ノンフィクションで見る戦後犯罪史
【2006~2010年】(平成18~平成22年)



【2006年】(平成18年)

日 付事 件
2/17 概 要 〈長浜市幼稚園二児刺殺事件〉
 滋賀県長浜市に住む中国籍の主婦T(34)は長女(当時5)と近所の子供らを幼稚園まで送迎する「グループ送迎」当番だった2006年2月17日午前9時頃、同市の農道に軽乗用車を止め、後部座席に乗っていた女の子(当時5)と男の子(当時5)を刺し身包丁(刃渡り約21センチ)でそれぞれ約20ヶ所刺し、出血性ショックにより殺害した。そのとき、長女も同じ車の中にいた。Tは事件から2時間後、現場から南西約50キロの大津市の湖西道路真野インター入り口で、長女を連れて軽乗用車を運転しているところを緊急配備中の警官に見つかった。停止命令に素直に応じ、「子どもを刺して殺したことは間違いありません」と認めた。事件後、日本人の夫とは4月に協議離婚している。
 Tは仲介業者の紹介で日本人と結婚して1999年に来日。しかし、慣れない生活のストレスで2003年ごろから精神疾患になり、2003年9月~2005年10月、通院や入院をしていたが、大津地検は「完全に責任能力はあった」と判断し起訴した。
 Tは逮捕当時こそ犯行を認めていたが、6月12日に開かれた公判前整理手続きの第1回で犯行を否認。2007年2月2日の初公判でも、「刺したが、砂人形なので血も流れていないし声も出していない。人は殺していない」と述べ、殺人の起訴事実を否認した。
 精神鑑定により、Tは犯行当時統合失調症で善悪を判断する能力が著しく低下しており、心神耗弱状態だったという結果が証拠採用された。
 9月11日公判の被告人質問で、Tは初めて謝罪の言葉を口にしたが、殺意は否認した。
 検察側は、犯行当時は総合失調症ではなく人格障害であり完全責任能力があったと訴え、死刑を求刑した。弁護側は殺人の事実は認めたものの、心神喪失であったとして無罪もしくは減刑を求めた。
 2007年10月16日、大津地裁はTに殺意があったと認定したが、心神耗弱の状態であったことと前科前歴がないことを考慮し無期懲役を言い渡した。双方とも控訴し、控訴審で検察側は完全責任能力があったとして改めて死刑を主張、弁護側は心神耗弱で責任能力がなかったと無罪を訴えた。2009年2月20日、一審判決は妥当であるとして双方の控訴を退けた。双方とも上告せず、判決は確定した。
文 献 平井美帆『獄に消えた狂気―滋賀・長浜「2園児」刺殺事件』(新潮社,2011)

「「砂人形を刺しただけ」中国人インテリ妻の憎悪の渦―滋賀「幼稚園二児」刺殺事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
3/3 概 要 〈高知白バイ衝突死事件〉
 2006年3月3日午後2時半頃、高知県春野町(現高知市)の国道56号線で、高知県警の白バイと遠足中のスクールバスが衝突し、白バイ隊員(当時26)が死亡した。バスを運転していた男性(当時52)は現行犯逮捕され、業務上過失致死で12月に起訴された。
 検察側は男性がスクールバスを運転して国道脇の駐車場から出た際に安全確認を怠り、安全確認が不十分なまま反対車線に入ろうとし、右から進行してきた白バイと衝突し、隊員を死亡させたと主張。しかし男性は白バイ隊員の速度超過と前方不注視が事故の原因だったなどし、「衝突時にバスは停止しており、証拠のスリップ痕は捏造された」と無罪を主張した。
 2007年6月27日、高知地裁で禁固1年4ヶ月(求刑1年8ヶ月)の実刑判決。10月30日、高松高裁で控訴棄却。2008年8月20日、最高裁で被告側の上告が棄却され、刑は確定した。
 白バイ隊員の遺族は、バスを所有する仁淀川町と運転していた男性を相手取り、約1億5,700万円の損害賠償を求めた。男性は事故状況について争っていたため、2008年5月23日に町と男性への訴訟を分離。遺族は男性への訴訟を取り下げた。6月、高知地裁は和解勧告を出したため、町は和解議案を議会に提出、認められた。6月20日、町が総額約1億円の和解金を遺族に支払うことで、和解が成立した。
 男性は出所後、スリップ痕は捏造であると再審請求。2014年12月、高知地裁は請求を棄却。2016年10月、即時抗告棄却。2018年5月、最高裁第三小法廷は特別抗告を棄却した。
文 献 山下洋平『あの時、バスは止まっていた』(ソフトバンククリエイティブ,2009)
備 考  
4/9 概 要 〈秋田連続児童殺害事件〉
 2006年4月9日、秋田県藤里町の無職H(33)の長女(9)が午後4時ごろ、自宅を出たまま行方不明になり、翌10日に近くの川で水死体で見つかった。自宅近くを流れる川の浅瀬の石には足を滑らせたような形跡があることなどから、秋田県警能代署は誤って川に転落したものとほぼ断定した。しかし母親であるHは同署の捜査に反発し、再三捜査の徹底を申し出た。Hは長女の行方不明時の目撃情報を求めるビラを近所に配るなどした。
 5月17日、Hの2軒隣に住む小学1年生のG君(7)が下校後に行方不明になった。父親が夕方に110版通報。翌日、近くの草むらで遺体となって発見された。首を絞められたことによる窒息死と分かったため、県警は殺人事件と断定、捜査本部が設置された。
 6月4日、HがG君死体遺棄容疑で逮捕された。Hは5月17日午後3時半ごろ、下校途中のG君を自宅玄関に呼び入れ、後ろから腰ひもで首を絞めて窒息死させ、遺体を軽乗用車の荷台に乗せて、同4時5分ごろ、約10キロ離れた能代市の草むらに遺棄したものだった。その後、殺人・死体遺棄容疑で起訴された。
 さらに7月18日、長女殺人・死体遺棄容疑で再逮捕された。Hは4月9日午後6時45分ごろ、自宅から約3キロ離れた藤琴川にかかる大沢橋の欄干(高さ約1メートル15センチ)の上から長女を約8メートル下の川に突き落とし、殺害したものだった。Hは離婚しており、長女の世話をあまりしていなかった。
 長女殺人事件では、最初に事故死と断定した秋田県警の初動捜査ミスが指摘された。9月4日、秋田県警本部長が県議会で捜査不備を認めた。
 公判前整理手続きが採用され、2007年9月12日に秋田地裁で初公判が開かれた。検察側は死刑を求刑したが、2008年3月19日、秋田地裁は無期懲役を言い渡した。検察、被告側は控訴。2009年3月25日、仙台高裁秋田支部は双方の控訴を棄却した。検察側は上告を断念。被告側は上告したが5月18日に取り下げ、無期懲役判決が確定した。
文 献 鎌田慧『橋の上の「殺意」』(平凡社,2009)

北羽新報社編集局報道部編『検証秋田「連続」児童殺人事件』(無明舎出版,2009)

米山勝弘『豪憲はなぜ殺されたのか』(新潮社,2006)

黒木昭雄『秋田連続児童殺害事件―警察はなぜ事件を隠蔽したのか』(草思社,2007)

産経新聞社会部『法廷ライブ 秋田連続児童殺害事件』(産経新聞出版,2008)

「秋田児童連続殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)

