北口光彦 | |
1985年5月11日(第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ) | |
第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。 | |
声帯模写、漫談。 | |
本名北口光彦。1952年1月12日生。 1967年、15歳で大阪スクールメイツ、OS歌謡学院、劇団東俳(大阪)、大阪ミュージカルアカデミーで芸の勉強を始め、68年、コーラスグループ「パナスターズ」で歌手デビュー、二年後解散。1971年に上京、東映映画第6期生に参加。1974年頃から声帯模写を始める。 ものまねヨイショ軍団(川口ひろし、はたけんじ、片岡鶴太郎)の一人。 | |
(第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦 95点〇 No.262 1985年5月18日放送) 3年かかって完成した真似、つばめ(両手を広げて唇をとがらせるだけ)。 立川談志の物まね、「すべての芸は物まねから始まる」。 女房は観光バスガイドで癖が抜けない。「あなた、お帰り、なさいませ。食事になさいますか、お風呂になさいますか」「風呂、風呂」「あなたの右手をご覧ください。右手にタオルがございます」 寿司屋が藤山寛美、お客が田村正和でやり取り。 サザンの桑田と悪役の梅崎次郎は声が同じ。『いとしのエリー』を歌っている途中で「がたがたぬかすんじゃねぇ」 守谷浩と清水健太郎は似ているが、発声が違う。 小林旭と具志堅用高が似ている。歌っている途中で「ちょっちゅねぇ」 鳳啓助と俵高太郎も似ている。「え、鳳圭介で、~俵高太郎です」。 郷ひろみと柳家金五郎も似ている。『マイレディー』を歌いながら、「へへへ、柳家金五郎です」。 | |
(第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝 89点× No.271 1985年7月20日放送) 浜田幸一、田中角栄、三木武夫、大平正芳などの政治家のものまね。ものまねとものまねの間のつなぎもうまかったし、面白かった。 | |
(第2回爆笑紅白大合戦1回目 95点(白) No.277 1985年8月31日放送) 1953年といいますと、昭和28年。この日本テレビが開局になった年なんですね。あの頃はお風呂屋さんにテレビがあって、みんな座布団持って行っていったり、それから街頭テレビ。全国に一万台ぐらいしかテレビがないときにどういうわけか、家にテレビがあったんです。テレビがあると強いですね。いつもはこの野郎なんて言っているいじめっ子も、テレビ見せないぞと言うとうわーんって泣くんですね。 うちは夕食、ご飯しか炊いていないんです。力道山とシャープ兄弟とか、プロレスの時間になりますと、すみません北口さん、テレビ見せてもらえまっか、一升瓶持ってきたり、おから持ってきたり。それを食いながらみておりましたよ。うちの親父も結構これだったな(頭を指でつついて、頭がよいことを示す)なんて思いますけれどね。 テレビ、民放で、一番最初にコマーシャルができたのが、何のコマーシャルかわかりますか。時計なんです。セイコー社の時計が、七時をお知らせいたします。ピ、ピ、ピ、ポーンってテレビでやると、みんな街頭テレビの前で時計のねじを合わせていたんですね。 そういう時代がありまして、コマーシャルもだんだん芸術的になりましたよ。私もコマーシャルのナレーションやりまして、ヒットしたのが二本あります。覚えてますか、松竹映画で『八つ墓村』のコマーシャル。やったんです。山崎努さん、頭にろうそく立てましてね、桜吹雪の中で、ズン、ズン、ズン、たたりじゃぁ~、八つ墓のたたりじゃぁ~、あの声は私だったんです。 このコマーシャルが好評で、次にもらったコマーシャルがまたヒットしまして。顔の出たモデルさんが売れちゃいましてね。かたせ梨乃さん。昔こんな(ハイレグを手で示す)水着を着まして、リンボーダンスの棒のところで踊っているんですね。西武百貨店のコマーシャル。ズンズン、ズンズン、そして棒の端にオウムが止まっているの。首を左右に振りながら言うの。お中元、お中元。この声を私がやりましてね。顔が出ないとだめですけれどね。 まー、私もテレビと共に28年生まれですから、テレビと共に生きてきましたからね。30年代といいますと、映画五社協定というものがありましてね。映画スターはテレビに出られなかったの。映画とテレビが戦国時代でございましてね。新しいものが生まれようって、よい時代だったのが30年代。映画見まして私も憧れまして、昭和44年に東京に上京してきましてね。東映第六期生。役者生活を六年やったんです。でも初めてテレビに出た、台本に名前が載ったときは嬉しかったですね。私が初めて台本に名前が載ったのは、時代劇でしてね。村人A、B、CのCの役でございましてね。Cで北口光彦って。新幹線で京都まで行きましてね。嬉しかったですね。監督さんが我々下のものには態度が違うんです。 「お待たせしました。村人のシーンの撮影に入りますんで。村人Aの板橋喜八郎さん。カメラはアップからミディアムまで引いていきますんで。それに合わせて演技やってください。村人Bの吉田さん。カメラ下から入ってますんで頭動かさないように。村人Cの北口さん。この役、あなたで締めくくりで決まりますから。アップですから、目で演技してください」 私がハイ、監督さんがスタート。村人Aが出てきまして。 A「おめたち、このままでは生活できねえべや。どうだ、代官様のところへ行って助けを求めようじゃないか」 B「そだ、俺たちは立ち上がるんだ!」 C「んだ(と間抜けな顔でアップ)」 もらったセリフはこれだけでございましてね。一番の新幹線で京都3時間くらいかかって。撮影所入って鬘被ってメーキャップしてスタンバイできたのが午前11時。待たされて、待たされて、俳優は待つもんだなんて言われて、ヅラが痛くなって頭がガン、ガン、ガンなんてなりながらずっと待って。シーンが始まったのは午後三時、仕事はたったの、んだ、の2秒でおしまいですからね。また帰ってきましてね。 だけどやっぱり芸は身を助けると言いますか、今はものまねは、○○○は出世のバロメータ、ビタミン剤なんて言われていますけれども、私はものまねで、何とか食えたんです。訳者だけじゃ、食えなかったんです。ある日ね、ロケーションで八丈島に一週間行きましてね、『キイハンター』って昔あったんですよ、丹波哲郎さんがいまして、千葉真一さんがいまして。大川、栄策はいなかった、大川栄子がいましてね。あの頃はホテルが協賛でしたから、夜はホテルが料理を出してくれる。飲んだり、食ったり、そのうち宴会のネタが無くなりましてね。おい、お前らもなんかやれや、と言われましてね、その時にものまねをやったんです。その時、爆笑でございましてね。 「(立川談志の真似で)ども、立川談志です。全ての芸はものまねから始まるという。私も昭和26年に小さん師匠のところに弟子入りして色々見てきたんですよ。いま、時代というと新御三家というのが人気ありますね。私、郷ひろみが好きなんです」 「(郷ひろみの真似で『マイレディー』)あ~あ~、このままでは、ははははは、郷ひろみです」 「(再び談志の真似で)昔の芸人はね、タイミングが来れば踊り出す人が居ましてね。私セリフ忘れて、そういう芸がなかったんですよ。西城秀樹も好きなんですよ、動きがある芸ね」 「(西城秀樹の真似で『勇気があれば』)幸せに、輝く、あの人だって」 「(再び談志の真似で)んー」 ま、こんなもんでしょ。あの時は四十何年ですから、ナウいものまねでうわーっ受けまして拍手きましてね。芸は身を助けるですよ。それからもう地方のロケへどんどん行きますと、僕の名前が入っている。台本見ても役の名前ないんですよ。僕の役なんですか、お前は宴会係、って言われましてね。 宴会俳優を六年間。それからこの商売に入ったのは、佐藤純彌監督が『ゴルゴ13』という映画を手がけましてね、試写会をやったんです。その時に、10分ぐらい時間をやるから、ものまねと司会をやってくれと言われまして。東映の本社で、報道陣がワーッといる前で、モロッコで撮影しましたんでモロッコ大使を招待しましてね。ガーっとやったのがきっかけなんですね。 おかしなもんですよ。俳優さんというのは、あの頃やくざ映画全盛期でございましてね。ロケーション行きますと、みんな衣装をつけますとヤクザに成りきるんですね。例えば、高倉健、鶴田浩二、菅原文太、田中邦衛、小森和子のおばちゃまが映画のイメージでレストランに来ましたらどういう会話になりますか、これも15年前に作ったネタでございましてね。 ボーイさんがやってくる。「いらっしゃいませ。ご注文は何にいたしましょうか」 「(菅原文太の真似で)や、悪いけどさ、今来たばっかしなんだよな。もうちょっと待ってくれよ、いいな。アニキ、アニキは何を頼みますか」 「(鶴田浩二の真似で)そうだな。古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ、ハンバーグライス、650円、サラダ付を食いたがるもんでございます」 「(田中邦衛の真似で)ところで小森のおばさん、あんた、いったい、何を注文するんで」 「(小森和子の真似で)そうね、おばちゃまはね、エスカルゴを食べてみようかな、って思うわけね。脂っこいんだけど、味は、モアベターよ。高倉の健ちゃん、あなたはいったい何にするのかしら」 「(高倉健の真似で)自分ですか。自分は、ギョーザライスでいいですよ」 「(鶴田浩二の真似で)ギョーザライスか。お前も随分みみっちくなったな。チエミが死んでから、ろくなもん食ってねえんじゃ、ないのかい」 「(高倉健の真似で)なんてことはないな。チエミが死んでも、俺には太郎と次郎がいるんだ」 「(菅原文太の真似で)わしゃーええ男だ。男はパーシャル。わしゃー、睡眠でがたがた抜かすのは好かんけん。既婚者も、未婚者も、月のもんがある人も、あがった人も、食事をするときはただの人じゃけん。のう」 「(小森和子の真似で)そうね、おばちゃまもね、その通りだと思うわ。おばちゃまはね、二十年前に上がってしまったわけね」 「(田中邦衛の真似で)自分も、好きなもん食ったらよかじゃないの。ボーイ、わしに、お子様ランチ一つ」 十代から二十代の東映の想い出。青春は二度と帰ってこない、森田健作。ありがとうございました。 「声帯模写が、目をつぶっても、顔を見ても似ている」「15年前からやっていたということで、年季が入っている」「立川談志は天下一品」と高評価。「審査員の年代に合っている」との評もあり。 | |
