佐木隆三『殺人百科(4)』(徳間文庫)


発行:1993.1.15



 <俺こそ被害者では……>。生保会社職員の福田は競輪・競艇に狂ってサラ金の借金総額五百万。利息が月二十万弱。体に導線巻いて感電死を試みたが失敗した。群馬銀行集金係を殴殺し、ボイラー室の重油タンクに沈める。その妻は夫への拐取疑惑の目にさらされ自殺。殴殺死体の発見はその後だった(第一話)。ラブホテル連続殺人、離農農家主婦の夫殺害、殺人など二十七件重ねた消防士など'80年代の事件帖七篇。(粗筋紹介より引用)
 1986年5月、徳間書店より単行本刊行。1993年1月、文庫化。


【目 次】
 第一話 サラリーマン金融殺人事件
 第二話 新宿ラブホテル連続殺人事件
 第三話 制服の殺人者――花は真冬に摘む
 第四話 暗黒星雲が瞬くとき
 第五話 ロマンの夫婦
 第六話 アパート床下の恋人
 第七話 疾走する消防士

 『殺人百科』『事件百景』『殺人百科(2)』『殺人百科(3)』から続くシリーズ本。ただしこれは、形のうえだけ。「小説新潮」「小説現代」「オール讀物」などに1978年から1984年に掲載された作品を収録している。そのため、事件を取り扱っているという以上の統一感に欠けている。前作から4年かかっているのは、『田中角栄の風景』『千葉大女医殺人事件』『一・二審死刑、残る疑問』を出版したからである。作者本人は百話を目指しているとのことだが、この頃からほとんどが長編となっており、目標は達成できないまま終わりそうだ。なお第六話と第七話は大幅加筆されている。

 内容としては1980年代の事件が主。第一話あたりはサラ金に追われた末の犯行という点が時代を表していることが間違いないが、ただそれだけであり、事件毎のつながりに関する記載が全くないなど、分析不足な部分があるのは否めない。第二話は当時テレビに出演していた佐木のもとに被害者の名前を知っているという電話がかかってくる異色な話だが、結局何もわからないまま終わっており、このシリーズには似合わないつまらない話であった。第三話は、名前も日時も出てこない。ある若い警察官の日常から、気になる女子学生の部屋に入るまでを書いており、殺人事件のシーンすらない。どういう意図があったかはわからないが、これもシリーズにはそぐわない内容であった。第四話も舞台はブラジル。第五話はページも短く、取材量も足りない。第六話と第七話は加筆によって、それなりのページ数が割かれているが、昔ほどの切れ味は感じられない。いわゆる「隣の殺人者」へのアプローチが足りない。長編を書き続けたことによって、短編が間延びした書き方になっているのは残念だ。

