ぽぱい | |
1981年3月21日(第1期グランプリシリーズ) | |
1週勝ち抜き。 | |
漫才。 | |
木田Q太:本名上兼章裕。1951年?生まれ。長野県出身。 トニー茂木:詳細不明。当時は「みのり」という名前だった? 木田Q太は高校卒業後、歌手を目指して上京。しかしレッスンを受けたいずみたくに歌手に向いていないと言われて断念し、漫才師の木田鶴夫・亀夫の内弟子となる。後に漫才コンビ木田P太・Q太でデビューするも解散。その後は営業司会を行っていた。 1975年結成(1980年説もあり)。雑誌の「ポパイ」から取った名前……でもどっちにしても漫画の「ポパイ」には変わりない。『THE MANZAI』PART2に出演している「ぽぱい」と同じコンビ。 1980年2月29日の第28回漫才コンクールでは、「百獣の王人間」という漫才を披露している。 | |
ジュリーの新曲ネタで、「今度の新曲はジャリだ」「♪Ohジャリジャリジャリ~」(「Oh!ギャル」のふしで)と歌っていました。 (ジュリーネタのオチ) 「♪ジャリ~ジャリ~、俺のジャリ~、俺のジャリ~を見ておくれ」 「♪双子のネェちゃん産んだ子だっ!」 「いいかげんにしろっ」 言わずもがなですが、当時ジュリーの奥さんはザ・ピーナッツのお姉さんの方でした。 | |
「ぽぱい」の漫才の一部 「電車降りたら、白い鉢巻とロウソクを持った40~50人が徒党を組んで 俺たち見つけて「か~えれ、か~えれ」」 ……というネタをやっていた。 「ぽぱい」ってツカミが漫才だったような気がするんだけれど…… | |
不明。 | |
1984年にコンビ解散。 木田Q太はイベント司会、舞台、台本構成など幅広く活動。黒沢明とロス・プリモスや松村和子の専属司会だった。2017年、演歌歌手の奈良海津子から依頼され、『ひとりヨコハマ』、『恋・三味線』で作詞家としてメジャーデビュー。2016年1月、自ら作詞した『ひとり安曇野』を発売。 トニー茂木もピンで活動中らしい。 |
ポッキーX布 | |
1981年5月23日(第1期グランプリシリーズ) | |
6週勝ち抜き、銀賞獲得。 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。 | |
落語。 | |
本名広瀬幹。1960年生。兵庫県出身。 アマチュア挑戦。当時大阪経済大学生で、大学4年の最後の思い出として出場。掛布の真似をよくしていた。 | |
(2週目合格 No.60 1981年5月30日放送) 登場して座布団に座り、阪神タイガースの帽子を外し、髪をセットして一言。「可愛い?」 先週1週目勝ち抜いて、家に帰って早速プロ宣言しましたら、方々から石が飛んできました。 今日は相撲の話を聞いてもらいます。 小さな関取がいたので、聞いてみると、今まで大阪の方で場所に出ていたとのこと。聞いてみたら、「勝ったり負けたり」。1番1番聞いてみると、なんだかんだ言って結局全部負け。最後はウェスタンラリアートだの、卍固めだの、滅茶苦茶。 「あんた、よく聞いたら全部負けているんじゃないか。勝ったり負けたりじゃなかったんか?」 「いや、相手が勝ったり、こっちが負けたり」 「ほな、勝った話はないのか」 「勝った話は、相手がしております」 | |
(4週目合格 No.62 1981年6月13日放送) 上方落語『宿替え』を少しアレンジ。 「この話はだいたい15分から20分くらいの長い話でしてね、これを5、6分でやるというのが無理な話なんでね、わからんところがたくさんあると思うんでね、あらかじめ粗筋を言っておきますとね。ある夫婦が引越をします。ま、それだけの話なんでね」 途中で「ていっ」と同時挑戦中だったミヤ蝶美・蝶子のネタを使う。 意欲は買うが今ひとつという評もあったが、桂米丸は「あらかじめ粗筋云々という最初のところは私たちでも使いたいぐらいいい手だった」と褒めていた。 | |
