『お笑いスター誕生!!』 名鑑【は】


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名 前
パート2
初出場
 1980年5月17日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 4週勝ち抜き、銅賞獲得。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ第3位。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ優勝。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 漫才。4コマ漫才で一世を風靡した。
プロフィール
 原勝也:本名前原勝也。1950年7月8日生。熊本県出身。
 森健四郎:本名同じ。1952年10月13日生。兵庫県出身。
 二人とも1973年に松竹芸能タレント養成所入所。1975年にトリオ漫才「ヤングにっぽんず」(森健四郎・原勝也・真田実)でデビュー。1979年に「ヤングにっぽんず」解散、「パート2」結成 。4コマ漫才を始めたのは1983年頃から。
ネ タ
(普通の漫才の頃)
 もー勢いのみでした(^0^;)
 1週目で「こんにちはー!!」っていう一番最初で“糸を引っ張ると髪の毛が動くかぶりもの”ってあるじゃないですか。
 あそこで「いらっしゃ~~~い!」ってやったもんだから、最後に確か唄子師匠に「道具に頼るな」って言われてた覚えがあります。
 さらに始まって30秒くらいなのに「ここで笑わんと笑うとこないですよ」って。
 2週目もネタなんかたいして面白くないんですが、確かネコvsカラスだったのか、動物同士の戦いを漫才でやったんですが、もー勢いのみで、終わってから赤塚先生に「なんだか判らないけど凄い」って言われてたと思います。
 まー結局は4コマ漫才にして正解でしたよね。
(詳細は全く忘れたけど)女の子の名前を言って、気にいらなかったらハリセンで引っ叩くなんてネタを覚えてます。
 女の子の名前を言って、気にいらなかったらハリセンで引っ叩くネタというのは、ブスたたきゲームというやつだったと思います。一人がもぐらたたきのもぐらのまねをして顔を出すときに女性の有名人の名前を言って、その人がブスだったらもう一人の方がハリセンで叩くというものです。あまり受けていませんでした。
「4コマ漫才」のスタイルは以下。

二人が舞台に登場。手を叩きながら歌う。
勝也「今日のお越しを」
二人「ありがとう」
勝也「あ、よいしょ」
健四郎「岩おこし」
勝也「あ、そりゃ」
健四郎「粟おこし」
勝也「あ、どっこい」
健四郎「ようお越し」(礼)
勝也「何のこっちゃ」
二人「パート2、4コマ漫才!」

<Aパターン>
二人が左右に別れて行進、すぐにUターンして元の立ち位置に戻りながら、 二人「♪チャラ-ララララ-ラン、チャラ-ララララ-ラン」(ブリッジは「オクラホマミキサー」のリズム)
(立ち位置に戻って)
勝也「○○○○」(タイトルをいう)
4コマ漫才(ショートコント)を披露後、再び<Aパターン>。
以後、その繰り返し。

最後。
二人が最初と同様手を叩きながら歌う。
勝也「またのお越しを」
二人「待ってます」
勝也「あ、よいしょ」
健四郎「岩おこし」
勝也「あ、そりゃ」
健四郎「粟おこし」
勝也「あ、どっこい」
健四郎「またお越し」(礼)
勝也「パート2でした」(礼)

<Aパターン>のブリッジは<Bパターン>もたまにある。
<Bパターン>
二人が左右に別れて行進、すぐにUターンして元の立ち位置に戻りながら、
二人「♪チャラ-ララララ-ラン、チャラ-ララララ-ラン」(「オクラホマミキサーのリズム」)
(立ち位置に戻って)
二人「♪チャラ-チャチャチャラララ、チャランランラン」(「オクラホマミキサーのリズム))
と手を組んで踊る。

<Aパターン>のブリッジは<Cパターン>もある。主に最初のコントをやった後にする。
<Cパターン>
健四郎「ま、こういうもんですけれどね」
勝也「わろうても、わらわんでも、次いきます」
二人が左右に別れて行進、すぐにUターンして元の立ち位置に戻りながら、
二人「♪チャラ-ララララ-ラン、チャラ-ララララ-ラン」(「オクラホマミキサーのリズム」)
 玄関で卓球選手の格好をした男が「ピンポーン。ピンポーン」「卓球便です。ピンポーン」と言って玄関で素振りをする。
 夫婦が「ねえ、テレビ見ようか」「……」「このテレビ、つまらないわ」「そりゃそうだ、テレビつけてないもの……」
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝 91点〇 No.205 1984年4月7日放送)

ふたりとも駆けている。
「あんたもロスオリンピックを目指して、マラソンの練習ですか?」
勝也「白バイに追われてます」
健四郎「えっ?」
勝也「わろうても、わらわんでも、次行きます」

「譲り合い」
勝也「あの、席空きましたよ、どうぞ座って下さい」
健四郎「どうぞ、あなた座って下さい」
勝也「いや、私次の駅で降りるんですよ」
健四郎「僕も次で降りるんですよ」
勝也「じゃあ、こうしましょうか。5秒で交代して座りましょうか」
健四郎「5秒ごとにね」
勝也「まず私から座ります。1、2、3、4、5」
健四郎「あ、どうも。1、2、3、4、5、はいどうぞ」
勝也「1、2、3、4、5、はいどうぞ」
健四郎「あ、どうも。1、2、3、4、5」
勝也「これだったら、立っている方が楽ですね」
健四郎「そうですね」

「落とし物」
勝也「お巡りさん。こんなものがあの、路上に落ちていたんです」
健四郎「なんだおい。これはもしかしたら、麻薬じゃないか」
勝也「えー」
健四郎「よく届けてくれたな。大変なことになるところだった」
勝也「そうですか」
健四郎「これ、お礼の1割だ」
勝也「えっ?」

「上を向いて」
健四郎「UFOでも飛んでいるんですか」
勝也「いやいや」
健四郎「鶏でも飛んでいるんですか」
勝也「いやいや」
健四郎「じゃあ、どうして上向いているんですか」
勝也「下向くと、鼻血が出ますねん」

「下を向いて」
勝也「いやあ、まいったな、えらいこっちゃ」
健四郎「おじいちゃん、どうしたの。財布でも落としたの」
勝也「むち打ちで首があがらんねん」
健四郎「まぎらわしいことするな(と頭を叩く)」
勝也「あ、直った(と首をぐりぐり回す)」

「面接」
健四郎「(椅子に座りながら)はい、次の方どうぞ」
勝也「(舞台の袖で)あのー、日本高等……」
健四郎「君、君、こっちだ」
勝也「ああ、ああ、はじめまして」
健四郎「君ね、だいぶあがってるんじゃない?」
勝也「いいえ、そんなことありません」
健四郎「そう、じゃあ君ここに座って」
勝也「はい、すみませんでした(机の上に座ってしまう)」
健四郎「だいぶ上がっているね」
勝也「はい」

