『お笑いスター誕生!!』 名鑑【た-1】


 皆様からお寄せいただいた情報は、緑文字で表記しております。
 【あtろのマニアック演芸BBS】より転記した情報は紫文字で表記します。
 【芸人さん情報サイト geinin.jp】より転記した情報は栗色文字で表記します。
 拙HP【「お笑いスター誕生!!」掲示板】より転記した情報は青色文字で表記します。
 新規に情報を追加した場合は、赤文字で表記します。

名 前
TTS(タカミ・テツヤ)
初出場
 1986年7月12日(第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫 才。
プロフィール
 元ブレイクのテツヤと、元西田タカミ・キヨミのタカミで結成。
 タカミ:本名原西隆巳。1957年9月1日生。大分県出身。
 テツヤ:本名島田哲也。1962年2月17日生。大阪府堺市出身。
ネ タ
 マリオに似ていたこともあって、スーパーマリオの真似をしていた。
エピソード
 テツヤはミヤ鈴丸・花丸ブレイク、そしてTTSと相方を三回変えて番組出場の記録。もっとも、成績は残していないが。
感 想
 せっかく流行もの(ファミコンのマリオ)をネタにするのなら、もう少し掘り下げて欲しかった。当時の週刊PBのファミコン特集ギャグ記事「ファミコンでくるんくるんぱ~」に遠く及ばない。1回戦負けも当然の出来の漫才でした。
その後・現在
 大阪ではNTT(ニュータカミ・テツヤ)と名乗る。『テレビ演芸』ではNTTとして出場。0週勝ち抜き。
 タカミは京橋でスナック、テツヤは赤帽。オフィスQ所属(すでに辞めている)。
【登場者リストに戻る】

名 前
タージン
初出場
 1982年8月21日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 7週勝ち抜き、銀賞獲得。
 サバイバルシリーズ1回戦負け。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫談。時々落語も。
プロフィール
 本名石井雄三。1962年6月18日生。大阪府出身。
 桃山学院大の学生。通称ピン大。
 芸名は大学時代に使っていた「地獄家但馬春(タージマハール)」から。アマチュア挑戦。挑戦時は19歳。
ネ タ
 最初の挨拶は必ず、手を叩いた後リアクション付で、「はい、私が噂のタージンです」。
(1週目合格 No.123 1982年8月21日放送)
 桃山学院大学の大学生であるという自己紹介のネタから、ヤンキーネタ。
(2週目合格 No.124 1982年8月28日放送)

 上方落語『うん回し』。「ん」の付いた言葉を言い合い、んの数だけ味噌田楽をもらう噺。「うんこ」から始まって「巨人阪神三回戦、阪神負けて子猫に変身」なんてのも。
 ただし洋服を着て立ったままでやっていた。
(4週目合格 No.126 1982年9月11日放送)

車の擬人ネタ(模写)

「車」って考えてみたらかわいそうですよね。もし「車」に魂が宿ったら 人間に対してこんな事 言うんじゃないでしょうかね?

(ワイパー)手でワイパーの真似して・・・
「あ忙し あ忙し・・・」
(運転席のシート)中腰になり 手でシートベルトした形にして・・・
「おおぅ ネエちゃんいいケツしてるじゃネエか!!」
それを見ていたワイパーが
(ワイパー)
「あ忙し あ忙し・・・」
(5週目不合格 No.127 1982年9月18日放送)

 古典落語。鶴の捕まえ方。遠くから大声で「つーるー」と叫ぶと、鶴は遠くに人がいるなと思い気にしない。少し近づいてちょっと声を小さくして「つーるー」と叫ぶと、鶴はまだ遠くに人がいるなと思う。かなり近づいて小さな声で「つーるー」と叫ぶと、鶴はまだ遠くに人がいるなと思ったまま。そしてそばに近づいて、鶴を捕まえる。
(6週目合格 No.152 1983年3月19日放送)
(サバイバルシリーズ1回戦Bブロック 75点× No.187 1983年11月19日放送)

 ブームの話。5、6年前の口裂け女ブームの話になり、実演。その後、何とか女がたくさん出てきたけれど、怖いなと思ったのが、林檎女の恐怖。ペチャパイなので、胸に林檎を入れている。しかも、さまざまな種類の林檎を胸に入れている。口裂け女のように小学生に「胸が大きい」と聞き、最後は林檎を投げつける。だから私は、枇杷男の恐怖をまねてみた。
 3、4年前のなんちゃっておじさんのように、何とかおじさんブーム。ウルトラセブンおじさん。頭の上に太巻きの巻き寿司を乗せている。男ちゃんが乗り込み、おばちゃんがホームで「ダン」「アンヌ」、ドアが閉まった後は巻き寿司をアイスラッガー。
 続いてウルトラマンおじさん。連結器でバリアだ。列車の連結部分に閉じこもり、ばたばたやりながら、「俺はバリヤに閉じこめられている」と叫び、他の人が扉を開けると「ありがとう。これで地球の平和は救われる」とつぶやいて隣の車輌に映り、また「俺はバリヤに……」といったものでした。
(7週目再挑戦合格 No.184 1983年10月29日放送)