「第六章  一番分からなくてはいけない人間が何も分からないのです」(長谷川博一『殺人者はいかにして誕生したか』(新潮社,2010/新潮文庫,2017)所収)
備 考  
4/10 概 要 〈文京区変死事件〉
 2006年4月10日未明、風俗店店長の男性(28)が自宅でナイフを頭上から喉元に刺され、失血死しているのを妻が発見した。大塚警察署は当初、覚せい剤の乱用による自殺の可能性が高い不審死として処理した。しかし12年後の2018年、大塚署の刑事が古い捜査書類を見返しているうちに違和感を覚え、コールドケース(未解決事件)を担当する警視庁捜査一課による再捜査が始まった。だが12月、警視庁捜査一課の刑事らが男性の遺族に突如、捜査態勢の縮小を通告。それ以降、遺族への警察からの連絡は途絶えた。
『週刊文春』2023年6月22日号(6月15日発売)で、内閣官房副長官であるK衆院議員(53)が銀座の元ホステスであるシングルマザーの女性と不倫関係にあることが報道された。Kは女性について、単なる友人であり、不倫関係であることを否定した。さらに『週刊文春』2023年7月13日号(7月6日発売)で、Kの本妻で当時男性の妻であった女性が文京区変死事件の重要参考人として警視庁から事情聴取され、実家なども家宅捜査を受けていたことを報じた。Kは書面で全ての質問について「事実無根」と否定。電子版が公開された7月5日には、代理人弁護士を通じて発表した文書で「マスコミ史上稀にみる人権侵害」としたうえで「刑事告訴を行う」とした。7月13日の露木康浩警察庁長官の定例会見で「証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と発言した。
 2023年7月17日付で男性の両親と2人の姉は、警視庁大塚署長に再捜査を訴える上申書を提出した。傷が喉元から肺に達していたこと、さらに足元にナイフが置かれていたことに疑問を呈している。しかし7月24日、大塚署で、警視庁捜査一課の特命捜査第一係長から「捜査を尽くした結果、事件性は認められなかった」と告げられた。
 『週刊文春』2023年8月3日号(7月27日発売)では、当時警視庁捜査一課殺人犯捜査第一係に所属していた、佐藤誠元警部補(2022年退職)が、取り調べの途中で上司である佐和田立雄管理官に捜査を止められたと証言。7月28日には都内で記者会見を開き、これは殺人事件と断言した。一方で、この日行われた警視庁の國府田剛捜査一課長による定例レクで、國府田氏は「事件性は認められない。自殺と考えて矛盾はない」と述べた。
 Kは2023年9月13日の内閣改造で官房副長官から降り、自民党幹事長代理、政調会長特別補佐を兼務することとなった。
 男性の両親と2人の姉は10月18日付で、「被疑者不詳の殺人」として刑事告訴した。告訴状は、事件発生当初の捜査を担当した警視庁大塚署に提出され、25日受理された。遺族は解剖医によって書かれる「死体検案書」を新たに取得し、上申書を作成し、12月5日付で警視庁と検察庁に提出した。
 12月16日、警視庁は「事件性は認められない」とする捜査結果を東京地検に送付した。
文 献 「第1章 文京区変死事件」(沖田臥竜『迷宮 三大未解決事件と三つの怪事件』(サイゾー,2020)所収)
備 考  
6/19 概 要 〈東大阪大生リンチ殺人事件〉
 東大阪大学4年の男子学生Fさん(21)は、同じ大学サークル内にいた東大阪大学の女性(18)と交際していたが、同じサークルにいた東大阪大短期大学の卒業生でアルバイト従業員TY(21)が女性に携帯メールを送ったことを知り激怒。相談を受けた無職Iさん(21)は仲間2人とともにTYから金を脅し取ろうと計画。
 2006年6月16日夜、Fさん、Iさん、男性会社員(21)、同大3年の男子学生(20)の4人はTYと、同じサークルにいる東大阪大3年のSY(21)を東大阪市の公園に呼び出し、顔などを殴って打撲の怪我を負わせた後、約1時間に渡り車内に監禁。Iさんは実在する暴力団の名前を出し、女性トラブルの慰謝料の名目で、計40万円を要求するなどした。
 SYは事件後、中学校時代の同級生だった岡山県玉野市のKR(21)に電話で相談。KRは同じく同級生であった大阪府立大3年のHT(21)に相談するよう指示した。相談に乗ったHTは仕返し方法を計画。17日、SYらは大阪府警に恐喝容疑などで被害届を提出した。またKRは、同県内の風俗店で働いていた際の知り合いで岡山市に住む元暴力団員で無職OK(31)に電話で対応を相談した。OKは相談に対し、「相手を拉致し、暴行して金を取ってやれ」と指示。さらに、山口組関係者と称していたというIさんに関しては「ヤミ金融や消費者金融で借金漬けにしてやるから、連れてこい」と命じた。
 18日、HTは大阪府に住む大阪商業大4年のSS(22)、SY、無職SD(21)を連れて岡山県に行き、KR、KRの元アルバイト先の後輩だった岡山県玉野市の少年(16)と合流。HTはここで男子学生らへのリンチ計画を明かしたが、この時点で殺人までは計画していなかった。同日、KRの指示で後輩少年被告が仲間として、玉野市の派遣社員の少年(16)とアルバイトの少年(17)を連れてきた。
 18日夜、SYとTYは「被害届を取り下げる」「神戸で慰謝料を払う」という口実で男性会社員の車にFさん、Iさんとともに同乗。途中で「岡山なら払える」と偽り、岡山市に誘い出した。
 19日午前3時過ぎ、山陽自動車道岡山インターチェンジで、待ち伏せしていたKRは仲間と一緒にFさん、Iさん、男性会社員の3人を取り囲み、交代で特殊警棒やゴルフクラブなどで殴るなどの暴行を加えた。このとき、携帯電話と現金約98000円を奪った。このときIさんが「知り合いのやくざを呼ぶぞ」と発したためKRらが激怒。さらに岡山県玉野市内の公園に場所を移し、執拗に暴行を続けた。現場で直接、暴行したのはKR、SY、TYと後輩少年であり、HTは指示役、他の被告は見張りなどをしていた。Fさんがぐったりしたため「やりすぎた」と後悔したが、警察への発覚を恐れて殺害を決意。KRが以前働いたことのある岡山市内の資材置場に移動した。午前4時50分ごろ、KRは置場にあったパワーショベルで穴を掘り、KR、SY、TY、後輩少年がコンクリート片や石を投げつけた上、KRは後輩少年にパワーショベルで土を被せるよう指示。Fさんを生き埋めにし、窒息死させた。このとき、HTはSS、SDに置場入口などの見張りを指示、少年2人らにも一緒に拉致した男性会社員らの監視をさせていた。
 その後男性会社員の車でHTとSSは大阪に戻り、そのまま解放した。またSYらも大阪に帰った。
 KRと後輩少年はIさんを自宅マンションに連れ帰ったが衰弱していたためOKに相談するも、連れてくることを拒否した上、殺害するようほのめかした。KRはHTとSSに殺害を相談し了承を得た後、20日未明、資材置場にてパワーショベルで穴を掘り、Iさんを生き埋めにして窒息死させた。
 KRはその後男性会社員を電話で脅して金を要求したが、22日に男性会社員が大阪府警に届け出て事件が発覚し、全員が逮捕された。
 KRは2007年5月22日、大阪地裁で求刑通り死刑判決。2008年5月20日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2011年3月25日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 後輩少年被告は2007年5月11日、大阪地裁で懲役15年判決(求刑無期懲役)。2008年1月23日、大阪高裁で被告側控訴棄却。そのまま確定。
 TYは2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁は一審破棄、懲役11年判決。2008年9月16日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SYは2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却。そのまま確定。
 SDは2007年5月31日、大阪地裁で懲役7年判決(求刑懲役15年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察側控訴棄却。そのまま確定。
 OKは2007年6月1日、大阪地裁で懲役17年判決(求刑懲役20年)。控訴審判決日不明。2009年3月17日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 HTは2007年10月2日、大阪地裁で求刑通り無期懲役判決。2009年3月26日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2009年10月27日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SSは2007年10月2日、大阪地裁で懲役20年判決(求刑懲役25年)。2009年3月26日、大阪高裁で一審破棄、懲役18年判決。2009年10月27日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 少年2人は2006年8月8日、殺人の非行事実で家裁送致された。
 殺害されたFさん、Iさん、解放された男性会社員、知人大学生は、SYらに慰謝料名目で金を要求したなどとして、恐喝や監禁などの疑いで、2006年9月15日、書類送検されている。
文 献 岡崎正尚『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』(ポプラ社,2011)
備 考  
6/20 概 要 〈奈良・少年自宅放火事件〉
 2006年6月20日午前5時15分頃、奈良県田原本町の医師(47)方で火災が発生し全焼。中から母(38)、二男(7)、長女(5)のあわせて3人の遺体が発見された。奈良県警は火災を放火と断定。高校1年の長男(16)の行方がわからないことから、捜査を開始。22日午前7時44分頃、京都市の民家に侵入し居間で寝ていた長男を家人が見つけ、警察に通報。京都府警署員が少年を保護した。
 長男の父の実家は薬局で、親せきには医師や薬剤師が多く、長男は父や祖父母から医者になることを期待されて育った。長男は父親から夜中まで付きっきりで勉強を教えられていたが、ときには暴力を振るわれており、父親を恨んでいた。長男は中間試験で苦手な英語の成績を父親に尋ねられて、求められたレベルに届かなかった成績を隠して「できたよ」などと話していたが、保護者説明会で成績がばれるのを恐れ、説明会当日の早朝に放火した。
 少年は2階洋間で家族3人が就寝中に、ゴミなどにガスコンロで火を付けて台所付近に撒いて出火させた。逃走後、サッカーのワールドカップを見たくて民家に侵入したものだった。
 少年は殺人と現住建造物等放火の罪で逮捕。7月12日、奈良地検は奈良家裁に送致したが、「確定的に近い殺意があった」と判断し、「刑事処分相当」として検察官送致(逆送)を求めた。さらに地検は、逃亡中に民家に侵入し、工具箱を盗んだなどとして、窃盗、住居侵入、占有離脱物横領などの非行事実で家裁に追送致した。
 少年は精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断された。
 10月26日、奈良家裁は少年を中東少年院送致とする保護処分を決定した。決定理由で石田裕一裁判長は、「父親の対応はしつけや学習指導の限度をはるかに超えた虐待ともいうべきだ」と指摘。「暴力を振るわれ続けるなどの成育環境が性格や資質上の偏りを生じさせ、非行に走らせた一因だ。長男だけにすべての責任を負わせることは相当でない」と述べた。その上で「父親との関係改善に相応の期間がかかる」として「相当長期間の処遇が必要だ」とした。 決定はまた、未必の故意による殺意を認定した上で「殺意はかなり低く、遺族の処罰感情も強くない」と指摘。「精神鑑定で広汎性発達障害とされているが、これまで学校教育に適応してきた。中等少年院の個別処遇で対応は可能だ」とした。
 同日、父親の医師は、「原因を作り、そこまで追い詰めたのは、紛れもなく父親の私であります。」とコメントを発表。「父子関係の本来の在り方につき、一生懸命に学ぶとともに、罪を償う長男の更生に今後の人生をささげ、長男と2人で罪を背負って生きていくことが、私ができる唯一の償いだと思っています。」と述べた。