スタ誕出場前に『テレビ演芸』でチャンピョンに。 | |
北口光彦もバンドを従えて出た事があります。 | |
昔見た記憶ですが、“ものまね”というより“声帯模写”といった方がぴったり来るような感じでした。言い方が悪いのですが、ちょっと古めでした。 | |
1979年 第7回放送演芸大賞ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞は三遊亭楽太郎) 1987年6月 第11回国立演芸場花形演芸会金銀賞銀賞受賞(ものまね漫談) 1987年 第7回国立演芸場花形新人大賞 大賞受賞(ものまね漫談) | |
ものまねヨイショ軍団(川口ひろし、はたけんじ、片岡鶴太郎、北口光彦)「がんばれ!!ライパチくん!!」(1979.5) 「阪神応援ものまね合戦」(1985.10) | |
『クイズタイムショック』番組末期でのものまね問題でものまね担当。 | |
現在も声帯模写、司会等でテレビ、寄席、営業等で活躍。1987年、北口幹二彦(みつひこ)に改名。 | |
1988年、テレビ東京の日曜ビッグスペシャル枠で放送された『決定!オールスターものまね選手権』に出演していました。当時大人気だったフジテレビの『ものまね王座決定戦』の亜流みたいな番組でしたが、はたけんじ、田渕岩夫も出てくるなど、人選が渋め。これ1回で終わりました。司会が高島忠夫と清水由貴子、審査員が小野栄一、マリアン、小野ヤスシ、内海佳江、川島なお美。ダチョウ倶楽部や笑福亭笑瓶、鈴木末吉など、フジに出ていた人も出ていました。ものまねも同じやつでしたが。YouTubeに前半戦が載っています。 1回戦はエルヴィス・プレスリーの『Don't Be Cruel』(邦題「冷たくしないで」)をプレスリー、浦辺粂子、郷ひろみ、吉幾三、和田アキ子、立川談志、五木ひろし、橋幸夫、最後にプレスリーに戻る。柳沢順子に勝利。 2回戦は坂本九『上を向いて歩こう』。田渕岩夫に勝利。 準決勝は尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を尾崎紀世彦、美空ひばり、西城秀樹、具志堅用高、森進一、田原俊彦、島倉千代子、所ジョージ、尾崎紀世彦に戻る。途中、前の人の歌をまねる(具志堅用高が西城秀樹『ヤングマン』のYMCAをポーズ付きで歌うなど)などの工夫が楽しかったですが、松居直美に負け(どう見ても勝ちだったけれど)。 優勝はおぼん・こぼんでした。 | |
1997年の流行語にもなった宝缶チューハイCM「すったもんだ」(宮沢りえ出演)の声を担当。 | |
現在は水森亜土の未来劇場の常連です。 | |
北口幹二彦の楽屋に詳細なプロフィールがあります。 | |
2018年2月6~8日、『クイズ! 脳ベルSHOW』に出演。水曜・木曜のチャンピョンになっています。 | |
2019年12月7日、NHKラジオ『真打ち共演』に出演されています。過去にも出演されていました。 |
キッチュ | |
第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ出場。 | |
第3回オープントーナメントサバイバル準決勝進出。 | |
形態、声帯模写。 | |
本名岸邦浩。1960年5月11日生。兵庫県出身。 大阪芸術大学を卒業後、1984年芸能界デビュー。当時は大滝エージェンシー所属。ちなみに「キッチュ」とは、ドイツ語で“まがい物”“粗悪品”という意味。 | |
藤本義一、田原総一郎、俵孝太郎など、文化人の模写。 | |
お笑いスタ誕の頃は覚えていません。申し訳ありません。 | |
キッチュは本名の「岸邦浩」で『テレビ演芸』勝ち抜きコーナーに出ていました。1週め勝ち抜いたところでした。その後、改名して関西ローカルでぼちぼち売れ出して、44年間続いてつい先頃終了した大阪朝日放送の30分の刑事ドラマ『部長刑事』シリーズに若手刑事役でレギュラー出演してました。その後、東京進出を機に「松尾貴史」に改名しました。 | |
1986年 第14回日本放送演芸大賞ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞はコント山口君と竹田君) 1986年 第6回花王名人大賞新人賞受賞(最優秀新人賞はシティボーイズ) 1987年 第15回日本放送演芸大賞ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞はダウンタウン) | |
アルバム「KITSH」(1985.7)他。 | |
(松尾貴史名義) 『未確認卑怯物体』(朝日新聞出版,1992) 『松尾貴史の たかしのしかた』(NHK出版,1992) 『松尾貴史の会社の掟』(竹書房,1995) 『業界用語のウソ知識』(小学館文庫,1988) 『オカルトでっかち』(朝日文庫,1999) 『接客主義』(知恵の森文庫,2004) 『ネタになる「統計データ」』(講談社+α文庫,2011) 『なぜ宇宙人は地球に来ない? 笑う超常現象入門』(PHP新書,2011) 『松尾貴史の「超常現象・都市伝説」』(PHP研究所,2012) 『違和感のススメ』(毎日新聞出版,2019) 『ニッポンの違和感』(毎日新聞出版,2020) 『違和感ワンダーランド』(毎日新聞出版,2022) 『人は違和感が9割』(毎日新聞出版,2023) | |
関西でレギュラー数本持っていました。その後、1989年に古館プロジェクトに移籍し、名前を松尾貴史と改名。『朝まで生テレビ』ものまねパロディ「朝までなめてれば」のビデオが大ヒット。もっとも、この後はあまりお笑いとして認識されなくなり、テレビで見てもつまらなくなりました(私的ですが)。現在も俳優、タレント、ナレーター、コラムニスト、「折り顔」作家としてテレビ、舞台、雑誌等で活躍。 | |
1989年頃、長野智子さん司会のニュース番組のレギュラーになった際「キッチュ(まがい物)て芸名はちょっとあれだから、番組内だけでも日本の名前を語ってくれ」とプロデューサーに頼まれたそうです。 で、所属してる古舘プロジェクトの社長に相談したところ、社長の下の名前から「貴史」、古舘さんの奥さんの旧姓から「松尾」が出て「松尾貴史」が誕生したそうです。 | |
所属する古館プロジェクトのオフィシャルサイト、古館プロジェクト内のTalent Filesにプロフィール等が載っています。 |
キモサベ社中 | |
1982年6月26日(第2期グランプリシリーズ) | |
7週勝ち抜き、銀賞獲得。 第3回ゴールデンルーキー賞敢闘賞。 サバイバルシリーズ優勝。 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。 | |
コミックバンド。 | |
キモサベポン太:本名是枝正彦。1951年10月12日生。鹿児島県出身。 渡部又兵衛(キモサベ又兵衛):本名渡部由光。1950年4月10日生。北海道出身。 松崎菊也(キモサベ菊之丞):本名松崎正資。1953年3月9日生。大分県出身。 3人とも劇団民藝出身。キモサベ、渡部は俳優、松崎は演出部。 他にギターとキーボードのバックバンド2名がいました。 当初はキモサベ、松崎、バックバンド2名と別の男性(現在は劇作家)がキモサベ社中を結成しライブハウスで活動。お笑いスタ誕のオーディションに受かったが、男性がテレビに出たくないと言い出したため、代わりに渡部が加入。(『お笑い芸人 糖尿病と二人連れ』より)。 「キモサベ」は、海外のドラマが日本語訳されたときにインディアンがしゃべる方言からきたものらしいです。 | |
(1週目合格 No.117 1982年7月10日放送) 濡れたよくじょう 「春樹って呼んでください」春樹は出っ歯でがに股だった。 車に乗ってから 「ああ、そこじゃないの。そう、そう。そこ。ああっ、もっともっと、そこの角を右に曲がって」 | |
(3週目合格 No.119 1982年7月24日放送) ラジオ番組ネタ。水野晴郎の人生相談にキモサベポン太君が悩み事を相談する。松崎はコントラバス演奏も兼ねる。 ポン太「お笑い草って、どんな草ですか?」 渡部「いやあ、本当にいい質問なんですね。ポン太君、お笑い草ってね、どこそこにあるんじゃなくて、君の心の中にあるんだね。いやあ、本当に子供ってのは、純粋なんですね」 音楽を演奏し、唄い始める。 三人「お笑い草って何の草。そこに生える草ではない。ふらふら~、ふらふら~、根無し草」 | |
ラジオキモサベから ポォーッ!ポォーッ!ポォーッ!(いきなりの汽笛の音真似に会場大爆笑) 「あー北海道はいいなあ。空気は美味いし、あっクマ君だお友達になろう。クマく~ん」 「がぶっむしゃむしゃペロっごくん」 「お問い合わせは、ラッシュ、ストライキでお馴染みの国(酷)鉄で」 松崎菊也「ジェットストリーム ジェットストリーム 夜間飛行 ジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれて星の瞬きと区別がつかなくなります。夜間から出る湯気は白い壁と交じり合うと壁だか湯気だか見分けがつかなくなります。ラジオキモサベ本日の放送をすべて終了させていただきます。お休み前にはもう一度火の元を確認してください。それでは皆様お休みなさい。」 | |
(5週目合格 No.123 1982年8月21日放送) ナレーター・・・松崎菊也、 プロボクサー・・・キモサベポン太、 セコンド・・・渡部又兵衛。 松崎菊也 「この物語は或るプロボクサー(ハッスル・キモサベ)の血と汗と涙によって描かれた愛と感動の青春ドラマである。プロボクサーのハッスル・キモサベは、いつものように早朝のジョギングが終わり、公園で水を飲んでいた。」 キモサベポン太 「あ~~っ うぃ~~~っ あ~気持ちいい~~」 松崎菊也 「そこへ1人のオトコ現る。・・・それが 後のハッスル・キモサベのセコンドについてくれるオトコだった。」 渡部又兵衛「おやおや・・・」 ・・・といった感じでキモサベポン太と渡部又兵衛がドラマを演じながら、一方の松崎菊也が副音声をしながら効果音を入れるコントをしていた。つまり、2時間サスペンスドラマにありがちなパターンを、そのままコントにしたやり方だった。 最後はTKOで判定待ちとなり レフェリーが・・・「ハッスル・キモサベェ~~~!」と腕を高高と上げて、ゴングが鳴り響き、栄冠をつかむという内容だった。「♪青年よ~大志を 抱いてぇ~~」と3人でミュージカル風に歌ってしめくくる。 | |
