ムッシュ田村 | |
1982年1月16日(第2期グランプリシリーズ) | |
5週勝ち抜き、銀賞獲得。 第3回ゴールデンルーキー賞出場。 | |
漫談。 | |
第二のタモリ、九十九一を目指して赤塚不二夫先生宅に居候したことは覚えていますが。関西ではリップといってました。桃山学院大学出身。 | |
登場時には必ず片膝をつき、手を斜めに振って「センキュー」と言っていた。初期の頃は変わった物真似が多かった。 | |
(2週目合格 No.93 1982年1月23日放送) 「ものまねロックミュージシャンシリーズ」 (桑名将大の真似で) 「どうも、ありがとう。桑名将大デース。この間ね、また捕まりました、ども、ありがとう。それでね全部で三回捕まりました、どもありがとー。それでね、このボク桑名がてきぱきと紹介していきたいと思います。 最初はロックンロールのボスです。ロックンローラーバカ内田裕也さん。ほんまにバカです。ミュージシャンの才能、ありません。でもね、それでも続けている状況判断のないところが好きなんです」 (内田裕也の真似で) 「二十何年、ロックンロールを歌っている内田裕也です。どうも、ありがとう。紅白なんてぶっつぶせ、バカヤロー。すみません、発作が起きました。でも葉っぱはやってません。注射一筋です。誤解しないでください。注射といってもブドウ糖です。ボク、樹木希林とは絶対離婚します。彼女は強い女です。鞭を持って追われるんです。オカマになりそうです。イタッ。最低でした。桑名、ロックンローラーは生き様だ。ハートだ。テクニックじゃない。張り切ってハートを込めて歌え」 (桑名の真似で) 「どうもありがとー、裕也さん。じゃあね、あのね、ロックンロールのボスを紹介したいんです。これほど決まった人は居ません。矢沢の永ちゃん。永ちゃん、よろしく」 (矢沢永吉の真似で) 「そう、よろしく。チッチッチッチ。そう、矢沢がなぜビッグになれたか。チッチッチッチ。この業界でさ、そう、大きなことが言えるか。チッチッチッチ。矢沢は結果を出したから。結果の世界よ、はっきり言ってこの世界は。能書きたれる前に結果を出せよ。チッチッチッチ。なぜ矢沢が結果を出せたかって。もちろん、天才だったから。自分に勝ったから。そしてみんなに一番知ってもらいたいこと。これが決まったの。はったりが決まったの。はっきり言ってビッグになれるとは思わなかったの。ビッグビッグビッグ……。その洗脳にみんなに引っかかったの。そして次はもちろん、グレイトさ」 (桑名の真似で) 「どうもありがと、永ちゃん。じゃあね、去年の暮れ解散して残念だけどね、物凄くセクシーでした。ちょっと自意識過剰だけれども、ツイストの世良君に、あの「銃爪」をちょっとだけ歌ってもらいます。世良君、よろしくー」 (ちゃっちゃちゃちゃらーん、と自分で伴奏を口ずさみ) 「あーいそづかしの言葉が……(途中省略)いつもお前は笑うのすわぁ」 (再び桑名) 「世良君ね、これから、あのー、歌舞伎役者に転向するそうです。どうもありがとー。最後は日本最高のライブバンドです。RCサクセションの清志郎にひとこと、ひとこと、一言だけね、聞いてみたいです。清志郎さん、ひとこと」 (忌野清志郎の真似で) 「あいしてまーす」 (再び桑名) 「どもありがとー。」 続いて「ひとことぼやきたいシリーズ」。竹村健一に対してひとことぼやきたいんです。何をぼやきたいかと言いますと、英語の発音。あまりにも日本語的すぎません。それも関西弁みたいな英語やねん。そやからね、いつ英語から日本語に替わったかわからない。こないだもテレビを見ていて、境目がわかりませんでした。 (竹村健一の真似で) 「I'm grandfather.いうマンスリーこのあいだキッシンジャーと」 どこが境目やねん。いつ日本語に切り替わった。 (いきなりものまね) 「ワシはだまされんぞ」 ぼやきの本家、人生幸朗はちょっとだけぼやかしてもらいます。 