ノンフィクションで見る戦後犯罪史
【2011~2015年】(平成23~平成27年)



【2011年】(平成23年)

日 付事 件
4/18 概 要 <鹿沼クレーン車暴走事故>
 2011年4月18日午前7時45分ごろ、栃木県鹿沼市の国道293号線で、集団登校中の小学生の列に12tラフタークレーンが突っ込み、小学4~6年だった男児5人と女児1人の計6人が死亡した。
 ラフタークレーンの運転手の男性(当時26)はてんかんの持病があり、運転当時、てんかんの発作で意識を失っていた。男性は原付免許取得後2度、普通運転免許取得後5度、大型特殊免許取得後5度と、今回の事故までに12度の事故を起こしている。特に2008年4月、普通車で走行中てんかん発作を起こし、歩行者(当時10)と衝突して3ヶ月の重傷を負わせた。このときは居眠り運転とし判断され、12月に禁固1年4月執行猶予4年の判決を言い渡されており、今回の事故は執行猶予中だった。
 男性は危険運転致死の適応が検討されたものの、自動車運転過失致死で起訴された。宇都宮地裁は12月19日、男性が事故前夜に発作を抑える薬を飲まなかったことや睡眠不足などが原因と認定し、自動車運転過失致死罪では最高刑の懲役7年を言い渡した。控訴せず、判決は確定した。
 児童の親族は、男性、同居している男性の母親、勤務先に対し3億7,770万円の損害賠償を求めて提訴した。2013年4月24日、宇都宮地裁は3社が連帯して、児童の親11人に計約1億2,500万円を支払うよう命じた。てんかんの持病のある運転手が事故を起こすのを予見できたのに止めなかったとし、母親の違法性を認めた。勤務先にも使用者責任があるとした。成人の母親に賠償の連帯責任を認める司法判断は異例。児童の祖父母や兄弟姉妹の請求は棄却した。遺族側は、刑事裁判では問われなかった危険運転致死罪と「同等の悪質さ」を理由に、犠牲になった児童本人分の慰謝料は「通例の2倍」(遺族側)に当たる5,000万円で請求。判決は「元運転手の行為は重大・悪質で強い非難に値する」と述べたが、認定額は2,600万円にとどめた。被告側は控訴せず、確定した。
 遺族は量刑の軽さを不服として、法整備を求める署名活動を2011年12月に開始。約20万人分を集め、2012年4月と8月に国へ提出した。
 2013年6月7日、車の運転に支障を及ぼす可能性のある病状を申告せずに、免許を取得・更新した場合の罰則新設などを柱とする改正道交法が、衆院本会議で可決、成立した。悪質な自転車運転や無免許運転の罰則強化も盛り込まれ、公布後半年~2年以内に順次施行される。
 同年11月20日、悪質運転による死傷事故の罰則を強化する新法「自動車運転死傷行為処罰法」が、参院本会議で全会一致により可決・成立した。2014年5月までに施行され、オートバイや原付きバイクの事故にも適用される。
文 献 伊原高弘『あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故 遺族の想い』(下野新聞社,2014)
備 考  
4/18 概 要 <平野区実姉殺害事件>
 大阪市平野区の無職男性(42)は、小学校5年で不登校になってから約30年間引きこもっており、こうなったのは、全て姉のせいだと逆恨みした。そして2011年7月25日、生活用品を市営住宅の自宅に届けに来た姉(46)に対し、腹などを包丁で数か所刺して殺害した。
 2012年7月30日、大阪地裁は男性に、求刑懲役16年を超える懲役20年の判決を言い渡した。裁判長は男性のアスペルガー症候群が影響していると認定しながらも、「社会的な受け皿が用意されていない現状では再犯のおそれがある」と判断。「長期間、刑務所に収容することが社会秩序の維持にも資する」として有期懲役の上限を言い渡した。
 弁護側は控訴。2013年2月26日、大阪高裁は一審を破棄、懲役14年を言い渡した。裁判長は、傷害の影響を過小評価していると一審判決を不当と判断した。7月22日、被告側上告棄却、確定。
文 献 佐藤幹夫 『ルポ闘う情状弁護へ 「知的・発達障害と更生支援」、その新しい潮流』(論創社,2020)
備 考  
11/3 概 要 <尼崎連続変死事件>
 2011年11月3日、OKが大阪市北区の交番に駆け込み、暴行を受けたことを訴えた。翌日、SMと、OKの妹OYの元夫であるKHが傷害容疑で逮捕される。KHの供述により、OKの母親(当時66)の遺体がコンクリート詰めのドラム缶の中から発見された。11月26日、死体遺棄容疑でSM、KH、OK、OY、SMの義理のいとこであるLMが死体遺棄容疑で逮捕された。LMを除く4人は後に傷害致死と監禁容疑で起訴される。死体遺棄や教養の罪で起訴されたLMは2012年9月3日、神戸地裁尼崎支部で懲役2年6月(求刑懲役3年6月)の実刑判決を受けた。控訴せず確定。