(第3回ゴールデンルーキー賞) キモサベポン太で電話をかけて一回切る。 その後別名でかけるが。 ポン太「○○年○○組○○○男」 ディレクター「本当の名前は」 その後やり取りがあり、結局ばれる。 ポン太「三年B組キモサベポン太」 何故か恥ずかしがり相談内容を言おうとしないポン太に水野は・・・。 水野「大丈夫。ここにはぽん太くんとオジサンしかいないんだよ」 ぽん太「本当?」 ディレクター「ぽん太くん、大丈夫ですよ」 ぽん太「今のひと誰!」 ガチャ。ぽん太怒って電話を切る。 その後ポン太は再々度電話をかける。 ポン太の悩みは笑うとおならが出るというものだった。 水野「それはね、腸の働きが悪いんだよねちょう(しょう)がないんだよね」 ポン太「ぶふふふうぅう」 ボムと放屁の音。 水野「あらー、出ちゃいましたね」 ポン太また電話を切る。 | |
(7週目再挑戦不合格 No.168 1983年7月9日放送) 三人そろって登場。三本のスタンドマイクの前に。松崎はウッドベースを手に取る。 ポン太「どうもこんにちは、キモサベ社中でございます」 松崎「というわけで、今日は電話のあれこれをコントに綴ってお送りしたいと思います。まずは、夜中にかかってくる間違い電話。プルルルルルル」 ポン太「(受話器を取る)」 又兵衛「もしもし、田中さんのお宅ですか?」 ポン太「(眠そうに)いえ、キモサベですけれども」 又兵衛「夜分どうも失礼いたしました。申し訳ございません」 ポン太「ガチャ(受話器を置く)」 松崎「プルルルルルル」 又兵衛「もしもし、田中さんのお宅ですか?」 ポン太「(眠そうに)キモサベだって言ってるでしょ」 又兵衛「本当に申し訳ありません」 ポン太「ガチャ(受話器を置く)」 松崎「プルルルルルル」 又兵衛「もしもし、田中さんの」 ポン太「ガチャ(受話器を置く)」 松崎「プルルルルルル」 ポン太「(怒りながら受話器を取る)あのね!」 又兵衛「キモサベさんのお宅ですか?」 ポン太「そうですけど」 又兵衛「ガチャ」 ポン太「これね、この間やられたんですよ。腹立ちましてねえ」 又兵衛「最初は眠そうな声だったんですよ。だんだん怒っちゃいましてね」 ポン太「だんだん頭きましてね」 又兵衛「腹立ててましね~」 ポン太「ちょっと待ってちょっと待ってお前だったのか」 又兵衛「わかんなかった?」 ポン太「いい加減にしなさい」 バックバンドの音楽が流れて、三人で歌い出す。 「フォン、フォン、テレフォンコール。フォン、フォン、テレフォンコール。誰もが知ってる便利な小箱。赤い顔した便利な小箱。フォン、フォン、テレフォンコール。フォン、フォン、テレフォンコール。フォン、フォン、テレフォンコール」 松崎「電話の使い方にもいろいろありますが、中でも104、番号案内」 ポン太「あれ、便利ですからね」 又兵衛「皆さんも、一度は使ったことあると思いますけれどねえ」 松崎「あれは聞く方も答える方も耳だけが頼りでありますから、様々な珍問答が巻き起こるわけです。そこで104の珍問答パートワン。プルルルルルル」 又兵衛「はい、こちら104です」 ポン太「あの、ひなま劇場を頼む」 又兵衛「ひなま劇場? あのどういう字を書くのですか?」 ポン太「分からないの!」 又兵衛「はい」 ポン太「日にちの日に、生ビールの生。ひなま劇場」 又兵衛「(被せるように)日生劇場ですね!」 ポン太「そうとも読むのよ」 又兵衛「ホントの話ですからね、これ」 松崎「104の珍問答パートツー。プルルルルルル」 又兵衛「はい、こちら104です」 ポン太「あのー」 又兵衛「はい」 ポン太「千代田区に住んでる」 又兵衛「はい」 ポン太「綾小路静香さんをお願いします」 又兵衛「綾小路……どういう字を書くのでしょうか?」 ポン太「は?」 又兵衛「どういう漢字ですか?」 ポン太「ほっそりとして、髪の毛の長いおとなしそうな感じです」 又兵衛「はぁ?」 バックバンドが楽器で「チャンチャン」。 ポン太「笑ってますけれどね、よくあることなんですよ」 又兵衛「気を付けていただきたいですね」 松崎「電話の使い方でもう一つ、117、時報を聞く、なんていうのがありますね」 ポン太「あれね、時間を聞くだけじゃなくて、もっといい利用法があるの」 又兵衛「ほう、どんな?」 ポン太「話し相手がいないときに、あそこに電話するんですよね。すると女の人が出ますからね」 又兵衛「よっぽど暇なんですね」 松崎「プルルルルルル」 又兵衛「ポーン、ただいまから、午前1時ちょうどをお知らせします」 ポン太「可愛い声出しちゃって」 又兵衛「ポーン、ただいまから、午前1時10秒をお知らせします」 ポン太「ぼくと文通してください」 又兵衛「ポーン、ただいまから、午前1時20秒をお知らせします」 ポン太「カーカカカ、ちゃんと返事してくれないんだものな」 松崎「(ヤバいぞ、こいつという表情で客席を見る)」 又兵衛「ポーン、ただいまから、午前1時30秒をお知らせします」 ポン太「まいっちゃうな、次午前1時40秒って言うんだよな」 又兵衛「ポーン、ただいまから、午前1時40秒をお知らせします」 ポン太「カーカカカ、ほらな」 又兵衛「ポーン」 ポン太「他になんか言えないのかな」 又兵衛「うるせえな、この野郎! こんな夜中に何やってんだ」 ポン太「おやすみなさい」 バックバンドが楽器で「チャンチャン」。 ポン太「これもね、ホントにあった話なんですよ」 又兵衛「あるわけないでしょ」 松崎「音楽のうるさい喫茶店から電話しなきゃいけない場合。これが大変です。やってみましょう」 松崎「ズンズンズズズンズンズンズン」 ポン太「もしもし、私でございますよね。明日会社休ませていただきたいと思いまして、あの体の具合が良くないんですよ。」 松崎「ブルルルルルジャン、ブルルルルルジャン」 ポン太「あのー、言いづらいんですけれど、痔なんですよ」 松崎「(もっと大きい声で)ブンブンブブブン、ブンブンブンブブブン」 ポン太「(大きい声で)痔なんですよ」 松崎「(もっと大きい声で)ブンブンブブブン、ブンブンブンブブブン」 ポン太「お尻の痔!」 松崎「(もっと大きい声で)ブンブンブブブン、ブンブンブンブブブン」 ポン太「(もっと大きい声で)明日、いぼ痔の消毒をしないといけないんですよ」 又兵衛「(今まで雑誌を読んでいた喫茶店のマスターが、レコードの針を上げる。音楽が止まる)」 ポン太「(もっと大きい声で)明日、いぼ痔の消毒をしないといけないんですよ。(音楽が止まっていることに気づき、思わず周りを見る)。お父さんのね(CMのまね)」 バックバンドが楽器で「チャンチャン」。 松崎「テレビやラジオでも電話大活躍でありますね」 ポン太「子供電話相談室」 又兵衛「あれは微笑ましい番組ですよね」 ポン太「今日はやりませんけれどね(キモサベの得意ネタである)」 又兵衛「きょうはやりませんが」 松崎「それに比べて身の上相談」 ポン太「深刻なんですよ。あれがもう、深刻、深刻でね」 又兵衛「急に何を言ってるんですか」 松崎「今日はそれをやってみましょう。プルルルルルル」 又兵衛「はい、こちらはテレホン身の上相談です。どんなご相談ですか?」 ポン太「(めがねをかけて)あの、わたくし、埼玉県入間郡、大字入間字入間、1-2-3に住んでおります、田原俊作と申します」 又兵衛「あのーもしもし」 ポン太「市役所のいえに努めております」 又兵衛「もしもし。あの大変ご丁寧で結構なんですけど、お名前まで言ってよろしいんですか?」 ポン太「匿名でお願いします」 又兵衛「いやもう、遅い、匿名なんですか。わかりました。それでは、どんなご相談なんですか?」 ポン太「実はですね」 又兵衛「はい」 ポン太「娘の入間第三中学三年二組に通っております俊子のことなんですけれどね」 又兵衛「もしもし、もしもし」 ポン太「出席番号が25番だったと思います」 又兵衛「もしもし。あのー、娘さんのためにもですね、お名前はお伏せになった方がよろしいかと思いますよ」 ポン太「あー、また言ってしまった(と落ち込む)」 又兵衛「もしもし、田原俊作さん?」 ポン太「それは匿名でお願いいたします」 又兵衛「あなた、もう遅いですよ」 ポン太「でも遅いですよって、ちょっとあなた。これで名前知られたら、どうするんですか」 又兵衛「名前知られたらって……」 ポン太「これからの私の生活、どうなってしまうんですか」 又兵衛「ですから」 ポン太「だいたい最近のマスコミはね、個人のプライバシー、守らなさすぎますよ」 又兵衛「はい」 ポン太「どう考えてんですか」 又兵衛「はい、わかりました。こちらに不手際があったこと、重々お詫びいたします」 ポン太「わかればいいんですよ」 又兵衛「それであなた、どういうご相談なんですか」 ポン太「娘の俊子のことなんですけれど」 又兵衛「あなた、自分で言ってるじゃないですか」 ポン太「嘘のつけない性格で、困ったもんです」 又兵衛「あの、それで、娘さんがどうかしたんですか?」 ポン太「そんな、面倒くさそうに言わなくてもいいと思うんですが」 又兵衛「すみません。それで、娘さんがどうかなさったんですか?」 ポン太「私を殴ります」 又兵衛「家庭内暴力ですか?」 ポン太「いいえ」 又兵衛「違うんですか?」 ポン太「家の外で殴ります」 又兵衛「あなた、あのですね。あのそれで、その時の模様を具体的に話していただけますか?」 ポン太「はい。庭でじゃんけんしてたんですよ」 又兵衛「はい」 ポン太「そしたらね」 又兵衛「はい」 ポン太「娘が」 又兵衛「はい」 ポン太「はーーーーーーーーーーーー(と泣きだす)」 又兵衛「もしもし」 ポン太「娘が殴るんですよ」 又兵衛「はいはい」 ポン太「ぼかぼかぼかぼかね」 又兵衛「はい」 ポン太「痛いもんだから、新聞紙丸めて殴るんです」 又兵衛「もしもし、あの、じゃんけんくらいで、どうして殴るんですか?」 ポン太「あっち向いてホイやってたんです」 又兵衛「もしもし、あのですね、あれは負けたら殴られるのがルールでしょ」 ポン太「あのですね、いくらルールだからって、親の頭殴っていいんですか?」 又兵衛「それはですね」 ポン太「親の立場がないじゃないですか」 又兵衛「たかが遊びでしょう」 ポン太「遊びだったら何をやってもいいというんですか」 又兵衛「そういうわけじゃないですけれど」 ポン太「銀行強盗やっておいて、遊びだったら許されるんですか?」 又兵衛「そういう言い方ってね……」 ポン太「浮気がばれましてね、あたし。女房に遊びだからって言ったら、張り倒されたんですよ」 又兵衛「それはいったいどういう関係があるというんですか」 ポン太「親の愛は海より深いって言うじゃないですか」 又兵衛「どういう関係なんですか」 ポン太「だから実の娘が私の頭をボカボカ殴るんですよね。親の頭こぶだらけにして、喜んでるんだから」 又兵衛「はいはい、それで、あなた、何を一体相談したいんですか?」 ポン太「頭のこぶには、どんな薬が効くんですか?」 又兵衛「薬屋へ行って、相談しなさい。ガチャ」 松崎「テレフォン身の上相談でした」 バックバンドの演奏が流れ、「フォン、フォン、テレフォンコール。フォン、フォン、テレフォンコール。誰もが知ってる便利な小箱。赤い顔した便利な小箱。フォン、フォン、テレフォンコール。フォン、フォン、テレフォンコール。フォン、フォン、テレフォンコール」 三人「有難うございました」 「今日はほとんど動きがなかったでしょ。動きがなくて笑わせるのは、いかに難しいものかって見ていた。動きも取り入れた方がいい」「このネタは君たちにあっていない。面白くない。オチがくすぐり程度でしかない。慣れすぎちゃって、技術でごまかしている」「スマートすぎる。動く方が派手になる」「アクの強いものを入れた方がいい」と不評で不合格。 | |
