『お笑いスター誕生!!』 名鑑【あ】


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名 前
アイ謙治
初出場
 1981年3月14日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 漫談。
プロフィール
 当時はプロでした。はかま光緒のお弟子さんです。奇術、コントその他いろんなことをやってみたそうですが、失敗の連続だったそうです。
ネ タ
(1週目不合格 No.49 1981年3月14日放送)

 タレントの名前をアナグラムにしたクイズ。「婆と爺やん」「鶴、蛸、蛆」なんてのがあった。
 この人途中であまりにもネタが見破られるので、この人の名前はこう変えられるってなネタに変えてたような気がする。
「桜田淳子は"うんこなんとか"になるよ」とか言ってたような記憶がある。
 死ぬほど投げやりだった(すんませんウロおぼえで)。
 タレントの名前をアナグラムにしたクイズで、誰も知らない人の名前に関する出題がありました。
 会場のお客さんが「えっ誰?」という雰囲気になり(というかその時点では誰ももう聞いていなかったかも)、そこでアイさん「これは僕の家の近所の八百屋のおじさん!」会場はシーンでした(お茶の間の僕は少し笑いました)。
(オチのネタ)
「じゃぁこれわかるかな。『かわかむりみよ』さあ、これは誰の名前でしょう。・・・わからない?これはね、『川上むりよ』っていって僕の近所の魚屋のおばさん。どうもありがとうございました~」
 オチだけは私は笑いました。それと途中で『ざ・ちんぼ』というパネルを出しかけてあわてて引っ込める場面がありました。あれは本当に出すタイミングを間違えたのか、チラッと見せるだけのネタだったのかどちらかはわかりません。しかし覚えているのが下ネタだけとは……アイ謙司が悪いのか私が悪いのか……。
エピソード
 審査員からもボロカス言われてた。
 確か会場の人たちの笑いの多さを示したグラフがほとんど記録されていなかったような……。
感 想
 出す問題が全て会場の子供に即答されて、笑いが取れなかった。審査員にも「ボードの出し方や字を工夫したら」と言われていた。予想通り不合格でしたが、2週目に何を持ってくるのか気になった。ボードの文字はオールひらがなでした。
 カプセルの中で、どう考えても受かる訳がないのに必死で祈っているアイさんの姿が印象的でした。
 さんざんに言っておいてなんですが、もし2週目に合格していれば、2週目以降もっと違ったアイさんが見られたかもしれません。1週目は緊張していたかもしれません。
 それから、当時の印象としては話術は決して下手ではありませんでした。
 何よりあれだけの観客の前で堂々と話ができるのですから(誰も笑わない話をヌケヌケとという意味では決してありません)、やはりプロのはしくれだったのでしょう。
その後・現在
 不明。
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名 前
青芝金太・紋太
初出場
 1980年5月31日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 10週勝ち抜きグランプリ獲得。7組目。
 第1回ゴールデンルーキー賞出場。
 第2回ゴールデンルーキー賞敢闘賞。
ジャンル
 漫才コンビ。ヒガミ漫才が売り。太っている方が紋太。
プロフィール
 青芝金太:本名・木下賀津文。1957年3月8日生。長野県出身。
 青芝紋太:本名・渡辺信夫。1956年7月17日生。大阪府出身。
 1978年結成。和光プロ所属。師匠は元漫画トリオの横山フック→現・青芝フック。顔が金太郎に似ていることから“金太”。顔が猿に似ていることから“モンキー”。金太・モンキーでは語呂が悪いので、クンタ・キンテのイメージで“金太・紋太”になった。金太は結成前、兄と青芝金之助・銀之助というコンビを組んでいた。
ギャグ
 北島三郎の物真似ネタ。指で鼻の頭を押し上げて「さけちゃ~づけ~♪」
 マイナーギャグ。
「あか~ん、田舎へ帰れ!」紋太
 漫才の合間に入れるギャグ
 紋太(太っているほう)がTシャツをまくり、おなかを膨らまし……「うっ、生まれる~~~ぅ!!」と叫んでいたギャグをしていた(本当にお腹が大きくなったのでびっくりした)。
ネ タ
(多分1週目合格 No.8 1980年5月31日放送)

金太「ようこそおこしいただきました。青芝金太でございます」
紋太「紋太や!」
金太「いきなり何ちゅう言い方するねや、お客さんに失礼やろ」
紋太「わてらのこと、あんまりきたいしとらへんやろ」
金太「そんなことないがな」
紋太「舞台なんかどうでもええ。早よ帰ろ」
金太「またどないなっとんねやきょうは」
紋太「これがおいらの生き方や。シラケの三無主義やからね」 金太「三無主義?」
紋太「そうや」
金太「無気力、無関心、無責任っていう、あれかいな」
紋太「ちがうわい」
金太「ほな、遅れず休まず仕事せずの方かいな」
紋太「もっとましなやっちゃ」
金太「どんなんや、お前の三無主義は?」
紋太「うらむ、ねたむ、ひがむや」
(おそらく2週目合格 No.9 1980年6月7日放送)
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>1回目 38点 No.68 1981年7月25日放送)

 金太の故郷で日本のチベットと呼ばれている長野ネタ。
(3週目合格 No.10 1980年6月14日放送)

紋太「最近の若い衆はろくに挨拶もでけんわ」
金太「若い衆!? そんな言葉知らんがな。ほなキミいくつやねん」
紋太「年いくつ? 年いくつとハッピー&ブルーやないか」
金太「しょうもないこと言うな!」
紋太「まあええがな。挨拶もでけんという話や」
金太「そうそう」
紋太「その最大の原因は過保護。過保護がいかに人間をだめにするか! そのええ見本が…」
金太「うん」
紋太「こいつです」
金太「過保護と違うわ。かわいがられとったちゅうねや、それは」
紋太「その点、うちの家なんかスパルタ教育でねえ。父親をボクは尊敬してました」
金太「なるほど。どういうとこ尊敬してた?」
紋太「夜中一人で便所へ行くしね」
金太「どんな親や!」
紋太「だいたい最近の若者は一人では何もようせん。オートバイ乗るにもカミナリ族いうてねえ…」
金太「カミナリ族!? あんなもん、20年前にはやったで! おまえ、年いくつねん」
紋太「年いくつとクールファイブや」
金太「アホな! 名前変わっとるやないか」
紋太「最近はタケノコ族や。なんでも集団でないとようやらんのか」
金太「なさけないわなあ」
紋太「集団万引き、集団売春。集団コレラに集団疎開…」
金太「うわー。疎開やて、大昔やがな。おまえ、年いくつや」
紋太「年いくつとドリフターズや」
金太「ドリフターズ!」
紋太「まあまあ。大学の入試でもお母さんと一緒やないとよう行かん。ボクなんか何でも一人でやらされたもんです」
金太「ふーん、よっぽど厳しかったんやね」
紋太「考えてみれば、ボク出生届も一人で出しに行ったもんです」
金太「そんなアホな!」
(4週目合格 No.11 1980年6月21日放送)
 不明
(5週目合格 No.12 1980年6月28日放送)
 不明
(6週目不合格 No.13 1980年7月5日放送)
 不明
(6週目再挑戦合格 No.24 1980年9月20日放送)

金太「(エンジンをかけ)ブーン」
紋太「青芝、金太君」
金太「はい」
紋太「職業、漫才師!」
金太「ええ、ちょっとやってます」
紋太「ちょっと、ここでやってくれへん」
金太「車のなかですよ」
紋太「漫才、聞かしてくれへん」
金太「よろしいがな」
紋太「漫才やれって」
金太「今、練習中ですし」
紋太「今日は補習だな……」
金太「やります、やります」
紋太「(指でやれとポーズ)」
金太「(両手を上げて)はあい、青芝金太で~す」
紋太「ハンドルから手を離すな(と頭を叩く)」
金太「先生が漫才やれって言いましたから」
紋太「ハンドルは車の命じゃないか」
金太「わかりました」
紋太「漫才と言ったら、色々な芸能人と会っているんじゃないの」
金太「(紋太の方を向きながら)この間ね、桜田淳子ちゃんに会いました」
紋太「歌手の桜田淳子!」
金太「楽屋一緒でしょ。顔は綺麗だし、ミニスカートだし、お乳はプリンプリン」
二人「わはははは」
紋太「前方不注意(と頭を叩く)」
金太「先生が喋るから、ついそっち向いちゃうじゃないですか」
紋太「なに、それ。先生に反抗するのか」
金太「いや、その」
紋太「そういう反抗的な奴にはな」
金太「はい」
紋太「ハンコはやれないぞ」
金太「(金太、無視して運転の練習)」
紋太「ハンコ……、笑わんかい」
金太「あまり面白くない洒落でんな」
紋太「協調性に欠ける」
金太「笑いますがな。笑います」
紋太「笑え」
金太「(思い切り口を開けるが仕方なく)ハハハは」
紋太「笑いたくないんか」
金太「(もう少し声を大きく)ハハハハハ」
紋太「心の底から大きく笑え」
金太「ワハハハハハ」
紋太「やかましいな」
金太「(思わずどつく)どうすればいいんや」
紋太「もう少し練習せい。反射神経が必要だな」
金太「反射神経ってどうするの」
紋太「信号赤は」
金太「止まれ」
紋太「黄色」
金太「注意」
紋太「青」
金太「進め」
紋太「天才やな、お前」
金太「どつくぞ、おまえ。誰でもわかるわ」
紋太「ところが急にパッと言われるとわからんもんです。あっ、赤」
金太「うー、止まれ」
紋太「遅い。遅い。赤止まれ、赤止まれ、赤止まれれ。こういうテンポでいかなければならん」
金太「赤止まれ、赤止まれ、赤止まれ」
紋太「黄色」
金太「止まれ」
紋太「(頭をどつく)」
金太「ペテンやな、それは」
紋太「黄色」
金太「注意」
紋太「赤」
金太「ちょまれ」
(二人、思わず苦笑い)
紋太「黄色」
金太「注意」
紋太「赤」
金太「パス」
 紋太、金太の頭をどつく。
紋太「黄色」
金太「注意」
紋太「赤」
金太「止まれ」
紋太「青」
金太「ポイ」
 紋太、唖然。
紋太「黄色」
金太「注意」
紋太「赤」
金太「止まれ」
紋太「青」
金太「ピン」
 紋太、唖然。
紋太「黄色」
金太「注意」
紋太「赤」
金太「止まれ」
紋太「青」
金太「い、行って!」
(7週目合格 No.25 1980年9月27日放送)
 不明
(8週目合格 No.26 1980年10月4日放送)

インタビューアー:長嶋監督、お疲れさまでした。
長島監督:あのぉ、わたくし栄光の巨人軍の長島茂雄です。あのぉ、ほおつに、そのぉ……。栄光の巨人軍は不滅です、ハイ。
インタビューアー:今日の勝因は何でしょうか?
長島監督:やはり、何といいましても、あのぉ……、張本クンの……。
インタビューアー:張本?
長島監督:いえ、あのぉ、スタルヒンの……
インタビューアー:スタルヒン! もういませんよ!
長島監督:ですから、あのぉ、栄光の巨人軍は不滅だと、いうことですね。
インタビューアー:それはわかりました。ところで今日の勝因を聞かせてください。
長島監督:え、ショーヒンですか。ですから、まあ何と言いましても、スーツはバーバリ・スーツと。

紋太「プロ野球もプロレスを見なろうて、迫力ある試合せんとあかんね」
金太「アメリカの大リーグに較べたらひ弱なもんや」
紋太「お嬢さん野球や。その点、プロレスみてみいな。名前からしてゴッツイで」
金太「そうか」
紋太「上田馬之介とか」
金太「馬之介!」
紋太「大木金太郎とか」
金太「金太郎!」
紋太「ミスター珍とかね(単行本では中尾ミエ)」
金太「珍(ミエー)!! あーこわい」
紋太「そやからルールも改正した方がええ。どしゃ降りでもやるとか、凶器攻撃もええとかね」
金太「どないするねん?」
紋太「キャッチャーはマスクの下に栓抜きを隠してもええとか…」
金太「こわいがな!」
紋太「デッドボールの場合でも、打者が倒れたら、キャッチャーがかぶさってスリー・カウントで打者がアウト!」
金太「病院が先やがな!」
紋太「いちばん軟弱なルールが時間切れ引き分け。これはすぐに直さないかん」
金太「どうするの?」
紋太「監督同士で60分1本勝負や」

紋太:去年の野球はおもろなかったねえ。だいたい在阪球団があかんかったんや。
金太:阪神タイガース。
紋太:阪急ブレーブスね。
金太:そうそう
紋太:それにPL学園……。
金太:それ高校野球やないか?
紋太:おまえ、スポーツ新聞読んでへんのか。こないだ南海との入れ替え戦でPLが勝って替わったやないか。
金太:ホンマかいな!
紋太:南海は春の選抜大会も危ないと言われてるんやで。
金太:……?
紋太:ところで南海のドカベンね。阪神のブレーザー監督が欲しいいうてドラフト会議で一位指名したけど、契約したんかいな?
金太:無茶苦茶言うな! 野村監督やないか。おこられるで。
紋太:怒られるのは、お前じゃ。

インタビューアー:ところで王さん、あなたはなぜ選手生活を断念されたのですか?
王:実は私、一本足打法でこれまで来たでしょ。二股はかけられません。
(9週目合格 No.27 1980年10月11日放送)
 不明
(10週目不合格 No.28 1980年10月18日放送)

「いのちの電話」漫才。
Q「もしもし、ぼく中三の男子ですが、母とおかしな関係になりまして」
A「それは近親相姦といいます。最近多いんです」
Q「どうしたらいいんでしょう?」
A「そういう場合は、お母さんを、私にも紹介して!」

Q:もしもし、中一の女子なんですけれど、妊娠したらしいんです。どうしたらいいんでしょうか?
A:大変ですよ、それは。先生や親に知れたらどうします! 黙っててあげるから、五千円出せ!

Q:もしもし、ボク、高一の男子ですけど、世の中嫌になりました。もう死んでしまいたいんです。
A:どうしても死にたいんですか? それでしたら、首吊りにしなさい。されは最高に気分いいもんですから。

Q:もしもし、ボク、悩んでるんですが……。
A:ハイハイ、まいど有り難うございます。こちら、ただいま絶好調「いのちの電話」です。

A:もしもし、こちら「いのちの電話」略して“いのデン”ですがね。何かご注文は?
Q:いまんところ、間に合ってます。
A:そうですか。明日は十時開店になっております。みなさん、お誘い合わせのうえ、ジャンジャン、いらっしゃい。
Q:それはパチンコ屋でしょ!

