『お笑いスター誕生!!』 名鑑【ひ】


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名 前
B&B
初出場
 1980年5月24日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 ストレートで10週勝ち抜き、グランプリ獲得。最初のグランプリ。
ジャンル
 漫才。ときにはコントも。
プロフィール
 島田洋七:本名徳永昭廣。1950年2月10日生。 広島県出身。
 島田洋八:本名藤井健次。1950年2月13日生。岡山県出身。
 洋七は1970年に島田洋之助に弟子入り。吉本興業に所属。現在放送作家として活動している団順一と1972年に初代“B&B”を結成。このときはツッコミ担当だった。
 翌年、上方よしおと二代目“B&B”を結成。二年間活動。洋七は東京進出を考えるが、よしおが「怖い」と尻込みし、解散。
 洋八は1975年に島田洋之助に弟子入り。すぐに洋七と三代目“B&B”を結成。上方漫才大賞奨励賞などを受賞し、1979年9月に吉本興業を辞め(「吉本が東京に進出するための先兵となれ」と言われた)、上京、「戸崎事務所」に移籍。『花王名人劇場』に出演、1980年1月に放映されブレイクする。
ギャグ
「もみじまんじゅう」「小野田さーん」などのギャグでおなじみ。
明るく振舞いながら
島田洋七「メチャメチャ陰気やでぇ~~」
いうギャグがあった。
ネ タ
1週:広島・岡山対決ネタ
2週:阪神タイガース対広島カープ。そして広島・岡山ネタ
3週:“英語の問題”“算数の問題” 「リンゴとバナナ、どっちがミカンや?」
4週:アクロバット・コント。洋八のオットセイの真似
5週:モーターボートにのるアクション漫才
6週:“国語の問題”“歴史の問題” 「魚へんを二つ書いたら?」「煮魚」
7週:相撲のコント、野球のコント
8週:アクション付き早口ポエム
9週:奥様のデパートの会話 「私なんか五割引で買ったのよ」「あら、私なんか万引きよ」
10週:アクション付き早口ポエム、消防士ネタ。
(10週目合格 グランプリ獲得 No.13 1980年7月5日放送)

10週目の消防士ネタ

 リンリンリン
 電話聞き地図を広げて場所探し
 ベルを鳴らして全員集合。
 屋上から1階滑り降り
 車に乗り込みエンジンかけて
 鐘を叩いてサイレン回し
 そこ退けそこ退け消防車が通る。
 現場着きホースを降ろして
 梯子を伸ばして駆け上がり
 女性を抱き上げ子供をおぶって
 老人抱えて、降りましょう。
 ほこりをはらって ああ助かった
 神様 サンキューベリマンチョ

……と、ここまでを振り付けつきで早いテンポで漫才をしていた。
 この漫才は前9週目までのネタと少し違い、洋七が洋八に言わせて、「洋八がボケ」「洋七がツッコミ」をする事になる。

 例えば
 洋八が全部電話を取る格好をして、洋七が「お前電話ばっやんか!!」と突っ込んだり
 洋八が「1階から屋上へ滑り降り」と言ったら、洋七が「どうやって降りんねん!!」
 洋八が「鐘を回して、サイレン叩く」と言ったら、 洋七が「逆や!逆や!」とどついたり