「怖い話」
健四郎「怖いわ、ここの道」
勝也「この前な、この道一人で歩いていたらな、前から髪をパサーっと垂らした人が」
健四郎「やめてや」
勝也「顔見たらな、右耳一つしかあらへん」
健四郎「嘘言うな、そんな人おるか」
勝也「もう一度じっと見たらな、左耳も一つしかあらへん」
二人「うわぁー!」
健四郎「次行くよ」

「イングリッシュ」
勝也「アイラブユー!」
健四郎「ユー、ウーメン?orオカマ?」
勝也「シャラップ! ウーメン」
健四郎「ホントに? ユーノーバスト」
勝也「ノーバスト、でもウーメン」
健四郎「でも? ユーアドレス?」
勝也「新宿二丁目」
健四郎「オカマ、オカマ」
勝也「ノー、ウーメン」
健四郎「ホントにウーメン?」
勝也「イエス、わたし子供が産めん」

「心霊写真」
 健四郎がピースをしている後ろで勝也が横から顔を出すだけ。

「選挙運動」
健四郎「(選挙カーの上から)このたび、杉並区から立候補いたしました三浦でございます。車の上からではございますが、よろしくお願いいたします」
勝也「(車を運転し、腕時計を見ながら)会社、間に合わないじゃないか」
健四郎「私が~」
勝也「もっと急いで走れや。(クラクションを鳴らす)ブッブー」
健四郎「お車の中からのご声援、有り難うございます」

「それは秘密です」
勝也「(音楽が流れる)人は苦しいこと、悲しいこと、辛いことが数多くあるものです。人間の秘められた過去、それは秘密です。今日は生き別れになった妹さんを、二十年間捜し求めたお兄さんをお迎えしております。それでは秘密さんの登場です。どうぞー」
健四郎「どうも、有り難うございました、本当に有り難うございました」
勝也「二十年間、苦労したね」
健四郎「はい」
勝也「辛かったね」
健四郎「はい」
勝也「あちこち、探したんだってね」
健四郎「はい」
勝也「タンスの中、机の中、探したんだってね」
健四郎「はい」
勝也「ところでね、その妹さんがこの会場に来てらっしゃいますよ」
健四郎「どうも有り難うございました」
勝也「よかったねー、本当に良かった」
健四郎「有り難うございます」
勝也「ところで、どうして妹さんと生き別れになったの?」
健四郎「それは秘密です」
ラジオ番組
勝也「ハイ、どうもお待たせいたしました。では、お葉書の紹介のコーナーです。今日もたくさんのお葉書、2通頂きました。それではさっそく、葉書の紹介です」
健四郎「縦14.8cm、横10cm、定価は40円です」
勝也「葉書の紹介でした」
A「君、このネタを表に出したらどうなるかわかっていますよね」
B「どうすればいいんだ」
A「そうだな。10万円出してもらおう」
B「頼む。これで黙っていてくれ」
A「よーし、黙っていよう」
B「ちょっと待った。これは実はおとり捜査なんだ。最近、恐喝者がいるというので張っていたんだ」
A「頼む。ここに20万円ある。これで見逃してくれ」
B「よーしわかった。今回は見逃してやろう」
A「ちょっと待った。最近、強請を働く刑事がいるというので、公安から来ていたんだ」
B「しまったー。頼む。30万円で黙っていてくれ」
A「30万。よーしわかった。今回だけは見逃してやろう。二度とするなよ」
B「ちょっと待った。最近、強請を働く公安刑事がいるというので、おとりにはいっていたんだ」
A「しまったー。頼む。50万円で黙っていてくれ」
B「50万。よーしわかった。今回だけは見逃してやろう。二度とするなよ」
A「ちょっと待った」
 いつまで続くねん。
4コマ漫才「コロンブス大陸発見」
 船長、島を見付けました。
 どうだ、地図に載っていないか。
 船長、地図に載っていません。
 ばかやろう、埼玉県の地図に載っているわけないだろ。
 4コマ漫才。郵便局で、客が「切手ください」と言って葉書を局員に渡すとはさみで切られてしまうというのを見たことがあります。
第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ決勝戦 96点優勝 No.219 1984年7月14日放送)

ある結婚式
森「花婿側の司会者です」
原「花嫁側の司会者です」
森「それではこれより、花婿の友人を代表いたしまして、花婿の前の恋人よりスピーチを頂きます」
原「続きまして、花嫁側の親戚を代表いたしまして、花嫁の前の旦那より乾杯の音頭です」
森「続きまして、花婿の水子の例をまつってあるお寺の住職よりお言葉を頂きます」
原「続きまして、花嫁の隠し子達より花束の贈呈です」
二人「末永く、お幸せに」

神様その1
原「あなたは神を信じますか?」
森「信じます」
原「本当に、信じますか?」
森「本当に、信じます」
原「何か、証拠はありますか?」
森、黙って左腕の時計を見せる。
原「おお、10時か(十字架)」

神様その2
原、椅子に上がっている。 森「神様、もうすぐ子供が産まれるんです。大丈夫でしょうか」
原「願いましては、1円なり、2円なり、3円なり、4円なり、5円では?」
森「15円」
原「正解です」
森「いったい何なんですか?」
原「暗算(安産)です」
(サバイバルスペシャル No.295 1986年1月25日放送)

「四コマ漫才、名前」
原「あらー、森さんの奥さんじゃない」
森「あら、お久しぶりじゃない、お元気」
原「そういえば、お子さんできたって」
森「そうなのよ、女の子なの」
原「あらー、いいわね、どういうお名前つけたの」
森「あのね、正月に生まれたから、正子ってつけたの」
原「正月に生まれたから、正子。可愛いわね」
森「ありがとー」
原「実はうちも、女の子ができたの」
森「あらー、よかったじゃない。お名前は」
原「水曜日に生まれたから、水子(みずこ)ってつけたの」

「いたずら電話」
原「あほ、ボケ、カス」
森「どちらさんでしょうか」
原「いやらしいこと、言ったろうか」
森「は?」
原「大屋政子のうなじ。小錦の太もも」
森「毎日毎日いたずら電話かけてきおって」
原「へへへへ」
森「しまいにはどつくぞ」
原「これは電話だぞ。どうやってどつけるんだ。やれるものなかやってみい」
森「くそー」といって、隣の原をたたく。
原「あ、痛」

「CM」
森「あのーすみません」
原「はい」
森「あの、ここでうんこをしてくれませんか」
原「こんなところでうんこですか」
森「はい」
原、うんこをする。森、それを拾う。
森「ほらー、こんなに出てきましたよ」
原「朝、してきたんですけれどねえ」
(当時のCMのパロディ)

「山びこ」
森「長野八ヶ岳の場合。やっほー」
原「やっほーづら」
森「青森八甲田山の場合。やっほー」
原「やっほーだべえ」
森「京都比叡山の場合。やっほー」
原「やっほーどす」
森「ヒマラヤの場合。やっほー」
原「やっほー……」

「予約電話」
森「最近はどの産業もサービス時代。とうとううちも電話で予約を受け付けるようになったぞ」
原「大変だ」
森「リンリン。もしもし」
原「消防署ですか」
森「はい、そうです」
原「今、うちが火事です」
森「今予約しますと、来月の3日になりますが」
原「ええ」