 その後の捜査で、SMの周辺で不審死や行方不明者が相次いでいることが判明。2012年8月19日、SMの息子の妻SRの祖母の年金を勝手に引き出したとして、窃盗容疑でSRが、8月22日にSMの義理の妹SMEが逮捕される。
 SMEの供述より2012年10月14~15日、尼崎市の民家床下から3人の遺体が発見される。3人は後に高松市に住んでいた男性(68)(後に不起訴となる)、その姪でSRの姉(29)、尼崎市に住んでおりSMの兄の交際相手だった女性(71)と判明。10月30日、岡山県日生漁港で男性の遺体が入ったドラム缶が発見され、後にSMEの夫の弟(54)と判明。11月7日、SM、LM、SR、SMEが再逮捕され、新たにSMの内縁の夫TY、SMの実子(届出上。実際はSMEの息子)でSRの夫でもあるSY、養子のSK、殺害された女性の夫NKが新たに逮捕された。12月3日、高松市の小屋で女性の遺体が発見され、後にSRの祖母(88)と判明(傷害致死の公訴時効が成立)。
 その後、2005年に起きたSMEの夫(51)への保険金殺人容疑で6人が2013年5月21日に逮捕される。さらに2008年3月に意識不明で病院へ搬送され2009年6月に死亡した女性(2012年10月に遺体が発見された女性の実母)(59)への傷害致死容疑で9月25日に3人が、加害目的略取容疑で3人を含む7人が逮捕された。
 SMは1987年頃から複数の家族を標的とし、親族などと一緒に暴力的かつ精神的に支配すると居座り、食事の制限をして暴力を振るうなどの虐待を繰り返し、さらには家族同士で殴り合いを行わせるなどして家族を崩壊させてきた。さらには全財産を奪い、一部は保険金を掛けられて死亡したケースもあった。兵庫県警、香川県警は度々被害相談や通報があったにも関わらず、事件性がない、民事不介入との理由で対応することはなかった。合計3件5家族が家を乗っ取られたとされる。
 2012年12月12日、主犯であるSM(64)は兵庫県警本部の留置場でTシャツを首に巻きつけ自殺した。SMは後に公訴棄却。神戸地検は死亡した8人のうち6人について、SMの親族ら10人を殺人罪などで起訴した。残る2人の死亡については、時効成立や死因不明で不起訴となった。他3名が傷害致死容疑で書類送検されたが、時効が成立して不起訴となっている。また病死した2名、殺害された1名も殺人もしくは傷害致死容疑で書類送検されたが、死亡による不起訴処分となっている。
 2014年3月13日、兵庫、香川、沖縄の合同捜査本部が一連の捜査を終えて解散。SM周辺で3人が行方不明となっており、そのうちSMのもとから逃れた男性(37)と女性(62)の消息を兵庫県警が引き続き捜している。
 2013年3月25日、年金窃盗容疑で起訴されたSRとSMEは、神戸地裁尼崎支部で懲役2年(求刑懲役3年)が言い渡された。控訴せず確定。
 2013年10月31日、OKの母親への傷害致死他で起訴されたOK、OY、KHに対し神戸地裁はそれぞれ懲役3年執行猶予4年(求刑懲役4年)、懲役2年執行猶予3年(求刑同)、懲役3年6月(求刑懲役5年)を言い渡した。2014年10月3日、大阪高裁はKHの一審判決を破棄して懲役3年執行猶予5年を言い渡した。OK、OYの控訴は棄却した。KHは上告せず確定。2015年10月13日、最高裁第三小法廷はOK、OYの上告を棄却した。
 2015年3月18日、SMEの夫殺害や妻の姉の殺害容疑等で起訴されたSYは、神戸地裁で懲役17年(求刑懲役25年)が言い渡された。控訴せず確定。
 3月19日、妻の殺害容疑や同居人殺害容疑等で起訴されたNKは、途中で別の事件で有罪判決を受けていたため判決が分けられ、神戸地裁で懲役6年(求刑懲役8年)+懲役9年(求刑懲役12年)が言い渡された。控訴せず確定。
 3件の殺人容疑他で起訴されたSME、TY、SKは2015年9月16日、神戸地裁で1件につき傷害致死が適用されるもののSMの共謀を認定し、3人に懲役21年(求刑懲役30年)が言い渡された。SMEは控訴せず確定。SKは控訴したが、11月に取り下げ、確定。TYは控訴した。2016年5月25日、大阪高裁はTYの控訴を棄却。2018年6月20日付で被告側上告棄却、確定。
 3件の殺人容疑他で起訴されたLYは2015年11月13日、神戸地裁で求刑通り無期懲役判決。2017年3月17日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2018年3月6日付で被告側上告棄却、確定。
 3件の殺人容疑他で起訴されたSRは2016年2月12日、神戸地裁で懲役23年判決(求刑懲役30年)。控訴せず確定。
文 献 小野一光『家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』(太田出版,2013/文春文庫,2017)