 洋八のアドリブで言った事を即興で洋七がツッコミを入れていた。
 この漫才は毎回見るたびにボケる箇所と突っ込む箇所が見事に違っていた。
B&Bゲスト時のネタ
洋七「時代劇に出て、殴られる役やったんや」
洋七「そして、撮影終わったら「カット。叩き方悪い」」
洋七「で、ぼこぼこ殴られたら、「ドッキリでーす」ってまいったわあ」
続きがありましたが忘れてしまいました。銭湯で笑われた話だと思いましたが。
(グランプリコーナーより)
洋七「高校出て漫才やってるの、洋八、お前ぐらいやないか」
洋八「いや、そんなの、たいしたことあらへん」
洋七「関東関西合わせて二千人ぐらい漫才師がおる」
洋八「かなりいてますわね」
洋七「その中で高校出て漫才やってるなって、立派なもんや」
洋八「いや、そんな、人前でね」
洋七「周りみてみい。みんな大学出や」
洋八「ちょっと待て、お前。俺だけみじめになっとるじゃないか」
洋七「俺は途中でやめたけどな」
洋八「ま、中退ですけれどね」
洋七「今年はいろんなことがあった。事件が多かった」
洋八「多かったね」
洋七「知ってますか皆さん、色々事件があったの」
洋八「事件があったね」
洋七「ええと飛行機の火事ね、それからホテルの墜落」
洋八「ちょっと待て、おかしいやないか。逆さまやないか」
洋七「なんでや」
洋八「飛行機が墜落するか」
洋七「墜落するわな。俺が間違っているかと思ったわ。飛行機は墜落するわ」
洋八「墜落するか」
洋七「そしてそのあとに洋八の結婚式。これが最悪やわ」
洋八「どこが最悪や」
洋七「金がかかるやな。なんぼ包んだと思うてんねん、香典」
洋八「香典って。縁起が悪いわ。新婚やで、わたいは」
洋七「わたいは! わたいはなんて言いますかいな」
洋八「言いまへんか、皆さん」
洋七「言いまへんか? 東京弁使いなよ。だからさ」
洋八「だからさあってお前、いきなり東京弁使うなよ」
洋七「新婚式っていいですよ。だいたいね、漫才師の奥さんって美人が多いんですよ」
洋八「意外とね」
洋七「西川きよしさんの奥さんのヘレンさんってきれいだし」
洋八「ハーフだしね」
洋七「(誰かわからない)のところのまゆみさんとかね」
洋八「まあね」
洋七「洋八のところのゆうこさんとかね(両手で顔を崩すが、洋八は正面を見ていて気付かない)」
洋八「いやね」
洋七「あんなに花嫁衣装似合う奥さんいないわ(とまた両手で顔を崩す)」
洋八「いやね、本当に。(しかし客席が笑っていることに気づき)何がそんなにおかしいの、皆さん」
洋七「笑わなあかんやろ。漫才見て泣いてどうするんや」
洋八「まあ、確かに笑わんとね」
洋七「綺麗やからね(と何回も顔を崩す)」
洋八「待てや、お前。これはなんや、これは」
洋七「俺はなんもやってないやないか」
洋八「やってたがな、顔をこうやって(と片手で顔を崩す)」
洋七「俺は両手や」
洋八「なんや、それ」
洋七「自分の嫁、ちょっとでもよく見せようと、片っぽだけにしやがって。最初鼻の穴見た時、練炭かと思ったわ」
洋八「おい」
洋七「しかし結婚式、面白かったね」
洋八「いや、面白かったって」
洋七「場所が凄い。東京プリンスホテル、一流やがな」
洋八「まあね」
洋七「ナイフとフォーク8本ずつあるからね。あれ一皿ずつ使わなければいけないって知らないから、フォークとフォークで料理食べてしまったりね。口の中が血だらけになっちゃって、結婚式ってしんどいねえって」
洋八「おい」
洋七「でお前のところのお母さん、料理何だって聞いてフルコースって聞いたら、料理振ってしまって」
洋八「こら」
洋七「それはともかくね。結婚したら嫁より強くならなかったらあかん。それにはね、男らしいスポーツをすること」
洋八「男らしいスポーツ?」
洋七「男らしいスポーツ、一発やったらええねん」
洋八「男らしいスポーツね。これはやっぱりプロレスやね」
洋七「プロレス?」
洋八「これは男らしいね」
洋七「あんなもん、八百長やないか」
洋八「八百長なことあるもんか」
洋七「ジャイアント馬場なんて、今年53なのに世界チャンピョンって、どういうことや。あと2年経ったら、地下鉄ただやないか」
洋八「あのな」
洋七「それが世界チャンピョン、あほか。それにロープに振って戻ってくるの、あほやと思わないか」
洋八「あれは反動で返ってくるんや」
洋七「そんなことない。両手でロープ掴んだら戻らんですむやないか。それが、とととと、ポッ、ポッ(馬場のまね)」
洋八「そんなこと言ったら、身もふたもないやないか」
洋七「もっと男らしいスポーツやれ」
洋八「なら剣道」
洋七「どこが男らしいんや」
洋八「これは男らしいでしょ」
洋七「男だったら、面を取ってやれって」
洋八「面取ってって」
洋七「あんなもん被って、こんな細いところから見ながら小手って、あほか」
洋八「いやあ」
洋七「あんなの盗人やないか」
洋八「盗人?」
洋七「あんな細いところから見て。面も外して、胴も外して」
洋八「全部外して」
洋七「バサッと切れ」
洋八「切るんかい」
洋七「それが男らしいやないか。それが勝負や。もっと男らしいスポーツやれ」
洋八「重量挙げ。これは男らしい」
洋七「何が男らしいんや」
洋八「重いもの、グーっと上げるやろ」
洋七「何があげるんや。こうやって上げて、すぐ下ろしてしまうやろ。それだったら最初から上げるな」
洋八「おい」
洋七「上げたら上げたまま5年ぐらいそのまま立っていろ。それだったら男らしいって認めるわ」
洋八「可哀そうやないか、やってる奴が」
洋七「男らしいスポーツあげ、男らしいスポーツ」
洋八「ゴルフ。これは音らしい」
洋七「どこがやねん。あんなちっこいあなにボール入れるの。誰だってずっとやっていたらいつかは入るわ」
洋八「いやね」
洋七「あんな広い土地置いておくんやったら、野菜でも作れ」
洋八「お前ええやないか、ゴルフ」
洋七「ゴルフはええけど、ボールが小っちゃくて可哀そうやわ」
洋八「なんで」
洋七「ゴルフって天気のいい日にやるやないか」
洋八「やるわな」
洋七「あんないい天気の日に、表に出て、昼寝でもしたくなるところにパチって打たれるんや」
洋八「ええやないか」
洋七「もっと男らしいスポーツやれ。こんな岡真美棚スポーツじゃなくて」