「デート」
森「見てごらん」
原「ええ」
森「きれいな夜空だよ」
原「そうね」
原「あの、健四郎さん」
森「はい」
原「腕を組んでもいいかしら」
森「まいったな、どうぞ」
森は右腕を差し出すが、原は腕組みをする。

「ある結婚式」
森「花婿側の司会者です」
原「花嫁側の司会者です」
森「それではこれより花婿の友人を代表いたしまして、花婿の前の恋人よりスピーチをいただきます」
原「続きまして花嫁側の親せきを代表いたしまして、花嫁の前の旦那様より乾杯の音頭です」
森「続きまして花婿の水子の霊を祭っております寺の住職からの挨拶です」
原「続きまして花嫁の隠し子たちから花束の贈呈です」
二人「末永くお幸せに」

「ヒーローインタビュー」
森「さて、本日のヒーローインタビューは、阪神の掛布選手に来ていただいております」
走り回っている掛布(原)を追いかけ、インタビューする森。
森「続きまして、今年の目標は何ですか」
原「チームの優勝です」
腕立て伏せを続ける掛布と、なぜか一緒に腕立て伏せをする森。
森「去年に引き続いて、V2を目指してくださいね。ところで、個人記録のほうはどうですか」
うさぎ跳びを行う原と、それをうさぎ跳びで追いかける森。
原「やっぱりですね、ホームランを量産して」
森「できれば、三冠王を目指してくださいね」
原と森、倒れ込む。
原「はー、疲れた」
森「これで、疲労インタビューを終わります」

「休憩」
二人、息を整えるだけ。

「共同募金」
森「ご通行中の皆様、ぜひ愛の手ををお願いいたします。温かい、愛の手をお待ちしております」
なぜか、森の後ろを付け回す原。
原「あ、よいっしょ」
森「心から、愛の手をお願いいたします」
原「あー、こりゃこりゃ」
森「どうか、皆様の愛の手をお願いします」
原「あー、どっこい」
森「えーかげんにせえや」
エピソード
 パート2に4コマ漫才のヒントを出したのは追っかけの女の子。
 お笑いスター誕生で優勝した時もらった賞金100万円を事務所に出し「これは、私たちを売り出すお金の足しにしてください」と直訴した珍話(奇話)は有名。
 4コマ漫才のネタを探すため、当時は雑誌や新聞などの4コマ漫画を読みあさっていた。
レコード
 原かつや(パート2)『ほとんど病気の恋ぐらし』(1983)
作 品
 『コント100連発~笑撃のマシン』(VHSビデオ ハピネット 1995.10)
感 想
 新しい事にチャレンジしようとしてましたが、ネタの出来に左右されやすく、たまたま出来の良くないのを見たのでしょうが、あまり面白く思えませんでした。売れ始めの頃は、小説現代で特集をくんだり(写真漫画みたいな構成でした)、こんなところでネタを公開して営業は大丈夫かなあと思いました。また、ビデオも出していてた記憶があります。
 今考えてみると、ショートコントの先取りでしたね、4コマ漫才は。時代が早かったのか、運が悪かったのか。この手のネタは関東の笑いにあっていると思う。
受賞歴
 1984年 第13回上方お笑い大賞銀賞受賞
 1986年 第21回上方漫才大賞新人賞受賞
その後・現在
 松竹芸能に所属し、関西で頑張っていましたが、2000年7月に解散。残念です。
 ボケ役の勝也さんが最近、400万円もの車上荒らしにあった記事が、被害額面のわりにはひっそりとスポーツ紙を飾っていました。
 解散後、ツッコミの健四郎さんは、「小僧寿し」系統の寿司屋で雇われ店長をしているらしいです。ちなみに奥さんは元漫才の「ミヤ蝶代・花代」の現在の「町野あかり」と違う方の人です。
 先日のテレビ東京『徳光和夫の情報スピリッツ』において、健四郎さん一家が報じられていました。内容は、『苦労する妻』みたいな内容で、以前こちらにも書きましたが、住み込み(家主は40過ぎの女性)で、現在寿司屋の雇われ店長で生計を立てている健四郎さんですが、実は、自宅にも月に1~2度しか帰らないそうで、たまに戻っても、酒を煽り奥さん(ミヤ蝶代・花代の花代さん)に「芸人とは酒飲んで…女…」と、当り散らしている、普段(以前、ネタを書かせていただいたとき)の温厚さとは180度異なるシュートな場面が放送されました。
 なかでも必見は、そういう私生活に健四郎さん本人もあせっていたらしく、相談に出向いた先がこれまた現在、スナックで雇われ店長の元相方・勝也さん。勝也さんのアドバイスも「せめて、週3日くらいは、家に帰ってあげなアカンで」と、答えになってるのかなってないのか微妙なもので、熊本訛りと時折見せるカメラ目線が何とも言えぬ“味わい”を醸し出していました。
 さらに注目は、花代さんの発言で、「お笑いスタ誕」以降、関西を中心に4コマ漫才が世間に浸透し出したころ、「東京進出」を掲げるも、「もう少しは地盤固めや」と、大阪に残った挙句、現在の状態になってしまったことに、「ウッチャンナンチャンさえいなかったらアノ人は売れていた…今でもウンナンを見ると…」と、当たり所のない悔しさを吐露していました。
 このような健四郎一家が報じられたあと、スタジオコメンテーターの宮川花子さんが「漫才もしてないのに、芸人がどうのこうのって…アホか!」と一喝(ミヤコ蝶々の叱咤芸は着々と受け継がれています)、司会の徳光さんも頷いたままそのままCMへと、最悪の展開がお茶の間に放送されてしまいました。
 次にテレビで彼らと会えるのはいつの日か?…そう遠くはないと思います。それは…『愛の貧乏脱出大作戦!!』(♪またのお越しを待ってます~…)
 先日、『徳光和夫の情報スピリッツ』でとんでもない最新情報を伝えてくれたパート2健四郎さん夫妻でしたが、なんと…!!
 先日、シンデレラエキスプレスさんのライブを見に行った際、シンプレ(の低い方、ボクシングの畑山に似てる方)渡辺さんの話によると、ビッグニュース!、
 現在、密かに、誰に知られることも無く「パート2」はコンビ復活してとのことです。(祝)
 今回は松竹芸能所属ではなく、元松竹社員が独立して興した事務所の所属で、同所属タレントにはホープ・ユタカ(浪花の鶴太郎として『11PM』の末期に活躍、ほんの…)など。
 しかし今回、元社員(こう書くと、別に横領とか犯罪起こしたんと違いますよ、いわゆる独立です)の興したいわゆる傍系に近い事務所ではあるが、なんでも松竹には無断での復帰ということで、松竹とこの事務所がちょっとした抗争まがいの騒ぎを起こすという上方演芸界には近年稀に見るホットな復活劇で、本当に歌って笑ってホットな…
 その後、ケーエープロダクションに所属しました。
(2003年1月の情報)
 ケーエープロダクションも辞めておられます。
 「完全に足を洗った」とケーエーの社長さんがおっしゃっておられました。
 松竹+ケーエーを敵に回した以上、再度、復帰するなら吉本以外では難しいと思います。
 ま、吉本も拾うとも思えませんが…
 若井ぼんが理事長として2003年1月に結成したNPO法人「笑集会」に集まったプロやアマチュアのメンバーで、原勝也は新殺陣コミックコントをやる5人組グループ武士 Samuraiを2003年に結成した。メンバーは原勝也、ダンサーの玉川哲也、大道芸の寺井敏幸、ピエロの雪丸博紀、アマチュアの島田りさ。約1年半後の2004年に解散。
 原勝也は、関西で流れる「日本フルハップ」のCMに工事作業員役で出演していた。
 現在の活動状況は不明。
 原勝也だが、大阪市のカラオケ喫茶でアルバイトをしているとの情報を見つけました(ただし、2012年情報)。
 2015年7月26日(日)、道頓堀角座で開かれた故若井はやとの弟子が集まる『第2回お笑いHAYATOの会』に森健四郎がゲストとして登場(出演予定にはなかったので、シークレットか)。4コマ漫才を披露したらしいが、相手がいたのか、個人で行ったのかは不明。
 2021年7月9日、森健四郎がニュースサイト「よろず~」のインタビューに登場。"4コマ漫才"についてのインタビューを受けていました。すでに芸人は引退とのこと。
<登場者リストに戻る>

