アマチェア銀賞のカベ

 番組開始直後、アマチェアチャレンジャーがなかなか銀賞となる5周目を突破できなかったことから、番組創生期に何度か言われた言葉。実際、ギャグ・シンセサイザー徳永良治は4週目で、谷口幸男・小田鎮男貴明&憲武(のちのとんねるず、当時はアマチェア)は5週目で落選していました。80年9月にギャグ・シンセサイザー(再チャレンジ)とコロッケ(当時はアマチェア)が銀賞獲得したことで初めてこのカベが破られたものの、この時も審査委員長の桂米丸師匠が「アマチェアに銀賞を与えるかどうかで、かなり議論が交わされたんですよ」と言っていたことから、番組としてかなりこだわっていたことが窺われます(事実、翌週の伊達家酔狂が4週目で落選しています)。
 ただ、翌々週小柳トム(当時はアマチェア)がストレートで銀賞獲得してからは、この話は一切語られることがなくなりました。でも、その後もザ・ちゃらんぽらん(当時はアマチェア)が5週目で一度落ちているので、それなりの拘りはあったようです。

 MACKY様、情報有り難うございました。