洋八「ラグビー。これは男らしい」
洋七「何が男らしいんや」
洋八「どうして」
洋七「あのボールが気に食わん。ひょうきんやろ。バウンドして、こっち行くかと思ったらあっちや。あんなんあかん。そんなもんより、真四角なボール作れ」
洋八「真四角なボール」
洋七「落ちたら落ちたでポテっとそこにあるやないか。これが(?)やないか」
洋八「(?)か」
洋七「いい気持ちやな、って座っていたら、後ろからボーン。文句言いたいわ」
洋八「おかしいんちゃうか」
洋七「何がや」
洋八「なんでボールが文句言うんや」
洋七「例えばの話や、例えば」
洋八「あっ、例えばな」
洋七「そやからな。男らしいスポーツ出せ、ラグビーなんかつまらん」
洋八「卓球」
洋七「何が男らしいんや」
洋八「男らしいやないか」
洋七「あれはな、世界でも一番陰気な国が強いんや。中国。地味な服着て、ちっちゃいボールであれやこれや(とラケットでちっちゃく打つポーズ)」
洋八「駄目やがな」
洋七「もっとぐっとするスポーツあるやろ」
洋八「ぐっとするやつ」
洋七「男らしいやつ」
洋八「男らしいやつ。バトミントン」
洋七「何がや。どこが男らしいんや。あれこそオカマのスポーツやないか」
洋八「そうか」
洋七「男らしいスポーツ言え」
洋八「これは男らしい。相撲」
洋七「何が男らしいんや」
洋八「男らしいやないか」
洋七「相撲って言ったらな、だいたい5時から6時の夕食食べようってときに、汚いケツ出すな、あほ」
洋八「痛いな(と頭をさする)」
洋七「あんなぶよぶよしたケツやど。飯食くっとったらウエェとなるわ。だいたい、NHKでイヤらしいこと言ったら絶対怒られるがな」
洋八「絶対あかん、絶対」
洋七「NHK、裸はいかんと言っているのに、アップでどわーん。お尻の割れ目から全部わかるわ」
洋八「割れ目!」
洋七「(手でポーズしながら)こんなしょうもないもの締めて」
洋八「あれはまわしや」
洋七「イヤらしいと思わへんか。あれ〇〇と変わらないやないか」
洋八「お前な、いちいち相撲取りでこんなことしなくてもいいねん(と、腰や股にまわしを絞めているポーズを真似する)。これだけで相撲取りってわかるやないか(と腰だけにまわしを示すポーズをする)。ここまでせんでもいいやろ(と、股のところに手を当てる)」
洋七「なんでやねん。そしたらお相撲さん、ここだけか(と腰のところに手を回す)。そんなん、面白すぎるやないか。横綱、(手に腰を当てて)ここだけあって、(股に手を当てて)ここにはないんかい。アナウンサーが、両力士、時間になってあ立ち上がりました。ああ、何でしょう、真ん中にぶら下がっているのはっていうのか」
二人、お辞儀して終わり。
(爆笑オンステージより)
 マッチがライバルという話から東京に慣れたという話になるはずが、洋七が蕎麦屋のシャッターをガレージと言い間違え、それを洋八が指摘したため、意地になった洋七がガレージを連呼して使い続けるため、わけがわからなくなる。
 洋七の暴走ぶりに慌てながらも洋八がなんとか突っ込みを入れ、漫才と笑いとして成立させているところはさすがと思った。
(爆笑オンステージ No.174 1983年8月20日放送)
 夏は暑くてイライラする。東京の人と、大阪の人とイライラの仕方が違うという話。東京は見てわかり切っていることを言ってくる、大阪は余計な言葉が付いてくるという話。途中ジャイアント馬場がでかいというエピソードをまじえ、暑くてイライラするから海に行くという話になる。そのうちに海の救助の話になり、洋八が海でおぼれているが、モーターボートを運転する洋七は色々言って助けようとしない。最後はウインドサーフィンの話になるが、二人で運転した後、二人でできるか、と洋八をどついて終わり。
(爆笑オンステージ No.177 1983年9月10日放送)
 解散するので、二人で出演は最後。
 解散ネタでつかみを取った後は、二人でキャンプに行こうとする話。天気が気になると言いだして、洋八が177番に電話を掛けようとするが、受話器を持ったままだとか、お金を入れていないとか、洋七がいろいろ突っ込む。
エピソード
 漫才師はスーツを着て、びしっとした格好をしなさいと審査員に言われたこともあった。それに反発して、ロゴ入りのトレーナーを自分たちで作る。後にそのトレーナーを売り出したところ、洋七の手元に一千万円以上の利益が入ったという。
 勝ちぬいていた時、4週目のコントのときが一番苦しかったとか。この時だけ登場時の字幕の芸の種類が「コント」になっていました。
 赤尾PD曰く「唯一、稽古場でネタチェックをしなかった。彼らはノーギャラで演芸場に出演して新ネタを披露。そこで自信を付けて本番に臨んだ」
 当時若手人気漫才師の先陣としてテレビ出演を重ねていた彼らが、今更この手のチャレンジ番組に出演することに事務所の社長は猛反対だったが、洋七は「プロはこんなにおもしろいんやということを見せつけてやったらええやないの」と言って出演。アマやマイナー芸人との格の違いを見せつけた。
感 想
 実力は段違いでした。後に実績を見ますと、グランプリを取って当然の人です。
受賞歴
 1974年 第4回NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞(二代目B&B)
 1975年 第6回NHK上方漫才コンテスト優秀努力賞受賞
 1977年 第6回上方お笑い大賞銀賞受賞
 1978年 第13回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1980年 第8回放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞
 1980年3月 第2回花形演芸会金銀賞銀賞受賞「広島・岡山」
 1980年 第18回ゴールデンアロー賞芸能賞新人賞受賞「アドリブとスピード感溢れるビートの利いたギャグの展開で、漫才ブームを盛り上げた」
 1981年 第9回放送演芸大賞漫才賞受賞
レコード
「恋のTake3」(1980.9)
「潮風の香りの中で」(1981.5)
