)殺害する必要があった」と主張した。その上で「危険で計画的、金目当ての利欲的な犯行で、酌量の余地はない」と指摘した。 同日の最終弁論で弁護側は、「鉄筋で殴ったのは気絶させるため。被害者との関係は良好で殺害の動機はなく、殺意がなかったことは明らか」と主張し、強盗致死、強盗致傷罪の適用を求めた。さらに「過酷な労働を強いた会社への怒りが犯行のきっかけで、同情の余地がある。行き当たりばったりだった」と訴え、有期刑を求めた。 判決で奥山豪裁判長は、「長さ約50cm、重さ約2.5kgの硬い棒で頭を殴っており、人が死ぬ危険性の高い行為だと認識し、殺意があった」と宮地被告が否定した殺意を認定。また被告の会社への不満が動機と言う主張に対しても、「会社への不満と元同僚を襲う行為はあまりにもかけ離れている。何ら酌むべき事情はない」と判断した。そして、「事前に従業員の殺害まで計画していたわけではないが、顔を隠す準備をして営業終了後に犯行に及んでおり、強盗には一定の計画性が認められる。売上金の保管状況など、店に勤務していた時に知った情報を利用した点も非難に値する。1人の生命を奪い、もう1人は以前の日常生活を送れないようにした結果は誠に重大。奪った現金も高額で、情状酌量の余地はない」と述べた。 |
備 考 | 被告側は控訴した。控訴取下げ、確定。 |
氏 名 | 新井正吾(46) |
逮 捕 | 2014年1月15日(別件の詐欺罪で逮捕済み) |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 殺人、詐欺未遂 |
事件概要 |
京都市伏見区にある学習教材販売会社の社長で、宇治市に住む新井正吾被告は、兄で同社役員の新井茂夫被告と共謀。同社社員の男性(当時35)に2010年11月10日、1億円の海外旅行保険をかけた。11月24日午後9時ごろ(日本時間午後10時)、フィリピンマニラ市中心部の路上で茂夫被告が男性の頭などに複数の銃弾を発射させ、死亡させた。会社は1億数千万円の負債があった。 11月24日夜、男性の遺体が路上で発見された。男にかばんを奪われそうになり、銃撃されたとの目撃情報があり、現地警察が強盗殺人事件として捜査。府警は刑法の国外犯規定に基づき、事件の約2週間後にフィリピン政府から男性の遺体の引き渡しを受けて司法解剖し2011年と2013年、捜査員を現地に派遣した。 男性死亡後、両被告は保険金を請求したが、保険会社は「正吾被告らが共謀して殺害した可能性がある」として拒否。両被告は2011年、支払いを求めて東京地裁に提訴し、地裁は2013年5月、〈1〉当時、会社の負債は膨れ上がり、両被告の経済状態も悪化していた〈2〉過去の社員旅行では従業員に保険をかけなかった--と認定し、「保険会社が疑問を抱くのもうなずけなくもない」としたが、「(正吾被告らが)殺害したとの十分な証拠はない」として保険会社に全額支払いを命じた。保険会社側は控訴した。 新井正吾被告は知人女性のために健康保険証をだまし取ったなどとして、新井茂夫被告は生活保護費約120万円を不正受給したとして、2013年10~12月に逮捕、詐欺罪などで起訴された。2014年1月15日、京都府警は両被告を殺人容疑で再逮捕した。2月6日、保険金をだまし取ろうとしたとした詐欺未遂容疑で両被告を逮捕した。 |
裁判所 | 最高裁第二小法廷 山本庸幸裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年2月28日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | |
備 考 |
兄の新井茂夫被告は2016年11月14日、京都地裁の裁判員裁判で、求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。 新井正吾被告は2010年8月下旬、男性従業員に「今月で基本給をなくし歩合給だけにするが、引き続き働いてほしい。代わりに失業保険を受けられるようにする」などと告げ、伏見公共職業安定所に失業給付を申請させて、2010年10月~2011年2月に6回にわたり計約57万円を詐取させるなどした詐欺罪に問われた。2014年6月19日、京都地裁は懲役3年執行猶予4年(求刑懲役3年)の有罪判決を言い渡した。御山真理子裁判官は「会社の費用削減のため従業員に詐欺をさせたもので、くむべき事情はない」と指摘した。控訴せず確定。 2015年3月18日、京都地裁の裁判員裁判で、求刑通り一審無期懲役判決。2015年11月19日、大阪高裁で一審破棄の上、改めて無期懲役判決。 |
氏 名 | 赤塚真樹(43) |
逮 捕 | 2016年8月19日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、住居侵入 |
事件概要 |
宮城県本籍の住所不定、無職、赤塚真樹被告は2016年8月12日午前8時30分頃、高松市のアパートに住む団体職員の女性(当時42)方に玄関ドアから侵入。女性を殴打し、口を押さえつけて「静かにしろ。金が欲しいんだ」と脅したが、抵抗されたため首を両手で押さえつけるなどの暴行を加え、窒息させて殺害。財布や部屋の鍵を奪った。 赤塚被告と女性に面識はなく、7月下旬、女性が出勤する様子を偶然見かけ、一人暮らしで金を持っていそうだと犯行を思い立ち、行動を監視していた。 女性は13日午後0時15分ごろ、自宅玄関付近で両手首を結束バンドで縛られた状態で死亡しているのを親族が発見した。香川県警は、現場から体の組織片を見つけ、赤塚被告のDNA型と一致した。8月18日、赤塚被告を全国の警察に指名手配。19日、広島市内にいるところを広島県警の警察官が発見した。同日、香川県警は殺人容疑で逮捕した。20日、容疑を強盗殺人に切り替えて送検した。 |
裁判所 | 高松地裁 野村賢裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年3月8日 無期懲役 |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年2月28日の初公判で赤塚被告は、「殺意をもって犯行を行っておりません」と述べ、起訴事実の一部を否認した。 冒頭陳述で検察側は「被害者が動かなくなるまで首を圧迫しており、殺意はあった」と主張。これに対し、弁護側は「被害者の抵抗を受け、また、キャッシュカードの暗証番号を聞くために死んでしまわないように顔や首を押さえては離していた。死ぬ危険性が高いという認識はなく、逃走時は生きていると思っていた」と述べ、強盗致死罪で処罰されるべきとした。 3月1日の公判における被告人質問で、赤塚被告は事件当日の朝、ドア横の通路にしゃがんで被害者が出てくるのを待っていたとし、「数日前から下見をして被害者の出勤時間帯にアパートの他の住人が通路を通らないと分かっていた」と説明した。また、事件から4日後、立ち寄った和歌山県内のインターネットカフェで事件を検索し被害者が死亡したことを知ったと説明した。 3日の論告で検察側は「首を相当強く圧迫しており、殺意があったことは明らか。かけがえのない生命が奪われ、結果は重大」とした。 同日の最終弁論で弁護側は「被害者の抵抗を止めさせるため、分断的に複数回に分けて首を絞めたと考えられる。積極的な殺意はなかった」とし、強盗致死罪を適用した有期刑を求めた。 最終陳述で赤塚被告は「取り返しのつかないことをしてしまい、大変申し訳ございませんでした」と謝罪。母親と妹のいるついたてに向き直り、深く頭を下げた。 判決で野村裁判長は、被害者宅を下見していたことなどを挙げ、計画性を認定。さらに被害者の首を相当強い力で圧迫しており「生命を奪う行為で、危険性も容易に認識できた」として殺意も認定した。手を緩めたという主張に対しては、「激しい抵抗に遭いながらの加減調節は極めて困難だった」と退けた。そのうえで「身勝手で卑劣かつ残忍な犯行で、落ち度のない尊い命を奪った。人命軽視の態度は厳しく非難されなければならない」と指摘した。 |
備 考 | 控訴せず確定。 |
氏 名 | 礒飛京三(41) |
逮 捕 | 2012年6月10日(現行犯逮捕) |
殺害人数 | 2名 |
罪 状 | 殺人、銃刀法違反 |
事件概要 |
住所不定、無職礒飛(いそひ)京三被告は2012年6月10日午後1時ごろ、大阪市中央区東心斎橋1の路上で、通行中だった東京都東久留米市に住むイベント会社プロデューサーの男性(当時42)の腹や首などを包丁で何回も刺して殺害。さらに犯行に気付き自転車を押しながら逃げていた大阪市中央区に住むスナック経営の女性(当時66)の背中などを複数回刺して殺害。その後、礒飛被告は男性の方にゆっくり歩いて向かい、倒れている男性に馬乗りになり、再び刺した。通行人の女性から「人が刺された」と110番があり、警察官が現場に駆け付け、そばにいた礒飛被告を殺人未遂の容疑で現行犯逮捕した。逮捕直後、礒飛被告は「人を殺せば死刑になると思ってやった。殺すのは誰でもよかった」と供述した。その後、「事件前夜から幻聴が聞こえ始め、仕事が見つからないこともあって不安になった。幻聴のままに包丁を買い、現場へ行った」とも供述した。 男性は自身が企画した音楽レーベルのライブツアーに同行するため、9日に名古屋市から車で大阪入りしていた。ライブは現場から約60mの会場で午後6時開始を予定しており、午後1時に近くのライブ会場で待ち合わせしていた。女性は自転車で近くを通りかかったところだった。二人は礒飛被告と面識はなかった。 礒飛被告は覚せい剤取締法違反罪で新潟刑務所に服役し、満期で5月24日に出所。保護観察所に紹介された出身地である栃木県内の薬物依存者の自立を支援する無料の民間施設に滞在。6月8日に本人の希望で施設を出て大阪に移動し、9日は知人男性とその知人ら数人と大阪市内などを観光し、酒を飲んだ後、夜遅くなってから同市中央区の男性宅に宿泊。事件のあった10日は昼前ぐらいに荷物を持って男性宅を出ていた。そしてコンビニで全財産である現金17万円を下ろし、すぐに百貨店で包丁を買っていた。 7月2日、大阪府警南署捜査本部は殺人容疑で礒飛被告を再逮捕した。大阪地検は鑑定留置を請求。約3か月半にわたって実施した精神鑑定では、鑑定医が「覚醒剤使用時のような精神状態だった」という趣旨の所見を示していたが、地検は、犯行前後の言動などを踏まえ、完全責任能力があったと判断し、11月8日、殺人容疑などで起訴した。 |
裁判所 | 大阪高裁 中川博之裁判長 |
求 刑 | 死刑 |
判 決 |
2017年3月9日 無期懲役(一審破棄) 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) |
裁判焦点 |
(一審) 裁判員裁判。 大阪地検が申請した鑑定留置で「幻覚や妄想など、過去に使用していた覚醒剤症状のようなものがあった」とされていたが、公判前整理手続きの途中、起訴前の鑑定を担当した医師が死亡。裁判員裁判で鑑定医が鑑定結果を説明できなくなり、大阪地検は「被告に幻覚があった」とする精神鑑定結果を取下げ、大阪地裁に再鑑定を請求。2013年12月より、地裁が選任した医師が改めて鑑定を実施した。 2015年5月25日の初公判で、礒飛京三被告は「(2人を)包丁で刺して死なせてしまった。取り返しのつかないことをした」と起訴内容を認めた。 検察側は冒頭陳述で、覚せい剤取締法違反罪で服役していた礒飛被告は2012年5月24日に新潟刑務所を出所し、栃木県内にある薬物依存者のリハビリ施設に入所したと説明。6月8日に自ら希望して退所したが、親族に仕事や住居の世話を断られて「見放された」と感じ、刑務所仲間のいる大阪に向かったと述べた。しかし仲間からも仕事を紹介されず、10日、将来に絶望して自暴自棄になり、自殺するか、人を殺すかと考え、大阪市内の百貨店で包丁を購入した後、犯行を決意したと主張。2人を執拗に襲い、馬乗りになって何度も刺したとし、覚醒剤の後遺症に支配されておらず、完全な責任能力があったと強調した。 一方、弁護側は冒頭陳述で、大阪で仲間に仕事の紹介を求めたが、覚醒剤の密売などを勧められるなどして絶望したと説明。事件直前も礒飛被告には10数年前から使用していた覚醒剤による精神病の影響で「刺せ」という幻聴が何度も聞こえたなどとし、包丁を購入して腹に刃先をあてて自殺を試みたが、実行できなかったなどとして、完全な責任能力はなかったと主張した。さらに、検察側による死刑の求刑を想定し、究極の刑罰である死刑は裁判員全員が一致すべきだと指摘。全員が一致しなくても、死刑の言い渡しができる今の裁判員制度の違憲性を訴えた。 6月1日の第5回公判で、礒飛被告は薬物に手を出した時期について「15歳でシンナーを吸った」と説明。その後、大麻を使用し、暴力団に所属していた19歳の時に初めて覚醒剤を使用したと答えた。幻聴については「29歳のときから、お経や赤ん坊が泣いてる声、『腕立て伏せをしろ』と指示する声などが聞こえるようになった」と供述。「覚醒剤の量を増やせば声から逃げられると思い、1回の使用量は次第に3~5倍に増えた」と、覚醒剤との関わりを深めた経緯を明かした。 