死刑執行・判決推移


 第二次世界大戦後(1945年8月16日~)の死刑執行者数、死刑判決の推移です。死刑執行者の中には、戦時中に刑が確定し、終戦後に執行された例もあります(戦犯は含みません)。
 最高裁判決は確定日と判決日が混じっている可能性があります。近年の判決は、基本的に判決日を表に入れています。そのため、統計年報などの数字と異なっています(年報は確定日)。注釈における確定も、確定日と最高裁判決日が混じっています。
 統計が引用文献によって異なっている箇所があるため、確定者と執行数は一致しておりません。また数字が異なっている可能性もあります。
一審死刑判決数 二審死刑判決数 最高裁死刑判決数 新死刑確定数 死刑執行数 死刑確定者総数 備考
1945       不明 7? 不明 (注1)
1946       17 11 不明 (注2)
1947 105     38 12 不明 個別恩赦1名(注3)
1948 116     41 33 不明  
1949 55     77 33 82  
1950 62     25 32 73 個別恩赦1名(注6)
獄死1名(注7)
1951 44     32 24 81  
1952 37     40 18 92 政令恩赦11名(注8)
1953 22     25 24 93  
1954 20     21 30 80 政令恩赦2名(注9)
個別恩赦2名(注10)
1955 34     15 32 63  
1956 24     24 11 76  
1957 35     27 39 63 獄死1名(注11)
1958 25     20 7 76  
1959 28     14 30 59 獄死1名(注12)
1960 12     33 39 53  
1961 29     22 6 69  
1962 12     13 26 56  
1963 12     17 12 61  
1964 12     9 0 70  
1965 16     7 4 72 獄死1名(注13)
1966 14     13 4 81  
1967 7     14 23 71 獄死1名(注14)
1968 15     11 0 82  
1969 9     11 18 72 個別恩赦1名(注15)
獄死2名(注16)
1970 9     14 26 59 個別恩赦1名(注17)
1971 4     6 17 48  
1972 4     8 7 48 獄死1名(注18)
1973 4     4 3 49  
1974 6     2 4 46 獄死1名(注19)
1975 5     3 17 29 個別恩赦1名(注20)
自殺2名(注21)
1976 4     1 12 18  
1977 9     3 4 16 自殺1名(注22)
1978 6     4 3 17  
1979 7 1 4 4 1 20  
1980 9 2 4 7 1 26  
1981 2 1 3 3 1 28  
1982 11 8 0 1 1 28  
1983 5 4 0 1 1 27 再審無罪釈放1名(注23)
1984 6 5 3(注24) 3 1 27 再審無罪釈放2名(注25)
1985 9 5 1 2 3 26  
1986 5 7 0 0 2 24  
1987 6 8 6 8 2 29 獄死1名(注26)
1988 10 4 7 11 2 38  
1989 2 5 5 5 1 40 再審無罪釈放1名(注27)
獄死1名(注28)
1990 2 2 7 6 0 46  
1991 3 4 4 5 0 51  
1992 1 4 4 5 0 56  
1993 4 1 5 7 7 56  
1994 8 4 2 3 2 57  
1995 11 4 3 3 6 54  
1996 1 3 4 3 6 52  
1997 3 2 4 4 4 51  
1998 7 7 5 7 6 52  
1999 8 4 4 4 5 50 自殺1名(注29)
2000 14 6 3 6 3 52  
2001 10 16 4 5 2 56  
2002 18 4 2 3 2 57  
2003 13 17 0 2 1 56 獄死2名(注30)
2004 14 15 13 15 2 68 獄死1名(注31)
2005 13 15 10 11 1 78
2006 13 16(注32) 16 20 4 94