「泣き虫ハイウェー/TOKYO CAR BOY ビリー・ザ・キッド」(1981.10)(A面を洋八が、B面を洋七が歌う)
「世の中わからない節」(1981.11)→元々は尾崎五郎「愛はガラス細工」(1977)のB面でB&Bが歌っていた
「人気もん!ふたり旅」(LP 1981.6)
「人生オモロイで」(1985.8 洋七&国分)
「スナック仁義」(1986.10 藤井洋八)
著 書
 B&B『B&Bの仁義なき戦い』(KKベストセラーズ ワニの本,1980)
 B&B『B&Bの愛しかた愛されかた』(KKベストセラーズ ワニの本,1980)
 B&B『B&Bと遊ぶ本―いたずらハイスクール』(KKベストセラーズ ワニの豆本,1982)
 島田洋七『振り向けば哀しくもなく』(太田出版,1987)
 島田洋七『文句あっか!!―オレとたけしの人生一笑一杯』(CBSソニー出版,1992)
 島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』(ムーンライトファクトリー,2001→徳間文庫,2004)
 島田洋七『がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい! 』(徳間文庫,2005)
 島田洋七『文句あっか!!―オレのトンデモお笑い人生』(文春文庫PLUS,2005)
 島田洋七『がばいばあちゃんの幸せのトランク』(徳間文庫,2006)
 島田洋七『がばいばあちゃん佐賀から広島へ めざせ甲子園』(集英社,2006)
 島田洋七『がばいばあちゃんの贈る言葉 POST CARD BOOK』(徳間文庫,2006)
 島田洋七『島田洋七とがばい芸人たち 笑魂伝承』(イーストプレス,2006)
 島田洋七『俺の彼 がばいばあちゃんスペシャル劇場』(徳間書店,2007)
以下は略
その後・現在
 MANZAIブーム最大の立役者。ブロマイド売り上げがアイドルと混じって男性部門第3位というのですから驚き。また、東京に大阪弁の漫才を持ち込んだ先駆者であります。最盛期には週に26本の番組に出ていたというぐらいの殺人スケジュール。
 1983年にコンビ解散。漫才ブームが去ったからとか、喧嘩別れとか色々いわれましたが、実際は洋七の心身症らしいです。
 その後、洋七は国分ケンジと「ザ・スティング」というコンビで活動(すぐにB&Bと改名)、『お笑いスター誕生』のチャンピョンコーナーに出ていました。解散後はソロでタレント活動をしたり、間寛平と組んで漫才をやったり、ビートたけしと即興でB&BEATというコンビを組んで漫才をやったりなど、結局は漫才を忘れられなかったようです。土地がらみの問題で竜雷太と裁判にもなりました(勝訴したが、結局借金だけ残る)。1995年の第17回参議院議員選挙では埼玉県から無所属で出馬するも落選。当選を確信していてスケジュールを全部空けていたとも。
 洋八は藤井洋八と名前を変え、ミュージカル、映画、ドラマなどの役者業を中心に活動。しかし、不動産業を営んで借金をするなどもあったとか。演歌で歌手デビューもしていました。
 紆余曲折の末、1997年にコンビ復活(もっとも、年に数回営業で洋八と組んでいた)し、吉本芸能に再所属。
 島田洋七は2001年に『佐賀のがばいばあちゃん』を出版。じわじわと売れ、徳間で文庫化されてからベストセラーに。2006年には吉行和子主演で映画化された。島田洋八、島田紳助が友情出演している。2006年現在、講演依頼数No.1だとか。
 その後、洋七は2007年8月に吉本興業を退社。「がばいばあちゃん」シリーズの印税の配分で揉めたことが理由といわれています。
 テレビの仕事が減少し、講演が中心の状況が続いたが、2012年8月1日、オスカープロモーションに移籍。
 洋八は今も役者業を続けています。歯医者の女性と再婚し、伊豆大島に住んでいるということ。
 2008年3月30日からはビートきよしと「うなずきコンビ」を組んで、吉本の舞台などでも活動。出囃子はうなずきトリオ(洋八、きよし、松本竜介)の「うなずきマーチ」。
 2011年末で吉本興業を退社。
 2012年9月23日、都久志会館(福岡市)で5年ぶりの復活ライブを開催。10月28日のNTTクレドホールでは、国分健二も出演。
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名 前
ひかる てるお
初出場
 1981年5月16日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週勝ち抜き。
ジャンル
 漫才
プロフィール
 関東のアマチュアコンビでした。
ネ タ
 不明。
エピソード
 『笑ってる場合ですよ』内の素人勝ち抜きコーナー「君こそスターだ」にも出演。「笑ってる場合ですよ」で3回勝ち抜いています。
 2週目の挑戦時、漫才が終わった後、赤塚不二男or桂米丸師匠から「なんか教科書どおりの漫才だね」と言われてたのは事実です。
感 想
 不明。
その後・現在
 不明。ダブル青井の前身らしい。って、誰?
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名 前
ピックルス
初出場
 1982年5月8日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 9週勝ち抜き、金賞獲得。
 第3回ゴールデンルーキー賞出場。
 サバイバルシリーズ1回戦負け。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 みつか:本名みつか(三塚?)由美子(現在は諸岡由美子)。1962年3月24日生。東京都出身。
 かおり:仙台出身。
 横浜放送映画専門学院出身。内海桂子・好江の漫才教室で笑いを学ぶ。卒業後の1982年にデビュー。
 “ピックルス”の意味は“もてない女たち”。
ネ タ
 スケバンネタが定番でした。
(3週目合格 No.110 1982年5月22日放送)
(サバイバルシリーズ1回戦 64点× No.186 1983年11月12日放送)

