『お笑いスター誕生!!』 名鑑【さ】


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名 前
酒井くにお・とおる
初出場
 1981年3月7日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 7週勝ち抜き、銀賞獲得。
 第2回ゴールデンルーキー賞<決戦シリーズ>進出。
ジャンル
 漫才、コント。
プロフィール
 酒井くにお:本名酒井国夫。1951年5月3日生。岩手県出身。
 酒井とおる:本名酒井幹男。1953年5月12日生。岩手県出身。
 あまり似ていませんが、二人は兄弟です。
 くにおはコンビを組む前に東京でさがみ良太に師事。友人と「コント・コマーシャル」を組んで、ストリップ劇場に出演していた。
 とおるが上京した1970年、二人で改めてさがみ三太・良太に入門。『コント・コマーシャル」の名前で、浅草松竹演芸場でデビュー。1974年、来阪し、吉本興業に入るも、コントが全く受けずに漫才転向。吉本から契約解除された1975年、松竹芸能に所属。
ネ タ
 漫才をやるときは、くにおによる「とおーるちゃん」という甲高い声で合いの手を入れていました。時々返しで「くにおちゃん」というのもあります。
 コントをやるときは、くにおが和服を着て女装するおかまコントが定番ネタでした。
(多分1週目? 彼らの初期の代表的な漫才)

くにお:大阪・難波の地下鉄の駅でいいお仕事見付けてきたわよ、とおるちゃん。
とおる:どんな仕事よ!
くにお:地下鉄にね、切符の自動販売機があるでしょ。
とおる:ああ、ありますなあ。
くにお:自動販売機に百円入れて、八十円とこ押すとチャリンチャリンって、二十円、お釣りが出てくるでしょ。
とおる:そら出てくるわ。
くにお:やられたわ、とおるちゃん!
とおる:何を?
くにお:四十五、六のおとっつあんが、ボクちゃんに向かっていきなり「十円くんない?」こうよ。
とおる:そんなもん断わりゃいいじゃねえか。小銭がないとか何とか言って……。
くにお:それが断れないのよね。おつりがチャリンチャリンって出てきたところに「十円くれない?」だもの。タイミングがいいのよ。ついやっちゃったわよ。
とおる:そんな十円ぽっち集めたって……。
くにお:アホが! 十円を馬鹿にしとるわ。この人、自動販売機のそばにいて、みんなにやっとんの。
とおる:そんなもん、十人いても百円や。
くにお:その人は五秒で十円もらってんですよ。
とおる:五秒で? 取れるわけがない。
くにお:じゃあ計ってちょうだい、五秒間よ。
とおる:それじゃやってみよう。容易、ドン!
くにお:十円ちょうだい。崩れたんでいいから十円ちょうだい。一つでいいから十円ちょうだい。半端でいいから十円ちょうだい。ね、頼むから十円ちょうだい。帰りの電車賃ないから十円ちょうだい。
とおる:ストップ!! お前、しゃべれるもんだねえ。
くにお:それはどうでもいいから、ちょっと考えてちょうだい。五秒で十円よ。
とおる:うん。
くにお:五十秒でいくら?
とおる:百円だわな。
くにお:五十秒ではお客さん計算しにくいから一分に百円として、これを一時間やってごらん。
とおる:一時間というと六十分だから……。
くにお:六千円でしょ。それを八時間労働やってごらん。
とおる:ロクハ、シジュウハチ。四億八千万! 十円玉どうやって持って帰るねん? 誰か運送屋頼まなくちゃ……。
くにお:バカッ、四万八千円でしょ! これを二日間やるわけよ。
とおる:二日ってことは四十八に二かけて……。
くにお:んもう、遅いんだから! ヨン・パーの次はクンロクよ。
とおる:何の計算や!
くにお:おマージャン!
とおる:ほうっ、自動販売機の前で、二日で九万六千円ねえ。
くにお:十円ちょうだい。一つでいいから十円ちょうだい。ひんまがったのでいいから十円ちょうだい。頼むから十円ちょうだい。お願いだから十円ちょうだい。
とおる:……。おまえはできるわなあ、羞恥心ないからなあ。駅には人がいっぱいいるんだよ。
くにお:当たり前じゃ。誰もいないところでやったらアホやないか。
とおる:じゃボクもやってみよか。
くにお:お金のためなのよ、とおるちゃん。
とおる:よしっ! 十円ちょうだい。錆びた十円ちょうだい。曲がったんでいいから十円ちょうだい。腐ったんでいいから、ちょうだい。
くにお:でたらめ言うたらいかんわ。
とおる:何が?
くにお:腐った十円て見たことあるか? 十円玉、冷蔵庫に入れるのか、アホ!
とおる:いいじゃないの。こんなもん恥ずかしくて、やるやつおらんわ!
くにお:だめねえ。恥ずかしいと思ったら何も出来ないのよ。じゃあお酒飲んでやったら?
とおる:(酔っぱらって)さびたんでいいから十円くれや!
くにお:なかんかいいよ、とおるちゃん。気の弱い人やったら財布ごとくれるわ。
とおる:そうか。おい、兄ちゃん! 十円出せ!
くにお:それやったら恐喝や。これはだめ、お巡りさん許してくれない。
とおる:なるほど。じゃ、かわいい感じて……。(オカマっぽく)ねえ、そこのお兄さん、帰るお金がないから、十円くんない?
くにお:お前、どっか具合悪いんか! ちゃんと働け! お前みたいなのがいるから日本の国が平和にならんのよ!(と、とおるをドツキまくる)
とおる:お前が言いだしたんやないか、これは。
(多分4週目)

