『お笑いスター誕生!!』 名鑑【た−1】


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名 前
TTS(タカミ・テツヤ)
初出場
 1986年7月12日(第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫 才。
プロフィール
 元ブレイクのテツヤと、元西田タカミ・キヨミのタカミで結成。
 タカミ:本名原西隆巳。1957年9月1日生。大分県出身。
 テツヤ:本名島田哲也。1962年2月17日生。大阪府堺市出身。
ネ タ
 マリオに似ていたこともあって、スーパーマリオの真似をしていた。
エピソード
 テツヤはミヤ鈴丸・花丸ブレイク、そしてTTSと相方を三回変えて番組出場の記録。もっとも、成績は残していないが。
感 想
 せっかく流行もの(ファミコンのマリオ)をネタにするのなら、もう少し掘り下げて欲しかった。当時の週刊PBのファミコン特集ギャグ記事「ファミコンでくるんくるんぱ〜」に遠く及ばない。1回戦負けも当然の出来の漫才でした。
その後・現在
 大阪ではNTT(ニュータカミ・テツヤ)と名乗る。『テレビ演芸』ではNTTとして出場。0週勝ち抜き。
 タカミは京橋でスナック、テツヤは赤帽。オフィスQ所属(すでに辞めている)。
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名 前
タージン
初出場
 1982年8月21日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 7週勝ち抜き、銀賞獲得。
 サバイバルシリーズ1回戦負け。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫談。時々落語も。
プロフィール
 本名石井雄三。1962年6月18日生。大阪府出身。
 桃山学院大出身。通称ピン大。
 芸名は大学時代に使っていた「地獄家但馬春(タージマハール)」から。アマチュア挑戦。挑戦時は19歳。
ネ タ
 最初の挨拶は必ず、手を叩いた後リアクション付で、「はい、私が噂のタージンです」。
 「学生落語選手権」NTVでは、桃山学院大vs青山学院大のネタ。四文字熟語で、□地□理という問題で、桃大生は、てんちしんりと書いて桃大もやるなと思ったら、歌手(天地真理)の名前だった。桃大出身のアリスのメンバーが出身大学を聞かれて、某大と言ってしまった。というネタでした。
(1週目)漫談
(2週目)
 上方落語『うん回し』。「ん」の付いた言葉を言い合い、んの数だけ味噌田楽をもらう噺。「うんこ」から始まって「巨人阪神三回戦、阪神負けて子猫に変身」なんてのも。
 ただし洋服を着て立ったままでやっていた。
(5週目不合格)
 古典落語。鶴の捕まえ方。遠くから大声で「つーるー」と叫ぶと、鶴は遠くに人がいるなと思い気にしない。少し近づいてちょっと声を小さくして「つーるー」と叫ぶと、鶴はまだ遠くに人がいるなと思う。かなり近づいて小さな声で「つーるー」と叫ぶと、鶴はまだ遠くに人がいるなと思ったまま。そしてそばに近づいて、鶴を捕まえる。
(7週目再挑戦合格)

 価値観が乱れてきた。自分のしている腕時計を指さし、日付も出るし、ライトも付くデジタルで梅田で1,980円。安いじゃないですか。実に重宝。それに働き者。時間を教えてくれて、しかも毎秒毎秒、針が動いています。その点、スキーのストック。あれが25,000円。冬と春、せいぜい1年間で10日間。しかもすべっても1日8時間。しかもストックはリフトに乗っているときは休んでいるので4時間。しかも、ストックは方向転換にしか使わない。だから1/4でせいぜい1時間。10日間で合計10時間。1年で10時間しか使わないのに25,000円。腕時計は安いじゃないですか。