2日の第6回公判で起訴後に精神鑑定を実施した鑑定医が出廷し、「覚醒剤に関連した精神障害はあったが、事件への影響は極めて乏しい」とする鑑定結果を説明。礒飛被告の刑事責任能力に問題はなかったという見解を示した。礒飛被告が聞こえたとされる幻聴についても、幻聴があっても自分自身を失わず行動していたことなどから、「犯行は被告の意志に基づく」と判断した。 15日の第10回公判で殺害された男性の妻が証人として出廷し、「幸せな未来を奪った犯人を許せない。極刑を望みます」と涙ながらに述べた。検察側から事件後の生活を問われた妻は、3人の娘が「なんでお父さんがいないんだろう」と寂しがって泣くことがあると説明。この日の証人尋問を前に娘から渡された手紙には、「犯人に『お父さんを返せ』と伝えてほしい」と書かれていたと明かした。また殺害された女性の長男が出廷し、証人尋問で「悲惨な事件で絶対に許せない。死刑を願います」と訴えた。 16日の第11回公判で男性の父親が「質問はたった一つ」と述べた上で、「全く関係のない私の長男を突然襲った。この責任をどうやって取ろうと考えているのか。覚悟を聞きたい」と厳しい表情で質問した。それに対し、礒飛被告は「私のしたことは残酷、残忍、むごたらしいこと。ふさわしい刑は死刑しかないと思います」と答えた。 18日の第12回公判における論告で検察側は、礒飛被告が覚せい剤取締法違反事件で服役し、今回の事件の約2週間前に出所後、親族らに支援を断られたことを挙げ、「生活の手段があったのに努力も尽くさず、周囲に裏切られたと考え自暴自棄になった。自分本位で理不尽極まりない動機」と指摘。男性に14か所、女性には8か所の傷があったとし、「強固な殺意に基づき、執拗に刺した。人の命の尊さを考えない自分本位で悪質な犯行だ。被害者の恐怖感や絶望感は想像を絶する」と強調。「面識のない2人を襲った無差別通り魔事件で、社会に与えた影響も大きい」と指摘し、「覚醒剤使用の後遺症による精神障害を考慮しても、事件の悪質性や結果の重大性、残虐性からすれば、これに見合った刑は死刑以外にない」と断じた。 同日の最終弁論で弁護側は、被害者が2人の殺人事件に関する裁判員裁判の判決データをもとに「無期懲役が多く、計画性が重要な判断要素になっている」と説明。礒飛被告が犯行前に包丁を購入したのは自殺するためで、実行できないまま、覚醒剤の後遺症による「刺せ」という幻聴に抵抗できず犯行に及んでおり、当時は普通の精神状態ではなく、幻聴に影響された突発的な犯行で、計画性はなかったと強調した。そして無期懲役でも仮釈放まで30年以上かかるケースが多く、社会復帰の可能性はゼロに近いとして死刑の回避を求めた。また、死刑判決を言い渡す際は裁判員の全員一致を条件とすべきだと指摘。過半数の意見で量刑を決めることができる現在の裁判員制度の違憲性を主張し、裁判員に「多数決でその手に預けられた(礒飛被告の)命を握りつぶさないでほしい」と訴えた。 礒飛被告は最終意見陳述で、「遺族の怒りや苦しみ、悲しみを法廷で知った。何の理由もなく2人の命を奪ったことは決して許されることではない。命ある限り償い続ける」と述べ、傍聴する遺族らに頭を下げた。 判決で石川恭司裁判長は争点となった刑事責任能力の程度について、過去に使用した覚醒剤による後遺症で、礒飛被告が聞こえたとする「幻聴」が与えた影響は大きくなかったと判断。「善悪を判断したり、自己の行動をコントロールしたりする能力は若干低下していた可能性はあるが、著しく失われてはいなかった」と認定した。そして量刑については、人通りの多い繁華街で、2人の通行人を無差別に包丁で刺した点を重視。「人命軽視が甚だしい」と指摘し、2人を何度も刺していることから「強固な殺意があったのは明らか。冷酷、執拗で、際立って残虐」と強く非難した。そして、弁護側が量刑判断の際に重要だと主張していた計画性について、石川裁判長は「場当たり的な面があった」としながらも、事件の内容から「量刑上、特に重視すべきものとはいえない」と述べ、「生命をもって罪を償わせるしかない」と死刑が相当と結論付けた。 (二審) 2016年11月8日の控訴審初公判で、弁護側は刑が軽減される「心神耗弱状態」だった可能性があるなどとして死刑回避を訴え、検察側は控訴棄却を求めた。弁護側は精神鑑定の再実施を求めたが、高裁は却下した。この日の公判で礒飛被告は、一審で「私にふさわしい刑は死刑」と言ったことについて被害者の遺族から問いただされると、「死刑になるのは怖い。もう一度判断してほしかった」と話した。 12月22日の公判で、被害者遺族が意見陳述した。犠牲となった音楽プロデューサーの男性の父は「世界を股にかけ仕事をしている最中だった」と無念さを滲ませ、「一審判決に従ってもらうことがたった一つの望みだ」と語気を強めた。男性の妻は「かわいがっていた3人の娘たちの成長を見られなくて残念でならないでしょう」と涙ながら話した。女性の長男は「母の苦しみを考えると、今も胸が押しつぶされる。死刑しかありません」と訴えた。 同日の最終弁論で弁護側は、「被告は幻聴に従って異常な行動をしており、完全責任能力を認めた一審判決は破棄されるべきだ」と死刑回避を求めた。 判決で中川裁判長はまず、礒飛被告の刑事責任能力の程度を検討した。「幻聴の影響は限定的」とした地裁実施の精神鑑定結果については合理的と判断。「幻聴は犯行の決意や実行を後押しした程度に過ぎない」と指摘し、完全責任能力は認めた。そして、一審の量刑判断の妥当性について言及。礒飛被告が凶器の包丁を事件直前に購入した点などを挙げ、「用意周到な準備行為があったとは認められない」と述べた。中川裁判長は、「過去に死刑が言い渡された無差別通り魔殺人事件は全て計画性が認定されている。今回は2人以外に被害がなく、ほかの死傷者がいなかった点で異なり、従来の裁判例からはみ出す判断をするのは困難」と述べた。さらに、幻聴が与えた影響も否定できないとして、量刑判断に考慮すべきだとした。そのうえで、中川裁判長は「遺族の処罰感情は厳しいが、死刑の選択はためらわざるを得ない」と結論付けた。 |
備 考 |
亡くなった男性は大阪市出身で、1996年にロックバンド「4-STiCKS」のボーカルとして、大手レコード会社からメジャーデビューをしていた。2012年10月に新宿区のライブハウス「新宿ロフト」で追悼ライブが開かれ、2013年以降もバンドのベーシストたちによって命日の6月10日に追悼ライブが開かれた。一審の裁判員裁判でも、この日前後の6日間は休廷になった。 2015年6月26日、大阪地裁(石川恭司裁判長)の裁判員裁判で求刑通り一審死刑判決。【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)。 検察・被告側は上告した。2019年12月2日、検察・被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 君野康弘(50) |
逮 捕 | 2014年9月24日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 殺人、わいせつ目的誘拐、死体損壊・遺棄 |
事件概要 |
神戸市長田区の無職君野康弘被告は2014年9月11日午後3時30分ごろ、自宅近くの路上を歩く小学1年の女児(当時6)にわいせつ目的で近づき、「絵のモデルになって」と声をかけてアパート自室に誘い込み、首をロープで絞めるなどして殺害。16日までに遺体を切断して複数のポリ袋に入れ、近くの雑木林などに遺棄した。 君野被告は鹿児島県南九州市出身で、自衛隊勤務など職を転々とし、2008年ごろに関西に来て、指定暴力団傘下組織の組員となった。2009年ごろには神戸市兵庫区に転居。2011年ごろに刑事事件を起こして服役し、2013年5月に出所。神戸市長田区のアパートに入居するも近隣との騒音トラブルで2週間で退去し、住まいを転々。2013年夏に現在のアパートに引っ越した。家賃等は生活保護費から支払っていた。自宅ではパソコンを使った出会い系サイトに夢中になっていた。 県警は、11日から目撃情報があった場所周辺を捜索。12日から公開捜査となり、23日夕方に匂いに気付いた県警本部と長田署の捜査員2人が遺体の入ったポリ袋を見つけた。雑木林は住宅街の狭い路地の階段を上りきった場所にあって大通りから死角になる場所で、以前民家あった民家は1995年の阪神大震災で倒壊し、そのまま放置されていた。ポリ袋の中から君野被告名義の診察券が見つかり、袋の中にあったたばこの吸い殻と容疑者のDNA型が一致した。24日、県警は死体遺棄容疑で君野被告を逮捕した。10月14日、殺人容疑で再逮捕。 神戸地検は神戸地裁に鑑定留置を請求し、10月31日に認められた。鑑定結果から、事件当時は善悪を判断する能力があったと判断し神戸地検は2015年1月30日、君野被告を殺人とわいせつ目的誘拐、死体損壊・遺棄の罪で起訴した。 |
裁判所 | 大阪高裁 樋口裕晃裁判長 |
求 刑 | 死刑 |
判 決 | 2017年3月10日 無期懲役(一審破棄) |
裁判焦点 |
(一審) 裁判員裁判。 2016年3月7日の初公判で、君野康弘被告は殺人と死体遺棄、死体損壊の三つの罪を認めた上で「わいせつ目的で誘拐した記憶はありません」と起訴内容の一部を否認した。 冒頭陳述で、検察側は、君野被告が自宅で使っていたパソコンの記録などから、事件3日前から当日の午後2時30分頃まで、昼夜通してアダルトサイトを視聴していたと説明。その後、女児が通っていた市立小近くへ行き、路上で見かけた女児の後をつけ、いったん見失ったが、再び見つけて誘拐したと述べた。検察側は「女児を尾行し自宅に誘拐した後、犯行の発覚を防ぐためや遺体にわいせつな行為をする目的で殺害した」とし、わいせつ目的を立証する方針を示した。 弁護側は、君野被告が捜査段階で供述しなかった殺害などの動機について「友達や話し相手になってほしくて、偶然見かけた女児を誘った。思いがけず自宅についてきたため興奮が高まり、わいせつな気持ちが生じた」とし、犯行は衝動的だったと主張。わいせつ目的誘拐罪は未成年者誘拐罪にとどまるとした。さらに、君野被告はアルコール依存症で、当日も酩酊状態にあり、意思決定に影響を与えたと強調した。 7日午後、検察側は複数の防犯カメラの映像などから、君野被告が事件直前に女児の後をつけていたと述べた。検察側は、裁判員の心理的な負担を軽減するため、遺体の状況を写真ではなく、イラストで示し、死因などを説明した。これに対し、弁護側は、映像の人物の歩くスピードの違いなどから「尾行とまでいえない」と反論した。 8日の第2回公判における被告人質問で、君野被告は殺害の動機について「殺して、体を触ったりしたいと思ったから」と述べた。女児を誘拐した理由を「話し相手になってほしいと思った」と述べ、わいせつ目的を改めて否定。一方、検察側から女児の首を絞めるため別の部屋にロープを取りに行った際に「(殺害を)ためらう気持ちは起こらなかったか」と問われ、「起こらなかった」と明言。「人命より性欲を優先させたのか」と聞かれると「そうだと思う」と答えた。弁護側の被告人質問で、犯行当日の行動について確認されると、君野被告は「朝から酒を飲み、酔っぱらって何も考えずにいた」とし、女児に声をかけるまでの記憶がないとした。 午後には精神鑑定をした医師の証人尋問があった。医師は同被告が事件当時、アルコール依存症だったと判定したが、「異常な酩酊で判断できない状態だったとは考えられない。本人の自覚はないが、女児を目撃後、性的対象として家に連れ込んだと思う」とした。 9日の第3回公判で、君野被告は被告人質問でわいせつ行為をしたかどうかを訊かれ、「記憶にありません」と述べた。 女児の母親が被害者参加制度を使って出廷し、「なぜ娘の命を奪ったのか」などと君野被告に問いかけ、被告は「性欲を満たすため」と小さな声で話した。 10日の第4回公判で、被害者参加制度を使って出廷した女児の祖母が「私たち遺族は死刑を望んでいる」などと意見陳述した。女児の母親も君野被告について「私たちが聞きたいと思っていた部分は『記憶がない』『分からない』とばかり答えている」と批判した。 11日の論告で検察側は、君野被告は事件前にインターネットの交流サイトで少女と会話のやり取りをしたり、幼女のわいせつ動画を見たりしており、性的興奮が高まった状態で女児を尾行したと主張。動機について「性的欲求を満たすために誘拐して殺した」と断じた。そして犯行態様を「硬いロープで馬乗りになって首を締め付けた。とどめを刺すために最低でも4回、首を包丁で突き刺した」と指摘。「躊躇した形跡はなく、極めて執拗で残酷な犯行。遺体をごみ同然に捨てた」と非難した。さらに「事件の結果は甚だしく大きく、被害者数は考慮にならない」と続け、刑務所から出所後、約1年4カ月で犯行に及んでいることから「犯罪傾向は根深い」と指弾。「性的欲求を満たすという自己中心的な動機であり、生命軽視の姿勢が極めて顕著。類を見ない凄惨な犯行で、異常性の極み。更生も困難」として死刑を求刑した。 女児の母親は量刑意見で、「生命をもって償ってほしい。被告を死刑にしてください」と涙ながらに訴えた。 同日の最終弁論で弁護側は裁判員に対し、被害者1人の場合の死刑求刑事件の資料を配布。「公平性の観点から先例の傾向を踏まえて判断を」とくぎを刺した。