『お笑いスター誕生!!』 名鑑【た-2】


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名 前
伊達家酔狂
初出場
 1980年8月23日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 3週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 落語。
プロフィール
 早稲田大学の学生。代々受け継がれている屋号らしい。アマチュア挑戦。
ネ タ
(伊達家酔狂様ご本人からのお返事です)
 当時演じたネタは良く覚えておりませんが、再チャレンジも含めまして4回、古典2席と漫談(着物で座ってですが)2席だと記憶しております。当時30席くらいは持っていたのですが、多分「鉄砲勇助」「代書屋」「親子酒」あたりかと思います。
(1週目合格 No.20 1980年8月23日放送)

 ご本人の仰る『親子酒』(マクラが弱いと講評された)。
(2週目合格 No.21 1980年8月30日放送)

 2週目は『高校野球のインタビュー』でした。

「高校野球の選手なんかもうアホばっかりですよ。この前甲子園で優勝した浪商のピッチャー牛島。インタビューで今日の勝因は?って聞かれた時、こう答えてましたよ。
 投げた~、打った~、勝った~。
 もう、アホでっせ!」
こもったような言い方で・・・
「やっぱりねェ ○○○したよ やっぱりねェ ○○○したよ・・・
・・・・をずーーーーっと続けてた。
 太閤検地やメロディアンミニのネタなんかすきでしたが。。。
エピソード
(伊達家酔狂様ご本人からのお返事です)
 あの番組は、もともと私が大学3年の時に「全日本学生落語名人戦」に出て、その後赤尾さんから声をかけていただき、出場したものです。
 出番でない時も楽屋に行っては出場者と話したり、たまには前説もしたり、いい経験をさせてもらいました。
 その後、再度の「名人戦」で名人をもらい、フジの「笑ってる場合ですよ」で5日間勝ち抜いたり(これは5日間立ちの漫談でした)、楽しい想い出です。
 最初から全くプロになるつもりがなかったので、平気で「お笑いスター誕生」に出られたのかなと思います。プロをめざしていたら、きっと怖くてだめだったろうとも思います。
 たしか「お笑い君スタ」で優勝し、初めて『笑ってる場合ですよ』のゲストのコーナーにも出場できた方だったと思います。
 4週目で落ちたあと、すぐに「お笑い君こそスターだ!」に登場して3代目のチャンピオンになり、受賞者大会で新ネタを披露し、そのネタをその後すぐ『お笑いスタ誕』の再チャレンジで使いまわし、不合格でした。これが最後のテレビ出演だったのでは?
感 想
 あまり、面白くなかった。動きに欠ける分、審査項目の点で落語は不利だなーと思った。
その後・現在
 大学卒業後、就職されたとのことです。
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名 前
立山センタ・ライン
初出場
 1980年9月27日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 立山センタ:本名川崎正彦。1954年2月6日生。奈良県出身。
 立山ライン:本名佐藤正幸。1954年生まれ。三重県出身。
 横山ホットブラザーズの弟子。
 センタは1973年1月にミサキとともに「フレンド2」を結成。1975年8月に昭和チビッコとコンビを組んだが、解散。前名:サヤマ、昭和ギャング。
 ラインは1974年に「殿様キングス」に入門後、「横山ホットブラザーズ」に再入門。
 1979年5月デビュー。初舞台は新花月。当初のコンビ名は「小川センタ・堀戸ライン」。
ネ タ
 不明。
感 想
 不明。
受賞歴
 1985年 第16回NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞(立山センター・オーバー)
その後・現在
 解散。
 1981年、立山センタはミヤ蝶助と新たに立山センター・オーバーを1981年に結成。現在も関西を中心に活動中。
 所属するケーエープロダクションのオフィシャルサイト内に、タレントプロフィール等が載っています。
 立山ラインこと佐藤正幸さんは広告代理店、街づくり企画施工会社を経て、故郷の三重県四日市市にて1992年、イベント企画会社風船堂を創業。2000年には法人として(有)風船堂を設立。HPイベントの風船堂に詳しく載っております。
 「昭和のまー君」という名前で、地元のイベント等にも参加しています。
 風船堂ブログがあります。
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名 前
谷口幸男・小田鎮男
初出場
 1980年6月21日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 4週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 谷口幸夫:本名同じ。1956年8月15日生。大阪府出身。
 小田鎮男:本名同じ。大阪府出身。
 二人は小学校からの親友。アマチュア挑戦。
ネ タ
 この二人はテレビ番組ネタ専門で、1週目は『ズームイン!朝』のウィッキーさんのコント、2週目は「中国拳法の達人」ネタ(元ネタは水曜スペシャル?)、3週目はワイドショーの心霊研究家ネタ(公式本に載っているもの)、4週目は「クイズ!100人に聞きました」ネタ(どちらかが司会者、もう一方が回答者を一人5役で演じ、最後に全員登場で4人分の絵を出すオチで締める)、5週目は『食いしん坊!万才』ネタ(レポーターと田舎の婆さんのやり取りで、適当に食べて去ろうとするレポーターに婆さんが厭味を言って帰さないパターン、それまでと違って暗めだったからかここで不合格)でした。
 なお、このコンビは第1回受賞者大会にも出ていて、この時は3週目の心霊研究家ネタをもっとパワーアップさせていました。最後はともに「おじいちゃんじゃない~」「ヒロシじゃない~」と言い合うオチだったような。
(2週目合格 No.12 1980年6月28日放送)

「中国拳法の達人」ネタ(元ネタは水曜スペシャル?)