 嫁のあさこ(みつか)と夫の母親(かおり)とのやり取り。仲は悪く、喧嘩ばかり。最後、母親が倒れ死んでしまったと嫁は喜ぶが、実は昼寝していただけだった。何でも言うことをきけと責める母親。そこへ夫のたみおから電話がかかってきて、どっちも嫌だから家を出て行く、となり二人とも泣き崩れる。
(4週目合格 No.111 1982年5月29日放送)

 元スケバンで結婚したものの、スケバンへの情熱が冷めやらず、娘をスケバンにさせたい母親(みつか)と、スケバンになりたくない優等生の娘のあさこ(かおり)のコント。勝手にスカートを長くする、塾には行かせない、スケバン養成ギブスを着せる、剃刀の代わりに鎖鎌を教える、何かあったら参考書を燃やそうとするとやりたい放題。ついには、あさこと付き合っていて今度生徒会長になるたみおに、娘と別れるよう脅す。最後は娘と母親の対決になり、娘は剃刀二刀流を披露。最後は娘が勝ち、母親がどこにでも行くがいいというと、塾に行くというオチ。
(6週目合格 No.113 1982年6月12日放送)

みつか:幼稚園の保母「おりん先生」
かおり:みつかの幼なじみで、幼稚園の園長先生「麻子ちゃん」

 園長先生が登場。園長先生はおりん先生に言いたいことがあると告げる。
 そこへおりん先生が歌いながら登場。
「(「手のひらを太陽に」のメロディで)ぼくらはみんなぐれている。ぐれているから楽しいんだ~」
園長「おりん先生、用事があります」
おりん「何? 私がミス幼稚園に選ばれたとでもいうの」
園長「あなたには辞めてもらいます」
おりん「なぜ?」
園長「園児の親に評判が悪いからです」
以下、子どもたちに変な遊びを教えた→かつあげごっこ、変な団体を組ませた→三輪車暴走族「めばえ」、遠足→新宿のサウナへ見学、と例を挙げる。
 ぐれていたおりんを拾ったのにこのありさま、失敗したと嘆く園長。
 おりんは話し合いに言ってくるといったそばから、剃刀を出し、幼稚園を乗っ取ると宣言。
 しかし園長は、私を舐めるなよ、と懐から出した粘土べらで応戦。
(7週目合格 No.114 1982年6月19日放送)

 スケ番コントの看護婦バージョンで、点滴のおりんには、笑った。このコントでは、カルタ取りならぬ、カルテ取りというのがありました。
(8週目再挑戦合格 No.125 1982年9月4日放送)

 生け花をネタにしたコント。実際に生け花をやるが、はさみでシャキーン、シャキーン。
 覚えているのは、嫁姑コントで歌った『おお焼き場は緑』。彼女らは、良く歌ばかり歌ってたなあ。妖怪人間べムの歌フルコーラスなんて時もありました。
スチュワーデスの先輩・後輩のフライトコントをしていた。