被告は偶然出会った女児と友達になりたいと考えて声をかけただけであり、誘拐にわいせつ目的はなかったとし、「声をかけたら女児がついてきた予想外の状況に性的欲求が高まり、飲酒の影響で攻撃性が出た」と計画性を否定。「性欲を満たすためという(殺害の)動機は死刑選択の重要な要因だが、決定的なものではない」とし、過去の事件と比較しても死刑回避が相当と訴えた。「心から後悔している」として懲役25~30年が相当と主張。仮にわいせつ目的の誘拐が認められるとしても、無期懲役にとどめるべきだと訴えた。 佐茂剛裁判長は判決理由で、「わいせつ目的で6歳女児を誘拐し、支配下に置いた上、生命を奪い、遺体をないがしろにした。犯罪の中でも極めて悪質」と指弾。殺害の動機については「2人きりになったことで性的欲求を高めると同時に、女児に騒がれることなくわいせつな行為をし、その犯行の発覚を免れるため」と認定した。また、「殺意は極めて強固。自宅に連れ込んだ後、凶器を別室に取りに行ってから犯行に及んでおり、偶発的ともいえない」と弁護側の主張を退けた。また、被害者は1人である点は「残虐性が極めて高く、執拗。被害者が1人とはいえ死刑選択は十分許容される」などと述べ、刑事責任の重大性は揺るがないとした。また君野被告が「覚えていない」「分からない」と繰り返し、言葉を濁し続けた点について、「自己の身勝手さや攻撃性などの問題点には十分向き合っているとは言い難い」と非難した。そして「殺害手段は残虐性が高く、死体損壊の態様も凄惨。遺族の驚愕、絶望、憤りは察するに余りある生命軽視の姿勢は甚だしく顕著で、慎重に検討しても死刑を回避する事情は見当たらない」とした。 (二審) 弁護側は即日控訴した。 2016年12月16日の控訴審初公判で、弁護側は、女児と話をしようと自宅に連れて行ったが、わいせつ目的はなかったと訴えた。そして、「行に計画性はなく、被害者が1人の他の事件と比べ、過去の判例を踏まえても死刑は重すぎる」と主張した。検察側は、「誘拐がわいせつ目的なのは明らかで犯行は執拗かつ残虐で、遺体の損壊も凄惨であり死刑は適正だ」として控訴の棄却を求めた。 その後の被告人質問で弁護側の質問に対し、君野被告は800枚以上の写経を行い「申し訳ないという気持ちがますます深まっています。冥福を祈っています」と話したが、続く検察側の質問に対し、写経で書いていることにどのような意味があるか勉強したが忘れた、女の子の夢について一審で遺族が話していた内容についても覚えていない、と答えた。被害者参加制度を利用した女児の母親から控訴した理由を問われると、「無期懲役で一生を刑務所で過ごし冥福を祈りしっかり反省したい」と答えたものの、母親から自らの行為が死刑に値しないのかと思っているのかという質問に対し、「そのことについて答えることは難しいです」としか答えなかった。 2017年1月20日の公判における被告人質問で被告は弁護側に死刑について問われると「死んでしまえば、ある意味楽だが(無期懲役で)一生かけて償う方が苦しい」と答えた。また、文通相手と養子縁組を進めていると明かした。同日の意見陳述で女児の母親は、事件から2年以上が経過しても娘を思い出さない日はないといい、「娘の将来、家族のささやかな幸せを奪った」と述べた。その上で君野被告に対し、「死刑から逃れるために控訴しており、反省や謝罪の気持ちも感じられない。死をもって償うしかない」と極刑を求めた。 判決で樋口裁判長は、「女児を自宅に招き入れた時点では、被告に殺害の意思はなかった」として、一審判決を容認し、殺害の計画性はなかったと認定した。裁判長は量刑の判断にあたり、女児に騒がれずにわいせつ行為をするため殺害したという被告の動機について検討。「事件前に幼女らのわいせつ動画を頻繁に閲覧した点などからも、わいせつ目的が推認できる」とわいせつ目的誘拐罪を認定したが、「性的欲望を満たすという目的は強く非難されるが、格段に身勝手とは言えない」と述べた。計画性のない事件では事前に殺害を準備するケースに比べて「非難が一定程度弱まる」と指摘した。そして幼い被害者の命を奪った結果は重大、遺族の悲しみや怒りは筆舌に尽くしがたいとしながらも「殺害方法も苦痛をことさら増やしたとはいえず、死刑が十分許容されうるとした具体的、説得的な根拠が示されていない」と認定。さらに被害者が1人の同種事件では、死刑が選択されていない傾向がみてとれると述べ、一審が社会常識を反映する裁判員裁判の判断だった点にも言及。「一審判決は計画性がないことを不当に軽視している。動機や残虐性などの要素を過大に評価した一審の判断は是認できない。控訴審は裁判員裁判の量刑判断は基本的に尊重すべきだが、法的観点に沿って一審を覆すのは裁判員制度の趣旨を損なうものではない。経験則や法的観点から是正せざるを得ない」と述べた。 |
備 考 |
神戸市は2015年6月、遺体が遺棄された雑木林(約750m2)を約300万円で買い取り、フェンスを設置して草を刈り取った。雑木林は事件前から、所有する会社が倒産したまま放置されており、事件後、地元から「死角になっていて危険」との声が上がっていた。学校などは地域内の物陰や暗がりなど危険な場所の確認を続けている。 兵庫県では、防犯カメラの設置に対する自治会などの補助金申請が急増し、事件が起きた2014年度は前年度の3倍にあたる854件。自治会設置の防犯カメラがなかった今回の現場周辺では約20台が設置された。伊丹市は独自に通学路や繁華街などに1000台導入することを決め、大阪市も2016年度以降、約1000台を設ける予定。 2016年3月18日、神戸地裁(佐茂剛裁判長)の裁判員裁判で、求刑通り一審死刑判決。検察側は上告した。2019年7月1日、検察側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 井出裕輝(22) |
逮 捕 | 2015年4月24日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、逮捕監禁、強盗強姦 |
事件概要 |
住所不定、無職の井出裕輝被告は、千葉県船橋市のアルバイトの少女(当時18)、住所不定、無職の中野翔太被告、東京都葛飾区の鉄筋工の少年(当時16)と共謀。2015年4月19日夜、千葉市中央区の路上を歩いている船橋市の被害少女(当時18)に少女が声をかけ、井出被告が運転する車に乗せた。その後、井出被告、中野被告、少女は被害少女に車内で手足を縛るなどの暴行を加え、現金数万円が入った財布やバッグを奪った。さらに20日午前0時ごろ、芝山町の畑に連れて行き、中野被告が井出被告の指示で事前に掘っていた穴に被害少女を入れ、中野被告が土砂で生き埋めにして、窒息死させた。少女の顔には顔全体に粘着テープが巻かれ、手足は結束バンドで縛られていた。 被害少女と少女は高校時代の同級生。被害少女は高校中退後に家を出て、アルバイトをしながら暮らしており、飲食費などを複数回、逮捕された少女に借りたことがあった。少女は友人から借りた洋服などを返さなかった被害少女に腹を立て、井出被告に相談し、事件を計画。少女は少年にも声をかけ、参加させた。井出被告は中野被告に協力をもちかけ、犯行に及んだ。井出、中野被告は被害少女と面識はなかった。また少年も、井出、中野被告と面識はなかった。 21日になって船橋東署に「女性が埋められたという話がある」との情報が寄せられたため、事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査を開始。24日未明までに、車に乗っていた東京都葛飾区の少年と船橋市の少女、中野翔太被告を監禁容疑で逮捕し、井出裕輝被告の逮捕状を取った。そして供述に基づき芝山町内の畑を捜索し、女性の遺体を発見した。同日、井出被告が出頭し逮捕された。5月13日、強盗殺人容疑で4人を再逮捕。 6月4日、千葉地検は井出被告、中野被告を強盗殺人罪などで起訴。少女を強盗殺人などの非行内容で千葉家裁に送致した。地検は少女に「刑事処分相当」の意見を付けた。少年は共謀関係がなかったとして強盗殺人では嫌疑不十分として不起訴にし、逮捕監禁の非行内容で家裁送致した。千葉家裁は7月17日、少女について、「刑事処分を選択して成人と同様の手続きを取り、責任を自覚させることが適切」として検察官送致(逆送)した。千葉地検は24日、少女を強盗殺人などの罪で千葉地裁に起訴した。 |
裁判所 | 千葉地裁 吉井隆平裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年3月10日 無期懲役 |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年2月13日の裁判員裁判で、井出裕輝被告は「逮捕監禁については間違いありません。強盗殺人などについては否認します」と、起訴内容を一部否認した。 冒頭陳述で検察側は少女から女性に対する愚痴を聞き、事件前日までに殺害を計画したと経緯を説明し、「主導的役割を果たした」と強調。連れ去った女性を拘束したり、荷物を取り上げたりするよう少女らに指示し、遊び仲間の中野翔太被告に「ちょっと埋めて」と言って現場を離れ、女性の泣き声に焦った中野被告が完全に埋めたと指摘した。そして、「犯行は残虐かつ計画的で、身勝手な動機によるもの」と述べた。弁護側は、井出被告は少女が「殺す」「埋める」と言っているのを聞いたことはあったが「本気とは思っていなかった」と主張。「女性を連れ去ったのは脅すため。金品を奪って殺害しようと事前に話し合ったことはなく、殺意もなかった。中野被告が女性を殺害したのは井出被告にとって予定外の出来事だった」と述べた。さらに、井出被告に穴を掘ることや、監禁道具の購入を依頼したのは少女だと説明。女性を乗せて畑へ向かう車内で、井出、中野両被告が「ジョン」「ケイ」という偽名を使ったのも、「被害者を解放後、警察に暴行が発覚しないようにするためだった」として、殺意も否定した。一方、中野被告が女性を完全に埋めた後、井出被告がスコップなどで畑を整地したのは、事件を隠蔽するためだったと認めた。 14日の第2回公判で、中野翔太被告が出廷。検察側の尋問に対し、中野被告は「事件前に井出被告から『殺してから埋めるのと生きたまま埋めるのとどっちがいい』と尋ねられた」と明かし、「生き埋めの方がいいと答えると、井出被告も『そうだよね』と言っていた」と説明した。中野被告は犯行前、井出被告の指示で畑に穴を用意。「深さは2メートルぐらい掘れと言われた」と述べた。井出被告の指示通りに穴を掘り終えた後、「『これだけ掘れば死ぬだろう』と言われた」と証言した。また、中野被告は女性を生き埋めにし、警察へ出頭するまでの約3日間、井出被告とは「2回会った」と説明。その際、井出被告は共犯の少女らが既に「逮捕されたかもしれない」と話したといい、「自分たちも(犯行が)ばれたときは、お前が自分1人で背負って刑務所に行けと言ってきた」と述べた。 20日の第6回公判で弁護側の質問が行われ、井出被告は共犯の少女から女性との物の貸し借りをめぐるトラブルで相談され、女性を埋めるための穴掘りなどを頼まれたとし、「少女は女性を殺すと言っていたが、本当に殺すことはないと思い協力した」と主張。井出被告の友人による「少女から殺害を頼まれた井出被告が承諾した」という証言に対しては、「そういう話はなかったと思う」と訴えた。 21日の第7回公判で、弁護側が女性の遺族に宛てた井出被告の謝罪文を代読した。井出被告は文中では「軽率な気持ちで(共犯者に)誘われるがまま手を貸してしまった。被害者さまを助けることなく逃げ出したことを後悔している。被害者さま、ご遺族さまの人生を変えてしまった。深く反省している。誠に申し訳ありません」と陳謝し、「過去の自分を戒め、決別したい。被害者さまの冥福を心よりお祈りしています」と締めくくった。 22日の第8回公判で、井出被告の父親が出廷した。父親は、井出被告がについて「だまされやすい」と言葉を詰まらせ、周りに流されて犯行に及んだ可能性を指摘した。父親は、2歳の井出被告を実家に預けて別居した後、井出被告が16~17歳ぐらいのときに再度同居。その後、再び別居したが、行き来するなど交流はあったという。父親は、遺族への謝罪について問われると「考えている。自分も娘がいるので…」と消え入りそうな声で述べたが、具体的な謝罪方法は「特に思い当たらなかったので、何もしていない」と話した。同日の被告人質問で、井出被告は「毎日寝る前に黙とうし、被害者の冥福を祈っている」と説明。作成した謝罪文は「私が関わった事件で、被害者の命がなくなってしまったこと」についてだといい、「強盗殺人への謝罪ではないのか」との質問には「強盗殺人ではなく、被害者が亡くなってしまったこと」とした。また、被害者参加制度を利用し、女性の遺族が意見陳述。女性の母親は「口をふさがれ徐々に呼吸ができなくなる中、『死にたくない』と思いながら必死に呼吸する娘の姿を想像してしまう」と涙声で訴え、「何十年たっても、穏やかな気持ちで娘を思い出すことはできない。生きながら罪を償うことは許さない」として、極刑を求めた。 23日の論告で検察側は、「緊縛道具を用意して(女性を埋める)穴の場所や大きさを決め、他の被告に指示した」として、計画性や井出被告の主導的立場を強調。共犯の中野翔太被告を「汚れ役をやらせるために誘った」と主張、女性が埋められた後も実行した中野被告を非難することはなく、土を掘り起こそうともせずに「のんきに土をならしていた。殺害の意図があったのは明らか」と指摘した。その上で「理不尽な動機で被害者に恐怖を与え続け、むごたらしく残虐。自分の手を汚さないために中野被告を引きずり込んだ。反省の態度はみじんも見られず、中野被告よりも軽い刑罰であって良いはずがない」と指弾した。 同日、遺族の代理人弁護士も意見を述べ、「被害者の未来が突然、永遠に奪われ、遺族の処罰感情は峻烈を極める」として死刑を求刑した。 弁護側は同日の最終弁論で、犯行が発覚する可能性が高い場所に畑があることや、井出被告らが偽名を使ったのは女性の解放を前提としていたなどとして、「殺害でなく、脅し目的を裏付ける事実。今回の事件は偶然が重なり、場当たり的に行動したに過ぎない」と説明。「真摯に振り返り深く反省しており、いたずらに長期間服役させるのは相当ではない」と訴えた。 最終意見陳述で井出被告は、「被害者さまの人生だけでなく、ご遺族さまの人生も奪ったとあらためて思った。深く反省しています」と淡々と読み上げた。 判決で吉井裁判長は、被告が少女から被害者の殺害を頼まれ、事前に中野翔太被告に穴を掘らせたと指摘。事件当時の井出被告には殺害が本気でないとする言動がみられず、中野被告に埋められた女性を助けようとしなかったことなどから「全く想定外の事態であったとは考えがたく、殺害を企図していた」と判示し、殺意を認定。さらに「おどけて地面にスコップを突き刺し、中野被告を非難する言動も一切なかった」として「想定外の出来事でパニック状態だった」などとする弁護側の主張を退けた。そのうえで、「計画的に犯行に及び、極めて悪質。犯行グループの中心となって計画を具体化させ、共犯者を誘い込んだ」と量刑理由を説明。「人間としての尊厳を踏みにじった残虐な犯行。不合理な弁解に終始し、真摯に反省している態度も見られない」と断じた。 |