達人「(耳打ち)」
司会「青年は語った。ここで10枚の瓦割に挑戦してもらうことにした。瓦はなかなか10枚割れるものではなかった」
達人「(白い台を置き、中から10枚の瓦せんべいを取り出して置く)」
(途中略)
達人「(1枚多かったので食べてしまう)」
司会「青年は、朝から何も食べていなかった。では彼は、挑戦する」
達人「(手刀で叩き割る)」
司会「見事であった。ではここで、ビール瓶の手刀割りに挑戦したい」
達人「(台から二本のビール瓶を取り出し、横に並べて置く)」
司会「彼は実にいろんなものを用意していた」
達人「(せんべいをよけて準備する)」
司会「かつて大山倍達は、ビール瓶一本を割ったが、彼は二本に挑戦するのだ」
達人「(ビール瓶を手刀で割ろうとするが、いったん立ち上がり、司会者に耳打ちする)」
司会「青年はまたごちゃごちゃ言い始めた。破片が飛ぶ可能性がある。だがもはや、○○○船長はそんな言い訳は聞かなかった」
達人「(横からビール瓶を手刀で割ろうと何度もタイミングを計るが、最後は二本のビール瓶の間を手刀で割り、それぞれ引き離す)」
(3週目合格 No.13 1980年7月5日放送)
(第1回受賞者大会 No.17 1980年8月2日放送)

 TVワイドショーのスタジオ。左に司会者、右に袴姿で威厳を正した心霊研究家。それぞれ椅子に腰掛けている。二人の間の床には人形が立ててある。司会者やおら正面を向いて、