 価値観が乱れてきた。自分のしている腕時計を指さし、日付も出るし、ライトも付くデジタルで梅田で1,980円。安いじゃないですか。実に重宝。それに働き者。時間を教えてくれて、しかも毎秒毎秒、針が動いています。その点、スキーのストック。あれが25,000円。冬と春、せいぜい1年間で10日間。しかもすべっても1日8時間。しかもストックはリフトに乗っているときは休んでいるので4時間。しかも、ストックは方向転換にしか使わない。だから1/4でせいぜい1時間。10日間で合計10時間。1年で10時間しか使わないのに25,000円。腕時計は安いじゃないですか。
 カブトムシやクワガタは、何万円もする。子どもたちはアルバイトをしてまで買っている。虫はどんどん貴重になってくる。一方、人工宝石が出てきたので、宝石の価値が落ちる。2,3年経つと、立派な宝石ね、これはカブトムシよ、みたいなことになる。
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦Eブロック 73点× No.200 1984年3月3日放送)

 はい、私が噂のタージンと申しましてね、よろしくお願いいたします。パッと見ましたら私、30そこそこのおじさんに見えますが、そうやない。若者でございます。昭和37年生まれ、21歳でございます。現役の学生でございまして、大坂にあります桃山学院大学の三回生でございましてね、桃山学院大学、ございます。東京にも似たところがございますよね、そう、あの青山学院大学。そっくりですね。桃山、青山、青山、桃山。完璧です。うちの大学の一回生に言わせましたら、えっ、先輩、青山とうちの大学は、兄弟校じゃなかったんですか。なんておどけた質問をする一回生もいまして、騒がしいもんでございますが、やはり違うんだそうです。名前は似てましても、学校は違うんだそうで、何が一番違うかと言いますと、競争率。青山学院はすごいですなあ、競争率は15倍。(もう一回、声を出さずに唇の動きで15倍)。その点、うち、桃山学院大学の競争率と言いますと、なんと、1.5。ちょうど私の右目の視力と同じでございまして、これで覚えているわけでございます。
 これが一つ目ですが、二つ目といたしまして、だいたい名前自体が違う。青山学院、青山。格好いいですなあ、英語で言いましたらブルーマウンテン。一杯580円、こんな感じでございます。誇り高き香りがしまんな。その点、うち、桃山学院、桃山、英語で言いましたら、ピンクマウンテン。縮めてピンマン。えらいもんでございます。えらい違いがございます。
 三つ目に違いますのが、各校における有名人、知名人。これが違います。と言いますのも、青山学院、有名人がたくさんいますからなあ。例えばですよ、いつもニヒルな渡哲也。青山学院でございます。お洒落な落語家、楽太郎。根性のカンニングを試みた、勇気ある美少女、川島なお美。例え二部でもVサイン、沖田浩之。もう凄いもんでございまして、青山学院、メジャーという感じがします。その点、うち、桃山学院。おらんことはない。二、三、卒業生に芸能人がいてる。ところがあんまりメジャーじゃない、はっきり言ってマイナー。でも意地があります、言ってみましょう。ムッシュ田村。知らんでしょうね。他にもいます。(真似をしながら)ありがとう! 谷村新司。あれがうちの大学出身じゃないですか。谷村新司ですよ。もう谷村新司といえば、世間の批判はどうあれ、メジャーです。初めて桃山学院大学に、メジャーという肩書がつきました。はっきり言って私、好きです、右寄りの人間。好きですねえ、谷村新司。もう大好きでございまして、彼の出ている番組はいつも見ています。
 そしたらこの間テレビを見ておりましたら、谷村新司とサザンオールスターズの桑田佳祐が対談している番組がありまして、話がブワーと盛り上がってまいりまして、ついに、司会者が二人の出身大学について聞きました。まずは桑田君からでね、桑田君の出身大学はどこですか、はい、青学です。すごいじゃないですか。雑誌を見てみましても、サザンオールスターズ、青山大学出身ですね。青山出身の桑田君と、うちの大学出身の谷村新司が、今や肩を並べて仕事をしている。負けてませんねえ、桃山学院。ついにね、谷村新司に移りまして、ところでね、谷村君、谷村君の出身大学はどこですか。はい、桃山学院大学です、というと思っとった。ところが急に言葉に詰まりましてね、不思議にでこちんの汗吹いているんです。人の倍ありますからねえ、でこちんが。えー、テレビを通して、桃山学院って言ってください、桃山学院ってひとこと言ってくれれば、あの桃山学院がメジャーになるんです。ひとこと言ってください。後輩の気持ちが伝わったんでしょうか、谷村新司、ぼそっと言いました。某大学出身です。ほたらなんかい、桃山学院大学はテレビで言われんのか。桃山学院大学ちゅうのは、放送禁止用語なんかい。
 OBまで馬鹿にしているんです。どれだけの違いがあるということか。そう思いましてね。桃山から一人、青山から一人、代表者を出して、テストをさせてみた。共通のテスト、国語のテストでしてね。漢字のテスト、穴開き問題、虫食い問題というやつでして。かっこの中に適当な文字を入れると、四字の熟語になるというやつでしてね。まず一問目、漢数字の七( )八( )。青山の学生、うむ、わかった、書いた答え。七転八起、ななころびやおき。いいじゃないですか、どうですか、この完璧な答え。その点、負けていません、うちの桃山学院。うん、わかった、書いた答え。七泊八日。フルムーン旅行じゃないねん。
 一問目はあっさり負けました。二問目、天国の天に地獄の地、天地( )( )。青山の学生、うーん、わかった、これは天地創造。どうです、この完璧な答え。その点、うちの桃山学院、負けてません。うーん、わかった。なかなかきれいな字で書いてまんねん、漢字で真理と書いてありましてね、よく見ましたら天地真理。何を考えているんやら。
 結果的に私も桃山学院の悪口を言っているようなもんです。実はそんなことない、これはネタだけのことで、ほんまは愛してる。大好きなんです、うちの母校。母校愛に燃えていましてね、いまからちょうど三年前ですわ、初めて大学受験しましてね、合格発表、見に行きました。そしたら僕の受験番号、のってるんです。例え桃山学院といいましても、うれしいもんです。早速家族のもんに知らせなければと思いましてね、全力疾走で家に帰りました。家の玄関を開けるなり大きな声で、おかん、やったで、桃山学院通ったで。大きな声で叫びましたら、うちのおかんがシー、近所に聞こえる。ありがとうございました。