 2007年5月に発売されたフリージャーナリスト草薙厚子さんの著作『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実』にて、「奈良県警が残した供述調書を含む捜査資料およそ3,000枚」と記述し、本人や家族の供述調書を、ほぼ原文のまま詳細に引用された。
 5月22日、溝手顕正国家公安委員長は閣議後記者会見で、「人権への影響を考えると非常に問題。流出元は分からないが、我々もきっちり調査したい」と述べ、流出元の調査を進める考えを示した。また長勢甚遠法相も閣議後会見で「一般論として、少年は審判を非公開で行っているので、(供述調書が)外に出されるのは望ましくない。内容を見たうえで(調査するかどうか)考える」と述べた。少年審判を担当した奈良家裁は、流出した調書の内容の真偽に関する内部調査を始め、6月5日には「調書や鑑定書とされるものを引用しており、少年法により非公開とされている少年審判に対する信頼を著しく損なう」とする抗議書を草薙さんと出版元の講談社に出した。最高裁の二本松利忠家庭局長も同日、「事件関係者に多大な苦痛を与えかねず、遺憾」などとする談話を発表した。同日、長勢法相は閣議後会見で、「人権侵犯にあたる可能性がある」と述べ、法務省人権擁護局に調査を指示したことを明らかにした。指示した理由について、法相は「著者は調書や審判のやりとりを引用する形で執筆したと明言している。司法秩序、少年法の趣旨に対する挑戦的態度であって、一般的取材で報道されるのと格段に意味が違う」と述べた。人権擁護局によると、1985年以降で雑誌や出版物の掲載内容が名誉棄損などに当たるとして、勧告したケースは8件。大半が神戸連続児童殺傷事件をはじめとする少年事件を巡る内容だった。
 7月12日、東京法務局が草薙さんと講談社に対し、「プライバシーなどを侵害する程度が著しい」として被害の拡大防止などを求める勧告を出した。8月30日、日本ペンクラブが東京法務局の勧告に対し、「表現の自由に介入する内容」とする抗議声明を発表した。
 9月14日、奈良地検は刑法の秘密漏示の疑いで、長男の精神鑑定をした鑑定医と草薙さんから任意で事情聴取するとともに、鑑定医の京都市の自宅や勤務先の病院、東京都の草薙さんの自宅などを家宅捜索した。15日には講談社の担当編集者を参考人として任意で事情聴取した。
 10月14日、奈良地検は秘密漏示容疑で鑑定医(49)を逮捕した。11月2日、奈良地検は鑑定医を起訴した。著者の草薙厚子さんについては、嫌疑不十分で不起訴処分とした。
 読売テレビは9月28日に奈良地検が京大医学部の教授を家宅捜査した際、昼のニュースで教授の映像を実名で報道、さらに調書から教授の指紋が検出されたと伝えたが、その後奈良地検は教授の関与はなかったと発表。読売テレビは12月11日、教授に謝罪し、本田邦章取締役報道局長を減俸とするなど報道局員計5人の処分を発表した。
 2009年4月15日、奈良地裁は鑑定医に対し懲役4月、執行猶予3年(求刑懲役6月)を言い渡した。12月17日、大阪高裁は鑑定医側の控訴を棄却した。2012年2月13日、最高裁第二小法廷は被告側の上告を棄却、刑が確定した。小法廷は弁護人の上告を「上告理由に当たらない」と退けた上で「鑑定は医師の業務といえ、鑑定の過程で知り得た秘密を正当な理由なく漏らせば秘密漏示罪に当たる」と指摘した。千葉勝美裁判官は補足意見で「医師は高い倫理を要求される存在。人の秘密を漏らす反倫理的な行為は慎むべきだ」とした。刑法の秘密漏示罪が確定するのは、最高裁に統計が残る1980年以降、初めてとみられる。厚生労働省は11月14日、鑑定医について医業停止1年とする行政処分を決め、28日に発効された。
文 献 草薙厚子『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実』(講談社,2007)

草薙厚子『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。 検察との「50日間闘争」』(光文社,2008)
備 考  秘密漏示罪は被害者の告訴が必要な親告罪。今回の事件では少年とその父親が告訴した。過去には、東京地検が1995年、オウム真理教の松本智津夫死刑囚の供述調書が週刊誌に掲載された問題で、元弁護人を秘密漏示容疑で事情聴取したが、松本死刑囚が告訴を取り下げた。最高裁によると、統計のある1978年以降、判決が言い渡された例はない。
8/18 概 要 〈木更津養豚場殺人事件〉
 2006年8月18日午後5時50分頃、中国から来た農業研修生の男性(26)は、研修先である千葉県木更津市の養豚場でナイフを持ち出し、男女らを次々と刺した。社団法人「千葉県農業協会」の男性理事(62)が死亡、農業研修生斡旋会社の男性社員(53)と通訳の中国人女性(44)が重傷を負った。中国人男性は犯行後に殺虫剤を飲んで自殺を図ったが、未遂に終わった。
 中国人男性は2006年春に来日し、養豚場で住み込みで働いていた。男性は別の研修先より賃金が安い、残業が少ないと不平を漏らし養豚場経営者とトラブルに。中国で支払った研修費・保証金約6万8000元(約100万円相当)を取り戻すため現金が必要だと訴え、4、5日前から住み込んでいた部屋にこもり働かなくなった。17日には女性だけで迎えに来たが、男性が包丁で脅して追い返す騒ぎがあり、18日は女性が他の男性2人を連れて出直してきて、帰国するように3人で説得していた。
 男性は公判で殺意を否認していたが、2007年7月19日、千葉地裁木更津支部は懲役17年(求刑懲役20年)を言い渡した。判決は一方で、社団法人「千葉県農業協会」の研修制度に触れ、被告が日本で金を稼ぐことができると考えていたことや、協会が受け入れ農家に研修生を安い労働力と説明していたことについて「研修生、農家、協会がそれぞれ制度の目的を逸脱していた疑いがあり、制度の運用は深く考慮しなければならない」と述べた。
文 献 安田浩一『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館,2007)
備 考  
12/12 概 要 〈渋谷・「セレブ妻」夫バラバラ殺人事件〉
 女性(32)は2006年12月12日早朝、東京都渋谷区の自宅マンションで、帰宅して酒を飲んで寝ていた外資系金融会社社員の夫(30)の頭部をワインの瓶で数回殴って殺害。14日に遺体をのこぎりで5つに切断し、その後、新宿区の路上や渋谷区の住宅の敷地、町田市の公園に遺棄した。16日に新宿区の路上でゴミ袋に入った胴体部分が見つかり、新宿署は捜査本部を設置。28日に渋谷区の民家の庭で下半身が見つかった。捜査本部は同じ人物と断定。身元の割り出しを急いでいた。
 女性は15日に、自宅を所轄する代々木署に夫の家出人捜索願を提出。年末に自宅の壁と床を張り替えるリフォーム工事を行っていた。また夫が生きているように装って、夫の両親へメールを送っていた。
 2007年1月10日、捜査本部は女性を死体遺棄容疑で逮捕。同日、供述に基づき町田市の公園で夫の頭部を発見した。
 女性は夫と2003年3月に結婚し、マンションで2人暮らし。しかし、どちらも別の相手と交際を続けており、女性は結婚直後から夫に暴行を受けていた。
 女性は殺人と死体遺棄・損壊容疑で起訴。公判前整理手続きが適用された。2007年12月20日の初公判で女性は起訴事実を認めた。弁護側は「長期にわたり肉体的な暴力など家庭内暴力(DV)を受け続け、心的外傷後ストレス障害の状態になっていた」と、犯行時に完全な責任能力はなかったと主張した。
 女性に対する精神鑑定の結果、検察、弁護側双方の推薦に基づいて鑑定を依頼された2人の医師は、「被告は犯行当時、精神病障害に罹患しており、行動制御能力を喪失していたと考えられる」などと述べ、犯行時に心神喪失状態で責任能力がなかったとする鑑定結果を報告した。
 2008年4月28日、東京地裁は懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡した。裁判長は判決理由で、責任能力の判断について「精神鑑定の結果だけではなく、犯行動機や犯行前後の行動などを総合的に検討し、裁判所が判断を行う」と述べ、鑑定結果に拘束されないとの考えを示した。そのうえで、「犯行時は短期精神病性障害により心神喪失状態だった」とする今回の鑑定結果について、「被告の幻覚体験の供述は具体的で、鑑定医が誘導したものとは考えにくい」として信用性を認定。一方で「夫の暴力から逃れたかったという動機を踏まえれば、犯行態様に異常さはなく、合理的な隠蔽工作も行っている」と指摘。「犯行時に一定の意識障害があったことは認められるが、責任能力に影響を与えるほどではなかった」と結論づけた。
 女性の弁護人は控訴した。控訴審では別の鑑定医による3度目の鑑定が行われ、「一連の犯行は了解可能で完全責任能力があった」と指摘、心神喪失状態だったとした一審の鑑定結果を「誤り」とした。2010年6月22日、東京高裁は被告側の控訴を棄却した。判決では一審の鑑定結果について信用性が低いと結論づけた。女性は上訴権を放棄し、判決は確定した。
文 献 岩波明『精神鑑定はなぜ間違えるのか? 再考昭和・平成の凶悪犯罪』(光文社新書,2017)

産経新聞社会部『法廷ライブ「セレブ妻」夫バラバラ殺害事件』(産経新聞出版,2008)

橘由歩『セレブ・モンスター』(河出書房新社,2011)