一橋文哉『モンスター 尼崎連続殺人事件の真実』(講談社,2014/講談社+α文庫,2015)

村山満明、大倉得史編著『尼崎事件支配・服従の心理分析』(現代人文社,2015)

「尼崎連続変死事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  読売新聞、毎日新聞、産経新聞(東京本社版)と複数の地方紙、共同通信、NHKのほか複数の民間放送がSMとして使用した女性の写真が、尼崎市に住む別の女性であることが2012年10月30日に発覚。各社はお詫び、訂正を行った。


【2012年】(平成24年)

日 付事 件
9/2 概 要 <六本木クラブ襲撃事件>
 2012年9月2日午前3時40分頃、東京・六本木のクラブ近くの路上で、飲食店経営の男性(当時31)が金属バットを持った集団に殴られて殺害された。現場近くの防犯ビデオの映像から、関東連合OBの名前が挙がった。警視庁捜査1課は2012年12月、凶器準備集合容疑で計15人に逮捕状を取った。2013年1月10日、事件後に国外逃亡していたメンバーを含めた8人が、11日に他7人が逮捕された。1月19日に1人が、21日に2人が逮捕され、逮捕者は合計18人となった。このうち3人は処分保留で釈放され不起訴となっている。1月31日、元リーダーであるIを含む9人が殺人と建造物侵入容疑で再逮捕された。しかし殺意が認めらなかったことから傷害致死容疑で起訴されている。関東連合OBでグループを統率していた主犯格のMは前年11月にフィリピンへ逃亡しており、2月21日、殺人他の容疑で指名手配されるとともに、26日にICPOを通じて国際手配された。
 元リーダーであったIは2012年9月以降、振り込め詐欺事件を主導していたとして4回逮捕、起訴されていた。
 事件のきっかけは、2008年3月16日に都内で開かれたMの誕生パーティーの帰りに、参加者の関東連合関係者の男性が西新宿の路上で襲撃され、死亡した事件である。今も未解決の犯行を対立グループの仕業とみたMらはリーダー格の兄弟への報復の機会をうかがっていた。六本木の襲撃事件は、被害に遭った男性をこの弟と間違えたためである。男性と関東連合に接点は何もなかった。
 関東連合は、1973年頃に世田谷区や杉並区を中心に結成された暴走族の連合体。一時期は約500人が所属していたが、1978年の道路交通法が改正されて共同危険行為が禁じられると下火となる。しかし1990年台に一部の暴走族グループが再び関東連合を名乗り、1997年には対立グループの少年を刺殺するなどの事件を相次いで起こしている。2003年に解散したが、OBらはネットワークを維持し、飲食店や芸能プロダクションの経営などで資金を獲得し、暴力団と芸能人とも交流を深めると同時に、六本木を中心に傷害などの事件を多数起こしている。有名人が関わった事件としては、2010年1月、六本木で酒に酔った横綱朝青龍に関東連合元幹部の男が殴られた(書類送検後、不起訴)。朝青龍は事件の責任を取って引退することとなった。男は翌年9月、別の傷害容疑で逮捕された。また2010年11月25日午前5時頃、11代目市川海老蔵が西麻布の飲食店で関東連合元リーダーのIと同席中にトラブルとなり、Iと一緒にいたOBの男(26)に暴行され、顔面全体に大けがをした。暴行した男は2011年3月14日、懲役1年4月の実刑判決を受け、4月に控訴を取り下げ確定した。
 現場に集まり凶器準備集合罪に問われた6人は、2013年8月9日、東京地裁で懲役1年6月執行猶予4年(求刑懲役1年6月)が言い渡された。控訴せず確定と思われる。
 傷害致死罪に問われた9人のうち、罪を認めた8人については懲役8年~15年が言い渡された。全員が控訴し、うち3人は弁償金額3,800万円を払ったことから控訴審で2年刑期が短くなっている。
 事件の黒幕の一人とされ、唯一無罪を主張した元リーダーIは2013年12月19日に懲役11年(求刑懲役22年)を言い渡された。裁判長は重要な役割を担ったものの、黒幕と位置づけることはできないと量刑の理由を述べた。検察、被告双方が控訴した。2014年12月18日、東京高裁はIが首謀者と位置づけて一審判決を破棄し、懲役15年を言い渡した。2016年6月15日、最高裁第一小法廷は上告を棄却、刑が確定した。Iは2020年6月23日、東京高裁に再審請求した。
 元有力メンバーだったS(ペンネーム工藤明男)は、2021年11月28日に死亡した。
文 献 石元太一『不良録 関東連合元リーダーの告白』(双葉社,2012)

石元太一『反証』(双葉社,2014)

瓜田純士『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』(太田出版,2014)

工藤明男『いびつな絆 関東連合の真実』(宝島社,2013/宝島SUGOI文庫,2014)

工藤明男『破戒の連鎖 ~いびつな絆が生まれた時代』(宝島社,2014/宝島SUGOI文庫,2015)

久田将義『関東連合:六本木アウトローの正体』(ちくま新書,2013)
備 考  「関東連合」など暴走族の元メンバーらが徒党を組み、繁華街で起こす事件が多発していることを受け、警察庁は2013年3月7日、こうしたグループを「準暴力団」と位置づけることを決めた。全国の警察に活動実態を把握するよう指示し、交友関係や資金の流れなどについてデータベース化する。


【2013年】(平成25年)