A:もしもし、こちら「いのちの電話」ですが……
Q:「いのちの電話」さん? 待ってましたんや
A:えっ!
Q:グッドタイミングですわ。実はボク、今から自殺するんです
A:自殺!! 待ちなさい! 思いとどまりなさい!
Q:いえ、準備もすっかり整いましたし、もうこれは決定したことですから……
A:決定した! そんなバカな、ちょっ、ちょっと待ちなさい。死ぬ理由を言いなさい
Q:……太陽がまぶしすぎたから…
A:カッコいい! まてまて、キミは柴田恭平か?! あんた、本当の理由を言いなさい!
Q:……海が静かすぎたから
A:そんなのは理由になりません。もっとちゃんとした理由を言いなさい! たとえば、女の子にもてないとか…
Q:もててます
A:人気がないとか…
Q:人気は抜群です
A:性格が陰気で友達ができないとか…
Q:まるで陽気です
A:ほんなら、人よりちょっと腹が出ているとか…
Q:そんなことはありません
A:今の仕事に責任が持てないとか…
Q:自信もってます
A:そやろな。今のはみんな私の悩みやから……。これだけ悩みがある私が雄々しく生きていこうとしているのに、何でアンタみたいな悩みのない方が自殺しようとするの?
Q:それはおかしいですよ。これだけ悩みのないボクが自殺しようとしているのに、そんなに悩みのあるアンタが、何で生きようとするのや? 何でや? 早よ言いなさい!
A:急にそんな風に言われても……
Q:早よ言わんかい!
A:それは……太陽がまぶしすぎたから

 大受けだったが、ネタがやばいせいか、グランプリならず。
(何週目か不明)
紋太:「お笑いスタ誕」を勝ち抜いてるおかげで、おれたちえらい人気や。
金太:そうですねえ、ありがたいことです。
紋太:今日も新宿の駅を下りたら、さっそく声かけられてね。
金太:なかなかコエなんかかけられませんよ(と、肥桶から肥を紋太にかける真似をする)。
紋太:そらもう臭うて臭うて……。まて、まて! 意味が違うやないか、言葉をかけられてん。
金太:…ということは、君が歩いとったら若い女の子とがツカツカツカと寄ってきて、キャー、紋太さんサインして! とか握手してとか言われたわけやな。
紋太:ちょっとちがうなあ。「兄ちゃん、ええ体しとんなあ、自衛隊入れへんか」

 タノキンのタはタモリ、ノはのりお・よしお、キンは金太・紋太。
 タノキンのタは田淵のホームラン、ノは野村の渋いリード、キンはシピンの華麗なエラー。
(何週目か不明)
金太「ようこそいらっしゃいました。まあ、審査員の皆様男前ばっかし」
紋太「こらこら! 審査員に媚び売るな! 我々も漫才師の端くれや。芸で勝負や芸で」
金太「たとえば?」
紋太「一万円札を握らすとか……」
金太「どこが芸やねん! それは芸人の芸やない。政治家の芸や」
(何週目か不明)
 紋太が漫才の途中でデストロイヤーのような覆面をかぶり客席に乱入。審査員のマイクを使い、外人レスラーのようにめちゃくちゃな言葉でわめきちらす。金太が戻ってこいと叫ぶと「うみはよ~、うみはよ~、でっかいうみはよ~」と当時はやっていた村木賢吉のおやじの海をのど自慢に出場したおっさんのように歌いだす。
(10週目再挑戦不合格 No.51 1981年3月28日放送)

レスキューのネタで
「大火事だ、今助けるぞー」
「そこには和田アキコがいた」
「さよーならー」
みたいなかんじでした。


(東京ブギウギ)
青芝金太紋太も2回目のグランプリ挑戦でやってました。
ネタは忘れたけど、途中で挟んでましたね。
あの時は何で不合格になったんだろ?
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>3回目 39点 No.72 1981年8月22日放送)

 恐山のイタコネタ。紋太がいろいろな有名人の物まね披露。
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>4回目 42点 No.74 1981年9月5日放送)

 復活してほしい芸能人。
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>5回目 39点 No.78 1981年10月3日放送)

 あこがれの人を語るが、全然間違っているネタ。
(10週目再挑戦合格 グランプリ受賞 No.110 1982年5月22日放送)

金太「はい、どうもこんにちは、青芝金太です」
紋太「紋太くんでございます」
金太「いやーもう早いもので、我々も東京に出てきてもう1年ぐらい経ちまして」
紋太「ほんとね、ボクなんかすっかり東京の生活に慣れちゃってさー」
金太「あらー、あらら」
紋太「ほんとだよ」
金太「あら」
紋太「てやんでぇ、べらぼうめ」
金太「ホンマに慣れた?」
紋太「ホンマやんけ。だからさ」
金太「大阪弁やないか、それ」
紋太「ホンマやって、ご隠居さん」
金太「誰がご隠居や、ご隠居。いらんこといいやがって」
紋太「しかしね、我々ね、東京へ来る時期ね、これ間違えました」
金太「間違えましたかね」
紋太「新幹線に乗ってね、東京駅へ着いた瞬間ね、漫才ブーム終わってました」
金太「ワ、ハッハッハッハッ(手を叩いて大笑い)、お前、楽しいね」
紋太「笑っとる場合か」
金太「いやいや」
紋太「それにしてもあのブーム異常やったからね」
金太「ホンマびっくりしましたね」
紋太「B&Bさんが一番に儲けたらしいからね」
金太「あれはすごかったね」
紋太「洋八さんなんか見てみい」
金太「なんや、なんや」
紋太「横でなんでやねんいってるだけで2000万の結婚式挙げてんねんからね」
金太「テレビ録画したわ。それにしてもパーッと盛大に2000万ですよ、2000万」
紋太「ほんとね」
金太「いつ別れるのかわからんのに」
紋太「つぶすな、おまえ」
金太「そこでね。俺もそろそろああいう盛大な結婚式を挙げたい」
紋太「いや、お前無理」
金太「なんでや。おれかてああいう風にパーッと」
紋太「お前、長野県出身やで」
金太「そうや」
紋太「長野県出身は、無闇に結婚してはいけない、という決まりがあるだろ」
金太「アホな」
紋太「だいたいね、長野県出身はあきまへんね」
金太「なんでや」
紋太「山に囲まれて、海がないでしょ」
金太「ま、ちょっと山が多い」
紋太「一日で太陽が当たる時間が2、3分しかない」
金太「なんでや」
紋太「だいたいね、人間が暗い」
金太「何を言うてまんねん」
紋太「ホンマやないか」
金太「そんなことあるかい。俺なんか滅茶苦茶明るいわい」
紋太「そうか?」
金太「(その場を一周しながら)アホ、ヒッホ、ヒャッホ、ヘヘッ」
紋太「それおかしいんねん。明るいんじゃなくて、おかしいんねん」
金太「社長、何を言うてまんねん」
紋太「誰が社長や」
金太「おかしなこと言うな、ホンマに。だいたいえらそなことをいっとるがな、お前かてこの顔では結婚できん」
紋太「アホか、お前は。男は顔で結婚するんじゃないんや」
金太「じゃあなんやねん」
紋太「じゃあ見てみいや」
金太「誰や」
紋太「阪神の掛布」
金太「どないしてん」
紋太「あんなくしゃおじさんでも結婚できるんだぜ」
金太「お前、阪神ファンならぼろくそ言うな」
紋太「阪神ファンやけど、今年弱すぎるねえ」
金太「ま、ほんと弱すぎるけどな」
紋太「なんか噂では、PL学園の方が強いらしいぞ」
金太「そこまで弱くはないわ」
紋太「ま、そんなことより、この間、もっと驚くべき結婚式ありましたね」
金太「誰や」
紋太「笑うで」
金太「誰や」
紋太「聞いてお前笑うで」
金太「誰や」
紋太「山下達郎、ブブブブブ」
金太「(きょとんとしている)」
紋太「受けへんか」
金太「何がおかしいの」
紋太「何で?」
金太「山下達郎、幸せでええがな」
紋太「うっそや。俺、あいつ初めてテレビで顔見たときな」
金太「何や」
紋太「あれ? 竹村健一がメガネ外し取るんかと思ったで」
金太「あのな」
紋太「顔と頭、同じやで、あれは」
金太「顔と頭はほっといたれや」
紋太「何考えとんやと」
金太「しかしあいつは凄い」
紋太「何がや」
金太「音楽的センス抜群!」
紋太「なあに言ってんの。音楽的センスやったら俺にもあるわ、俺にも」
金太「何があるねん、お前」
紋太「ト音記号書けるで」
金太「そんなもん、誰でも書けるわ」
紋太「点線なぞらんでも書けるぜ」
金太「どんな帳面つこうとったンや、お前は」
紋太「なんでやねん、すごいやないか」
金太「よっぽどアホやで、それは」
紋太「じゃあ、お前書けるんか」
金太「書けるわ」
紋太「じゃあ書いてみいや」
金太「こういうやつやないか(空に大きく書くが…)」
紋太「それクエスチョンマークやないか」
金太「アハハハハハ、ま、だいたいあいつが凄いところがもう一つある」
紋太「何?」
金太「ギター弾きながら歌いよる。あれは凄い」
紋太「ギターぐらい何やねん」
金太「何やねんや」
紋太「ジャイアント馬場見てみいや」
金太「どないしたんや」
紋太「わけのわからん楽器弾いとるで」
金太「わけのわからんって」
紋太「あんな大きい指で、鍵盤二つ弾かないんで」
金太「あほか、あれはマイバンドっちゅうやつや」
紋太「マイバンドだかバンドエイドだか知らないが」
金太「バンドエイドって」
紋太「(馬場の真似で)僕にも弾けたって。あれ、誰でも弾けるで」
金太「ああっ、もう、俺、汗出てきたわ。」
紋太「何でや」
金太「そんなこと言うなって」
紋太「40過ぎて、アホやで、おっさんにもなって」
金太「まっ、ちょっと聞いて」
紋太「なに」
金太「あの人勉強家。本買ってパーッと読むしな、英語ペラペラ」
紋太「それ、嘘や」
金太「なんでや、ホンマやって」
紋太「日本語やってろくにしゃべれんのに何で英語ペラペラや」
金太「ホンマやって。俺聞いたこともあるもん」
紋太「(馬場の真似で)I am a boy.This is a pen.これじゃ人間モドキやないか」
金太「そんなボロカス言わんでもいいやないか」
紋太「まあね」
金太「そんなことより、あの人もそういう風に勉強家ということは、一つの取り柄や」
紋太「取り柄ね」
金太「人間、一つくらいあるもんや」
紋太「あるある」
金太「お前あるんか」
紋太「あるよ」
金太「何があるんや」
紋太「人より口が臭いやないか」
金太「何がや(紋太、息を吹きかける)うわぁ、ホンマに臭いな」
紋太「だから言うてんねん」
金太「ちょっとお前、もっと上品なものをいえ、綺麗なやつ」
紋太「あるある」
金太「何や」
紋太「自慢がある」
金太「ある?」
紋太「この若さでね、糖尿病ですねん、ハハハハ」
金太「違うわ。その話やめとこ。ま、竹内まりやと山下達郎。これはいわゆる職場結婚や」
紋太「ああっ、職場結婚」
金太「考えたらね、結婚の中で一番多いのが職場結婚」
紋太「ああ、そうらしいね。うちの両親もそうでした」
金太「あ、ホンマかいな。じゃあお母さん、仕事何やっとったんや」
紋太「元婦人警官やがな」
金太「じゃあ親父も警官?」
紋太「いや、泥棒」
金太「どんな職場結婚や」
紋太「いや二人ペアの、こんなブレスレットしとったんや」
金太「手錠ちゃうか、それは」
紋太「そんな古いボケやるか」
金太「ちょっと古い漫才やりすぎましたな。ま、そんなしょうもないこと言っているんやなくて、考えたね」
紋太「なんや」
金太「僕もこうテレビ映っとるわね。ということは、松田聖子ちゃんとか河合奈保子とか、職場結婚ができる可能性がある」
紋太「いやー、それは甘いな、それは」
金太「なんやねん」
紋太「漫才師と歌手じゃ全然ちゃうねん」
金太「同じ芸能界やがな」
紋太「やっぱり松田聖子に合うと言ったらな、郷ひろみとかな」
金太「あら、あの噂、ホンマ」
紋太「ホンマやねん。昨日目撃したもんね。」
金太「どこでや」
紋太「渋谷でや」
金太「あーわかった、腕組んで歩いていた?」
紋太「ちゃうちゃう」
金太「なんや」
紋太「二人で立ち食い蕎麦食ってたんや」
金太「ホンマか、それ」
紋太「だけど歌手は違うねぇ」
金太「なにぃ」
紋太「いなり寿司まで食ってたんや」
金太「知らんちゅうの」
紋太「やっぱすごいね」
金太「知らんわ。ま、そんな聖子ちゃんあかんかったら、奈保子にしとこ」
紋太「簡単に言うな。ものすごい簡単に言うな」
金太「ええやないか。きっかけさえ作ったら」
紋太「難しいで、きっかけなんて。できるか。じゃあ、スタジオ一緒になったりしたやな」
金太「声掛ければいいねん」
紋太「うまいことやれるか」
金太「当たり前やねん。まかして」
紋太「わかった。そしたらな、俺が向こうから河合奈保子で歩いてくるから、お前声掛けて」
金太「まかせて」
紋太「ほな、行ってみましょ」
紋太、下手から歩いてくる。
金太「ちょっとすみません」
紋太「はい?」
金太「あなたは、神を信じますか~?」
紋太「アホか、お前は」
金太「まあ」
紋太「ええか、すれ違いざまに歌手の持ち歌を歌うんや」
金太「ああ、なるほど。そうしたらどうなる?」
紋太「そしたらこの人、私のファンちゃうかな~って、きっかけができる」
金太「ああ、ええ考え!」
紋太「あっ、向こうから河合奈保子が歩いてきた」
金太「す、き、です、言えないけど♪(「ラブレター」)」
紋太「そうそうそう、あっ、柏原よしえや」
金太「紅茶のおいしい、喫茶店(「ハローグッバイ」)
紋太「そうそうそう、あっ、こっちから森昌子」
金太「うろうろすな、お前は。出てけや。アホーっ」
紋太「やめろや、お前」
金太「あんなん、歌手ちゃうがな」
紋太「元歌手やないか」
金太「お前もやで」
紋太「ま、ま、ま」
金太「他の歌手やってや」
紋太「あっ、岩崎宏美」
金太「す、す、すみれ~や、すみれ」
紋太「それモスラや」
金太「雰囲気、雰囲気」
紋太「どういう雰囲気や」
金太「他の歌手やって、他の」
紋太「あっ、伊藤つかさ」
金太「(とまどいながら)い、い、伊東へ行くならハ・ト・ヤ」
紋太「何やそれ。ならあの子の電話番号は4126か」
金太「いやいやいや、パッと言われても咄嗟に出てこんで」
紋太「そこをパッと言わなきゃあかんやろ」
金太「なら、お前やってみろや」
紋太「まかせて」
金太「あっ、河合奈保子」
紋太「好きです、言えないけど♪」
金太「あっ、柏原よしえ」
紋太「紅茶のおいしい喫茶店♪」
金太「あっ、松本伊代」
紋太「センチメンタル、ジャーーーニー♪(「センチメンタル・ジャーニー」)
金太「あっ、聖子ちゃん」
紋太「か、ぜ、たち~ぬ~♪(「風立ちぬ」)
金太「あっ、シュガー」
紋太「くたばっちまえ、アーーーメン♪(「ウェディング・ベル」)」
金太「あっ、青江美奈」
紋太「(「伊勢佐木町ブルース」のイントロで)たららたったたったたん」
二人「あぁ、あぁ(場内拍手)」
金太「さすが(と拍手)」
紋太「バッチシや」
金太「言うだけのことはある。さすがやな。あっ、河合奈保子」
紋太「好きです、言えないけど♪」
金太「あっ、柏原よしえ」
紋太「紅茶のおいしい喫茶店♪」
金太「あっ、松本伊代」
紋太「センチメンタル、ジャーーーニー♪」
金太「あっ、聖子ちゃん」
紋太「か、ぜ、たち~ぬ~♪」
金太「あっ、シュガー」
紋太「くたばっちまえ、アーーーメン♪」
金太「あっ、増田けい子」
紋太「すずめ、すずめ♪(「すずめ」)」
金太「あっ、中島みゆき」
紋太「真理子の部屋で~♪(「悪女」)」
金太「あっ、北島三郎」
紋太「(鼻を指で挙げて物真似で)さ~けちゃづけ~(「永谷園」のCM)」
紋太「もうええわ」
二人「有り難うございました」