2007 14 14 18 23 9 107 獄死1名(注33)
2008 5 14 8 10 15 100 獄死2名(注34)
2009 9 9 16 18 7 107 獄死4名(注35)
2010 4 3 7 8 2 111 獄死2名(注36)
2011 10 2 22 24 0 132 獄死3名(注37)
2012 3 5 9 10 7 135
2013 5 3 6 7 8 131 獄死3名(注38)
2014 2 8 6 6 3 129 獄死5名(注39)
2015 4 1 3 3 3 128 獄死1名(注40)
2016 3 4 6 6 3 129 獄死2名(注41)
2017 3 0 3 3 4 124 獄死4名(注42)
2018 4 2 2 2 15 111
2019 2 3 3 3 3 112
2020 3 0 1 3 0 110 自殺1名(注43)
獄死3名(注44)
2021 3 2 2 4 3 108 獄死3名(注45)
2022 0 1 0 0 1 107
2023 1 1 3 4 0 108 獄死3名(注46)
2024 3 0 0 1 0 107 10.10現在
獄死1名(注47)
無罪1名(注48)
総計       900 711   個別恩赦11名
政令恩赦13名
獄死51名
自殺5名
無罪釈放5名


【注釈】

  1. 10月17日、第二次世界大戦終局に伴う恩赦。恩赦となった死刑囚の人数不明。
  2. 11月3日、日本国憲法公布による恩赦。死刑囚も対象となっているが、人数不明。
  3. 1945年9月5日に殺人・殺人未遂・戦時放火で死刑が確定したN・G死刑囚。1947年2月18日、個別恩赦(事件当時17歳)。
  4. 1948年7月15日、死刑を適用できない年齢を16歳未満とする旧少年法から、18最未満とする新少年法に改正された。制度変更に伴う不公正の是正のため、事件当時17歳だった3名が1949年3月23日、無期懲役に減刑となった。
  5. 1945年7月15日に戦時強盗殺人で死刑が確定したS・T死刑囚。死刑確定後、身柄を札幌刑務所に移管されたものの、ソ連軍侵攻という差し迫った状況下、公判記録などの書類が持ち出せず、そのまま紛失。死刑執行には公判記録など死刑囚に関する全ての記録が必要であるが、この場合は一切の書類がないため、書類審査、死刑執行起案書作成、法務大臣への執行上申といった手続きが不可能であった。見かねた札幌刑務所所長が中央更生保護委員会に恩赦を具申。1949年12月24日、無期に減刑となった。似たような例では、公判記録がないために公訴を棄却、釈放となったケースもある。
  6. 1948年2月3日、1つの強盗殺人事件について3名に一審死刑判決。従犯とされたK・K死刑囚は6月4日、控訴を取り下げ確定。ところが主犯を含む残り2名は二審で無期懲役に減刑されて確定したため、量刑是正により1950年7月29日、個別恩赦となった。
  7. 宮城刑務所に収監されていた死刑囚1名が獄死。
  8. サンフランシスコ平和条約発効記念により1952年4月28日に政令恩赦が適用。1952年と54年の二回に分けて行われた。このとき、死刑から無期に減刑となったのは52年11名、54年2名の計13名(14名とする資料もある)。全て殺人、尊属殺人により死刑判決を受けた死刑囚が対象であり、強盗殺人により死刑判決を受けた死刑囚は対象とされていない。1960年版『犯罪白書』によると、「昭和22年以降、21人の死刑囚が、恩赦で無期懲役に減刑されている」と書かれているので、そこから逆算すると政令恩赦は計13名と思われるが、詳細は不明である。
  9. 上記の政令恩赦が適用された時点で適用の対象となったが、死刑判決が確定していなかった2名の死刑判決が確定したため、政令恩赦が適用された。
  10. 滝川老女強盗殺人事件で1949年5月17日に上告を取り下げて死刑が確定したS・K死刑囚と、7月14日に死刑が確定したS・S死刑囚。S・K死刑囚は犯行時少年であったことなどから、1954年1月15日に恩赦となった。共犯のS・S死刑囚も量刑の均衡を考慮され、同時に恩赦となった。
  11. 名古屋拘置所に収監されていた死刑囚1名が獄死。
  12. 札幌拘置所に収監されていた死刑囚1名が獄死。
  13. 名古屋拘置所に収監されていた死刑囚1名が獄死。
  14. 1949年に起きた三鷹事件の被告として1955年6月22日に死刑が確定した竹内景助死刑囚。脳腫瘍により1967年1月18日獄死。45歳没。