 ネタの最中に「ミラーマン」の歌を振付けつきで披露していた。
(多分5週目)

くにお:和服姿でとおるの婚約者
とおる:ジャージ姿でバレーボールのコーチ?

とおる「いきなりバレーボールをやると身体壊しますからね」
くにお「それは言えるわね」
とおる「準備体操しましょう」
くにお「準備体操! くにこ頑張るわ」
二人で右手を斜め上に振る(かち上げみたいな感じ)ポーズ(この週のネタ)で「うー!」
とおる「はよ行け。馬跳びするから、馬になれ」
くにお「(首を振りながら)ヒヒーン(思わず自分で笑ってしまう)」
とおる「自分でやってて恥ずかしくなかったか」
くにお「少し恥ずかしかったわ」
とおる「馬というのは(かがみながら)こうやって」
くにお「思い出したわ。小さいころやったことあるの。くにこ、頑張る。(ポーズを付けながら)うー!」
とおる「行くよ」
 とおる、助走を付けて飛ぼうとするが、飛ぶ瞬間、くにおが立ちあがってしまう。とおる、頭を超えて飛んで転げ落ちそうになり、くにおの鬘が取れそうになって慌てて直す。
とおる「何で立ちあがるんだ」
くにお「今わかったわ、婚約者の気持ち!」
とおる「なんだ、婚約者の気持ちって」
くにお「飛びつくほどくにこが好きなんだって(と上目づかいの気持ち悪い顔で首を突き出しながらとおるに迫る)」
とおる「(後ずさりしながら)いらん、いらん、いらん。何があってもいらんわ。いいか、お前。女だから立つな」
くにお「わかりましたわ。(ポーズを付けながら)うー!」
 くにお、笑っている客席を思わず見てしまう。カメラ、若い女性をアップで撮る(みんなわかるんかい、このネタの意味)。
 くにお、華麗に馬跳びを決める。
くにお「まあ、素敵、婚約者。うー!」
とおる「よし、お前やってみよう」
くにお「えっ」
とおる「お前」
くにお「お着物よ」
とおる「身軽な服装して来いって言っただろう」
くにお「だって、あたしあなたの婚約者になってから着物ばかりよ。スカートはいたことないわよ」
とおる「なんで」
くにお「スカートはいたら、脚に毛脛びっしり」
とおる「いいから、それでやってみろ」
くにお「やってみるわ。あなたのためですもの。うー!」
とおる「勢い付けて来いよ」
 くにお、馬跳びに見事に成功。
(当時の18番コント)
 くにおが女装芸者姿の踊りの師匠、とおるに踊りの手ほどきをする。
 色々おかしなあて振りをするが、コントが進行するうちに、とおるがくにおの背中を踏みつけながら、舞台狭しと駆け回る。
 最後はとおるがくにおの足の部分を抱え、くにおが飛行機の姿で手を広げ、決めのポーズ。
(ゴールデンルーキー賞)