 実力の割りに厳しいことを審査員に言われることが多かった二人だったが、この回はべた褒めだった。テンポもよく、笑いも多く、文句無しの受賞。
エピソード
 会社に新幹線に乗せてやるから出て見ろ、といわれてお笑いスタ誕に出演した。番組のことは何も知らなかった。
 6週目に落ちたとき、金太が長野に帰り、紋太は電報で呼び戻した(ネタかもしれない)。
 8週目合格で金賞を獲得した際、紋太がプロになりますと宣言(1週間前にギャグ・シンセサイザーが金賞を獲得してプロになると宣言した真似)。あなた、プロでしょと中尾ミエに突っ込まれた。
 二人がグランプリシリーズで最初に落とされたのは金太がネタを忘れてトチってしまったためで、以来不仲状態が続いていたと『陽気にワン・ツー・スリー』の番組中に紋太本人が語っていました。
 グランプリ後のグランプリコーナーで「この番組で10週勝ち抜くとスターの座が約束されるけど、まだ約束守ってもらってない」というネタをやってましたけど、ネタではなく本音だったりして……。
感 想
 当時あの番組での関西勢のエース格に位置されてましたので、それはそれは面白かったという記憶があります。
 青芝紋太………恵まれない天才です!好きでした。
受賞歴
 1978年 第9回NHK上方漫才コンテスト優秀敢闘賞受賞
 1980年 第15回上方漫才大賞新人奨励賞受賞
(モンタ&一億で)
 1996年 マジックパラダイス・イン・ハワイにて2分間コンテストの部で優勝
レコード
青芝モンタ「終極宣言」(1985)
青芝モンタ「3気音頭」(2010)
その後・現在
 栄えある10週グランプリを勝ち取った直後に、大阪では松竹芸能の方針は同社に所属していない角座出演の、いわば松竹系の若手漫才師たちに、松竹所属に移籍してフレッシュ漫才として売り出してもらうか、拒否すれば今後一切角座及び松竹の余興の座には組んでもらえないという厳しい選択を迫られたのでした。金太・紋太の和光プロはその移籍話を蹴ったために大阪よりも東京に活路を見出して、金太・紋太は約2年間東京で営業廻り中心の仕事をこなしてたのですが、金太が彼女とスナックを開きたいために廃業、コンビも解消となったのです。その後紋太は一人で歌まね漫談、ゼンジー一億とのコミックマジックなど、和光プロの仕事をこなして現在に至っています。本人はテレビに出るお笑いタレントよりも昔ながらの舞台で笑いを取る芸人に憧れてこの世界に入ったみたいなので、今後もテレビでお目にかかる事はまずないと思います。しかし去年の秋に見に行ったのですが、舞台は中トリを務めてて、とてもおもしろく笑いを取っていました。もう浪速座もないので、次はいつ見れるかわかりませんが、また機会があれば観てみてください。
 朝日新聞1981年2月14日の記事「大阪漫才界 東京に進出」によると、吉本興業がテレビを中心にして大きく水をあけたため、松竹芸能が1980年末に若手重視、テレビ重視への転換を図り、テレビ部、演芸部の2部に分け、テレビ部の中に若手を育成する「開発課」を作った。さらに、将来性のある若tえ漫才師を月給制の所属タレントにしようと図った。このころ、親会社の松竹が経営する「新花月」や「角座」を主な仕事場にしていた青芝金太・紋太が候補に挙がった。しかし和光プロダクションに所属していた金太・紋太は移籍を断り、その結果角座からは締め出され、大阪のテレビ局に呼ばれなくなった金太・紋太は1981年2月に東京へ舞台を移したとのことです。
 ラジオ番組『真夜中ギンギラ大放送』最終回の最終週の金紋のしかもエンディングのさよ~ならぁ~と言った後の空白の数秒の間に「金太・紋太も解散しまーす」と陰気な紋ちゃんがぼそっと陰気に語ったのを覚えています。
 当時、金紋のことはある程度情報収集してたのですが、まさかー?と思いました。当の本人たちはそれっきり勉強会にも姿を現さなくなったので真偽を知る術がありませんでした。
 後年聞くところによれば、紋太さんが「来月のネタどうする?」と打ち合わせ申し出たところ「あっ、ゆうのんわすれてたけど俺もう今月で辞める事にしてん。スナックするから……」と金太さんが突然のコンビ解消宣言をしてその数日後のギンギラ最終回で解散のはこびとなったそうです。
 その後、紋太さんはピンで余興をまわるかたわら、同じくコンビ解消したばかりのミヤ蝶子さんとサンテレビ深夜の『ゆりやカラオケルーレット』の司会をしたり、紋太蝶子(正式コンビではない)で余興まわりをこなしていたようです。
 紋太さんに聞いた話では……

 この二人には7年位のキャリアの差があって、後輩にあたる紋太さんはそれほど強く言えなかった部分が多かったと語っていました。
 ただ、解散まぎわには芸の力というか、ネタ運びやネタの構築など紋太さんの方が上だったので立場が逆転していたみたいですが……。
 円満に解消とはいかなかったみたいで、突然の解散申し出だったので、金と一筆入れさせたとは言ってました。
 今後、一切お笑いの世界に戻ってこないのと、芸人仲間とも付き合いは一切絶ちますって内容だったそうです。
 もっとも、金太さんも異論なく、芸能界との付き合いは絶ちたかったみたいで、その後20年経った今に至るまで芸人仲間との交流は絶っているみたいです。
 ちなみに、現在はミナミでスナックを経営してます。
 結構流行ってるみたいですよ。
 金太・紋太の解散後、ピンになった紋太はちゃらんぽらん、渡辺めぐみといっしょにラジオ大阪で日曜の午後の『陽気にワン・ツー・スリー』という番組のパーソナリティーをやっていました(後にタージンも加わりました)。一時期松本竜助ともコンビ「竜助・モンタ」を組みましたが、すぐに解散しました。
 青芝紋太は色々とメンバーを変えた後、名前を青芝モンタに変え、現在は司会、ものまねなどで頑張っている。
 ピンの活動の他に、ゼンジー一億とモンタ&一億というコメディマジックユニットを平成6年に結成。
 また、師匠青芝フックと祝漫才をやっている。
 モンタ&一億は2005年10月に解散。現在はピンで活動。
 所属する和光プロのオフィシャルサイト、和光プロダクション内のタレント一覧に青芝モンタのプロフィール等が載っていましたが、2007年ぐらいに消えましたね。関西演芸協会所属。
 2010年頃にはアチーブ・プロジェクトに所属するも、2013年ごろに離れている模様。
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名 前
青山三丁目バンド
初出場
 1982年1月23日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 3週勝ち抜き 銅賞獲得
ジャンル
 ボーカル+ギター南英司、ギター、ベース、ドラム。4人のコミックバンド。
プロフィール
 南英二:本名藤川英二。1951年生。北海道出身。
 南は10代で役者を目指して上京し、日本映画テレビ演劇学校に入学。同時期、演劇仲間とお笑いバンド「ファンキーキャッツ」を結成。その後、歌謡コーラスグループで活動。1975年、コミックバンド「ブラックジャック」に加入し、牧伸二の『大正テレビ寄席』にレギュラー出演。
 1981年、青山三丁目バンドを結成。ライブハウスを中心に活動していたが、事務所の意向でお笑いスタ誕に出演。
ネ タ
 ギターを使っての会話をプレイ。「カワイイー」とか言わせ「これは、高中にはできまい」「これは、高中にはできないよ馬鹿馬鹿しくて」と言っていた。ドラムも「棒棒鳥と書いてバンバンジー(ドラムの音)」 とやっていました。
感 想
 コミックバンドというのは難しいと思います。きちんと歌も歌えないといけないし、笑いも取らないといけないし。
レコード
南英司ADACHI区BAND「だいじょうぶマイ音頭」(1983.6)
著 書
南英二『頓珍巻』(講談社,1986)
藤川英二『特別な才能なんてない僕が、お金に困らない人生を送っている理由』(パブリック・ブレイン,2017)
その後・現在
 「足立区バンド」と名前を変え(メンバーも変更)、ビートたけしのバックバンドをやっていた。1982年頃。たけしの歌の作曲、編曲もやっていました。テレビにも一緒に出て、コミックバンド的なネタを披露する。足立区バンド時代の一人が、今のグレート義太夫。のちにシークレットポリスと名前を変え、1985年ごろ、たけしと一緒にコンサート活動を行っていた。
 後に音楽スタジオ「ページワン」を創業し、CMやPVの音楽制作を始める。1988年には「SMP(サンプリングミュージックパフォーマンス)」を結成ライブ活動を始める。フジテレビ『冗談画報』にも出演。1993年、株式会社ページワンを設立し、プロンプターソフトを開発。2001年、歌詞検索サービス「歌ネット」をスタートさせる。
 2017年、会社を譲渡し、翌年、札幌市に移住。
 宮川克己さんというベーシストが青山三丁目バンドに所属していたらしいのですが、このコミックバンドと同じバンドなのかは不明。
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名 前
アゴ&キンゾー
初出場
 1981年3月7日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 10週勝ち抜き、グランプリ獲得。8組目。
 第2回ゴールデンルーキー賞優勝。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 アゴ勇:本名鵜沢勇。1957年8月14日生。千葉県出身。
 佐藤金造:本名佐藤茂樹。1956年12月29日生。東京都出身。
 二人とも1974年、TBS『ぎんざNOW』の「素人コメディアン道場」から芸能界入り。1975年に、清水アキラ、鈴木末吉、アパッチけん、小林まさひろ(後に脱退)と“ザ・ハンダース”を結成。『ぎんざNOW』やテレビ朝日『笑って笑って60分』で人気者となる。GS時代の名曲『思い出の渚』をものまねメドレーで歌い大ヒット。20万枚の売り上げ。1980年に“ザ・ハンダース”を解散。渡辺プロをクビになる。お笑いを続けたかった金造が、ゴルフのキャディになろうとしていたアゴをくどき、二人でコンビを結成。
ギャグ
ギャグ:意外ね・船橋ヘルスセンター・小山遊園地。
ギャグ:にぎりっぺ
ギャグ:「そりゃ~たいへんだぁ~」キンゾー
 アゴ勇お得意のギャグ
「ああ、肩が凝った」と言って、自分のアゴで両肩を叩く。
ネ タ
(1週目合格 No.48 1981年3月7日放送)

紹介ナレーション。
「ハンダースの面白2人組が独立して、新しくコンビを組んだ。
 若さと体力には自信満々。果たしてどんなものが飛び出すか。
 アゴ&キンゾーだ!」

天才作曲家・佐藤バッハと弟子入り志願の学生ってコント。
まずカーテンから走り出てきたキンゾーさんを追いかける学生服姿のアゴさん。
追いついたところで足を取り、2人して倒れる所で笑い(つかみはOK)。

金造「君は絶対歌手になれない」
アゴ「どうしてですか」
金造「顔が長すぎるんだよ。テレビがアップ行くだろ」
アゴ「はい」
金造「(顎をさすりながら)入りきらないんだよ」
アゴ「(顔を横に向ける)」
金造「私は忙しいんだ」
アゴ「ただね、一つだけ便利なことがあるんですよ」
金造「また人前で嘘をつくか」
アゴ「せんせい、肩凝ることあるでしょ」
金造「人は誰だって肩が凝るんだ」
アゴ「僕は、自分の肩凝りを自分で治せるんです」
金造「えっ! どうやって」
アゴ「(顎で両肩を突く)」
金造「(突き飛ばす)不気味な真似は止めたまえ」

 音楽家と新人歌手の設定のコントでの「またずれおんなのへはくさい」という歌には、腹抱えて笑いました。
 歌詞:「まったずれ~、お~ん~な~の、へ~はく~さ~い~、
 なにを食べて~いるのかな、ピッピッピ~、プップップ~、
 あ~あ~お~も~し~ろ~い~、ふんど~し♪」
感情を込めて唄うのが基本だと言って例に出したのが細川たかしの「心のこり」。
「♪私バカよね~ おバカさんよね~」を本当にバカになって唄う事だと言い出して、
頭に釘を打つ仕草で絶叫しながら2人で唄うって、そんなネタでした。

 審査員の評も上々だったと思うのですが、中でもタモリさんがしみじみ「いやぁ、(ハンダースを)解散して良かったねぇ」と言ったのが忘れられません。正確には、「いやあ解散してよかった。解散おめでとう!」というもので会場からもあたたかい拍手がきてました。彼ならではのユーモアでしょう。
(多分2週目合格 No.49 1981年3月14日放送)

細部はわすれましたが〝さ〟のついた言葉をいうと駄目な設定で
アゴ「じゃあ、歌にしよう」
金造「『お猿のかごや』なんかどうだ」
アゴ「(さがすぐ出て来るな)いいよ。それにしよう」
金造「♪えっほ、えっほ、えっほえほえっほ」アゴこケル。
金造「ゴリラのかごやはえいほっほ」
アゴ「なんだよ、ゴリラっていうのは」
(3週目合格 No.50 1981年3月21日放送)

 女子陸上選手(アゴ)とコーチ(キンゾー)の、ドタバタコント。
(4週目合格 No.51 1981年3月28日放送)

サミー・デイビスjrネタ
アゴ:サミー・デイビスjr(トランペットを演奏できるエンターティナー)
キンゾー:司会者兼通訳

 通訳によるとサミーが「ジミ-」(ジェームス・ブラウンか? それともジミ-・ペイジ?とにかくR&Bの大物)という名の海外ビッグアーティストの曲も演奏できるということで通訳が「ぜひ聞かせてください」と要請する。
 サミーが「OK! ネクストソ~~ング 「ジミ-モア」!」
 ところが曲が英語交じりで「もみじ」を歌い
「♪アーキの夕~日~に~ て~る~~山 じ~み~も ォワ~ォ!
                          じ~み~も ォワ~ォ!
                          じ~み~も ォワ~ォ!・・・」
 とにかくアゴがしつこいぐらい「じ~み~も ワォ」を連呼してキンゾーが突っ込む!!

 紅葉の歌の「ジミーモア」や「出た出たがきつ。るーいまるーいままんるいわ」という「出た出た月が」を逆さにした変な歌。サックスを吹くというので期待したら、曲が「こんにちは赤ちゃん」で、吹いたのはプップップッのみ。
 オチは、『こんにちは赤ちゃん』の曲が止まり、アゴがずっこける。するとトランペットのラッパの部分にアゴがすっぽりとはまってしまい、抜けなくなる。懸命に引っ張りようやく引っこ抜くアゴ。ホッとしたのはつかのま。キンゾーを見るとあまりの自分のトランペットの腕前のひどさに怒りの表情。人差し指を顔の前で『チッチッチッ』と振っている。なんとかごまかそうと手をたたいてリズムをとりはじめる。
「♪コンコンチコンチコンチコンチコン・・・・・・・
コン!(キンゾーの体を指でつつく)
コン!(     〃      )
コン!(     〃      )
コン!(     〃      )
キン!(キンゾーのキン○マをつつく)」
その瞬間、キンゾー、怒りの表情から一変、驚きと快楽の入り混じったような笑顔に。
アゴ「オー!ダイナマイトッ!」
キンゾー「いいかげんにしろっ!」
(多分5週目合格 No.53 1981年4月11日放送)

 キンゾーが司会者でアゴが「エマニエル坊や」の格好(スタジアム・ジャンパーを着て、ジーンズを履いて、帽子をかぶって、黒塗りの顔)をして、エマニエル坊やの来日記念レセプションと銘打って打ち合わせをするコントをやっていた。

キンゾー 「それでは お待たせしました。 イモ煮える坊やです!!」
アゴ ズルッとこける・・・

 アゴは可愛らしさをアピールするたび「エマニエル坊や」がよくやる仕草の横笛をピロピロ鳴らすようなマネをし、「わちゃごな どぅ~~」とか言うがそれを見たキンゾーのしゃくにさわりアゴはおもいっきり顔面をはたかれていた。
(6週目合格 No.54 1981年4月18日放送)

 カラテの先生(キンゾー)が町道場を開いたが生徒が一人も来ない為、世界で一番強いと言われているマーシャルアーツのチャンピオン、ウイリー・アデランス(アゴ)と決闘します。

アゴ「イエロ~モンキ~カモ~ン、マーシャルアーツの素晴らしい技の数々を見せてやる! まずは、カタだ!」
キン「カタ!?」
アゴ「肩!カッタカッタカッタ♪」(肩を揺らし踊る)
キン ドテッ!
アゴ「次は突きだ!」
キン「突き!?」
アゴ「月。三日月♪」(アゴの顎を見せる)
キン ドテッ!
アゴ「次は乱捕り!」
キン「マーシャルアーツの乱捕りとは!!??」
アゴ「ランドリー♪」(洗濯物を持ってくる)
キン ドテッ!
アゴ「もっと恐ろしい技をかけてやる!シ~・ヤン・プゥ~!」
キン「シ~・ヤン・プゥ~!?それはいったい!?」
(ステージの上で本当にシャンプーする)
アゴ「シ~・ヤン・プゥ~!」
キン「なんて恐ろしい……しかし!シ~・ヤン・プゥ~破れたり! これだ!フジちゃんのシャンプーハットだ!!」

こんな感じで技の出し合いをし合うドタバタ劇でした。
赤塚先生、タモリが絶賛でした。
(7週目合格 No.55 1981年4月25日放送)
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>1回目 40点 No.67 1981年7月18日放送)