(5週目不合格 No.63 1981年6月20日放送) 「嘘つき弥次郎」の話のアレンジ。嘘つき少年の話から、嘘ばかりついてせんみつと町内から呼ばれている友人が北海道へ行った話。 北海道は寒くて水道が凍るばかりか、改札出たら全部凍っている。道路全体がスケート場みたいになっている。それどころか、人まで凍っている。だからほとんどの人は動いてばかりいるが、改札の駅員は動いたらいけないから、改札で凍っている。しかし手のところだけ改札鋏を動かしている。だからお客は切符を鋏のところまで持っていかなければならない。 ディスコはいつも動く場所だけれど、北海道の人はいつも動いてばかりいるから、ディスコに行く人は暖炉をはさんでじっとしている。 足寄町へ行ってきた。松山千春の故郷だからみんな行くけれど、あそこは田舎。田舎も田舎。車と名のつく物がない。肩車すらない。みんなイノシシに乗っている。学校へ通う先生もみんなイノシシに乗っている。だから日産ブルーイノシシとか、いろんなイノシシが並んでいる。校長はえらいから、ハンドルが左。生徒は当然イノシシ禁止だが、突っ張っている奴はイノシシにリーゼントを掛けて、ボンタンを履かせている。 声が小さい。息継ぎが悪く、聞きづらいと言われて不合格。 | |
ファニーズ(初代)が勝ち抜き中に6週目に再チャレンジしていました。ファニーズ(初代)の十八番のセリフ「私達は、、、です!」をパクって出て来て座った途端に「私達は落語家です」と言って、客席が無反応だったので、「失礼しました」と言って頭をさげたらやっと笑いが……。 5週目のときに前にやってたムッシュ田村の「これ大阪弁」というギャグを後でパクってやったのがうけて、米丸さんにも誉められたので、6週目でもつかみでやったというわけです。 | |
(6週目再挑戦合格 No.125 1982年9月4日放送) 『ポッキーの常識に明日はない』 「顔でも洗おうか。蛇口をひねって……。オレンジジュースや」結局夢で、目覚めた後「さあ、味噌汁で顔でも洗って」というのがオチ。 | |
(7週目不合格 No.126 1982年9月11日放送) SF落語『タイムマシン』 「私が発明者の栄華源です」「えいかげんな名前やな」 | |
最初の頃は浮礼家(うかれや)X布(かけふ)という名前でした。 回転扉に入っているとき、何週という数字が書かれた紙が首に掛かっているのですが、彼はかならず口にくわえていました。 登場時、幕が開くと、必ず掛布のバッティングポーズをしていました。 オープントーナメントサバイバルシリーズ出場時には、ポッキー掛布と改名していました。 | |
「大学は落ちることがないんですか?」と中尾ミエが聞いたら、「ええ、誰でもストレートであがれますから」。 | |
『クイズダービー』で、「浮礼家X布」とはどう読むでしょう、というクイズが出された。 | |
熱演していることはわかるのだが、やはり受けが少なかった。 | |
NHK教育『YOU』。なんかのゲストで。特集タレント志望だったかな。掛布のモノマネをしていました。 | |
ポッキーと改名。ケーエープロダクション所属。でしたが、既に引退。 2005年まで続いた『週刊トラトラタイガース』にはポッキー掛布名義で出演していました。関西の某企業のCMに出演していたらしい。 | |
ブログ「大阪プロレス会長"阪上雄司 ~なにわの繁盛請負人~」の2008年4月1日になんと、ポッキー掛布の現在が書かれていました。現在は、阪上社長のチェーン店の店長をやっているとのこと。他にも昔、坂東英二の付き人をやっていたことも書かれていました。 |
ポップコーン | |
1983年1月15日(第3期グランプリシリーズ) | |