  15. 1968年2月24日、神近市子社会党議員が1945年9月~1952年4月の占領期間中に起訴されたた者のうち、生存している死刑囚に対する「再審臨時特例法案」を衆議院に提出した。与党はこれを拒否したが、その見返りとして西郷吉之助法務大臣は7月に「GHQ占領下の死刑確定囚は、積極的に恩赦する」と声明した。このとき該当した死刑確定囚は山崎小太郎・平沢貞通(宮城刑務所)、山本宏子・谷口繁義(大阪刑務所)、免田栄・西武雄・石井健治郎(福岡刑務所)の7名である(他にM・T死刑囚、佐藤誠死刑囚らの名前も挙がっていたと言われる)。9月2日、山本宏子死刑囚が恩赦となり、無期懲役に減刑された。拘禁病による精神異常で執行できる状態になかったと言われている。八王子医療刑務所で2年半の治療を得て後、和歌山刑務所へ移転された。1977年7月29日、結核の悪化により刑の執行停止、奈良の国立療養所に収容。翌年3月4日、息を引き取った。62歳没。最後まで正気に戻らないままだったと言われている。
  16. 1952~1954年のブローカー連続殺人事件で1960年8月30日に死刑が確定したY・M死刑囚が1969年11月獄死(共犯は翌年執行)。他に広島拘置所に収監されていた死刑囚1名が獄死。
  17. 山崎小太郎死刑囚が1970年7月17日に恩赦、無期懲役に減刑された。恩赦時76歳11ヶ月。高齢・高血圧のために執行できる状態になかったと言われている。11ヶ月後に獄死。
  18. 大阪拘置所に収監されていた死刑囚1名が獄死。
  19. 1962年5月29日に死刑が確定したM・I死刑囚。1974年1月24日獄死。
  20. 1947年に起きた福岡事件の実行犯であり、1956年4月17日に死刑が確定した石井健治郎死刑囚が1975年6月17日に恩赦、無期減刑となった。しかし同日、主犯と認定されるも冤罪を主張していた西武雄死刑囚が執行された。60歳没。石井氏は1989年12月、仮釈放で出所。2008年11月7日、急性心筋梗塞のため死亡。91歳没。
  21. 1971年に起きた栃木県大田原市で強盗殺人事件で、1974年7月2日に上告を取り下げて死刑が確定した前田孝死刑囚。1975年9月5日、東京拘置所で首吊り自殺。34歳没。
    1964年に起きた福岡県筑後市の強盗殺人事件で、1969年12月23日に死刑が確定した津留静生死刑囚。執行予定日の1975年10月3日、福岡拘置所でカミソリ自殺。43歳没。前日に執行の旨が言い渡されていた。以後、執行の言い渡しは全て当日となった。
  22. 1964年に起きた新潟デザイナー誘拐殺人事件で、1971年5月20日に死刑が確定した山川眞也死刑囚。1977年5月21日、東京拘置所でガラス片を首に当てて切り自殺。34歳没。冤罪を主張していた。
  23. 1948年に起きた強盗殺人事件(免田事件)の被告として1952年1月5日に死刑が確定した免田栄氏。1980年12月11日、死刑囚としては初めて再審開始が決定した。1983年7月15日、福岡地裁で無罪判決が下され、確定。34年ぶりに解放された。
  24. 最高裁は、永山事件の上告審判決で死刑の適用基準(永山基準)を1983年7月8日に出すまで、死刑事件の審理を一時ストップしていたため、1984年4月27日の判決は、1981年6月26日以来2年10か月ぶりの判決となった。
  25. 1950年に起きた強盗殺人事件(財田川事件)の被告として1957年2月2日に死刑が確定した谷口繁義氏。1981年3月14日、再審開始が決定した。1984年3月12日、高松地裁で無罪判決が下され、確定。34年ぶりに解放された。
    1955年に起きた殺人放火事件(松山事件)の被告として1960年11月22日に死刑が確定した斎藤幸夫氏。1983年1月21日、再審開始が決定した。1984年7月11日、仙台地裁で無罪判決が下され、確定。29年ぶりに解放された。
  26. 1948年に起きた帝銀事件の被告として1955年5月7日に死刑が確定した平沢貞通死刑囚。肺炎により1987年5月10日獄死。95歳没。無罪を主張していた。
  27. 1954年に起きた幼女強姦殺人事件(島田事件)の被告として1960年12月15日に上告が棄却され、死刑が確定した赤堀政夫氏。1987年3月31日、再審開始が決定した。1989年1月31日、静岡地裁で無罪判決が下され、確定。35年ぶりに解放された。