 「しゃべりはすごくいいが、ネタを頑張ってほしい」「自分の学校をくさすばかりではなく、どこかに救いが欲しい」
エピソード
 オーディション時は「地獄家タージマハール」という名前でしたが、PDに改名されました。
 「学生落語選手権」NTVでは、桃山学院大vs青山学院大のネタ。四文字熟語で、□地□理という問題で、桃大生は、てんちしんりと書いて桃大もやるなと思ったら、歌手(天地真理)の名前だった。桃大出身のアリスのメンバーが出身大学を聞かれて、某大と言ってしまった。というネタでした。
感 想
 テレビより寄席向きかなと思っていました。
その後・現在
 タージンといえば関西ローカルの深夜番組『どんぶり5656(ごろごろ)』は外せません。大竹まこと、竹中直人、安岡力也がメーンでしたが、その中でロケのコーナーで「丸刈り一本勝負」というのをやっていました。コンクリートやアスファルトの上にチョークであみだくじを描いて、当たれば賞金、外れれば丸坊主。あみだくじのゴールを自分の体で隠すのがいかにもロケでした。現在のリポートの帝王の原点がここにありました。あと「ひよこ三態」というショートギャグも披露しました。
 現在和光プロ所属。関西ではレポーターの達人として有名。
 所属する和光プロのオフィシャルサイト、和光プロダクション内のタレント一覧にプロフィール等が載っています。
【登場者リストに戻る】

名 前
ダウンタウン
初出場
 1985年1月19日(第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 漫才。  
プロフィール
 松本人志:本名同じ。1963年9月18日生。兵庫県出身。
 浜田雅功:本名濱田雅功。1963年5月11日生。兵庫県出身。
 吉本NSC1期生。1982年4月結成。
ネ タ
(第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦Aブロック 97点〇 No.246 1985年1月26日放送)