備 考 |
中野翔太被告は2016年11月30日、千葉地裁(吉井隆平裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。 少女は2017年2月3日、千葉地裁(松本圭史裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。 被告側は控訴した。2018年3月1日、東京高裁で被告側控訴棄却。2018年12月25日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 小笠原昇三(66) |
逮 捕 | 2016年5月13日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 住居侵入、強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反 |
事件概要 |
札幌市の無職、小笠原昇三被告は2016年5月9日午後4時半から10日午後0時40分ごろまでの間に、同市に住む知人で無職の男性(当時76)宅に1階の窓から侵入し、男性の首などを牛刀で複数回刺して殺害したうえ、現金1,752円を盗んだ。 小笠原被告と男性は2013年ごろ、男性の亡くなった妻の入院先で知り合った。当時は兄弟のように仲が良かったが、1年ほど前から不仲となり、小笠原被告は男性に貸した金が帰ってこない不満を漏らしていた。 遺体は10日午後1時35分ごろ、寝室のたんすに寄りかかった状態で、安否確認の110番を受けて自宅へ駆け付けた札幌豊平署員に発見された。現場の遺留物を化学分析した結果、小笠原被告が容疑者として浮上。札幌豊平署捜査本部は13日、強盗殺人容疑で小笠原被告を逮捕した。 5月30日から8月1日まで鑑定留置が実施され、刑事責任能力を問えると判断。札幌地検は8月4日、起訴した。 |
裁判所 | 札幌地裁 中桐圭一裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 |
2017年3月16日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年3月9日の初公判で、小笠原昇三被告は「強盗目的ではなかった」と起訴事実を一部否認した。 検察側は冒頭陳述で、「小笠原被告は牛刀を持参し、殺害後に執拗に部屋を物色している。相当金に困っており、金を奪おうとしていた」と指摘した。 弁護側は、「貸していた5万円を返してもらおうと男性宅に侵入したが、返済を拒んだ男性ともみ合いになり、殺害して現金を盗んだ。殺人罪と窃盗罪にとどまる」と主張した。 13日の論告で検察側は、「牛刀を持参して首を中心に50回以上めった刺しにし、殺意は極めて強固。室内を執拗に物色して現金を持ち去っており、小笠原被告は金に困っていて強盗の動機があった」と指摘した。 同日の最終弁論で弁護側は、「貸した金を返してもらいたくて被害者宅に侵入し、強盗目的ではなかった。被害者の予想外の反撃にあって衝動的に事件を起こした」として懲役11年が相当であると主張した。 判決で中桐圭一裁判長は、「被告は被害者を殺害後、多くの場所をあさって現金を持ち去ったことや、当時の経済状態などから、強盗の目的があったと認められる」としたうえで、「数多く牛刀で被害者を切り付け、強い殺意に基づく残忍な犯行だ」と述べた。 |
備 考 | 控訴せず確定と思われる。 |
氏 名 | 李正則(42) |
逮 捕 | 2012年11月7日 |
殺害人数 | 3名(他に傷害致死1名) |
罪 状 | 殺人、傷害致死、詐欺、死体遺棄、逮捕監禁、監禁、生命身体加害略取 |
事件概要 |
尼崎の無職李正則被告は、同居していた戸籍上のいとこである無職角田美代子元被告らと共謀。以下の事件を起こした。
李正則被告は、2011年11月、女性(当時66)の遺体をドラム缶にコンクリート詰めにし、尼崎市の貸倉庫に遺棄した事件で2011年11月26日に死体遺棄罪で逮捕され(傷害致死には関わっていない)、他の強要罪も含め2012年9月3日、神戸地裁尼崎支部(森田亮裁判官)で懲役2年6月(求刑懲役3年6月)が言い渡され、控訴せず確定し、服役した。 その後、角田元被告の義妹の自供から2012年10月14日に女性の祖母の家の床下から3人の遺体が発見され、一連の事件が発覚した。2012年11月7日、3番目の事件における死体遺棄容疑で、角田美代子元被告らとともに李正則被告も逮捕され、以後再逮捕を繰り返した。 李被告は2002年頃から実母の再婚相手(義父)の知り合いだった角田元被告の自宅に出入りするようになる。義父の借金について話し合うとして、尼崎市の元被告宅に呼びつけられるようになり、拒否すると、自宅マンションにどなり込まれ朝まで居座られた。当時同居していた妻子を気遣って、仕方なく出向いたが、「出たり入ったりするな」と脅されて帰れなくなった。2004年には角田元被告の叔父と養子縁組していとことなるも、集団生活での立場は低く、『汚れ役』担当だった。 一連の事件では、角田元被告を除くと最も多い5件10罪に問われている。 |
裁判所 | 大阪高裁 笹野明義裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 |
2017年3月17日 無期懲役(被告側控訴棄却) 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) |
裁判焦点 |
2016年11月4日の初公判で弁護側は、起訴されたいずれの事件も「角田美代子元被告が中心的役割を果たし、各事件は元被告の意図や指示に基づく」と指摘。1番目の事件については、「主導したのは美代子元被告で、計画の立案に全く関与していない」とした。いずれの事件についても殺意を否認し、自殺幇助や監禁致死などにとどまると主張し、傷害致死についても「暴行していない」と無罪を訴えた。さらに「元被告に匹敵する役割とした一審判決には事実誤認があり、量刑は不当」などと主張した。検察側は控訴棄却を求めた。 12月9日の公判で、弁護側は殺人罪などが成立しないと改めて主張。検察側は控訴棄却を求めて結審した。 判決で笹野裁判長は「虐待の過程で生命の危険を認識することができた」と殺意を認定。さらに暴行についても認めた。そして、「美代子元被告の影響は否定できないが、元被告の右腕として積極的に加担しており、責任は重い」と述べた。 |
備 考 |
一連の事件の首謀者である角田美代子元被告は2012年12月12日早朝、兵庫県警本部の留置場で、布団の中で首に衣類を巻いて自殺した。64歳没。 一連の事件では、5人の有期懲役判決が確定し、1人が上告中である。 2015年11月13日、神戸地裁の裁判員裁判で、求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2018年3月6日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 古谷有平(24) |
逮 捕 | 2015年8月11日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人 |
事件概要 |
三重県津市の無職古谷有平被告は2015年8月9日午後3時45分ごろ、出会い系アプリで知り合った住所職業不詳の中国籍の女性(当時38)と鈴鹿市白子町のホテルに入った。女性がシャワーを浴びている間に約11万6千円入りの財布が入ったショルダーバッグを物色。女性に見つかり、バッグの奪い合いになった際、室内のパイプ椅子で頭などを複数回殴って殺害した。 古谷被告は車で宮城県へ逃走。奪ったショルダーバッグと財布を、宮城県内のリサイクルショップで10日に売却した。 事件直後、古谷被告の軽乗用車がホテルを出て行く様子が近くの防犯カメラに映っていた。古谷被告のインターネットなどの通信履歴を調べた結果、女性とは出会い系サイトで知り合ったことが判明。宮城県警が11日早朝、同県内の東北自動車道を車で逃走中の古谷被告を道交法違反(無免許運転)容疑で現行犯逮捕したため、捜査員が出向き、殺人容疑で逮捕した。捜査本部は13日、容疑を強盗殺人に切り替え、古谷被告を津地検に送検した。 8月27日から10月30日までの鑑定留置で津地検は刑事責任能力はあると判断し、11月4日に起訴した。 |
裁判所 | 最高裁第二小法廷 山本庸幸裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年3月13日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | 一・二審で被告側は殺意がなかったと主張している。 |
備 考 | 2016年7月20日、津地裁の裁判員裁判で求刑通り一審無期懲役判決。2016年11月15日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。 |
氏 名 | O・M(21) |
逮 捕 | 2015年1月27日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火未遂、器物損壊、火炎びん処罰法違反(製造) |
事件概要 |
宮城県仙台市出身で2014年当時名古屋大学在学中の女子学生O・M(当時19)は、子供のころから殺人願望が強く、中学の頃から刃物を持ち歩き、友人宅で猫にはさみを突きつけた。高校では、風邪薬を大量に服用し薬の効き目を自ら試して体調を崩したり、複数の化学物質をカードで購入していた。大学入学後には、ツイッターで殺人願望を想起させる投稿を始めていた。 2012年5月ごろ、Mが複数の化学物質を購入していることを不審に感じた父親が、Mを連れて警察署を訪れていた。Mは水酸化ナトリウムなど3種類の化学物質を持参し、「実験のため」と説明。署員は事件性はないと判断し、「危険な用途に使わないように」と注意して帰していた。 Mは2012年以降、以下の事件を起こした。
Mはこの後、名古屋大学を退学した。 名古屋地検は2月10日付で刑事責任能力の有無を調べるための鑑定留置を名古屋簡裁に請求し、認められた。期間は2月12日から5月12日まで。 愛知、宮城両県警合同捜査本部は5月15日、宮城県の私立高校在学時、中学時代や高校での同級生の男女2人に劇薬「硫酸タリウム」を飲ませて殺そうとしたとして、Mを殺人未遂容疑で再逮捕した。 合同捜査本部は6月5日、Mが事件後に帰省した際、宮城県内で住宅に放火したとして殺人未遂と現住建造物等放火の疑いで再逮捕した(起訴時、放火未遂に変更)。6月11日には別の放火における器物損壊等で追送致した。 名古屋地検は6月16日、殺人や殺人未遂、現住建造物等放火などの非行事実でMを名古屋家裁に送致した。地検は検察官送致(逆送)を求める「刑事処分相当」の意見を付けた。家裁は同日、2週間の観護措置を決定した。後に2週間、延長された。 6月19日、宮城県警の横内泉本部長は記者懇話会で、「やるべき捜査はやった」と話し、当時の捜査に問題はなかったとの認識を示した。 7月3日、名古屋家裁は観護措置を取り消して8月31日まで鑑定留置し、精神鑑定することを決めた。家裁は8月31日、鑑定留置を解き、改めて9月9日までの観護措置とした。後に23日、さらに10月7日まで延長された。 名古屋家裁は9月29日、少年審判を開き、六つの非行内容を認定し、検察官送致(逆送)すると決定した。岩井隆義裁判長は決定理由で、Mが殺害の動機について「人が死ぬ過程を観察したかった」などと供述したことに対し「自らの好奇心を満たすための実験として行われ、酌量の余地はなく、犯行態様は極めて残虐」などと指摘。また、殺人以外の非行内容は「一連の流れの中で行われた犯行で、殺人と切り離して扱うことは相当でない」とした。その上で、精神鑑定結果を踏まえ、「他者の気持ちを理解することができない、特定の物事に異常に執着するという精神発達上の障害があった」と認定。しかし「責任能力に問題はなく、障害の影響は限定的で、原則通り逆送の決定が相当」と判断した。 名古屋地検は10月8日、Mを殺人や殺人未遂などの罪で名古屋地裁に起訴した。 2016年3月29日、名古屋地裁で公判前整理手続きが始まった。夏以降、名古屋地裁が弁護側請求で裁判員法に基づく鑑定実施。検察側請求で補充鑑定も実施。2017年1月10日、手続きが終了した。 |