「法廷の女優「セレブ妻カオリン」の終わらない演技―渋谷「夫バラバラ」殺人事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  最高裁は2008年4月25日の傷害致死事件の判決で「合理的な理由がない限り十分に尊重すべきだ」と、精神鑑定の重視を求める初判断を提示していた。
12/30 概 要 〈渋谷妹バラバラ殺人事件〉
 東京都渋谷区の歯科医師の二男である予備校生(21)は4度目の歯学部受験を控えながらも成績が上がらないことを悩んでいた。2006年12月30日、妹である長女の短大生(20)から言われた言葉を「いくら勉強しても無駄」と受け取り、元々妹に嫌悪感を抱いていたことから木刀で後頭部などを10回前後殴った。その後妹から言われた言葉を「親の真似」などという意味で受け取って怒りを爆発させ、妹の首をタオルで絞めたうえに浴槽の水へ沈めて窒息死させた。さらに遺体を包丁とのこぎりで切断し、4つのビニール袋に入れて自室のクローゼットに隠した。
 公判では殺人の事実関係については争われず、二男の責任能力が焦点となった。2008年5月27日、東京地裁は二男に懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。裁判長は公判で行われた精神鑑定の信用性を認め、死体損壊時は「解離性同一性障害(多重人格)にあり、本来の人格とは別のどう猛な人格状態にあった可能性が非常に高い」と刑事責任を問えない心神喪失と認めた。しかし殺害前1ヶ月間はトラブルなく生活していたこと等を理由に「自己を制御する能力がかなり減退していたことは否定できないが、責任能力が限定されるほど著しくなかった」として完全責任能力があると判断した。そして被告を非難しながらも両親に気付かれないまま精神障害に罹患して行動制御能力が落ちていたことや、被害者の挑発的な言動がきっかけとなった衝動的な犯行だったことなど、被告に有利な事情を考慮した。
 検察、被告側がともに控訴。東京高裁での控訴審でも検察側は完全責任能力があったと主張し、弁護側は犯行時心神喪失状態であったと無罪を訴えた。2009年4月28日、東京高裁は死体損壊時の責任能力も認めて一審を破棄し、懲役12年を言い渡した。2009年9月15日付で最高裁は被告側の上告を棄却、二審判決が確定した。
文 献 佐藤健志『バラバラ殺人の文明論 家族崩壊というポップカルチャー』(PHP研究所,2009)
備 考  最高裁は2008年4月に傷害致死事件の判決で「精神医学者の鑑定は、公正さに疑いがあったり前提条件に問題があったりするなどの事情がない限り尊重すべきだ」と、鑑定結果の重視を求める初の判断を示している。しかし2008年4月28日にあった東京地裁判決では、殺人、死体損壊時点で「責任能力に問題がある」とした精神鑑定の信用性を認めながらも、事前計画時における精神状態は合理的な行動を取っているとして完全責任能力を認めている。
 刑事裁判で多重人格を認めた判決は、少なくとも3例あると言われている。しかし2008年2月の東京地裁判決では,殺人事件の被告に3つの別人格が存在すると認めた上で、別人格にも責任能力があったと認定している。
 2007年2月9日、犯行に使われたと見られる木刀やのこぎりなどの重要証拠を裁判前に紛失していたことが発覚した。2007年1月4日に代々木署捜査本部が二男を逮捕した際、証拠品の保管を担当していた警視庁捜査一課の男性巡査は,二男宅から押収した証拠品4点をダンボール箱に入れて机の横の床に置いた。しかしそこは代々木署で弁当の空き箱や紙ゴミなどを捨てるゴミ置き場のすぐ横であったことから、1月6日朝に捜査員が年末年始のゴミをまとめてゴミ集積所に運んだ際に紛れてしまい、紛失してしまったものとみられている。内規では、証拠品は専用ロッカーに保管するよう定められている。
 東京地検の次席検事は2月5日に二男を起訴した際の記者会見では紛失について一切言及せず、9日に「紛失した証拠品には重要なものが含まれており、誠に遺憾である。公判立証に全く影響がないとは言えないが、検察としては、適正な判決を得るよう、公判において万全を尽くしたい」とするコメントを発表した。
 5月2日、警視庁は男性巡査部長(51)を地方公務員法に基づく懲戒処分(戒告)にした。管理責任者である同課課長代理の警視(58)についても監督責任を問い、警務部長注意処分とした。


【2007年】(平成19年)

日 付事 件
3/25 概 要 〈英国人英会話講師殺人事件〉
 千葉県市川市の無職男性(28)は2007年3月25日、自宅マンション4Fで英国人女性の英会話講師(22)の顔などを殴り、手首を縛って強姦。さらに首を圧迫して窒息死させ、ベランダに置いた浴槽に遺体を遺棄し、園芸用の砂土で埋めた。
 26日、被害者と同居していた女性から依頼を受けた千葉県警船橋警察署員が、被害者宅から男性の氏名や電話番号、似顔絵を描いたメモが発見されたため、21時40分頃に男性宅に急行。しかし男性は駆けつけた捜査員を振りきり、非常階段からマンションを抜け出して逃走し、そのまま行方をくらました。捜査員は被害者の遺体を発見した。千葉県警は男性を死体遺棄容疑で指名手配。さらに2007年5月から始まった公費懸賞金制度に基づいて懸賞金を掛けた。男性はその後転々とし、途中病院で整形を行った。
 女性の家族は何度も来日し、マスコミ出演やビラ配りなどで犯人逮捕への協力を訴えた。
 2009年11月5日、名古屋市内の美容形成外科医院が、過去のカルテを整理中に男性らしき写真を発見したため通報。同一人物だと判断されたため、指名手配の写真が整形後のものに差し替えられた。その写真を見て大阪府の建設会社が、男性が10月頃まで住み込みで働いていたことを通報した。11月10日、神戸市の六甲船客ターミナルにて従業員が乗客の中に男性らしき人物を発見して通報。男性が沖縄行き便に搭乗しようとしたが、当日は欠航であったため、就航していた大阪南港発の便を案内し、向かったところで警察に通報。男性は大阪南港フェリーターミナルで身柄を拘束され、逮捕された。そして東海道新幹線を経由して千葉県警行徳署に移送された。
 男性逮捕に結びつく重要情報提供に対する総額1,000万円の公費懸賞金は、民間人4人に対し、国費から支払われた。公費懸賞金制度で初の支払いとなった。千葉県警が同庁に候補者を挙げて申請。警察庁が審査委員会を開いて支給を決定した。情報の寄与度に応じて分配されるが、同庁は「情報提供者保護の観点から」として4人に関する情報や懸賞金の分配率などは公表しなかった。
 男性は逮捕後黙秘、さらに絶食を続けたが、11月24日に食事をとり供述を始めた。千葉地検は殺人、強姦致死、死体遺棄で起訴。男性は殺意を否認している。2011年7月21日、千葉地裁の裁判員裁判で求刑通り無期懲役判決。2012年4月11日、東京高裁で被告側控訴棄却。上告せず、確定。
文 献 市橋達也『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』(幻冬舎,2011/幻冬舎文庫,2013)
備 考  2009年11月12日、市川市塩浜の行徳署前の市道で、送検される男性を乗せた捜査車両に、TBS社員であるテレビ情報制作局所属ディレクターの男性(30)がビデオカメラを持ち、規制線のロープをかいくぐって接近。制止した県警機動隊員(24)を突き飛ばして軽傷を負わせるとともに、車の前方に立ちふさがり、運転席側の窓ガラスを数回たたくなどしたため、行徳署は男性を公務執行妨害容疑で逮捕した。男性は同日夕に釈放され、2010年7月に起訴猶予となっている。
 市橋の著作を基に、映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』が2013年に公開された。
4/17 概 要 〈長崎市長射殺事件〉
 指定暴力団会長代行Sは、長崎市長選挙期間中だった2007年4月17日午後7時52分ごろ、JR長崎駅近くの選挙事務所前で、4選を目指して立候補していた伊藤一長・前長崎市長(当時61)の背後に忍び寄り、所持していた拳銃で銃弾2発を発射した。伊藤前市長は心配停止状態で長崎大付属病院に運ばれたが、午前2時28分、大量失血のため死亡した。Sは選挙事務所関係者にその場で取り押さえられた。Sは実弾26発を所持していた。選挙期間中の政治家が殺害されたのは、戦後初めて。
 Sは2003年2月、工事中の市道で自分の車が路面の穴にはまり、破損する事故を起こしており、市に修理代60万円の支払い要求をした。その後、主張はエスカレートし、総額200万円以上を求めてきた。市は「賠償する責任はない」として拒否したが、電話や面会は2004年秋までに約50回に及んだ。Sはこの件で伊藤前市長を刑事告発していたが、長崎地検は2004年に不起訴としている。
 このほか、Sの知人が経営する建設会社が2002年、市の制度を利用して銀行から融資を受けようとして断られた件でも恨んでいた。2005年1月には知人の会社が市の解体工事から排除されたことで市に抗議、前市長あてに公開質問状も送っていた。Sは犯行前、こうした不満について記した文書をテレビ朝日あてに郵送。消印は4月15日で、冒頭には「ここに真実を書いて自分の事は責任を取ります」との表現があった。またSは襲撃対象として金子原二郎長崎県知事を考えていたことも明らかになっており、事件の約3週間前には、金子知事の後援会事務所に「覚悟しろ」と脅迫めいた電話をかけていた。
 Sは事件の5年前に約300万円あった預金が事件直前は約4万円にまで減るなど金銭的に困窮し、組で立場を失っていた。今回の事件で組織は全く関係なく、Sは後に破門となっている。
 期日前や不在者投票などで前市長に投票した計1万5,435票(全投票数の約8%)が無効になった。
 市長選(同22日)には、長女の夫で新聞記者の横尾誠氏(40)と市課長だった田上富久氏(51)が補充立候補。田上氏が953票差で初当選した。
 公判前整理手続きを採用。2008年1月22日の初公判における起訴事実の罪状認否でSは、「起訴状に書いてある事実はその通りです」と起訴事実を認め、「心よりおわび申し上げます「日々、合掌して伊藤様のごめい福をお祈りしています」と遺族らに謝罪した。2008年5月26日、長崎地裁で求刑通り死刑判決。しかし2009年9月29日、福岡高裁は暴力団組織を背景とした犯行ではないことや、被告が経済的に困窮するなどして自暴自棄になって暴発した側面があるなどとして、一審を破棄、無期懲役を言い渡した。2012年1月16日、最高裁第三小法廷は検察・被告側上告を棄却、刑が確定した。
 Sは2020年1月22日、大阪医療刑務所で病死。72歳没。
文 献 長崎新聞社報道部『検証・長崎市長射殺事件』(長崎新聞社,2008)
備 考  
5/6 概 要 〈町田新妻絞殺事件〉
 2007年5月6日、東京都町田市に住む会社員男性(当時34)の携帯電話にあったわいせつ画像を見つけた妻(当時28)が不機嫌になった。男性は「友人が冗談で送ってきた」と弁解したが、妻は納得せず、鉄アレイやパイプイスを投げつけたり、家族を殺害すると発言したり、男性の元交際相手を電話で激しく罵倒したりした。男性は「自分以外の人にひどいことを言うのは初めて。ほかの人に迷惑がかかる」と考えて同日午後10時20分頃、妻に馬乗りになって首を絞めて殺害した。2人は2006年10月から同居を始め、2月に婚姻届を出し、6月に新婚旅行を兼ねてイタリアで挙式する予定だった。妻は情緒不安定で、けんかになると男性を殴ったり家具を壊したりするなどの激しい暴力行為をする傾向があった。
 男性は友人に殺人を告白。友人が神奈川県警に届け出たため、7日午前0時頃、町田署員が男性を殺人未遂容疑で緊急逮捕した。
 2007年11月9日、東京地裁八王子支部は反省が見られないとして懲役10年(求刑懲役12年)を言い渡した。2008年2月26日、東京高裁は反省を深めたとして一審を破棄し、懲役9年を言い渡し、確定した。
文 献 「DV女と結婚した男に残された究極の選択―町田「新婚妻」絞殺事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
6/19 概 要 〈つくば市パチンコ店長殺人事件〉
 茨城県つくば市に住むトラック運転手E(38)は消費者金融からパチンコなどの借金約240万円の返済に窮し、かつて勤めていた近所のパチンコ店に保管してある金を奪おうと、2007年6月19日午後11時過ぎ、閉店後に通用口から出てきた店長の男性(65)の左腕などをナイフ(刃渡り約14cm)で刺し、失血死させた。Eは男性に抵抗されたため、金品は奪わずに逃走した。事件後、Eは両親がいる実家に転居した。
 県警つくば中央署捜査本部は現場に残された容疑者のものとみられる1枚の眼鏡レンズを手がかりに全国の眼鏡の流通経路を調査。捜査本部は、このレンズからフレームを割り出し、フレームが福井県内の会社で約3300個製造され、流通していることを確認した。全国の眼鏡店に照会した結果、2002年につくば市内の眼鏡店で、Eが同じフレームの眼鏡を買った記録を発見した。2007年11月ごろからEの身辺を調べ、2008年1月9日、逮捕した。
 2008年9月22日、水戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。控訴せず確定。
 被害者の息子である漫画家・今田たまは、事件の詳細と遺族感情をつづった漫画「家族がいなくなった日」を、月刊漫画雑誌『本当にあった笑える話』(ぶんか社)の2015年4月号から6回にわたり掲載した。
文 献 今田たま『家族がいなくなった日 ある犯罪被害者家族の告白』(ぶんか社,2015)
備 考  
8/24 概 要 〈名古屋闇サイト殺人事件〉
 2007年8月、携帯電話の闇サイトで犯罪仲間を募集して知り合ったKT(36)、KK(40)、HY(32)、H(29)が名古屋市で連絡を取り合うようになった。3人は強盗殺人を提案したがHは事務所荒らしを提案し、KKとともに8月23日、長久手町の事務所に押し入るも金が見つからず逃走。KKが先に逃げたことに腹を立てたHは自首している。Hは窃盗未遂、建造物侵入、強盗予備で起訴され、2007年11月20日に名古屋地裁で懲役2年執行猶予3年(求刑懲役2年)の判決が言い渡され、確定している。
 24日、KTが女性を拉致する強盗殺人を提案し、2人が了承。物色を続けて午後11時ごろ、帰宅途中だった派遣社員の女性(31)を千種区の路上で車へ拉致し、安西市の駐車場まで連れ出した。そこでHYがバッグを奪い、現金62000円やキャッシュカード2枚、クレジットカードを奪った。HYとKTは包丁で女性を脅し、暗証番号を聞き出した。その後、車中でKKは女性を暴行しようとしたが、2人に止められている。午前1時ごろ、3人は女性の女性の頭に粘着テープを二十数回巻き、レジ袋を頭にかぶせ、首をロープで絞め、頭を金槌で数十回殴った。女性は窒息死した。3被告は奪った金を均等に分けた後、午前4時40分頃、岐阜県瑞浪市の山林で遺体に土や草をかぶせて遺棄した。夜が明け、3人は名古屋市にある2箇所のATMで現金を引き出そうとしたが、聞き出した暗証番号は虚偽のものであったため失敗。そこで3人は夜に再度集まって風俗嬢を襲う計画を立案して別れた。しかし死刑になるのが怖くなったKKは午後1時半頃に警察署へ電話し、犯行を打ち明けたため、身柄を確保された。午後7時10分頃、愛知県警は女性の遺体を発見するとともに、KT、HYを任意同行した。8月26日、県警は3人を死体遺棄容疑で逮捕した。9月14日、強盗殺人と営利略取、逮捕監禁の容疑で再逮捕した。
 女性の母親は3被告に極刑を求める署名活動をはじめ、初公判時点で約28万4000人分が集まった。うち約15万人分については2007年10月23日に名古屋地検に提出されている。
 2009年3月18日、名古屋地裁はKTとHYに求刑通り死刑判決、KKは自首を認めて無期懲役(求刑死刑)を言い渡した。KTは控訴するも、4月13日付で取り下げて死刑判決が確定した。KTはその後、再審請求をしている。
 2011年4月12日、名古屋高裁はKTより役割が重くないとしてHYの一審判決を破棄、無期懲役判決を言い渡した。KKについては検察・被告双方の控訴を棄却した。KKについては双方が上告せず確定。2012年7月11日、最高裁第二小法廷は死刑を求めた検察側の上告を棄却し、HYの無期懲役判決が確定した。
 2012年8月3日、HYは1998年6月29日に愛知県碧南市でパチンコ店責任者夫婦を強殺した疑いで、別の2名とともに逮捕された。
 2015年6月25日、KTの死刑が執行された。44歳没。
文 献 NHK「事件の涙」取材班『娘を奪われたあの日から 名古屋闇サイト殺人事件・遺族の12年』(新潮社,2020)