日 付事 件
3/14 概 要 <江田島カキ打ち実習生殺人事件>
 中国籍で技能実習生のCは2013年3月14日、実習先である広島県江田島市のカキ養殖水産会社で早朝の仕事を終えた後体調不良を訴え、2階の部屋で寝込んでいた。午後4時半ごろ下に降りて作業所に現れ、「大丈夫か」と駆け寄った男性従業員を包丁で刺した。驚いた会社社長の男性(当時55)が怒鳴りつけたが、Cは社長の顔面を殴り、倒れ込んだところを包丁で2回突き刺した。さらに、屋外へ逃げたベテラン従業員の女性(当時68)を追いかけ、加工場外の路上にてスコップで何回も殴り殺害。その後も見境なくスコップを振り回し、5人の従業員女性もスコップで殴ったり、カキの殻を開けるために使う鋭利な刃物「カキ打ち」で襲ったりして重軽傷を負わせた。うち1人は一時意識不明の重体となっている。また路上に倒れた女性らを助けようとした通行人の女性もスコップで襲い、さらに加工場前をトラックで通りかかった近くの男性が、負傷して逃げてきた女性従業員を車に乗せようとした際、Cが走り寄ってきてフロントガラスをスコップで割ろうとするなど3台の車を襲って暴れ続けた。その後作業所に引き返し、激しく出血する社長を介抱していた妻にも襲いかかろうとしたが、「やれるものならやってみい」という妻の一喝でわれに返り、涙ぐみながら「お母さん…」と話すと、スコップで自分の頭を殴打し、胸を刺して自殺を図ろうとした。
 110番通報で広島県警の捜査員が駆けつけ、現場にいた陳被告を殺人容疑などで現行犯逮捕。胸に複数の刺し傷があったことから、いったん釈放し、広島市の病院へ搬送した。
 Cは水産加工技能実習生として2011年5月に中国・大連から来日。日本語などの研修を1か月間受けた後、江田島市内の別のカキ養殖会社に勤め、江田島市の日中友好経済協同組合からの斡旋で2012年9月から会社2階の部屋に住み込みで働いていた。技能実習生として日本にいられるのは最長3年で、Cは2013年5月に帰国する予定だった。
 2015年3月13日、広島地裁の裁判員裁判で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。
文 献 米今達也『ルポ江田島カキ打ち実習生殺人事件 外国人技能実習制度の闇』(梅田出版,2016)
備 考  
7/21 概 要 <周南市連続殺人放火事件>
 山口県周南市金峰に住む無職Hは2013年7月21日18時半ごろ~20時50分ごろ、集落内に住むS夫妻(夫当時71、妻当時72)を木の棒で殴って殺害、放火して夫妻の家を全焼させた。さらに同日20時59分ごろまでの間、集落に住む女性Yさん(当時79)を木の棒で殴って殺害し、家に火を放ち全焼させた。そして同日21時5分ごろまでの間に、集落に住む男性Iさん(当時80)を木の棒で殴って殺害(Iさんの妻は入院中で不在)。翌22日1時半ごろ~6時ごろ、集落に住む女性Kさん(当時73)を木の棒で殴って殺害した(Kさんの夫は旅行中で不在)。殺害された5人の自宅はいずれも集落を縦断する道沿いにあり、S夫妻方の約60m北東にYさん方、保見被告の自宅を挟んで約300m先にIさん方、その約200m先にKさん方があった。
 Hは集落近くの山中に逃亡。26日9時5分ごろ、山口県警は集落の北約1kmの山中でHを見つけ身柄を確保し任意同行、13時35分にYさんに対する殺人他容疑で逮捕した。
 Hは裁判で無罪を主張。弁護側はたとえHの犯行だとしても心神喪失もしくは心神耗弱の状態だったと訴えた。2015年7月28日、山口地裁で求刑通り死刑判決。2016年9月13日、広島高裁で被告側控訴棄却。2019年7月11日、被告側上告棄却、確定。2019年11月12日、山口地裁へ再審請求。
文 献 高橋ユキ『つけびの村 <噂>が5人を殺したのか』(晶文社,2019)
備 考  
12/19 概 要 <餃子の王将社長殺人事件>
 2013年12月19日午前5時45分ごろ、中華料理店「餃子の王将」を全国展開している王将フードサービス社長の男性(72)が出勤途中、京都市山科区の本社ビル前駐車場で車から降りたところを、至近距離から25口径の拳銃で4発撃たれて射殺された。財布等は奪われていなかった。事件当時は雨が降っていたこともあり、直接証言がないことから、捜査は難航した。
 2022年10月28日、京都府警は福岡刑務所に服役していた特定危険指定暴力団・工藤会傘下組織幹部T(56)を殺人と銃刀法違反の容疑で逮捕した。また福岡県警との号騒動左本部を設置した。
文 献 一橋文哉『餃子の王将社長射殺事件』(KADOKAWA,2014)
備 考  Tは2008年1月、福岡市博多区の路上で大手建設会社九州支店の社員らが乗った乗用車が銃撃された事件の実行役を務めたとして、2018年6月、銃刀法違反容疑などで逮捕。2019年11月に福岡地裁から懲役10年の実刑判決。2020年11月に福岡高裁で被告側控訴が棄却され、その後確定。福岡刑務所(福岡県宇美町)で服役中だった。


【2014年】(平成26年)