裁判所 | 名古屋地裁 山田耕司裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 |
2017年3月24日 無期懲役 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) |
裁判焦点 |
裁判員裁判。同じ裁判員が6事件を一括審理する。名古屋地裁は裁判員の負担を軽減するため、初公判で事件全体の冒頭陳述を検察、弁護側がした上で、事件ごとに冒頭陳述を行うことを決めた。 2017年1月16日初公判で、元学生は「(硫酸)タリウムを混入した際、死んでも構わないと思ったことはありません」と否認した。放火未遂事件でも一部に異議を唱えたが、女性殺害などほかの事件については「特にございません」と述べた。 検察側は冒頭陳述で「元女子学生は2010年頃、母親から神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の話を聞いたことをきっかけに人の死に強い興味を抱き、約2年半で一連の事件を起こした」と主張。高校の同級生ら2人に硫酸タリウムを飲ませた殺人未遂事件について「死んでも実験結果として受け止めることにしていた」と主張した。大学入学後、仙台市のパート女性方を妹の同級生の自宅と間違えて火炎瓶で燃やそうとした際に人を殺して観察したいと思うようになり、2014年11月ごろ、女性の殺害を決意したとした。女性殺害後もさらに人を殺したいと思い、帰省した際、パート女性宅を再び放火しようとしたと述べた。そして、「発達障害などはあったが、影響は限定的で、責任能力に問題はない」と述べた。 弁護側は元学生について「複雑で重篤な精神面の障害がある。共感性がなく、興味の対象が極めて狭く、頭に浮かんだことをすぐ実行してしまう衝動性が高い。中学1年生ごろには、そう状態になった時に全く抑止力が働かなくなった」と主張した。硫酸タリウム事件について「高校で化学の成績が良く、自分が万能な科学者だと思うようになり、タリウムの中毒症状を観察したい衝動を抑えきれなくなった」と述べた。殺人事件は「常に死に対して強い関心があるが、2014年秋ごろ、ひどく落ち込むようになった後、強いそう状態に陥り死ぬ過程を見たいとの衝動を抑えきれなくなった」とした。その上で事件全体について「家裁が行った精神鑑定で刑事責任能力が否定され、専門的な治療や教育が必要なことは明らかだ」と主張。家裁が逆送したことについては「少年の健全育成を目的とする少年法の解釈を誤った違法な決定だ」と批判し、公訴棄却と医療観察制度の適用を求めた。 16日午後から、女性殺害事件の審理が始まり、検察側と弁護側の双方が冒頭陳述を行った。検察側は元学生が事件の約1週間前から殺害を準備していたと指摘した。当初は大学の友人を殺害対象に考えていたが、自宅に招きやすく高齢で未来が少ないとして女性の殺害を計画し事前に手おのやナイフをバッグに用意したと主張した。遺体を写真撮影したりナイフで刺したりしたとした。さらに、事件前に元学生が「できれば大学院に行きたいけど、少年のうちに殺人することを諦めなければならない。葛藤である」と投稿したツイッターの内容を読み上げた。弁護側は殺害行為自体に争いはないとする一方、「事件当日、ツイッターに『ついにやった』と書き込むなど隠そうとした様子はなく、部屋に遺体を長期間放置するなど計画性もない」と反論。「動機は『人が死んでいく過程を観察したい』という、通常の感覚を持つ人には理解できないもので、その衝動を抑えられなかった」と、精神障害が事件に大きな影響を及ぼしていたと訴えた。 19日の第2回公判で、被告人質問が行われた。検察側の質問に元学生は、殺害した後、数日後に大学で受けるはずだった試験の勉強をしたと明かし、「試験を受けるつもりだったが、その後、自分のやったことが法に触れることだと段々実感し、まずいことになったと思った」と語った。また、女性の事件の前に大学の友人2人も殺害対象として考えていたと話し「母や妹を殺したいと思ったこともある」と供述した。刑事罰より更生に重点を置く少年法について調べていたか尋ねられると否定した。弁護側の質問にMは殺害時の状況を放し、抵抗された女性に「殺すつもりなの」と聞かれたので「はい」と答えたと述べ「女性に『どうして』と言われたので『人を殺してみたかった』と言い(女性は)倒れました」と供述した。さらに、手おので殴って瀕死になったところと、マフラーで首を絞めて動かなくなったところを写真撮影したと語り、理由を「実験結果として記録を残すために4、5枚撮った」と話した。殺害後に「遺体の断面を見たい」とノコギリを購入していたことも明らかにした。元学生は女性殺害の翌日に仙台市の実家に帰り、その後、知人方と間違えてパート女性方に放火しようとした。実家に戻った理由について「仙台でも人を殺せると思った」と語り、血のついたズボンを洗ってくれた妹に、女性殺害を打ち明けたと述べた。2016年5月から入院した医療施設で投薬治療を始めていると明かし「まだ人を殺したいという考えが浮かんでくることもあるけれど、治療を始めて(頻度は)少なくなった。人を殺さない自分になりたい」と語った。 20日の第3回公判で、放火未遂事件の審理が始まった。検察側は冒頭陳述で、元学生が高校時代に法医学者の著書を読んで焼死体に興味を持ち、その後、妹から同級生の男子生徒の話を聞かされ、同級生方に放火したいと口にするようになったとした。大学入学後、「葬儀に出席する妹を通じ焼死体の様子を知ることができる」と考え、妹の同級生方と思い込んで2回にわたりパート女性方に火をつけようとしたと指摘した。さらに住人が寝静まった深夜を狙い、着火剤や引火性の高い薬品ジエチルエーテルを準備していたと述べた。「事前に一定の計画を立て、その通り行った」として、責任能力はあると主張した。一方、弁護側は「下見をしておらず、妹の同級生方かどうか一度も確認していない」と計画性を否定した。双極性障害(そううつ病)のそう状態に支配されて衝動的に行動したとし「葬儀で焼死体が見られるという、常識的には考えられないことを動機に挙げているのも、責任能力がないことを示している。犯行時、善悪の判断がつかなかった」と訴えた。 27日の第4回公判で火災に詳しい諏訪東京理科大学の須川修身教授が検察側証人として出廷。放火未遂事件について「消火作業が行われなければ火は燃え広がり、7分~10分程度で、住人の避難は困難な状況になっていた」と述べ、危険性を指摘した。 30日の第5回公判における被告人質問で、元学生は「高校1年の時に焼死体について書かれた本を読み、焼死体に強く引かれた」と述べた。そして2014年8月に宮城県の実家に帰省した後にも本を読み返し「焼死体を見たいという気持ちに火がついた」と述べ、火炎瓶を作り放火しようとしたと話した。「焼死体は誰でも良かった」とする一方、この住宅を選んだ理由は、妹の中学時代の同級生の家と勘違いし、妹の同級生であれば葬式で焼死体を観察できると思ったからと説明。他の知人ら数人も候補としたが、一戸建てで土地勘がある場所などの条件に合わなかったので実行しなかったとした。同年12月に名古屋市で女性を殺害した後には「仙台市でも人を殺せる」と思い実家に帰省、酒を飲んで酔っぱらい同じ家を燃やそうとしたが、動機については「覚えていない」とした。 2月2日の第6回公判で、2件の硫酸タリウム事件の審理が始まった。検察側は冒頭陳述で「元学生は中毒症状を観察する目的で相手が死んでも構わないと思い2人にタリウムを投与した」と指摘。硫酸タリウムは無味無臭で他人に飲ませても分からず、仮に死亡する場合でも一定期間かかるため、中毒症状を観察できると考えたと主張した。同級生らを狙った理由は「あまりにも近い家族に投与すれば自分の犯行だとばれると思った」とした。また、事件後の6月上旬以降、自分の行為がばれたと思い、逃走の資金を準備したりルートを調べたりしたほか、タリウムを飲ませた2人の観察結果を書いたノートを同級生に見られ、捨てていたことも詳述し、「事件当時に善悪の判断が付いていた証拠」とし、元女子学生に刑事責任能力はあったと強調した。さらに検察側は被害女性の供述調書を読み上げた。女性は「数ある友達の中で自分を(久しぶりに)誘ってくれたことがうれしかった」と当日を振り返り、翌日から中毒症状が始まると元学生が体調を気にするメールを送ってきたほか、入院中に見舞いに来たと話していた。女性は足に力が入らず車いすを使うようになったことや、頭髪が抜けたこと、自殺を考えたことを明かした。その上で「実験台にされたことは許せないし、悔しい。人間ができることでない」と述べていた。証拠品の硫酸タリウムの瓶について、検察官が必要かどうか尋ねた際、元女子学生は「欲しいと思うが、持っているとまた使ってしまうという不安がある」と話した。これに対し弁護側は冒頭陳述で「タリウムの中毒症状を観察したいというのが唯一の目的。ほかの(高齢女性殺害などの)事件で殺意があるから、この事件でも殺意があるとは言えず、死という目的に向かっている事件ではない」と訴えた。「衝動に突き動かされたもので計画的とは評価できない」とも主張した。 3日の第7回公判で、被害者の元同級生の男性を治療した医師が検察側証人として出廷し、「飲まされたタリウムは、死亡する可能性がある量だった」と指摘した。医師によると、個人差はあるが、1g程度のタリウム摂取で、成人の半数が死亡する。男性は2012年5月と7月の2回、硫酸タリウム計1.2gが入った飲料を飲まされ、同年10月~2013年1月まで入院。尿から基準の最大約80倍のタリウムが検出され、視力も当時0.02~0.03までに低下したという。医師は「視力は回復の見込みがなく、2016年9月には、下半身の運動神経などに異常が確認された」と述べた。0.8g入り飲料を飲まされた元同級生の女性についても、「診察記録を見る限り、死ぬ可能性があったと言える」と話した。 7日の公判で、元学生が2014年10月10日から女性殺害直後の12月7日午後までに妹に送信したメールを読み上げた。メールでは、高校2年時の2012年に硫酸タリウムを飲ませたとされる同級生の男性について「懐かしい」と記載していた。さらに「今のところ殺人未遂なら何回かあるけど殺人はないんだよな」「人なら誰でもいい」「未成年のうちに絶対殺ってやるから」と書いていた。また、仙台市の元学生の実家から「2個体での実験の結果 神経炎 胃腸炎 手足のしびれ 脱毛の確認(硫酸タリウム)」と記されたノートが見つかっていたことも明らかにした。このほか検察側は、元学生の父親の調書も朗読した。それによると、父親は元学生が高校2年の春ごろから薬品を購入していたことを妹に聞いて把握し、パソコンの検索履歴から元学生がインターネットで猟奇殺人や毒物について調べていたことに気付いていた。父親は調書で「薬品を取り上げ、警察にも相談した」「高校2年の終わりごろから成績が急に良くなり、薬品やナイフに興味を持たなくなったと思ったが、その後、上着のポケットに折りたたみナイフが入っていてがっかりした」などと述べていた。 9日の公判で、タリウム事件の被害者の男性が証人として出廷。検察側の質問に対し、タリウム中毒による大幅な視力低下で、冒頭の宣誓文朗読時には拡大読書器に目を近づけなければ字が読めず、裁判官や裁判員の顔もはっきり見えないと明かした。男性によると、事件当時、元学生とは隣の席同士で会話することはほとんどなかったが、印象的な出来事として「教室で別の男子生徒に謎の粉をなめさせていた」と証言した。また「オウム真理教のような宗教的な話をしているのを聞いたことがある」と述べた。体調の異変に気付いたのは1回目の混入後の2012年6月6日ごろで、腹部の痛みが次第に重くなり、その約1週間後には大量に髪が抜け始めたという。腹部や脚の痛み、視力の低下などの症状が出て、2回目の混入があった同年7月以降はさらに症状が悪化した。同年12月に休学届を出し、2014年3月に特別支援学校への転校を余儀なくされた。その後、痛みなどの症状は治まったが、視力は現在も回復していないとした。