司会者:皆様いかがお過ごしでしょうか。この番組では怪奇特集といたしまして、毎週、世にも不思議な心霊現象の数々をお伝えしておりますが、今週は、宮城県に伝わる悪霊のとりついた人形をご紹介したいと思います。お客様は、いつものように心霊研究家の宗川珍念さんです。宗川さん、今日もよろしくお願いします。
心霊研究家:(もったいつけて)よろしくお願いします。
司会者:(人形を見ながら)早速ですが宗川さん、この人形に恐ろしい霊がとりついているという話なんですが…。
心霊研究家:(急に軽々しく陽気になって)ハイハイハイハイ。ま、よくあることですよ、これは。多分人形の作者の霊でしょうな。
司会者:そうですか。去年あたりから髪の毛も伸びるとか…。
心霊研究家:よくあることですよ。この人形には強い霊が立ちこめておりますなぁ。年の頃なら七十五、六、いや七十七だな。
司会者:なるほどね。では、早速ですがこの人形にとりついた恐ろしい霊を、この場で呼び出していただけますでしょうか。
心霊研究家:(調子よく)ハイハイハイハイハイ。
 椅子から立ち上がり、人形の前に座り込む心霊研究家。
司会者:では、ひとつお願いします。
心霊研究家:(ふと手をとめて)ことわっておきますが、霊がしゃべり出します。その時、霊のいうことにさからっちゃいけませんぞ。霊が成仏できませんからな。いいですな。
司会者:ハイ、分かりました。それでは、よろしくお願いします。
 心霊研究家、(目を閉じ)印を結び祈り始める。
司会者:(祈りと並行して)宗川さんは、以前青森県は恐山で降霊術の修行をなさった方で、心霊術者としては日本で第一人者です。ただいま霊を呼び出しておられます。
 でたらめなうなり声と呪文を唱え、ひとしきり騒いだあと、ばったりとうつぶせに倒れる心霊研究家。
司会者:(心配そうにのぞき込んで)大丈夫ですか、宗川さん、霊は呼び出せましたでしょうか?
心霊研究家:(ハッと我に返り、よろよろと立ち上がり)ワシは一体どこにいるんじゃ?
司会者:霊が乗り移ったようです。お年寄りの霊のようです。
心霊研究家:(司会者を見て)おお! そこにいるのは孫のタケシじゃないか! 孫のタケシじゃろ?
司会者:(後ずさりして)私は司会者です。人違いですよ!
心霊研究家:(突然、胸を押さえてうずくまりながら)く、く、るしーい! 成仏できない!
司会者:(あわてて)おじいちゃん、タケシですよ。私は孫のタケシですよ!
心霊研究家:(ケロッとして)おうおう、懐かしいのうタケシ。
司会者:(調子を合わせて)ウンウン、懐かしいねえ。
心霊研究家:よく二人で河原を散歩したものじゃ。
司会者:……!? そうそう、よく散歩したねえ。
心霊研究家:タケシよ、あのときよく歌った歌が聞きたいのう。
司会者:歌!? そうそう、よく歌ったねえ。
 と、夕焼け小焼けの赤トンボ…を歌いはじめる司会者。
心霊研究家:(だだをこねて)タケシじゃなーい!
司会者:(困って)おじいちゃん、歌ってるじゃないの。
心霊研究家:タケシはそんな歌、歌わなんだ。タケシが好きじゃったのは石野真子の歌じゃ。
司会者:石野真子? そうだったね。
 と、ワンペア、ツーペア、スリーカード…。石野真子の歌を歌いはじめる司会者。
心霊研究家:(また、だだをこねて)タケシじゃなーい。
司会者:(困って)おじいちゃん! 石野真子じゃないの!
心霊研究家:タケシは歌いながらワシをおんぶしてくれよった。
司会者:ちょ、ちょっと。おんぶなんか、私できませんよ!
心霊研究家:(胸を押さえて)っく、くるしーい。
司会者:(慌てて心霊研究家を背負い)はいはい、おんぶですよ、おじいちゃん。早く成仏しようね。
心霊研究家:(おんぶした司会者の背から)タケシよ、歌どうした、歌!
司会者:(泣きそうになって)ハイハイ。ワンペア、ツーペア、スリーカード。
心霊研究家:懐かしいのうタケシ。そういえば、夏の夜、二人でよく花火をしたのう。
司会者:(調子を合わせて)ウンウン。よく花火をしたねえ。
心霊研究家:線香花火、覚えてるか。花火がなくなるとタケシが線香花火になってくれたのう。
司会者:線香花火?
 びっくりして背中から心霊研究家を落っことす司会者。心霊研究家、転げる。
司会者:(怒って)冗談じゃないですよ!
心霊研究家:(またまた胸をかきむしり)くるしーい!
司会者:(あきらめて)わかったよ、おじいちゃん。ボク、線香花火やるよ。
心霊研究家:(機嫌を直して)おうおう、それじゃやってくれるか。うれしいのう。
 司会者、自棄気味に“人間線香花火”のアクション(線香花火の火花が出る玉を自分の頭に見立て、口で「パチパチ、ブチブチ」といいながら、頭から火花が飛ぶ様子を手で表現する)。
心霊研究家:(手を打ちながら)懐かしいのう。
司会者:(アクションをやめて)ボクが線香花火をやると、今度はおじいちゃんが、お礼にロケット花火をやってくれたよねぇ。
心霊研究家:(とまどって耳に手を当て)なんじゃ? 耳が遠くてよく聞こえんのじゃ。
司会者:(大声で)おじいちゃんのロケット花火、だよ。
心霊研究家:(観念して)ワシがやったのか? そうじゃったなぁ。それじゃ…。
 心霊研究家“人間ロケット花火”のアクション(両手を頭上でロケットの先端のようにして、口で「シュパー、シュパシュパシュパ…」といいながら、しゃがみ込んで思い切りジャンプする)。
心霊研究家:(アクションを終わって)懐かしいのう、タケシ。
司会者:(だだをこねて)おじいちゃんうじゃなーい。
心霊研究家:(困って)タケシ、おじいちゃん今やったじゃろ。
司会者:おじいちゃんの花火は七連発だもん!
心霊研究家:おお、そうじゃった、そうじゃった。
 と、“人間ロケット花火”のアクションを六回繰り返す。
心霊研究家:(疲れ切って)懐かしいのう、タケシ。
司会者:一発足りないよ!
心霊研究家:(よろめきながら最後のアクション)タケシや、おじいちゃん、お腹がすいた。そうじゃ、バナナがええのう。
 司会者、舞台の袖へ消えて、バナナを一房持ってくる。
司会者:おじいちゃん、バナナ持ってきたよ。
心霊研究家:おお、そうかそうか。そういえば、タケシもバナナが好きじゃったのう。おまえ先に食え。
司会者:(持っているバナナの房から一本取って食べながら)おじいちゃん、おいしいよ。
心霊研究家:そうかそうか。
 バナナを食べるタケシを見ていた心霊研究家、突然、
心霊研究家:タケシじゃなーい。
司会者:(目を白黒させて)バナナを食べてるじゃないの!
心霊研究家:タケシは三本一緒に食いよったんじゃ。
司会者:(ふてくされて)わかったよ。食べりゃいいんでしょ!
 やけっぱちになって三本のバナナを無理矢理口につっこむ司会者。のどにつまって苦しがりながら、それでも食べる。
心霊研究家:うまいか?
司会者:(バナナをのどにつまらせ胸をとんとん叩きながら)うん。おいしいろ(言葉にならない)
心霊研究家:(急に元気になって)そうじゃ、思い出したぞ。
司会者:何を?
心霊研究家:ワシの孫のタケシは、こんな阿呆じゃなかった。
司会者:(ズッコけて)もうっ! じじい、早く成仏しろ。
感 想
 不明。
エピソード
 いくらアマチェアとはいえコンビ名がなかったのはこの二人だけでは? 紹介ナレーションでは「谷口・小田のヤング・コンビだ」とよく言われていました。
 このコンビはかなり期待されていたらしく、スポーツ新聞の芸能欄に、ギャグ・シンセサイザーや貴明&憲武とともに『期待の若手アマチェアコンビ』としてトップ記事で紹介されたこともありました。事実、他の2組はのちにグランプリを獲得しているので、このコンビもアクシデントさえなければ再チャレンジでグランプリ獲得できたかも…と今でも思います。
その後・現在
 小田が病気で退き、谷口と辻弘司(こちらも小学校からの親友)とでザ・KAWACHIに改名。
 ザ・KAWACHIの谷口(小田・谷口)も前説で新コンビ結成の挨拶をしましたが出ませんでした。
 ザ・KAWACHIの辻弘司さんは今、南河内の或る所でテニススクールの支配人をしてます(経営)。
 谷口、小田の両名とも、現在は会社員とのことです。
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名 前
Wコミック(1組目)
初出場
 1981年2月21日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 2週勝ち抜き。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 田口れんじ:本名田口錬治。1943年4月27日生。愛知県出身。
 相方は不明。千卓也か?
 田口れんじは、名古屋を皮切りに全国を渡り歩いた苦労人。
ネ タ
 不明。
感 想
 不明。
その後・現在
 3週目で落ちた後、営業の数がかなり減ったらしいです。
 田口れんじは相方を変え、井出りょうとのコンビで新たにお笑いスタ誕に登場。相方の方は不明。
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名 前
Wコミック(2組目)
初出場
 1982年7月17日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 7週勝ち抜き、銀賞獲得。
 第3回ゴールデンルーキー賞出場。
 サバイバルシリーズ第4位。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 田口れんじ:本名田口錬治。1943年4月27日生。愛知県出身。
 井手りょう:本名井出亮三。1958年7月29日生。長崎県出身。
 田口れんじは、名古屋を皮切りに全国を渡り歩いた苦労人。井出りょうは木下サーカス出身。
ネ タ
(多分1週目合格 No.123 1982年8月21日放送)

 新聞配達(田口)と見習い(井出)という設定。二人は親子。新聞に広告を入れる作業をテンポよく教える。
 開けて~、取って~、挟んで~、置く
という作業を延々と続けてたコント。
(多分2週目合格 No.124 1982年8月28日放送)