日 付事 件
3/26 概 要 <葛飾祖父母殺人事件>
 東京都葛飾区に住む解体作業員の少年(17)は2014年3月26日、埼玉県川口市のアパートで、祖父母(73、77)を電気コードや包丁で殺害。祖父母の次女である母親(41)と共謀し、キャッシュカード4枚や現金約8万円を奪うなどした。また同日、祖父母のキャッシュカードで現金計28,000円を引き出すなどした。
 少年の母親は祖父母に約30万円の借金があり、さらに借金をしようと少年に「殺してでも借りてこい」と指示。また事件当日、借金を拒んだ祖父母を殺害した少年と現場近くの公園で合流した際には「お金はどうすんのよ」などと迫り、少年が再び祖父母方に戻って金品を奪った。
 少年は母親から虐待を受けており、学校にも通えぬ「居所不明児」として育っていた。自分が食べるものに困る中、13歳離れた妹のために食料を調達したり、移動時は抱っこしたりしていた。
 4月29日、埼玉県警は少年と母親を窃盗容疑で逮捕。5月20日、少年を強盗殺人容疑で再逮捕した。5月28日、母親を強盗容疑で再逮捕した。さいたま地検は6月11日、少年を強盗殺人と窃盗の非行内容でさいたま家裁に送致した。さいたま家裁は同日から2週間の観護措置を決定した。その後2週間延長のうえ、起訴した。
 強盗罪などに問われた母親は2014年9月19日、さいたま地裁で懲役4年6月(求刑懲役7年)の実刑判決を言い渡された。判決で井下田裁判官は、「(夫妻から借金を断られた)息子は、母である被告に説明できないと思い悩むあまり夫妻を殺害した」とし、「父母の殺害は別として、犯罪事実の責任は息子より重い。後悔の念はうかがえず、規範意識が鈍磨している」と指摘した。控訴せず確定。
 少年は2014年12月25日、さいたま地裁の裁判員裁判で求刑無期懲役に対し、懲役15年判決。2015年9月4日、東京高裁で被告側控訴棄却。2016年6月8日、最高裁第三小法廷で被告側上告棄却、確定。
文 献 山寺香『誰もボクを見ていない』(ポプラ社,2017/ポプラ文庫,2020)
備 考  2020年夏、映画『MOTHER』(主演:長澤まさみ)が公開される。
7/26 概 要 <佐世保市高一同級生殺害事件>
 2014年7月26日午後8時ごろ、長崎県佐世保市のマンションに一人住まいの公立高校1年生の女子生徒(当時15)が、遊びに来ていた中学校の同級生で、高校でも同級生の女子生徒(当時15)の後頭部を工具で多数回殴り、ひもで首を絞めて殺害した。さらに財布から現金を盗んだ後、頭と左手首を切断。さらに胴体を切断しようとしたが、断念した。帰宅しない娘を心配した家族は23時ごろ、捜索願を提出。27日午前3時ごろ、女子生徒のマンションを警官が訪れたが、「知らない」と述べた。しかし不審に思った警察官が室内に入ったところ、ベッドの上で仰向け状態の被害者の遺体と切断された頭部と左手首を発見したため、殺人容疑で緊急逮捕した。
 加害者の女子生徒は、2013年10月に母親を癌で亡くした後、不登校が続いていた。2014年3月2日夜、佐世保市の自宅で就寝中の父親の頭などを金属バットで複数回殴るなどして殺害しようとした。父親は娘を精神科に通院させるも、医師から「同じ家で寝ていると、命の危険がある」と助言されたため、マンションで4月から一人暮らしをさせていた。女子生徒は高校進学後もほとんど通わなかった。5月、父親が再婚。7月23日には継母に殺人願望を伝えたことから、25日、病院と協議するも病院の都合で入院できず、佐世保こども・女性・障害者支援センターに電話したが、勤務時間外を理由に関係機関との連携を図るなどの対応をしなかった。センターでは、他機関からの相談を安易に受けないよう部下を叱責するなどしていた男子課長のパワーハラスメント行為があったことが明らかになった。
 2014年10月5日、弁護士の父親は自宅で首吊り自殺した。
 2015年2月16日、県は同センターの所長と男子課長には戒告の懲戒処分、電話を受けた男性職員は文書訓告とした。課長は20日付で、所長は4月1日付の異動で更迭された。
 7月13日、長崎家裁は殺人、死体損壊、窃盗、殺人未遂の非行事実で送致された少女に、「第3種(旧・医療)少年院」送致とする保護処分を決定した。家裁送致時、長崎地検は「刑事処分が相当」との意見を付けていたが、裁判長は「少女の特性からは、刑罰による抑止は効果がなく、治療教育の実施が望ましい」と判断した。少女の特性について「重度の共感性障害や、特異な対象への過度な関心が認められる」とし、発達障害の一種である重度の自閉症スペクトラム障害と認定。決めたことを迷いなく完遂する性格なども重なり、同障害の中でも「非常に特殊な例」で、「同障害が非行に直結したわけではなく環境的要因も影響した」と述べた。事件については、「殺人と死体解剖の欲求を満たすため、友人を突然襲った快楽殺人」とし、「心神喪失や心神耗弱に至るような精神障害は認められない」と指摘した。
 2021年、収容先の少年院長は、元少女が今夏で23歳になるのを前に、収容継続を申請。長崎家裁は審判を開き、8月24日、24年までの収容継続を認める決定を出した。元少女側は不服を申し立てて抗告したため、判断は福岡高裁に移る。少年院は23歳未満までだが、第3種は精神に著しい障害がある場合、26歳になるまで延長を認める規定がある。11月4日付で福岡高裁は、収容継続を認めた長崎家裁決定を支持し、元少女側の抗告を棄却した。再抗告しなかったため、確定。
文 献 長崎新聞社報道部少年事件取材班『闇を照らす―なぜ子どもが子どもを殺したのか』(長崎新聞社,2017)