名 前
ハイヒール
初出場
 1984年1月28日(第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ準優勝。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ準優勝。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 リンゴ:本名西村美紀(現姓美村)。1961年8月9日生。大阪府出身。
 モモコ:本名松井さとり(現姓小林)。1964年2月21日生。大阪府出身。
 吉本総合芸能学院出身(NSC第1期生)。ダウンタウンと同様、師匠筋に付いていません。1982年11月結成。デビュー当時、リンゴは女子大生。
ネ タ
モモコ「うちのおかんがこうやってふくろに顔うずめてな」
リンゴ「あっ。シンナー遊び」
モモコ「こうやって、お菓子の屑集めて食べるんや。めっちゃ美味いで」
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝 86点× No.205 1984年4月7日放送)

 東京での時間の過ごし方。モモコがリサイクルニュース場で「フィンガー5の切り抜き」に誰も貰い手が来なかったと怒り出す。続いて猫を売ろうとするが、それは隣の家の猫だった。そしてモモコが彼氏を見つけたという話になるが、それもリサイクルだった。
 続いてリンゴが自分の憧れの人の話をしてモモコが怒りだし、彼氏の話をするが実はヤクザで全然自慢になっていない。最後は恋人が得意なスポーツの話。
モモコ「苦手なスポーツもあるねん」
リンゴ「あ、それはある。誰にだって、苦手はあるわ」
モモコ「水泳が苦手なん」
リンゴ「わかる。背中に彫り物があるから、肩身が狭いんだろう」
モモコ「人の恋人を、勝手に彫らんといて」
リンゴ「じゃあ、どうして水泳が苦手なん」
モモコ「片方の指詰めてるから、水をかく力が弱いねん」
リンゴ「はぁ?」
モモコ「左右で力が違うから、その場でぐるぐる回ってんねん」
リンゴ「もうええわ」
二 人「どうも、ありがとっ」
第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ決勝)

 おしゃれに気を遣う話。服装、口調からシェイプアップでどうやって痩せるか(シャブ打てば痩せるなど)の話。その後いつ太るかという話になり、子供ができたときの話、そしてどちらの電話の会話のガラが悪い話に変わる。
モモコ「大学生ともなると、親に平気で嘘をつくようになる。この子(リンゴ)の場合」
二人「ルルル」
リンゴ「ガチャ(と受話器を取る)」
モモコ「もしもし、パパ」
リンゴ「おとうさん?」
モモコ「あたし、リンゴ。あのね、今日宿題があるから、モモちゃん家に泊まる」
リンゴ「気いつけや」
モモコ「心配しないで、蜜柑ちゃんもいっしょだし」
リンゴ「何の会話? リンゴやモモや蜜柑や、世の中にある名前?」
モモコ「名前ぐらいええやん」
リンゴ「この中に、蜜柑ちゃんっています? いてへんやん」
モモコ「あんた、心の底から下劣やな」
リンゴ「そんなことあるか。いいから、もっと名前を変えて」
二人「ルルル」
リンゴ「ガチャ(と受話器を取る)」
モモコ「もしもし、パパ。あたし、リンゴ。あのね、今日宿題があるからよし子ちゃん家泊まる」
リンゴ「これはある名前や」
モモコ「心配しないで、サリーちゃんもいっしょよ」
リンゴ「何の漫画や。無茶苦茶言うとるわ」
モモコ「お友達やわ」
リンゴ「いいから電話続けて」
モモコ「わかってる。たくさんいる方が勉強しやすいし」
リンゴ「これはよく言います」
モモコ「大丈夫、わかってるったら。やだぁー、アハハ、パパったらエッチ」
リンゴ「それ、どういうパパ? 私が言っているのは、私を愛してくれるパパや」
モモコ「愛してくれるパパよ」
リンゴ「ものすごく可愛がってくれるパパよ」
モモコ「可愛がってくれるパパや」
リンゴ「血の繋がったパパよ」
モモコ「あんた、血繋がったパパとつきおったらあかんわ」
リンゴ「誰が付き合わなくちゃいけないのよ」
モモコ「そりゃあかんわい」
リンゴ「いいから、とりあえず切って」
モモコ「そういうわけだからね、よろしく」
二人「ガチャ」
モモコ「宿題するから女の子の家に泊まるって、嘘ばっかり言って夜中男の子と走り回っているのはこいつの方なんですよ」
リンゴ「そんな子います? 夜中走り回る子。今だったら寒いで」
モモコ「誰がそんなしょうもないことを言え言ったんや。夜中男と走るったら車に乗ってと決まってるやろ」
リンゴ「ああ、ドライブとかね」
モモコ「あんた、そんなしょうもない付き合い方するんか。男と夜中に、おら、こっちが速いぞ、とかいって走り回るんか。ほらもっと走れ。止まっちゃうと凍えて死んでしまうぞ」
リンゴ「誰が雪山の話をすれ言うたんや」
モモコ「それぐらい思い切って走ってんのかなって」
リンゴ「ちがうがな」
モモコ「ええわね。安上がりでチープなお付き合いだこと」
リンゴ「憎たらしい子でしょ」
モモコ「その点、モモちゃんの電話の正直なこと」
二人「ルルル」
リンゴ「ガチャ(と受話器を取る)」
モモコ「おい、かあちゃん、今日帰れへんぞ。鍵締めて寝とけ、ボケ、クソ、ガチャ」
リンゴ「もうええわ」
二人「どうもアリガト!」
感 想
 世評が言うほど、上手くて面白いというイメージはないですね。その割によくテレビに出ていますが。
 影山民夫のコラムで、お笑いスター誕生以外の番組で見ると面白いと皮肉なほめかたをしていた。要するに彼女らの不調は、40を超えた審査員の感性の古さにあると指摘していました。モモコの事をフラッパーな魅力があるとか、出初めのころの島田紳助のようだとも言っていました。他に、シティボーイズも竹中直人との公演では面白いと、誉めていました。
エピソード
 リンゴはDJ志望だったようです。
受賞歴
 1984年 第5回ABC漫才落語新人コンクール審査員奨励賞受賞
 1985年 第15回NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞
 1985年 第13回日本放送演芸大賞優秀ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞は小堺一機)
 1985年 第20回上方漫才大賞新人奨励賞受賞
 1986年 第6回花王名人大賞新人賞受賞(最優秀新人賞はシティボーイズ
 1987年 第7回花王名人大賞新人賞受賞(最優秀新人賞はダウンタウン
 1994年 第23回上方お笑い大賞金賞受賞
 1995年 第30回上方漫才大賞大賞受賞
レコード
「オヤジギャルと呼ばないで」(1990.10)
その後・現在
 現在もテレビ等で活躍中。「西の女帝」上沼恵美子の「ポスト上沼」の筆頭格と言われている。
 リンゴは報道から芸能スキャンダルまでのネタを回す器量があり、自分の意見もズバッと言える、関西おばちゃんのオピニオンリーダー。モモコは主婦感覚があり、関西おばちゃんのインフルエンサーとなっている。
 所属する吉本興業のオフィシャルサイト、よしもとシーオージェーピー内のタレントプロフィールに、活動情報などが載っています。
 2020年9月、とんねるず・木梨憲武がハイヒール・リンゴを誘い、漫才コンビ「梨とりんご」を結成。9月22日の『バナナサンド』(TBS)で漫才を初披露。
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名 前
八田新太郎
初出場
 1980年5月10日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週勝ち抜き。
ジャンル
 動物ものまね。
プロフィール
 アマチュア挑戦。
 あのねのねがやってた「飛び出せものまね大作戦」出身者。
ネ タ
 象の鳴きまねをしていた記憶があります。「ぱぁおおおーん」とか。
エピソード
 7年くらい前『ナベさんミッちゃんのまねまね天国!』というテレ東の番組(1991年)に八田新太郎が出てて、楽屋で『お笑いスター誕生!!』にも出てましたよね」と聞いたら笑顔でこう答えてくれました
「いやあ素人の参加できる番組はいろいろでたから、番組の名前まで覚えてないんですわ」
 よくよく聞いてみたら、「お笑いスタ誕」もほとんどみたことなかったとか。。。
感 想
 『たけしのお笑いサドンデス』に出た時に見ました。本には動物物まねとあったので、タモリのイグアナみたいな芸かなと期待してみたら、ただの鳴きまねでがっかりしました。
 猫八のように笑いよりモノマネを追求するタイプなので笑いは少なかった。普通のおじさんが 大真面目に鳴きまねをやる、そのギャップはおかしかったけど。象の鳴きまねをしていた記憶があります。「ぱぁおおおーん」とか。
その後・現在
 不明。
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名 前
林真理子
初出場
 1980年4月12日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 浪曲。
プロフィール
 浪曲師。当時、最年少(18歳)の女性浪曲師として活躍していた。
 当時林さんは歌番組に出た際にキャラクターが面白いとテレビのスタッフに認められ、何本かのお笑い番組に出ていたそうです。その流れで、お笑いスター誕生の初回にも出演されたそうです。
ネ タ
(1週目不合格 No.1 1980年4月12日放送)