  28. 1950年に起きた牟礼事件の被告として1958年9月5日に死刑が確定した佐藤誠死刑囚。くも膜下出血により1989年10月27日獄死。81歳没。逮捕当初から無罪を主張していた。
  29. 太田勝憲死刑囚。1999年11月8日、札幌拘置所でカミソリ自殺。55歳没。
  30. 上田大死刑囚。2003年2月28日獄死。33歳没。
    富山常喜死刑囚。2003年9月3日獄死。86歳没。無罪を主張していた。
  31. 晴山広元死刑囚。2004年6月4日獄死。70歳没。無罪を主張していた。
  32. 松本智津夫被告の控訴棄却決定1件を含む。松本被告及び弁護団が、裁判所が指定した期限内に控訴趣意書を提出しなかったため、東京高裁は被告の訴訟能力を認めた上で、刑事訴訟法第386条1項に基づき控訴を棄却する決定を出した。一審で死刑とされた被告の控訴審が、手続き不当に伴う棄却決定をされるのは初めて。
  33. 諸橋昭江死刑囚。2007年7月17日獄死。75歳没。一部無罪を主張していた。
  34. 宇井錂次死刑囚。2008年2月7日獄死。68歳没。
    澤地和夫死刑囚。2008年12月16日獄死。69歳没。
  35. 朴日光死刑囚。2009年1月4日獄死。62歳没。
    藁科稔死刑囚。2009年5月2日獄死。56歳没。
    荒井政男死刑囚。2009年9月3日獄死。82歳没。無罪を主張していた。
    石橋栄治死刑囚。2009年10月27日獄死。72歳没。無罪を主張していた。
  36. 山本開一死刑囚。2010年1月2日獄死。62歳没。
    手柴勝敏死刑囚。2010年4月14日獄死。66歳没。
  37. 坂本春野死刑囚。2011年1月27日獄死。83歳没。
    熊谷昭孝死刑囚。2011年1月29日獄死。67歳没。
    永田洋子死刑囚。2011年2月6日獄死。65歳没。
  38. 綿引誠死刑囚。2013年6月24日獄死。74歳没。
    迫康裕死刑囚。2013年8月15日獄死。73歳没。
    宇治川正死刑囚。2013年11月15日獄死。62歳没。
  39. 石田富蔵死刑囚。2014年4月19日獄死。92歳没。
    中山進死刑囚。2014年5月15日獄死。66歳没。
    岡崎茂男死刑囚。2014年6月26日獄死。60歳没。
    沖倉和雄死刑囚。2014年7月2日獄死。66歳没。
    幾島賢治死刑囚。2014年7月16日獄死。67歳没。
  40. 奥西勝死刑囚。2015年10月4日獄死。89歳没。無罪を主張していた。
  41. 松本昭弘死刑囚。2016年1月22日獄死。61歳没。
    片岡清死刑囚。2016年2月14日獄死。84歳没。
  42. 関根元死刑囚。2017年3月27日獄死。75歳没。
    大道寺将司死刑囚。2017年5月24日獄死。68歳没。
    浜田武重死刑囚。2017年6月26日獄死。90歳没。一部無罪を主張していた。
    畠山鐡男死刑囚。2017年9月16日獄死。74歳没。
  43. 矢野治死刑囚。2020年1月26日自殺。71歳没。
  44. 阿佐吉廣死刑囚。2020年2月11日獄死。70歳没。無罪を主張していた。
    高田和三郎死刑囚。2020年10月17日獄死。88歳没。
    野﨑浩死刑囚。2020年12月13日獄死。61歳没。
  45. 高橋義博死刑囚。2021年2月3日獄死。71歳没。
    高橋和利死刑囚。2021年10月8日獄死。87歳没。無罪を主張していた。
    岩森稔死刑囚。2021年12月11日獄死。76歳没。
  46. 上田美由紀死刑囚。2023年1月14日獄死。49歳没。無罪を主張していた。
    岩間俊彦死刑囚。2023年8月24日獄死。49歳没。無罪を主張していた。
    窪田勇次死刑囚。2023年9月23日獄死。78歳没。無罪を主張していた。
  47. 守田克実死刑囚。2024年9月9日獄死。73歳没。
  48. 1966年に起きた清水市一家4人殺害事件(袴田事件)の被告として1980年11月19日に上告が棄却され、死刑が確定した袴田巌氏。2014年3月27日、静岡地裁で再審開始決定。刑の執行停止に加え、拘置の停止も認めたため、袴田さんは釈放された。2023年3月20日、再審開始が決定した。2024年9月26日、静岡地裁で無罪判決が下され、そのまま確定した。


【参考資料】


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