「まあ、聞いてください。戦後はやったあの歌この歌。だれもが聞いてこれはなるほど得心おま。戦後流行ったあの歌。『リンゴは何にも言わないけれど』当たり前じゃ。リンゴが物言うたら、果物屋やかましくて売ってられへんじゃないか。素やろ(ものまねでなくなってた)。昭和38年ヒット曲。美樹克彦『海は振り向かない』。これも当たり前じゃ。海が振り向いたら、船また元通りに戻るやないか。ワシはだまされんぞ。ほなら最後。伊東ゆかり『足音だけであなたがわかる』足音だけでわかったら、お前は探偵か」 | |
(4週目合格 No.95 1982年2月6日放送) こんにちは、ムッシュ田村です。今日は、ものまね以外の芸をやります。期待してください。題して「一言ぼやきたいシリーズ」(誰のまねかわからない) 僕、プロレスの大ファンなんです。いてます、いろんなスターが。アントニオ猪木、ジェット・シン、ブッチャー、タイガーマスク。 でも僕が一番好きなのが、ジャイアント馬場なんです。なんか優しそうな顔をしてません? ひとのええ、ものを頼んでもいやといえないような雰囲気、好きなんです。 しかし、その優しさがリング上ではマイナスになるんではないでしょうか。水瓶座生まれの繊細なボクは追求したくなりました。 見ました。全日本プロレス。その試合を。敏感な神経は試合が始まって数分でキャッチしました。 馬場に気の弱さを表す大きな悪い癖が二つありました。 (いきなり真似をしだす)「その癖直さんかぎりスターなれんぞ」いつ出てくるかわからんぞ、人生幸朗。 その大きな悪い癖。一つはこの動作「プワー」。これなんかわからんけれど。それともう一つ。 「ぽうわー、あいた」血の確認。 もうこれやめなあかんわ、馬場。 身長2m9cm。脳天割りなんかやってこれでもか。白人は元来演技力がある。大して痛くないのに「オーノー」と痛い振りをする。芝居やねん。役者やねん。ところが馬場、自分が叩いた痛さで弱っていると思いこんでるねん。ジーと見てるねん。あれは演技なんだ、馬場。見抜けよ。アホか。 そして「オーノー」とすればするほど、向こうの手とリズムにあわせながら、ときたま笑みを浮かべ、相手弱っていくのを見てくつろいでんねん。リングでくつろぐなよ、馬場。くつろぐなら熱海温泉でも行けよ、おじんと湯でもつかれよ。仕事場だろ、リング上は。 ようやく左手出したな。叩いてくれるんやな。嬉しいなと思ってテレビを見ていたら、喜びもつかの間、ピントがここで止まるねん。ほんで、こんなんするねん(左手あげて顔にちょこっと当てる)。これなんの意味や、馬場。いつ叩くねん。てきぱき行けよ、文明人なら。 一説によると、これは汗を拭いているらしい。1cm四方拭いても仕方がないだろ。細かい人間か。小さい男か。後でハンカチで拭けよ、きれいに。こんなことやっているウチに外人ずるがしこい。腹黒い男やったんや。急に隙見て馬場を叩く。馬場のこけかたがまたオーバー。わざとらしいスローモーションで「プワー、あいた。おもいがけない」何が思いがけないんや。すべてがのろい。ジャイアンチョップも「プワー」。そして出ました十六文キック。触っているだけやん。全然痛くないんや。馬場見抜けよ、アホか。通信簿2と3か。体育4か。それはぼくだ。 全てがのろいから、いつのまにか叩かれる。「あいた、またいかれた」赤い血が付いていないかわざわざ見てんねん。過去を振り向くなよ。赤いものを見たら逃げるんか。済んだこと仕方がないんや。ファンなんや。愛してるんだ。だから腹立つんだ、馬場。頼むから明日に向かって、建設的に、一流の人間なら建設的に生きよう、馬場。明日に向かって走れ、明日、明日に向かって、あす、あすにむかって…… (音楽が流れ出し、田村歌い出す) 「馬場、馬場、パフォー 明日に向かって 走れよ馬場 パフォー 過去は振り向くな。油断をするな」 (歌がストップして) 馬場こんなんする暇あったら左手でたたけよ 「人生戦いだ 緊張の連続だ。己に買ったとき、勝利はやってくる」 (また歌がストップして) 馬場、血見て逃げるんか。そんなことして血液型でも調べてるんか。 「明日に向かって、走れよ、馬場。パフォー」 馬場を励ます歌でした。 | |