 浪曲を一節。
 審査員からも「それはお笑いじゃないよね」と言われ、一週目で不合格となったようです。
エピソード
 第1回出場。
感 想
 不明。
その後・現在
 作家の林真理子さんとは別人。
 TBSラジオ『伊集院光・日曜日の秘密基地』、2005年7月31日放送分の「秘密キッチの穴」のコーナーで、正体が判明。当時女性最年少の浪曲師ということでした。
 現在は主婦として生活しているそうです。
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名 前
春やすこ・けいこ
初出場
 1980年4月12日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週勝ち抜き。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 春やすこ:本名三橋泰子(現姓中島)。1961年6月15日生。大阪府出身。
 春けいこ:本名出垣恵子(現姓小林)。1958年7月4日生。大阪府出身。
 やすこは1972年に、けいこは1973年に松竹芸能タレント養成所入所。1976年結成。
ネ タ
 アイドルいびりネタで一世を風靡。
(1週目合格 No.1 1980年4月12日放送)

やすこ「めちゃくちゃ腹が立つのが、石野真子」
けいこ「とっても可愛いやんか」
やすこ「何、あの歌。狼なんか怖くない」
二人で「♪あなたが、狼なら~、怖くな~い~」
やすこ「自分の方がめっちゃ怖い歯してるんやないか」
けいこ「あれは八重歯やないか。可愛いやろ」
やすこ「そんなんやから家、丸焼けになんねん!」
(この少し前に石野真子の実家が本当に全焼していました)
 お客さん引きまくり。やすこも、あっ、ヤバイという感じでうつむきかげんになってました。けいこもさすがにフォローできず、数秒間、黙ったままでした。
アイドルいびり漫才
やすこ「最近ムカつくと思えへん」
けいこ「何がよ?」
やすこ「松田聖子!!」
けいこ「何でやの? あの子、可愛いやん」
やすこ「あの白いフリフリのドレス着て、目~ウルウルさせて「こんばんわ!松田聖子です。」(ものまねする)って……なんかムカつくやろ!!」
けいこ「ええやないのぉ~、その位。それアンタの考えちゃうん!!」
 最初は「松田聖子」だけ集中的にいびってましたが、次第に「河合奈保子」「柏原よしえ」「中森明菜」などもネタにしていました。「嫌いや!イヤや!」と言う割にはしっかりそのアイドルの事をチェックしているところが(舞台裏話ですが……)なんか妙に笑えました。
その後のエピソード
 また「堀ちえみ」は「春やすこ」と「スチュワーデス物語」での共演をきっかけに仲良くなり「堀ちえみ」が「松竹芸能」に移籍になったのは有名な話です。それでも最初のうちは「春やすこ」は「堀ちえみ」の事が嫌いだったそうです。
エピソード
 第1回出場。
感 想
 アイドルをいびりながらも、自分がアイドルぶっているところが、例えそれが芸風とはいえどうも好きになれませんでした。
レコード
「ハートブレイクホテルは満員」(1981.4)
「他人のデートは禁止したい!」(1981.8)
「パープー・ドライバー・ブギ」(1983 春やすこのソロ)
受賞歴
 1981年 第16回上方漫才大賞新人賞受賞
 1982年 第10回日本放送演芸大賞優秀ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞は九十九一
その後・現在
 漫才ブームの担い手の一組として活躍。漫才ヌードを披露するなど様々な話題を提供。その後、春けいこは1982年7月に横山ひろしと結婚、解散。
 春やすこ・けいこ、ミヤ蝶美・蝶子、ミヤ蝶代・花代、Wさくらんぼ、この4組の面々で1980年ころ、「ギャルズクラブ」と称して、当時なんばCITYにあった小ホールで定期的に公演を行なっておりました。後にやすこけいこさんが大変忙しくなった為でしょうか、参加されなくなり、残りの3組プラス「じゃんけんぽん」の柴洋子さんを加えた7人で、漫才ありコントありといった感じのライブを1981年半ばまで行なっておりましたね。お笑いスタ誕の影響もあって、蝶美蝶子さんが大変な人気だったような記憶があります。
 ミヤ蝶代さん(後の町野あかりさん)のギャグ「うとうとーとしてた」もここでは浸透してたような気が……。

