飛び石勝ち抜き

 1980年7月26日、2週目を勝ち抜いた海原はるか・かなたであったが、次の8月9日(2日は特番)には出演していない。次に出演して3週目に挑戦したのは8月23日である。この時は翌週の勝ちぬき者紹介の場面で山田康雄さんが「病気のためお休み」と紹介し、2週後に登場したとき「もう身体は大丈夫ですか?」などと訊いていたが、今思えばスケジュールの都合(多分大阪での仕事)と思われる。
 1980年9月30日、再チャレンジで1週目を勝ち抜いた鳳らん太・みい子。しかし次の週では出演せず、次に出演したのは3週間後の10月11日。この時は、飛んだ時には一切説明がなく、再登場のとき「実は飛行機に乗り遅れてしまって…」と言い訳してウケていたが、これもスケジュールの都合(多分大阪での仕事)と思われる。
 他にも飛び石勝ち抜きを果たしているのは、大木こだま・ひかり。12月20日に5週目を勝ち抜いた後、次に出演したのは翌年の1月31日だった。これはひかりの病休である。

 飛び石勝ち抜きで困るのは、撮りの2回目で全員が合格してしまうこと。そうなると、復帰するはずの彼らの場所がない。
 海原はるか・かなたの場合、前の撮りでおぼん・こぼんが10週目にチャレンジしているので、間違いなく1枠が空くことがわかっており、特に問題はなかった。
 鳳らん太・みい子の場合、前の撮りで落ちたのはゼンジー一億村松正三。ネタを見ていないので何ともいえないが意地悪い見方をすると、ネタ的に勝ち抜けない挑戦者(たぶん村松正三)を用意していたのだと思う。
 問題は大木こだま・ひかりの方で、病気ということからいつ復帰するか番組関係者も把握できなかったのだと思う。当時テレビを見ていた人たちによると、かなり受けていたはずのまこと&がっしゃんが落選している。このあたりに、番組関係者の苦労が伺える。
 その後は、関西からの挑戦者が減ったこともあり、そのような措置は発生していない。