 先生と不良生徒のコント
「アンパンはやめなさい!」「アンパンじゃねえよ。靴下だよ」

金造「こんなのも持ってるんだよ(ドスのようなものを出す)」
アゴ「や、やめろ!」
金造「シャキーン。・・・くしだよ~ん(ドスの刃の代わりにくし)」
あと、
金造「(銃を持っているアゴに対し)むだだよ、こんなのも持ってるんだよ。(ダイナマイトのようなものを出す)」
アゴ「ダ、ダイナマイトはやめろ!」
金造「(食べだし)ソーセージだよ~ん・・・おれソーセージ好きなの~」
(8週目不合格 No.56 1981年5月2日放送)

 8週目はたしかに自殺ネタでした。キンゾーが高熱があったのにそれをはねのけてチャレンジしたものの、ネタの題材の暗さを京唄子に指摘されていました。
(8週目再挑戦合格 No.63 1981年6月20日放送)

 腰元のアゴが長刀を持って登場。明智光秀が謀反、信長様と呼ぶと、サングラス姿の信長が登場。
 切腹しなければと腰元は切腹セットを持ってくるが、信長は小道具を使ってのギャグばかりを言って、なかなか切腹をしない。
 死ぬ前に舞を踊らなければいけませんと腰元が言うが、信長は「船橋、ヘルスセンター~」と踊りだす。
 ドタバタプロレスを始めたりして、最後こそ目に物見せてやると信長が取りだしたのは、南蛮渡来の黒電話。消防署に電話を掛けるも、なぜかおもちゃの女の子の声。

 タモリ、赤塚大爆笑。
(9週目合格 No.64 1981年6月27日放送)

 刑事のアゴが黒メガネをかけて登場。
アゴ「今日が初めての取り調べだ。やっと刑事らしい仕事ができるんだな。ハハハハハハ。(いきなり机をたたく)いい加減にしろ、ネタはあがってんだ。あ、いい加減に吐いたらどうなんだ。ハハハハハ、これがやりたくて、刑事になったようなもんだ。よし、今日は取り調べだ、がんばるぞ。(調書を読み上げる)なになに、鬼山権造。権造! 住所不定。年齢不詳。銃刀不法所持及び殺人容疑で逮捕。前科三十六犯。三十六犯!(調書を机の上に戻す)よし、がんばろう。だいぶ緊張してるな。肩が凝ってるんじゃないかな(自分の顎で両肩を叩く)。よし、いくぞ(と、机の上の湯呑のお茶を飲む)。よし、鬼山、入れ(と叫ぶ)」
 幕が開き、凶暴な顔に腹にはドスを差した金造が叫びながら登場。帽子とサングラスを放り投げ、雄叫びを上げながら暴れまわり、アゴは怯えて思わず逃げ出す。金造はアゴを追いかけ、捕まえて頭を噛む。思わず倒れこむアゴ。
金造「ハハハハ、今、俺をなんて呼んだんだよ」
アゴ「ここは警察だぞ、わかってんのか!」
金造「(自分の顎をさすりながら)ここは警察だぞ、(目を両手で大きく開けながら)わかってんのか」
アゴ「お前はほんとに悪い奴だな」
金造「悪うござんしたね、(尻を突き出しながら)ツンツンツン」
アゴ「(調書を振り上げて)コラ」
金造「(ドスを突き付けながら)おおっと、どうしようってんだい。ドスの鞘を抜く」
アゴ「(思わず倒れこみながら)キャー」
金造「櫛なんだよ~(ドスに見えたものは櫛だった)(と髪をすく)。意外ね、意外ね」
アゴ「(ホルダーの拳銃を取り出して突き付けながら)この野郎!(しかし、震えている)」
金造「震えてんじゃねえか。いいんだぜ、撃てるもんなら撃ってみろよ(と腹巻からダイナマイトの束を取り出す)」
アゴ「(拳銃を放り投げ、両手を挙げながら)やめろ!」
金造「この建物ごとぶっ飛ばしてやろうか(と、ライターを取り出して火をつける)」
アゴ「(顔を背けながら)やめろ!」
金造「(火を導火線につけようとして)ソーセージだよ~ん(と食べだす。アゴ、思わず倒れこむ)。ソーセージが好きなんだよ~」
アゴ「(怒りながら起き上がる)」
金造「何が取り調べだよ。調べてもらおうじゃねえか」
アゴ「座れ!(と、自分も椅子に座る)」
金造「何を~、座れだ? やってやろうじゃねえか(と椅子に座って上着を脱ぎ棄てる)」
アゴ「鬼山、昨日どこにいた!」
金造「昨日? そんな昔のことは、忘れちゃったな~(と鼻くそをほじり、それをアゴに吹き飛ばす)」
アゴ「(アゴ、椅子から転げ落ちる。立ち上がりながら)目撃者がいるんだぞ!」
金造「見たやつがいるのかよ」
アゴ「どうだ」
金造「こりゃ~大変だ~(と両手をワキワキさせながら踊り出す)」
アゴ「アンチョコしかない(とポケットからアンチョコを取り出す)。取り調べの入門その1、機嫌を取ってみるべし。(両手をさすりながら)鬼山さん。こんち憎いよ、雪駄が似合うね、色男~」
金造「ヘヘヘヘ(と立ち上がる)」
アゴ「十円贈れ」
金造「おい、たばこ」
アゴ「はい(と煙草を渡そうとする)」
金造「止めたんだよ、俺」
アゴ「(思わずすっこける)」
金造「体に悪いことは止めたんだよ(と椅子に座る)」
アゴ「おい、俺を舐めてんな。俺はこう見えてもな、少林寺拳法の心得があるんだよ。アチョー、アチョー(と構えを見せる)アチョー(と正拳突きを見せる)」
金造「(立ち上がって、机の上の湯呑のお茶を顔にかける)オチャ!」
アゴ「アチャー!(と引き下がる)」
金造「オチャー(と椅子に座る)」
アゴ「(アンチョコを読み直す)泣き落とし。鬼山(と肩に手をかける)」
金造「なんだ?」
アゴ「お前の国はどこだ」
金造「(立ち上がって)調べりゃいいだろ、それが商売だろ」
アゴ「鬼山、落ち着け。僕の国は、千葉県なんだ」
金造「そんなことはわかってるよ。顔が犬吠埼みたいだ」
アゴ「(おもわず呆然とする)」
金造「新米が!」
アゴ「だめだ。俺はやっぱり、刑事に向いてないんだ。(としゃがみ込んで泣き出す)」
金造「向いてねえよ。大体な、やり方ってものをわかってないんだ」
アゴ「えっ?」
金造「容疑者のハートを掴んでねえぞ、お前は。小林署長ってのがいただろ」
アゴ「ああ、あの禿面の」
金造「あの旦那は見事だったぞ。それと清水刑事部長ってのがいただろ」
アゴ「あ、鬼の清水!」
金造「それとな、鈴木刑事!」
アゴ「ああ、神奈川の猪木!」
金造「あの人たちはな、取り調べの時にいきなり馬鹿なことをやるんだよ。容疑者の気持ちをリラックスさせといて、そこをつくというやり方をやっていた」
アゴ「はっ。」
金造「例えばな、取調室に入ってくる。いきなりな、(歌って踊りながら)みっちゃんみちみち、うんこたれて、紙がないから手で拭いて~(いきなり指差しながら)お前、昨日、どこにいた?」
アゴ「北の家族」
金造「何を飲んだ?」
アゴ「ホッピー」
金造「つまみは?」
アゴ「(口ごもりながら)いかやいんげん」
金造「(思わず戸惑いながら)お前な、まあ、いいだろ。そうやってな、吐かせてたんだよ。それからな、アパチ」
アゴ「アパチ? ちょっと待ってくださいよ」
金造「アパチ刑事ってのがいたんだよ」
アゴ「小林、清水、鈴木、アパチ(注:全員、二人が以前に組んでいたザ・ハンダースのメンバー)」
金造「みんな辞めちゃったよ」
アゴ「(思わず頭を抱える)」
金造「あの人はな、いつまでもみっちゃんみちみち、なんてやってなかった」
アゴ「えっ?」
金造「改良に改良を加えてだな、最後にできたのが、(歌って踊りながら)軍艦、軍艦、ちーんぼつ、わーい、船橋、ヘルスセンター~、お前がやったんだろ」
アゴ「はい!」
金造「ここに書くんだ」
アゴ「(思わずペンを手に取ってしまう)」
金造「こうやって書かせていたんだよ」
アゴ「うまい!」
金造「そうだよ。それだけじゃないんだ」
アゴ「はい」
金造「最後にはな、ポリネシアンダンスを取り入れたんだ」
アゴ「まだやるんですか」
金造「まだわかんねえのか。リズムに乗せるんだ」
アゴ「はい!」
金造「その隙に、吐かせるんじゃねえか。いいか。アマヤカマカヤカ~」
アゴ「はい!」
金造「(歌って踊りながら)ダンダンダダンダダンダダン」
アゴ「(アゴ、ネクタイを取ってワイシャツを抜き出す。」
金造「ズンズンズズンズンズン、ズンズンズズンズンズン」
アゴ「(さらに脱ぎだす)」
金造「ダンダンダダンダダンダダン、ウー。ダンダンダダンダダンダダン、ウー。」
アゴ「(ズボンも脱いでパンツ一丁になり、袖から火のついた(ように見せかけた)棒を持ってくる)」
金造「ポリネシア~ン」
アゴ「ファイヤダンス!」
金造「(机をたたきながらリズムをとる)」
アゴ「(棒を回して色々と踊り出す)」
金造「やればできるじゃねえか(と握手をする)。俺は何でもしゃべりたくなっちまったよ」
アゴ「わかってくれたか」
金造「おめえはすげえよ」
アゴ「なんでも話してくれるな」
金造「おう、何でも話すよ」
アゴ「鬼山!」
金造「おう!」
アゴ「お前がやったんだな!」
金造「知らねえな」
アゴ「いい加減にしろ(と突き飛ばす)」

 中尾ミエ、赤塚、笑いすぎて泣いている。赤塚「こんなバカなコント、初めて見た。ナンセンスの極致で面白い。傑作だな」。京「シッチャカメッチャがね、ごちゃごちゃになっていない」、などと大絶賛。
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>3回目 45点 No.67 1981年7月18日放送)

 アニマル権造の自宅訪問。
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>4回目 41点 No.75 1981年9月12日放送)

 娘に結婚を申し込む学生と娘の父親。
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>5回目 45点 No.79 1981年10月10日放送)

 医者と患者のコント。「お約束フレーズ」が全部入ってた。
(第2回ゴールデンルーキー賞<決戦シリーズ>1回目 39点 No.82 1981年10月31日放送)

 小学生と家庭教師。
(第2回ゴールデンルーキー賞<決戦シリーズ>2回目 46点 No.84 1981年11月14日放送)

 宇宙飛行士の親子。
(第2回ゴールデンルーキー賞<決戦シリーズ>3回目 44点 No.86 1981年11月28日放送)

 ニューギニアの奥地ケツくさ族コント。
(第2回ゴールデンルーキー賞<決戦シリーズ>4回目 45点 No.89 1981年12月19日放送)

漫才師の師匠:キンゾー
漫才師の弟子:アゴ
漫才のコンビ名は青空タンク・トップ。

楽屋にて
キンゾー「いいか。芸人である以上、舞台で下ネタなど絶対にやってはいかんぞ」
アゴ「はい、師匠、わかりました」
アナウンス「青空タンク・トップさん、出番です」
舞台にでる二人。
キンゾー「どーもー桜田うんこです。うんこうんこしっこしっこ にぎりっ屁!」と連発
ズッコケるアゴ。
キンゾー「おあとがよろしいようで」
楽屋に戻る二人。
キンゾー「あれほど下ネタはダメだって言っただろっ!」
ズッコケるアゴ。
アゴ「てめぇ、さっきからいいかげんなことばかり言いやがって!」
ケンカを始める二人。そこへアナウンスが・・・
アナウンス「青空タンク・トップ・・・」
ケンカをやめ、あわてて舞台にでようとする二人。
アナウンス「つまらないのでクビです」
ズッコケる二人。『意外ね』でオチ。

 このネタは、モト冬樹さんとの「AJAPA」でもやってましたね。このときは春野ピック・ニック。
(第2回ゴールデンルーキー賞<最終決戦> 優勝 ナンバリング無 1982年1月2日放送)

 プロレスラーと会長のコント。きもちいいプロレス。ひざクロー、コブラツイスト耳息吹きかけ、電気按摩でギブアップ。
(10週目不合格 No.101 1982年3月20日放送)