 ギャルズクラブ、下北沢でもライブやったんですよ。スーパーマーケットというライブハウスで。
 やすけいは『GORO』でヌード披露したばかりで大人気。2曲をうたってさっさと帰りました。あとは6人でコントやったりトークやったり。仕切りは蝶美でした。ちなみにゲストがブレイク前のコサキン。当時同じ場所でミッドナイトコントをやってた関係からだったんでしょうね。
 三波伸介とザ・ぼんちが司会だった『コント突撃隊』(『8時だよ!全員集合』の裏番組)の最終回で、横山たかし・ひろしと一緒に、恋人同士漫才というのをやっていました。
 春けいこは主婦業のかたわら、ピンで活動。一時期春けい子に改名して、松竹芸能のオフィシャルサイトに載っていましたが、2005年ぐらいに消えていました。講演などをやっているらしい。
 2019年10月16日、大阪市内で会見し、夫婦漫才コンビ「横山ひろし・春けいこ」結成を発表した。12月1日に大阪・松竹座公演「令和元年 大阪松竹座 お笑い披露公演」で初舞台を踏んだ。
 再び松竹芸能に所属したようです。
 春やすこも横山たかしと結納まで交わすも、一方的に婚約破棄会見を開いた。
 解散後、春やすこはピンでバラエティ、ドラマなどで活躍。もっとも有名なのはにっかつ映画『夕暮れ族』で濡れ場を演じたこと? 1990年に青年実業家と結婚。
 所属する松竹芸能のオフィシャルサイト、松竹芸能 オフィシャルサイト内のタレントプロフィールに経歴等が載っています。
 春やすこ~OFFICIAL BLOG~があります。
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名 前
PALCO
初出場
 1983年10月15日(第3期グランプリシリーズ)
実 績
 3週勝ち抜き、銅賞獲得。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ出場。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ第4位。
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫談、顔面・声帯模写。
プロフィール
 本名畔上保彦。1960年8月24日生。兵庫県出身。
 上京後、カラオケスナックで歌マネしたら受け、そのうち“モノマネの流し”に。20歳の時、渋谷のショーパブで働くようになる。この時の同僚がコロッケ。
 番組では、六本木のディスコの人気ディスクジョッキーと紹介されていた。
ネ タ
(1週目合格 No.182 1983年10月15日放送)

 『モーレツ亜太郎』の色々なキャラクターの真似、続いて『ヤッターマン』の色々なキャラクターの真似、『魔法使いサリー』の1回目の話、近所の木がいきなり家になってもだれも驚かない。『巨人の星』で、一徹がいつもちゃぶ台をひっくり返しているのに、貧乏なのに勿体ないことをしている、しかもその後すぐに元に戻る。『サザエさん』は誰も年を取らない。カツオの遊びは野球しか知らない。しかも中島君とのキャッチボールしかしていない。中島君の両親を見たことが無い。サザエさんの家は1階建てなのに、CMで二階に駆け上がり電話を取るのはおかしい。

 赤塚「熱演だけど、ネタが古い。俺の漫画なんか知らないぞ(赤塚さんの漫画なんかありましたっけ? 中尾ミエがと突っ込み、うるさいと言われる)。それとオチが無い。一つ一つの話の区切りにオチを付けてほしい」と酷評。ただし、桂米丸は好評。京唄子は「小つぶに声が似ている。テンポもいい。ただ、途中で間を入れてほしい」と評価が分かれるも合格。
(2週目合格 No.183 1983年10月22日放送)

 デパートアトラクションのまね。
 バッタの口の形態模写。
 ムンクの叫びの形態模写。
 サイクロン→ライダーカード。サイクロンの時速600km、いったいどこへ行くんでしょうか。
 瞬間芸、ウルトラマンの目。
(3週目合格 No.184 1983年10月29日放送)

 沢田研二の顔真似。
 郷ひろみの瞬間顔真似(ただし似ていない)。続いて『哀愁のカサブランカ』を歌うと、「首絞めると、君は死んだ~」
 世良公則の声帯模写で「あんたのバラード」→途中で武田鉄矢、というより金八先生「あんたが大将」~「贈る言葉」
 最後に西条秀樹の「寺内貫太郎一家」の真似から、声帯模写「ギャランドゥ」

 ものまねに関しては、この頃からネタが変わらなかった。金八先生を日本で最初にものまねした人である。
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ前夜祭より No.195 1984年1月28日放送)

 半年前、3週目までトントントンと行って銅賞をもらったところで、サバイバルシリーズが始まりました。シリーズが終わって、さあ行くぞ、と思ったら新たに始まったこのシリーズ。私の4週目、どこへ行ったんでしょう?
 この番組のおかげで営業が増えました。この間、友達と一緒に広島へ行きました。すると前の方に見たことがある人たちがいるんです。
「あれ、ダークダックスじゃないか」
「いや、ボニージャックスだろ」
「ダークダックスだ」
「ボニージャクスだ」
 すると、前の人たちがこちらを向いて、
「私たち、デューク・エイセスです」
第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝 90点〇 No.271 1985年7月20日放送)

 チェッカーズの曲が流れる中。女「まるで○○(当時流行ったドラマの名前)みたいだね」男「でもこれがサザンなら不揃いの林檎達だよ」という一人コントで 若い女性にうけてました。
第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝 93点× No.292 1985年12月21日放送)

