鳳啓介

 1923年大阪生まれ。3歳の時から旅回りの舞台にでていた。1956年、京唄子と漫才コンビを結成。「エロガッパ!」「ポテチン」などのフレーズは流行語になった。また「エーッ、鳳啓助でございます」の挨拶は、ものまねネタとして長く使われた。1970年には唄啓劇団を旗揚げ。志織慶太名義で芝居の脚本を執筆した。
 京唄子とはコンビ結成後に結婚するも、1965年に離婚。しかし、1969年から始まったテレビ番組『唄子・啓助のおもろい夫婦』は20年近く続く長寿番組となった。1994年、死亡。71歳没。
 『お笑いスター誕生!!』には、京唄子とともに第1回から番組最後まで審査員として出演。審査基準項目を使った「明るさ○、音楽性△~」などの評を時々していた。漫才の台本も書いていたか、そういう視点での厳しい評も多かった。
 特番では、ハワイで行われた4回目の結婚式も放映されている。映像放映後に、隣にいた京唄子が突っ込むのは、お約束である。

 唄子・啓助さんは、舞台出演か海外ロケかで、1980年5月24日~7月12日の期間、長期欠席していた筈です。7月5日はB&Bのグランプリ週ですが、この時の最初の講評はかなり年輩の漫才師(おそらくWけんじのどちらか?)の「いやあB&Bも人の子だね」(かなり緊張していたということ)で始まったことをはっきり記憶しています。5月24日からという根拠は、8月2日の受賞者大会の時、唄子・啓助さんがミスター梅介の芸を見るのは初めて、と言っていたからです。そのとき、その理由を言っていたのですが、それが舞台出演か海外ロケかがどうしても思い出せない……。