親子コント。
「気をつけ」の姿勢から

右手だけ前へならえ⇒そのまま右手を水平に⇒右手だけ前へならえ⇒気をつけ⇒左手だけ前へならえ⇒そのまま左手を水平に⇒左手だけ前へならえ⇒気をつけ⇒両手で前へならえ⇒両手を十字に広げる⇒両手で前へならえ⇒気をつけ⇒しゃがんで両手で前へならえ⇒しゃがんで両手で十字に広げる⇒しゃがんで両手で前へならえ⇒気をつけ⇒両手は腰に右へ移動⇒右足→左足→右足→左足で蹴る⇒両手は腰に左へ移動⇒左足→右足→左足→右足で蹴る⇒中央の位置に戻って両手をグルグル回して⇒⇒最後はポーズして決める

 これを笛の合図に従って延々とし続け だんだん動きが早くなっていくコント

  =====笛の合図=====
  ピー――ッ ピ          (気をつけ)
  ピッ・ピッ・ピッ・ピッ・・・・・・   (⇒ or →)
  ピー-ーーーーーーーーッ ピ (⇒⇒)
(3週目合格 No.125 1982年9月4日放送)
(サバイバルシリーズ1回戦 79点○ No.188 1983年11月26日放送)

田口:サーカスの団長 井出:犬のジョン

 名犬メリーが調教師に連れ去られたことで落ちぶれ、明日には解散してしまうサーカス団。そこへ現れた犬は、メリーの息子、ジョン。団長はジョンの芸を見る。
 まずは舞台に並んだ二つのパイプ椅子。ジョンは見事に飛び越え、放り投げたえさを口でキャッチ。しかし団長の頬ずりは嫌がって拒否。
 続いて団長は二つのパイプ椅子を自転車に見立て、空中でこぎながら敬礼をさせる。嫌がるジョンにムチをふるう団長。ようやくやり始めるが、敬礼をするときは足を下についたり椅子についたりするジョン。その後、空中漕ぎで敬礼を成功させ、さらにあん馬のように足を回転させ、さらに逆立ちして1回転ジャンプで着地する。
 片付けようとする団長に、ジョンは「お前もやれ」という意味の「ワン!」を繰り返す。最後の方は二人が入れ替わり、ジョンが口上をやり、団長が猿になってしまい、自転車敬礼の芸を披露。

 井出は最後を除いて「ワン」で通したが、コントとして面白かった。と同時に、成立したことに感心。最後は入れ替わりの面白さで爆笑。
(4週目?)
 伝統ネタである、ギャグメッセンジャースのインド大魔術団のネタをやりました。
(5週目合格 No.127 1982年9月18日放送)
(サバイバルシリーズ2回戦 ?点○ No.191 1983年12月17日放送)

田口:警官 井出:デートに行く若者

田口「(笛を吹きながら)ここは駐車禁止だよ」
井出「頼みますよ。30分でいいですから。これからデートなんですよ」
田口「そんなに駐車したいなら、注射してやる」
と、警棒を抜くと、なぜか注射器がついている。
田口「お前、免許取り立てだろ」
井出「そんなことないですよ。何でですか」
田口「(緑と黄色の縞の服を見ながら)ほら、若葉マークだ」
井出「いいじゃないですか。僕のファッションなんですから」
田口「(じろじろ見ながら)似てるなあ」
井出「誰に?」
田口「清」
井出、前川清の前をするが、
田口「違う違う、大久保清」
井出「はい?」
田口「お前、酒飲んでいるだろう」
井出「飲んでませんよ」
田口「だったら早口言葉ができるはずだ。生麦生米生卵」
井出「生麦生米ゆで卵」
田口「違う! では、次は、抜きにくい釘引きにくい釘、釘抜きで引く人」
井出、なかなか言えない。やり取りがあった後、次は「笑わば笑え、わらわは笑われるいわれはないわい」

 この後、一世を風靡した「l、2の3の4の2の5。3、1、4の2の4の2の5」(鉄道唱歌のメロディで)を指を動かしながら披露。両手バージョン、英語、中国語バージョンも披露。
田口「お前は酔っぱらっているな、車を持っていく」
といって持ってきた車はおもちゃの車。
(6週目合格 No.128 1982年9月25日放送)
(サバイバルシリーズ決勝 78点× No.193 1983年12月31日放送)

 朱色の柔道着姿の井出登場。でんぐり返しを決め、受け身を取る。

井出「押忍! 武道には、礼に始まり礼に終わるという言葉がございます。私が押忍と言いましたら、押忍と返してください。一つ、よろしく。押忍!(客席の子供たちから押忍!) (もう1回)押忍! (客席から押忍! この日は別会場らしく、客席に子供が多い) 有難うございました」