備 考  「第3種少年院」は、家裁の審判などで、精神や身体に著しい障害があると判断された、おおむね12歳以上26歳未満が収容される矯正施設。心身が回復し、矯正教育の目的が達成されたと認められれば、退院、仮退院ができる。2015年6月1日の少年院法改正で「医療少年院」から名称が変更された。同法上の第3種少年院は東京都と京都府に計2か所ある。
11/10 概 要 <前橋連続強盗殺傷事件>
 前橋市の無職T(25)は2014年11月10日未明、近所に住む日吉町の女性(93)宅に侵入し、女性をバールで殴って殺害し、現金合計7,000円とリュックサック、パンと菓子などを奪った。12月16日午前3時30分ごろ、近所に住む夫婦宅に出窓を破って侵入し、林檎2個を盗んだ。トイレに潜伏し、侵入から約8時間20分後、鉢合わせした妻(80)を包丁で刺して2~3か月の重傷を負わせた。妻は逃げ出したが、騒ぎに気付いた夫(81)の胸や首を包丁で刺して殺害した。
 Tは12月21日、6月まで働いていた前橋市のラーメン店に侵入しチャーシューとメンマ、ひき肉、バター(約7,900円相当)を盗んだが、防犯カメラに映っており、23日、建造物侵入容疑で逮捕された。足跡が、夫婦宅に残された足跡と一致。さらに夫婦宅に残されていた林檎に付着していたDNAがTと一致したため、群馬県警は12月26日、16日の事件の妻への殺人未遂容疑で逮捕。2015年1月15日、夫への殺人容疑で再逮捕。2月5日、女性への強盗殺人容疑で再逮捕。同日、前橋地検は林檎が財物に当たり、殺害は強盗の手段だったと判断し、夫への強盗殺人容疑で起訴した。
 Tは幼い頃に両親が離婚し、4歳から中学校卒業まで児童養護施設で暮らした。高校卒業後も職を転々とし2014年10月以降無職で、親しい知人や身寄りもなかった。携帯電話の課金ゲームが原因で消費者金融に約120万円の借金があり、10月末には料金滞納でスマートフォンが停止したが、無料公衆無線LANを使用してネット接続し、ゲームをしていた。11月上旬に自室のガスを、12月中旬には電気を未払いのため止められた。逮捕時の所持金は100円程度だった。
 2016年7月20日、前橋地裁で求刑通り一審死刑判決。2018年2月14日、東京高裁で被告側控訴棄却。2020年9月8日、被告側上告棄却、確定。
文 献 「前橋高齢者強盗殺人事件」(高木瑞穂、You Tube「日影のこえ」取材班『日影のこえ メディアが伝えない重大事件のもう一つの真実』(鉄人社,2022)所収)
備 考  
11/19 概 要 <青酸連続殺人事件>
 Kは2005年夏、結婚相談所で神戸市北区の男と知り合い、投資名目で多額の金銭を2007年ごろより受け取っていたが、返済約束日だった2007年12月18日午後2時ごろ、神戸市内で男性に青酸を飲ませた。男性は路上で倒れて救急搬送され、高次機能障害や視力障害が残り、1年半後の2009年5月5日、胃の悪性リンパ腫で79歳で死亡した。
 Kは2010年秋、大阪府貝塚市に住む男性と結婚相談所で知り合い、後に内縁関係になった。「死亡の際には全財産を遺贈する」という公正証書を作成させた3か月後の2012年3月9日午後5時ごろ、貝塚市の喫茶店で男性(当時71)に青酸を飲ませ、男性はその直後大阪府泉佐野市の路上でバイク運転中に青酸中毒で倒れて死亡した。Kは1700万円以上の遺産を取得。男性は事件当時病死とされたが、事件発覚後に残っていた血液から青酸成分が検出された。
 Kは2012年秋、兵庫県伊丹市に住む男性と結婚相談所で知り合い、後に内縁関係になった。事件の3週間前、「死亡の際には被告人に全財産を遺贈」との公正証書を作成。2013年9月20日午後7時ごろ、Kは伊丹市のレストランで男性(当時75)に青酸を飲ませて殺害した。Kは1500万円以上の遺産を取得した。県警は検視したが、男性が以前にがんを患っていたこともあり、死因をがんと判断、事件性はないと結論付けた。司法解剖で毒物の有無も調べなかった。
 Kは2013年6月ごろ、京都府向日市に住む男性と結婚相談所で知り合って交際を開始させ、11月1日に結婚。2013年12月28日、京都府向日市の自宅で夫を殺害した。Kは遺産270万円を取得。遺体の血液等から青酸成分が検出された。男性は数千万円相当の財産があり、Kは男性の死後、預金を引き出そうとしたが、京都市内の信用金庫は男性の死について捜査が進められていることを理由に支払いを拒否。Kは支払いを求める訴えを京都地裁に起こしたが、逮捕後の12月5日に取り下げている。
 Kは他にも4人の男性の殺害に関わったとして追送検されたが、捜査本部は供述以外に男性の死因などを裏付ける客観的証拠が乏しいと判断し、逮捕を見送っている。
 京都府警は2014年11月19日、4番目の事件における殺人容疑でKを逮捕。大阪府警は2015年1月28日、2番目の殺人容疑でKを再逮捕。3月23日、京都、大阪、兵庫の3府県警が合同捜査本部を設置。奈良県警が4月17日に加わった。合同捜査本部は6月11日、1番目の事件における強盗殺人未遂容疑でKを再逮捕。9月9日、3番目の事件における殺人容疑で再逮捕した。
 2017年11月7日、京都地裁で求刑通り死刑判決。2019年5月24日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2021年6月29日、被告側上告棄却、確定。
 2022年9月30日、Kは京都地裁に再審請求した。
文 献 安倍龍太郎『筧千佐子 60回の告白 ルポ・連続青酸殺人事件』(朝日新聞出版,2018)