男性は理系の仕事や研究に携わることを目標としていたが諦めざるを得なかったと話し「目標や夢を台無しにされ、自由も奪われて苦しい気持ちでいっぱい。(元学生は)一生刑務所に入って罪を償ってほしい」と悔しさを語った。今ははり・きゅうを学んでいるという。続いて、男性の父親も証言。父親は「席が隣というだけで、目に障害を持つことになった。許し難い行為で、同じ目に遭わせてやりたい」と語気を強めた。弁護側は「ありのままの気持ちを受け止めさせてもらいたい」と述べて質問しなかった。 その後の弁護側による被告人質問で、元学生は硫酸タリウム入手時の思いを「うっとりした」と話し、中学時代の同級生女性を狙った理由を「どうしても人にタリウムを投与したくなった。日曜で友人なら自然に呼び出せると思った」と説明した。女性とのメールのやりとりで脱毛や手足のしびれ、腹痛などの中毒症状が出たのを知り「一つの症状が出ただけでも興奮し、とても感動した」と振り返った。高校の同級生男性は教室の席が隣でペットボトルを持っていたため、事件の数週間前から「タリウムを入れやすそうだと空想していた」と明かした。男性のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上の日記を閲覧し、学校の先生から様子を聞いて、中毒症状を観察したという。男性は学校を約1カ月休んで登校したが「人間にはタリウムの耐性ができるかもしれないと思い、2回目に投与したらどうなるか興味が湧いて」再び飲ませたとした。また、別の同級生の水筒に硫酸タリウムを混ぜたことを明らかにした。「透明な容器で溶けずに残ったため捨てた」と話した。混入後、「自分がしたことは(警察に)捕まることと実感した」という。「(2人は)死ぬ可能性はあったと思う。(公判で)初めて被害者やその家族の考えを知った」と述べた。人にタリウムを投与してはいけないのは「分かります」としたが、今もタリウムを手元に置きたい気持ちがあるか問われ「あります」と答え、「早く反省しなくてはならないが反省がピンとこない。もどかしい」と語った。 14日の検察側被告人質問で、元学生はタリウムへの興味について「人を殺せるかもしれないことと、周期表にある物質が手元にあるのが魅力的だった」と話した。元学生はタリウム混入後に入院した女性を見舞った際、女性が脱毛などの症状について「ストレスが原因」と話していたことに触れ「医療の力ってこんなものなのかと思った。ばれていない安心感があった」と述べた。男性がタリウムを飲んだことを確認した時には「飲んでくれたことに感動した」と話した。また、タリウムに関し調べた結果などとして自らの「実験ノート」に女性の致死率を「20%」、男性は「30~40%」と記載していたことを明かした。ただ問われている殺人未遂罪について、投与時の殺意は改めて否定した。男性の法廷での供述を見た感想について、元女子学生は「恐怖感を覚えた」としたが、何に対する恐怖感かは「わからない」と述べるにとどめた。ただ、「2人の中毒症状を見てわくわくしたが、申し訳ないと思った記憶はない」とも語った。そして元学生は薬物に関心を持った経緯について、中学1年の頃に父親から毒キノコの話を聞いて毒物に興味を持ち、毒性や致死率などを調べ始めたと説明した。高校1年の冬ごろには毒劇物に関心を抱き、薬局で年齢を偽るなどして硫酸銅や水銀などを購入したとした。 15日の公判で、元学生の妹に対して事前に非公開で実施された証人尋問の録音・録画が流された。妹の証言によると、女性殺害の直後に電話で「今日、人を殺したんだよ」と告げられたと明かした。そして元学生は女性殺害後に仙台市の実家に戻った際、妹に「おので人を殴った」と話し、血のついた服を洗うよう頼んだ。元学生は「もう捕まるからお金を使って遊びたい」と語っていた。妹は元学生が母親に「人を殺しちゃった」と告白するのも目撃したという。さらに妹は元学生から、高校の同級生の男性に硫酸タリウムを飲ませた際に「致死量よりも多く入れた」と聞かされたと述べた。元学生から、自分(妹)の同級生にもタリウムを飲ませるよう何回か頼まれていたことも明らかにした。妹によると、元学生は高校に入ってから頻繁に「毒殺したい」「人を殺したい」と話すようになっていた。ただ、妹は元学生への思いを聞かれ「頭がよくて要領もよくてうらやましい。勉強も教えてくれる」と話した。この証言は、2016年12月に仙台地裁で、検察側と弁護側の双方が裁判官立ち会いのもとで行った尋問を録画した映像を、裁判員らが視聴する方法で行われた。刑事訴訟法は、重要な証人が捜査段階での供述を公判で翻すおそれがある場合、検察官は初公判前に証人尋問を請求できると定めており、尋問はこの規定に基づいて行われた。 また検察側は同日、元学生の小中高校を通じての同級生である友人女性の調書を読み上げた。元学生から女性の遺体が発見される3日前に携帯電話のメールで「人を殺した」「撲殺した」と打ち明けられ、その後に電話で「死体を風呂場に運ぶのが大変だった」と伝えられたという。友人は調べに「話が具体的で本当に殺人をしたと思った」と述べていた。友人は高校3年の冬、元学生から同級生ら2人にタリウムを飲ませたことも明かされていたという。高校を卒業してからも元学生から無料通信アプリ「LINE(ライン)」で「また毒飲ませたい衝動が出てきた。無差別なんだな。誰でもいい系」とのメッセージを受け取っていたと話していた。 16日の公判で、元学生の母親が証人として出廷。母親は女性が殺害された数週間後、名古屋市の元学生方アパートを訪ねようとした際に拒まれ、「部屋に入ると遺体が入っているかもしれない」と言われたことを明らかにした。母親は元学生が中学生の頃、1997年に神戸市で発生し中学3年の少年(当時)が逮捕された連続児童殺傷事件について元学生に話したという。その際、元学生は「自分と同じくらいの年でそんなことができるなんてすごい」と語ったと証言し、母親は「事件を美化するようなことを言っていてがくぜんとした」と振り返った。元学生が小学6年の頃に、理科の実験で渡されたホウ酸を友人と一緒に集め、担任教諭の給食に混ぜようとしたことがあったことも明かした。元学生は実際にはホウ酸を入れなかった、消しゴムのかすやホチキスの針を入れたと母親に説明したが、混入しようとした理由を聞くと「気にくわないから」と答えたとした。母親は元学生が高校生だった時、劇薬物を所持していたとして警察に厳重注意されたことを把握した学校から呼び出された。「犯罪にも興味があり、通常の規範から外れている」「急に視力の悪くなった生徒がいるが、何か心当たりはあるか」と言われた。硫酸タリウムの所持は知らず「当時は娘のせいにされるのは心外だと思った」と振り返った。元学生が大学1年の夏に帰省した際、犯罪者や犯罪を称賛する発言をしたため、たしなめたところ「あんたはもっと早く自分を精神科に連れて行くべきだった」と言われたと述べた。その後、元学生を仙台市の発達障害の専門機関に伴い、面談を受けさせていた。母親は専門機関の職員から、元学生が「人を殺したいという願望は誰にでもある」と話していたと聞かされ、「(殺人を犯せば)処罰されるなどと理論で教えるしかない」と指摘されたという。母親は証人尋問の冒頭で現在の心境を聞かれ、事件の被害者や遺族らに対し「深い悲しみと計り知れない苦しみを与え、親としておわび申し上げたい」と涙声で謝罪した。「私たち夫婦がもっと違うふうに接していたら(娘は)この場にいなかったと思う。娘に対しても申し訳ない」と述べた。 17日の公判で元学生と高校時代3年間同じクラスだった友人男性が証人として出廷した。高校1年時m学級日誌に過去の犯罪のことを頻繁に書くなどしていたため雑談中、犯罪の話から友人が「いつか犯罪をするのでは」と聞くと、元学生は「やるなら少年法で守られているうちにやりたい」と話したと証言した。高校2年の12月、同級生男性がタリウム中毒と診断されたことを知った。元学生が薬品類に詳しかったことなどから「盛ったの、お前なんじゃないの」と冗談交じりに聞くと、強い口調で「そんなわけねえだろ」と反論されたと述べた。当時は強く疑わなかったとした。 同日、弁護側の被告人質問に対し、元学生は起訴後勾留中、弁護人に差し入れられたノートに「(拘置所の)職員を殺したい。弁護人でもいい」と書いたと明かした。「人を殺したいという思いが頭を占めてどうしようもなく、書いて発散させた」と説明した。母親に対する証人尋問を踏まえ弁護側から「もしも母親が殺害されたらどう思うか」と聞かれると、元学生は「そうなのか、で終わってしまうような気がする」と述べた。検察側の質問では、名古屋家裁の審判で最後に意見を求められた際、裁判長の首を絞めたくて「ネクタイをしてきてください」と発言したと明かした。 20日の公判で、最大争点の責任能力に関する審理が始まった。検察側は冒頭陳述で「各事件当時の障害の影響は限定的。そううつ病のそう状態も軽度にとどまる」と主張した。「人を殺したい」「劇物の症状を観察したい」といった動機は、高校生の頃に生じた人の死や犯罪、毒劇物への興味の延長線上にあるとした。さらに、高校や大学で通常の生活を送っていた▽全ての事件当時に幻覚や妄想の影響はない▽準備、計画して実行している――などと指摘した。いずれの事件も違法性を認識し事件後は証拠隠滅を図っていると述べた。これに対し弁護側は「障害が各事件の動機の形成や判断能力に及ぼした影響は重大」と訴えた。元学生は先天的な精神発達上の障害で、関心の対象が「死」に著しく集中していたと述べた。さらに「遅くとも中学1年時には発症していた双極性障害により、人格が形成されるはずの成長期にそううつ状態の波が繰り返され、通常の精神発達を困難にした」と説明した。事件当時については「『ヒト』の死の過程を観察したいなどの考えが自分の意思と関係なく浮かび、そう状態に支配されてその行為を行うほかなくなっていた」と主張し、自由な意思決定が著しく阻害されていたとした。また、元学生が逮捕後の投薬治療や精神療法により、人を殺したいと思う頻度が減り、双極性障害の波が穏やかになったと指摘し「治療により改善傾向にあることは、事件当時に意思によるコントロールが困難で病的な状態だったことにほかならない」と訴えた。 22日の公判で、精神鑑定をした医師2人が証言をした。元学生に対する精神鑑定は(1)捜査段階(2)家裁審理中(3)公判前整理手続き中(4)同手続き中の補充鑑定――の計4回実施された。 検察側の依頼により(1)(4)で鑑定した国立病院機構東尾張病院長の舟橋龍秀医師は、元学生について広汎性発達障害と診断したと述べた。他者の心情の理解や反省が難しいと評価し、「人を殺してみたかった」などとする動機の形成には「興味関心の偏りがあり、障害が直接影響している」と指摘した。ただ、事件は「本人の意思に基づいている」とした。事件時は双極性障害(そううつ病)の軽度のそう状態だった可能性が否定できないとしつつ、「事前に手順などを考えており一定の計画性がある。事件に一定の影響を及ぼしたが、限定的」との考えを示した。 名古屋家裁と名古屋地裁の嘱託で(2)(3)で鑑定した「長尾こころのクリニック」院長の長尾圭造医師は、「重度の発達障害と双極性障害で(その影響は)抑止力が働かない程度だった」と語った。人の死に興味を持った理由に関しては、小学生の頃に死がとても怖く、それを克服するため人を殺す場面を絵に描いていたことで「殺すことが安心感になった」と説明した。投薬治療で元学生は気分が安定し、他人の言葉も受け入れられるようになったという。長尾医師は「児童精神医学の犠牲者。中学の時に私のクリニックに来ていれば全ての犯罪がなかった」と述べた。 23日の公判で、舟橋龍秀医師、長尾圭造医師に加え、公判前整理手続き中に長尾医師と共同で鑑定した国立病院機構榊原病院長の村上優医師が弁護側証人として出廷した。 3人は元学生に社会性や道徳観が欠けていたとの認識で一致した。その上で舟橋医師は「発達障害をベースに自分の意思で行った行為。してはいけないことだと分かっていた」と指摘した。これに対し村上医師は「人を殺せば罰を受けると分かっていた」としつつも、元学生について「通常の心理で理解するのは無理」と語った。長尾医師は「悪という認識がなかった」と述べた。一方、村上医師と長尾医師は投薬治療や精神療法・心理教育が元学生に有効だったと強調し、村上医師は「組織的な介入がなければ改善の機会は失われる」と訴えた。舟橋医師は「司法判断の中で最大限の処遇をすることが大切」と話した。 24日の公判で、判決後の元学生の処遇について主張した。検察側は元学生が有罪となった場合、刑務所に収監された後でも精神障害の治療が受けられることを犯罪白書に基づいて説明した。これに対し弁護側は無罪とされた際の心神喪失者等医療観察法に基づく仕組みを紹介し、判決後に医師のチームを組んで集中的に治療できると解説した。 27日、争点を整理する中間論告が行われた。検察側は「発達障害は動機の形成に影響したが、犯行時の躁状態の程度は軽かった」とした捜査段階で鑑定に関わった精神科医の証言は信用できると主張。いずれの事件でも違法性を認識し、計画性もあったとして、善悪の判断や行動の制御ができたと指摘した。劇物投与事件での殺意の有無については、事件後「(死んでも)別にいいよ」と話していたとする妹の証言などから、殺意があったと認められると説明。