コートを頭から被って顔だけ出した格好で登場、ネタを少し披露(これはつまらなかった)。
その後、コートを脱いでものまねメドレー「危険なふたり」。
沢田研二→桑田圭祐→山田康男→コロッケ→世良正則→武田鉄矢→田原俊彦→西条秀樹→郷ひろみ→野口五郎→小川哲也
エピソード
 テレビのテロップでは「PALCO」表記でしたが、トーナメントなどでのボードでは「パルコ」とカタカナになっていました。どっちが本当だったんだろう。
 番組後期の女性人気は、ウッチャンナンチャン松竹梅に続く三番手だった。
感 想
 コロッケに近い芸風でしたが、ネタの幅が若干狭い分、コロッケほどは面白くなかったですね。物語に歌を絡めたネタの方が面白かったです。
その後・現在
 石ノ森章太郎原作、緒方拳主演の『迷宮課刑事 おみやさん』にゲイバーのチイママ役でゲスト出演してました。このドラマには桜金造氏が刑事役でレギュラー出演してました(たぶんアゴキン解散後)。
 その後、パルと名前を変えてフジテレビ系のものまね番組など出ていました。改名理由は、やはりあそこからクレームがきたそうです。
 しじみとさざえ(篠塚真由美と松下桂子)の「ものまね 思い出の九十九里浜」ではナビゲーター(小泉今日子とか、小林幸子とか、名前を言う人)として出ていた。しじみとさざえがレコード大賞最優秀新人賞にノミネートされたとき、二人と一緒にステージに上ったはいいが、司会の黒柳徹子に「あんた、誰?」と思いっきり非難されていました。
 今の名前は葉月パル。日本テレビ系のものまね番組などに出ています。葉月とは生まれた月からの由来らしいです。ちなみにコロッケさんの命名(葉月)だそうです。
 六本木で爆笑ものまねショーパブ、「セルフィッシュ」を経営していたが、2008年10月16日、営業終了。2005年の風営法改正に伴う2006年の東京都条例改正に引っかかったそうです。
 新たに株式会社パルメディアを設立し、社長となった。ものまねタレントを多数抱えている。またものまねタレントとして精力的に活動していた。
 葉月パルのオフィシャルブログ、『笑いは副作用の無い薬』がある。
 2010年7月、西麻布でショーパブ『ポルト・ベレーザ』をオープン。2013年12月31日に閉店。
 2014年、株式会社ヘリカルプロモーションを設立するも、今は閉じている。2019年現在、株式会社BBE (Big Booking Entertainment)所属。
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名 前
パロディフライ
初出場
 1983年4月2日(第3期グランプリシリーズ)
実 績
 5週勝ち抜き、銀賞獲得。
ジャンル
 男性二人、女性一人のコントトリオ。
プロフィール
 ミスター妹尾:本名妹尾和夫。1951年11月17日生。大阪府出身。
 神谷バッタ:本名神谷利明。
 松尾ペコ
 妹尾と神谷は日本大学演劇部の先輩後輩。妹尾は大学卒業後に大阪へ戻り、実家のパン屋を手伝いながら「DJ養成所」に通い、後にMC企画に所属。『部長刑事』『必殺シリーズ』『暴れん坊将軍』等で悪役として出演していた。神谷は学生時代に文学座に合格。研修生終了後、東京でエキストラなどを務めた後、テレビで見た妹尾を追って大阪に行き、MC企画に所属。俳優としてドラマ等に出演した。
 その後、妹尾と神谷は『スネークマンショー』を聞いて自らもコントをやろうと決断。日大の後輩、梅山(梅マカオ)を誘い、1982年にパロディフライを結成。大阪心斎橋のパルコの劇場で芝居(コント)をやって人気を得るようになった。1年後、行き詰まりを感じたところ、テレビで『お笑いスター誕生!!』を見て、全国ネットの番組に出演し、お笑いで顔を売ろうと出演を決意。妹尾の意見に神谷は賛同するも、梅山はお笑いはやりたくないと断ったため、新たにMC企画に所属していた松尾ペコを誘い、新たに結成した。
ネ タ
 必ず最後は夕日に向かって走り出し、音楽が流れていました。青春もののパロディが主でした。少女マンガチックな所がありましたね。
(1週目合格 No.154 1983年4月2日放送)

 学生コント。
 審査員の京唄子、鳳啓助から「きみたち2人は芝居がうますぎる。でも芝居やってんじゃないんだから」とダメ出しを受けた。しかし「彼女が救いになってるね。1人だけどこから来たのだろうというぐらい浮いてるからおもしろい」と評価された。
 赤塚不二夫からは「発想がおもしろいよね」と言われた。
(2週目合格 No.155 1983年4月9日放送)

 学生のテニスコント。
 ペコがラケットカバーを思い切り投げ捨て、舞台後方にいた司会の山田康雄、中尾ミエに当たりそうになるハプニングを起こした。
(3週目合格 No.156 1983年4月16日放送)

「贈る言葉」のメロディにのり、卒業証書を持って登場する神谷とペコ。
神谷「今日は晴れの卒業式」
ペコ「校長先生、ありがとう」
神谷「教頭先生、ありがとう」
ペコ「看護室の先生、ありがとう」
神谷「給食のおばさん、ありがとう」
ペコ「用務員のおじさん、ありがとう」

神谷「ペコ、今日こそオレはやるよ」
ペコ「やるって何を?」
神谷「やるったらあれだよ、あれ」
ペコ「あれって?」
神谷「校内暴力だよ」
ペコ「神谷君がー。キャハハハハ」
神谷「笑うなよ、ペコ。僕は真剣なんだぞ」
ペコ「けれど、相手はだれなの」
神谷「体育の妹尾先生さ」
ペコ「どうして?」
神谷「だって、ペコのことをバカにするんだよ。○○(思い出せない)だって」
ペコ「私のため? ペコ、嬉しい」
 突然、音楽が流れて、二人、踊り出す。このあたり、完璧に少女趣味(笑)。そこへ妹尾登場……。
(4週目合格 No.157 1983年4月23日放送)

 悲しい音楽にのって登場する神谷とペコ。ベンチを前に相手に話しかけようとする。
神谷「ボクと結婚しよう」
ペコ「私たち別れましょう」
 同時にハモる。
神谷「どうして別れなければならないだい、ペコ。僕たち、こんなに愛し合っているのに」
ペコ「ごめんなさい。私好きな人が出来てしまったの」
神谷「だれだい、それは」
ペコ「(小さな声で)妹尾さん……」
神谷「なに? 妹尾先輩だと。ボクの恋人を取るなんて許せない。決着を付けてやる」
ペコ「止めて。お願い」
 そこへ妹尾登場。
妹尾「後輩。お前、まだペコにつきまとっているのか。面白い。決着を付けてやる」
ペコ「妹尾さん。やめて」
妹尾「そうはいかない。ペコ、あっちへ行っているんだ」
 ペコ、舞台の影に消える。二人で殴り合う格好……。
神谷「あっちへ行ったね。」
妹尾「(急にオカマっぽく)あっちへ行ったね」
神谷「妹尾先輩。愛してる」
妹尾「後輩、私だって~」

 ここで客席から悲鳴(当たり前だわな)。本当に気持ち悪かった(笑)。

 この後は、ペコが登場すると妹尾と神谷が殴り合い。いなくなるとラブラブ(ウエー)。そして最後はいつもの通り、音楽が流れ、三人が走り出す。
妹尾「今回は名シーンをプレイバック!」
 様々なシーンをスローモーションでリプレイして
三人「パロディフライ、これにておしまい」
(5週目合格 No.158 1983年4月30日放送)

 先生・妹尾と生徒・神谷が登場。ともにペコへのラブレターを持っている。
 先生、退学をちらつかせ、神谷にペコのことをあきらめさせる。諦めた途端、先生、「推薦入学、決定!」。
 ところが妹尾先生、女性の前に出るとろくに喋れない。そのため、神谷にペコとの仲を取り持ってもらおうとする。
 そこへペコが登場、妹尾先生、陰に隠れる。ペコは幼馴染の神谷のことが好きで、呼んでもらって大感激。しかし妹尾先生、「退学」と大きく書かれた紙を持って、神谷に見せつける。