浜田「どうも!」
松本「どうも! え~、ありがとうございます、ダウンタウンでございます!」
浜田「はい!」
松本「まぁ、大阪のほうではねぇ、結構頑張ってるんですけどね、こっちのほうはあんまりねえ、あの、知らないんでね」
浜田「まあ、出てきたことないですから」
松本「そう、あがってるんですけどね」
浜田「はい」
松本「我々あの~ですねえ、昔あの~ありましたね」
浜田「はい」
松本「漫才ブーム!」
浜田「ご存知でしょう?」
松本「あれにねえ、あの、憧れて大体入ったっていう輩なんですけどね」
浜田「ねぇ~、そうそう」
松本「あの頃僕らちょうど高校生でしてね」
浜田「そう」
松本「テレビ見てましたらね」
浜田「テレビ見とったんですよ」
松本「カッコよかったでしょ」
浜田「ええなぁ」
松本「僕らの先輩方どんどん出て行きましてね」
浜田「売れはってねぇ」
松本「うわぁ、カッコええな」
浜田「ええなぁ」
松本「漫才師いうのもええもんやなあ」
浜田「そうそうそう」
松本「どうしてもこの世界入りたいなあ、むっちゃくちゃ憧れて、この世界入ってきましてね~」
浜田「うんうん」
松本「今えらい目おうてるんですよ」
浜田「はっ(笑)…そう、もう今最悪です、ハッキリ言って」
松本「もう、これ以上言うたら僕、多分泣いてしまうと思うんで、やめときますけど」
松本「去年だいたい1年ですね、多かったのが、あの、誘拐ですね」
浜田「誘拐目立ちましたけどね、特にこんな小っちゃい子を誘拐するやつが一番たちが悪いでしょ。抵抗もできんのにパーッと連れて行って、あとで電話なんかしてきよるでしょ、身代金とるいってね。誘拐怖いなぁ」
(やりとりを始める)
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「はぁはぁはぁはぁ」
浜田「いたずら電話か。誘拐怖いな、って言ってるでしょ」
松本「あ、もしもし」
浜田「はい」
松本「お前んとこになあ」
浜田「はい」
松本「小学校2年生の息子おるやろ」
浜田「はい、いますけどぉ」
松本「そしたらええねん(と受話器を切る)」
浜田「待て~、お前。確認して切ってどないすんねん、そんなもんお前」
松本「あ、もしもし」
浜田「はい」
松本「預かってんねん」
浜田「へ?」
松本「お前んとこの息子うちで預かってんねん」
浜田「いやっ」
松本「驚くことあらへん、お前が朝預けていったやないかい。帰ってんやったら、早いこと来い(と受話器を切る)」
浜田「何の話をしとんねん、お前!」
松本「なんや」
浜田「「誘拐怖いなぁ」言うてんのやないかい、お前。話区切らんと、一緒くたにせえよ」
松本「もしもしぃ」
浜田「はい」
松本「誘拐怖いなぁ……」
浜田「……お前、どないして突っこめ言うねん、それ。お前、何を言うとんねん。訳の分からんことペラペラ喋んな、お前」
松本「分かった、も、もう任せて、もう任せて、任せて」
松本「もしもし?」
浜田「はい」
松本「お前んとこのなあ」
浜田「はい」
松本「息子返して欲しいやろ」
浜田「いや、当然ですよ~」
松本「返して欲しかったらなあ」
浜田「はい」
松本「そうなるように努力せえ(受話器を切る)」
浜田「どないせえ言うねん、そんなもんお前、電話越しの俺に」
松本「それは考えて、お前が答えを出せ」
浜田「そんな誘拐犯おれへんやろ~。チャッチャとやってな、あんた」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「身代金持ってきて~」
浜田「ヘッ」
松本「うち2丁目の田中やけど、身代金持ってきて」
浜田「名前言うてどないすんねん」
松本「なんや」
浜田「そんな誘拐犯、おんのかい」
松本「分かった、チャッチャとやろう」
浜田「分かってんねやったら、やって」
松本「あ~、分かった分かった。あ~もしもし」
浜田「はい」
松本「あんなぁ、500万持って来て」
浜田「えっ」
松本「500万」
浜田「500万ですかぁ」
松本「……無理かぁ」
浜田「500万ですねぇ」
松本「高いぃ?」
浜田「……」
松本「ほんなら、400万くらいやったらいけんの、自分」
浜田「どこの誘拐犯が「400万くらいやったらいけんの、自分」ってなんやねん。高いのは決まっとろうがね、あんた~」
松本「小松屋(?)の売店か」
浜田「押し通せよ」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「今から1時間後にな、2丁目の電話ボックスあるからな、いいか、こっちの言うとおり持ってきて」
浜田「はい」
松本「よう聞いてや」
浜田「はい」
松本「緑の鞄に500万入れて、白い鞄に赤い鞄といったおれが白い鞄が入って(ここ、よく聞き取れない)」
浜田「わかるかい、そんなの」
松本「覚えろ」
浜田「持っていけばいいやないの、そんなの」
松本「もしもし?」
浜田「えっ?」
松本「ちょっと待って」
浜田「へっ?」
松本「こっちの旗色おかしいねん」
浜田「旗色?」
松本「ちょっと待って」
浜田「はい」
受話器を手に持ったまま、何かを探し回る松本。
浜田「もしもしぃ」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「えらいこっちゃ」
浜田「えぇっ」
松本「俺んとこの息子おれへんねん!」
浜田「知るかい、そんなもん。おれんとこの息子が誘拐されてんでしょ。どっか遊びに行ってるんでしょ」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「ちょっと待って」
浜田「またですか」
受話器を片手に後と話す松本
浜田「(泣きそうな声で)もしもし、もしもし、もしもし」
松本「おかあさんがあまり長電話するないうから切るわ」
浜田「なんやそれ」

 この後は、大阪のヤンキーネタ。浜田が大阪のヤンキーを形態模写し、松本がボソッとボケ、それに浜田がヤンキー言葉でツッコミまくる。
浜田「芸能界でも大麻が流行りましたね」
松本「私なんか、小学校の時から大麻をいじっていましたが」
浜田「ほんまですか」
松本「よくおかんに言われたんねん。帰ってきたらご飯の大麻を入れておけや……」
浜田「ちょっと待て。大麻?」
松本「たいま」
浜田「それってタイマー」
松本「そうとも言うねん」
浜田「そうとしか、いーわーねーん」
(名作傑作集第2弾 No.319 1986年7月19日放送)

