京唄子

 京都生まれ。「なでしこ劇団」に入り、舞台女優として活動。鳳啓助と漫才コンビを結成。「大口!」「エロガッパ!」などの掛け合いなどで人気者となる。1970年には唄啓劇団を旗揚げ。女優として活躍。
 鳳啓助とはコンビ結成後に結婚するも、1965年に離婚。しかし、1969年から始まった『唄子・啓助のおもろい夫婦』(フジテレビ)は20年近く続く長寿番組となった。
 鳳啓助亡き後は、「京唄子劇団」を旗揚げし活動。また女優としても様々なテレビ番組に出演している。
 2017年4月6日、肺炎のため死去、89歳没。
 『お笑いスター誕生!!』には、鳳啓助とともに第1回から番組最後まで審査員として出演。しかし、舞台か他番組スケジュールかはわからないがときどき休み、代わりに他の審査員が出演していた。
 司会の山田康雄には、「いつもお美しい京唄子さん」と紹介されていた。番組最後の講評では、ほとんど第一声を担当している。関西の漫才コンビ、女性コンビには期待する声が大きかった。

 唄子・啓助さんは、舞台出演か海外ロケかで、1980年5月24日~7月12日の期間、長期欠席していた筈です。7月5日はB&Bのグランプリ週ですが、この時の最初の講評はかなり年輩の漫才師(おそらくWけんじのどちらか?)の「いやあB&Bも人の子だね」(かなり緊張していたということ)で始まったことをはっきり記憶しています。5月24日からという根拠は、8月2日の受賞者大会の時、唄子・啓助さんがミスター梅介の芸を見るのは初めて、と言っていたからです。そのとき、その理由を言っていたのですが、それが舞台出演か海外ロケかがどうしても思い出せない……。