【『ザ・テレビ演芸』出演編】
「ザ・テレビ演芸」は1981年4月12日より9年間、テレビ朝日系列で毎週日曜日15時~16時に放映されました。司会は横山やすし(後に西川きよし)。歴代アシスタントには堀江しのぶ、迫文代、松居直美などがいます。前半の30分はプロ2組の芸。そして後半30分は新人発掘のためのニュースターコーナーがありました。それが「目指せ笑いのニュースターホップステップジャンプ」です。若手芸人1対1の対抗戦で、勝者が次週に進むことが出来ました。審査員は大島渚、高信太郎、花井伸夫(もしくは山本益弘)、神津友好、糸井重里の5人。3週勝ち抜くとチャンピョンになり、チャンピョン4組ずつでグランドチャンピョンを競いました。チャレンジは何回でもOKだったようです。ある意味、相手が強敵だった場合と恵まれた場合によって差があったのは事実です。審査員の評も厳しいですが、それ以上に厳しかったのはやはり司会の横山やすしでした。
なお、「お笑いスター誕生!!」との掛け持ちは禁じられていたようです。しかしこうしてみると、両方に出演していた若手芸人が多いことに気付かされます。
以下、歴代のチャンピョンを紹介します。
【チャンピョンならびにグランドチャンピョン】
1.中田伸江・伸児(スタ誕→演芸)
2.たんごしん(スタ誕→演芸 審査員の評も比較的良く。対戦相手も1週目という幸運も手伝ってストレート勝ち。)
3.ザ・まんだらーず(落語家になる前の春風亭昇太が所属)
4.チャーリーカンパニー(スタ誕→演芸)
初代グランドチャンピョン.ザ・まんだらーず
5.すがぬま伸
6.大木こだま・ひびき(グランプリ受賞者のはずが、妙に色褪せていました。審査員の評も辛口で、3週勝ち抜きもきつかった。審査員の方が、お笑いスター誕生に対抗意識があったのか、それとも、ひかりが凄かったか。)
7.ダンディ小森とびっくりキャット
8.東京バッテリー工場(中村ゆうじ、はらみつおらが所属)
二代目グランドチャンピョン.東京バッテリー工場
9.かつらいずみ
10.前田竹千代・犬千代(演芸→スタ誕)
11.東京介・玉介
12.宮川大助・花子
三代目グランドチャンピョン.宮川大助・花子
13.ブッチャーブラザーズ(演芸→スタ誕)
14.コントD51(スタ誕→演芸 初めの頃、評価は散々でした。特にパンダーマスクのコントは、糸井重里から、「今のプロレスをわかっていない」とさえ言われた。無制限勝ち抜きシリーズでは、だいぶ上がっています。)
15.北口光彦(演芸→スタ誕)
16.おおくぼ良太
四代目グランドチャンピンブッチャーブラザーズ(1982年)
17.ザ・バイキング
18.ザ・ゲタゲタ(1983年 甘味けんじがいた)
19.伊東かおる
20.大空遊平・大海かほり
五代目グランドチャンピン.伊東かおる(1983年10月)
21.竹中直人(1983年 テレビデビューということになっている)
22.ニック&ビオ(Wミックス)
23.あたりとしお
24.南あいこ
六代目グランドチャンピョン.竹中直人
25.中村ゆうじ
26.てきさすpeartⅡ(テキサスコンビ)(スタ誕→演芸→三度目のチャレンジで合格。組み合わせで損をしている部分もあった。マジック漫才は高信太郎に「末広亭でさんざん見てきたネタですが」とよく言われていた。全般的に審査員の要求は厳しかった。)
27.せーの!