浜田「どうも」
松本「どうも、笑い屋のおばさん、こんにちは、ダウンタウンです」
浜田「どこにおるんや」
松本「おるんじゃないかと思いまして。まあ、大坂の方でこじんまりと、一生懸命やってるんですよ」
浜田「地道にやってます」
松本「僕らねえ、もう、友人みたいに、腹割って喋ります。ぼくらねえ、今勉強の期間なんですね」
浜田「そう、悪い言い方したら、下積みです」
松本「下積みですね。今のうちにいろんなことを勉強せなあかんな」
浜田「色んなもん、見て聴いて吸収してね」
松本「まあ、今から三年後ぐらいですか? まあなんとかやってるんじゃないかな」
浜田「まあ、自分たちのことですからね、だいたいわかります」
松本「今から目つぶったらね、三年後の光景が目に浮かんできます」
浜田「三年後ね」
松本「多分、どっかの地下街で毛布にくるまって寝てるというね。その時は気軽に三立パンなんか」
浜田「待てよ! 三立パンあらへんがな」
松本「兄ちゃん、若いころ漫才見たことあるわ。向こうの方に大きいダンボールあるから持ってきてやろか、と言われるように幅の広い芸人に」
浜田「終わっとるやないか、そんなの」
松本「ホチキスの金具外してもらっておいたら、寝やすいなと」
浜田「細かいな」
松本「自慢話みたいで嫌なんですけどね。一応ね、あのコマーシャルはね、出てるんですよ」
浜田「コマーシャル」
松本「あの、ミスタードーナツありましてね」
浜田「知ってますか」
松本「所ジョージさんがメインで」
浜田「そうそう」
松本「おっきいドーナツ頭にかぶって」
浜田「こんな大きなドーナツ、顔と頭につけてね」
松本「ドーナツドーナツ美味しいなって、後ろ歩いてるの僕らなんです」
浜田「自慢話みたいで、嫌なんです」
松本「ビデオ撮って何回も一時停止してみたんですけどね。自分の姿が見当たらないんです」
浜田「ほんとに」
松本「あのね、相方写ってるんです」
浜田「そんな言うてもね、ちょっとです」
松本「画面の左端に映ってるんですけども、昼とか朝とか見ると、時間と被って見えへんのですよ」
浜田「時間に削られてます」
松本「今朝8時の8で顔がかぶるってつらい話じゃない」
浜田「いやです、ほんとに」
松本「もうだいたいこんなでね、こう今お笑いがあかんかっていうと、世の中のせいもあるんですけどね。お笑いをね、受け付けようかなという感じがしませんよね」
浜田「そうですか」
松本「怖いこといっぱいありますよ。去年一年見ても色々ありましたけどね」
浜田「ええ」
松本「何が怖いってね、あの誘拐」
浜田「そりゃ、たち悪い。あんなもん、防ぎようがないでしょう。特にちっちゃい女の子、誘拐してね。抵抗もできへんのに連れていってね。そして後から電話してくるでしょ。身代金取る、あれが一番たちが悪い」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「はぁ、はぁ、はぁ」
浜田「いたずら電話か! はぁはぁやあらへんやろ」
松本「もしもし。あんな、お前のところに、小学校二年生の息子居るやろ」
浜田「(泣きそうな声で)居ますけど」
松本「うちには六年生がおんねん」
浜田「待てよ、お前。お前んとこ何年生居っても、関係あらへんがな」
松本「なんや」
浜田「なんぼなんぼ持って来い言わなあかんがな」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「あんな、500万持って来い」
浜田「500万ですか」
松本「うちな、二丁目の松本やから」
浜田「名前言ってどないすんの」
松本「途中でウーロン茶買ってきてくれ」
浜田「連れが来るのと、ちゃうんやからな」
松本「一応、俺の電話番号言うとくから」
浜田「待ていいうねん。電話番号やあらへんがな。すぐ行くがな。待っとけや。すぐ行くから(と殴ろうとする)」
松本「危ないな。手出すのやめぇ。刺さって怪我にでもなったらどうすんねん」
浜田「刺さらんようにやっとんや(と当たらないようにパンチを何発も繰り出す)。刺さってんの? 刺さってんの? 刺さってんなら言うて」
松本「なら今度刺さった時言うわ」
浜田「そしたら俺ごめんなって言うわ」
松本「すぐに二人は元の仲良しさん。な~に言うとんの」
浜田「(肩を叩いて)すぐ行くから待っとけ」
松本「もしもし。絶対来いよ。」
浜田「(泣きながら)はい」
松本「あっ、ちょっと待って。ごめん、ちょっと待って。(後ろを向きながら)なに、そう、はいはい」
浜田「(泣きながら)もしもし」
松本「お母さんがな、長電話するなってうるさいから切るわ」
浜田「やかましいわ。どこの誘拐犯、おかんに気をつかいながら電話するん」
松本「(浜田の胸を叩きながら)君とはやってられんわ。どうもありがとうございました(と舞台を去ろうとする)」
浜田「(引き留めながら)待てよ」
松本「(浜田をじっと見つめる)」
浜田「ずっと話してきたやないの。物騒だから、漫才やってきてもしゃあないって」
松本「うん」
浜田「なんかあるやろ」
松本「なんもないもん」
浜田「(思わず苦笑)せやからな、漫才しとってもしゃあないねん。」
松本「うん」
浜田「なら色んなとこ、目向けよ。そんな仕事変えようかな、とか言われんか、お前」
松本「はあはあはあ。職業変えるってことね」
浜田「言えよ」
松本「それは言えますね。漫才師よりほかにええ仕事いっぱいありますからね。あのー、そうですねー、例えば警察官とか」
浜田「格好いいですからね」
松本「野球選手とか」
浜田「そうそう、金儲かる」
松本「お医者さんとか」
浜田「あっ、これ一番いい」
松本「お医者さん、かっこいいですね」
浜田「お金儲かるしね」
松本「ええ」
浜田「自分の子供が病気になるでしょ。あのとき、親はつらいでしょうね。先生に会うの」
浜田「(松本の方を見て泣き出す)(さらに泣き出して、松本の方に顔をうずめる)うちの息子、どうなんですね」
松本「(体を預けてくる浜田を支えようとする)」
浜田「(泣きながら)うちの正雄、どうなんでしょう」
松本「(浜田を突き飛ばしながら)霊魂か。俺の中、入ろうとしてんのか」
浜田「入りませんよ」
松本「お父さん。正雄君のお父さん」
浜田「そうです」
松本「とりあえずこの間、正雄君に来ていただいて、レントゲン写真を撮りました」
浜田「そうですか」
松本「あれの焼き増しが届いているんです」
浜田「(泣くのをやめて、松本を睨む)」