みつか・・・先輩スチュワーデス
かおり・・・後輩スチュワーデス

 先輩スチュワーデスがいびりを含めながら、後輩に実践的なスチュワーデスの奥義を教えるコントをやっていた。
スケ番「顔をプリンスメロンにしてやろうかい」
普通の学生「ひええぃ」
その後スケ番のかばんからラブレターが出て来て「スケ番だって恋するわよ」という展開だったと思う。
 ネタ中に楠美津香が手を叩きながら、はしだのりひことシューベルツの「花嫁」の「♪花~嫁は~夜汽車~に乗って~」を歌っていたネタがあったような気がします。
(爆笑オンステージ No.180 1983年10月1日放送)

 幼稚園の先生のみつか。全員帰って、疲れたからと大麻を吸っていると、そこにたみすけ君の母親(かおり)がやってくる。
 家に帰って妹を虐めるんですよ。カスタネットで耳を引っ張って、おしゃぶりを寄こせというんですよ。というと、「あれだけ家に帰ってやるなよと言ったのに」とつぶやく。
 さらに部屋に帰って正露丸を袋に入れてスース―すっているんですよ。
 なぜスケバンが保母さんになって悪いことを教えるんですか、と聞くと、たみすけ君は可愛いけれど、となりの桃子先生ばかりに甘えるんだよ~と嘆く。
 母親は怒りだして保育園の園長先生に話をして辞めてもらうというと、みつかは粘土べらを取り出し、足止めをしようとする。すると母も粘土べらを取り出し、対抗。
 最後は情熱にうたれて園長先生に言うのを辞めるが、子どもの喧嘩を見て地が出ておしまい。

 グランプリシリーズに出したネタの改変かな?
エピソード
 ピックルス解散後に楠美津香は「東京VS大阪激論合戦」にみつかとしてひとりで出ています。
 オーディション時は「インキーズ」という名前でしたが、PDに改名されました。
感 想
 背の高い方(みつか)が達者だった記憶有り。結構見ていたんだけどなあ、このコンビ。確かによく歌ってばかりいました。
受賞歴
 1987年 第2回NHK新人演芸コンクール<演芸部門>大賞受賞(ふらみんごとして)
 1992年 第53回国立演芸場花形演芸会金銀賞銀賞受賞(ひとりコント)(楠美津香として)
 1994年 第14回国立演芸場花形新人大賞特別賞受賞(門前仲町八千草のママ・田園調布後援会夫人)(楠美津香として)
著 書
 楠美津香『ひとりコント楠美津香の東京美人百景』(集英社,1996)
その後・現在
 1984年ごろに解散。楠美津香さんは解散後、太めの相方と「コントきゃんでいず」というコンビを結成して活動していました。解散後に「ふらみんご」を結成して文学ネタコントで結構話題になってましたが、解散後現在に至っています。
 かおりは解散後、三田和矢(元M21デラックス)という芸人と組んでいましたが長くは続きませんでした。
 ふらみんご/その他:テレビ東京の『花の女子校 聖カトレア学園』(テレビ東京)の一発ギャグのコーナーに登場。上手から下手まで「わーわー」言って通り抜けるだけのギャグ?でした。
 ピックルス時代には笑点の裏でやっていたTBSのお笑い番組で「何かだじゃれを」と聞かれて相方「雪の降る夜は楽しいペチカ」みつか「隣で鳴くのは犬のぽちか」と返し、司会者にだじゃれでないと突っ込まれていた。
 平成元年頃、「ふらみんご」を解散。
 みつかは現在の楠美津香。テレビ、ライブで活躍中。ひとりコントは評価が高い。夫はコメディアンのモロ諸岡。
 楠美津香のオフィシャルブログ、スーパー美津香-Hiがある。
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名 前
ひびきわたる
初出場
 1980年6月7日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週勝ち抜き。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ出場。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 キセル漫談。ギター漫談。
プロフィール
 本名新井友和。1942年10月9日生。群馬県出身。
 1966年、辻ひろしとハッタリーズ(歌謡漫談)入門。1968年デビュー。その頃はギター漫談やドラム漫談が主。キセル漫談はその後。
ネ タ
 キセルを使って、赤ちゃんや動物の声の真似をしていました。
オープントーナメントサバイバルシリーズでは、ギター漫談が主。最初の挨拶は
「どうもようこそ、おいでいただきました。改めましてひびきわたる、よろしくお願いします」
と会釈。客が拍手すると、数を数えはじめ、
「ま、こんなもんでしょ」
第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦 点数不明× No.267 1985年6月22日放送)

ギター漫談「もしかして」シリーズ
(小林幸子の「もしかして」をワンフレーズ歌う)
「もしかして、もしかして。もしかして、もしかしたらもしかする。もしかして~」
「悪くなったもの食べ過ぎて、中毒になったゴキブリなんていますかね」
「ナマケモノのなかにも働き者がいますかね」
「自分の鎌で怪我をしたカマキリなんていますかね」
第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ前夜祭 No.283 1985年10月12日放送)