ストレートで9週勝ち抜き、金賞獲得。 サバイバルシリーズ2回戦進出。 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。 | |
漫才。 | |
正一:本名木下正一。 正二:本名木下正二。 双子の兄弟。1959年1月1日生。大阪府出身。 | |
SFネタの漫才で、人口爆発で国民は総立ちになり。出産のたびに一人ずつ詰めてくるという発想が面白かった。「東京から小田原。小田原から熱海」と人の波が来て、一人、がけから落ちる。 | |
「営業で地方行ったらその土地の子が『サインしてけろ。さいんしてけろ』いうから、サインして蹴ったがなー」 | |
「いいですか、僕がアニキで」 「僕が弟ですよ」 (ふたりでグルグルと回って) 「さて、どちらがアニキでしょう?」 「いいですか、もう一度よく見てくださいよ」 (もう一度グルグルと回って) 「さて、何回回ったでしょう?」 その名前の通りはじけた漫才でしたね。浪商の野球部出身でしたっけ? | |
「誰のおかげで兄貴やっていけるねん。俺のおかげじゃないか。俺がいなかったらどうや。ただの一人っ子じゃないか。」 | |
(10週目不合格 No.152 1983年3月19日放送) 10週目初チャレンジのネタ。母親の腹の中で「お前は誰だ」「俺達は双子か」といったコントを繰り広げたが、やはり本業の漫才でなかった分、面白くなかった。予想通り、グランプリならず。 | |
(10週目再挑戦不合格 No.162 1983年5月28日放送) 正二「久しぶり、久しぶり、久しぶりです」 正一「(飛んできた紙テープを見ながら)うぉーい」 正二「ま、久しぶりの双子で」 正一「やぁやぁやぁ」 正二「山野ホールのお客さんも、よっ、双子やないかい、ってことでね」 正一「まあまあまあ」 正二「ま、考えてみたら、僕ら双子というのはみんなわかっているんです」 正一「そうですよね」 正二「じゃあ聞きますけど目、こっちとこっち、どっちが双子かわかります?」 正一「(突き飛ばしながら)やかましい。兄貴を聞かんか」 正二「誰に聞く?」 正一「皆さんに兄貴を聞くんでしょ」 正二「わかるわけないやろ、そんなもん」 正一「いや、みんなわかるでしょ」 正二「俺らでもそうやろ。朝パッと起きた時に、あー、俺どっちやったかいな」 正一「嘘つけ、この野郎」 正二「ないか、そういうこと」 正一「ないわ。俺が兄貴やないか」 正二「まあ、だいたいこんな感じで僕たち、双子の漫才いろいろやりましたけれども」 正一「まあまあねえ、色々やった」 正二「僕ら双子でさえ、びっくりすることあるねん」 正一「ねんや」 正二「双子ってね、魂乗り移るらしいんですよ」 正一「魂?」 正二「たとえばな、双子が二人おって、一人が亡くなった場合な、こっちに魂が乗り移ってこっちが休憩するらしいぞ」 正一「わからんがな」 正二「あほ、巨人のワンちゃん、そうやがな」 正一「王選手?」 正二「双子やったんや。一人が亡くなって、そのままワンちゃんに乗り移って、世界の王にまでなったんや」 正一「だから、どういうことやねん」 正二「だからな、双子の場合はな、一人が亡くなればいいんよ(とにやつきながら幽霊っぽい仕草で正一の方を見る)」 正一「やかましいわ。(正二の両手を見て)これはなんや、これは」 正二「友達の輪!」 正一「やかましいわ」 正二「まあ、考えてみい。双子なんていくらでもおるんや」 正一「いっぱいいますわね」 正二「日本全国、いくらでもおるのに、双子ってだけでなんぼのものやないんや」 正一「そりゃそうだな」 正二「たとえばだな、世界中に俺らだけしか双子がいないって状況になってみい。それだけで珍しいことになるぞ」 正一「一組だけ?」 正二「うちら立ってるだけでいいねん」 正一「ほう」 正二「うちら、双子でおまんねん~。