 芸者の格好をして、ローラースケートをはいてやったコント。ゴールデンルーキー賞でネタが無くなり、とおるに何を言われても「あーあーあーあー(ドミソド)」と返すだけのコント?で大爆笑を取った。
(ゴールデンルーキー賞)

 和服を着たお母さんと、子供のコント。算数の宿題で、距離と時間と速さの関係がよく分からず、お母さんに実際に舞台を走り回ってもらい、速さを計ろうというもの。途中でくにおが「とおるちゃん、こんな事やっても、何にも分からないし、無駄だと思うのよね」と言うぐらい、舞台をドタバタ走り回るだけだった。その後、京唄子に、「本当に無駄だったわね」と言われていた。
くにお・・・お宮
とおる・・・貫一   ・・・つまり「金色夜叉」の設定
 貫一(とおる)がお宮(くにお)のもとから去りたいのに、いう事を聞かないお宮に対してド突き倒したり、顔を蹴ったり、それでもお宮はしつこくまとわりついていた。
 とにかく体を張ったコントをやっていた。
漫才 in 浪花座

 5年程前のネタですが その当時と同じような内容の漫才をやっていました。

とおる 「あの〜(我々は)出身が岩手県ちゅうとこでねぇ・・・」
くにお 「ま〜〜ぁ よくわかっているわん とおるちゃん!!」
とおる 「まあ 岩手県ではねぇ 「千昌夫」 に次ぐスターなんでございますよ!」
くにお 「ぃゃ嘘つかないほうがいいわ とおるちゃん!!」
とおる 「なんでやねん?」
くにお 「「新沼謙治」にだいぶ前に抜かれたでしょ とおるちゃん!!」
とおる 「これでも我々はたまに里帰りとかするんでございますよ」
くにお 「そうよ そうよぉ〜 ココ大阪ではまだまだ売れてないけど、
      地元じゃアタシ達スーパースターなのよぉ〜(誇らしげ)」
とおる 「我々が岩手県まで汽車に乗って、ホームに降り立ったら」
くにお 「(我々を歓迎してか・・・)花火が・・・」
2人  「ドド〜〜〜〜〜ンと・・・」
とおる 「・・・その近くで丁度花火大会が開催されてましてねぇ」
くにお 「余計なこと言わんでエエわい!!」
とおる 「そんなことないわ くにおちゃん!!」
     (今度は逆に「オカマ言葉」を使い出す)
くにお 「オカマ漫才か!! バカタレが」
     (自分の事を棚に上げて 急に素に戻り とおるの頬をひっぱたく)
とおる 「お前にあわせて喋っとるんじゃ!!」 
くにお 「お客さん 嫌がるでしょ んもぅ〜〜 わかんない とおるちゃん!! いぃ〜〜〜っ!!」
     (最後に手のひらを組んで、片足を上げて、奇声を上げる)
(No.175爆笑オンステージ)