大崎善生『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(KADOKAWA,2016)

河村龍一『闇サイト殺人事件の遺言』(ごま書房新社,2013)

堀慶末『鎮魂歌(レクイエム)』(インパクト出版会,2019)
備 考  HYは1998年6月28日に発生した碧南市の夫婦強盗殺人事件の主犯として、別の2人とともに2012年8月3日に逮捕され、後に起訴された。2015年12月15日、名古屋地裁で求刑通り一審死刑判決。2016年11月8日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2019年7月19日、被告側上告棄却、確定。


【2008年】(平成20年)

日 付事 件
3/13 概 要 〈横浜・深谷親族殺害事件〉
 横浜市に住む内装工のA(38)は、いとこで埼玉県富士見市に住む無職T(34)と共謀。2008年3月13日午前10時ごろ、Aの実家の内装会社で、Tの養親である住込従業員の女性(46)に睡眠薬を飲ませ、浴槽に沈めて殺害。警察官は事故として処理した。Aは保険会社に「事故による溺死」とうその申告をして、同年7月、預金口座に死亡保険金約3,600万円を振り込ませた。Aが2,800万円を、Tが800万円を手にした。2人は消費者金融や車ローンなどの借金を抱えていた。
 Tは、2006年11月8日頃に携帯電話のサイトで女性と知り合った。2人は別の男性2人を養父、女性を養子として相次いで縁組。さらに2007年1月、Tを養子、女性を養母とする縁組を行った後も、別の男性1人を女性の養子とする縁組を行った。いずれも借金目的である。2007年6月頃、女性は詐欺容疑で逮捕、起訴され、9月25日に保護観察付執行猶予の有罪判決を受けた。2007年10月、死亡時に保険金が支払われる特約付きの傷害保険に女性を加入させていた。
 AとTは深谷市に住む両被告の叔父(64)と金銭トラブルが生じ、2009年8月7日午前5時50分頃、家で酒を飲んで眠り込んだ叔父の胸を、Tが柳葉包丁で刺して殺害した。Aは2月ごろから叔父の家をリフォームしていたが、それにかこつけて金をむしり取っていた。
 2010年6月25日、埼玉県警は交通保険金をだまし取った詐欺事件で逮捕されていた2人を叔父殺害容疑で再逮捕。Tは別の銃刀法違反事件で懲役3年の実刑判決が確定し、服役中だった。11月4日、女性殺害容疑で2人を再逮捕した。
 Tは2011年7月20日、さいたま地裁の裁判員裁判で求刑死刑に対し、一審無期懲役判決。自白が認められた。控訴せず確定。
 Aはすべて無罪を主張し、殺害はTが単独で行ったものと主張。2012年2月24日、さいたま地裁の裁判員裁判で、求刑通り一審死刑判決。2013年6月27日、東京高裁で被告側控訴棄却。2015年12月4日、被告側上告棄却、確定。
文 献 「横浜・深谷親族殺害事件(平成20~21年)――無実を訴えながら死刑確定」(片岡健『平成監獄面会記』(笠倉出版社,2019)所収)
備 考  
3/19 概 要 〈土浦連続殺傷事件〉
 土浦市の無職K(24)、2008年3月19日午前9時15分頃、自宅近く住む無職男性(72)方で自転車の空気入れを借り、男性が空気入れを物置に片付けようと背を向けた際、男性の首を文化包丁(刃渡り約18cm)で刺し、失血死させた。Kは当初、同居中の妹を標的に選んでいたが、事件当時は不在。続いて出身校である市内の小学校を襲うつもりであったが、当日は卒業式で人が多かったため断念。帰り道、たまたま屋外にいた男性を殺害したもので、男性とは面識がなかった。
 土浦署捜査本部は現場に乗り捨てられていたマウンテンバイクの防犯登録からKを割り出し、21日、殺人容疑で全国に指名手配した。
 Kは19~22日、東京都内のホテルに宿泊し、23日は秋葉原にいた。22日午後0時42分には、荒川沖駅周辺から携帯電話で「早く捕まえてごらん」と110番し、JR取手駅周辺からも110番に無言電話をしていた。茨城県警は170人体制で警戒、荒川沖駅にも改札口周辺とホーム、西口、東口双方のロータリーに私服捜査員各2人が配置された。
 Kは23日午前11時5分頃、JR荒川沖駅におり、ニット帽をかぶり、両手に滑り止めのゴム手袋をはめ、サバイバルナイフ(刃渡り約21cm)と文化包丁(同約18cm)を両手に持った。Kは改札口から自由通路を東口方面に向かい、男子高校生(当時18)の頸部をサバイバルナイフで刺し、男子高校生(当時16)の左腕を傷つけた。改札口前の自由通路で、サバイバルナイフで私服捜査員の男性(当時29)の額を傷つけ、近くにいた男性(当時50)の頸部を切りつけた。連絡通路を走り、追い抜きざまに女性(当時59)の胸を刺し、すれ違いざまに男性(当時60)の右腕を切りつけた。前に回り込んで女性(当時62)の胸を刺し、ショッピングセンター1階付近で、茨城県阿見町に住む会社員の男性(当時27)の頸部を刺して失血死させた。男子高校生(当時18)と女性(当時62)が重傷、残り5名が軽傷を負った。
 Kはその直後、駅西口から約300m離れた交番で土浦署にインターホン電話で「おれが犯人です。早く来てください。犠牲者が増えますよ」と話し、急行した警官が午前11時16分に逮捕した。交番は当時、無人だった。持っていたナイフ等は全て投げだし、抵抗しなかった。
 Kは逮捕後の調べで、「7、8人殺せば死刑になれると思った。自殺は痛いからいやだった」など供述。裁判でも「自殺は痛い。人にギロチンのボタンを押してもらう方が楽だから死刑を利用する」と陳述。遺族や被害者に対する謝罪の思いは「感じない」と言い、「おれを殺さなければ、死刑になるまで(人を)殺し続けます」と早期の死刑執行を望む考えを示した。
 2009年12月18日、水戸地裁で求刑通り死刑判決。弁護人が即日控訴するも、12月28日に本人が控訴を取り下げ。検察側は控訴せず、1月5日に死刑が確定した。
 2013年2月21日、死刑執行。29歳没。
文 献 読売新聞水戸支局取材班『死刑のための殺人 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録』(新潮社,2014)