 舞台袖から師範の田口が木刀二本持って登場。

田口「お前か。今度、当道場に入門したいというのは」
井出「あの、○○神社の神主さんですか?」
田口「誰が神主だ!」
井出「違う?」
田口「師範、師範」
井出「ああっ」
田口「早速だがな、当道場には入門金というものがある」
井出「入門金?」
田口「当たり前じゃないか」
井出「そんな話、聞いてないですよ」
田口「(懐から袋を出しながら)集金、集金。おいで、おいで。お金持ってきた?」
井出「お金なんて……」
田口「集金するからさ。あの、まず入会金千円。早くちょうだい」
井出「ちょっと、何も聞いてませんよ」
田口「入ったら入会金、いるに決まってるじゃないの」
井出「わかりましたよ。(懐から財布を取り出すが、小銭が下に落ちてしまう)」
田口「馬鹿野郎。みっともないから、小銭なんて持ってくるんじゃないよ。こういうのはもらっておくけどさ。(と言いながら拾って袋に入れてしまう)」
井出「(笑いながら手を出し)ちょっと!」
田口「いいから早く出す!」
井出「千円ですか?(と札を出す)」
田口「千円、千円。(と受け取り、袋に入れる)それからね、さっきドタンとしたところ。壊れたんだよ。破損料五百円」
井出「どうして五百円」
田口「いいから払いなさい!」
井出「なんで……」
田口「それからさ、夜間に練習するでしょ」
井出「しますよ」
田口「電気代千円」
井出「電気代……」
田口「水も飲むだろうから、水道代千円。合計二千円」
井出「二千円、ちょっと待って」
田口「それからなんやーかんやーで五百円」
井出「(お金を渡して)それより、先生の特技、抜刀術を見せてくださいよ」
田口「だめだよ」
井出「えっ?」
田口「剣道の心を知らないやつに、教えるわけにはいかん」
井出「お願いしますよ」
田口「よーし、わかった。まずは剣道をしよう。剣道、初めてだな?」
井出「初めてです」
田口「それではまず、剣道の基本から始めよう。竹刀を取れ」
井出「はい(と竹刀を拾う)」
田口「まず、きそん」
井出「きそん?」
田口「基本。お前、耳も悪いのか」
井出「いや、先生、きそんって言ったでしょ」
田口「いちいち追及することじゃないんだ、馬鹿者が(と叩く)」
井出「本当に間違えたんでしょ(笑)」
田口「うるさい(苦笑)。(刀を抜きながら)剣道には色々な構え方がある。まずはまっすぐ構える」
井出「はい」
田口「これが中段」
井出「中段」
田口「これが下段」
井出「下段」
田口「上が上段」
井出「上段」
田口「剣先を斜めにスーと持ってくる(刀を右に回す)」
井出「(師範の真似をして竹刀を右に回すと、師範の頭に竹刀が当たってしまう)」
田口「あのー、物事はね、おさらいが大事だから、もう一回やろう(と竹刀を奪い取り、刀を渡す)。こっちいらっしゃい」
井出「えっ? こっち来るんですか」
田口「こっち来なさい(と、井出を自分の右に立たせる)。いくぞ。下段、中段、上段」
井出「(一緒に真似をする)」
田口「剣先をスー(右に回す)」
井出「(しゃがみ込んでかわす)」
田口「ばーん(と剣先を元に戻す)」
井出「(立ち上がろうとして、竹刀で頭を叩かれる)」
井出「もう辞めます。お金、返してください」
田口「もらったもんは返せないよ。その代わり、極意を見せよう、当道場の」
井出「本当ですか」
田口「抜刀術を決めよう」
井出「ぜひお願いします」
田口「この術は、精神統一が必要だ。そこを動くな、わかったな」
井出「(離れたところで)わかりました」
田口「(叫びながら、スパッと刀を抜き、その場を回転しながら刀を鞘に入れる)実に鮮やか」
井出「素晴らしい!(と拍手)」
田口「(布を取り出しながら)これで手を固く結ぶ。自分で結ぶと緩く結んでるじゃないかと言われそうだから、自分で結ぶわな」
井出「結局自分で結ぶんですね」
田口「もうどんどんどんどん行く。これを口にくわえる(右手を結んだ布を、口にくわえる)。取れないでしょ」
田口「(右手で刀を抜こうとするが、口で布を加えているので、刀を半分抜いたところで右手が伸ばせなくなる。それを二回繰り返した後、右手で刀を抜いてしまう」
井出「うわー(と拍手)。素晴らしい!(審査員たちはネタがわかっていて、思わず笑ってしまう)」
田口「今度はね、両腕を結んでこの長い刀を抜く」
井出「両手を!」
田口「これは極秘だぞ」
井出「僕が結びましょう」
田口「お前に伝授しよう。おい、何をしてるんだ」
井出「(布で両手を固く、何重にも縛る)」
田口「おいおい、そんなに固く縛るなよ。緩く縛れよ」
井出「(床に置いてあった刀を渡す)」
田口「精神統一だよ。行くぞ(抜こうとするが、両手首を縛られているので、当然抜くことができない。思わず泣きだしながら、うつむいてしまう)」
井出「何かあったんですか、先生」
田口「(泣き続ける。しかし叫びながら回転すると、刀が抜けている)」
井出「素晴らしい。元に戻せるんですか?」
田口「一瞬だ、見逃すな」
井出「わかりました」
田口「(泣き叫びながら回転し、刀を鞘に入れる。そして刀を床に置く。ただし客席からネタはばれているので、笑いが起きる)。これをもって当道場の抜刀術を……」
井出「(刀を拾い、抜こうとした後)なーんだ」
田口「おい、ほどけ」
井出「(刀が入った鞘を裏返しながら)こんななってるのか」
田口「(思わず突き飛ばす)」
(7週目合格 No.129 1982年10月2日放送)

 テレビのAD:田口
 半白髪でひげを生やした国会議員:井出

 時事放談に来たはずだが、依頼されたのはCM。断ろうとする議員だが、政治献金1億4000万円という言葉に惑わされ、CM出演を受ける。
 椅子に座り、テーブルに出てきたのは瓶の「コケコーラ」。炭酸は嫌いだ、甘いのは嫌いだ、と文句を言うも、政治献金をちらつかされる。
 瓶1本のコケコーラを飲みきった後、「では、本番開始です」でずっこける井出。
 さらにもう1本飲み干し、「スカッと爽やか、コケコーラ!」と言うが、田口はインカムでプロデューサに「笑いがない!」と言われて失敗。田原俊彦のように笑ってほしいという言われて帰ろうとするも、政治献金をちらつかされて真似を始めて、田口に褒められる。
 3本目の瓶が出てきて、本番スタート。見事飲み干し、立ち上がってテーブルの前に出て、いったん躊躇するも田原俊彦の真似のように笑い、「スカッと爽やか、コケコーラ!」と振り付で決める。ところが田口がプロデューサに聞くと、「はい、はい、軽薄でしょ」と言われて井出がっくり。
 しかも田口「えっ、曲芸? 先生に曲芸やれなんて言えないでしょう、いくら何でも」と言うや否や、井出はテニスラケットを顔の上に立てたり、右手と左手で投げて往復させるなどの芸を披露。やっぱダメでしょうねえと田口がインカムでプロデューサと話していると、井出はさらに棒くぐりの芸を披露。プロデューサからみごとOKが出る。
田口「では1本飲んでいただき、これらの芸をやっていただき、最後にスカッと爽やかコケコーラと言っていただきます」
井出「1億4000万円だよね」
田口「そうです。はい、本番です」
と取り出したのは、ホームサイズの1.5リットル瓶。瓶を見て目が点になる井出。
田口「先生、先生、どうしたんですか? グッとやってください」
井出「あの、明日じゃダメかな」
田口「国会あるからまずいでしょ。さあ、本番です。5,4,3,2,1、キュー!」
 井出、コケコーラを飲み始める。ところが飲んでいる途中で、プロデューサから連絡。
田口「はい、はい、はい、何。政治家はコマーシャルに出られない」
 思わず口からコーラを吹き出す井出。
田口「ははあ、もっと早く言ってくれれば。今になってわかったんですか。えっ、私が言うんですか。(井出の方を見て)先生、涙ぐんでますよ」
田口「えーっ、今言ったように政治家はコマーシャルに出られないんですよ。代わりと言ってはなんですが、奇人変人に出てみませんか」
井出「いい加減にしろ」
 (8週目不合格 No.130 1982年10月9日放送)