そうすりゃお客さんも、お、双子だ、珍しい、珍しい、ってなるんや」 正一「ま、なるわな」 正二「なるわけよ、ホンマの話」 正一「うん」 正二「だからな、いくらでも双子がおる中で、よその双子に負けない何かをもっとかなければあかん」 正一「よその双子に負けんように」 正二「当たり前やがな。何かそういう特技を持っとかなきゃあかん。兄貴、ここでばっしと見せなあかん、こういうときしか兄貴出る幕ないやろ」 正一「何言ってるんや」 正二「なんかないんか?」 正一「しかしなあ」 正二「例えば朝起きたら兄貴から猪木に変わったとか」 正一「猪木、ってアホか」 正二「ないか?」 正一「変われるわけないやないか」 正二「そういう何かがないか、って言ってるわけや」 正一「あっ、テレパシーあるがな」 正二「テレパシー?」 正一「そう」 正二「要するに、お前の考えていることが俺にわかって、俺の考えてることがお前にわかる」 正一「そう」 正二「できるか(と頭を叩く)」 正一「えっ?」 正二「できるかい、そんなことが」 正一「できるがな」 正二「ほな、今お前、俺が何考えてるかわかるか?」 正一「当たり前でしょ。双子だもん。糸電話、糸電話」 正二「そしたらお前、今俺が何考えているか、わかってんの?」 正一「当たり前や」 正二「なら、全国の皆さんに、マイク通して言ってみんか」 正一「えっ?」 正二「(絡みながら)えっやないやろ。わかるんだろ、考えてること。マイク通じて言ってんか」 正一「お前、酔ってんのか。酒持ってきたんとちゃうか」 正二「行けるんやろ。ゆうてくれよ、ゆうてくれよ」 正一「こんなん、テレビで言っていいの?」 正二「こら。俺はいつも何を考えてんの」 正一「えっ?」 正二「俺はいつも不純なことを考えてんのか」 正一「お前、何考えてんの」 正二「テレビで言えるか」 正一「(頭叩きながら)そうやろ。ピッタリやないか」 正二「ピッタリか」 正一「おうとるやないか」 正二「まあまあ、しかし考えてみたらね。色々あるけれども、親に感謝せなあかん」 正一「そりゃそうやね」 正二「だいたい今ね、一つの家庭で一人の子供を育てるのに大変な苦労があるわけや」 正一「確かに難しいからね、今は」 正二「うちの親は双子を育てたんよ、双子を」 正一「二人やがな、二人」 正二「お前、年幾つ。もう24になったやろ」 正一「おれ、24」 正二「俺も24や」 正一「そりゃそうやがな」 正二「ようするにうちの親、二人育てるのに48年かかってるんや」 正一「(頭叩きながら)どんな計算してるんや。何か難しい因数分解しとるんちゃうか」 正二「まあまあ、とにかく色々苦労がかかってるわけや」 正一「確かにな」 正二「今、一つの家庭で積木くずしが流行っとるわけや」 正一「積木くずし色々ありましたね、色々と」 正二「女の子が夜遅く帰ってきたら、おかんがぴいぴい言うわけや」 正一「まあそりゃ言うわね」 正二「そしたら女の子からしたら、面白くないわけや。おーい、積木きるぞ」 正一「そんなわけないわ」 正二「ガラガラガラ、ただいま」 正一「今まで何しとったんや、夜遅くまでばかたれ。えー!、夜遅くまでうろうろうろうろ。夜の蝶じゃないわ、ホンマに」 正二「ごめんなさい」 正一「母ちゃん、情けなかぁ~」 正二「私も情けなかぁ」 正一「門限は何時か、知っとるけ」 正二「ごめん(と頭を下げまくる)」 正一「御免ばかり言ってないで、門限が何時か知っとるのか。門限は10時や。今何時や。9時ばい」 正二「(思わず顔を上げ、頭をどつく)お前、完全に自分の世界、自分のものにしとるな」 正一「こういうお母さんおんねん」 正二「お前のとこだけや」 正一「一緒、一緒」 正二「考えてみたらね、親ってのはね、家庭仕切ってんのはオヤジや」 正一「そうやな」 正二「オヤジがうらーうらーやってんやわ。俺はいぼ痔や」 正一「やかましい」 正二「だいたいね、オヤジってのは娘には基本的に優しい」 正一「優しい?」 