(7週目再挑戦合格 No.179 1983年9月24日放送) 最初は三人でマイクを持って漫才形式で話をはじめ、途中から透明人間が実際にいるという話。司会は松崎。 一組のカップルが公園にやってきたが、透明人間が悪戯をするため、別れてしまいそうになるも、最後は結ばれる。 続いて、ある会社の重役室。部下を叱責しようとするが、透明人間が悪戯をしてぐちゃぐちゃに。 最後は三人で歌って、「有り難うございました」と挨拶した後、三人が透明人間に操られているように両手を挙げてパチンと手を叩き、きょとんとする。 | |
(8週目不合格 No.180 1983年10月1日放送) 看護婦になったばかりの松崎。廊下をうろうろするばかりの患者がキモサベ。登場するといきなり「丘を越えて」を歌いだす。続いて登場したのが、盲腸で入院している渡部。 その後、患者同士が出合い、盲腸の手術の話をして相手を脅かす。 はっきり言って面白くなかった。講評でも、ドラマになっていて、笑いがなかったと言われて不合格。 | |
(サバイバルシリーズ1回戦 84点〇 No.189 1983年12月3日放送) プロボクサー:キモサベポン太 コーチ:渡部又兵衛 リングアナウンサー:松崎菊也 稽古着のポン太と又兵衛が登場。日本舞踊の稽古を始める。又兵衛が音楽を口ずさみ、ポン太が踊り始める。 又兵衛「「トツツルトツツルトツツルトン」 ポン太が踊りを間違え、又兵衛が扇子でポン太の足を叩く。 又兵衛「(女性っぽい声で)なに、この足。最初から」 又兵衛がまた音楽を口ずさみ始めるが。 又兵衛「「トツツルトツツルトツツルトン」 ポン太「駄目だ。僕にはできません」 又兵衛「なぜです。なぜできないんですか。日本舞踊は立派な〇〇(聞き取れず)です。さ、お稽古を始めましょう」 ポン太「いくら新しいトレーニングだからって、日本舞踊を踊ったって試合には勝てっこありませんよ、会長!」 又兵衛「(男声で)会長と呼ぶな。(女声で)お師匠様とお呼び」 ポン太「どこのボクシングジムで、お師匠様という呼び方があるんですか。俺ね、もう日本舞踊なんてたくさんですよ」 又兵衛「お黙り。お前はあの感動的な映画、「ロッキー3」を忘れたの?」 ポン太「また始まった」 又兵衛「(男声で)あの中でロッキーは、ディスコダンスのステップを取り入れてチャンピョンになった。でもロッキーはアメリカ人で、お前は日本人じゃないか。(女声で)日本人には日本人の踊りがあります。それが日舞どす。日舞のステップを取り入れるのです」 ポン太「会長、俺ボクシング止めます」 又兵衛「お前は踊りの稽古がどうだこうだ言いながら、結局は試合に出る勇気がないのですか」 ポン太「言わせてもらいます。俺、勇気は人一倍あるつもりです」 又兵衛「ようし、どっちが勇気があるか、比べてみようじゃないか。もしお前が勝ったなら、好きなトレーニングをしてもいい」 ポン太「わかりました。どうして勝負するんですか」 又兵衛「じゃんけんだ」 ポン太「じゃんけん?」 又兵衛「名付けて、どっちが勇気ある行動かじゃんけん」 ポン太「珍しいじゃんけんだ」 又兵衛「より勇気があると思われる行動を言ったほうが勝ちだ」 ポン太「わかりました。勝負だ」 二人「じゃんけん」 又兵衛「日教組大会に出て君が代を歌う」 ポン太「やばい」 又兵衛「どうする?」 ポン太「ピンチだ~」 又兵衛「ハハハ、勝ったも同然だ、さあどうする?」 ポン太「よし、これはどうだ。淡谷のり子を誘ってラブホテルに入る」 又兵衛「おお!」 ポン太「言った自分が恐ろしくなってしまった」 又兵衛「負けた」 ポン太「勝った。会長、俺の好きなようにトレーニングやらせてもらいますよ」 又兵衛「よし」 日本テレビのスポーツテーマの音楽が演奏され、リングアナウンサーの松崎、登場。 松崎「全国のボクシングファンの皆様、こんばんは。こちらは後楽園ホールです。WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ、チャンピョンのベネズエラ、デリー・コステロ対、日本の挑戦者、ハッスル・キモサベの対戦は、両者白熱の攻防にもかかわらず、勝負は最終ラウンドに持ち込まれております」 ボクサー姿のポン太、セコンド姿の又兵衛登場。チーンの音が入り、最終ラウンドが始まる。 松崎「さあ、キモサベ、これが最後のチャンスだ。頑張ってもらいたいキモサベ。今、慎重に相手のグラブに手を合わそうとしましたが(ポン太、届かず)、身長が違いすぎます。洒落を言っている場合ではありません。とにかく相手はでかい。おおっと、よけました。運動神経だけは抜群のキモサベ。パンチを打つキモサベ(背の高い相手に手を振り回す。当たるたびにバックバンドからピコピコハンマーで叩く音が流れる)。疲れたキモサベ、ピンチです。おおっと、ものすごいパンチ(ポン太、しゃがみ込む)。キモサベ、よけました。空振りです(ポン太、ガッツポーズをするが、パンチが当たり倒れる)。一周回ったパンチが当たった。キモサベ、ダウンです」 又兵衛「どうした、起きろ、ポン太、ガニ股、猿」 松崎「何を言っても起きません」 又兵衛「今年32」 ポン太、いきなり立ち上がり、セコンドの又兵衛に詰め寄る。 松崎「突然起き上がりました。相手が違う。敵のほうに向かいました。パンチが当たりましたが、大きさが違う。全く違うぞ、おおっと、パンチが当たった、ふらふらしているぞ。さあ、どうするキモサベ」 ポン太、いきなり日舞を踊りだす。 松崎「お、突然何を始めるのでありましょうか。突然ターンをしました。何のことだかわかりません。なんだこれは。相手は油断しているぞ。(連続でパンチを繰り出す)おおっと、突然ものすごいボディブローだ。(大きくアッパーカット)決まりました~。ただ今の印象的な場面を、ピクチャーズサーチでご紹介いたしましょう」 ポン太、早戻しで戻る。再び、日舞を踊りだす。 松崎「お、突然何を始めるのでありましょうか。突然ターンをしました。何のことだかわかりません。なんだこれは。相手は油断しているぞ。(連続でパンチを繰り出す)おおっと、突然ものすごいボディブローだ。(大きくアッパーカット)決まりました~。コステロ、大きくダウンです。ダウンです。キモサベ、喜んでおります。得意のあれが出るか。出そうで出ない」 又兵衛、口ずさむ。二人で日舞を踊りだす。 松崎「出ました、日本舞踊。これが出ると強いんだ、キモサベ。さあ、どうする、相手は起き上がったぞ。(相手から連打を食らう効果音)危なーい。キモサベ、ダウンか~」 音楽が流れ、ポン太がスローモーションで前に倒れそうになるも、いきなり元のスピードで起き上がり、セコンドに帰っていく。 松崎「いやあ、素晴らしい攻防でありましたが、勝負は判定に持ち込まれましたようであります(音楽が流れる)。今、私の手元に続々とジャッジが集められております。さあ、どっちが。キモサベか、それともコステロか。判定の結果が出たようであります(音楽が止まる)」 松崎、リングでジャッジを発表する。 松崎「判定の結果を発表します。赤コーナー、キモサベ!(大きなシンバルの音)」 ロッキーのテーマがゆっくりと流れ、全員がスローな動き。 ポン太がリングの中央へ。松崎、拍手。遅れて又兵衛もリングへ。ポン太、手を挙げて喜びの表情。又兵衛、後ろからポン太を抱こうとするが、ポン太、しゃがみ込んで空振り。元に戻ったポン太を又兵衛、抱き上げる。ポン太、両手を挙げてガッツポーズ。バックバンドの一人が、座布団が飛んでくるように、回しながら持ってくる。又兵衛、座布団をかわして倒れこむ。向こうを向いているポン太がこちらを振り向いた瞬間、座布団が顔面直撃。ここで動きが元に戻る。 松崎「はい、どうもおめでとうございました。新チャンピョン、誕生です」 松崎、ポン太にマイクを差し向ける。座布団を持っていたバックバンド1名は記者となって手帳に書き込む。もう一人もリングに入ってきて、カメラマンになる。 松崎「ハードなトレーニングと伺いましたが、感想を一言」 ポン太「とても恥ずかしかったです」 松崎「はっ?」 ポン太「ああ、苦しかったです」 松崎「そうでしょうね、おめでとうございました」 松崎、マイクを又兵衛に向ける。 松崎「会長。日本チャンピョン、そして東洋チャンピョン、最後には世界チャンピョン。次々と奪取していったわけでありますが、次は何を取らせますか」 又兵衛「(女声で)もちろん、日舞の名取どす」 全員「トツツルトツツルトツツルトン。チントンシャン(5人で日舞を踊る)。トンテンシャン」 全員「どうも、ありがとうございました」 グランプリシリーズ5週目のネタの改訂版。獅子てんやからはちょっと風刺がきついとか、ガッツからは最終ラウンドだからもっと盛り上がってほしいとか言われるが、勝ち抜き。 | |