 忌野清四郎に似た格好をした金造がマイクを持って登場し、歌にのって客を煽る。そこへ左右にキャベツを結んだひもを首にかけ、大きなしゃもじをもった農夫姿のばあちゃん(アゴ)が登場。「愛し合ってるかーい」とシャウトする金造の頭をしゃもじでたたく。
金造「愛し合ってるかーい」 アゴ、しゃもじで顔を叩く。思わず顔をしかめる金造。それでも懲りずに
金造「ご機嫌だぜ」
アゴ「(しゃもじで顔を叩く)金造」
金造「愛し合ってるかーい」
アゴ「(しゃもじで顔を叩く)」
金造「(さすがに痛いらしく、一瞬顔をしかめる)俺のババアだぜ。まだ生きてたのかーい」
アゴ「(キャベツを舞台に置きながら)おめえ、なにやってんだよ」
金造「コンサートだよ」
アゴ「馬鹿野郎。恥ずかしいじゃないか、畑のど真ん中でよ」
金造「(口をあんぐり)」
アゴ「父ちゃんが死んでから二十年。こんなに女手一つで育てたのに、何だよ、お前。苦労もわかってくれないで、ほんとに困ったもんだな」
金造「ばっちゃん」
アゴ「(金造の方を振り向く)」
金造「愛し合ってるかーい」
アゴ「(ずっこける)」
金造「はぁあ~」
アゴ「おめえ、はぁあ~ってなんだよ」
金造「RCサクセションだよ」
アゴ「アニキのサーカス集団?」
金造「これからはよ、俺を忌野清志郎と呼んでくれ~」
アゴ「きよしろ? ○○するのか? にぎりっぺ」
金造「愛し合ってるかーい。愛し合ってるかーい。ばあちゃん、俺は決めたぜ」
アゴ「なんだい」
金造「俺は歌手になる」
アゴ「かす? 味噌っかすか」
金造「デビューするんだよ」
アゴ「○○するんか」
金造「スカウトされて、銭をもらうんだ」
アゴ「なんだって? スカートはいて銭をもらうんだ? お前はこれだったのか(手を頬に当てる。昔のオカマを示すポーズ)それで化粧してるんだな」
金造「ばあちゃん」
アゴ「なんだよ」
金造「落ち着いてよく聞くんだ」
アゴ「なんだ」
金造「ばあちゃん、いくつになったんだ」
アゴ「85だよ」
金造「いつまで生きれば気がすむんだ」
アゴ「(とぼけたふり)」
金造「そろそろ天国の爺さんに会いたくなっただろ」
アゴ「なんだって」
金造「早く死ねってんだよ」
アゴ「トンでもねえ、あたしゃ神様だよ(当時のドリフターズのギャグ)」
金造「(大声で)おーい。(小さい声で)百円落ちてる」
アゴ「どこだって」
金造「聴こえてるじゃねえか(と突き飛ばす)」
アゴ「なんだってんだよ」
金造「あばよ(と立ち去ろうとする)」
アゴ「どこへ行くんだ」
金造「東京だぜ」
アゴ「東京へ行って何をするんだ」
金造「天下の渡辺プロに入るんだ」
アゴ「おめえは首になったじゃないか(前に所属していたザ・ハンダースは解散後、渡辺プロを辞めている)」
金造「(ずっこける)」
アゴ「ハンダース解散になったの、まだわかんねえか」
金造「ばあちゃん、それはマジじゃないか。(立ち去ろうとする)あばよ」
アゴ「待てい」
金造「なんだい」
アゴ「おめえ、そんなにまで、そんが嫌になったんだな」
金造「そんってなんだよ」
アゴ「村だよ」
金造「専門用語はわかんねえんだ、都会もんには」
アゴ「なんで嫌になったんだよ」
金造「言おうか。なんで嫌になったか、言おうか」
アゴ「おうおう」
金造「お前だよ(と指差す)。貧乏ったらしいんだ、その汚い恰好」
アゴ「何言ってるだよ。(もんぺをつまみながら)グッチだよ」
金造「嘘つけ(とビンタ)」
アゴ「(半纏を見せながら)イブローサンだ」
金造「(突き飛ばしながら)そんなわけねえだろ。ばか」
アゴ「馬鹿だと」
金造「くそばばあ」
アゴ「待ってくれよ」
金造「なんだよ」
アゴ「おめえな。東京さ行かないでよ。お願いだからよ、なんで行かなくなったんだよ」
金造「ばあさん、セリフ忘れちゃ困るじゃねえか。俺は一瞬ドキッとしたぜ」
アゴ「うるせえ、馬鹿(としゃもじで頭を叩く)」
金造「愛し合ってるかーい」
アゴ「おめえのセリフだよ」
金造「おう、なんだっけ」
アゴ「春は来ないんだってセリフだよ」
金造「なんで俺のセリフまで覚えてんだよ。ばあちゃん」
アゴ「金造!」
金造「成長したなあ」
アゴ「成長したか」
金造「この村にはよ、この貧しい農村にはよ」
アゴ「ひえ、ひえ、ひえ、ひえ」
金造「何がおかしいんだ」
アゴ「ひしかすえないの。ひがび(ちょっとわからなかった)」
金造「今のはやんねえほうがよかった」
アゴ「これは受けるぞ」
金造「受ける?」
アゴ「金造、東京は無理だぞ」
金造「なんで無理なんだ」
二人「(『東京ヴギウギ』のメロディで)東京、無理無理」
金造「(二人でがっくりしながら)やんねえほうがよかった」
アゴ「おめえはさ、やっぱり東京へ行ったらだめだ」
金造「いや、行くよ。じゃあな、あばよ」
アゴ「待てい」
金造「なんだ」
アゴ「芸能界はな、汚い人ばっかり、豚のような人ばっかりなんだ」
金造「えっ」
アゴ「おめえな、芸能界なんか入っちゃだめだよ」
金造「俺はな、どうしても行きたいんだよ」
アゴ「えっ」
金造「どうしても行きたいんだよ」
アゴ「なんでだよ」
金造「ばっちゃん、今日、ボロボロじゃねえかよ。こんなにまでして行くならって、言ってくれよ」
アゴ「こんなにまでして行くならな、俺のセリフだった、ごめんな、こんなにしてまで行きたいんだったらな」
金造「なんだよ」
アゴ「このばっちゃんをな」
金造「おう」
アゴ「このばっちゃんを、殺してから行け」
金造「(懐から包丁を取り出して)いつか殺そうと思ってたんだよ」
アゴ「(逃げまくる)」
金造「そんなに芸能界のことを言うのならな、一つ聞きたいことがある」
アゴ「なんだよ」
金造「ばっちゃん」
アゴ「なに」
金造「これはいったい何かな(と懐から紙を取り出す)」
アゴ「なんだい、それは」
金造「ばっちゃんの枕の下から出てきたんだぜ。これな、杉良太郎ファンクラブ入会申込書」
アゴ「ガキーン」
金造「ばっちゃん、ばっちゃんだって芸能人が好きじゃねえか」
アゴ「ひえひえひえ」
金造「そうだろ、そうだろ」
アゴ「そんなことねえ」
金造「(杉良太郎『すきま風』)人を愛して~」
アゴ「その歌は止めてちょうだい」
金造「人は心開き」
アゴ「その歌は止めて」
金造「(顔を近づけながら)傷ついて」
アゴ「流し目は止めてよ(と崩れ落ちる)」
金造「すきま風」
アゴ「知るだろう」
金造「(突き飛ばす)ばっちゃん、東京さ行こう」
アゴ「行く行く行く」
金造「支度しておいで」
アゴ「わかった(舞台袖にはけようとする)」
金造「いいか、ばっちゃん」
アゴ「気持ち、よか~(当時流行ったCM)」
金造「何を考えてんだよ」
アゴ「(舞台袖にはける)」
金造「人間というのはね、いつも夢をもたないといけないんだ。みんな、わかるか。夢という風船球を、遠くまで飛ばすんだぜ。わかるな。俺はやるぜ」
アゴ「(金髪鬘に派手な服で)金ちゃーん、おまたせ」
金造「ばっちゃ、これだよ。二人で原宿歩こうぜ」
アゴ「ええ」
金造「歩こう」
アゴ「うんうん」
金造「二人で原宿行って」
アゴ「うんうん」
金造「(オープニングでアゴが置いていたキャベツを手に取り)二人でキャベツを作ろう」
アゴ「いい加減にしろ」
金造「(客席まで吹っ飛ぶ)」

 「久しぶりで涙流して笑ったけれど、忘れたところをうまくカバーすればよかった。はっきり言っちゃったねえ。間違いが三回、四回あった」「グランプリ取ったら来なくなっちゃうから、また来てほしい」「グランプリに値する面白さではあった」と色々な評があったが、結局複数回間違いあったことが響いて不合格。
(10週目再挑戦合格 グランプリ獲得 No.113 1982年6月12日放送)

 細かいことは思い出せないのですが、二人で上京し、ポプコンに応募しようと色々練習した結果、最後は「こうして二人はお笑い界にデビューするのだった」で終わるネタでした。キンゾーがピアノの腕を披露。
(爆笑オンステージ No.178 1983年9月17日放送)

キンゾー:仕事もしない父親
アゴ:高校生の息子

 俺のことを一徹と呼べ、という父親。息子は「俺は野球なんかやりたくないんだぞ」というが、父親は「漫才師になれ」。
キンゾー「見ろ、あの燦然と輝く星、あれがやすしきよしだ。あのキラキラ輝いているのは、ビートたけしだ」
アゴ「あっ、落ちた。あれは」
キンゾー「あれはB&Bだ」
 そのあと、勉強して大学行って、パイロットになりたい、というアゴに、「万年筆になりたいのか」というボケを挟んだ後、頭がよくなきゃいけないと言ってクイズ(H2Oを2で割ったら、水割り)、それから反射神経が必要だと言ってなぜか椅子取りゲームを始める二人。
アゴ「父ちゃん、おれのどこが漫才師なんだよ」
キンゾー「顔だ。そして、そののりやすい性格」
 そのあと、郷ひろみ、宮尾すすむ、エマニエル坊や、山本リンダ、山田康雄、フランソワーズ・モレシャン(これは失敗)、ウィッキーさん、般若のキーホルダーの物まね漫才師養成ギブスといって洗濯バサミを口にはさんで早口言葉という小ネタを挟む。
アゴ「もう、漫才ブームは終わったんだよ」
キンゾー「え、『笑ってる場合ですよ』は」
アゴ「1年前に終わったよ」
キンゾー「『ぎんざNOW』は?」
アゴ「(苦笑しながら)とっくに終わったよ。せんだみつおは死んじゃったよ。死んだみつおになっちゃったよ」
エピソード
 下品ながらもパワーのある笑いでストレートで7週まで勝ち抜くが、金造が病気になり不合格。その後、9週まで勝ち抜くも、第2回ゴールデンルーキー賞が始まり、グランプリ挑戦が半年遅れる。
 ゴールデンルーキー賞優勝の時、「お笑い辞めなくて良かったです」と涙を流しながら語ったのは、感動的だった。
 8週目ぐらいでネタが無くなり、ポール牧にネタを書いてもらっていたとのこと。(ポール牧の弟子である、ポール宮田の証言)
 お笑いスタ誕での事件で忘れられないといえば、アゴキン靴投げ事件。
 Gルーキー賞シリーズのアゴ&キンゾーがネタをやってる最中、客席から靴が飛んできたのです。テープはよく乱れ飛んでいましたが、靴にはびっくり!
 アゴキンはかまわずネタを続けましたが、中尾ミエが激怒!
 CM休憩のときに「誰だこれ!出てきなさい」
 出てきたのは小学生のガキ。「帰れなくなるでしょうが!!」とミエににらまれ靴を舞台で受け取りましたがあんまり懲りていない様子でした。
 翌週、貴明が前説で「マナーよく、みんなで応援しましょう」と呼びかけました。
 アゴキンの1度目のグランプリは2人とも台詞を忘れました。前半はアゴのミス連発でしたが、うまく誤魔化してました。後半にまた忘れた時に
「婆っちゃん今日、ボロボロだよ」とキンゾーが言ったら
「お前の台詞だよっ!」ってアゴが真顔で言ってしまいました。
「なんだっけ?」キンゾー
「××っていうのだよ」アゴ
「婆っちゃん、すげえなぁ~俺の台詞まで覚えているとは…」キンゾー
 ちょっと手遅れなフォローでしたね…。審査員にも、あれを上手く誤魔化せば…グランプリだったろうにと悔やまれてました。
 後ろから出て来た2人に向けて米丸師匠や唄子師匠が残念がってました。
「もう1回出てきてよ~」と唄子師匠が最後に2人に向かって言ってます。
 大阪イレブンの年末企画には「有線大賞新人賞予選」というのもありました。
 10組の候補がスタジオに集合、歌を披露した後に新人賞5組が発表されるという有線大賞のプレイベントでしたが、ある年、大番狂わせが!「勝手にシンドバット」のSASが落ち、代わり?に「ハンダーズの想い出の渚」のハンダースが選ばれたのです。
 受賞者インタビューで司会の浜村さんが「うれしかった、ありがとう以外の言葉でこたえてくださいね」という問いかけにハンダースのアゴ勇がひとこと。。。
「金曜日の太陽にほえろっておもしろいですね!」...浜村さんを凍りつかせてしまいました。
 そのずいぶん後にご本人に聞いた話では、あのあとアゴさんの田舎で「なんてふざけた事をいうんだ、あんたの息子は」と大問題になったそうです。
 実はアゴさんが衣装などのコーディネイトをしていたそうで、アゴさんは色々そろえていたそうです。しかし、金造さんに貸したときにメガネは「返す返さない」でもめ、「これがあるからいけない」とポストに捨てたり、ジャンパーは借りたまま営業に行き、戻ってきたら着ていないので「ジャンパーは?」と聞くと、「客にあげた」。
 他のコンビのツッコミと違い、金造さんのツッコミはかなり激しく、それがもとでアゴさんの顎の骨にひびが入ったことがあったらしい。
 「桜金造」の芸名の由来・・・元の「佐藤金造」は本名の「佐藤」に曾祖父の名前「金造」を付けた。その後、「竜二」の撮影中、現場に遊びに来た松田優作に突然「桜にしろ」と言われ、今の芸名に。
感 想
 パワーは文句なし、面白さという点ではダントツのコンビでした。同時期のライバル、とんねるずに負けたのは、やはり若さでしょうか。
受賞歴
 1983年 日本放送演芸大賞ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞は太平サブロー・シロー)
レコード
アゴいさむ「ボクは塾生」(1977.3)
アゴ&キンゾー「ロック・ザ・権造」(1981.8)
アゴ&キンゾー「世界最強の愛のテーマ!!」(1982.5)
アゴイサム「BROTHER」(1996.12)
CM
 いまうまいガムがいまうまい、という回文CM出演。
雑誌他
【マスコミ露出】「ビックレスラー」の対談記事。
 マスコミ露出(というか):平凡パンチは、何故か人力舎系の芸人さんの登場が多い。紙面には登場しなかったが『かまって音頭』特集に、編集部にアゴ&キンゾーが来て自作の『かまって音頭』を披露したという設定の記事があった。事務所がシティボーイズに力をいれすぎでアゴキンや梅介には仕事が来ない。かまってくれなきゃ、ショクナイ(か独立)しちゃうぞ。というもの。
その後・現在
 最大でレギュラー12本を抱え、全盛期の月収は300~500万円あった。しかし、アゴがキンゾーの破天荒さについていけなくなったため、眼の病気で視力が低下して病気療養をすることも重なり、アゴが解散と芸能界引退をを申し出る。キンゾーは怒って、「一筆書け」と言ったとのこと。1984年にコンビ解散。
 2019年12月12日の『じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告~』であご勇が引退の状況を語った。
 佐藤金造はモト冬樹と組んでAJAPAを結成。「テレビ演芸」八代目グランドチャンピョンになる。にこにこぷんマイクなど金造の好きそうな幼児番組小道具を使用していた。安定した芸で笑える反面、ネタに広がりが無くなるのではと思った。また往年の名ギャグ「意外ね」を連発。
 しかしすぐに解散。
 芸能界復帰後、アゴ勇はぶるうたすと組んだり、ハンダースの仲間だった清水アキラの事務所、清水エージェンシーに入って活動。その後、アゴいさむ→アゴイサム→あご勇と改名。フリーを経て2008年より株式会社マイン所属。2014年時点でエ・ネスト所属。2019年からはカンドウ所属。
 あご勇オフィシャルブログ 一顎一会があります。
 知り合いから手伝いを頼まれたことがきっかけで、大阪府羽曳野市に本部を置き、近畿地方を中心に主に地域電器店のフランチャイズを展開しているアトム電器のセールスマンとして、埼玉を中心に2009年3月から太陽光発電やオール電化などの省エネ家電の訪問販売を行っている。2009年12月現在の肩書きは「アトム 光熱費削減隊 隊長」。ただし、芸能活動はこれからも続けていくとのこと。2013年まで働いていた。
 あご勇は還暦を迎える2017年6月、国内旅行に添乗できる「国内旅程管理主任者」(ツアーコンダクター)の資格を取得。衣装はアロハシャツ、ド派手なメガネと麦わら帽子。懐かしい顔に会えることに加え、移動中も軽妙なトークで飽きさせないツアーとあって、団塊の世代を中心に、たちまち人気に。4か月間で30回近く添乗員を務め、9月からは冠ツアー「アゴーハツアー」もスタートした。
 佐藤金造は、名前を桜金造に改名。太田プロダクションに所属していた。ピンでバラエティーを中心に活躍していたが、映画『竜二』出演後、ドラマ、映画、Vシネマなど俳優活動も増える。1990年代には怪談の語り手としてもブレイク。舞台での喜劇俳優としても着々とその地位を築き、舞台では欠かせないバイプレイヤーの一人となった。「おやまゆーえんち」のギャグは今も健在。その後、NHKの人気バラエティ番組『お江戸でござる』のメインを務めた。
 桜金造は2007年4月、東京都知事選に立候補。立候補の表明会見で「受かるとは思っていません」「あご勇を呼んでアゴ&キンゾーを復活させます。まだ声を掛けていませんが、来るでしょ」などと本気かどうかわからない発言を繰り返した。残念ながらあごさんは来ず。約60,000票を獲得したが、遠くおよばず落選。
 ブログ桜金造の一日があります。
 2013年2月12日に脳内出血で倒れ、病院に搬送される。緊急手術で一命は取り留めたが、左半身にマヒが残る。退院後の9月13日、浅草の演芸場「東洋館」で復帰。2014年現在もマヒが残る中、ライブなどを続けている。
 2008年9月20日、浅草演芸ホール(東洋館)の『エンタメヒットパレード二〇〇八』でアゴ&キンゾーが25年ぶりの復活(名前はあご&きんぞう)。当日の出し物はコントでなく、互いのトークが中心だった。特に打合せはしなかったとのこと。
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名 前
アキラバンド
初出場
 1984年9月(第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 モノマネ&替え歌。
ネ タ
 バンドを従えての清水アキラのモノマネ&替え歌で、バンドメンバーはまったくしゃべりませんでした。井上陽水や和田アキ子、サザンの桑田のものまねだったかな。
エピソード
 清水アキラの項参照。
感 想
 あまり受けていなかった記憶があります。
その後・現在
 その後のオープントーナメントサバイバルでは、清水アキラとしてピンで登場。バンドメンバーについては不明。
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名 前
東上介・西甲介
初出場
 1984年6月2日(第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 関西出身。プロだったようだが、所属は不明。
ネ タ
第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦 74点× No.262 1985年5月18日放送)