 カブトムシやクワガタは、何万円もする。子どもたちはアルバイトをしてまで買っている。虫はどんどん貴重になってくる。一方、人工宝石が出てきたので、宝石の価値が落ちる。2,3年経つと、立派な宝石ね、これはカブトムシよ、みたいなことになる。
(サバイバルシリーズ1回線敗退)
 ブームの話。5、6年前の口裂け女ブームの話になり、実演。その後、何とか女がたくさん出てきたけれど、怖いなと思ったのが、林檎女の恐怖。ペチャパイなので、胸に林檎を入れている。しかも、さまざまな種類の林檎を胸に入れている。口裂け女のように小学生に「胸が大きい」と聞き、最後は林檎を投げつける。だから私は、枇杷男の恐怖をまねてみた。
 3、4年前のなんちゃっておじさんのように、何とかおじさんブーム。ウルトラセブンおじさん。頭の上に太巻きの巻きずしを乗せている。男ちゃんが乗り込み、おばちゃんがホームで「ダン」「アンヌ」、ドアが閉まった後は巻きずしをアイスラッガー。
 続いてウルトラマンおじさん。連結器でバリアだ。列車の連結部分に閉じこもり、ばたばたやりながら、「俺はバリヤに閉じこめられている」と叫び、他の人が扉を開けると「ありがとう。これで地球の平和は救われる」とつぶやいて隣の車輌に映り、また「俺はバリヤに……」といったものでした。
 ネタが古いと牧伸二に酷評された。
「私、桃山学院大学なんですけど卒業生にはすばらしい人がいますよ。アリスの谷村新司さん。もう誇りですよ。あっ、もうひとりすばらしい卒業生がいましたよ。その人の名前は……ムッシュ田村ぁ〜!」
(何週目か わからず)
車の擬人ネタ(模写)

「車」って考えてみたらかわいそうですよね。もし「車」に魂が宿ったら 人間に対してこんな事 言うんじゃないでしょうかね?

(ワイパー)手でワイパーの真似して・・・
「あ忙し あ忙し・・・」
(運転席のシート)中腰になり 手でシートベルトした形にして・・・
「おおぅ ネエちゃんいいケツしてるじゃネエか!!」
それを見ていたワイパーが
(ワイパー)
「あ忙し あ忙し・・・」
エピソード
 オーディション時は「地獄家タージマハール」という名前でしたが、PDに改名されました。
感 想
 テレビより寄席向きかなと思っていました。
その後・現在
 タージンといえば関西ローカルの深夜番組『どんぶり5656(ごろごろ)』は外せません。大竹まこと、竹中直人、安岡力也がメーンでしたが、その中でロケのコーナーで「丸刈り一本勝負」というのをやっていました。コンクリートやアスファルトの上にチョークであみだくじを描いて、当たれば賞金、外れれば丸坊主。あみだくじのゴールを自分の体で隠すのがいかにもロケでした。現在のリポートの帝王の原点がここにありました。あと「ひよこ三態」というショートギャグも披露しました。
 現在和光プロ所属。関西ではレポーターの達人として有名。
 所属する和光プロのオフィシャルサイト、和光プロダクション内のタレント一覧にプロフィール等が載っています。
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名 前
ダウンタウン
初出場
 1985年1月19日(第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 漫才。  
プロフィール
 松本人志:本名同じ。1963年9月18日生。兵庫県出身。
 浜田雅功:本名濱田雅功。1963年5月11日生。兵庫県出身。
 吉本NSC1期生。1982年4月結成。
ネ タ
(第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦)
浜田「どうも!」