松本「見てください。これです。これが気象衛星ひまわりから見た正雄君です」
浜田「遠いところから……」
松本「積乱雲に隠れて、何のことかわからないでしょう。説明しましょう」
浜田「お願いします」
松本「わかりやすく、具体的に」
浜田「簡単にお願いします」
松本「簡単に」
浜田「素人ですから」
松本「わかりやすく説明します。肺の部分に問題があります。肺の部分が、こう、グァーってなってる。腸の部分がこうグァーっと。うちの塚本君がここのところをガッとやったんですけれど、スッとなって、ガッとなって。どうもありがとうございました」
浜田「わかるかい! グァーグァーって簡単すぎるやないかい」
松本「そうですか?」
浜田「真剣にお願いしますよ」
松本「正雄君の病名を言います」
浜田「(泣きながら)はい」
松本「お父さん、笑わないで聞いてください」
浜田「(泣くのを止めて顔を上げる)はい」
松本「絶対に笑ってはいけません」
浜田「はい」
松本「正雄君は、実は、癌なんです」
浜田「(思わず笑い出す)」
松本「何がおかしいんですか」
浜田「(笑いながら、松本の頭を叩く)なんかおもろいこと言うかと思うがな」
松本「ええ」
浜田「(泣きながら)真剣にお願いします」
松本「命のね、保証ができないんです」
浜田「えー」
松本「長くて半年。早ければ来月の第二土曜日の二時」
浜田「(思わず頭を抱える)」
松本「雨天決行です。合羽ぐらいは貸しますよ」
浜田「(泣きながら)何とかしてください」
松本「イヤです」
浜田「ダメですならわかるけど、イヤですはないやろ」
松本「いいですか、お父さん。お父さんができることは、正雄君が癌だということが絶対ばれないようにしてください」
浜田「それしかないんですか」
松本「それしかありません」
浜田「そうですか」
松本「昔、これしかポールという歌があった」
浜田「あっ、正雄。ちょっと向こうへ行ってなさい。先生と大事な。(泣きながら)先生、言ってください」
松本「(後ろを見ながら)正雄君。話を聞いてはいけない。向こうへ行きなさい。行きなさい」
浜田「(泣きながら)行ってなさい」
松本「行きなさい。行きなさい、癌のくせに」
浜田「(思わず泣くのを止める)」
松本「そんなうろうろしていたら、余計癌になるでしょ。見ていて憎たらしい。(浜田と握手しながら)くれぐれも正雄君にはばれないように」
浜田「もうええわ」
エピソード
 ホットドックプレスのコトブキ健太のコラムで、彼らの事を誉めてました。誘拐犯のねたで「お前んとこに小5の子がおるやろ」「はい」「うちとこにもおるねん」というのを紹介し、ネタは並みだが間が面白い。パワーズやちびっこギャングには出来ない芸だ。との事です。このコトブキ健太の正体は、萩原健太らしい。
 当時の赤尾PD曰く、「技とセンス、独自性の全てが光っていて、どの角度から見ても文句の付けようがなかった」
 オーディションの時点で完璧だったので、赤尾PDはファンになりましたと彼らに言ったが、2人は当然のような顔をしていたとのこと。
(よくダウンタウンの勝ち抜き週が3週と雑誌に書かれていますが、)ダウンタウンの3週とはオープントーナメントで準決勝まで、つまり2回勝ち抜いたということです。さらに付け加えるなら松本の勘違い。『夢であえたら』でウンナンに対し「君らグランプリとったけど、俺らどうせ3週で落ちたワイ」と言ったのです。
 ダウンタウンといえばテレビ演芸でライト兄弟として出演。横山やっさんにケチョンケチョンにやりこめられ1週も勝ち抜けなかったことが有名ですが、やっさん死去の翌日、テレ朝のワイドショーでそのときのテレビ演芸のネタの一部とやっさんとのカラミをみせてくれたのにはびっくり。
 いま気が付いたのですがダウンタウンって「お笑い君スタ」「テレビ演芸」「お笑いスタ誕」すべてに、しかも全部違う芸名でチャレンジしてるんですね。これってすごくない?
 ブッチャーブラザーズと彼らぐらいでしょう。
 ダウンタウンは「君スタ」では人志・雅功でした。
 ダウンタウンが司会した10年位前の正月番組で、『テレビ演芸』に出た時のエピソードを、VTR付で(主に浜田さんが)語ってました。
 審査員の大島さんや糸井さんには結構受けてたのですが、やすし師匠が例の「オマエら舐めたイモの漫才しやがって」と絡み、「おぅ、もうこんなの結果解ってるやろ、さぁ、押せ」と言って、審査員が当時勝抜いてたザ・バイキングにボタンを押したと言う経緯があったようです。やっぱ、やっさんには逆らえなかったのか……。
感 想
 登場時のネタは覚えていません。ただ、若手の頃から時々見ていましたが、これほど売れるとは思っていませんでした。お笑いスタ誕出演と書かれることはほとんどないです。
 当時のダウンタウンは少々言葉足らずなところがあって今ほど的を得たボケ・ツッコミが無かった。
受賞歴
 1982年 第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール福笑い大賞
 1984年 第5回ABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞受賞
 1984年 第14回NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞
 1987年 第7回花王名人大賞最優秀新人賞受賞
 1987年 第15回日本放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞
 1987年 第22回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1988年 第23回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1989年 第24回上方漫才大賞大賞受賞
レコード
「GOBU-GOBU」(1988.11)
「夕陽家族」(1989.10)
「生きろ・ベンジャミン」(1991.2 互いにソロで出している)
「万力の国」(アルバム 1991.3)
「Grandma is Still Alive」(1994.7 GEISYA GIRLS名義)
以下省略。
その後・現在
 現在の活躍はここに書くまでもなし。
 所属する吉本興業のオフィシャルサイト内のタレントプロフィールに、活動情報などが載っています。
【登場者リストに戻る】