高介「どうも、中途半端なご声援、有り難うございます。もう、バラバラでございまして、有り難うございます。1年ぶりでございまして。今回だけで、このために、1年間漫才やってきました。この番組、なかなか出られへん。あんた、知ってる、スター誕生」
上介「あかん」
高介「アホか、お前は。いきなりあかんとは、どないすればいいんや」
上介「1回戦で落ちるのはわかってるんや」
高介「あんたもだらしねえ」
上介「早く大阪、帰ろうや」
高介「違うやな。去年1年あかんやったから、このために、頑張って出てきたのにやねえ。あんたにいきなりあかんと言われたら、私も力が抜けるわ」
上介「本当に、わたいらがこんな所出てきまして、すみませんなあ」
高介「お前、俺のことがいやなんか、ほんま」
上介「情けないもん」
高介「私頑張ってるのに、あんたも頑張ろうという気持ちで……」
上介「だいたい私ら見て思いませんか」
高介「何がや」
上介「若作りしてみますが、年いってまんねん」
高介「うるさい」
上介「(相手を指さして)27と(自分を差して)30」
高介「やかましいわ、ほんとに」
上介「30にもなって、こんな格好して、ハハハ、情けない」
高介「ええやないか。頑張りたいんやから」
上介「情けないことが多い。昨日かてそうですわ」
高介「昨日、どないしたん」
上介「昨日、東京に泊まっとったから、二人で飲みに行きましてね」
高介「昨日、ちょっと夜に二人で飲みに行ったんですわ」
上介「若い女の子が寄ってきてね。それで、ギャグ言ったんですわ」
高介「面白いんですよ。女子大生ですか。それで、わぁ~面白いなあ。まるで漫才師みたい。漫才師や、アホ」
上介「東京ではテレビに出てないからのお」
高介「ほな、言いないなあ。頑張りたいんやから」
上介「あかんって。仕事かてそうですわ。私、今の事務所に入って最初にもらった仕事、どんなやと思います?」
高介「どんな仕事や」
上介「マネージャから電話がかかってきて、明日の9時半にそごうに入ってくれっと言うんや」
高介「ちょっと待て。そごうといったら、大阪で一流デパートや」
上介「喜び勇んで、9時半に行きましたわ。そしたら7階の催し場に上がってくんなはれ」
高介「7階。ほぉ~」
上介「そしたら主任さんが出てきて、これ着てくれって」
高介「なんや」
上介「熊のぬいぐるみ」
高介「お前、しばいたろうか、あほ」
上介「子供たちと一緒に遊んで、プーさんやって、わぁーって、喜んでもらうんねん」
高介「情けないわ。あんた、そんなことで喜ぶんじゃないわ」
上介「だいたい、二人で組んで最初に行った仕事も情けないわ」
高介「この仕事はね。自慢じゃないですけれど、今日は言いますわ。二人行きました。どこへ行ったか。養老院。これはよかった」
上介「どこがよかったん」
高介「おじいちゃん、おばあちゃん、元気でっせ」
上介「奈良の山奥にある養老院。駅から車で30分以上。山、山、山」
高介「すると、おじいちゃん、おばあちゃん、ずらっと並んで待っているんや」
上介「元気です」
高介「おじいちゃんとおばあちゃんの代表が、花束持って待っているんです」
上介「そうです」
高介「そうしたら代表のおばあちゃんが前に出てきて、(おばあちゃんの真似で)あんたらよー、きなはったな。あんたらの漫才を聞くの、今日楽しみで、待ってましたわ。おじいさんも今日、がんばってるで、なあ、じいさん(と胸を叩く)」
上介「(口を開いて上を向いていたが、相手に叩かれてばたっと倒れる)」
高介「これでね、3人死にましたわ。わてら死に神か」
上介「ほんまでっせ」
高介「こんな仕事ばっかりや」
上介「漫才やってて人死んだらかなわんわ。なんとかせなあかんで」
高介「私も色々考えてますわ。漫才だけでなく、副業せなあかんと。食べていかねばならんわ」
上介「まあ、そらそうや」
高介「だからね、私は今年はね、店出します」
上介「どんな店出す?」
高介「喫茶店」
上介「喫茶店なんて、そこらじゅうにあるじゃないか」
高介「何をするか。ノーパン喫茶」
上介「古い~」
高介「何や」
上介「ノーパン喫茶なんてもうすたれきっているやないか」
高介「あほ、ちがうんや。ナウい、今の流行っているノーパン喫茶や。昔は昔、今は今や」
上介「どんなノーパン喫茶や」
高介「いらっしゃいませ。(メニューを出しながら)どうぞ」
上介「ノーパン喫茶って、若いお姉ちゃんが乳を出しながら来るんじゃないか」
高介「ええねん、ええねん。ご注文どうぞ」
上介「サンドイッチ」
高介「申し訳ありません。パン類は置いてありません」
上介「なんで」
高介「ノーパン喫茶です」
上介「あほか」
高介「どうもすみません。失礼こきました」
上介「売れるか」
高介「いいねん。もう1個考えておる、私」
上介「なんや」
高介「個室喫茶」
上介「個室喫茶? ぼく、彼女おらんねん」
高介「大丈夫、大丈夫。うちはちゃんとパートナーをついてくんねん」
上介「用意してんねん」
高介「そのための個室喫茶や」
上介「ピチピチ?」
高介「ピチピチ」
上介「どんな娘?」
高介「子羊」
上介「こひつじきっさ? あほか、誰が喜んでそんな店に来るんや」
高介「あかんか」
上介「あかんわ」
高介「よし、最後に私ね。店でもう1個やりたい店があるんや」
上介「なんやねん」
高介「炉端焼き」
上介「おう、それ今流行っておるやないか これええね」
高介「これ設けまっせ。それでね、都会じゃなくて、田舎でやるんですわ」
上介「田舎で?」
高介「それで田圃借り切ってやるんですわ」
上介「田圃でどないして炉端焼きするんねん」
高介「ロバを焼くんですわ」
上介「ろ ば た や き」
高介「さようなら」
感 想
 ぼやき漫才っぽいけれど、題材が暗かった。
その後・現在
 不明。
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名 前
東秀典・佑典
初出場
 1984年9月(第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 東秀典:プロフィール不明。松竹養成所出身。
 東佑典:本名島川潤一。1961年12月5日生。兵庫県出身。松竹養成所出身。当時は甲南大学生。
 1984年結成。スタ誕出場前に『テレビ演芸』でチャンピョンに。
ネ タ
(第2回爆笑紅白大合戦1回目 76点(紅) No.276 1985年8月24日放送)

佑典「こうやって僕ら漫才やらせてもらっていますけれど、漫才ってアホやったらできませんからね」
秀典「それはいえますね」
佑典「だから僕、勉強していることがある」
秀典「どんな勉強や」
佑典「今勉強しているのが、世界の挨拶というもので」
秀典「世界の挨拶?」
佑典「たとえばね、日本だったら道で会ったらこんにちはって挨拶する」
秀典「まあ、日本人わね」
佑典「これが世界だったら全然違うわけですよ」
秀典「どんなふうに?」
佑典「ヨーロッパ行ったん」
秀典「ほう」
佑典「友達同士が会うと、お互い肩を叩き合うんです」
秀典「お互い、肩を叩き合う」
佑典「そうそう」
秀典「それが挨拶?」
佑典「そう」
秀典「なら、一遍やってみよか」
佑典「一回やってみますか」
 二人、ちょっと離れてから歩いてきて会う。
佑典「ハロー」
秀典「オー、久しぶりやな(と、背中を向けた佑典の肩を叩く)。(肩をもみながら)指圧の心は母心」
佑典「お前、何考えとんねん。なんで肩叩かれなければあかんねん」
秀典「(手を出しながら)五十円くれや」
佑典「知らん、そんなの」
秀典「俺、おかんの肩叩いたら、いつも五十円もらっとったもん」
佑典「関係あらへんがな。無茶苦茶言っとるわ」
秀典「もっとまともな挨拶ない?」
佑典「まともやないけど、ちょっと変わったところで」
秀典「なに?」
佑典「アフリカの挨拶」
秀典「ほう、アフリカ」
佑典「これはちょっと信じられないけれど、友達同士会うと、お互い唾を掛ける」
秀典「えー、唾を掛けるの?」
佑典「これは汚いからやりませんけれど」
秀典「一回やってみよ。ごっつ興味あるわ、一遍やってみよ」
佑典「汚いで」
秀典「一回だけ」
佑典「ならカッコだけ。ハロー」
秀典「ヘイ」
佑典「ペッ」
秀典「ガー」
佑典「それは唾じゃなくて痰やないか」
秀典「唾を吐くと言うたやないか」
佑典「俺の顔は痰壺か」
秀典「こんな顔した兄ちゃん、よく唾吐いて歩いているやないか。ガー、ペッ、ガー、ペッ。暇やのうって」
佑典「追い出されるぞ」
秀典「よう、歩いているやないかい」
佑典「ならこの話無理や。英語」
秀典「英語?」
佑典「これから英語もできなあかん」
秀典「えらそうに。英語もできなあかんって、自分英語できるんかい」
佑典「もう、むっちゃくちゃできるから」
秀典「ほないくぞ。鉛筆は?」
佑典「pencil」
秀典「机」
佑典「desk」
秀典「犬」
佑典「dog」
秀典「お前、頭いいなあ。やっぱ言うだけのあるわ。お前、俺に黙ってECC通ってんな」
佑典「通うか、そんなの」
秀典「なら今度は難しい、ひねってあるから」
佑典「ひねって」
秀典「箱」
佑典「全然ひねってないやん。boxやないかい」
秀典「数字の6」
佑典「six」
秀典「あれ」
佑典「あれはちょっと」
秀典「いや、この際だから言うてもええよ」
佑典「あ、ほんと。あれ言うたらいいな」
秀典「そう」
佑典「sex」
秀典「あれはthatやないかい」
佑典「殴たろか、お前」
秀典「あれはthatや。あれはsex? そしたらなんかい。英語の教科書にあれはペンですって書かれていたら、Sex is a pen.とでも言うんかい」
佑典「言うか」
秀典「ほう、初めて聞いた。それをECCで教えてくれるんや」
佑典「行くか。何でECC通わなければあかんねん」
秀典「そないになるやないかい」
佑典「違うわ。なら英語やめよ」
秀典「ほう」
佑典「流行りの事いこ」
秀典「流行り?」
佑典「そう、今一番流行っているのがビデオブームといいましてね」
秀典「これは確かに流行ってますわね」
佑典「中でも一番流行っているのが、懐かしの漫画ビデオですか」
秀典ちっちゃいころ、よーみてた「」
佑典「漫画見てた?」
秀典「もうテレビにくぎ付け」
佑典「そうやろ」
秀典「この前なんか、お母さん、俺の頭テレビに釘で打ち付けとんねん」
佑典「誰がやるか」
秀典「もう、痛い痛い。俺、おかんに言ってやったん。おかん、いきなり何すんねん。するとおかん、俺にひとこと言いよんねん」
佑典「なんて言った?」
秀典「痛いということは、人間だ」
佑典「それ、何の幻覚症状や」
秀典「青春ドラマやないかい」
佑典「何を考えとんのや」
秀典「ええっ」
佑典「内容言え、内容」
秀典「まあ、一番見てた漫画、爆発五郎やね」
佑典「知らんがな、そんな漫画」
秀典「あの、東京の皆さん、知りません? あの、応援団(紅組の他のメンバー)の皆さんも」
佑典「大坂でも知らんがな、爆発五郎なんて」
秀典「(歌い出す)ワンツースリーフォー、スタッツ、スタッッ、ワンツースリーフォー、スタッツ、スタッッ。って、サッカーボール蹴るんやねん」
佑典「サッカー少年の漫画」
秀典「そうそう。それで最後の歌が泣かせる」
佑典「主題歌」
二人「(一緒に歌う)爆発五郎は、爆発五郎は」
秀典「(秀典、歌が止まるも、関係なく歌い続ける)頭が爆発するんだよ~。って、最後頭が爆発して終わりやないかい」
佑典「本当か、それ」
秀典「ホンマや、昔の漫画、怖い怖い」
佑典「ウソばっかりついとんちゃうんか」
秀典「ホンマやって」
佑典「どうせスポーツ漫画やったらな、バレー」
秀典「何?」
佑典「サインはV」
秀典「サインはV。VはなVictoryの略やねん」
佑典「VはなVictoryの略」
秀典「だからな、歌はVictoryから始まる。(歌い出す)VACATION 楽しいな~(ツイストを踊り出す)」
佑典「それ、弘田三枝子やないかい」
秀典「(さらにツイストを踊りながら、小声で歌う)」
佑典「待て、待て、待て。サインはVいうたらな、やくざがこんなところでツイスト踊りだすんかい」
秀典「そうや」
佑典「やめい。なんでこんなところで踊り出さなきゃあかんのや」
秀典「そして最後はバレーボールが爆発して終わりや」
佑典「終わるか」
秀典「昔の漫画、怖い怖い」
佑典「嘘ばっかりついて」
秀典「ほんまや」
佑典「どうせだったらな、もっとあったやないか。アタックNo.1」
秀典「(歌い出す)苦しくたって~、悲しくたって~、コートの中では平気なの」
佑典「好きやな、お前」
秀典「そして、歌の中間でせりふが入るの。名文句。これが女心くすぐったわ」
佑典「どんなや」
秀典「だって、女の子だもん。立ちしょんべんできない」
佑典「当たり前や」
秀典「(なぜかツイストを踊り出す)」
佑典「(襟元を掴んで)やめい、それ」
秀典「れれれのおじさん」
佑典「変わっとるやないかい」
秀典「お前な、こんな女の子のアニメばっかり言っとたらあかん」
佑典「なんや」
秀典「男はやっぱり男らしい、根性もん」
佑典「根性もんな」
秀典「俺見とたがな」
佑典「なにを」
秀典「柔道一直線」
佑典「あ、これは流行りましたからね」
秀典「主人公が一条直也いいましてね」
佑典「そうそう。演じていたのが、桜木健一さん」
秀典「いっつもね、こんな鉄下駄履いていまして」
佑典「そう、鉄の下駄履いてる」
秀典「一条もね、いろんなライバルがいて」
佑典「ライバルと言ったらね、鮫島三郎」
秀典「あー、おった」
佑典「風祭右京」
秀典「わー」
佑典「大豪寺虎男」
秀典「みゃー」
佑典「これ、人間の名前ちゃうがな」
秀典「覆面被った柔道家おったやろ」
佑典「外人や」
秀典「誰だっけ」
佑典「あれはな、柔道キッド言いまんねん」
秀典「柔道キッドや」
佑典「強いがな」
秀典「必殺技がな、ライナー投げ」
佑典「そうそうそう」
秀典「これがな、一条直也に挑戦状叩きつけるんだよね」
佑典「そう」
秀典「ポーズ取ってね」
二人「い・ち・じょう!」
秀典「なまってんのや」
佑典「外人だからやないか」
秀典「い・ち・じょう! 俺の部屋は六畳だ」
佑典「言わへんわ、そんなこと」
秀典「バストイレ付きだ」
佑典「不動産屋さんか」
秀典「だから今夜、遊びに来て」
佑典「喧嘩してるんやろ」
秀典「あなたは神を信じますか」
佑典「ほっとけ、そんなの」
秀典「それで最終回、鉄下駄に雷落ちて終わりや」
佑典「いい加減にせい」

「挨拶のネタを続けた方がよかったんじゃないか。ネタが散漫になってしまった」「技術的には立派なので、あとはネタを頑張ってほしい」と今一つ。
感 想
 ネタが垢抜けてるなと思いました。
その後・現在
 番組終了と同時に解散。
 東佑典は東ユースケと改名。関西でラジオのパーソナリティをしていたが、その後シンガーソングライターに転向。ラジオと共に、音楽活動を続ける。2000年には安岡力也、アイ高野(元クリエーションのボーカル)、東ユースケの3人でロックバンド「RAYS」を結成。後に元フィンガー5の晃と組んだユニット「FAKE BROTHERS」として活動。
 本人のHP、東ユースケのホームページがあります。最近の活動状況などが載っています。YAミュージック所属。
 東秀典はその後、銀秀-A47オールマイティ-ライジング(コントD51の甥っ子と組んでた)-AA01(平成見廻組)とずいぶん東京ではコンビを変えました。
 2000年、銀次・政二の銀次と漫才コンビ「銀秀」を結成。松竹芸能に所属。
所属する松竹芸能のオフィシャルサイト、松竹芸能 オフィシャルサイト内のタレントプロフィールに「銀秀」が載っていました。ところが、2000年12月にタレントプロフィール欄から「銀秀」が消えてしまいました。解散したらしいです。
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名 前
東京丸・京平
初出場
 1981年1月10日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 8週勝ち抜き 金賞獲得。
 第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>敗退。
 サバイバルシリーズ1回戦負け。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 東京丸:本名楠本賢次郎。1947年5月5日生。兵庫県出身。
 東京平:本名毎田優。1951年1月7日生。鳥取県出身。
 京丸は(現)大空かんだと「ブルドッグいさむ・おさむ」を組んでいた。京平と組むまで10人近く相方を変えてきたらしい。京平は殺陣師の大内竜生の門下生として切られ役の俳優として活動していた。
 東京二・京太に入門。1972年10月にコンビ結成。
ネ タ
 寄席の舞台に上がるときや下がるとき、互いに両手両足をそろえて「チャチャンチャチャンチャンチャン」と歌いながら行進する。これはお笑いスタ誕で披露されたかどうか不明。
 漫才と漫才の間の場面転換で、同様に「チャチャンチャチャンチャンチャン」と歌い、両手を挙げて振り回しながらその場を回転する。全ての漫才で披露されていたわけではないが、ブリッジの元祖と言われている。
(2週目合格? 2週目ならNo.41 1981年1月17日放送)
(後に似たパターンで何度も披露)