 審査では「1、2週目の青春コントと変わらない」「突出した笑いが無い」「同じものを見せられると飽きる」などと酷評だったが、合格。
(6週目不合格 No.159 1983年5月7日放送)

浪人生の神谷とペコがディスコへ踊りに来る。
しかし、ペコの「滑る」という言葉に落ち込む神谷。
そして、ピンクのワンピースを着ているペコへ向かい、「ピンクは恋人募集中なんだ」。
ペコ「そう、恋人募集中。だって、私の好きなのは、神谷くんだもの」
神谷「ええー」
喜ぶ二人。
神谷「ところで、ペコの将来の夢は?」
ペコ「えー、ひ・み・つ」
神谷「えー、教えてよ」
ペコ「お・よ・め・さ・ん」と、神谷を指さす。
盛り上がる二人。そこへディスコの黒服姿の妹尾登場。
妹尾「開店前に騒ぎやがって、うるさいんだよ」
神谷「あー、先輩」
ペコ「神谷くん、神谷くん、先輩って」
神谷「僕の街の妹尾先輩だよ。いつも模擬テストでは1番だったんだ」
妹尾、実は文部省のスパイとして潜入していると言っていろいろやり取り。最後、二人を追い払うが、実は妹尾、六年も浪人をしていて、ただアルバイトをしているだけだった。

 妹尾はコント中にセリフを忘れる。この時も演出家から何度もダメ出しされ、夜中にやっとOKが出たネタを必死で覚えたが、本番までに覚えきることができなかった。
(6週目再挑戦不合格 No.184 1983年10月29日放送)

 ペコの家にプロポーズをした恋人の神谷が来る。しかし、ママが死んでから男手ひとつで育ててきたパパは、授業参観にもママの格好をして、オカマの人生に目覚めていた。そこへ神谷が登場。「おかあさまですか?」と聞かれ、和服の裾を上げて「父です」と答える。
 神谷は男同士で話をしたいが、パパは大喜び。パパはペコにビールを買いに行かせる。パパは神谷に迫っていく。そこへペコが帰ってきて、パパと神谷にビンタ。実はパパは、我慢強い男を探すためにわざと演技をしていた、と説明。最後はお月様に向かって走り出す。
エピソード
 ペコと神谷はいつもペアルックでした。当時から付き合っていたのだろうか?
 大阪からネタを持って東京へ出向き、演出家に3~4本持っていくが「全部ダメ」と言われ、泊まり込みでネタを考え本番出演を果たした。
 (シティボーイズの)大竹まことは熱心で、よく『おい、パロディフライ、そのネタどっからもってきたんだよ』と聞いてきたらしい。
 楽屋外の廊下で稽古をしていた時、妹尾と1980年に放送されたNHKの銀河テレビ小説『御堂筋の春』で共演した古尾谷雅人が出合い、当時古尾谷が主演だったドラマ『若草学園物語』の楽屋に呼ばれ、そのまま話し込む。妹尾が古尾谷の楽屋から稽古場の廊下へ戻ってくると、『お笑いスター誕生!!』の出演者たちはみんな稽古をやめ、目を丸くして妹尾のところを見たとか。
感 想
 あまり面白いという印象がありませんでした。正直言って、銀賞まで勝ち抜いたのが不思議です。
著 書
 ABCラジオ編集『人生晴れたり曇ったり―全力投球!!妹尾和夫ですの本 通称カズぼん。』(青心社,2006)
その後・現在
 様々なテレビ番組やイベントに声がかかるようになったため、東京で活動するために石井光三オフィスに所属。
 順調に仕事が入るものの、神谷は「自分は役者一筋の人間。コント赤信号の前座やパーソナリティはつらい」と妹尾に語り、さらにペコと交際していた神谷は、ペコの父親に「結婚を許す。その代わりに俳優、芸人はやめて普通の職業に就いてほしい」と言われ、結局1984年頃に解散。
 ペコと神谷は結婚しました。
 妹尾は大阪に戻り、本名で俳優、リポーター、ラジオパーソナリティとして関西を中心に活動。MBSラジオ『ネットワーク1・17』(月曜19:30~20:00)(1996年4月~2008年3月)、ABCラジオ『全力投球!! 妹尾和夫です』(2003年9月29日~2009年7月3日)、KBS京都ラジオ『妹尾和夫のパラダイスKyoto』(2010年4月9日~)のメインパーソナリティを務める。また、ABCテレビ『せのぶら!』(2010年3月-2014年3月31日)にもメイン出演。
 1985年に演劇ユニット『売名行為』を立ち上げる。1992年に「劇団パロディフライ」を結成し、1993年に旗揚げ公演。以後、定期的に舞台公演を行っている。
 現在はパロディフライ・プロダクション所属。劇団パロディフライの公式HPはこちら
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名 前
VANVAN
初出場
 1982年6月19日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 1週勝ち抜き。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ出場。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 モノマネ漫才コンビ。
プロフィール
 西仁(ひとし):不明
 仲一也:本名中島福雄。長野県出身。
 西は「マイラブマイラブ」でヒットを飛ばした元GSのザ・ヤンガーズ!!。解散後、3人組のザ・ジンギスカン・トリオ結成解散を経て、1975年に南英二、ジョニー高田らとブラックジャックを結成(『風のいたずら』を歌ったブラックジャックは別コンビ)。泉ピン子のバックバンド、ジャイアント吉田とブラックジャック、牧伸二とブラックジャック(シングル『マキシンのソウル・それはないじゃないか』がある)を経て、漫才師に。
 仲は模写漫談で1973年にデビュー。
ネ タ
 確か催眠術のネタでいろんな芸能人の催眠術をかけると、かけられた方がものまねでその芸能人になりきるというネタでした。
エピソード
 西さんが「顔色が悪い、暗い」と酷評され、かつてのアイドルGSもかたなしでした。
 西さんは並行して「ジャイアント吉田とブラックジャック」にも所属。サバイバルシリーズのグランプリコーナーにて、「小柳トムとブラックジャック」にも登場。
感 想
 オーソドックスな芸風でした。モノマネの人選もオーソドックスでした。
その後・現在
 VANVANは、『ザ・テレビ演芸』の勝ち抜きにも出てたと思います。
 ネタは覚えてませんが、私が見たときはチャンピオンで紹介され、勝ち抜いたので2、3週は勝ち抜いたのではないでしょうか。
 解散。西の方は不明。
 仲一也は一矢と改名。相撲の呼び出しの衣装を着た相撲漫談で、寄席・ホールなどで活躍。初代から現在までの歴代横綱名を語る漫談が人気。
 和田アキ子の司会者として5年間勤めたり、1985年~1993年まで巨人選手のイベントの司会を務めるなど、司会者としても活躍。社団法人落語芸術協会協会員。東京演芸協会協会員。
 デビュー以来所属していた佐藤事務所が2008年?に解散したため、現在は牧プロダクション所属。
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