(サバイバルシリーズ準決勝 91点〇 No.192 1983年12月24日放送) 松崎司会の「アイドル誕生」。今日の挑戦者は、近藤真彦……ではなくて、キモサベポン太。なぜか帰還兵ルックで少しどもった口調。松崎の質問にも答えは古くさいものばかり。そして歌う唄は「麦と兵隊」。 そして番組ラスト。松崎「今日のチャンピョンは、キモサベポン太君~」。喜ぶキモサベ。そこへいきなり現れたのが、キモサベの祖父(渡部)。ネタの半分過ぎになってようやく三人目が登場するコントというのも珍しい。 アイドルなんかやめろ、と怒る祖父。アイドルになろうとするキモサベと口論になるが、そこからなぜか狂言風、ギリシャ悲劇風、歌舞伎風など色々なスタイルで言い争いを繰り広げる。 途中までは今一つだったが、最後で一気に盛り返して笑いを取った。 | |
(第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦 77点〇 No.203 1984年3月24日放送) 新撰組のネタ。怠け者の朗士三人の話。はっきり言ってつまらなかった。 | |
(第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝 77点× No.205 1984年4月7日放送) (細かい部分は所々省略) 最初におじいさん(又兵衛)がポン太の写真を持って応援し、退場。 「クイズでお金持ち」 司会の松崎が番組紹介。100万円へ挑戦するのは小笠原から来たキモサベポン太。自己紹介で「自動車事故を見ました。事故紹介」と言ってしまうぐらいあがっている。 松崎「海の象と書いてセイウチ。海の豚と書いてイルカ。海の鶏と書いてなんと読むか、はい第一問」 ポン太「シーチキン(番組のスポンサーだった)」 松崎「はい、正解。第二問、楽器の問題(松崎がボタンを押すと、「キンコン」という効果音が入る。以下同様)。倒すと音が出る楽器は何だ」 ポン太「琴」 松崎「コトッが正解。どんどん行ってみよう。土木建築の問題。土の中何かが爆発しました。何が爆発したか」 ポン太「土管」 松崎「ドカン!が正解。芸能音楽の問題。俳優の寺尾聡さんのお父さんは新劇の大御所宇野重吉さんですね。では、宇野重吉さんの息子さんは誰だ」 ポン太「(しばらく考えて)寺尾聡さん。違いますか?」 松崎「それでいいんですよ。全問正解でまいりました。次の問題であなたはいよいよ10万円に挑戦します。頑張ってもらいましょう。社会一般の問題。東北出身の男女がホテルであることをしました。最初の文字は「せ」、最後の文字が「す」。さあ、何をしたでしょう」 ポン太「こんなことテレビで言っていいんですか?」 松崎「言っちゃっていいんですよ」 ポン太「最初の文字が「せ」。最後の文字が「す」。そして二人は東北出身。せけんばなす」 松崎「はい、世間話(せけんばなす)が正解。いやいややりましたね。10万円が君のものになりました。お客さんも笑っている場合じゃないですよ。次の問題であなたは10倍の100万円に挑みます」 ポン太「頑張ります」 松崎「頑張っていただきましょう。100万円の問題は、昆虫に関する三連ちゃんになります」 ポン太「ちょっと待ってください。ぼく、昆虫は苦手ですからね、ほかの問題を選ばせてほしいんですが」 松崎「なるほど。それではなおさら昆虫の問題、行ってみよう(キンコーン。ポン太愕然とする)。砂漠で行き倒れになる昆虫は何だ」 ポン太「バッタ」 松崎「バッタが正解ですね。いつも怒っている昆虫は何だ」 ポン太「か!」 松崎「蚊が正解ですね。世界で一番早く飛べる昆虫は何だ。さあ、100万!」 ポン太「はえー」 松崎「ハエが正解です。やりましたよ100万円です」 ポン太「やったー(とバンザイ)」 松崎「(握手しながら)良かったですね。ポン太君、100万円は何に使いますか」 ポン太「あのね、田園調布に家を建てて、おじいちゃんと一緒に暮らします」 松崎「(怪訝そうな顔で)100万円で?」 ポン太「残りは貯金します」 松崎「それぐらいの金銭感覚があったら、もう一問プレゼントします」 ポン太「まだあるんですか」 松崎「まだあるんです。次の問題であなたが正解しますと、なんと10倍の1,000万円」 ポン太「1,000万!」 松崎「もしダメだったらあちらにある電気椅子!」 ポン太「電気椅子(とずっこける)」 松崎「に座っていただきます。さあどうするか(口で時間を刻む音)」 ポン太「はい。100万円いただきましたしね、電気椅子は怖いからこれで失礼します。有り難うございました」 松崎「そうですか、やりますか。いっていよう(キンコーン)」 ポン太、ずっこける。 松崎「1,000万円の問題です。私の言うとおりに言ってください。ヒマラヤ」 ポン太「ヒマラヤ」 松崎「ヤマラヒ」 ポン太「ヤマラヒ」 松崎「ヒヤマラ」 ポン太「ヒヤマラ」 ……途中省略。 松崎「さて問題です」 ポン太「ハイ。エベレスト。世界一高い山は、という問題でエベレスト」 (不正解の音楽が流れる) 松崎「10番目に私はなんと言ったか(口で時間を刻む)」 ポン太「(しばらく考え)はい」 松崎「どうぞ」 ポン太「ヤマラヒ」 すでに青い手術服を付けた男(又兵衛)が待っている。 松崎「フフフ、残念でした」 手術服の男がポン太を連れていく。 松崎「さようなら~」 舞台の影からポン太の絶叫が! 再び手術服の男が現れ、エンディングテーマが流れる。 松崎「当番組では皆様方からの挑戦者を募集しております。最近どういうわけだか減ってまいりました。考えてご覧なさい。1,000万円を手にするか、いっそさっぱり死んじゃうか。電気椅子なんて怖くない。勇気を出してトライアル&エラー。出場するのは(二人で画面を指さして)あなたです」 グランプリシリーズ4週目のネタの改訂版。構成だけが同じで、クイズの中身は全て異なる。 | |
ネタの面白さに結構ムラがあったことを覚えています。 | |
松崎菊也『一瞬の沈黙』(三五館,1995) 松崎菊也『巷は勘違いに満ちている』(三五館,1996) 松崎菊也『コメディアン』(実業之日本社,1997) 松崎菊也『男が捨てられた夜』(三五館,1997) 松崎菊也『松崎菊也のひとり天誅!』(毎日新聞社,2001) 松崎菊也『松崎菊也の世間風刺読本〈Vol.1〉』(本の泉社,2002) 松崎菊也『松崎菊也の「あの人の独り言」』(小学館,2002) 松崎菊也 (著)、ワタナベヒロユキ (イラスト)『ジジイの言い分』(本の泉社,2019) 渡部又兵衛『お笑い芸人 糖尿病と二人連れ』(グラフ社,2006) | |
1984年に解散。その経緯は渡部又兵衛『お笑い芸人 糖尿病と二人連れ』(グラフ社)に詳しく書かれていますが、喧嘩別れです。 | |
キモサベポン太は別メンバーでキモサベ社中(新生)を再結成。その後の活動状況はそちらを参照。 | |
松崎菊也、渡部又兵衛は有本まことと組んでキャラバンを結成。お笑いスタ誕などで活躍。 1988年、昭和天皇重病による「歌舞音曲自肅」の嵐の中、仕事がなくなり、キャラバン解散。仕事の無くなった松崎、渡部は同じ境遇の笑パーティー、ジョージボーイズの計8人で社会派コント集団ザ・ニュースペーパーを1988年に結成。人気を得る。 | |
渡部は今もザ・ニュースペーパーの重鎮として頑張っています。プロデューサーを務めていた杉浦正士の会社である(株)トリックスターに所属していたが、2007年に杉浦と袂を分かち独立(原因は杉浦の多角経営失敗?)。現在、(株)TNPカンパニー所属。HPザ・ニュースペーパーがあります。 | |
松崎菊也は1998年に退団。ラジオのパーソナリティをやりながら、作家として小説、エッセイを執筆中。現在は「戯(ざ)れ言を書くから『戯作者』」と自ら名乗る。辛口の時事ネタを得意とし、毎日新聞などにコラムも執筆。 | |
2001年あたりから松崎菊也は「他言無用プロジェクト」と称して元笑パーティー、ザ・ニュースペーパーの石倉チョッキ、すわ親治とともにライブ活動を定期的に開いている。プロジェクトは2007年4月より「はだかの王様」と改名。2012年4月、活動終了。 | |
渡部又兵衛は2022年9月7日死去、72歳没。糖尿病からくる合併症と闘い、病気療養中だった。10月24日、ザ・ニュースペーパーによる「お別れの会」が開かれる予定。 |
キモサベ社中(新生) | |
1985年5月11日(第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ) | |
第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。 | |
コミックバンド。 | |
4名編成。 キモサベポン太(ボーカル):本名是枝正彦。1951年10月12日生。鹿児島県出身。 カンパーマン寺門(ギター):本名寺門一憲。1956年生。茨城県出身。多分この人がキモサベ社中バックバンドから昇格。舞台ではジュンと呼ばれていた。冠八萬寺門名義もある。 リンゴ(キーボード):本名末永明光。1948年生。福岡県出身。 マッハ(ベース):ちょっと禿げていた人。 寺門は法政大学時代からフォークグループで活動していた。 リンゴはポン太の大学(桐朋学園大学演劇専攻科)の先輩。俳優などとして活動していた。 マッハは不明。 | |
(第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦 81点× No.263 1985年5月25日放送) キモサベ社中を解散して、キモサベ社中(新生)が誕生するまでを、バンド+コント仕立てで見せる。 | |
これから個性を作り上げていくという感じでした。 | |
引き続き「キモサベ社中」として活動。バンドよりも劇団としての活動が多かった。数年後に解散。 その後、1988年にキモサベと寺門は(有)パン・プランニングを設立。年に数本の講演や演劇の企画などを行う。キモサベは作家、演出(是枝正彦名義)、俳優として活動、寺門は演出、音響(寺門一憲名義)で活動。キモサベ主演時は「キモサベ・パン・セッション」という題が謳われている。 またキモサベは俳優としてテレビ、舞台に登場。寺門は俳優、作曲活動も行っている。 ホームページ(有)パン・プランニングがあります。 | |
キモサベポン太のブログ考える人 劇作家・是枝正彦が日々思う珍なるコトがあります。 | |
リンゴこと末永明光は「NATURAL AGENCY」(元TEN LITTLE INDIANS CLUB)という芸能会社の社長をしていた(出演当時も?)。脚本、舞台演出などを担当。元妻は音楽家、演出家、女優のいまむら直子(2003年に離婚)。 2008年?に亡くなっているそうです。 |
