ノンフィクションで見る戦後犯罪史
【1991~1995年】(平成3~平成7年)


【1991年】(平成3年)

日付 事件
5/1 概要 〈広域指定118号事件〉
 岩手県警警察官O、塗装作業員HS、土建業AK、土木作業員MK、同KS、元自動車運転手I、塗装工Nは以下の事件を引き起こした。「警察庁指定118号事件」の概要は以下。
  • 1986年7月15日ごろ、岩手県盛岡市の金融業者(41)を誘拐、岩手県雫石町の山林で生き埋めにして殺し、乗用車などを盗んだ。「主導的役割」はO・AK、「重要的役割」がHS、「従属的地位」はMK・KSとされた。
  • 1989年7月20日、福島県郡山市の塗装業者社長(48)を誘拐し、身代金1,700万円を奪ったうえ、殺害した。遺体は福島県猪苗代町の山中に埋められた。「主導的役割」はO・AK、「重要的役割」がHS、「従属的地位」はMK・KS・I・Nとされた。
  • 1991年5月1日、千葉県市原市の塗装業者(51)を誘拐し、身代金2、000万円を奪った。「首謀者」はHS、共犯者はN、塗装工の被告(懲役6年)とされた。
 1991年の事件について千葉県・栃木県警冊の合同捜査により、HS、N、塗装工を逃亡先の富山県で逮捕。その後の捜査により、1989年の誘拐・強盗殺人事件が浮上。さらに1986年の事件も判明。警察庁ではこれらの事件を警察庁指定第118号事件に指定して、事件の全容解明を強力に推進し、10月、最後まで逃亡していた被疑者1人を潜伏先において逮捕した。
 1996年3月、Nが病死し公訴棄却。O・HS・AKは求刑通り死刑が2004年に確定。MK・KSは求刑死刑に対し無期懲役が確定。Iは求刑通り無期懲役が2003年に確定。
 Oは第三次再審請求中の2014年6月16日病死、60歳没。AKは2011年1月29日病死、67歳没。HSは第二次再審請求中の2013年8月15日病死、73歳没。
文献
備考  
7/12 概要 〈小説『悪魔の詩』訳者殺人事件〉
 インド出身の英国作家サルマン・ラシュディー氏が1988年に出版した『悪魔の詩』は、イスラム教を激しく冒涜するものであると、イスラム教徒から激しい非難を浴びた。そして1989年2月14日、イランのホメイニ氏が世界のイスラム教徒に対して、著者と発行人の処刑を呼びかけた。翌日には、イランのホルダト月十五日財団が処刑者に巨額の賞金を与えると発表。イギリス警察はラシュディー氏を保護し、英国はイランとの国交を断絶。EC加盟国は、イラン駐在大使召還措置を講じた。
 イラン政府は『悪魔の詩』翻訳者にも警告をしていたが、1991年7月12日、日本語訳者である筑波大学のI助教授が、研究室に一人でいるところを殺害された。喉元が刃物により掻き切られており、中東系によく見られる手口らしい。犯人未逮捕のまま、2006年7月に時効となった(ただし実行犯が海外にいる場合は年数がカウントされないので、その場合は時効とならない)。
文献 「『悪魔の詩』惨殺事件 18年後の血染めの遺留品」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備考  『悪魔の詩』では、他国における翻訳者も襲われているが、死亡したのは本事件のみと思われる。
8/23 概要 〈浜松幼児せっかん死事件〉
 1991年8月23日早朝、浜松市内の女性宅の居間で次男(5)がうつ伏せで死んでいるのを女性が発見。司法解剖で水死したことが判明。県警は翌日、女性と交際していた浜松市の保険代理業の男性(32)が前日から女性宅に泊まった際、二男の頭を浴槽につけてせっかんし、殺害したとして殺人容疑で逮捕した。捜査段階で男性は犯行を「自白」したが、裁判では無罪を主張した。
 1995年3月28日、静岡地裁浜松支部で求刑通り懲役10年の判決。(1)一度は自白した。(2)次男を風呂場で宙づりにしているのを女性に目撃された。(3)死亡推定時刻の一致。などが判決理由で挙げられた。被告側は、(1)自白は結婚も考えていた女性をかばうためだった。(2)女性は犯行を見ていたと言いながら具体的な状況については「覚えていない」とあいまいな発言を繰り返している。また女性が捜査段階で「自分が殺した」と一度は話している。(3)別の医学本を根拠にした死亡指定時刻には被告は新聞配達に出ていたためアリバイがある。などと反論していた。
 1996年2月8日までに、東京高裁で一審破棄、懲役7年判決。1998年4月10日、最高裁は上告を棄却し、確定した。なお、事件後に女性が浜松東署の刑事と交際していたことが判明している。男性は2000年5月12日に刑期満了で出所した。
 2005年5月12日、東京高裁に再審請求を申し立てた。2008年1月21日、東京高裁は再審請求を棄却する決定をした。高橋裁判長は、弁護側が新証拠とした死亡推定時刻に関する鑑定について、「使用した測定値の正確性に疑問がある」と信用性を退けた。2011年1月25日、東京高裁は弁護側の異議申立を棄却。2013年1月7日付で最高裁第三小法廷は、特別抗告を棄却した。
 2015年3月23日、男性は東京高裁に第二次再審請求を申し立てた。次男の死亡推定時刻に関する専門家の意見書を「新証拠」として提出した。2017年3月2日、東京高裁は請求を棄却した。弁護側は異議申し立てを行った。
文献 里見繁『自白の理由―冤罪・幼児殺人事件の真相』(インパクト出版会,2006)