 久しぶりの登場なので、とおるちゃんを連発。
とおる「こんな漫才をやっているから何か関係があるんじゃないかと言われるが、実は兄弟なんです。私が弟で」
くにお「私が姉よ」
とおる「そんなバカなことを言っているから、間違われるんじゃ」
 テレビが好きかという話になって、「蒸発追跡」という番組をやることに。司会がとおる、依頼者がくにお。くにおはなぜか日舞を踊りながらしゃべる。
 訴えかけるくにおだが、客に「気持ち悪い」と言われ、「こっちもじゃ」と客いじり。さらにくにおが歌いだそうとしたら、とおるが平手で止める。
 続いて訴えかけるが、なぜか松山千春の「恋」を歌いだし、とおるに止められる。さらに「花街の母」も歌いだし、とおるがため口で怒り出す。
 途中、ボケをはさみながら、蒸発した妻を呼び出そうとするが、なぜか「純子〜」。純子はとおるの嫁の名前、でくにおは本当に美しい、夜空の星のよう、昼間は見られない、というボケをかます。
 最後「くまこ、くまこ、帰って来い。帰ってこ〜いよ〜(「帰ってこいよ」)」と歌いだし、とおるが「病院に帰れ」と言って退場。
エピソード
 先日、酒井くにお・とおるが関西ローカルの番組(それは『怪傑えみちゃんねる』でせうか)にゲストで出演しておりました。お笑いスター誕生に出演した話になり、タモリに「華がない、ネタに中身がない」と酷評され、くにおが「あんたに言われたくないわ!」と舞台でキレたと話していました。
 たしか「マンネリだ」といわれ京唄子のような芸人に言われるならまだしも傍観者に言われたくないといったニュアンスだったような。自分でも、ある意味でのマンネリの極致を狙っていたのでわかっていない人には、言われたくなかったとも言ってました。
感 想
 結構面白かったのですが、いかにも関西人の漫才だなというイメージがありました。コントの方は、不条理感が漂っていて、ちょっと不気味な面白さがありました。
受賞歴
 1977年 第7回NHK上方漫才コンテスト優秀敢闘賞受賞
 1994年 第29回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1995年 第24回上方お笑い大賞金賞受賞
 1996年 第25回上方お笑い大賞金賞受賞
 1997年 第32回上方漫才大賞大賞受賞
その後・現在
 現在も関西で頑張っています。ただ、もう女装ネタ、おかまネタはやらないとか。現在はとおるの「ここで笑わないともう後、笑うとこ、ないよ」などの自虐ギャグが人気。
 劇団やみなべを運営していた。
 2015年11月27日、大阪・ミナミの「道頓堀角座」でデビュー45周年記念公演をおこなった。「刺激のある日」など2題の漫才を演じ、トークショーで45年を振り返り、くにおは日本舞踊、とおるはギターの弾き語りを披露した。お笑いスタ誕時代の話も出て、審査員のタモリに「マンネリ」と酷評されたことに、くにおが激怒し翌週の出演を辞退(実際は辞退していない)。くにおは「若気の至り。タモリさんからは、その後ご丁寧に電話をいただきました」と、当時を懐かしんでいた。
 所属する松竹芸能のオフィシャルサイト、松竹芸能 オフィシャルサイト内のタレントプロフィールに経歴等が載っています。
 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ「アラ還ブログ」があります。酒井くにお・とおる、横山たかし・ひろし海原はるか・かなたによる癒し系ブログです。海原はるか師匠の書き込みが圧倒的です。
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名 前
ザ・バッテリー
初出場
 1982年3月13日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 7週勝ち抜き、銀賞獲得。
 サバイバルシリーズ1回戦負け。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 ピッチ:本名伊藤史剛。1960年10月22日生。大阪市出身。
 キャッチ:本名乙川徹。1960年6月4日生。大阪市出身。
 1980年9月結成。高校時代の同級生。
 学生漫才協会なるものがあり、そこに所属していました。アマチュア挑戦。
ネ タ
 好きだったネタに、「ウイリアムテルやろ。りんごの上に頭を乗せて」「ちゃうねん。頭の下にりんごをのせんねん」「一緒やー」というものがありました。
(勝ち抜き戦のときのネタ)
なぜか2人で笠置シヅ子の「東京ブギウギ」を歌う事に
♪東京ブギウギ、リズムウキウキ、心ズキズキワクワク〜(テンション高く)
と、ぅ、き、ょ、ブ、ギ、ウ、ギ、わぉ……(段々声が小さくなる)
キャッチ「中尾ミエさんっていったら代表的な曲があるよね」
ピッチ「「可愛いベイビー」だ!!」
キャッチ「そうそう、「可愛いベイビー」って言ったらこんな曲ですよね。……♪可愛いベイビー」
ピッチ「ハイハイ」
キャッチ「♪可愛いベイビー」
ピッチ「ハイハイ」
キャッチ「♪可愛いベイビー」
ピッチ「ハイハイ」
キャッチ「♪可愛いベイビー」
ピッチ「ハイハイ」
キャッチ「♪可愛……」
ピッチ「しつこいわ! お前そこしか知らんのか!?」