 座布団を重ねて、新聞紙を引き、そこに生卵を叩きつけるが、生卵は割れない。
エピソード
 若手同士の紅白対抗戦では、ミスター梅介とともに対抗戦の団長(紅組)をやっていました。
感 想
 初期の頃は、キセルのイメージが強すぎました。ギター漫談で頑張っていましたが、時々ネタを言っている途中に笑い出すのが気になりました。
著 書
「ひびきわたるの芸能界ワッハッハッ」
「ひびきわたるの芸能界失敗談」
レコード
「テナコト節」(1980)→B面の「俺は群馬のおぼっちゃま」の作詞・作曲はひびきわたる
その後・現在
 演芸場で活躍。2006年、落語協会に入会。
 ひびきわたるのプロモーションページ堺すすむのなんでかページ内にあります。
 2018年9月10日午後2時42分、腹水炎のため東京都内の病院で死去、75歳没。
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名 前
ピンナップ
初出場
 1984年5月19日(第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 漫才
プロフィール
 リスとゾウという芸名の女の子コンビ。元は関西某局の同期アナウンサー。1983年結成。初登場時は結成6か月。松竹芸能所属?
ネ タ
(第2回オープントーナメントサバイバル大会1回戦 74点〇 No.211 1984年5月19日放送)

ゾウ「ピンナップのゾウです」
リス「リスです」
ゾウ「失礼な名前やと思いません(と怒る)」
リス「いきなり何怒ってんの」
ゾウ「ゾウですよ、ゾウ」
リス「かわいらしいやないの、ねえ?」
ゾウ「ゾウ知ってはります?」
リス「当たり前や、そんなの」
ゾウ「あんなのどこが可愛いねん、あんた」
リス「あんたにピッタリやないの」
ゾウ「会社も会社や。何考えてつけてんの」
リス「付けてくれはったんやないの」
ゾウ「女の子ですよ」
リス「わかってる」
ゾウ「これから売り出すんですよ」
リス「そうや」
ゾウ「そのタレントにゾウって芸名つける会社あるか」
リス「あんたを見てつけてくれはったんやないの」
ゾウ「(相手の方をたたきながら)余計失礼やないか」
リス「そうか」
ゾウ「そんな、女の子みて、この子ゾウに似てるわ、って思う人いるか」
リス「思ってはるで、きっと」
ゾウ「思うか!」
リス「そうか?」
ゾウ「こんな名前、私嫌やと言ったんです」
リス「言うた?」
ゾウ「そうしたら、会社の人も考えてくれてね。わかった、そしたらお前に好きな名前を付けさせてやろう」
リス「なるほど、付けさせてあげよう、と」
ゾウ「三つ候補あげるから、好きなのを選びなさい、と」
リス「三つね」
ゾウ「まず、ゾウね」
リス「ゾウ」
ゾウ「トド、サイ。んなもん、選べます?」
リス「あんま変わらへんね」
ゾウ「失礼やわ、ホンマに。こんな名前つけられたら、親にも言えませんよ」
リス「親に言うてへんの?」
ゾウ「内緒やないか」
リス「お父さんとお母さんに言いましたら、リスちゃんってかわいらしい名前やないかって喜んでくれましてね」
ゾウ「あんたはええよね」
リス「ええよ」
ゾウ「私はどないすんのよ」
リス「言うたらええややないの」
ゾウ「そんなん、言えます?」
リス「言えないの?」
ゾウ「家帰ったらね、お母さんにやっと芸名決まった、ゾウ」
リス「喜んでくれはるって」
ゾウ「今はいいよ、まだ」
リス「ほう」
ゾウ「こんな名前で、ボーっと売れたらどないなんの」
リス「売れたいわね」
ゾウ「街歩いている人が見て、あそこ歩いているのピンナップのリスさんやないか? サインしてもらお、って言われたら可愛らしいやないか」
リス「サイン、考えているの」
ゾウ「考えんなや」
リス「リスちゃんって書いて、リスのハンコ押すんですよ。欲しい人言ってきてくださいね、サイン上げますから」
ゾウ「いらんわ」
リス「痛いな、耳が、あんたは」
ゾウ「あたしなんか、どないすんのよ」
リス「何やの」
ゾウ「うわーっと人混みの中歩いてでやね」
リス「歩いてて」
ゾウ「ちょっと見てみい。ピンナップのゾウやんか」
リス「ゾウ」
ゾウ「呼んだれ、呼んだれ」
二人「ゾウさーん」
ゾウ「(右手を大きく上に上げながら)パオーン……ってなるやないの!」
リス「病気か、あんたは」
ゾウ「ギャグや」
リス「ギャグを説明してどないすんの」
ゾウ「ギャグやないか」
リス「呆気に取られてるやないの」
ゾウ「すいません、ゾウさん。サインしてくださいって色紙持ってきてみい」
リス「ほう」
ゾウ「ゾウの足型押して返すしかしゃないやないの」
リス「いいやないの、ゾウの足してんやから」
ゾウ「誰がゾウの足してんの」
リス「女の子の足のサイズで、24.5ですよ」