正二「ガラガラ。ただいま~」 正一「この野郎~」 正二「ごめんなさい。(オヤジは殴ろうとするも)ごめんなさい。何も言わんとって殴って」 正一「(バシッ)」 正二「暴力オヤジ!」 正一「何やってたんだ、今まで!」 正二「同窓会って言ったじゃない、お母さんに」 正一「同窓会って」 正二「お母さんじゃなくてお父さんだった、ごめんなさい」 正一「お父さんだろ」 正二「だから、同窓会で2時に集合して、5時に帰るって言ったじゃない」 正一「5時?」 正二「5時に帰るって」 正一「ほぉ~(両手を振り子のように左右に振りながら)。今何時か知っとるか。10時やぞ」 正二「(左右に振る腕を不思議そうに見つめ、左手だけを持ち上げる)」 正一「(右手だけ左右に振りながら)5時に帰るって言って10時? 5時から今まで何してた、えー」 正二「(掴んでいた左手を離す)」 正一「(左右の手が真ん中でぶつかり、今度は頭の上でぶつかり、続いて腰のあたりで両手がぶつかり、を繰り返す)アメリカンクラッカーしてたの、今まで」 正二「違うわよ」 正一「じゃあ、何してたんだよ」 正二「だから5時になってみんな帰ろうって言ったらさ、友達が急に、今年こそ私、結婚するって言い出したのよ」 正一「えっ」 正二「だからどういう人が好みなのって聞いたら、正子のお父さんみたいな人がいいっていうわけよ」 正一「(思わずにやける)」 正二「正子のお父さんったらさ、スラッとして手背が高くて、目がパッチリしててスポーツマンだしさ」 正一「(目を大きく開けて格好つける)風呂入れよ」 正二「は~い、となるわけや」 正一「あぁ~」 正二「要するに今のオヤジはみんな騙されてんねん」 正一「騙されてる?」 正二「オヤジってのは、娘のちょっとしたごまかしに」 正一「ああ、そりゃあるやろね」 正二「だけどごまかされんオヤジもいてましてなぁ」 正一「なるほどね~」 正二「まあ、とにかく陰気。どこからでも攻めきれないというね」 正一「ああ」 正二「ガラガラ。ただいま」 正一「(腰をかがめながら)ちょっと待てよ。何してたんだよ、今まで」 正二「友達と遊んでて、ごめんなさい」 正一「おぉーい、それが親に対する言葉か、お前。おい、親に向かってそんな言い方、誰が教えた?」 正二「(よくよくみると、自分の方を見ていないことに気付く)」 正一「(正二とは別の相手を見ながら)おい、お前だよ。お前だって言ってんだろ」 正二「(正一の方へ顔を近づける)」 正一「(すると、顔を背けながら)わかんねえの、お前だよ」 正二「私じゃないのね(と去ろうとすると)」 正一「お前だ。お前なんだよ、わかってんだろう、この野郎。振り向いてお父さんの目を見ろ!」 正二「(振り向く)」 正一「(顔を背けながら)お前だ。(後ろを見ながら)お前だよ」 正二「お父さん、私に文句があるのだったら、私の目を見て」 正一「(背けたまま)目を見ろよ」 正二「目を見て言ったら」 正一「(背けたまま)目を見ろって」 正二「もっと堂々としてよ」 正一「(背けながら)堂々としろ」 正二「お父さん、男でしょ」 正一「お前、女だろ」 正二「もう寝るわよ」 正一「(振り向いて怒ろうとするが、相手が振り向いたので)お前なぁ、お帰んなさい」 正二「(頭を叩きながら)いい加減にしろ」 二人「どうもありがとうございました」 「ものすごくうまいんだけど、10週目という問題がね。段々芝居が面白くなっていったけれど、最初の方はとっつき難くて、あまり面白くなくて。双子のネタから親子のネタになっていったけれど、なんかいびつに感じたね」「お二人は純然たる漫才で終わった方がいいと思うんですけれどね」「10週目ということで力み過ぎている」 二人がふてくされてきたのを見て「自信満々だと思うのよ。なぜ審査員はこう言うのかなって。俺の芸がわからんのかな、ってとこまで考えてるかもしれないけれどね」「最初にあった爽やかさが欠けてきている、やりとりが。変化球が多く感じた」「特にお芝居のところがね」 最後の講評でも「途中でコントみたいなことをやらないでほしい」と苦言。ふてくされている二人に、山田康雄と中尾ミエも活を入れる。するとゲストにいたとんねるずの石橋も活を入れて笑いを取る。 | |