 場内大爆笑だった。
 ネタが終わり審査に移った時、いつもならば審査に個人的な意見を取り入れてはいけないのだが、この週、中尾ミエが珍しく(もちろん本人はご満悦だったから……)
「ザ・バッテリーは今回よかったですよねぇ。審査員の皆さん?」
と自分のネタで場内がウケていたので、バッテリーのネタを高く評価していたのを覚えている。
 5週目再チャレンジでシュークリームの話が出た時に、すかさずアドリブで同じ週にシュークリームを食べるネタをやって落ちた歌メリ・マリのことをとりあげて、銀賞獲得しました。
(金賞不合格ネタ ダイジェスト)
 キャッチがいい加減なやつだという話。遅刻ばかりするという話から、キャッチは経済の問題なら強いという話へ。
ピッチ「GNPって何や」
キャッチ「GNP。がんばれ、日産、パルサ」
ピッチ「国民総生産や。じゃあECは?」
キャッチ「ええ子や」
ピッチ「違う、ヨーロッパ共同体や」
キャッチ「ちょっと待て、日本史なら得意だ、日本史なら」
ピッチ「じゃあ、1192年は何の年?」
キャッチ「1192年……戌年」
ピッチ「知るか! 何が起こったか答えや」
キャッチ「1192年……戌年」
ピッチ「だから戌年から離れや。いい国作ろう、鎌倉幕府や。じゃあ次、鳴くよウグイスは?」
キャッチ「鳴くよウグイス……ホーホケキョ」
ピッチ「違うわ、鳴くよウグイス、平安京や」
キャッチ「ああ、平安さんという坊さんがウグイスを鳴かすんか」
ピッチ「なんで平安さんが出てくるんや。平安京ができた年や」
キャッチ「じゃあ、お前見たんか! 平安さんが平安京を作るところを」
ピッチ「平安さんじゃない!」

