近江俊郎

 1918年生まれ。陸軍軍属の歌手を経て、1946年に奈良光枝とのデュエット・ソング「悲しき竹笛」がヒット。「湯の町エレジー」の大ヒットで全国的歌手となる。その後は映画監督やタレント、司会などでも活躍した。1992年死亡。
 『お笑いスター誕生!!』では、新春・真夏の歌謡祭における審査委員長として活躍。ちなみに審査員は近江先生一人だけである(後に増えたが)。審査ははっきり言って独断と偏見(笑)。第2回の音楽祭におけるカージナルスの審査でハーモニーに弱いことが露呈。以後、「ハーモニーの俊ちゃん」と呼ばれる(笑)。「審査員心を一つにしてがんばる」「厳正なる審査の結果〜」がお約束。それでも、ウィットに富んだ審査はいいアクセントになっていたと思われる。
 サバイバルシリーズ以後は、レギュラー審査員として長く務めた。
 芸名をよく間違えるらしく、「ウッチャンナンチャン」のことを「ウンチャカチャン」と言っていた。また、「象さんのポット」も「象さんとポーさん」って言っていた。他にも名前の間違い多し。