「出所した男――浜松幼児せっかん死事件」(里見繁『冤罪をつくる検察、それを支える裁判所』(インパクト出版会,2010)所収)
備考  
9/29 概要 〈下館事件〉
 タイ人の女性3人(25、25、29)は就労目的で来日したが、ブローカーを通じてボス格のタイ人女性に金で引き取られた。1991年5月~9月の間、茨城県下館市内のスナックで監視されながら、ホステスとして時給3,000円で働いていたが、ボス格の女性から、それぞれ来日費用など350万円の借金返済のため売春するよう強要された。3人は、これを恨んで1991年9月29日、アパートで寝ていたボス格の女性(当時28)を果物ナイフで殺害し、現金や貴金属類を奪った。
 借金は架空のものであり、また賃金は支払われていなかった。
 三人は強盗殺人で起訴された。公判で弁護側は「監禁状態から脱出しようとしたもので、正当防衛」と殺人について無罪を主張したが、1994年5月23日、水戸地裁下妻支部で求刑無期懲役に対し、懲役10年の判決。判決の中で裁判長は、「人身売買組織の手にかかり、売春を強要された被告の苦痛、屈辱、不安は極めて大きい」と酌量減軽の理由を述べた。
 被告側は控訴し、1996年7月16日、東京高裁は一審を破棄し、懲役8年を言い渡した。正当防衛の主張に関しては「被害者を殺害しなくても、逃げ出すことは可能だった」と退けた。
 また3被告はスナックの日本人経営者夫妻を相手取り、未払い賃金と慰謝料計約1,460万円の支払いを求めていた民事訴訟を起こし、1995年6月1日、水戸地裁土浦支部は「被告の経営者は売春強要行為を助けたばかりでなく、自らも利益を得ており、不法行為は明らか。原告らは人格を著しく損なわれた」などとして、原告の訴えをほぼ全面的に認め、被告に約1,220万円の支払いを命じた。
文献 下館事件タイ三女性を支える会編『買春社会日本へ、タイ人女性からの手紙』(明石書店,1995)
備考  
11/22 概要 〈札幌両親強盗殺人事件〉
 イベント会社役員Y(24)は、2年前の夏に大学生C(19)と知り合い、1年前の9月から同棲を始めた。二人は結婚を求めたが、Cの両親であるI夫婦に反対されていた。YとCはI夫婦の殺人を決意。1991年11月22日、YとCはI夫婦を刺殺。Iさん所有の乗用車に夫婦の遺体を乗せ、Yが勤める会社が所有する原野に穴を掘って車を埋めた。そして保険金を解約して、300万円を手に入れた。12月に妻の親族から捜索願が出され、行方を捜した結果目撃情報が寄せられ、12月26日に掘り返したところ、車と遺体が発見された。YとCは死体遺棄容疑で逮捕、後に殺人罪で再逮捕された。
 一審で二人は互いに相手が主犯であると主張。1995年3月23日、札幌地裁はYに無期懲役判決(求刑死刑)、Cに求刑通り無期懲役判決を言い渡した。Cは控訴するもその後取り下げ、確定。1997年3月18日、札幌高裁は検察、被告側の控訴を棄却した。検察側は当時としては異例の上告までするものの、1999年12月16日、最高裁は検察側の上告を棄却、刑は確定した。
文献 「警察を煙に巻いたホストと女子大生の「ままごと」-札幌「両親」強盗殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備考  

【1992年】(平成4年)