ギャグ・シンセサイザー | |
1980年4月12日(第1期グランプリシリーズ) | |
10週勝ち抜き、グランプリ獲得。3組目。アマチュアからの挑戦では初めて。 第1回ゴールデンルーキー賞優勝。 | |
コント。 | |
長谷川嘉昭:本名同じ。1957年9月24日生。東京都出身。背の高い方。 松園洋:本名同じ。1959年8月17日生。愛知県出身。背の低い方。 共に法政大学在学中。“落研”の先輩・後輩。アマチュア挑戦。 | |
暴走族ネタをよくやっていた気がします。 | |
リーダー「オレ、暴走族ミナコマシのリーダー長谷川ってんだ」 子 分「ボクチャン、松園デース」 リーダー「近頃、オレっちのシマ荒らしている奴がいるって本当か?」 子 分「そうなんですよ」 リーダー「誰だ、ふてえヤローだぜ!」 子 分「誰だろナー」 リーダー「誰だろナー」 子 分「白バイかナー」 リーダー「白バイなんて、チョロイチョロイ」 子 分「ミニパトかナー」 リーダー「ミニパトなんて、チョロイチョロイ」 子 分「ゼットかナー」 リーダー「ゼットなんて、チョロイチョロイ。ところで本当は誰なんだ?」 子 分「実は宿敵森永エンペラーなんスよ。しかも、最近は“ヨコハマ・カナブン”なんて改名して勢力拡大を図ってます」 リーダー「なに! ギンバエじゃなくてカナブン! 強そーだなあ。よしっ、俺たちも新しい名前にしよう」 子 分「何てつけますか?」 リーダー「決まってるだろう。“ヨコハマ・モンシロチョウ”……」 子 分「リーダー! 大変だ・ヨコハマ・カナブンがやってきた!」 リーダー「よしっ! ここで一気に決着付けてやる」 子 分「だ、大丈夫ですか」 リーダー「おまえ、オレの実力知らないのか?」 子 分「いいえ、例の十六文キックで決めるんでしょ」 リーダー「いいや」 子 分「じゃ、ウェスタンラリアートか、フライング・クロスチョップでしょ。リーダーは強いんだから……」 リーダー「あれはもう古い。今日は新しい戦法で決めてやる」 子 分「どんなの?」 リーダー「馬乗りだ!」 | |
(2週目合格 No.2 1980年4月19日放送) ロック歌手:おれ、矢沢エータロー。みんなオレのこと“エーチャン”って呼ぶけど、ま、そんなことエージャン。きょうのステージ、もう最高! これでまたカーネギーホールに一歩近づいたぜ。しかし、疲れたなあ。オイ、ボーヤ! 椅子持ってこい。 ボーヤ:はいはい。 ロック歌手:よーし。ああ……疲れたぜ。(椅子に腰を下ろし、足を組む) ボーヤ:他に何か? ロック歌手:わかってるだろ、これだよ、これ(とVサイン)。 ボーヤ:あ、わかった。そいじゃいきますよ。セーノ! 軍艦軍艦、沈没沈没、ハーワイッ……。 ロック歌手:バカ! じゃんけんじゃねえよ。 ほら、いつものやつだよ。 ボーヤ:えっ? あれなの。 ロック歌手:そうだよ。あれサ。 ボーヤ:でもボク恥ずかしいな、人前で。 ロック歌手:いいから持ってこいよ。 ボーヤ:それではお言葉に甘えて、どうぞ……(と鼻をVサインの歌手の手にすりつける) ロック歌手:何するんだ! 鼻くそぐらい自分の指でほじくれ! ボーヤ:何だっけ? ロック歌手:タバコなの! | |
(4週目再挑戦合格 No.21 1980年8月30日放送) 銀行強盗コント。長谷川のやけに低姿勢の行員の演技がよかった。 | |
二チブツのアーケードゲーム『クレイジークライマー』ネタのコントをしてた記憶があります。 | |
サーファーのコント。 | |
長谷川が女装をしてウェイトレスをするネタ。 | |
金賞を獲得した時点でプロ入り宣言をした(1980年9月27日)。 | |
松園が病気で倒れたとき、長谷川と小柳トムがコントを番組内でやりました(銀行ギャングコント)。 | |
ギャグシンセサイザーと赤信号が大阪進出した時、ギャグシンの作家さんがついていったのですが、ギャグシンは実力不足でほとんど受けなかったのに対し、赤信号は「面白いのだが、大阪人は東京のものを認めようとはしないので笑いをこらえていた」と書いていました。この台本作家さんはその後、赤信号に興味を持ち赤信号の方に行ってしまいました、というのを何かの本で読んだ(確か、赤信号のリーダーの書いた自伝だったと思います)。 ギャグシンのコントの作家は、現在放送作家の植竹公和氏。法政の落語研究会の先輩だった。 | |
あまり覚えていません。そんなに面白かったのかなあという気がします。 | |
「ギャグシンの食いしん坊漫才」:『所ジョージのオールナイトニッポン』内の1コーナー。1981年4月~9月。 | |
「ギャグ・シンセサイザーの落ちこぼれ受験突破術」:『GORO』1980年?月号 | |
松園が病気で倒れ、しばらく長谷川がピンで活動、松園が復帰したものの、交通事故等などにより解散、芸能界から引退。 新聞記事の記憶ですが、たしかとんねるずかアゴ&キンゾーがグランプリとった時の記事に「なかにはギャグ・シンセサイザーのように解散したコンビもある」と書かれていたので、82年の前半にはすでに解散していたはずです。 | |
後にグランプリ取り消しにされています。長谷川さんが交通事故を起こしたのが原因です。番組末期での受賞者紹介の中で彼らは省かれていました。 | |
恐怖の追跡のお笑い芸人部門に、長谷川さんからの直接の返事が載っていました。松園さんは現在サラブレッドを育てる仕事をしています。長谷川さんは、中野区の沼袋で父親の跡を継いで建築業を営んでいるそうです。 | |
2008年11月10日の『うたばん』は、再結成したバブルガムブラザーズがゲスト。そこで登場したのは、元ギャグ・シンセサイザーの長谷川さん。すぐ昔に戻ってのタカさん、トムさんとのトークは呼び捨てでも全然平気。タカさんの嬉しそうな顔が何とも言えませんでした。 | |
株式会社ギャグ・シンセサイザーという会社が、2014年7月に設立されていました。テレビ、映画、CM、舞台や各種イベントなどの企画・制作・演出や芸能タレント、歌手、スポーツ選手、その他の著名人のマネジメント及びプロモートを行っています。2017年4月現在、三遊亭とむ(旧名末高斗夢、三遊亭こうもり)が所属。 MBCラジオたけまる商店営業中!2021年6月6日付ブログによると、三遊亭とむの友人が、桂竹丸の友人である元ギャグ・シンセサイザーの長谷川さんの息子とのことなので、やはり社長が長谷川さんの息子さんだったとのことでしょう。 なお、三遊亭とむ(現:錦笑亭満堂)は2017年11月よりエイベックスマネジメントに所属。また、2021年5月に個人事務所株式会社プロダクション末高を設立している。 |
ギャグどんぶり | |
1982年10月16日(第2期グランプリシリーズ) | |
1週落ち。 | |
男女漫才。 | |
アマチュア挑戦。 視聴者参加番組で、有名な女性が(名前も知らないが、顔だけは見飽きてました)突然男女コンビで挑戦した(相方は子供っぽかった)。 ギャグどんぶりの女性は、あのねのねがやってた『飛び出せものまね大作戦』出身でした。 | |
(1週目不合格 No.131 1982年10月16日放送) バレー部のスポ根ネタだったと思いますが、こんなレベルで番組に出すなと当時思いました。 相方の男のへんな声がうけてましたが、ネタはしょぼかった。 | |
終了後、京唄子に不満があったらしく、かみついてました。 | |
訳のわからないことをして、すべってました。 | |
不明。女性の方はその後も素人番組等に出演していたらしい。 |
キャラバン | |
1985年10月12日(第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ) | |
第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ優勝。 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ第3位。 | |
コント。 | |
元キモサベ社中の松崎菊也、渡部又兵衛に、ミュージカル劇団音楽座の有本まことが加わり、1985年4月に結成。 有本まこと:本名有本誠。1954年4月14日生。京都府出身。 有本は桐朋学園芸術短期大学出身で、同級生に高畑淳子がいる。音楽座の結成メンバーであり、キャラバンは並行活動だった。 | |
(第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦 97点〇 No.291 1985年12月14日放送) (サバイバルシリーズ優勝者! スペシャル No.295 1986年1月25日放送) 中世ヨーロッパのドラキュラ伯爵の館の地下室。博士(有本)と助手ゴルゴダ(松崎)が薬を作っていた。そこへ現れたドラキュラ伯爵(渡部)。作っていたクスリは、吸血鬼が人間になる薬だった。日向ぼっこをしてみたい、ギョーザを食べてみたい。 薬を飲みほして、本当に吸血鬼から人間になったかを確認。十字架クリア、日光クリア。 最後は十字架の杭を持ってきて、身体に打ち付けたら、死んでしまった。 「まだ吸血鬼だったか。悔い(杭とのシャレ)が残る」 「博士、人間でも杭を打ったら死んでしまうのでは?」 茫然とした博士と助手。そのまま逃げてしまい、渡部が壇上に残される。 笑いはそこそこあった程度だが、ストーリーはきちんとできていました。芝居はさすがに達者でした。 | |