 その後、二人はタイムマシンに乗って過去へ。明治時代、大正時代と来て、最後は平安時代へ。清少納言からサインをもらおうとして、名乗る名前が平安さんというオチ。

 途中のネタは面白かったが、最初の方が弱すぎた。
エピソード
 登場するときは「ピッチ君でーす」「キャッチ君でーす」と言っていた。
 その当時、お笑いスター誕生の新戦力として活躍していた人たちの自己紹介をしていた時、B&Bの島田洋七に「お前ら、どっちが「バッ」でどっちが「テリー」や!!」と突っ込まれていた。
 笑ルームの浩二とザ・バッテリーのキャッチは1983年当時、同じ町内会だった。
感 想
 スピーディーで生きのいい漫才でした。学生っぽさが抜けていませんでしたが。オープントーナメントサバイバルシリーズに出る頃は既にプロとなっていましたが、全部1回戦負け。正直言って、プロとして残れるとは当時思いませんでした。
受賞歴
 1983年 第14回NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞。
その後・現在
 ドラマ『新123と45ロク』の'89年11月24日放送の第32話「遠くへ行きたい!」で、「ザ・バッテリー」のキャッチが酔っ払いの役で30秒ほど出演。そのときのクレジットは「ザ・バッテリ(「ー」は無し)・キャッチ」となっていたので、「若井りき・ゆうき」への改名はそれ以降だと思われます。
 1995年に若井はやと率いる若井一門に入り、若井りき・ゆうきと名前を変える。現在も活躍中。
 所属するケーエープロダクションのオフィシャルサイト内に、タレントプロフィール等が載っています。
 基本的には大きな方のキャッチくん(若井りき)がボケて、ピッチくん(若井ゆうき)が突っ込み。浪花座に出るようになって、若井一門に入ったみたいですね。
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名 前
ザ・ホープ
初出場
 1981年2月7日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 ホープとしゆきとホープえいいちの兄弟漫才コンビ。東京都出身。アマチュア挑戦。
ネ タ
 おぼろげな記憶なのですが、弟が兄貴を「さすが兄ちゃん頭良いね」と誉めてる割りには、客観的に見るとどちらも頭が悪く見える。
感 想
 内容からも、こりゃ駄目だろうなと思っていたら、1週目も不合格でした。
その後・現在
 彼らは「お笑いスタ誕」出場当時はアマチュアで、兄貴は魚屋、弟はスナックでアルバイトをしてました。「お笑いスタ誕」では全然おもんなかったので1週落ちでしたが、その後『笑ってる場合ですよ』の「君こそスターだ」に出場し、たいしておもんなかったのですが3回勝ち抜き、チャンピオン大会でどっかの芸能プロにスカウトされ、その場でプロ入りを表明してたのを覚えています。ただ次のチャンピオン大会で、その芸能プロのスカウトマンが「ホープ採らなきゃよかった」と後悔してたのも覚えています。今頃どうしてるんでしょうかねえ。ご存知の方、情報下さいませ。
 その後、プロとして活動していましたが、すぐに引退したものと思われます。
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名 前
ザ.ポテト
初出場
 1983年9月17日(第3期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 うのっちょ:本名宇野栄二。1959年7月30日生。愛媛県出身。
 いのっちょ:本名藤原桂造。1958年5月24日生。兵庫県出身。
 うのっちょはチャンバラトリオに所属していたゆうき哲也の弟子。いのっちょはNSC1期生。

 青野・宇野のコンビ(コンビ名なし)でTVジョッキーチャンピョンになる。解散後、うのっちょ・いのっちょの名前で原・宇野コンビになり、サドンデスやお笑い君スタに出てました。1982年結成?
ネ タ
(1週目不合格)

 戸塚ヨットスクールの卒業生です、という挨拶小ネタを挟み、戸塚ヨットスクールの話。しごきを撮っているカメラマンに、撮っている暇があったら助けたれよ。
 戸塚ヨットスクールの校長が、警察にとっ捕まったよ(しかし、うけない)。
 漫才だったら明るい話をしないと、といって、ナショナル何とかライトという小ネタを挟み、明るい話題を話せよといったら、新しい漫才をしなければいけない、お客さんの状態を見て、泣かせる漫才をするとか、怒らせる漫才とかね。「お怒りスター誕生」。
 お怒り漫談と言って、漫談ネタを披露。
 次に相方を笑わせる、と言って謎解き(このネタが古かった)をやって相方だけ笑うが、客が笑わない。
 次に自分だけネタを言って、自分だけ笑って、自給自足の漫才だ、というが、やっぱり客は笑わない。