(5週目再挑戦不合格 No.106 1982年4月24日放送) 田村が病院へ友人を見舞いに行くネタ。喫茶店みたいなところで話をしていて、急にトイレに行きたくなり、立ち小便の演技をしたら、体の震えがテーブルにまで移り、テーブルの上のコップが倒れ、水がこぼれて田村が慌てる。これ、ネタではなくて本当のハプニングだったらしい。ただ、そこの部分がいちばん笑えた。 | |
ますだたかみつ(映画評論家)のものまねと、関西のおかまのネタです。「兄ちゃん兄ちゃんアデュー」というギャグを覚えています。 | |
イッセー風独り芝居もしていました。友人の見舞いのシーンで「あっそうそう、お土産。青森のミカンに静岡のリンゴ。逆やった。」というのも覚えています。 | |
「小学校しか出てないの……」という情けない田中角栄や壊れた内田裕也のものまねをやってました。 その後ものまねが自分の学校の先生とか友達に至りお客さんが誰もついていけなくなりました(私的にはOKだったのに……)。 | |
街で関西のオカマに絡まれたネタから オカマ「よう兄ちゃん、いいからだしてんなあ。アッデュウ(アイラブユーだと思うけどこう聞こえた)」 その後オカマが二人になり、田村が逃げようとすると オカマ「オカマオカマって馬鹿にすな。オカマなくして米たける事なかれ」 その後オカマをたたえるオリジナルの歌を歌う。 「♪オカマ~オカマぁ~オカマオカマ、オカマぁ」 | |
ムッシュ田村が失格したときのネタは内輪ネタだったため、審査員にそこを指摘されていた。ネタの詳細は忘れました……。 | |
(第3回ゴールデンルーキー賞で) ムッシュ田村が一、二回目に連続で35点。三回目にオープニングで「35点の大スター、ムッシュ田村です」とやったのが受けて38点でした。 | |
端正な顔つきの割に、おかまチックなネタをやるなという記憶だけです。 | |
いつごろかは忘れましたが、テレビ東京のモノマネ番組に卒業生としてゲスト出演。いつものネタを演じていた。 現在は不明。 | |
テレビ朝日系で1994年2月18日~1995年2月24日、毎週金曜17:30~17:55に放映された『忍者戦隊カクレンジャー』の第10話にコナキジジイ役で出演。俳優を続けていたのでしょうか? | |
ムッシュ田村はスタ誕後に赤塚先生の実験映画などによく出てました。最後にナマで見たのが12年前、六本木のショウパブで。田村憲司の名前でものまねやってました。元々関西でリップという名前でやってたので関西にもどったんじゃないでしょうか? |
村松正三 | |
1980年10月4日(第1期グランプリシリーズ) | |
1週落ち。 | |
漫談。 | |
牧伸二の弟子。1975年に入門。 | |
(1週目不合格 No.26 1980年10月4日放送) 「あぁ~」と叫びながら、体を反り返らせて後ろに倒れるギャグ(?)。 彼のネタは小話を交えながらクラッカーをならし卒倒するというパターン。 「なに?住所不定?ふてえやろうだ!」パーン!! | |
なんか宴会ノリってカンジで、審査員が師匠の牧伸二だったのに1週目で落ちました。 | |
「牧正」名義で、漫談や司会業を中心に活動。牧プロダクションに所属していた。東京演芸協会協会員。 | |
2014年8月16日放送の『有吉ジャポン』の「300人以上がしのぎを削る”芸人の街”浅草」に登場。現在は営業や結婚式の司会などで月15万円ほど稼ぐが、芸人としてのギャラは数万円。妻との共働きで生計を立てていると語った。 |