(第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ決勝戦 96点優勝 No.294 1986年1月18日放送) ステージには学習机と椅子。音楽が流れ、割烹着姿の渡部が登場。 渡部「(正座して)皆様。あけましておめでとうございます。まあ、今年のお正月は、本当に良い天気で、ようございましたね。(お客さんを指差して)初詣行かれました? (立ち上がりながら)こんなこと言っている場合じゃありませんでしたわ。皆様。受験生にとって、お正月なんかございません。あらー、義雄ったら、何やってるのかしら。もうすぐ新しい家庭教師の先生が来られるというのに。やっとスパルタ教育の先生にお願いしたというのに、いつまでお正月気分でいるのかしら。(とポケットから饅頭を取り出して食べる)おいしいね。(途中カットがあったか?)」 有本「(学生服姿で雑誌を読みふけっている松崎を引っ張りながら登場)ごめんください」 渡部「まあ、家庭教師の先生でいらっしゃいますか」 有本「お母さんですか」 渡部「私、あなたを生んだ覚えなどありません」 有本「(そのまま去ろうとする)」 渡部「(引き留めながら)冗談ですわよ。お正月、初冗談。」 有本「私が、スパルタ教育で有名な、家庭教師の松田秀作です(『家族ゲーム』の松田優作のパロディ)。今、本屋さんを通りかかったら、いかがわしい雑誌を立ち読みしている高校生に出会ったんだ。お宅のお子さんだったので、連れてきました」 渡部「どうしてうちの子だってわかりましたの?」 有本「あれ。ここへ連れてこなくていいんですか。あなた、コント一人でやるんですね(と雑誌を読んだままの松崎を連れて立ち去ろうとする)」 渡部「ちょっと、ちょっと、ちょっと。一人にしないでくださいまし」 有本「わかればいいんですよ。お宅のお子さんがね、こういういかがわしい雑誌を立ち読みしてたんですよ」 渡部「『スクリーン』! まあ、懐かしい。私、昔『スクリーン』を愛読していましたわ」 有本「あのね、これは『別冊スクリーン』っていってね、こういう内容なんですよ(と読んでいる本を下におろし、中身を見せる)」 渡部「まあ、うらやましい」 有本「どこがうらやましいんだ」 松崎「(棒読みで)まあ、砂が入っちゃうじゃないの」 有本「どこに砂が入るんだ(と雑誌を取り上げ、松崎の頭を叩く。松崎、逃げる)。何を考えてるんだ」 渡部「(松崎をかばいながら)この子、子供のころから体が弱いんざんすの。ひどいじゃないの」 有本「こういう風にすればいいんですね(と頭を何回も撫でる)」 渡部「いや、なにも、先生」 有本「こういう風にするってことですね(と尻を撫でる。松崎、小さく悲鳴)」 渡部「いや、先生」 有本「おかあさん」 渡部「はい」 有本「義雄君には1日小遣いをいくら渡してるんですか」 渡部「100円ざます」 有本「贅沢です。私が子供の頃はね、5円でソースせんべいが6枚買えましたよ。100円なんか、お店が買えますよ」 渡部「先生、いつの時代の話をなさってますの」 有本「義雄君、君はいったい何に使ってるんだ」 渡部「ご本よね。」 有本「おかあさん。本人に答えさせるのが、私のモットーなんです。答えなさい」 松崎「主に、漱石、鴎外」 有本「本当は?」 松崎「宗薫、浩一郎」 有本「(松崎の胸ぐらをつかむ)エッチ」 松崎「わー(怯えて渡部の方に逃げる)」 有本「私が来たからには、義雄君の成績が今より下がることは絶対にないでしょう」 渡部「それはもう安心しておりますわ。義雄より下はおりませんの」 有本「ドンケツですか」 二人「(周りをおもんばかるように壁を押さえる)」 有本「急にどうしたんだ」 松崎「マンションの壁が薄いんです」 渡部「隣に聞こえたら困ります」 有本「(窓を開けて、外に向かって叫ぶ)義雄君の成績は、ドンケツだー」 二人「(走り回りながら)わー」 有本「義雄君の成績は、ドンケツだー」 二人「わー」 有本「義雄君の耳は、ロバの耳」 三人「(手でポーズを取りながら)ロバの耳」 渡部「先生、なんざったんすの、今のは」 松崎「(椅子に座る)」 有本「さあ、勉強を始めよう。」 渡部「(机の横に正座しながら)お勉強を始めましょう」 有本「お母さん」 渡部「はい」 有本「今から勉強を始めるんですよ」 渡部「はい」 有本「お茶菓子、どうしたんですか」 渡部「あら、ごめんなさい。お茶菓子、ないんですの」 有本「貧乏なんですか」 二人「(走り回りながら)あらー」 有本「貧乏」 二人「あらー」 有本「貧乏」 二人「ズンズンチャチャチャチャ」 三人「(ポーズを決めながら)貧乏!」 渡部「(椅子と机に戻る二人を見て)先生、なんざんすの、これは」 有本「お母さん、今、勉強の最中なんですよ。静かにしてください」 渡部「(囁くように)わかりました」 有本「義雄君、これ読んで」 松崎「お母さん」 渡部「なあに」 有本「呼んでどうする。呼んでどうするんだ。読むんだ」 渡部「何か」 有本「お母さん、勉強の最中だって言ってるでしょうが。なんでいつまでもここにいるんですか」 渡部「だって、私、義雄ちゃんのことが心配なんですもの。私も一緒に勉強さしてくださいまし」 有本「お母さん、いらないから結構です」 渡部「どうしてなの~」 有本「しょうがないですね。特別ですよ。今日は、お母さんも一緒に勉強やりましょう。じゃあ、ぴっころ、ぽろり、じゃじゃまるでいきましょう(『おかあさんといっしょ』内の人形劇『にこにこぷん』のキャラクター)」 三人「(前に出てきて歌いながら)パ、パッパパッパ、パジャマじゃま」 有本「パ、パッパパッパ、パジャマじゃま(と言いながら服を脱ぐふり)」 松崎「先生、先生」 有本「パジャマでおじゃーま」 松崎「先生! それ『おかあさんといっしょ』じゃないの?」 有本「これは『おかあさんといっしょ』ということを」 三人「先生、知っています」 渡部「先生! 」 有本「〇〇少女(ここ、わからず)が好きなんだ」 渡部「先生! 勉強とは何の関係もないでしょ」 有本「勉強、勉強、勉強だ(元のポジションに戻る)。じゃあ、英語の勉強から行ってみようね。義雄君、読んで」 松崎「問題」 有本「(手に持っていた丸めた雑誌で顔を叩く)」 松崎「ひい、ひい(と渡部の方に逃げる)」 渡部「先生!」 有本「英語の勉強をやってるんだ。英語の勉強だよ、読んで」 松崎「問題」 有本「(叩こうとする)」 松崎「ひい!」 有本「(叩こうとする)」 松崎「ひい!」 有本「(叩こうとするふりして手を頬に持っていく)」 松崎「ひい~」 有本「月曜日を英語で」 松崎「問題」 有本「日曜日は」 松崎「すんだい」 有本「土曜日は」 松崎「半ドン」 有本「(叩こうとする)」 松崎「ひい!」 有本「(叩こうとする)」 松崎「ひい!」 渡部「(叩こうとする)」 松崎「ひい!(と有本に抱き着く)」 有本「(松崎を振り払う)」 渡部「(両手を合わせて謝る)」 有本「こんなこともわからないのか。しょうがいない、教えてあげよう。英語の曜日の覚え方」 二人「英語の曜日の覚え方」 有本「月曜日、人に謝り、すマンデイ。火曜日、火に水かけてチューズデイ。水曜日、水谷英夫ウエンズデイ。木曜日、木剣腰にサーズデイ。金曜日、弁当おかずはフライデイ。土曜は午後からごぶサタデイ」 二人「(拍手。客席からも拍手)」 渡部「先生。難しいことぐらい私にも言えますわよ」 有本「お母さんにも言えますか」 渡部「神社仏閣雨提灯。クーニャン可愛や雛の夜」 有本「(叩こうとする)英語の勉強だって、言ってるだろ」 渡部「(後ろに逃げる)」 有本「実践的な英語の勉強をするために、英字新聞を持ってきた(とポケットから取り出す)。読んでみたまえ」 渡部「頑張るのよ、義雄ちゃん」 松崎「(英字新聞を広げるが、首をひねって困惑した表情で渡部を見る)」 渡部「どうしたの」 松崎「(新聞を見て、再び渡部の顔を見る)」 渡部「わからないの」 松崎「(また首をひねる)」 渡部「わかるのわからないの。わかるかわかんないか言わないと、わかるかわかんないかわからないじゃないの。わかるのわからないの。みんなよむのにねえなによ」 有本「おかあさん(と詰め寄る)」 渡部「ほっといてくださいまし。(歌舞伎調で)子を思う親の気持ち、花も真砂のかきぐりも、いくそうざいも、強いゆえ~」 有本「(丸めた本を耳に当て、反対側からホイッスルを吹き鳴らす)」 渡部「(たまらず逃げ回る)」 有本「(ホイッスルで)ピッピー」 渡部「あひるだ、があがあ」 有本「(本で叩こうとする)」 松崎「お母さーん。読めたよ」 渡部「大きな声で、言ってちょうだい」 松崎「EOH 4バルブ グランドファミリア スーパー明るい 4日5日はトヨタの日」 有本「(松崎の耳元でクラッカーを鳴らす)」 松崎「(驚いて逃げ回り、渡部の後ろに隠れる)」 渡部「(松崎をかばいながら)先生! 何をなさいますの。曲がりなりにも、英語でした。(松崎の方へ振り向きながら)母さん、喜んでますよ。(二人、客席に向かって)喜んでいる人は、あなたの味方です」 有本「(渡部の耳元でクラッカーを鳴らす)」 二人「(驚く)」 有本「皆さんには、先生のお茶目が通じないんですか」 渡部「真面目に勉強してくださいまし」 有本「政治経済の勉強に行ってみましょう(三人、横に並ぶ)。次に挙げた言葉から、連想される言葉を言いなさい。自民党」 松崎「社会党」 渡部「かりんとう」 有本「厚生省」 松崎「運輸省」 渡部「智恵子抄」 有本「環境庁」 松崎「気象庁」 渡部「胃拡張」 有本「おかあさん。勘違いしてませんか。もう一度行きますよ。環境庁」 松崎「気象庁」 渡部「宮内庁」 有本「合ってます。裁判官」 松崎「検察官」 渡部「とんちんかん」 有本「CIA」 松崎「KGB」 渡部「DDT」 有本「食糧危機」 松崎「経済危機」 渡部「御用聞き」 有本「貿易摩擦」 松崎「経済摩擦」 渡部「寒風まさつ」 有本「ゴルバチョフ」 松崎「チェルネンコ」 渡部「マギー・ミネンコ」 有本「(渡部に攻寄る)お前は、息子の教育をなんだと思ってんだ!」 渡部「何よ、あなた。安月給のくせして!」 有本「それが亭主に対する言葉遣いか!」 音楽が流れ、二人殴り合う。最後は頭突きで二人とも頭を押さえる。 松崎「しょうがない父と母です。だけど我が家だけでは流行っているんです」 三人「家族ゲーム」 三人「ありがとうございました」 | |