「楽しむのが主目的だった」と述べた。 一方、弁護側は中間弁論で「犯行時は精神発達上の障害に躁状態が加わり、善悪の判断が機能停止し行動制御できなかった」として改めて無罪を主張。劇物投与事件では「事前に致死量の知識はあったが、実行時は症状を観察する以外のことに思いが至らず、死ぬ可能性は頭から抜けていた」と殺意を否定した。 3月7日の公判で元学生への最後の被告人質問が行われた。弁護人から遺族や被害者への思いを問われ、「反省というものが分からない」「謝罪したいというのは、どの被害者にもあるが、謝罪の仕方がまだ分からない」と述べた。元少女はこれまでの公判で、下を向いていることが多かった。検察側にこの点を指摘されると「つらかった」と語り、こう続けた。「自分の感覚と被害者の感覚がずれていて、自分の知らなかった苦痛が見えてショックを受けていた」「こういう事件を二度と起こしたくないと思う」と語った。公判前は被害者の遺族の思いについて、生活の不便から怒りが出る、と想像していたという。だが、「被害者を失ったことそのものが怒り、悲しみにつながっていた。それは思っていなくてびっくりした」とふり返った。 10日の論告で検察側は、最大の争点となった責任能力の有無について、精神的な障害が事件に及ぼした影響は限定的で完全責任能力があったと改めて主張した。その上で約2年半に起きた6事件に関し「人の死・人体の変化への関心を自らの意思・判断で満たそうとし身勝手極まりない。時間の経過とともにエスカレートして犯罪性は根深い。更生は極めて困難」と指摘した。さらに、各事件の被害者に全く落ち度がなく、1人が殺害され2人が重いタリウム中毒を発症するなどした結果から「刑事責任が誠に重大であることは明らか。死刑が十分に考えられる」とした。一方でタリウム事件時は16歳で、発達障害が動機形成に一定の影響を与えた点などを考慮し「生涯にわたる償いが必要」と結論付けた。 同日の最終弁論で弁護側は、元学生は生まれつきの発達障害、後で発症した双極性障害(そううつ病)が重複していたとして事件時は心神喪失状態だったと主張した。「各事件が障害の支配的影響の下、異常な精神状態でなされたことは明らか。自由な意思に基づいて行われたと評価できない。判例上にもない事例」と訴えた。また、逮捕後の投薬治療の効果などを挙げ、無罪とした上で医療観察制度を活用して長期の治療、教育が継続できるよう求めた。刑務所での処遇は効果がないと指摘した。そもそも家裁段階で少年院送致などの保護処分にすべきだったとして、家裁の検察官送致(逆送)決定に基づく起訴は違法として公訴棄却も求めた。 元学生は最終意見陳述で「まだ心から反省したり謝罪したりという段階に至っていないが、自分のやったことの大きさを少しずつ実感している。反省や謝罪、償いも忘れずに、いろいろな人の助けを借りながら一生考えていきたい」と声を震わせながら話した。 判決で山田裁判長は、3人の医師が行った計4回の精神鑑定について検討した。捜査段階で携わり裁判で検察側証人となった舟橋龍秀医師(国立病院機構東尾張病院長)の「発達障害はあったが程度は重度でなく、双極性障害も軽そう状態にとどまる」との鑑定に高い信用性を認めた。弁護側医師の鑑定が元女子学生の供述以外の証拠を十分に検討せず、「自身の仮説に沿って供述を結果的に誇張させた可能性すらある」と批判。それに立脚した弁護側の主張も採用できないとした。その上で判決は元学生が各事件の際に計画的で状況に応じた行動を取っていたとも判断した。舟橋医師の鑑定を踏まえ「障害の影響を一定程度受けつつも限定的で、最終的には自身の意思に基づいて犯行を決意し実行した」と指摘した。また、タリウム事件では「2人が死亡する可能性を十分認識し、死亡しても構わないとの弱い殺意が認められる」と弁護側の主張を退けた。量刑については、公判で元学生から謝罪の言葉がなく、「反省の深まりは全く足りない」と非難。一方で、「検察官の論告を受け、遅まきながらも事件の重大性を理解し始め、反省の萌芽が現れている」と一定の理解も示した。そして元学生に対する治療の必要性を認めながらも、刑務所で対処でき再犯の恐れもあるとして「さほど重視できない」とした。最長30年の有期懲役とでは差が大きいと指摘しながらも「仮釈放の運用で有期刑に近い最も軽い部類としての無期懲役とするのが相当」と結論付けた。そして、「責任を自覚させ、償いを実効性があるものとするため、刑事施設内で最大限の療育・治療をしてほしい。相応の長期間服役し、障害の克服状況にも照らして、仮釈放の弾力的な運用で比較的早期の社会復帰が図られることが適切だ」と意見。元学生の刑事施設での処遇について注文を付けた。 その後、山田裁判長は裁判員からのメッセージとして「判決は厳しいものになったが、いずれ社会に戻れると信じてしっかりと更生してほしい」と伝えた。さらに「社会に出していいとなれば、それが償いになると思う。刑務所の中で自分ができることをよく考えて」と語りかけた。また、公判中の弁護側主張に関し「心神喪失を理由とする無罪主張にこだわるあまり、量刑に関する適切かつ十分な主張がなかった。適切な弁護を受けていないのではとの意見もあった」と話した。山田裁判長が最後に「いずれ社会に戻れると信じて、まだ若いので更生してほしい、必ずできると信じています」と諭すと、元学生は小さな声で「はい」と答えた。 |
備 考 |
『週刊新潮』は2015年2月5日発売号で、女子学生の顔写真と実名を掲載した。 Mは未成年時の事件で起訴されているが、名古屋家裁の検察官送致(逆送)決定を受け、名古屋地検が起訴した時点で既に成人になっていた。少年法は未成年の刑事裁判について、有期懲役・禁錮の期間に幅を持たせる不定期刑や、少年院送致などの保護処分が相当と判断した場合の家裁移送などを定めるが、成人になって刑事裁判を受けた場合は適用されない。一方で少年法は、未成年時の犯罪に関し本人が特定できる報道を禁じている。初公判でもMの名前は呼ばれず、名古屋地裁はプライバシーに配慮して傍聴者の手荷物検査を厳しくした。弁護側はMが傍聴席から見えないようについたてを立てるなどの遮蔽措置を要請したが、地裁は退けて一般の被告と同様の扱いにした。 『週刊新潮』は2017年2月8日と23日発売号で、元女子学生の顔写真と実名を掲載した。日本弁護士連合会は2月24日、「少年法に反する事態で極めて遺憾だ」とする中本和洋会長名の声明を発表した。週刊新潮編集部は「事件の残虐性と重大性にかんがみ掲載した。反省や謝罪の念はうかがえず、実名報道する意義があると考えた」とのコメントを出した。 被告側は控訴した。2018年3月23日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2019年10月15日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 喜田勝義(39) |
逮 捕 | 2015年6月8日 |
殺害人数 | 2名 |
罪 状 | 殺人 |
事件概要 |
香川県土庄町(小豆島)の無職、喜田勝義被告は2015年4月30日未明、同町内の水道工事会社事務所兼自宅に住む社長の父親(当時65)と母親(当時63)の頭を金づちなどで数回殴り、殺害した。当初は父親の財布や携帯電話など3点(計11,200円相当)を奪ったとされた。 勝義被告は地元高校卒業後、自衛隊に入隊。除隊後県内に戻り、職を転々とした。数年前に父親が勝義被告を呼び戻し、会社を手伝わせたが辞め、町内のサッシ会社に転職。事件の2か月前に退職していた。勝義被告は両親の住居から約3km離れたアパートで1人暮らしをしていたが、実家にも出入りをしていた。家賃が払えないなど、金に困っていた。 周辺の聞き込み捜査などで、両親と言い争いが絶えなかったという勝義被告が浮上し、香川県警と小豆署が6月8日朝、任意同行。容疑を認めたため、強盗殺人容疑で逮捕した。 6月23日、高松地検は高松簡裁に、刑事責任能力の有無を判断するため鑑定留置を請求し、即日認められた。刑事責任能力を問えると判断し、高松地検は9月18日、証拠関係などから強盗目的までは認められなかったとして、殺人罪で勝義被告を起訴した。 |
裁判所 | 高松高裁 半田靖史裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年4月11日 無期懲役(被告側控訴棄却) |
裁判焦点 |
2017年3月9日の控訴審初公判で、弁護側は「両親2人が被害者となった殺人事件の中では著しく重い判決。一審判決は被告の広汎性発達障害が過小評価されている。懲役22年を求める」などと量刑不当を主張して、即日結審した。 判決で半田靖史裁判長は「犯行が発覚しないよう行動している」などと弁護側の主張を退けた。そして、「動機は自己中心的で身勝手。量刑を軽減すべき要素はない」と述べた。 |
備 考 | 2016年12月2日、高松地裁の裁判員裁判で、求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2017年7月19日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 中田富士夫(53) |
逮 捕 | 2012年11月21日(窃盗容疑。2013年3月19日、強盗致死容疑で再逮捕) |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗致死、住居侵入、窃盗 |
事件概要 |
住所不定のタトゥーアーティスト中田富士夫被告は1996年7月24日午後4時40分ごろ、金の無心のため浜松市の父(当時58)宅に鍵業者に解錠させて侵入。父の顔や腹に殴る蹴るなどの暴行を加えて出血性ショック死させたうえ、キャッシュカードが入った財布を奪って翌25日、同市内にある銀行の現金自動預け払い機(ATM)から計184万円を引き出して盗んだ。 静岡県警は、父親に金を無心していた中田被告に任意同行を求めたが応じず、中田被告は8月4日に中国・上海に出国へ出国し行方が分からなくなった。中田被告は東南アジアを転々。2012年8月、マレーシア当局から連絡があり、中田被告がトラブルを起こして現地警察の調べを受けた際、旅券不所持が明らかになり不法滞在容疑で逮捕されていた。同国で約3カ月間、刑務所に入っていたという。11月21日、マレーシアから航空機で中田被告を移送中、機内で県警捜査員が窃盗容疑で逮捕状を執行した。窃盗罪の公訴時効は7年だが、中田被告は外国にいたため停止している。 窃盗罪に問われた中田被告は2013年1月24日、静岡地裁浜松支部(青沼潔裁判官)で初公判が開かれた。検察側は「関連事件で追起訴する可能性がある」と述べたため、弁護側は「後発の事件への検察官の主張を見ないと対応を決められない」として、罪状認否を保留した。 県警は3月19日、中田富士夫被告を強盗致死容疑で再逮捕した。 |
裁判所 | 最高裁第三小法廷 山崎敏充裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年5月8日 無期懲役(被告側上告棄却、確定) |
裁判焦点 | 被告側は一・二審で無罪を主張している。 |
備 考 |
静岡県警は2013年4月10日、被害男性が着ていたシャツやズボンなど11点と、中田被告とみられる人物がATMから現金を引き出す様子を記録したビデオテープ2本の計13点を紛失していたと発表した。という。県警捜査1課は「被疑者は起訴され、証拠品紛失による立証上の支障もない」としている。 2014年7月18日、静岡地裁浜松支部の裁判員裁判で求刑通り一審無期懲役判決。2015年2月25日、東京高裁で被告側控訴棄却。 |
氏 名 | 大槻一亮(27) |
逮 捕 | 2015年6月25日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、死体遺棄、詐欺 |
事件概要 |
山形県上山市の無職大槻一亮(かずま)被告は、友人である山形市の派遣社員O被告、同誌の無職H被告と共謀。2014年10月29日、山形市の職業不詳の男性Sさん(当時29)を山形市の山林に連れ出し、首の辺りをナイフのようなもので刺すなどして殺害し、遺体を埋めた。そして、大槻被告とO被告は10月31日~11月7日、奪った財布に入っていたパチンコ店の会員カード約10枚を使い、53万円相当の景品をだまし取った。 Sさんと3被告はパチンコを通じた仲間で、Sさんは打つ台などを指示するリーダー格であり、3人と金銭トラブルがあった。 遺体は2015年6月25日に発見され、捜査本部は同日、死体遺棄容疑で3被告を逮捕した。7月16日、強盗殺人容疑で再逮捕した。 |
裁判所 | 仙台高裁 嶋原文雄裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年5月11日 無期懲役(被告側控訴棄却) |
裁判焦点 |
2017年5月11日の控訴審初公判で、弁護側は「財布を奪ったのは身元確認を防ぐためで金品強奪の目的ではない」として強盗殺人罪の一部を否認し、量刑は不当と主張。一方、一審で否認していた死体遺棄については認めた。検察側は控訴棄却を求め、即日結審した。 判決で嶋原文雄裁判長は強盗目的を認め、被告側の主張を退けた。 |