 事件概要は以下。

<第一話 サラリーマン金融殺人事件>
 いずれもサラリーマン金融で借金を背負っていた犯人による犯行3つを扱っている。
 1982年12月18日、日本生命前橋支社ビルで1967年に設置した重油タンクの清掃中(通常は5年ごとだが、ここでは今回初めてだったという)、絞殺死体が発見される。1977年7月25日、群馬銀行本店渉外係の男性(45)が集金に出たまま帰ってこなかった。乗っていた車は足取りが掴めた日本生命前橋支社ビルの駐車場にあったが、集めたはずの現金780万8721円と小切手44通(額面合計1033万6735円)が無くなっていた。群馬銀行は会議で持ち逃げの可能性があると届出しなかった。翌日、男性の妻が前橋署に捜査願を提出。前橋署は持ち逃げによる失踪と判断。新聞もそう報道した。妻は持ち逃げするはずがないと警察に訴えるも聞き入れなかった。妻は1981年8月27日、自宅の寝室で自殺。その1年4か月後の死体発見だった。1982年12月22日、群馬県警は滔々と練馬区のパチンコ店に住み込んでいたFを逮捕。F(事件当時43)は当時日本生命前橋支社の社屋ビル管理人として妻子とともに管理人室に住み込み、小使いも兼任していた。Fはすんなりと犯行を自供。Fはギャンブルでサラ金などから500万円ほどの借金があり、返済に追われていた。奪った金は返済に充て、残った150万円はギャンブルで使い果たした。事件から1年7か月後の1979年2月26日、Fは総務課から100万円を使いを請け負ったとき、払戻請求書に700万円と変造してお金をおろし、会社には100万円だけを届けて残りをサラ金事務所に返済していた。その後ボイラー室で自分の体に導線をまきつけて自殺しようとしたが家族に発見され、2か月の怪我で終わった。このとき詐欺事件も発覚。実兄や妻からのとりなしで毎月返済するという約束で示談となり、F本人は解雇されていた。Fは家族と高崎市に移ったが、ギャンブル癖は治らず、妻とは離婚し子供は妻が引き取った。兄姉からも見放され、東京で職を転々としていた。Fは1983年9月26日、前橋地裁で無期懲役判決(求刑死刑)。1984年12月19日、東京高裁で検察側控訴棄却。上告せず確定。控訴審で裁判長は、「もう少し警察の念の入った捜査が行われれば、事件は早期に解決され、家族の悲劇は避けられたかもしれない」と指摘した。
 1983年1月14日、千葉県木更津市の北海道拓殖銀行木更津支店に集金帰りの男性銀行員(33)が駐車場で車から降りたとき、刺身包丁を持った男が鞄をよこせと要求。男性は大声を発したため鞄の取り合いになり、男が包丁で男性を何度も刺した。そこへ通用口から数人が現れたため、男は隣接するスーパーマーケットの駐車場に逃げ、徐行中のバイクの荷台に飛び乗り、運転手を脅して逃亡したがすぐに追手が男性の背中を鉄パイプで殴ったため転がり落ち、そのまま近くの家具店の駐車場から1階の売り場に逃げ込んだ。カウンターにいた女性レジ係(22)を脅して人質にしようとしたが、駆けつけた警官がピストルを向け、ひるんだすきに警棒で包丁を叩き落とし現行犯逮捕した。男性は防衛庁航空自衛隊の一等空曹Y(44)で、同日付で懲戒免職となっている。Yは1981年ごろに建てた住宅などで2300万円を借金し、月々17万円返済していたことから生活費に困ってサラ金に手を出し、約200万円を借りていた。事件後、1978年1月8日の千葉銀行木更津支店の駐車場で銀行員から預金通帳3通を奪った強盗事件についても認めた。1983年8月11日、千葉地裁木更津支部は求刑通り無期懲役判決を言い渡した。控訴せず確定。
 1983年8月25日夜、東京都八王子市の経営コンサルタント会社社長の男性Y(23)は、付き合っていた看護婦の女性(21)と小津町の川沿いで性行為後にベルトで首を絞めて殺害。現金7400円を奪い、翌日午前5時ごろ、死体を河原に埋めた。Yは窃盗罪で留置中(後に懲役1年執行猶予3年が確定)に知り合った経営コンサルタント会社を濫造する協会長と知り合って会社を設立。出資者として女性を誘って220万円を払わせるとともにサラ金から500万円を借りさせていた。Yはその後、女性の家族に借金を払うよう要請し続けたが、9月3日に近くの小学生が増水で埋めた部分がえぐれて見えていた死体を発見。9月6日に逮捕された。裁判でYは精神に異常をきたしたふりをしたが簡単にばれた。

<第二話 新宿ラブホテル連続殺人事件>
 1981年3月20日、西武新宿駅近くのラブホテルで女性(45)の絞殺死体が発見される。大阪市出身の女性は夫と子を捨てて家出し、東京でホステスとして各地を転々としていた。4月25日、新宿区歌舞伎町のラブホテルで20歳前後の女性の遺体が発見。上京して間もないとみられるが、身元不明。6月14日、新宿区歌舞伎町のラブホテルで帰るとフロントに電話した背広姿の男が小走りに出てきたため、不信に思った部屋係が中を見ると女性の絞殺死体を発見。部屋がかかりは追いかけるも男性は逃亡。川口市に住む会社員の娘で、高校中退後アルバイトをしていた女性(17)だった。
 佐木はこの頃『小川宏ショー』で月1回出演して事件の追跡調査を行うコーナーを持っており、7月6日にこの3事件を取り合えたところ、深夜に身元不明の女性を知っているという電話がかかってきた。一度会おうという話になったが、相手は待ち合わせ場所に来なかった。

<第三話 制服の殺人者――花は真冬に摘む>
 駅前派出所に配属された若い巡査がパトロール中に見かけた女性大生に惚れ、部屋に訪れ巡回連絡カードを書いてほしいと女子学生に頼み込んで部屋に入るまでを書いている。日付も名前も何も出てこないが、「経堂警官女子大生殺人事件」であることは明白。
 北沢署経堂駅前派出所に勤務するM巡査(20)は、1977年夏のパトロール中に清泉女子大学4年生の女子大生(22)を見かけ、一方的に好意を寄せ、時には部屋を覗くこともあった。1978年1月10日午後、Mは制服を着たまま東京都世田谷区経堂2丁目のアパートに住む女子大生の部屋を訪れ、巡回連絡と偽ってドアを開けさせた。そして女性を部屋に押し込み、鍵を閉めた後、女性を強姦しようとした。女性は必死に抵抗し、手が窓ガラスに当たって割れたため、住人に気付かれたと思ったMは女性の首をストッキングで絞めて殺害。勤務に戻ろうとした時、ガラスの割れ目から家主が覗いていたため、第1発見者を装って通報を依頼。ただちに特別捜査本部が設置されたが、第1発見者が捜査に加わっているMであることが判明。供述があやふやであり、顔にひっかき傷もあったことから刑事たちはMを追求し、犯行が発覚した。
 1月19日、国家公安委員会は、土田国保警視総監に減給処分、他警視庁幹部3名も処分した。警視総監の処分は戦後初めてであり、土田は2月に辞任している。北沢署の署長も引責辞任している。東京都は国家賠償法に基づき、女子大生の遺族に4360万円余りの損害賠償金を支払った。
 1979年3月20日、東京地裁で無期懲役判決(求刑死刑)。1982年9月30日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告は上告するも後に取り下げ、確定した。