名 前
瀧雅也
初出場
 1982年1月16日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 4週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 マジック。
プロフィール
 1936年12月12日生。長野県出身。
 東京俳優生活協同組合所属。声優、俳優として活動していた。マジックは趣味だったらしい。
ネ タ
 客を舞台に上げ、そのやりとりで笑わせるマジシャン。
(1週目不合格 No.92 1982年1月16日放送)

 真っ白な大福帳に「滝」「雅」「也」のどれかを印刷させるという、手品では古典的なネタ。どの文字がいいか、客席に問うが、声があがらない。仕方なく、自分で順に「滝」「雅」「也」の3つを一編に出すといい、大福帳をめくると確かに「滝雅也」の文字が順に出てくるが、あまりにも古いネタで誰も笑えなかった。
(2週目合格 No.116 1982年7月3日放送)

 客席から一人壇に上がってもらい、トランプを一枚引かせる。「スペードの7」ということを、客席全員に見てもらう。トランプを山に戻し、よくシャッフルしてもらう。客は机の上にあるガチョウの玩具にトランプをセットする。そしてボタンを押すと、ガチョウがおじぎして、トランプを一枚、口にくわえる。見事に「スペードの7」を引き、拍手喝采。お客に席に戻ってもらったあとに、種明かし。二回、三回、ガチョウにトランプを引かせると、全部「スペードの7」。
(4週目合格 No.118 1982年7月17日放送)

 客席から一人壇に上がってもらい、手品を行う。最後、お礼にと言ってプラスチックで中が透けている箱を出し、「この中のものをお礼に差し上げます」。しかし、何もないので客は「いいえ、結構です」と壇を降りる。壇を降りた後、「遠慮深い方ですねえ」と箱を横に向けると、一万円札が何枚も入っていた。
エピソード
 最初に出たときは、1週目で落ちていた。
感 想
 それほど喋りがうまいとも思えなかったので、お笑いとしてはきついと思いました。
その後・現在
 番組以前の事ですが、滝さんは『秘密戦隊ゴレンジャー』の第82話「黒い魔術師!!人形館の怪?!」に出演しています。怪人の声と人間体を演じているのですが、その怪人は「ヨーヨー仮面」、人間体の時は魔術師で手品も披露しています。まさに滝さんに合わせて作られたようなストーリー。ぜひ見てみてください。
 日本テレビのマジックのネタばらしの番組に出ていました。この番組、マジック協会(正式名称は知らない)が反対し、抗議声明を出したぐらいだったので、当然協会のマジシャンは出なかったはず。となると、瀧雅也は協会に入っていなかったのだろうか。
 『スケバン刑事』のヨーヨー指導としても有名。『スケバン刑事III』にはレギュラー出演までしていました。
 現在も声優、洋画吹き替え、俳優として活動中。
【登場者リストに戻る】

