『推理教室』
編者:江戸川乱歩
発行:河出書房新社
発売:1959年7月25日初版
定価:514円(初版時 税抜き)
推理遊戯の本はいろいろ出ているが、まだ日本の作家の書きおろし作品を集めたものは出ていない。そこで、この新しい企画が立てられたわけである。短い読みものとしても面白く、同時に謎解きの知恵だめしもできるようにという注文で、日本推理小説界の中堅、新進の諸家に、一人二篇ずつ書きおろしてもらって、新作ばかりを集めたのが本書である。
推理小説には二つの重要な特徴がある。その一つは、殺人などの悪事を描くことによって、人間の心の底に存在する原始本能を解放する作用を持っていることで、世界最高の平和論者バートランド・ラッセル卿もその著書『権力と個人』の中に左のように書いている。
「いつか戦争というものが絶滅されるであろうという希望を抱くものは、原始時代の永い世代を経て遺伝されてきた人類の残虐本能を、いかにすれば無害なものに転換させることができるかということを、真剣に考えなければならない。私の場合をいうと、私はそのはけ口を推理小説に求めている。推理小説を読むことによって、私は一方で殺人者の気持になり、また一方では人間狩りの探偵の気持にもなり、それによって残虐本能を排除することができるのである」
或る人はスポーツにより、或る人は拳闘やレスリングの見物により、また或る人は闘牛や闘鶏によって、この本能を解放しているが、推理小説はもっとおだやかな、そして、てっとり早い方法だというのである。
推理小説のもう一つの特徴は、物事を正確に、論理的に考える習慣を養うのに役立つことである。独裁専制の国では、犯罪者を裁くために、論理的な証拠などを必要としない。その政府にとって邪魔なものを、ただ処罰すればよいのである。これに反して、民主主義の国では、すべての判決が明確な証拠によってなされる。まず証拠を探し、これを論理的に証明しなければならない。推理小説はそういう証拠収集の過程を描くものであるから、したがって、それは民主主義の国、法律を尊重する国民の間にしか栄えないものだといわれている。
近年、日本にも英米に劣らぬ推理小説ブームが起こり、有力な作家が輩出し、大いにその読者層を増した。ことにインテリ読者や女性読者の増加が目立っている。これは日本における証拠による裁判、科学捜査の発達と歩調を一つにするもので、その意味では喜ぶべき現象なのである。
推理小説はトリックのある謎解き小説、犯罪者の心理描写に重点を置くもの、怪奇な人生の一断面を描くもの、人間狩りのスリルを扱うものなど、いろいろの種類があるが、この本に収めた二十五篇は、すべて謎解きの理知遊戯のための小説なので、どれにもトリックが用いられている。各作家になるべく違ったトリックを使うようにお願いしたので、ほとんどあらゆる型のトリックが取扱われているといってよい。
読者の御参考のために、従来推理小説に扱われたトリックを種類分けにしてお目にかけると、
本書の各作品のトリックは、右の項目のどれかに属するものである。解決篇は紙を破らなければ見られないようになっているが、一篇ずつ読者自身の解答を出してから、それを解決篇と対照し、また次の一篇を読んで、その解決篇というふうに進んでいくのが最適であろう。もっと時間のある読者は、全篇を読み終るまで紙を破らないで、各篇の読者自身の解答をメモしておいて、最後にそれを対照するという読み方もあると思う。
【目 次】
孤独な朝食
樹下太郎
ガラスの眼
鷲尾三郎
眠れない夜
多岐川恭
四人の同級生
永瀬三吾
油壺の中の死体
宮原竜雄
九十九点の犯罪
土屋隆夫
貨車引込線
樹下太郎
土曜日に死んだ女
佐野洋
影なき射手
楠田匡介
見晴台の惨劇
山村正夫
不完全犯罪
鮎川哲也
月夜の時計
仁木悦子
消えた井原老人
宮原竜雄
サーカス殺人事件
大河内常平
バッカスの睡り
鷲尾三郎
干潟の小屋
多岐川恭
見えない手
土屋隆夫
表装
楠田匡介
呼鈴
永瀬三吾
薄い刃
飛鳥高
魚眠荘殺人事件
鮎川哲也
あるエープリール・フール
佐野洋
競馬場の殺人
大河内常平
無口な車掌
飛鳥高
孔雀婦人の誕生日
山村正夫
「まえがき」にもあるとおり、当時の中堅・新進作家13人が約20枚程度の短編を各二篇(仁木悦子のみ一篇)書きおろしたものをまとめた一冊である。
表紙に「日本版推理試験!」とあるが、ここでいう「推理試験」とは、二宮佳景編『推理試験』、オースティン・リプレイ『続推理試験』(荒地出版社)を指している。
推理小説ブーム、週刊誌等におけるクイズブームの中、本書のような犯人当て小説集が出版されるのは、必然だったといえよう。この後、『ポケット・ミステリ』(光書房、1959 23篇収録)、『素人探偵局』(三笠書房、1960 13篇収録)、『私だけが知っている』(早川書房、1961 9篇収録)といった日本作家のアンソロジーが出版され、その後も数多くの犯人当て小説アンソロジーが編まれることになる。
(上記文章は、『推理教室』(河出文庫)に収録されている山前譲氏の解説をほとんど引用している)
解決篇を巻末に密封する形は、『推理試験』を真似たものと思われる。確かにこの形の方が、ぱらぱらめくって思わず解決を見てしまったといった失敗がないのでいいし、立ち読み防止にもなる。ただ、電車の中とかでは少々見づらい。時間のあるとき、寝る前など、頭のトレーニングをしたいときにじっくりと問題を読み、推理するのが本書の正しい読み方だろう。
書き下ろしとあって、各作家とも力の入った作品を書いている。乱歩のトリック種類分けが頭にあったかどうかはわからないが、もしかしたらトリックの分担があったのかと思わせるぐらい、様々な種類のトリックが収録されている。後の推理クイズの原型になったもの(特に『影なき射手』)もあるし、山村正夫『見晴台の惨劇』『孔雀婦人の誕生日』のように他の自作推理クイズ本に複数回収録されているものもある。読み応えがある作品が並んでいるので、是非とも読者には挑戦してもらいたい。
ベストを選ぶとしたら、先の山村正夫『見晴台の惨劇』か土屋隆夫『九十九点の犯罪』といったところか。いずれも傑作揃いだから、選ぶのが難しい。
この傑作アンソロジーが永く絶版だったというのは、とても悲しい出来事だった。そして1986年、ようやく河出文庫から復刊されることになる(『推理教室』)。
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