<第四話 暗黒星雲が瞬くとき>
 ブラジルの日系二世であるK・フクシマ刑事の活躍と殉職を中心に、ブラジルの警察事情を描いた作品。最後に愛知連続保険金殺人事件の犯人2人がサンパウロで射殺される事件がちょっとだけ書かれていることから、『旅人たちの南十字星』の取材中に得た情報を基に書いたものと思われる。

<第五話 ロマンの夫婦>
 1982年3月21日早朝、北海道十勝支庁黒崎町で、牧場経営の男性(56)が自宅近くの路上で血を流して倒れているところを、帰省中の長男が発見。目が覚めると夫がいないと妻(54)が騒いで、探していたものだった。妻は夫が自殺をほのめかしていたと語ったものの、状況は他殺であったため、警察は不信を抱く。牧場とは名ばかりで、1979年からの牛乳生産調整で打撃を受けて30頭ばかりいた乳牛は次々と手放して一匹もおらず、土地の半分はすでに売却し、残りは牧草地として同業者に貸し、わずかな畑で蔬菜造りをすることで急場をしのいでいたが、負債は増加するばかりだった。しかも蔬菜造りをするのは妻であり、夫は本を読むか酒を飲むばかりだった。東京で会社を経営していた夫の兄の援助があったものの、夢ばかり語る夫に呆れ、1年前の秋から援助を打ち切っていた。援助をしていた夫の兄が東京から迎えに来たのを見た妻は、今までの否認を翻して犯行を自供、逮捕された。
 妻は事実関係を争わず、殺意も否認しなかった。近所の同業者からは行き当たりばったりの農政に振り回されたのが原因の一つと同情の声が上がり、黒崎町の有権者の70%以上が減刑嘆願書に署名した。釧路地裁で懲役5年(求刑懲役8年)判決。控訴せず確定。

<第六話 アパート床下の恋人>
  1983年7月30日、練馬区にあるアパートの部屋からの悪臭に耐えかねた住人たちの訴えにより、大家が合い鍵を使って中に入り、奥にある六畳間の床板をはがしたところ、パンツ一枚の男性の腐乱死体が出てきた。その部屋に住んでいるのはOLであるK(23)であり、週末には実家の横浜へ帰っていた。そこで警察が横浜へ急行し、Kに任意同行を求めるとあっさりと自供した。被害者は鎌倉市の料亭経営O(28)であった。二人は大学の映画研究会の先輩、後輩ですぐに付き合うようになり、結婚の約束を交わした。Oは大学卒業後、機器メーカーに就職していたが、2年後に退社し、料亭を継いだ。その頃からKは、向上心を失っていくOへの愛情を失っていった。Kは大学卒業後就職し、別れ話を持ち出した。しかし結局ずるずる付き合い続けていた。
 6月17日、悩んだあげくKは殺害を決意。18日、Kのアパートへ来たOとデートをし、料理をして一緒に食べた。ラジオの音楽に合わせてダンスを踊り、セックスをした。19日午前0時頃、眠ってしまったOの首を電話のコードで絞めて殺害。鎮痛剤20錠を飲み、果物ナイフで手首を切り、ガスを漏出させたが、死ぬことは出来なかった。その後、Kは死体が白骨化するのを待ち、ふたりで旅行したことのある佐渡で遺骨を抱いて死のうと決意。8月末までに会社を辞めると伝えてあり、それまで彼女は床下に死体を隠し、一緒に暮らしていた。
 Kは逮捕後も食事を拒否した。精神鑑定で離人症を主張、抑鬱症状を伴っている神経症状にあったと判断された。ただし、完全責任能力と限定責任能力の両論が併記されるという珍しいケースとなった。1985年1月22日の東京地裁で懲役9年判決(求刑懲役12年)。弁護側が量刑不当と控訴。11月28日の東京高裁判決で、情状酌量の余地ありということで懲役7年の判決が下された。

<第七話 疾走する消防士>
 勝田清孝連続殺人事件を扱っている。報道記事と裁判結果がほとんどなのは残念である。

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