(爆笑オンステージ No.183 1983年10月22日放送) 「蛇口開けたら水がダーッと出るんやで」「ダーッと出るんやで」「その摩擦で火が起きるんやないか」 「フツーに考えれや」 「火事にも命があります」 「火事に命があるか。火事は水で消えるの」 「火事は水にライバル意識百年持ってんど。どっか隙があったら勝とうと思ってんねん。どっか隙があるんやけど、ここかなー」 「お前誰やねん」 「火事やないか」 「水かて必死やねん。あいつは用心深い、完全主義者やから。水はA型やねん」 「血液型なんかあるか、水に」 「アツアツアツぅー」 「何やねん」 「水熱がっとんの」「熱がってる水あかて。親子代々お前に勝ってきたんや。ワシの代で負けるわけいかん」 「何の話。お前なに考えているのー」 「考えてみい、水と火事で腕相撲したらどっちが勝つの?」 「水に決まっとるやないか」 「出来るかそんなもん。水と火事どうやってするねん」 「お前が言うたやないか」 「大体火事はええとしても、最近人気が出たのは地震」 「人気やないの」 「もう、女の子キャーキャー言っているからね」 「怖がっとんのやソレは」 「ブロマイド、サイン」 「シブガキ隊か」 「まあ9月頃に東海地震来るというとりますけど」 「あれ、ほんまに来ると思いますか」 「オマエ誰にきいとんのや」 「オマエにきいとんのや」 「そんなわかるか。オレはノストラダムスかオレにきいてわかるか。わかるんやったらこんなとこで8週めとおるかなー?っていうてないで。そんなんわかるんなら机と椅子持って(易者)アンタは女やから子どもが産める」 「当たりまえや」 「地震おこるとかいうてるやろ」「地震にも命がありますよ」 「地震にも命? 」 「地震にも命が、タマシイがあります」 「何でもやないか、ほなマイクにも命があるのか」 「マイクにもあります。マイクもたまには僕喋りたいなー。僕も喋りたいっーって。なっマイク」「トントン(マイクを叩く音)」「返事しとるやろ」 「おまえがやっとるんや」 「むきになって喋るな。審査員ガーガー言うな」 「まあ、地震があるというてますやろ。ただ一つだけ全国の人が言っていますよ」 「全国の人が、来るやろうか。東海地震来るかも」「起るよー」 「なるか。期待にこたえてどうすんねん。地震来るようになったら、みな外国に逃げるやないか」 「アホ!可哀相やろう日本列島君が。たまにひょっと見てみい、誰もいなくなってみい。・・・寂しイー」 「財津一郎やないねんから」 「お前も古い人探してくんなー。いちいち辞書で調べとんのちゃうか」 「載ってない」 「無茶苦茶や、無茶苦茶寂しい言うとるやんか」 「無茶苦茶いうてなにか忘れてないか」 「地震やないか、起るわけ無い。何が」 「何が何がいいつつ喋ること忘れてんですよー」 「ま、いい。地震はええとしい。まけとく」 「まけとくって、喋ること忘れたまんまや」 「お前思い出したと言え」 「アホ、だいたいそんなカンタンに思い出せれるか」 「ガー!!」 | |
(爆笑オンステージより) 小学生時代の思い出を語る。途中から遠足の話で盛り上がる。 | |
(サバイバルシリーズ1回戦 71点○ No.186 1983年11月12日放送) 全国どこへでも行く、という話から、カムチャッカ、サハリンへ行きたいという話。二百カイリギリギリのところで、ソ連をからかう。両手両足を振って、カラカラ~、カラカラ~。 多くが過去ネタ、もしくは過去ネタの改作だったのに、ポップコーンは新作ネタで勝負。 | |