小野一光『全告白後妻業の女 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館,2018/幻冬舎アウトロー文庫,2021)

「鳥取連続不審死事件(平成16~21年)――太った女の周辺で6男性が次々に……」(片岡健『平成監獄面会記』(笠倉出版社,2019)所収)
備 考  
12/7 概 要 <名古屋大学女子学生・殺人事件>
 名古屋市に住む名古屋大学の女子大生(19)は2014年12月7日昼ごろ、アパート1階の自室で、名古屋市に住む無職女性(77)の頭を手おので殴り、マフラーで首を絞めて殺害した。女性は宗教の勧誘で秋ごろに女子学生と知り合い、事件当日午前は宗教団体の勉強会に女子学生を連れて参加。勉強会終了後、女子学生が質問したいことがあると女性と食事に行き、その後自室に誘っていた。
 女性は毎週日曜に外出し午後3時半ごろ帰宅する習慣だったが、帰宅しなかったため、不審に思った夫(81)が千種署に届け出た。女子学生は事件翌日から宮城県の実家に帰省していたが、接触があったことを掴んだ千種署は女子学生と連絡を取り、名古屋に帰って来た際、事情を聴く約束を取り付けた。翌年1月26日、名古屋に戻った女子学生は一緒に来た母をホテルに泊め、自身は遺体を置いたままのアパートで寝た。27日朝から千種書は女子学生を事情聴取。その際、部屋を見せることを拒んだため、署員らがアパートまで同行し、女性の遺体を発見したため、殺人容疑で逮捕した。
 女子学生はツイッターに過去の殺人事件への強い関心を示す書き込みが多数あり、事件当日には「ついにやった」と書きこんでいた。また取り調べでは「子供のころから人を殺してみたかった」「高校時代、同級生に毒を飲ませたことがある」と供述した。おのについて「人を殺したくて中学生の頃に実家近くのホームセンターで購入した。大学入学後は自宅アパートに持ち込んでいた」とも供述した。愛知県警は女子学生の名古屋市内の自宅アパートと実家の部屋から硫酸タリウムなど複数の薬品を押収した。
 名古屋地検は2月10日付で、刑事責任能力の有無を調べるための鑑定留置を名古屋簡裁に請求し、認められた。
 愛知、宮城両県警合同捜査本部は5月15日、女子学生を殺人未遂容疑で再逮捕した。再逮捕容疑は、2012年5月27日ごろ、宮城県のカラオケ店で、中学時代の同級生だった女性のソフトドリンクに硫酸タリウムを混ぜて飲ませた。また同28日~同6月上旬ごろ、通っていた高校の教室で、同じクラスの生徒だった男性が持参したペットボトルに硫酸タリウムを混ぜて複数回飲ませた。
 女性は当時、末梢神経障害のほか、腹痛や脱毛などの症状があり、治療を受けて一時入院したが、その後は回復した。男性は手足の痛みなどを伴う末梢神経障害のほか、両目視力が急激に低下するなどして入院。傷害容疑での被害届を受けた宮城県警が捜査したが、女子学生の関与は浮上しなかった。男性は体調を崩して入院。検査で薬物中毒と判明し、2013年2月に別の署に被害届を出した。2014年3月には特別支援学校に転校している。
 女子学生の父親は2012年5月中旬、当時高校2年生だった女子学生を連れて警察署を訪問。複数の薬びんを持参し、親のカードで勝手に複数の化学物質を購入していることや非行についての相談をした。女子学生は署員に「調合して実験するため」などと説明。署員は危険な取り扱いをしないよう指導した。男性は被害届を出した際に不審人物として女子学生の名前を挙げ、「他の生徒に白い粉をなめさせていたのを見たことがある」と捜査員に話しており、この情報は署の課長(当時)まで把握していたが、タリウムの購入履歴の捜査や高校への聞き取りで女子学生の名前が浮上しなかったことから、女子学生の聴取は行われなかった。
 合同捜査本部は6月5日、事件後に帰省した際、宮城県内で住宅に放火したとして殺人未遂と現住建造物等放火の疑いで再逮捕した。逮捕容疑は2014年12月13日午前3時25分ごろ、宮城県のパート女性(67)宅の玄関ドアの郵便受けから可燃性の高い液体「ジエチルエーテル」と、着火したマッチを投げ入れて放火、屋内の人を殺そうとした。女性が物音に気付き、すぐ消火したため、玄関の一部を焼いただけだった。けが人はなかった。女子学生は知人を殺そうとしたが、パート女性は名字が同じだったため、家を間違えたという。ただし、殺害しようとした知人とはほとんど接点が無かった。ジエチルエーテルは大学入学後、インターネットで購入していた。他に8月にも実家近くの住宅で放火しようとしている。
 名古屋地検は6月16日、殺人や殺人未遂、現住建造物等放火などの非行事実で女子学生を名古屋家裁に送致した。地検は検察官送致(逆送)を求める「刑事処分相当」の意見を付けたとみられ、家裁は同日、2週間の観護措置を決定した。名古屋家裁はその後観護措置期間を7月13日まで延長したが、7月3日、観護措置を取り消して8月31日まで鑑定留置し、精神鑑定することを決めた。8月31日に精神鑑定が終了し、家裁は同日、鑑定留置を解き、改めて9月9日までの観護措置とした。名古屋大は8月31日、元女子学生は既に在籍していないことを明らかにした。9月4日、名古屋家裁は観護措置を23日まで延長すると決めた。さらに15日、10月7日まで延長した。
 名古屋家裁は9月29日、少年審判を開き、元女子学生の計6つの非行内容を認定し、検察官送致(逆送)すると決定した。岩井隆義裁判長は決定理由で知人女性の殺害について、「人を殺してみたい、人が死んでいく過程を観察したいという好奇心を満たすため、事前に手順等を計画して実行した。酌量の余地はなく、犯行態様は極めて残虐」と指摘。また、殺人以外の非行内容は「劇物の投与によって生じる中毒症状を観察したいとか、焼死体を見てみたいという身勝手な考えから行われた。一連の流れの中で行われた犯行で、殺人と切り離して扱うことは相当でない」とした。その上で、元女子学生が異常な非行を繰り返した背景について精神鑑定結果を踏まえ、「他者の気持ちを理解できないとか、特定の物事に異常に執着するという精神発達上の障害等が一定の影響を及ぼした」と認定した。元女子学生の成育環境や家庭環境にも「一定の問題がうかがわれる」としたが、「犯行態様や生活状況等を考えれば、各非行当時の責任能力には、いずれも問題はなく、障害の影響は限定的で、原則通り逆送の決定が相当」と結論づけた。
 名古屋地検は10月8日、元女子学生を殺人や殺人未遂などの罪で名古屋地裁に起訴した。
 2017年3月24日、名古屋地裁は元女子学生に求刑通り無期懲役判決を言い渡した。2018年3月23日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2019年10月15日、被告側上告棄却、確定。
文 献 一橋文哉『人を、殺してみたかった 名古屋大学女子学生・殺人事件の真相』(KADOKAWA,2015)

中日新聞社会部『少年と罪 事件は何を問いかけるのか』(ヘウレーカ,2018)
備 考  『週刊新潮』は2015年2月5日発売号で、女子学生の実名と顔写真を掲載した。
 宮城県警の横内泉本部長は2015年6月19日の記者懇話会で、当時女子学生が同級生に硫酸タリウムを飲ませた事件で、「やるべき捜査はやった」と話し、当時の捜査に問題はなかったとの認識を示した。


【2015年】(平成27年)