 指揮者(田口)とテノール(井出)のコント。指揮を始めると、テノールがしゃっくりをしてしまう。色々なことをやって治るが、今度は指揮者がしゃっくりをしてしまう。さらにしゃっくりが治ったかと思えば、今度はくしゃみをする始末。台詞はごく僅か、残りはパントマイムで勝負した。試みはよかったが、客が戸惑い今ひとつ。
 Wコミックのコンダクターは葉山じゅんぺいというコメディアンのネタをモチーフにしてました。
エピソード
(井手りょうさん)
 7、8週の収録が同時で、7週目の「コケコーラネタ」がものすごい受けて、8週目の「コンダクターネタ」で舞い上がっちゃって、相方と間もズレるし、タイミングは合わないし……と、未だくやしいと言った表情でした。
 たしかにコケコーラねたは受けていましたが、赤尾PDがスポンサークレームをおそれてか、その後禁じネタになったと田口れんじさんに聞きました。第1回のサバイバル決勝でも抜刀術ではなくてこっちをやりたかったとのこと。コケコーラだとキモサベには勝ってたかも。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ(第4回かも)にエントリーされており、前夜祭まで出ていたが、腰痛で辞退。代打出場はでんでん
 今の相方、北しんじとは長続きしてますが、それまで15人くらい相方を変えてました。とんぼと三吉のとんぼさん、東京バッテリー工場の原みつおさん、おこさまランチのひろしも相方だったことがあります。一度、南部さんをれんじさんに紹介したら、Wコミックに入れられそうになったと言ってました。朝の番組にレギュラーで出てたときの相方山本けんじ(1986年、太田プロ所属時)は脱退後、私の紹介で一時電撃にいました。
歴代相方:初代・東とんぼ 二代目・加藤おそ松 三代目・東とんぼ 四代目・土佐一太 五代目・淡九太 六代目・原みつお 七代目・脇光男 八代目・? 九代目・千卓也 十代目・井手亮 十一代目・山本けんじ 十二代目・せんなり 十三代目・松田ひろし 十四代目・北しんじ 十五代目・おぎの信号
(おぎの信号のブログより)
 東とんぼと最初にWコミックを結成したのは、1970年。田口れんじが借金などで所属事務所と対立し、なし崩し的に解散したとのこと。
感 想
 やっぱり、「l、2の3の4の2の5…」ですね。これの印象が強すぎますが、達者なコンビだと思います。
その後・現在
 井出りょうは喜劇俳優を目指すため、1986年にWコミックを辞め、「スリル&チャンス」に参加する。
 井出りょうはしばらく小桜京子劇団にいました。
 現在はフリーで活動。「矢沢永吉なりきりステージ」などのものまねや俳優として活躍。2007年頃、井出亮王(読みはそのまま)と改名した。現在(2015年ごろ)は亮王(りょうおう)名義で活動。映画「道しるべ」などに出演。お笑い浅草二十一世紀の舞台にも出ている。
 Wコミックは別の相方の時に、ヨネザワの「プラステン」というゲームのCMにでていました。「1、2の3の、、、」もCMの中で披露してました。
 1992年からは、田口れんじと北しんじのコンビになり、吉本興業所属になる(吉本所属は1990年頃?)。現在も舞台、テレビ等で活躍中。→2001年3月からは、田口れんじとおぎの信号のコンビになりました。
 田口れんじは2010年頃より体調を崩して入退院を繰り返し、コンビを解散しないまま芸能活動を休止。相方のおぎの信号はピン活動を続けた後、2012年12月よりよね皮ホホ骨と「くるくるコミック」を結成した。
 2013年10月11日午後6時45分、肺炎のため、入院先である吹田市の病院で死亡した。70歳没。
 ヒロ吉田さんのXによると、亮王(井出りょう)は2024年3月に亡くなったとのことです。
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名 前
Wさくらんぼ
初出場
 1980年5月24日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 4週勝ち抜き、銅賞獲得。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 ミーコ:本名:鈴木峰子。1959年2月17日生まれ。
 ナオコ:本名:内木場尚子。1957年生まれ。
 松竹芸能養成所出身。漫才コースにいたナオコがプロデューサーの目にとまり相方を捜していたところ、女優コースにいたミーコとコンビを結成して1978年デビュー。当時ナオコは銀行員、ミーコはOLだったため、師匠はいない。
ネ タ
 松田聖子の干物というギャグしか覚えていない。
 ミーコの将来の夢は歌手。ナオコが歌ってみろということで、「おもいで酒」を歌うが、「暗い!」のだめ押し。今はこう歌うんや「む~りして、スットコドッコイ、のんじゃ、アラドッコイ、いけないと、ドッコイ」。
感 想
 一応、春やすこ・けいこのライバルと目されていたらしい。
受賞歴
 1979年 第14回上方漫才大賞新人奨励賞受賞
その他
 客席に向かって「うちら漫才で勝負してるから脱がへん」と啖呵切ったのはナオコ。
 舞台は大阪・新世界の新花月です。NHKのドキュメントで放送されましたね。
 Wさくらんぼは松竹です。
 Wさくはたしかにやすけいのライバルでしたが、差がつくのも早かった。
 で、その「脱ぐ脱がない」っていうのはやすけいの件とは関係なく、彼女らがのっていた今はなき「新世界花月」でのこと。
 私も行ったことありますが、ここの客のガラの悪さはひどく、ジャンジャン横丁で昼酒のんだ赤ら顔のおっさんばかり。。。
 NHKでやっていたのは酔ったおじさんが「オイコラ、そんなしょうもない漫才せんと裸にでもなれや」というヤジに舞台で応戦してたナオコのこと。
 Wコミでいう、ねえ脱ぐの脱がないのみんな脱ぐのにねえナニヨ!でした。
その後・現在
 春やすこ・けいこ、ミヤ蝶美・蝶子、ミヤ蝶代・花代、Wさくらんぼ、この4組の面々で1980年ころ、「ギャルズクラブ」と称して、当時なんばCITYにあった小ホールで定期的に公演を行なっておりました。後にやすこけいこさんが大変忙しくなった為でしょうか、参加されなくなり、残りの3組プラス「じゃんけんぽん」の柴洋子さんを加えた7人で、漫才ありコントありといった感じのライブを1981年半ばまで行なっておりましたね。お笑いスタ誕の影響もあって、蝶美・蝶子さんが大変な人気だったような記憶があります。
 ミヤ蝶代さん(後の町野あかりさん)のギャグ「うとうとーとしてた」もここでは浸透してたような気が……。

