歌謡祭

 グランプリを含む過去の出演者が集まって繰り広げられる歌合戦。といっても、本業が歌手ではない芸人ばかりなので、真面目に歌う人から、受け狙いに走る人、真面目に歌っているつもりなのに受けてしまう人など多種多彩。厳しい勝負が続く中での息抜き企画だが、それなりに好評で、最後の年まで続けられていた。
 審査委員長は近江俊郎。初期の頃は、近江先生一人だけであった。審査ははっきり言って独断と偏見(笑)。第2回の音楽祭におけるカージナルスの審査でハーモニーに弱いことが露呈。以後、「ハーモニーの俊ちゃん」と呼ばれる(笑)。「審査員心を一つにしてがんばる」「厳正なる審査の結果~」がお約束。
 最初の2回は山野ホールで行われており、バンドも横森良造のアコーディオン演奏のみであったが、那須ロイヤルホテルで開催されるようになってからは審査員も増え(とはいえ、那須の市長さんやホテルの支配人、一般客などただの人数あわせに過ぎない)、那須グランドオーケストラといったバンドが付くようになり、だんだんと豪華になっていった。もっとも出演者が出演者だから、中身は変わらなかったが。

 開催されたのは以下の放送日。
 1982年1月9日「新春歌謡祭」:優勝者は小柳トム(歌は『昴』)。
 1983年1月8日「新春歌謡祭」:優勝者はエド山口(歌は『いとしのエリー』)。
 1983年7月30日「真夏の音楽祭」:優勝者は小柳トム(歌は『片想い』)。
 1984年7月28日「真夏の音楽祭」:優勝者不明。
 1985年1月12日「大爆笑!!輝け歌謡祭」:優勝者不明。
 1985年8月3日「真夏の音楽祭」:審査員チームvs出演者チームの団体戦。勝者は審査員チーム。
 1986年8月3日「那須真夏の音楽祭!」:優勝者不明。