28.新山絵里・真里(演芸→スタ誕)(1984年 最初の頃は、あまり面白くなく、糸井重里に「今時、水仙と水洗の洒落を聞くとは思わなかった」と言われていたが、チャンピョン大会はまとまってきていた。)
七代目グランドチャンピョン.中村ゆうじ
29.イージーズ
30.東秀典・佑典(演芸→スタ誕)
31.AJAPA(桜金造+モト冬樹)
32.ルンルン
33.ペコちゃん(テレビ初出場だった)
八代目グランドチャンピョン.AJAPA(1984年12月30日)
【三甲みつおさんの感想】
(「テレビ演芸」グランドチャンピョン大会)
面白さの順位(あくまで私が見た印象ですが)
【一回】
1位 ザ・まんだらーず
2位 チャーリーカンパニー
3位 たんごしん
4位 中田伸江・伸児
【二回】
1位 東京バッテリー工場
2位 すがぬま伸
3位 大木こだま・ひびきとダンディ小森とビックリキャット
【三回】
1位 宮川大助・花子
2位 前田竹千代・犬千代
3位 東京介・玉介
4位 かつらいずみ
【四回】
1位 おおくぼ良太
2位 ブッチャーブラザーズ
3位 北口光彦とコントD51
【五回】
見ていません
【六回】
1位 竹中直人
2位 あたりとしお
3位 南あいこ
4位 Wミックス
【七回】
1位 中村ゆうじ
2位 せーの
3位 新山絵里・真里
4位 てきさすpeartⅡ
【七回】
1位 AJAPA
2位 るんるん
3、4位は忘れました
5位 イージーズ
【無制限勝ち抜きシリーズ】
3週勝ち抜きから無制限の勝ち抜きシリーズになりました。勝ち抜いたのはわかっている範囲で以下。
・コントD51:4週勝ち抜き
・蛍雪次郎一座:11週勝ち抜き(1984年 蛍雪次郎とルパン鈴木のコンビ)
【飛び出せ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズならびに5週勝ち抜き】
またまたルールが変更になり、10週勝ち抜きでチャンピョンになりました。そして最後は5週勝ち抜きとなりました。主な出演者は以下。何週勝ち抜いたかどうかは不明な芸人もいます。
・AKIKO(5週勝ち抜きチャンピョン 最後のチャンピョンとなった)
・浅草キッド(1990年11月 10週勝ち抜きチャンピョン)
・ARARA(コント)
・一姫二太郎(1989年 6週勝ち抜き)
・金谷ヒデユキ(最終回に勝ち抜き。後を引き継いだ「笑いの王国」の第1回に勝ち抜き者として登場)
・キリングセンス(5週勝ち抜きチャンピョン)
・クラウントム
・斎田満蔵(さいたまんぞう 「なぜか埼玉」で有名)
・立川真二(アマチュア・声帯模写)
・ジョークアベニュー(6週勝ち抜き)
・ダチョウ倶楽部(この頃は南部虎三がいた 10週勝ち抜きチャンピョン)
・だるま食堂(10週勝ち抜きチャンピョン)
・涙連笑隊
・パワーズ(10週勝ち抜きチャンピョン)
・ふらみんご
・B21スペシャル(10週勝ち抜きチャンピョン)
・ピンクの電話
・ベジタブル(漫才)
・VANVAN出演時期不明。情報求む。
【その他の出場者】
出場しながらもチャンピョンになれなかった、「お笑いスター誕生!!」出演経験者です。「お笑いスター誕生!!」出演後に「ザ・テレビ演芸」に出演したケースもありますし、逆のケースもあります。
〈「ザ・テレビ演芸」→「お笑いスター誕生!!」組〉
・歌メリ・マリ:2週(面白くありませんでした。)
・大阪湿地帯ジャン・種吉:2週(種覆面パトカーの人生相談というネタをかけていた。対戦相手に救われて勝ちましたが面白くなかった。暗い芸風はあいかわらずで、2週どまりでした。)
・カージナルス:2週(テレビ初出演。お笑いスタ誕での活躍が嘘のようでした。あまり、ウケていなかった。客層が違うのかな。)
・翔と遊:?週
・スクランブル:0週(1回目は散々でしたが。2度目のチャレンジで絶賛されていた。 でも、残念な事に彼らに先入観のあった私はそのネタを見てません。)
・はっさく・もへい(毛平と八作):0週
・ピンナップ:2週(大島渚に嫌われて3週ならず。横山やすし師匠に芸名の事でよく注意されて、改名をせまられていた。人名でない芸名の走りで、個人の芸名もりすとぞうでした。)
・ぼん&正月:0週(対戦相手よりも笑いはとっていたのですが、審査員から筋の無い事を指摘されて勝てず、審査員の判定には不満でした。「面白いのに何で?笑いを取った方が勝ちじゃん」と思ってみていた。)
・まんぽう(まんぼう):0週
・ライト兄弟(ダウンタウン):0週(横山やすしにぼろくそに言われたことは有名)
・まぐろ丸(コントらぶこ~る):0週
〈「お笑いスター誕生!!」→「ザ・テレビ演芸」組〉
・じゃんけんぽん:0週
・ゼンジー一億:0週
・立山センタ・オーバー:0週
〈「お笑いスター誕生!!」→「ザ・テレビ演芸」→「お笑いスター誕生!!」組〉
・牧田ヒロシでお笑いスタ誕出場→コント五番街(キャベツ白坂と牧田ヒロシのコンビ):2週(キャベツ白坂さんのセンス全開のイカレたコント。なんの脈絡も無く花売り娘に扮するキャベツ。「ねえ、お花買って」と連呼した後「私のお鼻買って・・・」そのセリフを合図にBGMがぞうさんに変わりキャベツはぞうさんを歌いながら象のモノマネをして練り歩く???こんな八方破れな内容では、2週勝ち抜ちも奇跡に近かった。牧田博は、ひたすら黙ってキーボード奏者に徹していた。)→牧田博で再チャレンジ
SPECIAL TAHNKS 三甲みつお様 あtろ様
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