(サバイバルシリーズ2回戦 点数不明× No.191 1983年12月17日放送) ゲロを吐くオチで終わって、そこそこ受けてた割には点数が低く、審査員のコメントでガッツさんが 「美味しい物を食べている時間帯にゲロとか汚い事をするのはちょっとどうかと思います」 と痛烈に批判し、横にいた内海好江師匠までが 「私もガッツさんと同じ意見です。漫才があぁだと思われるのがとっても心外なんです」 と同調した事がありました。 | |
高校時代は浪商の野球部に所属していたが途中退部している。 大阪時代は番長で、渡嘉敷勝男や赤井秀和、シーザー武志、前田日明などと争っていたらしい。 | |
第3期グランプリシリーズ初登場時、「僕たちは客席から応援してくれる人がいますよ」といきなり発言し、司会陣を唖然とさせる。確かに黄色い声はかかったが、飛んできた紙テープは1本。ちょっと情けなかった。 | |
2度目のグランプリ失敗に激怒! 先生方の審査理由もふてくされた態度できいていて、あとで赤尾PDに大目玉くらったそうです。 | |
第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ決勝戦での一幕: 決勝進出者だけでなく、決勝戦ではトーナメントに落ちた人達も応援(?)に駆けつけるのですが、そこで中尾ミエがポップコーンにコメントを求めた時のやりとり ポップコーン(兄か弟かは全然憶えてない)「今日はもう今までの経験を活かして思いっきり頑張りますよ!」(会場、笑) 中尾ミエ「今日は応援だけ!」 ポップコーン「あぁー、そーですかぁー!!」 この白々しいボケが自分は大好きでした。 | |
実際、面白かったですよ、彼らの漫才は。もっと売れるかと思ったんですが。 | |
『鶴ちゃんのプッツン5』にゲスト出演した時のこと。 ポップコーンの2人が、ネタも交えてあーでもないこーでもないと、トークを爆発させていて、司会の鶴ちゃんも爆笑に継ぐ爆笑。鶴ちゃんの最後に言った一言、「こんな面白いのに何で売れないのーーー!?」と、本当に不思議がっており、それには僕も全くの同意見で、テレビの前で笑いながらもうなづいてました。 | |
1988年 第8回花王名人大賞新人賞受賞(最優秀新人賞は圭・修) | |
その後、ビートたけしの草野球チームに入る。その縁で『スポーツ大将』や『風雲!!たけし城』に出演していました。また、北野オフィスに移籍しました。 | |
ポップコーンは1999年頃の正月番組で「正一・正二」に改名したと紹介されていました。そのときの番組の内容はやはり野球ものでした。 2002年の「名球会vsビートたけし&芸能界ドリームチーム」にもポップコーン正一、ポップコーン正二としてメンバーに入っていますね。 | |
正二は引退し、2006年現在、関西のネット関係の会社で働いているとのことです(某ラジオより)。 | |
ポップコーン正一のみ、北野オフィス所属。2019年2月末で退社したらしく、北野オフィスの所属タレント一覧から名前が消えました。タレント活動を続けていたのかどうか不明。 |
ぼん&正月 | |
1984年8月18日(第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ) | |
第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ第4位(敢闘賞受賞)。 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。 | |
コント。 | |