(第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦 90点〇 No.309 1986年5月10日放送) ピンクパンサーのテーマに乗って二人が登場。 松崎「合言葉」 有本「山」 松崎「川」 有本「お笑い」 松崎「スタ誕」 有本「キャラバン」 松崎「二連覇」 二人、握手。 松崎「久しぶりだね、まこと兄さん」 有本「久しぶりじゃないか、弟の菊也よ」 松崎「いつも思うんだけどさ」 有本「何だ」 松崎「兄弟がたまに実家に帰ってくるぐらいで、なんで合言葉を使わなきゃならないんだ」 有本「父さんの方針なんだからしょうがないだろ」 松崎「しょうがねえなあ、まったく」 有本「おい、菊也。最近の不景気で、お前の会社、倒産したそうじゃないか」 松崎「ドキッ」 有本「知ってるぞ」 松崎「そういう兄さんだって、職安の前に並ばないでくれよな」 有本「お前こそな、団地前で圧力鍋売っている場合じゃないだろ」 松崎「兄さんだって、アンケートのふりをして英会話のテープ、売りまくるんじゃないよ」 有本「女房をキャバレーで働かすな」 松崎「娘をサーカスに売るな」 有本「売るか、そんな」 二人「あー! 金が欲しい」 有本「しかし父さん、どうして俺たち二人を急に呼び出したんだろう」 松崎「さあ」 有本「何の用事があるんだ」 いきなり、音楽が流れる。 有本「あのミュージックは」 松崎「ドラキュラの時と同じ」 裃姿の渡部、登場。 渡部「これはこれは」 二人「(明るく)父さん元気?」 渡部「(ポーズ付きで)うん、元気。違う!」 二人「(片足を上げるポーズで)ヨイッショ」 渡部「ヨイッショ、って何をやらすんだ ええい、合言葉! むしごろし」 二人「大化の改新」 渡部「鳴くよウグイス」 二人「平安京」 渡部「白紙に戻そう」 二人「遣唐使」 渡部「いい国作ろう」 二人「鎌倉幕府」 渡部「人並みにおごれや」 二人「享保の改革」 渡部「ルート3」 二人、ずっこける。 渡部「実はな、鈴木家の遺産をお前たちに全部譲ろうと思う」 松崎「(手を握りながら)まさか、そろそろ寿命だなんて言わないですよね」 渡部「はははは、安心しろ。私はまだまだ死なん」 有本「お父さん、そんな気の弱いことを」 渡部驚く。 二人「(父の手をつなぎ)お父さん」 有本「ぼくはいつもお父さんのことを思っています」 松崎「いや、ぼくのほうこそ思っています」 渡部「本当に思ってるのかい」 二人「はい」 渡部「じゃあ、父さんの誕生日は」 二人「知ってるよ~」 渡部「言ってみなさい」 有本「11月4日」 松崎「3月16日」 有本「4月10日だ、バカヤロー。(泣きながら)お前たちは父親の誕生日も覚えていないのか」 二人「情けない奴」 渡部「ごまかすんじゃない」 有本「僕に遺産をください」 松崎「僕に遺産をください」 有本「(菊也を突き飛ばして)僕に遺産をください」 松崎「(まことを突き飛ばして)僕に遺産をください」 有本「(菊也を突き飛ばして)僕に遺産をください」 松崎「父さん。父さんは僕に遺産を譲るべきなんだ」 渡部「なぜだ」 松崎「だって、親子そっくりじゃないですか」 渡部「そっくり?」 松崎「そっくりの癖があるじゃないですか」 渡部「何だ」 松崎「ティッシュで鼻をかむと」 二人「必ず広げてみる」 有本「ちょっと、もっとそっくりの癖があるでしょ」 渡部「何だ」 有本「握手をするとき」 二人「必ず手をぬぐう」 松崎「父さん、父さん、父さん。カレーライスを食う時」 二人「必ずさじをコップにつける」 有本「あの癖を思い出してください。止めよう止めようと思っても」 二人「ゴミ箱の新聞を拾ってしまう」 松崎「父さん、父さん、父さん。トイレに入った時」 二人「なぜか少しドアを開けている」 有本「父さん。『フロムエー』を」 二人「外国雑誌だと思っている」 松崎「ほらほらほら、父さん。なぜかそっくりの」 二人「耳垢が湿っている」 有本「父さん、父さん。向う脛を親指で押すと」 二人「なぜか戻ってこない」 松崎「父さん、父さん。満員電車の中で」 二人「人の財布を抜く」 有本「それじゃスリだ。父さん、午前三時になると」 三人「首が伸びる」 渡部「馬鹿垂れが。父さんは化け物か」 松崎「兄ちゃん。本当のこと言ったほうがいいよ。父さん死んだほうがいいと思っているだろう」 渡部「何!」 有本「何を証拠にそんなことを言うんだ」 松崎「あれは忘れもしない去年の夏のことだった。嫌がる父さんを無理やり海水浴に連れて行った」 有本「いやー、暑いな。父さん、今日は沖まで遠泳してみよう」 渡部「父さん、泳げないよ、沖までなんて」 有本「(重いものを渡し、なぜかぐるぐる巻きに)」 松崎「どうして泳ぐのに石のお地蔵さんがいるんだ?」 有本「あー、そんなことが。それよりお前だって思い当たる節があるだろう。父さんと一緒にふろに入った時のことだ」 松崎「あー、父さん、風呂久しぶりだね。背中流すよ」 渡部「あー、有難う」 有本「どうしてヘチマの代わりに剣山を持っているんだ」 渡部「あー、痛い痛い」 松崎「そういう兄さんだって、そんな父さんに熱湯浴びせたろう」 有本「ザバッ」 渡部「アチャアチャアチャ」 有本「そういうお前だって、粗塩塗り込んだろう」 渡部「痛ーい。そういえば思い当たる節がある。この間起きた時、なぜかガス管を銜えていた」 有本「全部次男のあいつがやったことなんです」 渡部「お前がやったことか」 有本「遺産は長男の私に下さい。お願いします」 松崎「僕は次男ですよ」 有本「お前は痔なんだろ」 松崎「痔なんです」 渡部「あれは痛いんだ」 松崎「意味が違うだろ。僕に下さい」 有本「僕に下さい」 松崎「僕に下さい」 渡部「よし決めた。やっぱり長男のお前に譲ろう」 有本「ありがとうございます。やった、やった、やった」 松崎「(おもむろにポケットから一枚の紙を取り出し、小学生風の声で)僕の兄さん。僕の兄さんは、とっても弟思いです。物をもらってもいつも半分こ。優しい優しい、僕の兄さん」 有本「手続き行きましょうか」 松崎「あー駄目だ!」 渡部「やっぱり、可愛い次男に譲るか」 松崎「お父さん(抱きつく)」 有本「(こちらもポケットから一枚の紙を取り出し、小学生風の声で)僕の弟。弟はいつも兄思い。物をもらってもいつも半分こ。優しい優しい、僕の弟」 渡部「やっぱり妾にでも譲るか」 二人「(一枚の紙を広げ)父さんの妾。血はつながっていないけれど、僕たちにとっても優しい。世界一の父さんの妾」 渡部「(二人の耳元でクラッカーを鳴らす)」 二人「あちちち」 渡部「馬鹿垂れが。情けない兄弟だ。わかったよ。お前たちに、平等に譲ろう」 二人「本当ですか!」 渡部「まことに聞く」 二人、ひざまずく。 渡部「ここに一本の矢がある」 松崎「芝居が変わった」 渡部「折ってみろ」 有本「はい(と折る)。べきっ」 渡部「二本では」 松崎「はい(と折る)。べきっ」 渡部「三本では」 有本「はい(と折る)。べきっ」 渡部「しからば四本では」 松崎「折れない」 有本「貸してみろ。駄目だ」 渡部「兄弟、二人力を合わせてやってみなさい」 二人「はい。ふん」 渡部「火箸は折れまい」 二人「(ずっこける)汚ねえな」 渡部「馬鹿垂れが。決して人を信じてはならぬ。たとえ親兄弟、仲睦まじい夫婦といえど、所詮は他人の始まり。源義経しかり、三浦一義しかり。唄子啓介なおしかり。わかったかな」 二人「はい」 渡部「さあ、ここにある遺産、全部持っていきなさい」 二人「(箱を開け、何かを持ち上げる)太田胃散」 渡部「いい薬じゃ(当時のCMネタ)」 二人「父上の乱心じゃ」 渡部「蘭、咲きました。蘭、咲きました(当時のCMネタ)。ブルンブルンブルン(とバイクを運転して去っていく)」 松崎「これで我が鈴木家もおしまいだ」 有本「一話完結」 二人「スズキの蘭(当時スズキが製造販売していたスクーターのこと)。蘭、咲きました~」 | |
(オープントーナメントサバイバルシリーズ) 子供が誘拐された家族のコント。母親が渡部、刑事が松崎と有本。 | |
なんとなく新劇臭かったですね。一定の笑いは取れても、大爆笑は難しいタイプだったと思います。 | |
1986年 第1回NHK新人演芸コンクール<演芸部門>最優秀賞受賞 NHK新人演芸コンクールでは、モリアオガエルとおおむらさきの自然破壊反対コントで賞を取る。確かに、おおむらさきの羽化シーンはきれいでしたが、彼らの学校巡回芝居風教育臭さが嫌でした。ギリシャ悲劇のパターンで又兵衛が、「おお、全能の神であるじっちゃよ」というのは好きでしたが。 | |
音楽座が大手企業に買収されるなど色々あってバラバラになってしまったため、有本まことは1987年に音楽座を退団するとともにキャラバンからも脱退し、そのまま芸能界を引退した。 | |
松崎、渡部はキモサベ社中の項参照。 | |
有本まことは山形のログハウス会社に就職。再婚し、介護福祉士の資格を取得し老人ホームで働いた後、奥さんの母の介護を続けた。そして奥さんの知人のツテで、56歳の時酒造りの世界に飛び込んだ。 2018年現在は、俳優・佐々木蔵之介の実家である『佐々木酒造』で蔵人として働いている。2018年6月27日、『あいつ今何してる?』(テレビ朝日)3時間SPで、高畑淳子の探し人として登場した。 |
銀次・政二 | |
1984年1月28日(第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ) | |
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。 | |
漫才。 | |
銀次:本名菅野銀次。 政二:本名前田浩章。1965年2月23日生。大阪府出身。 吉本興業所属。吉本NSC1期生。『笑ってる場合ですよ』の「君こそスターだ!」にNSC1期生達に出場依頼が来た際に、同期生でもあった銀次からピン芸人として活動していた政二にコンビ結成の誘いがあり「銀次・政二」を1982年8月に結成。5週勝ち抜き、チャンピョンとなる。1983年6月、うめだ花月下席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏み、劇場デビュー。 | |
(第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦 75点× No.196 1984年2月4日放送) 大阪のヤンキーネタ。それなりに観客の笑いもあったが、残念ながら1回戦落ち。京唄子がとても残念がっていた。 | |
面白いのだが、銀次と政二のキャラクターが今一つ噛み合っていない感じもした。 | |
1983年 第4回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール福笑い大賞受賞 | |
1984年11月、約1年8ヶ月でコンビ解散。ほとんど喧嘩別れ状態でした。 | |
政二は、後に何人トリオの前田政二。関東でたこ焼き屋を経営していたこともあったが、現在は放送作家(前田大地名義の時もあり)。吉本総合芸能学院(NSC)で講師も行っていた。 | |
銀次は吉本新喜劇に出演。太平サブロー・シローに弟子入りし、タイヘイ銀次と名乗っていた。その後、吉本芸能を退社。 銀次は2000年、東秀典・佑典の東秀典と漫才コンビ「銀秀」を結成。松竹芸能に所属。所属する松竹芸能のオフィシャルサイト内のタレントプロフィールに「銀秀」が載っていたが、2000年12月にタレントプロフィール欄から「銀秀」が消えてしまったため、解散したと思われる。芸能界は引退。 |