 ギャルズクラブ、下北沢でもライブやったんですよ。スーパーマーケットというライブハウスで。
 やすけいはGOROでヌード披露したばかりで大人気。2曲をうたってさっさと帰りました。あとは6人でコントやったりトークやったり。仕切りは蝶美でした。ちなみにゲストがブレイク前のコサキン。当時同じ場所でミッドナイトコントをやってた関係からだったんでしょうね。
 ミーコは解散後、演劇女優になったはず。
 ナオコはコンビ替えして音曲漫才してましたが。。。
 ミーコの方は全くわかりませんが、ナオコは若井こづえ・みどり門下になったと思います。何年か前のオールザッツ漫才に若井なんとか(名前忘れました)で見たことない人と漫才やってました。
 コンビ解散後、ナオコは音大卒のミキと「ナオコ&ミキ」を結成(ミキはキーボードを弾いていましたから、「音曲漫才」と言えば確かにそう言えますが……)。ところがミキは松竹芸能営業担当の大捕一久と結婚(森脇健児はよく、大捕一久のことを「商品に手を出した」とテレビでネタにしていた)。その後ナオコは吉本へ……。
 「エンジェル」というなんとも乙女チックな名前のコンビは実は、元「歌メリ・マリ」のマリと、吉本へ移籍した元「Wさくらんぼ」のナオコ(わかりやすく言うと「歯ぐき」の方)が結成したコンビ(1991年10月結成)。
 Wさくらんぼのナオコさん、数年前にお亡くなりになったそうです(2007年の情報)。
 ミーコは2009年現在生命保険会社の営業職。成績はトップクラス(一度は全国1位に輝いたらしい)とのこと。また本名やミーコの芸名で、アナウンスや司会などの活動をしている。
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名 前
田村真一郎
初出場
 1986年4月19日(第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 ギター漫談。
プロフィール
 本名同じ。1965年生。千葉県出身。
 アマチュア挑戦。出演時は大学3年生。
ネ タ
第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦 88点○ No.309 1986年5月10日放送)

「夢見る想像妊娠」。自衛隊駐屯地で出会った男への歌。
「ダバダバダバダバ、ダバダバダバダバ、夢見る想像妊娠、あなたの子供がほしい、夢見る想像妊娠、ください母子手帳」
 ホモの純愛ネタです。山田康夫さんも大笑いしていた。
第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦 91点○ No.312 1986年5月31日放送)

「恋する日教組」。
「ロリコンだけど不自由していない、僕は小学校の先生。恋する日教組、一目惚れだぜランドセル、恋する日教組、癖になりそな家庭訪問」
第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝 87点× No.316 1986年6月28日放送)

「私はお父さん」

(唄)
ダッバーダバーダバーダバー
ダッバーダバーダバーダバー
(モノローグ)
私が家庭に入ってからというもの、タカシ君は口をきいてくれません。そればかりか、避けてばかりいるんです。
忘れられないんですね。先月亡くなったお母さんのことが。
でもそれは、仕方ないこと。
(唄)
なりたい。なれない。あなたのママに。
なりたい。なれない。ホントのママに。
いくらがんばっても君の母は越えられない。
どうせ私はお父さん。良妻賢母、柄じゃない。
どうせ私はお父さん。ゴミから生まれた、ゴミ太郎。
(モノローグ)
そうです、私はお父さんだったんです。ところが、突然妻に先立たれ、息子のタカシ君と二人きり。
そんな嵐の、ある日の晩。雷に打たれ、目覚めたんです。タカシ君の、お母さんになろう。
初めての、内股歩き。
(唄)
よそんちのお母さんと比べたら
確かに、美人じゃないかもしれない。
だけど負けないものがある。
力比べと、毛深さだけは。
咽喉仏にある母性本能。頑張れ私の口内炎。
咽喉仏にある母性本能。あ~あ、ああ~ん、よがるぜ扁桃腺。