「第七章  常識に洗脳された人間に、俺のことが理解できるかな!!」(長谷川博一『殺人者はいかにして誕生したか』(新潮社,2010/新潮文庫,2017)所収)
備 考  茨城県警は、指名手配中だったKがJR荒川沖駅の改札口を通過したことを捜査員が見逃し、再び事件を起こすのを防げられなかったことから20人体制で検証。2008年4月23日、無線機を携帯し、改札口へ警察官を集中配置すべきだったなどとする捜査の検証結果を発表した。
6/8 概 要 〈秋葉原無差別殺傷事件〉
 2008年6月8日12時33分頃、静岡県裾野市の派遣社員K(25)は、東京・秋葉原の歩行者天国で、通行人が行き交う交差点に時速約40kmの2tトラックで突入。通行人5人をはねた。そのうち、杉並区の無職男性(74)、熊谷市の男子大学生(19)、流山市の男子大学生(19)の3人が死亡、2人が怪我を負った。
 さらにKは70m先でトラックから降りた後、すぐ近くにいた男性をダガーナイフで刺した後、交差点に端って戻りながら、携帯電話で110番をしていた東京都北区の女子大学生(21)を刺して殺害した。続いて板橋区の無職男性(47)を刺して殺害。交差点ではねられた被害者を救護していた万世橋署の警部補(53)ら男性2人と女性1人をナイフで襲い、重傷を負わせた。さらにKは交差点を走りながら、男性2人と厚木市に住む調理師の男性(33)と蕨市に住む会社員の男性(31)を刺して2人を殺害した。その後、男性と20代の女性を刺した。駆けつけた万世橋署の巡査部長がKを殺人未遂の現行犯で逮捕した。巡査部長もナイフで3箇所刺されたが、耐刃防護衣を着ていたため、怪我はなかった。この間の時間はわずか1分程度だった。7名が殺害され、10名が重軽傷を負った。
 Kは携帯サイトの掲示板に凶器のナイフ、トラックの調達の様子や、犯行予告などを書き込んでいた。
 Kは6月20日、殺人容疑で再逮捕された。鑑定留置の結果、責任能力に問題はないと、東京地検はKを起訴した。2011年3月24日、東京地裁はKに求刑通り死刑判決を言い渡した。2012年9月12日、東京高裁で被告側控訴棄却。2015年2月2日、被告側上告棄却、確定。
 2022年7月26日執行、39歳没。第二次再審請求中の執行だった。
文 献 浅尾大輔ほか著『ロスジェネ別冊2008 秋葉原無差別テロ事件「敵」は誰だったのか?』(かもがわ出版,2008)

大澤真幸編『アキハバラ発 〈00年代〉への問い』(岩波書店,2008)

岡田尊司『アベンジャー型犯罪 秋葉原事件は警告する』(岩波書店,2008)

加藤智大『解+―秋葉原無差別殺傷事件の意味とそこから見えてくる真の事件対策』(批評社,2013)

加藤智大『東拘永夜抄』(批評社,2014)

加藤智大『殺人予防』(批評社,2014)

加納寛子『「誰でもよかった殺人」が起こる理由』(文春新書,2009)

芹沢俊介『愛に疎まれて』(批評社,2011)

芹沢俊介・高岡健『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』(批評社,2016)

中島岳志『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版,2011/朝日文庫,2013)

中島岳志、雨宮処凛、杉田俊介、斎藤環、平野啓一郎『秋葉原事件を忘れない この国はテロの連鎖へと向かうのか』(かもがわ出版,2023)

洋泉社ムック編集部編『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』(洋泉社,2008)

「第八章  私は小さな頃から「いい子」を演じてきました」(長谷川博一『殺人者はいかにして誕生したか』(新潮社,2010/新潮文庫,2017)所収)
備 考  事件後、ダガーナイフなど殺傷能力の高い刃物を18歳未満の青少年へ販売・譲渡することを禁ずる条例が20都府県以上で制定された(他に7県は事件前に制定済)。また警察庁も、ダガーナイフのほか、スローイング(投擲)ナイフやダイバーズナイフ、ブーツナイフなどの名称で販売されている両刃の刃物を犯罪の未然防止の観点から刀剣類として所持を禁じることにし、2008年秋の臨時国会で、銃刀法の改正案を提出、成立した。改正法施行後は許可された場合を除き、所持すれば銃刀法違反で処罰される。ミリタリーナイフなど片刃の刃物については、キャンプや農作業、調理など社会的な有用性の有無の識別が困難として、所持の禁止は見送られた。
 舛添要一厚生労働相(当時)はKが派遣労働者であったことから、各都道府県労働局に派遣元や派遣先に関係法令順守を徹底するよう指示を出した。
 事件後、この事件を模倣したインターネットによる殺人予告が相次ぎ、60人以上が摘発・補導されている。
 この事件を受け、秋葉原では歩行者天国を休止した(後に再開)。
6/28 概 要 〈岩手県川井村17歳女性殺人事件〉
 2008年7月1日午後4時頃、岩手県川井村の小川で、宮城県栗原市の無職女性(17)の遺体が見つかった。女性は6月28日夜、友人女性の元交際相手であった岩手県田野畑村出身の住所不定無職男性O(28)に、友人とよりを戻したいから相談したいという電話を受けて呼び出された後、行方不明となっていた。宮城県登米市のコンビニで午後9時過ぎにOと一緒にいるところを目撃されたのが最後の情報である。
 Oは1日午後9時45分頃、田野畑村で電柱に車をぶつける事故を起こし、そのまま逃走した。翌日午前、断崖でOの姿が目撃される。3日午後、遺体が女性のものと確認。さらに同日夕方、断崖でOの財布と靴が見つかったのを最後に、Oの足取りは途絶えた。事故後放置された車からは、女性の痕跡が発見された。
 捜査本部は自殺と偽装して逃走したと判断。7月29日、捜査本部はOの逮捕状を取って指名手配し、顔写真を公表した。その後、逮捕に繋がる情報には最大100万円の捜査特別報奨金を付けた。
 2009年6月19日、Oの家族らは日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた。岩手県警に対し、指名手配や捜査特別報奨金の広告中止などを求めている。またフリージャーナリストの黒木昭雄は捜査方法に疑問を示し、適正な捜査を行った上での真相解明を訴えている。
文 献 「三陸ミステリー 疑惑の指名手配」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備 考  
9/21 概 要 〈千葉東金女児殺害事件〉
 2008年9月21日、千葉県東金市の無職男性(21)は午前11時40分ごろ、自宅近くですれ違った面識のない保育園女児(5)を自宅マンションに連れ込み、友だちになろうとしたが、「帰る」「ばか」などと言われ腹を立て、浴室に沈めて水死させた。12時20分頃、遺体を近くの路上に放置した。
 12月6日、千葉県警は男性を死体遺棄容疑で逮捕。さらに12月26日、殺人容疑で再逮捕した。男性は軽度の知的障害者で、事件前日に退職していた。逮捕当初は犯行を否認するも、後に認めた。
 千葉地検は2009年4月17日、殺人、死体遺棄、未成年者略取の容疑で男性を起訴。弁護側は当初、独自の指紋鑑定や検証実験より無罪を主張する方針であったが、2010年4月に弁護団長が辞任し、新団長は殺害の事実を認めた。2010年12月17日に始まった公判でも起訴事実については争わず、責任能力と、裁判手続きを理解し自身の権利を守る訴訟能力を争った。
 2011年3月4日、千葉地裁は男性の訴訟能力、刑事責任能力を認めるとともに、知的障害の影響を考慮し、懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡した。9月29日、東京高裁は被告側控訴を棄却。2012年3月27日、最高裁第一小法廷は被告側の上告を棄却、刑が確定した。
文 献 佐藤幹夫『知的障害と裁き ドキュメント千葉東金事件』(講談社,2013)

三宅勝久『司法が凶器に変わるとき 「東金女児殺害事件」の謎を追う』(同時代社,2015)
備 考  
11/17 概 要 〈元厚生次官宅連続襲撃事件〉
 さいたま市の無職男性K(46)は、34年前に保健所で殺された飼い犬の仇討として元厚生事務次官とその家族を殺害しようと計画。2008年11月17日午後7時頃、宅配業者を装い、さいたま市に住む元厚生事務次官の男性(66)方を訪れ、男性と妻(61)を包丁で刺して殺害した。さらに11月18日午後6時半頃、宅配業者を装い、東京都中野区に住む元厚生事務次官の男性(76)方を訪れ、印鑑を持った男性の妻(72)の胸などを包丁で刺した。妻は屋外へ逃げて助かったが、約3か月の重傷。Kはレンタカーで千葉県浦安市まで移動し、元社会保険庁長官の女性とその家族を殺害しようと計画。宅配便を装い、女性の名を書いた送り状を張ったダンボールを準備し、18日午後8時過ぎに女性方近くまで行った。警備の様子はなかったが、家の中で警備しているかもしれないと思い、そのまま帰った。
 Kは11月22日午後9時20分に警視庁に出頭、翌日逮捕された。鑑定留置の結果、責任能力を認める結果であったため起訴。
 2010年3月30日、さいたま地裁で求刑通り一審死刑判決。2011年12月26日、東京高裁で被告側控訴棄却。2014年6月13日、被告側上告棄却、確定。
文 献 「元厚生事務次官宅連続襲撃事件(平成20年)――「愛犬の仇討ち」で3人殺傷」(片岡健『平成監獄面会記』(笠倉出版社,2019)所収)
備 考  ペットの処分を規定する動物愛護法を所管するのは環境省で、保健所を設置しているのは、都道府県や政令市などの地方自治体。厚生労働省(旧厚生省)は狂犬病予防法を所管するだけで、犬や猫の処分は保健所の判断に委ねられている。