松本「どうも! え〜、ありがとうございます、ダウンタウンでございます!」
浜田「はい!」
松本「まぁ、大阪のほうではねぇ、結構頑張ってるんですけどね、こっちのほうはあんまりねえ、あの、知らないんでね」
浜田「まあ、出てきたことないですから」
松本「そう、あがってるんですけどね」
浜田「はい」
松本「我々あの〜ですねえ、昔あの〜ありましたね」
浜田「はい」
松本「漫才ブーム!」
浜田「ご存知でしょう?」
松本「あれにねえ、あの、憧れて大体入ったっていう輩なんですけどね」
浜田「ねぇ〜、そうそう」
松本「あの頃僕らちょうど高校生でしてね」
浜田「そう」
松本「テレビ見てましたらね」
浜田「テレビ見とったんですよ」
松本「カッコよかったでしょ」
浜田「ええなぁ」
松本「僕らの先輩方どんどん出て行きましてね」
浜田「売れはってねぇ」
松本「うわぁ、カッコええな」
浜田「ええなぁ」
松本「漫才師いうのもええもんやなあ」
浜田「そうそうそう」
松本「どうしてもこの世界入りたいなあ、むっちゃくちゃ憧れて、この世界入ってきましてね〜」
浜田「うんうん」
松本「今えらい目おうてるんですよ」
浜田「はっ(笑)…そう、もう今最悪です、ハッキリ言って」
松本「もう、これ以上言うたら僕、多分泣いてしまうと思うんで、やめときますけど」
松本「去年だいたい1年ですね、多かったのが、あの、誘拐ですね」
浜田「誘拐目立ちましたけどね、特にこんな小っちゃい子を誘拐するやつが一番たちが悪いでしょ。抵抗もできんのにパーッと連れて行って、あとで電話なんかしてきよるでしょ、身代金とるいってね。誘拐怖いなぁ」
(やりとりを始める)
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「はぁはぁはぁはぁ」
浜田「いたずら電話か。誘拐怖いな、って言ってるでしょ」
松本「あ、もしもし」
浜田「はい」
松本「お前んとこになあ」
浜田「はい」
松本「小学校2年生の息子おるやろ」
浜田「はい、いますけどぉ」
松本「そしたらええねん(と受話器を切る)」
浜田「待て〜、お前。確認して切ってどないすんねん、そんなもんお前」
松本「あ、もしもし」
浜田「はい」
松本「預かってんねん」
浜田「へ?」
松本「お前んとこの息子うちで預かってんねん」
浜田「いやっ」
松本「驚くことあらへん、お前が朝預けていったやないかい。帰ってんやったら、早いこと来い(と受話器を切る)」
浜田「何の話をしとんねん、お前!」
松本「なんや」
浜田「「誘拐怖いなぁ」言うてんのやないかい、お前。話区切らんと、一緒くたにせえよ」
松本「もしもしぃ」
浜田「はい」
松本「誘拐怖いなぁ……」
浜田「……お前、どないして突っこめ言うねん、それ。お前、何を言うとんねん。訳の分からんことペラペラ喋んな、お前」
松本「分かった、も、もう任せて、もう任せて、任せて」
松本「もしもし?」
浜田「はい」
松本「お前んとこのなあ」
浜田「はい」
松本「息子返して欲しいやろ」
浜田「いや、当然ですよ〜」
松本「返して欲しかったらなあ」
浜田「はい」
松本「そうなるように努力せえ(受話器を切る)」
浜田「どないせえ言うねん、そんなもんお前、電話越しの俺に」
松本「それは考えて、お前が答えを出せ

浜田「そんな誘拐犯おれへんやろ〜。チャッチャとやってな、あんた」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「身代金持ってきて〜」
浜田「ヘッ」
松本「うち2丁目の田中やけど、身代金持ってきて」
浜田「名前言うてどないすんねん」
松本「なんや」
浜田「そんな誘拐犯、おんのかい」
松本「分かった、チャッチャとやろう」
浜田「分かってんねやったら、やって」
