『殺人者はそこにいる』、『殺ったのはおまえだ』、『その時 殺しの手が動く』に続く、「新潮45」編集部編ノンフィクションシリーズ第四弾。
近年は、単純な殺人事件ではなく、新聞記事や週刊誌を騒がせるような殺人事件が多くなったと思う。“日常”そのものが劇場化しつつある現代日本において、殺人事件は当たり前のことであり、異常としか思えない殺人事件が世の中を這いまわる時代となりつつある。
ここに収録されている9事件は、いずれも新聞紙・週刊誌上で長く取り上げられた事件ばかりである。社会が爛熟し、より複雑な、もしくは昔より単純な、簡単なことで殺人事件を引き起こす例が増えている。
本書で特に目を引くのは、最後に収録されている名古屋「アベック」殺人事件のその後ではないだろうか。少年事件では、犯人の名前は新聞紙上に現れない。事件の詳細を報道されることが少ない。そのため、通常の犯罪事件より、被害者遺族が抱える苦痛は大きい。さらに損害賠償請求を提訴したら、加害者側・警察側より理不尽な言葉をかけられることは少なくない。請求が通ったとしても、加害者側から実際に払われることは少ない。中には開き直って払わない加害者もいる。それを罰する法律すらない。本編の加害者側が被害者遺族2家族へ払った金額は、請求額の1/3以下だ。被害者遺族は、このような理不尽な扱いを受けていいのだろうか。少年事件の弁護団や、死刑反対運動を続ける“人権屋”はこうした事実を全く無視している。
さらに本編では、すでに出所している犯人たちのその後を追い、インタビューを敢行している。その内容には、あきれかえるばかりだ。犯人たちからは謝罪の言葉はいっさいない。刑務所・少年院における更正などは名ばかりだ。本当に救われるべきなのは誰なのか。そのことを語りかける上でも、本編は重要である。
犯罪事件のその後を追うことに異議を唱える人もいる。せっかく落ち着いたのに、なぜ蒸し返すのか。もちろん、興味本位で取り上げることには反対だ。しかし、新聞・週刊誌では取り上げられない事件の真実、裁判結果、そしてその後を追いかけることは、犯罪予防・被害者遺族救済・更正などといった、様々な問題点に対する有効な手段の一つなのである。
目次は以下。
第一部 見た貌が仮面を新たに振り返る
洗礼名「カタリナ」を持つ聖女、夢見た愛の報奨―神戸「風俗王」惨殺事件 新井省吾
墓場で嬲り殺された「十六歳少女」が甘受した青春―千葉「キャバクラ嬢」撲殺事件 佐久野慎
二つの家族の団欒は「妊婦殺し」と自死で終わった―横浜「恋人一家」惨殺事件 駒村吉重
第二部 憎しみは愛と同じく満ちてゆく
詐欺師の手に絡め取られた「血族六人」殺意の鎖―北九州「監禁男女」連続殺人事件 駒村吉重
「二人の御曹司」が情熱を傾けたそれぞれの未来―新城「資産家三代目」誘拐殺人事件 上條昌史
「立ち去り警官」は渦巻く怨嗟を目撃していた―神戸「大学院生」リンチ殺人事件 新井省吾
第三部 そして、羅刹たちの乱舞は止まず
モテたい女の声音が騙る「陳腐な恋の物語」―和歌山「メル友」絞殺事件 上條昌史
「十八歳年下」女に嵌った男が見た奈落―板橋「精神科医」患者絞殺事件 村山望
反省し「シャバ」に戻った少年少女のそれから―名古屋「アベック」殺人事件 中尾幸司
<リストに戻る>