名 前
立川レーガン
初出場
 1981年4月25日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 3週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 落語。
プロフィール
 一見外人風だが実は日本人。本名、福田秀文。1952年5月26日生。(AJAPAより) ただし、父親が確かアメリカ人です。
 立川談志(七代目)の弟子。1969年入門。1972年に談志の通帳から無断で金を引き出したため破門され、1979年に復帰していた。
ネ タ
 郷ひろみは1曲歌うだけでギャラが何万円。自分は何時間も落語をやって数千円。この差は何なんだといったネタをやっていました。
 実はあの堀越学園出身で、
「堀越の英語の入試試験問題は『アルファベットを順番に書け』だけ!さっさと解答し終わって、隣の席の受験生を見たら、この簡単な問題に、真剣に悩んでやんの」というネタ(3週目挑戦のとき)をやっていました。
 4週目にポルノ男優のネタで不合格。「パンティに手を入れる時はグーパーグーパーとやった方がリアル」という下品なネタをやっていました。
 方言ネタの落語。ある宿に泊まると、宿の主人が自分を手打ちか半殺しにするというので逃げた。名古屋弁で「はい」を「ない」というのでレストランで困った。
エピソード
 4週目(再挑戦)では立川丹波守と改名し、裃を付けて登場。
感 想
 正直言ってあまり面白くなかったです。もっとも、この人の本領は、テレビに放映できないような古典落語の下ネタバージョン落語です。
受賞歴
 1990年 第43回国立演芸場花形演芸会金銀賞金賞受賞「反対車」(立川平成として)
 1991年 第11回国立演芸場花形新人大賞特別賞受賞(立川平成として)
 2000年 芸術祭大賞演芸優秀賞受賞「快楽亭ブラック毒演会」
著 書
 立川平成・立川談之助『禁断のブラック・ギャグ―超過激に笑っちゃう!』(ベストセラーズ,1992)
 快楽亭ブラック『日本映画に愛の鞭とロウソクを―さらば愛しの名画座たち』(イーハトーヴ出版,1999)
 快楽亭ブラック『借金2000万円返済記』(ブックマン社,2006)
 快楽亭ブラック『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全(CD付)』(洋泉社,2006)
 快楽亭ブラック『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全(2)(CD付)』(洋泉社,2006)
 快楽亭ブラック『歌舞伎はこう見ろ!―椿説歌舞伎観劇談義』(彩流社,2010)
 快楽亭ブラック『立川談志の正体―愛憎相克的落語家師弟論』(彩流社,2012)
その後・現在
 立川レーガンもよく改名をしたが、彼の場合は単に志ん生の改名記録を抜きたいだけだった。以降、丹波の守・英国屋志笑(ししょう=師匠)・マーガレット、立川小錦やなんやかんやを経て快楽亭セックスを名乗り最後に快楽亭ブラックを襲名した。ギネスブックには載ったのだろうか。
 立川ワシントン→ジョニー三ノ介→(旧)桂三ノ介→桂サンQ→立川談とん(二つ目)→立川カメレオン(行った先々で、そこの地名を名乗る)→立川レーガン→立川丹波守→英国屋志笑→立川レフチェンコ→立川世之介→立川小錦→快楽亭セックス→快楽亭マーガレット→立川平成→二代目快楽亭ブラック(1992年真打ち昇進)
 『ツービートの笑ってごまかせ』 ザッツエンターギャグメントコーナーに出演。堀越のアルファベットの書けない受験生はおりも政夫だった。
 現在は二代目快楽亭ブラックを名乗り、活動中。著書多数。
 競馬などで約2,000万円の借金を抱え、2005年6月には妻と離婚し、都内の自宅を出た。もともと落語会出演は少なく、頼りの原稿執筆の本数も減って、借金を重ねたという。このほど家元の談志と面談し、多額の借金を抱える現状を初めて報告。結論は「(2005年)6月末で脱会」で、事実上の除名処分だった。今回は談志の温情で破門だけは免れ、快楽亭ブラックをそのまま名乗ることができる。また5人の弟子は立川流に残り、みな別の師匠についた。
 快楽亭ブラックは名誉毀損(元弟子の恋人の悪口を言う)で300万円の支払いを求められたが、相手側の弁護士から「被告福田」と呼称されたことから、2020年10月、裁判が終わるまで被告福田と改名することとした。10月31日、お江戸上野広小路亭で襲名披露公演を行った。裁判終了後の2021年7月、元の2代目快楽亭ブラックに戻した。
 オフィシャルサイト「快楽亭ブラック★本家」があります。
【登場者リストに戻る】