松本「あ〜、分かった分かった。あ〜もしもし」
浜田「はい」
松本「あんなぁ、500万持って来て」
浜田「えっ」
松本「500万」
浜田「500万ですかぁ」
松本「……無理かぁ」
浜田「500万ですねぇ」
松本「高いぃ?」
浜田「……」
松本「ほんなら、400万くらいやったらいけんの、自分」
浜田「どこの誘拐犯が「400万くらいやったらいけんの、自分」ってなんやねん。高いのは決まっとろうがね、あんた〜」
松本「小松屋(?)の売店か」
浜田「押し通せよ」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「今から1時間後にな、2丁目の電話ボックスあるからな、いいか、こっちの言うとおり持ってきて」
浜田「はい」
松本「よう聞いてや」
浜田「はい」
松本「緑の鞄に500万入れて、白い鞄に赤い鞄といったおれが白い鞄が入って(ここ、よく聞き取れない)」
浜田「わかるかい、そんなの」
松本「覚えろ」
浜田「持っていけばいいやないの、そんなの」
松本「もしもし?」
浜田「えっ?」
松本「ちょっと待って」
浜田「へっ?」
松本「こっちの旗色おかしいねん」
浜田「旗色?」
松本「ちょっと待って」
浜田「はい」
受話器を手に持ったまま、何かを探し回る松本。
浜田「もしもしぃ」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「えらいこっちゃ」
浜田「えぇっ」
松本「俺んとこの息子おれへんねん!」
浜田「知るかい、そんなもん。おれんとこの息子が誘拐されてんでしょ。どっか遊びに行ってるんでしょ」
松本「もしもし」
浜田「はい」
松本「ちょっと待って」
浜田「またですか」
受話器を片手に後と話す松本
浜田「(泣きそうな声で)もしもし、もしもし、もしもし」
松本「おかあさんがあまり長電話するないうから切るわ」
浜田「なんやそれ」

 この後は、大阪のヤンキーネタ。浜田が大阪のヤンキーを形態模写し、松本がボソッとボケ、それに浜田がヤンキー言葉でツッコミまくる。
浜田「芸能界でも大麻が流行りましたね」
松本「私なんか、小学校の時から大麻をいじっていましたが」
浜田「ほんまですか」
松本「よくおかんに言われたんねん。帰ってきたらご飯の大麻を入れておけや……」
浜田「ちょっと待て。大麻?」
松本「たいま」
浜田「それってタイマー」
松本「そうとも言うねん」
浜田「そうとしか、いーわーねーん」
エピソード
 ホットドックプレスのコトブキ健太のコラムで、彼らの事を誉めてました。誘拐犯のねたで「お前んとこに小5の子がおるやろ」「はい」「うちとこにもおるねん」というのを紹介し、ネタは並みだが間が面白い。パワーズやちびっこギャングには出来ない芸だ。との事です。このコトブキ健太の正体は、萩原健太らしい。
 当時の赤尾PD曰く、「技とセンス、独自性の全てが光っていて、どの角度から見ても文句の付けようがなかった」
(よくダウンタウンの勝ち抜き週が3週と雑誌に書かれていますが、)ダウンタウンの3週とはオープントーナメントで準決勝まで、つまり2回勝ち抜いたということです。さらに付け加えるなら松本の勘違い。『夢であえたら』でウンナンに対し「君らグランプリとったけど、俺らどうせ3週で落ちたワイ」と言ったのです。
 ダウンタウンといえばテレビ演芸でライト兄弟として出演。横山やっさんにケチョンケチョンにやりこめられ1週も勝ち抜けなかったことが有名ですが、やっさん死去の翌日、テレ朝のワイドショーでそのときのテレビ演芸のネタの一部とやっさんとのカラミをみせてくれたのにはびっくり。
 いま気が付いたのですがダウンタウンって「お笑い君スタ」「テレビ演芸」「お笑いスタ誕」すべてに、しかも全部違う芸名でチャレンジしてるんですね。これってすごくない?