【2009年】(平成21年)

日 付事 件
5/25 概 要 〈板橋資産家夫婦殺人放火事件〉
 2009年5月25日午前0時半ごろ、東京都板橋区に住む不動産賃貸業の男性(74)方から出火。母屋や蔵など3棟が焼け、焼け跡から男性と妻(69)の遺体が見つかった。2人は頭を鈍器のようなもので殴られ、胸や腹を刃物で刺されていた。
 男性は江戸時代から続く大資産家で、自宅周辺に少なくとも7,500平方メートルの土地を所有する資産家だった。自宅敷地も約2,000平方メートルに上り、高さ約2mのコンクリート塀と約1.5~2mの金網フェンスで囲まれている。4か所の出入り口のうち正面の2か所には、人の侵入を感知する赤外線センサーが設置され、残りの2か所は施錠されていた。「金融機関は信用できない」が口癖で多額の現金を自宅で保管しており、事件後の自宅からは数千万円が見つかっている。そのことから捜査本部は当初顔見知りの犯行とみて捜査を続けていたが、後に関西地方の暴力団関係者が「強盗に誘われた」と供述していると大阪府警から情報が寄せられたため、流しの犯行の可能性もあるとして、両方の面から捜査を続けたが、放火によって証拠が消えていることもあり、捜査は難航した。
 しかし2010年、日中混成強盗団メンバーの男が仲間の関与を示唆する上申書を提出した。強盗団は30代の中国出身の男をリーダーとして、暴力団関係者や中国出身で帰化した日本人、中国人メンバーらで構成。リーダーの男が夫婦殺害の主犯格とみられ、日本人と中国人数人が実行役とみられている。捜査本部はこれまでに、グループが起こした別の窃盗や強盗事件で十数人を逮捕したが、本事件につながる証言や証拠はまだ得られていない。
文 献 李策『板橋資産家殺人事件の真相 「日中混成強盗グループ」の告白』(宝島社,2012)
備 考  
8/3 概 要 〈秋葉原耳かき店員殺人事件〉
 千葉市に住む会社員の男性は、2008年2月頃から東京都千代田区にある耳かきサービス専門店へ偽名で通い始め、月に約30万円以上使っていた。2009年になってからは週末ごとに来店し、店員である港区の女性を常に指名。4月頃には女性に交際を申し込んだが断られ、店から出入り禁止となった。しかしその後も男性は女性につきまとい執拗にメールを出した。
 2009年8月3日午前8時55分頃、男性(41)は女性方を訪れ、1階にいた女性の祖母(78)を刃物で刺して殺害。さらに2階で寝ていた女性(21)の首などを刺した。女性は意識不明の重体となり、9月7日、入院先の病院で死亡した。当時女性方は5人暮らしで、事件当時は他に2人いたが無事だった。
 午前9時頃に家近くを通った人から「包丁を持った男と女がけんかしている」と110番があり、警視庁愛宕署員が駆けつけると、住宅内で2人が血を流して倒れており、室内にいた男性が犯行を認めたため、現行犯逮捕した。
 裁判員裁判で初めて死刑が求刑されたが、2010年11月1日、東京地裁で無期懲役判決。検察、被告双方控訴せず、そのまま確定した。
文 献 吉村達也『秋葉原耳かき小町殺人事件 私たちは「異常者」を裁けるか』(ワニブックスPLUS新書,2011)
備 考  求刑死刑で一審無期懲役判決が控訴されずに確定したのは、1988年12月21日に熊本地裁で判決を受けた女子高生殺人事件の被告以来。検察側が控訴しなかったのは1995年5月18日に徳島地裁で判決を受けた仮出所者の知人2名殺人事件の被告以来となる。
9/25 概 要 〈首都圏連続不審死事件〉
 北海道別海町出身の無職木嶋佳苗は、1993年に18歳で上京し、当初ピアノ講師の仕事をしていたが、1994年からデートクラブなどで月150万円を稼ぐようになる。19~26歳の時、20人弱の男性と「愛人契約」を結び、2001年からはリサイクルショップを営む松戸市の男性と知り合い計約1億円を受け取っていた。しかし男性が2007年に死亡。「月100万円以上かかる生活を変えることは難しい。(援助してくれる)男性を探すのが一番」として、木嶋は2008年5月に学生やヘルパーと偽って婚活サイトに登録し、少なくとも20人以上の独身男性に次々と結婚を約束し、「学費」「生活費」などを口実に多額の金を無心するようになる。そして2009年9月までに10件の詐欺事件、練炭を利用した3件の殺人事件を引き起こした。
 埼玉県警が3件目の殺人事件で捜査中、木嶋に渡っていた金銭の流れに不自然な点があったことから、9月上旬、木嶋被告から任意で事情聴取。自宅に帰されたが、9月25日、別の詐欺事件で逮捕した。その後、過去の事件で続けて再逮捕された。
 木嶋は取り調べで黙秘を貫き、裁判では無罪を主張した。物的証拠はほとんどなかったものの、さいたま地裁の裁判員裁判は2012年4月13日、間接証拠と状況証拠を基に求刑通り死刑を言い渡した。2014年3月12日、東京高裁は被告側控訴を棄却。2017年4月14日、最高裁で被告側上告棄却、死刑が確定した。
文 献 上野千鶴子『毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ』(河出書房新社,2013)

霞っ子クラブ元リーダー 高橋ユキ『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店,2012)

神林広恵・高橋ユキ(霞っ子クラブ)『木嶋佳苗劇場~完全保存版! 練炭毒婦のSEX法廷大全』(宝島NonfictionBooks,2012)

木嶋佳苗『礼讃』(KADOKAWA,2015)

北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(朝日新聞出版,2012/講談社文庫,2013/増補版 講談社文庫,2017)

佐野眞一『別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』(講談社,2012)

柚木麻子『BUTTER』(新潮社,2017)
備 考  公判前整理手続きは、2010年9月14日~2012年1月4日に及んだ。裁判員と補充裁判員の任期は計100日で、過去最長。一審の裁判員裁判で、結審の翌日(3月14日)から判決前日(4月12日)までに評議を10日間行ったと発表した。同地裁によると、裁判員は選任手続きを含めると計47回、裁判所に通ったことになる。
11/2 概 要 〈鳥取連続不審死事件〉
 鳥取市の元スナックホステスUは、2009年4月4日、借金270万円の返済を免れるため、若桜町のトラック運転手Yさん(当時47)に睡眠導入剤などを服用させ、同県北栄町の海で水死させた。遺体は11日、海底から見つかった。10月6日には、家電12点の購入代金約123万円の支払いを免れるため、鳥取市の電器店経営Mさん(当時57)に睡眠導入剤などを服用させ同市内の摩尼川で水死させた。遺体は翌日見つかった。他にも同居男性と共謀し、詐欺を繰り返した。
 Uの周辺では他にも不審死が相次いでおり、2004年から2009年にかけて4名が死亡している。2名は自殺、1名は事故と判断され、残り1名は捜査本部が立件を断念した。
 鳥取県警は11月2日、詐欺容疑でUを逮捕。以後、翌年4月までに2件の強盗殺人容疑と16件の詐欺等の容疑で逮捕した。
 同居男性は13件の詐欺(被害総額1,049万円)と窃盗で起訴された。1件を除き、Uとの共犯と認定されている。2010年10月20日、鳥取地裁で懲役3年(求刑懲役3年6月)の判決が言い渡され、控訴せず確定した。
 裁判でUは強盗殺人について無罪を主張。しかし2012年12月4日、鳥取地裁の裁判員裁判で求刑通り一審死刑判決。2014年3月20日、広島高裁松江支部で被告側控訴棄却。2017年7月27日、最高裁で被告側上告棄却、死刑が確定した。
 Uは2023年1月14日午後4時20分ごろ、広島拘置所の居室で夕食時に食べ物をのどに詰まらせ、むせて倒れた。すぐに職員が口から食べ物を取り除くなどしたものの意識がなく、午後6時57分、搬送先の病院で窒息死したことが確認された。
文 献 青木理『誘蛾灯 鳥取連続不審死事件の深層』(講談社,2013/講談社+α文庫,2016)

「関西連続青酸殺人事件(平成19~25年)――小説「後妻業」との酷似が話題に」(片岡健『平成監獄面会記』(笠倉出版社,2019)所収)
備 考  


【2010年】(平成22年)