京丸「問題変えてみよう。もし君の子供が僕の子どもだったら」
京平「ほう」
京丸「あ、これ、もしもじゃないからダメか」
京平「おい、こら。どういうことだ」
京丸「いいから、いいから、次行こう……君がだらしないから僕のところに来たんだ」
京平「おい」
京丸「科学的なものでいこう。もしもこの世に月が無かったら」
京平「君は絶対麻雀で勝てないでしょう」
京丸「おい、私はツキ麻雀か」
京平「そうじゃないか」
京丸「違う、違う。お空の月」
京平「お空の月ね」
京丸「もしもこの世に月が無かったら」
京平「もしもこの世に月が無かったら」
京丸「盆踊りが寂しくなるでしょう」
京平「な、なんだ、盆踊りって」
京丸「炭坑節は盆踊りに付き物でしょう」
京平「確かに」
京丸「(歌いながら)月が出た出た、月が出た、よいよい(横で京平、踊る)……というわけにはいかないんですよ」
京平「なぜ」
京丸「月を抜いて歌わなければいけないんですから。(歌いだす)…が出た、…が出た(京平、うまく踊れなくてずっこける)」
京丸「月と生活というのは密接な関係にあるということが証明されたわけです」
京平「何が言いたいんだ」
京丸「じゃあ、今度は恐ろしいものをやってみよう」
京平「恐ろしいもの!」
京丸「もしも」
京平「もしも」
京丸「この日本に食糧危機が来たとしたら」
京平「こわぁ~い(と叫ぶ)」
京丸「飢えで、あなたが、あなたが、あなたが(指さす)、どんどんと死んでいったとしたら」
京平「(おののきながら)はぁ~~~」
京丸「そしてこの食糧危機によって人類が滅亡したとしたら」
二人「うわぁ~~~」
京平「あんたの顔の方がよっぽどこわいわ」
(6週目再挑戦合格 No.60 1981年5月30日放送)

 三太夫と殿様のコンビで掛け合ったあと必ず地口で落し、ブリッジの音楽を口ずさんで場面転換という漫才。
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>5回目 36点 No.78 1981年10月3日放送)

京丸「俺、一流の店はよく行くんだよ」
京平「嘘付け、金なんか全然ないくせに。どんな店だよ」
京丸「看板に「1」の文字が龍を形取って、(仕草を入れながら)1りゅうー」
(会場 シーン)
京丸「あのー、ここで笑ってもらわないと、また34点なんですけれど、私達」
 ここで笑いをとっても仕方がないでしょう。実際には36点でした。
(8週目合格 No.112 1982年6月5日放送)
(爆笑オンザステージ No.168 1983年7月9日放送)

京丸「いやあ、すみません。私、今日待ち合わせなんですけどね。時間はとっくに来ちゃってるんですけれど、お見合いなんですよ。ようやく私にも春がめぐってきそうでね。ここのホテルで待ち合わせなんだけど、仲人さんとは電話でしか話したことがないからな。すみません、仲人さんいらっしゃいませんか、仲人さん。時間はとっくに来ちゃってるんですけれど、おかしいなあ。じゃあ、もうちょっと向こうの方じゃないかと思うんですよ、と消えていく」(脇に引ける)
京平「いやあ、すみません。車を注文なさった方いらっしゃいませんかね。私、中古車のセールスマンなんですけれどねえ。昨日電話をもらってぜひとも君の所から車を買いたいって。有難いことですねえ。今日、ここのホテルで待ち合わせのはずなんだけど、どこにいるかなあ。ちょっと向こうの方を探してきます、と言って去っていく」
 脇に去ろうとしたところで、京丸がやってくる。
京丸「すみません」
京平「はいはい」
京丸「もしかして」
京平「そうです」
京丸「私でございます」
京平「じゃあ、あなたですか」
京丸「よろしくお願いいたします」
京平「こちらこそどうぞ、よろしくお願いします」
京丸「あのう今日なんですか」
京平「なんでしょう」
京丸「おひとりでなんですか」
京平「そうです」
京丸「あの相手のかたはいかがなさったんでしょうかね」
京平「来る途中、すごく道路込んでましたね。これ遅れちゃうんで申し訳ないんで、とりあえず一人、とんできたんですけどね」
京丸「そうですか。まあ一つ後ほどよろしくお願いします」
京平「こちらこそよろしくお願いいたします。」
京丸「色々とお伺いしたいことがございます」
京平「遠慮なく聞いてください」
京丸「あの早速でございます。あの写真かなにかお持ちでございましたら、ちょっと見させていただきたいです」
京平「あのー、お写真と申しますとカタログですか」
京丸「カタログ? あれもカタログっていうんですかね」
京平「いやーあの、慌てて来たものですから、車の中に置いたまま来ちゃったんですよね」
京丸「そうですか。じゃあ一つ後程拝見させてください」
京平「そうしてください」
京丸「あのー失礼でございますが、その方、おいくつぐらいの方なんでございましょうかね」
京平「あのー、おいくつと申しますと?」
京丸「何年生まれの方なんですか」
京平「年式ですね」
京丸「(驚いた顔の後)年式ねえ」
京平「確かね、1966年型ですね」
京丸「何とおっしゃいました?」
京平「1966年型です」
京丸「その方、ガタガタの方でございますか」
京平「ガタガタじゃございません」
京丸「1966年と申しますと?」
京平「要するに1966年に完成したと言うことですね」
京丸「なるほど。と申しますと、1966年にお生まれになったと、まあ、こういうわけでございますね」
京平「そのようなもんですよね」
京丸「今年は1983年でございますから、1966から引きますと、17歳でございますか?」
京平「ちょっと古すぎます?」
京丸「とんでもございません」
京平「そうですか?」
京丸「そういう若い方をさがしたものでございますので」
京平「お若い方?」
京丸「よろしくお願いします。あの、お名前なんていう方でしょうか?」
京平「名前はね、トヨタです」
京丸「豊田さんですか。まあ、いいお名前でございます」
京平「そうでしょう」
京丸「あの豊田なんと言うんですか」
京平「セリカでございますけれどね」
京丸「芹香ちゃんでございますか」
京平「そうです」
京丸「なんて現代的なお名前なんでしょう」
京平「いい名前でしょう」
京丸「よろしくお願いします」
京平「どうぞ」
京丸「ちょっと贅沢な悩みでございますですが、その方の、血色なんかいかがでしょうかね」
京平「血色と申しますと?」
京丸「色艶というんですけれどね」
京平「ああ、確か、あの、紫色ですね」
京丸「何とおっしゃいました?」
京平「紫色です」
京丸「その方、紫色なんですか」
京平「そうです、そうです」
京丸「なんか、最初からこの話おかしいと思っていたんです」
京平「何がですか」
京丸「17歳で紫色なんて、何か(よたよたしながら)、先が見えているような感じ。ヨタヨタヨタヨタなさっているような」
京平「そんなことございません」
京丸「ひょっとして71歳の間違いじゃありません?」
京平「ちゃんとあってますよ」
京丸「あの、紫色の方はお断りしたいんですけれど」
京平「お好きじゃない?」
京丸「あんまりねえ、紫色っていうのは」
京平「わかりました。ピンクにしましょう」
京丸「ピンク?」
京平「はい」
京丸「冗談がうまい方ですね(とお尻を相手の足にぶつける)」
京平「乱暴な方ですね」
京丸「その方、お化粧なさってるわけですね」
京平「お化粧みたいなもんですね」
京丸「よろしくお願いします」
京平「わかりました」
京丸「一つ贅沢な悩みでございますけど、あのスタイルなんかいかがなんでしょうかね」
京平「スタイル任せてくださいよ」
京丸「そうですか」
京平「抜群」
京丸「ほう」
京平「正面から見た感じ。これよろしいですね」
京丸「正面から見た感じ?」
京平「あのね、(身振り手振りで)ぼわんぼわんとなってますね」
京丸「うわー、グラマーですね」
京平「グラマー?」
京丸「ぼわんぼわんでございますか。じゃあ、かなりボインで」
京平「ボイン?」
京丸「ちょっと走るとぶらぶらしちゃったりして」
京平「ああ、ワイパーね」
京丸「あれもワイパーっていうんですかね」
京平「ばっちりでございますよ」
京丸「初めて聞きましたね」
京平「あのう、ゆっくりお乗りくださいませ」
京丸「何とおっしゃいました?」
京平「後ほどお乗りくださいって」
京丸「恥ずかしいですよ」
京平「試しに乗ってください」
京丸「誰か聞いているかもしないじゃないですか」
京平「聞かれたっていいじゃないですか」
京丸「僕、あの決めさせていただきたいんですけど」
京平「決めていただける」
京丸「あのう、結納の日取りなんていつ頃がよろしいですかね」
京平「結納?」
京丸「結納金、納めさせていただいてね」
京平「なんですか、結納金って」
京丸「最初にお支払いするお金のことでございますよ」
京平「頭金ですね」
京丸「頭金?」
京平「でも頭金、結構です」
京丸「と申しますと」
京平「総額まとめて5万円をですね、月々のローンということにいたしましょうよ」
京丸「5万を分割払い!」
京平「はいはい」
京丸「助かりますね」
京平「そうでしょう」
京丸「よろしくおねがいします」
京平「ただ一つですね、欠点があるんですよ」
京丸「欠点と申しますと?」
京平「時々、大きなガスを漏らすんですよ」
京丸「あのう、おうちの中でございますかね?」
京平「いやあ、外走ってるときですよ」
京丸「なんだ、冗談じゃないですか。外で出るっていうことは、調子いいってことじゃないですか」
京平「そうですか」
京丸「私なんか、今朝ジョギングしながらブーブーしながら走ってましたけどね」
京平「ジョギングね」
京丸「私、ご飯バリバリ食べている。これは調子いいから出るってことですよね」
京平「そうですか」
京丸「心配しなくて結構ですよ」
京平「実はですね、昨日、ちょっと中を開けましてですね」
京丸「はい」
京平「大事なところを点検したのでございますけれど」
京丸「えっ?」
京平「これがなかなか調子がいいんですよ」
京丸「ちょっとお待ちください。大事なところを点検なさったと言います?」
京平「そうです、そうです」
京丸「あのー、なにですか?」
京平「そうです。まあ、急所と言いますか、エンジンというかですね」
京丸「やー、あのそのあなた、急所を見ちゃったんですか?」
京平「じっくり拝見しましたよ」
京丸「ちょっと待ってくださいよ」
京平「何がですか?」
京丸「その一番大事な部分は、私が拝見するところじゃないですか」
京平「えっ?」
京丸「そこは、私が見るところじゃないんですか」
京平「そりゃ、あなたがご覧になってもいいですけれど、あなたは見る場所がわかんないでしょうよ」
京丸「場所が」
京平「そうですよ」
京丸「場所はこうなって(手振りで)」
京平「何が?」
京丸「あの辺が場所なんですよ」
京平「ご存知ですか?」
京丸「知ってますよ、それぐらい」
京平「ご安心ください。ちゃんと油を差しました」
京丸「油を差した?」
京平「たっぷりとね」
京丸「油までは余計なことでしょう」
京平「何が余計なことなんですか」
京丸「油は私が差していただくところでしょう」
京平「サービスとしてやらせていただきました」
京丸「サービス!」
京平「貴方、差し方わからないでしょう」
京丸「そんなの、週刊誌読んで色々知ってますよ」
京平「まあまあまあ、興奮なさらないでくださいよ」
京丸「何が興奮ですか」
京平「いやあ、昨日、3時間ばかり乗ったんですよ」
京丸「3時間も乗った!」
京平「まあ、クッションはいいし、乗り心地は最高なんですよ」
京丸「3時間も乗って、芹香ちゃんが(腹が膨らむポーズをしながら)パンクしたらどうするんですよ」
京平「スペアはサービスですよ」
京丸「いい加減にしろ」

 京丸・京平の車のセールスネタも古典です。
(サバイバルシリーズ1回戦 No.186 70点× 1983年11月12日放送)