日 付事 件
2/20 概 要 <川崎中1男子生徒殺害事件>
 2015年2月20日、川崎市に住む定時制高校に通う少年A(当時18)は、通信制高校を中退していた少年B(当時17)、Aと同じ定時制高校に通っていた少年C(当時17)とともに、友人である中学1年生の少年X(当時13)を多摩川の河川敷に連れて行き、殴る蹴るなどの暴行を加え、さらにCが持っていたカッターで傷つけた。さらにAは殺害しようと全裸にしてカッターで切り付けたが、致命傷となる傷を負わすことができず、BやCもできなかった。AはXを溺死させようと、河に複数回入らせ、泳がせるも少年は死ななかった。午前2時ごろ、覚悟を決めたAは、カッターで首を斬りつけて殺害した。午前6時すぎ、通行人が遺体を見つけ、110番通報した。
 Aは中学時代までは虐められていた方であり、地元のゲームセンターで虐めにあって不登校になっている者同士でグループを作っていた。AとBはグループの友人を介して知り合った。AとCは通っていた定時制高校のクラスメイトだった(Cは後に中退)。Xは両親が離婚し、小学六年の時に川崎市に引っ越すも、母親が夜も働いていたため、部活を休みがちになって年上のグループと付き合うようになり、12月にAと知り合った。1月からは不登校となり、Bと知り合って親密になった。ある日、AはBや友人やXと酒を飲んでいたが、Aは酒癖が悪く、Xの顔の形が変わるくらいまで殴りつけた。Aが謝罪し、Xも誰にも告げず、その場は収まった。しかしXが通う中学校の不良の先輩がそのことを聞きつけ、Aが賽銭泥棒で大金を持っていることを知り、Xへの暴行を口実にAの家へ押しかけ、警察沙汰となる。Aは、Xが彼ら不良グループにに訴えたのだと勘違いして逆恨みした。AがBやCと酒を飲んでいるとき、XからBにLINEで連絡が入ったため、AはBに指示し、Aがいることを隠して呼び出したものだった。CとXに面識はほとんどなかった。AとBは別の傷害や窃盗事件で保護観察中だった。
 2月27日、Aは母親と一緒に川崎署に出頭し、捜査本部はAを殺人容疑で逮捕。同日、BとCを殺人容疑で逮捕した。Aは殺人容疑で、BとCは殺意が無かったとして傷害致死容疑で起訴された。
 2016年2月10日、横浜地裁の裁判員裁判でAに懲役9年以上13年以下の不定期刑(求刑懲役10年以上15年以下)を言い渡した。控訴せず確定。3月14日、横浜地裁の裁判員裁判でBに懲役4年以上6年6月以下の不定期刑(求刑懲役4年以上8年以下)を言い渡した。控訴せず確定。Cは共謀も暴行もしていないと無罪を主張するも、6月3日、横浜地裁の裁判員裁判でCに懲役6年以上10年以下の不定期刑(求刑同)を言い渡した。Cは控訴するも、11月8日、東京高裁で被告側控訴棄却。2017年1月25日付で最高裁は上告を棄却し、刑が確定した。
 Xの母親ら遺族が慰謝料などの損害賠償を求めた。重大事件の遺族は、刑事裁判の延長で、担当裁判官が同じ公判記録に基づいて賠償額を決める「損害賠償命令制度」を利用できる。ただ、この制度では賠償の請求対象が起訴された少年3人に限られる。さらに、3人の公判はCが一審から起訴内容を否認したため分離されており、遺族は、同じ裁判で一括して3人と親に対する民事上の責任を問おうと2017年11月に別途、訴訟を起こした。2019年7月26日、横浜地裁はA、Aの両親、B、Bの母親(ひとり親)、Cの6人に計約5,500万円の支払いを命じた。Cの両親に対する請求は棄却した。
文 献 石井光太『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社,2017/新潮文庫,2020)
備 考  『週刊新潮』は2015年3月12日号(3月5日発売)で、Aの実名と顔写真を掲載した。
 インターネット上で犯人探しが行われ、無関係の人物も含め、実名や家族、顔写真などが拡散した。
 文部科学省は省内に再発防止策検討の作業チームを設置し、全国の小中高校と特別支援学校を対象にして日曜日など学校がない日を除いて7日以上連続で連絡が取れず、生命や身体に被害が生じる恐れがある児童・生徒がいないかどうかなどを緊急調査した。
8/25 概 要 <中野劇団員殺人事件>
 職業不詳のT(36)は2015年8月25日午前0時50分ごろ、東京都中野区のマンションに帰宅途中だった、アルバイト店員で劇団員の女性(25)を見かけ、女性の部屋に侵入。女性を乱暴しようと口を塞いで床に押し倒したところ抵抗されたため、扇風機のコードで首を絞めて殺害した。アルバイトを無断欠席したことを不審に思った同僚が中野署に相談し、26日午後10時頃、署員が遺体を発見した。
 捜査本部は顔見知りの犯行との疑いを強めて捜査したが、被害者の爪の中に残っていた微物などから検出された男のDNA型は、生前に交流のあった人物とは一致しなかった。捜査本部は被害者宅から半径500m圏内に住む75歳以下の成人男性に対し、任意のDNA鑑定を実施。さらに、事件直後に現場マンション周辺から引っ越しをするなどしていた複数の人物の転居先を探った。その中の1人がTだった。Tは高校卒業後に上京し、職を転々。事件当時は被害者のマンションから約400m離れたマンションに住んでいたが、被害者との面識はなかった。事件直後の8月末から福島県矢吹町の実家に戻っていた。警視庁中野署捜査本部はDNA型が一致したことや、防犯カメラの映像などから2016年3月12日、Tを殺人容疑で逮捕した。東京地検は鑑定留置の結果、刑事責任能力に問題はないと判断し、6月に起訴した。
 2018年2月16日の初公判で、Tは殺人罪と住居侵入については起訴事実を認めた。一方、強制わいせつ致死罪については否認した。3月7日、東京地裁の裁判員裁判で求刑通り一審無期懲役判決。12月6日、東京高裁で被告側控訴棄却。2019年4月15日、被告側上告棄却、確定。
文 献 「中野劇団員殺人事件」(高木瑞穂、You Tube「日影のこえ」取材班『日影のこえ メディアが伝えない重大事件のもう一つの真実』(鉄人社,2022)所収)
備 考  




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