日 付事 件
2/10 概 要 〈石巻3人殺傷事件〉
 宮城県東松島市に住む解体工のC(18)は同市に住む無職少年(17)を連れ2010年2月10日午前6時40分ごろ、宮城県石巻市の男性宅に合鍵を使って侵入。交際していた男性の次女(18)と話をさせるよう長女(20)に求めたが断られため、持っていた牛刀で長女の腹部を刺して殺害した。さらに悲鳴を上げておびえる知人の女子高校生(18)の肩をつかんで立たせ、腹部を何回も突き刺して殺害。救急車を呼ぼうとした友人男性(20)も刺して大けがを負わせた。
 さらに少年2人は、2階にいた次女を連れ出し、約6時間にわたり、知人から借りた乗用車2台を使い、石巻市や東松島市などを逃げ回った。2人は10日午後1時過ぎ、石巻市内の知人宅を出たところを拉致と監禁容疑で現行犯逮捕された。
 Cと次女は2008年8月ごろから交際し、一時期同棲していた。しかし2~3週間後から暴行が始まったため、次女は2009年2月以降、石巻署に相談。石巻署はCに警告していた。次女は同時期、同署の紹介で、家庭内暴力(DV)の保護施設に入ったが、間もなく、同署に「(Cと)よりを戻した」と連絡した。2009年10月には女児が誕生。しかし暴力は続き、2010年1月以降、石巻署への相談が再び増加。女性は6日に実家へ戻ったが、9日夜にもCが女性宅に入り込んで長女に警察を呼ばれて追い出されており、10日に診断書と傷害の被害届を出す予定だった。事件当時、家には男性、男性の母親、次女の娘(4ヶ月)が居たが無事だった。女子高生と知人男性は日頃から姉妹の相談を受けており、この日も相談にのるために居合わせていた。
 共犯の無職少年は2010年12月17日、仙台地裁で懲役3年以上6年以下の不定期刑判決(求刑懲役4年以上8年以下の不定期刑)。控訴せず確定。
 2010年11月25日、仙台地裁の裁判員裁判で求刑通り一審死刑判決。裁判員裁判で少年被告に初めて死刑判決が言い渡された。判決時少年である被告への死刑判決は1969年2月28日、東京地裁八王子支部で19歳11ヶ月(誕生日1日前)の少年に死刑判決が出て以来41年ぶり(二審で無期懲役に減刑)。2014年1月31日、仙台高裁で被告側控訴棄却。2016年6月16日、最高裁で被告側上告棄却、死刑確定。
 2017年12月18日、Cは仙台地裁に再審請求。2018年12月、仙台地裁は請求を棄却。2020年11月、仙台高裁は即時抗告を棄却。2021年10月11日付で最高裁第三小法廷は、特別抗告を棄却する決定をした。裁判官5人全員一致の結論。
文 献 「石巻3人殺傷事件(平成22年)――裁判員裁判で初めて少年に死刑判決」(片岡健『平成監獄面会記』(笠倉出版社,2019)所収)
備 考  
3/1 概 要 〈宮崎家族3人殺害事件〉
 宮崎市の建設会社員O(22)は2010年3月1日午前5時ごろ、自宅で長男(5ヶ月)の首を絞め風呂でおぼれさせて殺害、妻(24)の首を包丁(刃体約18.2cm)で1回刺し、頭部をハンマー(全長約29cm)で数回殴って死亡させた後、義母(50)の頭部をハンマーで数回殴って死亡させた。出社して午後2時ごろまで働いた後はパチンコ店で過ごし、午後9時ごろ、自宅から約800m離れた自身が勤める建設会社の資材置き場に、長男の死体を埋めた。
 Oは出産費用、車のローンなどがあって生活が苦しく、生活費の一部は義母が出していた。出会い系サイトで知り合った女性とメールをするなど家庭を顧みない被告に対し、2月23日、妻が「いつでも離婚してあげる」とメール。義母からは「離婚するなら多額の慰謝料を求める」と言われたことが動機とされる。
 帰宅後、Oは「自宅で妻と義母が倒れている」と通報。駆けつけた宮崎県警宮崎北署の署員が義母と妻の遺体を発見した。長男の行方を捜査する一方でOから事情を聞いていたが、説明があいまいだったため追求したところ、「長男を埋めた」と供述。自供に基づいて遺体が発見されたことから2日、死体遺棄容疑で緊急逮捕した。23日、長男殺人容疑で再逮捕、4月13日に妻と義母の殺人容疑で再逮捕した。  2010年12月7日、宮崎地裁の裁判員裁判で求刑通り一審死刑判決。2012年3月22日、福岡高裁宮崎支部で被告側控訴棄却。2014年10月16日、被告側上告棄却、確定。
 2017年3月24日、宮崎地裁へ再審請求提出。9月1日付で宮崎地裁は、請求を棄却した。「量刑に関する情状を基準とすべきでない」と判断された。2018年3月15日付で福岡高裁宮崎支部は、即時抗告を棄却した。特別抗告中。
文 献 阿部恭子『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス,2022)
備 考  
4/28 概 要 〈高槻養子縁組保険金殺人事件〉
 大阪府豊能郡豊能町で夫婦で内装業を営むUHと女性はインターネットのゲームサイトで知り合い、2010年1月、UHの誘いで住み込みで働くようになる。女性は派遣切りによって仕事が無くなり、生活に窮していた。2月8日、女性(当時36)は夫UK(当時39)・妻UH(当時35)と養子縁組を結ぶ。3月、UKは女性に計3社、3,300万の保険金を掛けさせた。同時に豊能町の塗装業、SK(当時42)に殺害を依頼するが、SKは断り続けた。UKは4月上旬、詐欺仲間のUYに殺害を依頼するも、UYは女性に命を狙われているから逃げるよう助言。4月13日、女性は大阪市に居た実父のもとに身を隠した。女性は逃亡中、区役所や警察、労働基準監督署などに身の危険を相談した。ブログにも書きこみを行っている。さらに1件の生命保険を解約。U夫妻は後に1件の保険を解約している。
 女性はU夫妻の電話には応じなかったが、今まで庇ってきたSKは信頼していた。しかしU夫妻に妻子に危害を加えると脅されたSKは4月28日、子供の写真の画像が入ったパソコンを取り返すと持ちかけて誘い出し、睡眠導入剤入りの飲料を飲ませ、豊能郡能勢町の路上に停めた車内で女性の首を針金で絞めて殺害。SKは遺体をポリ袋にくるみ、UKに50万円で依頼されたトラック運転手のIM(当時36)が遺体を受け取り、同日午後11時40分ごろ、高槻市の淀川堤防に遺棄した。
 4月29日、遺体が発見される。5月7日、UKの指示でUHとSKが近くの交番に女性が行方不明と相談。10日、U夫妻とSKが飯能署に出向き、捜索願を届け出。しかし、養女なのに年齢が近づきすぎること、生命保険金が掛けられたばかりなことがから、警察はU夫妻に疑いの目を向ける。5月11日、遺体の身許を発表。捜査本部はU夫妻とSKらを参考人として事情聴取するも、5月18日、UKは京都府舞鶴市の海岸に停めた軽自動車内で、練炭自殺した。

 UKは1997年ごろから内装業の傍ら、交通事故を装った保険金詐欺を行っていた。当初は損害保険募集人の資格を持つ知人に指南を受けるも、やがて詐欺グループを結成するようになる。2004年にUHと同居を始めると、UHもグループの中枢となった。
 UKは養子縁組を行うことで借金や事故の履歴をリセット(当時の法律)。F姓を名乗り、池田町で経営していた内装会社で大工として働いていた下請職人のUSさんと2005年9月、養子縁組を結ぶ。自分の詐欺仲間や借金を持つ知人から仲介料を取って、USさんとの養子縁組を斡旋した。2007年5月11日、UKと別の男がUSさんを誘って酒を飲ませて酩酊状態にさせた後、別の2人が大阪府柏原市の路上で走行する保冷車に向かってUSさんを車道に蹴りだして衝突させた。USさんは全治不能の脳挫傷、くも膜下出血などの障害を追い、自分が誰かすら理解できなくなった。約4000万円の保険金がUKの手に入った。
 2008年10月31日、UHの実母(当時52)が経営する居酒屋の階段下で倒れているのを、UKに呼び出されたSKが発見。居酒屋はUKが前の保険金で購入した店舗兼住宅だった。保険金2,300万円を受け取っている。これは刑事事件になっていない。この居酒屋は、UKの友人であり、少年院依頼の仲間であるるTRと、TRの友人で元暴力団員のATが後を継いだ。
 2009年3月3日、USさんは退院させられ、UKの依頼を受けたTR、ATに居酒屋で殺害された。遺体はそのまま放置され、数日後、UKが店内の冷蔵冷蔵庫に入れられて報知。約10日後、TRとAKは遺体を豊能町内の山林に運び、両手首を切断。鉈で口の部分を殴打して歯形をわからなくし、掘った穴に遺体を埋めた。さらに両手首は居酒屋の敷地内に穴を掘って埋めた。

 2008年5月に高槻市で車二台の衝突事故を装って保険金540万円を搾取した詐欺容疑で2010年9月14日、UHとUKの仲間計9人が逮捕。10月28日、捜査本部はUH、SK、IMを再逮捕されるも、処分保留でいったん釈放される。2011年3月18日、詐欺事件で大阪地裁はUHに懲役2年6月執行猶予4年の有罪判決を言いわたす。5月24日、女性への殺人容疑で再逮捕。

 IMは2011年3月18日、大阪地裁で懲役3年4月(求刑懲役5年)判決。控訴せず確定。
 ATは2012年1月20日、大阪地裁で懲役16年(求刑懲役18年)判決。UKが主犯と認定。控訴せず確定。
 SKは2012年3月9日、大阪地裁で懲役20年判決。控訴せず確定。
 TRは2013年4月12日、大阪地裁で懲役22年(求刑懲役25年)判決。控訴せず確定。
 UHは無罪を主張するも、2013年4月28日、大阪地裁で懲役23年(求刑同)判決。2014年11月13日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2016年6月1日付で最高裁第一小法廷は被告側上告を棄却し、判決が確定した。
文 献 「高槻養子縁組保険金殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  
7/30 概 要 〈大阪2児放置死事件〉
 元風俗店店員の女性(23)は長女(3)、長男(1)と大阪市内のワンルームマンションで暮らしていたが、食事を与えなければ死亡することを知りながら、2010年6月9日ごろ、居間の扉に粘着テープを張り、玄関に鍵をかけて2人を自宅に閉じ込めて放置し、同月下旬ごろに餓死させた。女性は長男を出産して7カ月後、同級生との浮気が原因で離婚。2010年7月29日の夜、50日ぶりに帰宅し、変わり果てた姿のわが子2人を見つけたが、そのまま男性と遊びに神戸に出かけ、ホテルに宿泊していた。
 女性は7月30日、死体遺棄容疑で逮捕、さらに8月10日、殺人容疑で再逮捕された。
 2012年3月16日、大阪地裁で求刑無期懲役に対し一審懲役30年判決。2012年12月5日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2013年3月25日、被告側上告棄却、確定。
文 献 杉山春『ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書,2013)

山田詠美『つみびと』(中央公論新社,2019)

「大阪2児虐待死事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  


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