 えんたーていなー東京丸・京平と書かれたシャツを着て登場。

京丸「どうもどうも、有難うございます」
京平「どうもどうも」
京丸「新人でございます。よろしくお願いいたします」
京平「どうぞ、よろしくお願いいたします」
京丸「まだコンビを組んで11年しか経っておりませんので、どうか」
京平「経っちゃたんじゃないか」
京丸「この間日記を見たんですが、いろんなところに仕事に行っている」
京平「商売柄、色々ね」
京丸「意外と歌手の方との仕事が、回数が多いなあ」
京平「歌謡ショーというもので、ほんと、全国回っていますから」
京丸「先週も、熊本行ってまいりました」
京平「北島三郎さんのね」
京丸「それとか高裕子さんね」
京平「八代亜紀さん」
京丸「一文字竜也さん」
京平「千昌夫さん」
京丸「それから星野肇さん、袴田勝太郎さん」
京平「ちょっと待て、誰も知らない人ばっかりじゃないか」
京丸「スナックじゃ売れてますからね」
京平「どうしたんだよ、いったい」
京丸「キャンペーンで走り回っているからね」
京平「バカなこと言っちゃいけないよ」
京丸「そういう歌手の方って好感持てますけれどね」
京平「情があるしね、皆さん」
京丸「昨日一昨日行った歌手は、静岡行った」
京平「郷ひろみさん」
京丸「名前出さないでよ~」
京平「なんで」
京丸「もう彼とは二度と仕事したくないんだよ」
京平「どうしてそんなに嫌なんだよ」
京丸「どうしても、あいつの人気には勝てないよ」
京平「当たり前だよ。比較する方が間違っているだろ」
京丸「二人でやっているんですけれど、歌手の方に勝てるような漫才やらないと」
京平「負けないように」
京丸「そうですよ」
京平「いいことがある」
京丸「なになになに」
京平「歌手の方はエコー使ってるじゃない」
京丸「まあ、よくエコー、使ってますね」
京平「我々もエコー使った漫才やればいいんだよ」
京丸「よしなさい。歌手じゃないんだから、エコーなんか使ったら、聞いてらっしゃる方、聞きづらいでしょ」
京平「君、勘違いしている」
京丸「なんだよ」
京平「マイクにエコー使うんじゃないの」
京丸「マイクじゃなくて」
京平「我々、漫才なんだから、喋る言葉にエコーかければいいんだよ」
京丸「何だい、喋る言葉にエコーかけるって」
京平「例えば、やまびこみたいな感じで」
京丸「やまびこ?」
京平「(大声で)ヤッホー、(小声で)ヤホヤホヤホヤッホー。こういう風にやればいいんだよ」
京丸「これは漫才で誰もやってない」
京平「新しいアイディアだろ」
京丸「じゃあ、ちょっとやってみましょ。皆さん、こんにちは」
京平「にちはにちはにちはにちは~。皆さん、ようこそ」
京丸「こそこそこそこそ~」
京平「皆さん、お元気ですか」
京丸「すかすかすかすか~。なるほど、面白いね」
京平「いいだろ」
京丸「君の趣味なあに?」
京平「なになになになに~。パチンコ」
京丸「ンコンコンコ、よしなさい(と叩く)。何言わせるんだよ。やらしいね、この人は」
京平「まずいかね」
京丸「こんなことで歌手に勝てるわけないでしょ。冗談じゃないよ」
京平「やっぱりか」
京丸「僕はね、科学者の発想なんか漫才に取り入れたらいいと思うんだよね」
京平「何だい、科学者の発想って」
京丸「思考実験を取りいれたら、いろんな意味でナウいと思うんだけど」
京平「ナウいって、なんだよ思考実験って」
京丸「昔のアインシュタインとかニュートンとか、これを取り入れて、新しい発見をしていったんですよ」
京平「どういう字書くのよ」
京丸「思考ってね、思い、考えるって書くのよ」
京平「おもい、かんがえる?」
京丸「情けないね~。恥が出ちゃうじゃないの。あのね、(指で字を空中に書きながら)お、も、いでしょ」
京平「平仮名じゃないか、それは」
京丸「わかったか~」
京平「それぐらいわかるよ」
京丸「この思考実験を持って、いろんな漫才をすればいいと思うのよ」
京平「どういうことなんだよ」
京丸「これはね、もしもナントカカントカだったなら、ナントカカントカだっただろうってことだよ」
京平「もっとわかりやすく言ってくれよ」
京丸「もしもたとえば、君が女だったら、と仮定するわけだよ」
京平「ほうほう」
京丸「そうしたら君が鋭く答えを出すわけね。これが思考実験だよ」
京平「ああ、そうかそうか」
京丸「じゃあちょっとやってみるね。もしも君が女だったら」
京平「でも僕、男なんだよね」
京丸「わかってますよ、君が男だって」
京平「そうだよ」
京丸「もしも女だったら、となると漫才になるでしょ」
京平「たとえばの話」
京丸「やってみるよ。もし君が女だったら」
京平「ミス・ユニバースになれているでしょ」
京丸「なれるか(と叩く)」
京平「どういう意味だよ、それは」
京丸「じゃあ、ちょっと話題を変えてみよう」
京平「話題を変えてみる」
京丸「じゃあこれ、どうかね。科学的なもしもね」
京平「そういうのがいいんだよ」
京丸「もしも」
京平「もしも」
京丸「この世に月が無かったら」
京平「君は絶対にマージャンに勝てないでしょう」
京丸「そのツキじゃないんだよ」
京平「そのツキじゃない」
京丸「お空の月だよ」
京平「お空の月」
京丸「もしもこの世に月が無かったら」
京平「もしもこの世に月が無かったら」
京丸「盆踊りが寂しくなるでしょう」
京平「何だ、盆踊りって」
京丸「炭坑節って盆踊りにつきもんでしょう」
京平「そりゃそうだ」
京丸「こうやって踊るでしょ。月が、出た出た、月が~出た~、よいよい」
京平「(歌に合わせて踊る)」
京丸「っというわけにはいかないんだよ」
京平「こういうふうにはいかない?」
京丸「月を抜いて歌わなくちゃならないんだからね」
京平「ふむ」
京丸「が、出た出た、が出た~」
京平「(踊ろうとするが、リズムに乗れず、最後はずっこける)」
京丸「月がないとうまく歌えなくなっちゃうんだよ」
京平「なるほど」
京丸「じゃあ、今度は楽しいものにしましょ」
京平「夢がある方がいいね」
京丸「これはどうかね」
京平「はい」
京丸「もしも!」
京平「もしも?」
京丸「水道の蛇口から曜日によっていろいろなものが出てきたら」
京平「水道からいろんなもの出てくるの?」
京丸「朝、歯磨いて顔洗ったあとね、水道の蛇口ひねったら冷たい牛乳がドドドド~って出てきたりね」
京平「なるほど」
京丸「夜、喉乾いたな~と思って蛇口ひねったら生ビールが出てきたりね。楽しいじゃないの」
京平「いいねえ」
京丸「そうなるとだね、新聞の天気予報欄に水道予報ってできるんじゃないの?」
京平「なんだ、水道予報って」
京丸「その日に出てくるものが、色々予測してあるわけね」
京平「ああ、なるほど~」
京丸「東京地方の水道蛇口予報をお送りいたします」
京平「はいはい」
京丸「朝のうちはジュース、ときどき牛乳、ところによってアイスコーヒーが出るでしょう」
京平「いいなあ、おい」
京丸「そうなると楽しくなっちゃうもんね」
京平「そうだなあ」
京丸「夜の蛇口予報を申しあげます」
京平「はいはい」
京丸「ええと東京地方、宵のうちは生ビール」
京平「おー」
京丸「時々お酒」
京平「うー」
京丸「ところによってはガソリンが出るでしょう」
京平「ガソリンはだめだよ、おい。火事になったらどうするの」
京丸「漫才で言ってるんでしょ。むきになることないでしょう」
京平「言って良いことと悪いことあるの」
京丸「はっきり言うけどね。君なんか一流レストランで食事なんかできないでしょう」
京平「一流レストランで?」
京丸「食べものがもしも喋ったら、あなたは決して食べることができないって」
京平「食べものが喋るわけないじゃないの」
京丸「喋ったら食べることができない」
京平「そんなことない。ボーイさん(大声で)」
京丸「はい、なんでしょう」
京平「一番上等のビフテキをください」
京丸「ビフテキでございますね。はい、ビフテキでございます(と相手に差し出す)」
京平「ありがとうございます。(ナイフで切ろうとすると)」
京丸「おい、こら!」
京平「何だ、今の」
京丸「例えば、ビフテキが喋ったわけでございますね」
京平「ビフテキが喋ったの?」
京丸「もしもビフテキが喋ったら、という話ね」
京平「はいはい」
京丸「(京平が切ろうとすると)おい、こら。待ちやがれ。俺はこの店の一番高級品のビフテキだ」
京平「何言ってやがる(と切ろうとする)」
京丸「待ちやがれ。俺を食べるんだったら、自分の身分と立場と収入をよく考えてから食べろよな」
京平「(切りながら)うるせえ~」
京丸「覚えてやがれ~」
京平「ボーイさん!」
京丸「はい」
京平「このスパゲッティ、嫌がってるんですが、じゃない、スパゲッティにしてほしいんですけれどね(とちったため、みんな笑う)」
京丸「あのね、スパゲッティにしてほしいと」
京平「そうなんですよ。ビフテキが嫌がってるんで、スパゲッティの方がいいんじゃないかなと」
京丸「そうですか、スパゲッティですか。かしこまりました。」
京平「よろしくお願いします」
京丸「スパゲッティでございます」
京平「ありがとうございます(食べようとする)」
京丸「(しゃがみ込んでシナを作りながら女声で)ちょっと待って」
京平「えっ?」
京丸「いや。私は、あんたみたいな人には食べてほしくないの」
京平「このスパゲッティ、女なの」
京丸「そうよ。私はこのお店の中で、一番スマートな食べ物よ」
京平「なあに」
京丸「それを、あんたみたいな人には食べてほしくないの」
京平「何言ってやがる」
京丸「もっとかっこいい人に食べてほしいの。(京平、食べようとフォークを引っ張り、京丸は腰を上げる)ああ、よして」
京平「(フォークを振り回す)」
京丸「(フォークに合わせて色々と動き回る)ああ、よして、ああ~」
京平「(大声で)ボーイさん!」
京丸「はいはい」
京平「スパゲッティも嫌がっているんだよ。僕は何を食べたらいいんでしょうかね」
京丸「あなたはこれを食べたらいいでしょう」
京平「何ですか、これは」
京丸「230円の、ほかほか弁当でございます」
京平「いい加減にしろ」
二人「どうも、有難うございました」
エピソード
 当時は既にセントルイスやツービートに続く東京漫才師という位置づけだった。
 出演したきっかけは、当時の女性週刊誌に、お笑いスタ誕のディレクターが「関西の若手漫才師は挑戦してくるのに、関東は誰も挑戦してこない、情けない」などと話していたことに発憤してとのこと。
感 想
 正統派の漫才。若い客が多かったためか、なかなか受けなかったのを覚えています。
 正統派だった分、てんやわんやあたりからは高得点をもらっていました。
受賞歴
 1978年 NHK新人漫才コンクール優勝。タイトルは「もしも……」。
 (このとき、ツービートは三回目のチャレンジだったが落選)
 1979年 フジテレビ演芸大賞ホープ賞。
著 書
 東京丸『ヨイショの京丸 しくじり漫才記』(アスの本,1982)
 東京丸『競艇 これで勝てなきゃオシマイだ!』(アス出版,1989)
レコード
 東京丸・京平『第1回紅白ヨイショ歌合戦』(紅組サイド)(1983.11)
 B面は、西ブービー・オービーの同名曲。
 ちなみに、ジャケの裏面には、それぞれのプロフィールが記載されているのですが、西ブービーのプロフィールとして、「昭和54年「ザ・テレビ演芸」「お笑いスター誕生」などに漫才コンビジャン・種吉"として出演」と書かれてあります。
その後・現在
 「スタ誕」に出まくったあとで「テレビ演芸」の勝ち抜きコーナーに出ていました。11週勝ち抜いていた螢雪次郎一座を破ったすがぬま伸に挑戦して破りましたが、その後何週勝ち抜いたか分かりません。
 また浅草キッドの10週目の相手としても出場しましたが、敗れました。
 寄席などで漫才師として活躍。1989年、漫才協会真打ち昇進。
 1992年ごろからは京丸が仕事のストレスなどから鬱病となって休業。京平はピンで仕事をしながら京丸を待っていた。そして京平は、京丸を誘って年1回漫才協会主催の大会に出場し続けた。京丸は2002年ごろに復帰。
 社団法人 漫才協会協会員。社団法人落語芸術協会協会員。プロフィール等も載っています。
 2019年2月27日放送のTBS『水曜日のダウンタウン』の「芸人解散ドッキリ 師匠クラスの方が切ない説」に登場。浅草の師匠芸人をターゲットにした解散ドッキリ企画で、ナイツの協力を得て実現。今でも一緒に電車で帰るほどの仲良しコンビである二人だが、京平の体調不良を理由に解散するというドッキリを仕掛けた。雑誌の取材を装い、ターゲットの京丸に解散ドッキリを仕掛ける京平だったが、京丸は頑なに解散を拒否。最後にネタばらしをして、京丸は安堵のあまり涙を流した。
 東京丸は2021年1月30日、心不全にて逝去。73歳没。浅草演芸ホールにて2020年6月10日、夜の部を務めたのが最後の寄席出演となった。
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名 前
麻生圭
初出場
 1980年11月1日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 漫談。
プロフィール
 アマチュア。
ネ タ
(1週目不合格 No.30 1980年11月1日放送)

 山田康雄さんの「あいつおもしろいで!」「あっそうけ?」という身を呈した?つかみの後、麻生圭さん登場でした。
 こんな司会者からのナイスアシストにも拘わらず、当人のねたは一つも面白くな……。
 例えば、麻生圭さん行きつけの飲み屋(そこで麻生さんがネタを考えていたとのこと)で二人の男が、「いや~久しぶり!」「そうだな元気だったか」このやり取りをきいていたマスターが麻生さんに「あの二人飲むと親子であることがわからなくなるんですよ」なんとこれが落ち。

「ボー」と船の汽笛のマネをやってはりました。あとこれが大事!一番うけてたとこがなんとネタを忘れてトチってた場面でした。相当緊張してはったんでしょう。
感 想
 よく覚えていないが、落ちた時カプセルの中で悔しそうに固まっていた。
その後・現在
 不明。
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名 前
アッパー8
初出場
 1982年4月17日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 6週勝ち抜き、銀賞獲得。
 第3回ゴールデンルーキー賞出場。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 水島びん:本名水島敏雄。1951年4月30日生。愛媛県出身。
 ブッチー武者:本名武者博和。1952年8月6日生。長野県出身。
 水島びんは以前、轟二郎と「コント百連発」を組んでお笑いスタ誕に出場。
 ブッチー武者は高校卒業後上京して就職するも、演劇を目指して2年後に退職。アルバイトをしながらオペレッタ劇団の役者として活動するうちに、。『お笑いオンステージ』(NHK)のオーディションに合格。コントの端役として出演。浅草演芸場でレオナルド熊と知り合い、弟子入り。ラッキーパンチ解散後の熊と「熊田うつぞう・にげろう」を組んでいた。雑誌『GAO』でレオナルド熊との修行時代を語る。
 二人ともレオナルド熊の弟子。
ネ タ
 靴をパンに見立てて食べようとするコントをやっていました。「このひもみたいなのは」「やきそば」「うわー。やきそばパン大好き。このパンいくらかな。24.5円」
(グランプリシリーズ 3週目? 3週目ならNo.107 1982年5月1日放送)

水島:野球部の監督
武者:野球部員
 どちらもユニフォーム着用。

水島「お前ひとりしか、野球部員いない。九人いないと、学校から部費が出ない」
武者「そんな」
水島「よって廃部だ。お前は今日から、相撲部へ行け」
武者「監督、ちょっと待ってくださいよ。僕はね、今年一年しか甲子園行くチャンスがないんですよ。もう高校三年生なんですよ」
水島「(部者のなりを見て驚く)老けた顔してるなあ」
武者「老けたって……、18歳です」
水島「18歳?」
武者「はい」
水島「生年月日は?」
武者「えっ?」
水島「生年月日」
武者「(目が泳ぎながら)8月6日生まれです」
アルバイト面接のコント
武者のアルバイトが決まる。
水島びん「じゃあ、君に決定。」
武者「ありがとうございます」
びん「うちは、年中無休で24時間営業だ」コケる武者。
武者「じゃあ、休みは?」
びん「疲れて死ぬ時だろうね」
(7週目再挑戦不合格 No.183 1983年10月22日放送)

 甲子園の応援団とかち割り売りのコント。応援団の声がうるさいとかち割り売りが怒りだし、静かにやれという。
エピソード
 1週目のときは「コント・アッパー8」というコンビ名だったが、いつの間にか“コント”の文字が抜けていた。
感 想
 水島びんはわりと達者だったけれど、ブッチー武者が今ひとつ動きが鈍いなあと思っていた。舞台を広く使うコントをやるのだが、それがドタバタにしか見えなかったのは勿体なかった。
その後・現在
 地道に活動していましたが、ブッチー武者の方が『俺たちひょうきん族』の“ざんげの神様”役で人気を得てしまった。出張ざんげでは、水島びんも神父役で出ていました。
 現在は解散しています。武者単独の仕事が多くなったためか、自然解散に近い形でした。
 水島びんは、ゆーとぴあのホープ劇団に参加。ピースと「コントSOS」を結成したりしていた。
 水島びんは水島敏照(びんしょう)と改名。日本貴峰道(きほうどう)協会主催の貴田晞照(きだきしょう)さんと共演したのがきっかけで、奈良県吉野・大峰山の大先達の貴田師に弟子入り。1998年から大峰山で修験道の修行を行うようになり、2003年、貴田師から小先達を頂いた。それからは、神主の格好で「古事記」などの神話を題材にした神主漫談で浅草東洋館などに出演している。また、水前寺清子や大泉逸郎などの歌謡ショーの司会を行っている。ボーイズバラエティ協会協会員で相談役。2013年、水島敏と改名。
 ブッチー武者はピン芸人として活動。91年にはゆーとぴあのホープと共にアフガン難民のボランティアに同行。アフガンゲリラたちの前で「ゴムパッチン」を敢行。95年にはホープ軍団に参加。渋谷・道頓堀劇場で行われた公演では、オウム真理教の麻原彰晃に扮し、世相風刺コントを披露。
 1997年から歌舞伎町でスナック「女無BAR(メンバー)」を経営。その傍らで芸人、俳優としても活動中。2003年からは2年に1度のペースで「ロマンティックライフ」の公演を行う。
 2009年3月、元ゆーとぴあのホープ、俳優酒井晴人(激弾BKYU座長)と3人で「ホープ軍団」を結成。2009年11月26日、ビートたけし命名「コント八ツ場ダム」と改名。しかし自然消滅した模様。
 2013年、BMCエンタープライズを設立し、代表取締役に。演劇スクールも開講。2014年に劇団ZANGEを旗揚げし、9月2日~7日、六本木・俳優座劇場で「生きる」を旗揚げ公演。脚本・演出はコント山口君と竹田君の山口弘和。京都で起きた介護殺人事件をモデルに、認知症介護をテーマにした作品で話題となる。共演は浜田光男、大信田礼子。推薦は田原総一郎。
 以後も全国で上演しており、2022年には20回目公演を迎えた。
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