ゾウ「普通サイズですやんね」
リス「普通サイズか?」
ゾウ「最近の子は成長が早いの」
リス「まあね」
ゾウ「寝てる間に2m、3mって大きくなるの」
リス「大きくならへんわ、そんなに」
ゾウ「まあ、女の子やったら26」
リス「にじゅうろく!」
ゾウ「男の子やったら3mぐらい履くがな」
リス「恐竜の足やないか。履くか、そんな」
ゾウ「履くわ」
リス「でもせっかくこうやって名前もらったんだから頑張らないとあかんわ。私たち漫才始めて半年なんですよ」
ゾウ「その割に老けているでしょ」
リス「言わなかったらわからへんでしょ」
ゾウ「見てたらわかるやないの(と大きく振りかぶって指をさす)」
リス「なんやねん、その指が太いの」
ゾウ「あんたが前髪で隠しているしわ」
リス「やかましいやないの」
ゾウ「見てたらわかるやないの」
リス「人のことが言えるか、あんたに」
ゾウ「今日はね、あんたが漫才をやる前にやっていた仕事を私が当てて見せよう」
リス「わかるか?」
ゾウ「まかせてよ」
リス「だったら当ててみせてよ」
ゾウ「あんたは、子守倉庫(?)や」
リス「私はおしんか」
ゾウ「互助会の砂吹き(?)」
リス「どっからそんな職業が出てくんの」
ゾウ「わかった」
リス「なんや」
ゾウ「洗濯板やな」
リス「どんな職業や」
ゾウ「最近見かけはんなと思ったら、こんなところで漫才やってたんか」
リス「誰がやねん」
ゾウ「私なんかね。漫才辞めても溢れる才能がありますからね」
リス「この人、ホンマ、なんでもできますよ」
ゾウ「何でもできますよ」
リス「フグの代わりができますからね」
ゾウ「何やねん、それ」
リス「フグの代わりに提灯としてぶら下がってんの」
ゾウ「アホ!」
リス「強烈やないか」
ゾウ「物事はよく考えてから言いなさいよ」
リス「考えているやないの」
ゾウ「私よ、ぶら下がるの」
リス「そうや」
ゾウ「店先ぶら下がってみい」
リス「はい」
ゾウ「屋根が落ちるやないの」
リス「あんたはマッコウクジラか」
ゾウ「それは失礼やわ」
リス「でっかいやないの」
ゾウ「女の子にマッコウクジラって」
リス「もうやめたら。そんな言うなら」
ゾウ「なんであんたにそんなぐちゅぐちゅ言われなあかんの」
リス「(クル〇ルパーのサインを出す)」
ゾウ「あんたなんか、漫才辞めたら仕事ないよ、ホンマに」
リス「私、ありますよ」
ゾウ「何言うてますの、貧弱な体してるでしょ」
リス「どの辺が貧弱なの」
ゾウ「あんた、力なさすぎでしょ」
リス「私、こう見えるけれど、力あるんです」
ゾウ「ほんまやな」
リス「任せてください」
ゾウ「力あんねんな」
リス「あるよ」
ゾウ「ツルハシ持てる?」
リス「ツルハシ?」
ゾウ「リヤカー引っ張れるのか?」
リス「リヤカー?」
ゾウ「何か、ダンプの免許持ってんのかいな」
リス「そんなの持ってて、何の役に立つの」
ゾウ「花嫁道具の一つやないの」
リス「どこへ嫁行くのよ、そんなもんもって」
ゾウ「どこでも行けばいいやないの」
リス「自分がフォローできんこと、言いなさんな」
ゾウ「あんたの仕事考えたるわ」
リス「私の仕事考えてくれるの?」
ゾウ「あんたにしかできん仕事、考えた」
リス「私にしかできない仕事?」
ゾウ「そのガリっとした肩に合った仕事を考えたやないの」
リス「このガリっとした肩に?」
ゾウ「そうそうそう」
リス「どんな仕事や」
ゾウ「洋服屋のハンガー」
リス「もうええわ」
二人「どうもありがとうございました」

 声がキンキンしているのでしゃべり方を研究してほしい、もうちょっと品のいいネタを選んだ方がいい、たたくところがわざとらしいとの評価はあったが、ゾウさんの声はメリハリが聞いているとの声もあり。74点だったが、もっと点の低い2組がいたため、1回戦突破。
エピソード
 「テレビ演芸」では、大島渚にひどく嫌われる。ピンクの電話以前の凄い声を売りにしていた記憶がある。
 「テレビ演芸」では2週。大島渚に嫌われて3週ならず。横山やすし師匠に芸名の事でよく注意されて、改名をせまられていた。人名でない芸名のはしりで、個人の芸名もリスとゾウでした。
 ある日の新大阪駅の改札で、キップを買おうとしていた笑福亭鶴瓶さんに向かって、とあるご婦人が語りかけたそうです。
 「鶴瓶さん、鶴瓶さん、いつも姪がお世話になっています!」
 「ああ、どうも、どうも…姪?、あのォ、どちらさんでしょうか?」
 「申し遅れました、私、ゾウの叔母です…」
感 想
 ネタはともかく声がうるさかった。駄洒落がギャグの大半を占めていたので、それが映画界の駄洒落王、大島渚を怒らせた原因かも。
その後・現在
 不明。
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