ぼん:本名西田和晃。1958年生。大分県出身。 正月:伊藤忠。 ぼんは田端グループの一員で、ゆーとぴあホープの弟子だった。伊藤は正月の三代目。初代正月は美和けんじ。二代目正月はチャゲ&飛鳥の九州時代の7人編成だったころのベース、田口洋一(『テレビ演芸』で新山絵里・真里に負けたときの相方)。伊藤と組んだのは1984年頃。 伊藤はレオナルド熊の弟子だった。1980年頃、コント山口君と竹田君の山口とMr.ポテトというコンビを結成していた。 | |
ロックコンサートに坊さんが乱入。ファンを檀家としてかっさらうコント。(『テレビ演芸』で) | |
ぼんが坊さん、正月が医者のコント。 | |
ぼんは「ちゃらんぽらん」と仲が良いらしい。「ちゃらんぽらん」にぼんの大学の1年先輩である飛鳥涼を紹介したらしく、「ちゃらんぽらん」は今でも飛鳥涼に相談を持ちかけたり一緒に飲みに行ったりするらしい。 | |
西田はチャゲ&飛鳥の福岡・第一経済大学時代の1年後輩。西田が博多でパントマイムをやっていて頃、二人が横でギターを弾いてくれていた。 | |
ぼんと正月の二代目正月は元チャゲ&飛鳥のメンバー田口。当時、チャゲ&飛鳥は7人編成のバンドで九州のアマチュア大会なんかに出ていたが、レコードデビューのときに2人になった。田口は「夜ヒット」の対面コーナーにも当時のバンドメンバーと出演、飛鳥を懐かしがらせていた。 | |
面白かったです。とくに、ぼんちゃんの坊さんは、はまり役でした(テレビ演芸)。ただし0週。対戦相手よりも笑いはとっていたのですが、審査員から、筋の無い事を指摘されて勝てず、審査員の判定には不満でした。「面白いのに何で?笑いを取った方が勝ちじゃん」と思ってみていた。 | |
当時の若者向けの本などでポスト赤信号などと目され結構売れ始めていました。 | |
ぼんはこの番組が縁で水野晴郎と知り合い誘われ、西田和晃と本名に戻して水野晴郎事務所に所属し、映画評論家、俳優、タレントとして活動。水野晴郎監督『シベリア超特急』出演がいちばん有名か。いまでもぼんちゃんと呼ばれているらしい。一時期、水野晴郎とともに、倉敷芸術科学大学の講師を務めていた(水野は助教授)。後に西田和昭名義となる。 | |
三代目正月さんは明大前に一時住んでいました。 ファニーズが練習場にしていた宇宙館というライブハスの近くにいました。 送稿の仕事もやってたみたいで一度小学館の前でみかけたことあります。どちらも10年以上前の話ですが。 | |
初代正月さんは、2002年頃から美和けんじの名前で音楽活動を再開。地元福岡で活動しています。 | |
ぼんと正月は1986年に解散したらしい。「正月」は芸能界を引退して一般人とのこと。 2005年2月、映画『シベリア超特急5』のイベントの中で「ぼんと正月」を一夜限りで復活させ、19年ぶりにコントをやった。 | |
西田和昭は水野晴郎没後もタレントとして活動。2013年には俳優養成所のアクターズステーションを設立(後に閉鎖)。水野晴郎が発起人であり、当時第一線で活躍していた映画批評家たちの提唱により誕生して1991年から始まった日本映画批評家大賞を主催する一般社団法人日本映画批評家大賞機構を2015年、新たに設立し、代表理事に就いた。ところが2017年に詐欺問題を起こし、年末に代表理事の座を降り、運営体制が変わった。このごたごたが元で、2018年の第27回日本映画批評家大賞(2017年度)は授賞式が中止となりトロフィーが渡されるだけとなった。 西田に150万円騙されたとする男性は2017年12月、警察に刑事告訴して受理された。西田は消息を絶っていたが、2018年2月、ゆーとぴあホープのライブを見に来たところで取材を受けるも、疑惑を否定。ただし借金があることは否定しなかった。 2019年末よりYouTube番組「ぼんちゃんの映画百科」を始める。2020年5月30日にはゆーとぴあホープ、中村ゆうじと有料配信のトークライブ「芸人達の挽歌(ばか)」を開いた。 |