オーディション

 元々は、レコード会社・劇団などが(専属)契約を結ぶかどうか決めるために、歌手(俳優)の力をテストすること。お笑いスタ誕の場合は、当然番組に出演することができるかどうかのテストの場となる。
 グランプリシリーズの頃、オーディションの告知は、「出場者大募集」と番組の最後にやっていた。
 オープントーナメントサバイバルシリーズになると、番組中、画面の下に「挑戦者大募集」のテロップが流れてた。
 お笑いスタ誕のオーディションは、日本テレビ四番町別館の稽古場で毎週1回(主に火曜日)行われていた。1回につき約20組。ここは後に、『マネーの虎』が収録されていた場所でもある。
 次の撮りのためのネタ見せの日に、スタッフや他の芸人、オーディション参加者の見ている前でやらされる(トータルで5,60人ぐらい)。まずはオーディション参加者のテストで、その後は出演中、もしくは以前に落ちた人たちのネタ見せレッスンとなる。
 順番は挙手制。そのため、おぼん・こぼんの後にはだれも手を挙げなかったという。逆にでんでんの後にはみんな手を挙げていたとのこと。ほとんど素人の人は、この時点であがって落ちてしまった。周りは誰も笑わなかったとのこと。
 赤尾健一PDがすべてを仕切り、評価がAなら来週来て、Bなら1か月後に来て、Cならもう来なくていいよと評価が厳しかった。なおA評価をもらっても、ネタが3本以上ないとテレビに出られなかった。C評価を受けても二か月後に受けることは可能だが、三回受けてもだめなら引導が渡される。ネタ見せ中に赤尾がいろいろとアドバイスをしているうちに、別のネタが一本仕上がったこともある。
 赤尾健一が激怒して「灰皿を投げた」という話が有名だが、本人曰くそれは都市伝説だということ(『金曜10時!!うわさのチャンネル』時代は本当に飛んでくるというので、灰皿が隠されていたらしい)。ただし、赤尾自身もその噂を聞いていて、わざと机の上にアルミの灰皿を置いていたという。激怒されたツーツーレロレロが脱兎のごとく逃げ出したというのも本人は覚えていないという。
 関西でも、プロ中心にオーディションをやっていた。
 番組後半はプロばかり、来ていた。

 私(漂泊)は番組終了後に挑戦者募集の告知案内を見たことが度々ありました。挑戦者募集のCMで、オーディション風景を見たことがあります。ちょうどブラック嶋田がマジックをやっていて、トランプをひく相手がポップコーンの片方(見分けがつかん)でした。ああやって出演者同士でオーディションをやると怖いだろうなと思ったものでした。
 では、番組開始時はどうしていたのか?
 出演者をかき集めるため、それこそありとあらゆる芸人に出場依頼書を送っていた。
 聞いた話では、あの東京コミックショーのショパン猪狩さんにまで出場依頼書が来たとのこと。ちなみにショパンさん、依頼書を破り捨てたそうです。
 柳沢慎吾も出演するかと誘われたらしい。
 他にも赤尾PDは、テレビの素人番組出演者や大学の落研などにも声を駆け回っていた。第1回出演者であるギャグ・シンセサイザーも、そんな一人。また赤尾PDは、数年前から『全日本学生お笑い選手権』などの特番を作って、若い芸人の情報をストックしていた。


 あtろ様、情報ご提供有り難うございました。