寝る前に本読んであげる。
だけどあなたは聞いてくれないから
ベッドに鎖で縛りつけて
耳に集中できるよう、目鼻口ガムテープで止める。
胸毛に宿る母性本能。もじゃもじゃもじゃもじゃもんじゃ焼き。
胸毛に宿る母性本能。ボー、ボーンボンボンボン、よがるぜあばら骨。

母さんが夜なべをして、朝寝坊した。

ダッバーダバーダバーダバー

母の日、楽しみにしてたカーネーション。
あなたくれたのは、菊の花。
(絶叫)
タカシ~、殺したるで~
私としたことが~
(唄)
いけない男性ホルモン みだらな男性ホルモン。
スカッとさわやか女性ホルモンモンモンモンモン。ウェ~イ。
どうせ私はお父さん。良妻賢母、柄じゃない。
どうせ私はお父さん。不治の病のパンチンチパーマ。

 残念ながら敗退したものの、「マイペースでよかった」「客に媚びない。将来が楽しみ」と好評。
第4回紅白大合戦 80点 No.325 1986年9月6日放送)

「ここは千葉県習志野刑務所」
 囚人ホモのネタをやって、審査員に「言語道断!」とマジギレされていた記憶があります。
第4回紅白大合戦 88点 No.327 1986年9月20日放送)
「無縁仏の僕の墓に花を供えてくれた彼女、もう無我夢中で取り憑きました」「誰に憑くんだ地縛霊♪」というネタをやっていました。
エピソード
 オーディション時は「うろちいんしらむた」という名前でしたが、PDに改名されました。
 田村真一郎と言えば…、唄子師匠に「(あなたの芸は)言語道断です」とか叱られて、紅白戦で「唄子師匠、怒らないで下さい」とか言語道断コールでカプセルから出て来たりとネタにされてましたが、何を言われたんでしょうか?
感 想
 ギャグの盛り込み方が、少ない気がする。審査員にも笑いが少ないと言われていた。
その後・現在
 卒業後、一般企業に就職するも、元気いいぞうと改名してデビュー。ライブ等で活躍。テレビにもレポーター等で出ていたが、そちらでは今ひとつ。
 1990年、NHK『ザ・オーディション』で優勝するも仕事が来ず(たぶん、法送禁止用語ギリギリの言葉を叫んでとの問いに、「非国民」と叫んだのが原因らしい)。その後、劇団大恐慌の正狩炎と組んで『ガロ』(唐沢商会の怪情報、94年)に出たりとマイナー化。
 現在は日本ユーモア歌手協会(通称:NHK)を大阪のブルースシンガー・小林万里子とともに結成。現在も東京、大阪などで元気にライブ活動中。
 ホームページ「げんきいいぞう!いいぞう!オフィシャルHP」があります。
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名 前
たんごしん
初出場
 1980年12月6日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週勝ち抜き。
ジャンル
 白のツナギに栃木訛りの農村風漫談。
プロフィール
 1967年、栃木より上京。デン助劇団付きの脚本家青砥四郎の弟子となる。舞台端役を経て浅草東洋劇場でお笑いの世界にはいる。
ネ タ
 ネタは駄洒落ばかり。
「さなぎとかたつむりが相撲をとって、負けたかたつむりは勝ったつもり」
「勝ったさなぎはもっと偉くなって町長になる」(お笑いスター誕生)
 『テレビ演芸』の頃になると、ポケットジョークのようなネタをやるようになった。貧乏な頃の手袋の話は、実話と思わせる出来だが他がちょっと……。「ブタがテニスをやっていてびっくりした。わけを尋ねたら……」「隣の家でブタが二匹テニスやってんだ。ブタにテニスを仕込むのは大変ですよ。びっくりして隣の旦那にきいたら……」「ブタじゃねえ、おらんちの嫁と娘だ」「おこられちゃった」
 手袋も買えないほど貧乏な時代の話(『テレビ演芸』ゲスト時に)
「ばあちゃんと二人で冬道を歩いていたら、手袋が落ちていたの。思わず拾おうとすると『ばしっ』てばあちゃんがはたいて『いくら貧乏だからって、心まで貧しくすんな、一生懸命生きていこう』って」
「しばらくすると、また手袋が落ちていたの。するとばあちゃんが『おい、さっきの手袋拾ってきな』」

「乳搾りしてるおじさんに時間を聞いたら、ひょいと持ち上げて牛の乳を見るんだよね。それで二時だって」
「また、乳搾りのおじさんに時間を聞いたら、ひょいって牛の乳見てから時間を当てるんだよね」
「あんまり不思議なんで、『おじさん、よく牛の乳で時間わかるね?』てきいたら」
「『牛の乳じゃねぇ。向こうにある時計塔を見てんだ』だって」

 漫談が終わってからの挨拶
「皆様と楽しく過ごして来ましたが、もうお別れの時間となりました。それでは皆さんさようなら……。帰ろう」
 この寂しそうな「帰ろう」で笑いを取っていた。
エピソード
(『ザ・テレビ演芸』対戦相手)
 2週目聖モカと対戦。モカさんのネタの人選がオーソドックスすぎたのと、モノマネされた人物がいかにもその人が言いそうな事を言っていないという理由で(有名タレントがPTAでお弁当か給食かを論じる)たんごしんが『お笑いスター誕生!!』で使用していたネタのまま合格。
感 想
 初めて聞いた時は、あんまりなんで思わず笑ってしまった。んあー。この人ネタをもっと何とかしたら売れたと思う。ふらはいいんだからさ。
その後・現在
 テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の新人勝ち抜きコーナーで、3週勝ち抜きチャンピオンに。審査員の評も比較的良く。対戦相手も1週目という幸運も手伝ってストレート勝ち。
 タキシードに長靴というスタイルで農村漫談を続けていた。他にテレビ番組などで司会も。東京演芸協会協会員。
 たんごしんさんは2007年7月26日?にお亡くなりになったそうです(好田タクトさんの掲示板より)。
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