 アマチュアで1年やっていたと自己紹介。話すたびにうのっちょがネクタイばかり触って気になった、無駄な動きだ、楽しそうに全くやっていない、いのっちょがグニャグニャ動いている、などと散々な評価。
エピソード
 宇野さんの初代&三代目の相方、青野敏行さんは放送作家&新喜劇で頑張ってます。『TVジョッキー』のザ・チャレンジの三代目グランドチャンピオンが青野・宇野コンビ。得意ネタは青野さんの竹村健一の物まね。とんねるずに決勝で惜敗。
感 想
 初めは本当につまらなかったです。客が笑うだろうという自己満足しか見られなかった。
受賞歴
 1987年 第17回NHK上方漫才コンテスト優秀賞(ポテトフライとして)
その後・現在
 コンビとしては、1986年?に解散。うのっちょは名前を宇野ポテトに変え、相方を元(青木敏行)に戻してポテトフライとして吉本入り。その後、吉本を離れて活動。地方局のカラオケ番組司会をしていた。
 いのっちょは名前を原SHOW太に変えた。
 大阪や神戸で小さなライブを開いて活動中だが、週2回のバイク便仕事で食いつないでいるらしい。
 JR大阪駅前の歩道橋で、競走馬のぬいぐるみを背負い、ハンドマイクで街角実況を行っている。夢は「街角実況シリーズをDVDに」「関西の古舘伊知郎に」ということ。
(大阪日刊スポーツ 2002年11月15日記事より抜粋)
(2003年3月時点)
 一ヶ月以上前の話になってしまうんですけど、ザ・ポテト二代目相方の原SHOW太さんが「銭形金太郎」という貧乏自慢の番組に「40歳を過ぎてアナウンサーを目指す実況オジサン」という肩書きで出演していました。
 それと先週大阪・梅田の歩道橋で原SHOW太さんがストリート実況ライブなるものをやっていたのですが、お客さんから100円をもらって歩道橋の下にいる人達が歩いている様子を実況していました。
 大阪で国際マラソンなどが開催される時は沿道で勝手に実況しているそうです。
 宇野ポテトはVシネマ「難波金融伝・ミナミの帝王」シリーズで方言指導を担当するとともに、端役として出演していた。本人のツイッター(@potatouno278365)によると、2013年現在は愛媛県今治市在住。「元芸人」と書いているので、引退した模様。
 原SHOW太はピン芸人として活動。別名「馬おじさん」。R-1グランプリにも挑戦している。2008年、NSCの同期であるピン芸人クリスタル大坪と「おじさんブラザーズ」を組んで、M-1グランプリに挑戦したが、1回戦で敗退。
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名 前
サムライ日本
初出場
 1980年4月12日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 3週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 殺陣コント。
プロフィール
 花村多賀至(リーダー)、池島美樹、及川のび太(のび太そっくり)の殺陣コント。1970年結成。花村、池島は結成メンバー。及川はクレイジーキャッツの付き人をした後、参加。花村はもともと長谷川一夫劇団出身。
 池島は、かつてJFA(ジャパンファイティングアクターズ)という団体に所属しており、ウルトラセブンに登場したガッツ星人やゴース星人の着ぐるみに入っていた。
 お笑いスタ誕登場時は、花村、池島、もう一人が不明。
ネ タ
 忍者同士の訓練。リーダーが弟子二人に訓練を付けるのだが、のび太は失敗ばかり。怒ったリーダーはついに鎖鎌(玉の部分はスポンジ)を取り出し、荒れ狂う。すると池島も鎖鎌を取り出す。玉はリーダーより大きい。最後にはのび太がでかい鎖鎌を取り出し、二人をやっつけるが、鎖が体に絡まって、自分も玉にぶち当たる(『笑点』で見ましたが、お笑いスタ誕でもやっていたようです)。
 『居合い抜き指南』『殺陣黒田節』『くさり鎌』が代表作。
エピソード
 第1回出場。
感 想
 安心して笑える3人組です。しかし、これだけのベテランがなぜ『お笑いスター誕生!!』に出たんだろう?
その後・現在
 現在も演芸場、寄席、テレビ等で活躍。チャンバラ教室も開催し、既に10年以上。

 所属する人力舎のオフィシャルサイト、プロダクション人力舎オフィシャルホームページ内のタレントプロフィールに経歴等が載っています。東京演芸協会協会員。花村は常任理事、及川は理事。
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