 ブッチャーブラザーズと彼らぐらいでしょう。
 ダウンタウンは「君スタ」では人志・雅功でした。
 ダウンタウンが司会した10年位前の正月番組で、『テレビ演芸』に出た時のエピソードを、VTR付で(主に浜田さんが)語ってました。
 審査員の大島さんや糸井さんには結構受けてたのですが、やすし師匠が例の「オマエら舐めたイモの漫才しやがって」と絡み、「おぅ、もうこんなの結果解ってるやろ、さぁ、押せ」と言って、審査員が当時勝抜いてたザ・バイキングにボタンを押したと言う経緯があったようです。やっぱ、やっさんには逆らえなかったのか……。
感 想
 登場時のネタは覚えていません。ただ、若手の頃から時々見ていましたが、これほど売れるとは思っていませんでした。お笑いスタ誕出演と書かれることはほとんどないです。
 当時のダウンタウンは少々言葉足らずなところがあって今ほど的を得たボケ・ツッコミが無かった。
受賞歴
 1982年 第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール福笑い大賞
 1984年 第5回ABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞受賞
 1984年 第14回NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞
 1987年 第7回花王名人大賞最優秀新人賞受賞
 1987年 第15回日本放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞
 1987年 第22回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1988年 第23回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1989年 第24回上方漫才大賞大賞受賞
レコード
「GOBU-GOBU」(1988.11)
「夕陽家族」(1989.10)
「生きろ・ベンジャミン」(1991.2 互いにソロで出している)
「万力の国」(アルバム 1991.3)
「Grandma is Still Alive」(1994.7 GEISYA GIRLS名義)
以下省略。
その後・現在
 現在の活躍はここに書くまでもなし。
 所属する吉本興業のオフィシャルサイト、よしもとシーオージェーピー内のタレントプロフィールに、活動情報などが載っています。
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名 前
瀧雅也
初出場
 1982年1月16日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 4週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 マジック。
プロフィール
 1936年12月12日生。長野県出身。
 東京俳優生活協同組合所属。声優、俳優として活動していた。マジックは趣味だったらしい。
ネ タ
 客を舞台に上げ、そのやりとりで笑わせるマジシャン。
(1週目不合格)
 真っ白な大福帳に「滝」「雅」「也」のどれかを印刷させるという、手品では古典的なネタ。どの文字がいいか、客席に問うが、声があがらない。仕方なく、自分で順に「滝」「雅」「也」の3つを一編に出すといい、大福帳をめくると確かに「滝雅也」の文字が順に出てくるが、あまりにも古いネタで誰も笑えなかった。
(多分2週目)
 客席から一人壇に上がってもらい、トランプを一枚引かせる。「スペードの7」ということを、客席全員に見てもらう。トランプを山に戻し、よくシャッフルしてもらう。客は机の上にあるガチョウの玩具にトランプをセットする。そしてボタンを押すと、ガチョウがおじぎして、トランプを一枚、口にくわえる。見事に「スペードの7」を引き、拍手喝采。お客に席に戻ってもらったあとに、種明かし。二回、三回、ガチョウにトランプを引かせると、全部「スペードの7」。
(多分4週目)
 客席から一人壇に上がってもらい、手品を行う。最後、お礼にと言ってプラスチックで中が透けている箱を出し、「この中のものをお礼に差し上げます」。しかし、何もないので客は「いいえ、結構です」と壇を降りる。壇を降りた後、「遠慮深い方ですねえ」と箱を横に向けると、一万円札が何枚も入っていた。
エピソード
 最初に出たときは、1週目で落ちていた。
感 想
 それほど喋りがうまいとも思えなかったので、お笑いとしてはきついと思いました。
その後・現在
 番組以前の事ですが、滝さんは『秘密戦隊ゴレンジャー』の第82話「黒い魔術師!!人形館の怪?!」に出演しています。怪人の声と人間体を演じているのですが、その怪人は「ヨーヨー仮面」、人間体の時は魔術師で手品も披露しています。まさに滝さんに合わせて作られたようなストーリー。ぜひ見てみてください。