備 考 |
O被告は死体遺棄と詐欺容疑は認めるも分け前はもらっていないと強盗殺人については無罪を主張したが、2016年8月5日、山形地裁(寺沢真由美裁判長)の裁判員裁判で共同正犯を認定され、懲役25年(求刑懲役30年)判決。2017年4月18日、仙台高裁(嶋原文雄裁判長)で被告側控訴棄却。2017年9月11日、最高裁第三小法廷(山崎敏充裁判長)で被告側上告棄却、確定。 H被告は強盗殺人、死体遺棄に関与していないと無罪を主張したが、2016年10月31日、山形地裁(寺沢真由美裁判長)の裁判員裁判で、懲役26年(求刑懲役30年)判決。2017年4月27日、仙台高裁(嶋原文雄裁判長)で被告側控訴棄却。被告側上告中。 2016年12月14日、山形地裁の裁判員裁判で求刑通り一審無期懲役判決。被告側は上告した。2017年9月19日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 青木正裕(31) |
逮 捕 | 2015年11月14日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、強盗強姦未遂 |
事件概要 |
東京都江戸川区のアルバイト、青木正裕被告は2015年11月12日午後2時ごろ、以前のアルバイト先の同僚であった同区の高校三年生の少女(当時17)に「化粧品サンプルをもらってほしい」と嘘をついて自宅のアパートに連れ込み、玄関付近で背後から腕で首を絞めて気を失わせ、ブレザーで首を絞めて殺害。強姦しようとしたが失敗し、目的を果たせなかった。さらに少女の財布から現金7,500円と生徒証を奪った。 青木被告と少女は東京都葛飾区内の同じコンビニエンスストアでアルバイトをしていたが、青木被告は10月ごろに辞めていた。アニメなど共通の趣味について会話を交わすこともあったが、親しい関係ではなかった。青木被告は11日にこのコンビニ近くで少女を待ち伏せ「化粧品のサンプルがあるので家に来ないか」と声をかけて翌12日に会う約束を取り付けた。 午後11時半ごろ、生徒の親から「娘が帰ってこない」と110番通報を受け、小岩署が翌13日に捜索を開始。複数の防犯カメラに男と一緒に歩く少女の姿を確認し、関係先の聞き込みなどから青木被告を割り出した。青木被告は殺害後、14日昼まで室内でゲームをするなどして過ごしていた。14日午後に捜査員がアパートに行ったが、青木被告は午後2~3時ごろに外出。青木被告は14日午後5時過ぎ、千葉県我孫子市内で110番した後、同県警我孫子署に「2日前に人を殺した」と出頭した。同署から身柄の引き渡しを受けた小岩署がアパートを調べたところ、少女の遺体が浴槽内で見つかった。小岩署は14日夜、青木被告を強盗殺人容疑で緊急逮捕した。 |
裁判所 | 東京地裁 島田一裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年5月23日 無期懲役 |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年5月16日の初公判で、青木正裕被告は「間違いございません。申し訳ございませんでした」と起訴内容を認め、少女の両親に頭を下げて謝罪した。 検察側は冒頭陳述で、「被告は(女性の)首を絞めることに興奮を覚える性癖があった。被告は女子生徒と同じコンビニに勤務していたが、アルバイトをやめた後、自分の人生が思うようにいかないことに自暴自棄になり、性欲を満たし金銭を奪おうと考えた。勤務表を盗んで女子生徒を待ち伏せした」と指摘。弁護側は「両親の別居や友人ができないことなどに悩み、生きる意味を見いだせなかった。被告は持病があったが金に困って治療を受けられず、自殺するか大きな事件を起こして死刑になることを考えるようになっていた。なぜこう考えるになったかが重要だ。事件後に自首している」として情状酌量を求めた。 同日午後の弁護側の被告人質問に対し、青木被告は「人生で友人は1人しかいなかった。彼はアニメやゲームに相当傾斜していたので気が合った」などと話した。また、中学生時代には同級生から無視される“いじめ”を受けたとした。両親が別居して母親と同居したが、母親からは愛されず、高校卒業後に専門学校に入学後に独り暮らしを始めたという。「バイトでは生活費などが足りず、消費者金融から100万円以上の借金があった。高血圧や、それによる心筋梗塞などの病気もあった。自暴自棄になり、自殺か連続殺人をして死刑になろうと考えた」と事件までの経緯を語った。少女を狙った経緯については、「たまたまバイト先の同僚の中で一番話しやすかったためで、恋愛感情などはなかった。次の事件までの生活費として金品を盗んだ。しかし、事件を起こして“すっきり”したので、(自殺も別事件も起こさず)自首した」などと述べた。 17日の公判で青木被告の母親が出廷し、「難病になった弟に気をとられ、差別されているとの思いがあったのかもしれない」と証言した。 18日の検察側の被告人質問で「無関係の被害者でなく、母親を殺害しなかったのはなぜ」と聞かれて「母そのものを殺すとその後、母は何も感じなくなります。(息子が事件を起こせば)社会の目が母に集中するので」と答えた。遺族に対する気持ちを聞かれると、長い沈黙の後で「この事件を通して、私があやめてしまった少女がご遺族に愛されていたんだと感じ、私の家庭と比べてなぜここまで違いが出たんだろうと疑問が出ました」「どのような判決をたまわるかによって、私ができることが大きく違ってくるが、かなうなら少女のお墓参りをしたい。この事件を通して自分がここまでネガティブになる原因が分かったので、社交的というか周りを信じられる人間になりたい」などと語った。 同日、被告の精神鑑定を行った精神科医が出廷し、「お母さんにばかり関心が向いていて、事件についてどれだけ考えているんだろうという感じ」と被告人に対して抱いた違和感を口にした。 19日の論告求刑に先立ち、少女の両親の意見陳述が行われ、「被告に反省はみじんも感じられず、法廷でもうそばかり。家族は苦しみに一生さいなまれる。反省や更生は望んでいない。二度と娘を思い出せないようにしてほしい。過去の判例にとらわれない判断をしてほしい」と述べ、死刑を求めた。 論告で検察側は、「自暴自棄になって事件を起こしたとする主張は身勝手極まりない。アルバイト先の勤務表を持ち出して待ち伏せするなど計画性が高いうえ、性欲を満たそうと強い殺意で残忍な犯行に及んでいる。何の落ち度もない少女を性欲発散目的で殺害した。極めて身勝手で悪質な犯行だ。死刑求刑も可能だが、自首や前科・前歴がないことを考慮した」と述べた。 同日の最終弁論で弁護側は、「(事件当時)被告は孤立していた。強盗が主な目的ではなく、殺人と強姦未遂に近い。前科もなく自首もしている」と懲役30年が妥当だと主張した。 青木被告は最終意見陳述で「死刑なら遺族への謝罪の形になるし、有期刑なら出所後に謝罪や賠償ができますが、事実上の終身刑になる無期懲役だけは何もできないので嫌です」と述べた。 判決で島田裁判長は、「被告には首を絞められて苦しむ女性に性的興奮を覚える性癖があった」と指摘。「自己の性的嗜好を満たすために、女性を絞殺して乱暴する目的の犯行だったと認められ、身勝手極まりない。いまだに犯行原因を他人のせいにする傾向がある」と指弾。さらに「被告は背後からいきなり被害者の首を絞めて失神させ、心臓音を確認して更に絞めており、殺意は強固。若い被害者を言葉巧みにだまして自宅に誘い込むなど計画性も認められる。執拗で残忍、動機は身勝手極まりない。理不尽にも17歳で将来を絶たれた被害者の無念は察するに余りある」と批判した。そして、「自首は警察の捜査が迫ったことを知った後に行われ、量刑上大きく考慮できない」と判断した。一方、被害者遺族が求めた死刑の適用についても検討。「極刑を望む遺族の心情も十分理解できるが、被害者が一人で自首が成立し、前科・前歴がないことなどを考慮すると、死刑しか選択肢がないとはいえない」と述べた。 |
備 考 |
刑事訴訟法は、遺族らの申し出があれば、性犯罪などの被害者の実名を公判で秘匿することができると規定。しかし、遺族は「法廷で娘の名前が出なければ、事件がなかったことのようになってしまう」と実名での審理を選び、意見陳述や証人尋問では少女の名前を呼んだ。母は判決後の記者会見で「実名にしたことで、娘が何をされたのか、裁判を見ている人たちに分かってもらえたと思う」と述べた。 被告側は控訴した。2017年12月1日、東京高裁で被告側控訴棄却。2018年3月27日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 廣保雄一(39) |
逮 捕 | 2016年3月2日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、死体遺棄他 |
事件概要 |
広島県福山市の風俗店店長、廣保(ひろやす)雄一被告は、福山市に住む知人の無職女性(当時39)から預かり金名目で受け取っていた約250万円の返済を免れようと、2016年1月6日、福山市の自宅で女性の首をロープで絞めて窒息死させた。さらに13日頃までの間に、手足をロープで縛って布団袋などに入れた遺体を車に乗せて尾道市の雑木林まで運び、遺棄した。 女性が「お金を取り戻しに行く」などと家族に告げて外出した1月5日夜以降、2人は一緒に行動していたとみられる。 2月17日、女性の兄から「妹が1月6日から子供を残したまま行方不明になっている」と相談があり、数年前からの知り合いだった廣保被告が浮上した。広島県警捜査1課は3月2日、死体遺棄容疑で広保被告を逮捕した。3月23日、強盗殺人容疑で再逮捕した。 |
裁判所 | 広島地裁 小川賢司裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年5月26日 無期懲役 |
裁判焦点 |
裁判員裁判。 2017年5月17日の控訴審初公判で、廣保雄一被告は「全て合っている」と起訴内容を認めた。 冒頭陳述で検察側は、被告が女性から預かっていた金を使い込んでいたと指摘。返済を求められる中で仕事先や家族に伝えると言われ、自宅で殺害したとした。弁護側は突発的な犯行で計画性はなかったと主張した。 24日の論告で検察側は、被告が女性から金の返済を求められる中で仕事先や家族に伝えると言われ殺害したと主張。そして「あらかじめロープを準備していた」計画的な犯行とした上で「布団の圧縮袋に入れて遺棄した」と冷酷さを指摘した。また殺害後も被害者の長女をだまし、資産を根こそぎ奪っている極めて卑劣な犯行と断じた。 同日の最終弁論で弁護側は、「計画性はなかった」などと主張した。 判決で小川裁判長は、犯行に使われたロープは「凶器として用いることを想定して購入した」と指摘。「綿密な計画とまでは言えないが、一定の準備をしていたと考えるのが合理的」と弁護側の主張を退けた。そして、「強固な殺意に基づく悪質な犯行。身勝手な動機に酌むべきものはない。遺族の処罰感情が厳しいのも当然」と指摘した。 |
備 考 |
広島ホームテレビ(広島市中区)は、記者が取材の過程で入手した顔写真を複数の関係者に見せた結果、被害者の女性と判断して2016年3月4日夕の報道番組で放送した。しかし、外部の指摘で5日に再確認して別人と判明。同日、写真の女性に謝罪した。さらに、7日夕のニュース番組で謝罪した。 被告側は控訴した。2017年10月24日、広島高裁で被告側控訴棄却。2018年2月5日、被告側上告棄却、確定。 |
氏 名 | 東屋仁(56) |
逮 捕 | 2015年9月6日 |
殺害人数 | 1名 |
罪 状 | 強盗殺人、銃刀法違反 |
事件概要 |
秋田県鹿角市の清掃会社パート従業員、東屋仁被告は2015年9月5日、金品を奪う目的で乗客を装ってタクシーに乗車し、午後9時10分ごろ、鹿角市花輪の道の駅駐車場に止めた車内で、運転手の男性(当時66)の首付近に小刀を突きつけて脅迫。抵抗した男性の胸や腹などを複数回刺した上、倒れた男性を自分の車でひいて殺害した。 午後10時15分頃、駐車場利用者が見つけ、110番した。ドライブレコーダーの車内映像から東屋被告が浮上。県警鹿角署捜査本部は6日、強盗殺人容疑で東屋被告を逮捕した。 |
裁判所 | 仙台高裁秋田支部 山田和則裁判長 |
求 刑 | 無期懲役 |
判 決 | 2017年6月1日 無期懲役(被告側控訴棄却) |
裁判焦点 |
2017年4月25日の控訴審初公判で、弁護側は一審に続き、タクシー車内に現金が残っていたことなどから強盗目的を否定。犯行は、事件を起こして会社を辞めるためと主張し、量刑も重すぎると訴えた。検察側は控訴棄却を求め、即日結審した。 判決で山田裁判長は「被告の行動、それに犯行当時、被告が金銭に困窮していた点からも強盗目的であることは推認できる。被告は犯行発覚を免れようとしており、主張に合理性はない」と指摘。「もみ合いになって金を奪う余裕がなかっただけ」とした一審判決に不合理な点はないとし、弁護側主張を退けた。そして、「被害者には何の落ち度もなく、その一命を奪った結果は極めて重い。無期懲役の量刑判断は相当である」と述べた。 |