 日本テレビのマジックのネタばらしの番組に出ていました。この番組、マジック協会(正式名称は知らない)が反対し、抗議声明を出したぐらいだったので、当然協会のマジシャンは出なかったはず。となると、瀧雅也は協会に入っていなかったのだろうか。
 『スケバン刑事』のヨーヨー指導としても有名。『スケバン刑事III』にはレギュラー出演までしていました。
 現在も声優、洋画吹き替え、俳優として活動中。
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名 前
立川レーガン
初出場
 1981年4月25日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 3週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 落語。
プロフィール
 一見外人風だが実は日本人。本名、福田秀文。1952年5月26日生。(AJAPAより) ただし、父親が確かアメリカ人です。
 立川談志(七代目)の弟子。1969年入門。1972年に談志の通帳から無断で金を引き出したため破門され、1979年に復帰していた。
ネ タ
 郷ひろみは1曲歌うだけでギャラが何万円。自分は何時間も落語をやって数千円。この差は何なんだといったネタをやっていました。
 4週目にポルノ男優のネタで不合格。「パンティに手を入れる時はグーパーグーパーとやった方がリアル」という下品なネタをやっていました。
 実はあの堀越学園出身で、
「堀越の英語の入試試験問題は『アルファベットを順番に書け』だけ!さっさと解答し終わって、隣の席の受験生を見たら、この簡単な問題に、真剣に悩んでやんの」というネタ(3週目挑戦のとき)をやっていました。
 方言ネタの落語。ある宿に泊まると、宿の主人が自分を手打ちか半殺しにするというので逃げた。名古屋弁で「はい」を「ない」というのでレストランで困った。
エピソード
 4週目(再挑戦)では立川丹波守と改名し、裃を付けて登場。
感 想
 正直言ってあまり面白くなかったです。もっとも、この人の本領は、テレビに放映できないような古典落語の下ネタバージョン落語です。
受賞歴
 1990年 第43回国立演芸場花形演芸会金銀賞金賞受賞「反対車」(立川平成として)
 1991年 第11回国立演芸場花形新人大賞特別賞受賞(立川平成として)
 2000年 芸術祭大賞演芸優秀賞受賞「快楽亭ブラック毒演会」
著 書
 立川平成・立川談之助『禁断のブラック・ギャグ―超過激に笑っちゃう!』(ベストセラーズ,1992)
 快楽亭ブラック『日本映画に愛の鞭とロウソクを―さらば愛しの名画座たち』(イーハトーヴ出版,1999)
 快楽亭ブラック『借金2000万円返済記』(ブックマン社,2006)
 快楽亭ブラック『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全(CD付)』(洋泉社,2006)
 快楽亭ブラック『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全(2)(CD付)』(洋泉社,2006)
その後・現在
 立川レーガンもよく改名をしたが、彼の場合は単に志ん生の改名記録を抜きたいだけだった。以降、丹波の守・英国屋志笑(ししょう=師匠)・マーガレット、立川小錦やなんやかんやを経て快楽亭セックスを名乗り最後に快楽亭ブラックを襲名した。ギネスブックには載ったのだろうか。
 立川ワシントン→ジョニー三ノ介→(旧)桂三ノ介→桂サンQ→立川談とん(二つ目)→立川カメレオン(行った先々で、そこの地名を名乗る)→立川レーガン→立川丹波守→英国屋志笑→立川レフチェンコ→立川世之介→立川小錦→快楽亭セックス→快楽亭マーガレット→立川平成→二代目快楽亭ブラック(1992年真打ち昇進)
 『ツービートの笑ってごまかせ』 ザッツエンターギャグメントコーナーに出演。堀越のアルファベットの書けない受験生はおりもまさおだった。
 現在は二代目快楽亭ブラックを名乗り、活躍中。
 競馬などで約2000万円の借金を抱え、2005年6月には妻と離婚し、都内の自宅を出た。もともと落語会出演は少なく、頼りの原稿執筆の本数も減って、借金を重ねたという。このほど家元の談志と面談し、多額の借金を抱える現状を初めて報告。結論は「(2005年)6月末で脱会」で、事実上の除名処分だった。今回は談志の温情で破門だけは免れ、快楽亭ブラックをそのまま名乗ることができる。また5人の弟子は立川流に残り、みな別の師匠についた。
 ブログ快楽亭ブラックの出直しブログがあります。
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