日付 事件
2/20 概要 〈飯塚事件〉
 1992年2月20日朝、福岡県飯塚市の小学1年女児2人(ともに7)の登校中に行方不明となり、翌日、福岡県甘木市野鳥の雑木林で遺体が発見された。福岡県警は事件当初、久間三千年(54)を容疑者の一人として取り調べを行っていた。1994年9月23日、福岡県警は久間を死体遺棄容疑で逮捕。10月14日、殺人容疑で再逮捕。
 自白、物的証拠は一切なく、久間は一貫して無罪を主張。動機は明らかにされていない。
 検察側は、〈1〉遺体周辺の血痕について行った2種類のDNA鑑定のうち一方について、犯人が1人と仮定すれば、被告と一致〈2〉被告の車の血痕の血液型が女児の1人の型と一致〈3〉遺留品発見現場で目撃された車が被告の車と似ている、と主張した。なおこのときの科警研によるDNA鑑定は足利事件のときの鑑定と同じ方法で、後に足利事件はDNA鑑定が誤りであったとして再審無罪となっている。
 裁判では状況証拠の「総合評価」により、1999年9月29日、福岡地裁で求刑通り死刑判決。2001年10月10日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2006年9月8日、最高裁は上告を棄却し、刑が確定した。久間は判決後も無罪を訴え、弁護士とともに再審請求を準備していたが、2008年10月28日、執行。70歳没。
 2009年10月28日、久間の妻は福岡地裁へ再審請求した。2014年3月31日、福岡地裁は請求を棄却。2018年3月6日、福岡高裁は即時抗告を棄却。2021年4月21日付で最高裁は特別抗告を棄却した。
 2021年7月9日、久間の妻は第二次再審請求を行った。2024年6月5日、福岡地裁は請求を棄却。2026年2月16日、福岡高裁は即時抗告を棄却した。
文献 青木理『絞首刑』(講談社,2009/講談社文庫,2012)

天笠啓祐・三浦 英明『DNA鑑定―科学の名による冤罪』(緑風出版,2006(増補改訂版))

飯塚事件弁護団『死刑執行された冤罪・飯塚事件 久間三千年さんの無罪を求める』(現代人文社,2017)

「第一章 飯塚事件 久間三千年」(片岡健『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』(鹿砦社,2016)所収)

木寺一孝『正義の行方』(講談社,2024)

「DNA鑑定の呪縛――足利事件と飯塚事件」(里見繁『冤罪をつくる検察、それを支える裁判所』(インパクト出版会,2010)所収)

「飯塚事件――創作の中で死刑を認めた裁判官」(吉弘光男『犯罪の証明なき有罪判決 23件の暗黒裁判』(九州大学出版会,2022)所収)
備考  NHKディレクターの木寺一孝は2022年4月、NHK-BS1スペシャル『正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~』を制作、放送。文化庁芸術祭賞大賞、ギャラクシー賞選奨受賞。NHK退職後に本作品を映画化した『正義の行方』が2024年4月27日から公開された。
3/5 概要 〈市川一家四人殺人事件〉
 1992年3月5日、少年S(19)は、2月に交通事故を起こして負傷させ、介抱するふりをして暴行し現金を奪った女子高生(15)のマンションに忍び込んだ。住所は生徒手帳に書かれてあったものを控えていた。忍び込んだSは、女子高生の祖母(83)を電気コードで縊り殺し、母(36)の背中を包丁でメッタ突きにした。帰宅した父(42)も同様に刺し殺し、最後に妹(4)にも包丁を刺して殺した。さらに、残った女子高生を血に染まった部屋の中で強姦した。現金を奪った後、室内から逃げられないように閉じこめた。このとき、少年は長女に知人の家に電話をかけさせ、金を工面するように要求している。この電話を不審に思った知人が6日朝、派出所に届けた。警官が部屋に駆けつけたため、少年は逃亡しようとしたが、捕らえられた。同日夜、犯行を自供、逮捕された。動機は、女性問題でヤクザから200万円を払えと脅されていたためだった。
 少年ということで死刑判決はないと思っていたSだったが、1994年8月8日、東京地裁で求刑通り死刑判決。1997年4月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。2001年12月3日、被告側上告棄却、確定。少年事件の死刑確定は永山則夫元死刑囚以来。
 2017年12月19日、執行。44歳没。第三次再審請求中の執行だった。交流を続けていた永瀬隼介によると「静かに逝ったそうです。諦めてるっていう感じで、暴れはしなかったらしいです」とのことである。
文献 祝康成『19歳の結末-一家4人惨殺事件』(新潮社,2000)(後に永瀬隼介『19歳-一家四人惨殺犯の告白』(角川文庫,2004)と改名、改題/『19歳 一家四人惨殺犯の告白 ―完結版―』(光文社文庫,2025))
備考  
5/30 概要 〈多摩市パチンコ店強盗殺人事件〉
 中国人留学生で1988年から不法滞在していた、C(31)、F(27)は、仲間のW(28)と共謀し、1992年5月30日夜、東京都多摩市にあるパチンコ店のある雑居ビルのエレベーター内で、売上金を運んでいた従業員2人(39、43)をナイフで刺殺。パチンコ店店長(36)も刺し殺し、現金約230万円を奪った。
 1992年10月、Cは別の中国人とともに東京都内のスナックに窃盗目的で侵入して逮捕。指紋から強盗殺人事件の犯人として逮捕、まもなくFも逮捕された。事件の首謀者とされているWは、強盗殺人容疑で国際手配中である。
 C、Fは従犯であることを訴えたが、1995年12月5日、東京地裁八王子支部で求刑通り一審死刑判決。1998年1月29日、東京高裁で被告側控訴棄却。2002年6月11日、最高裁で死刑が確定。外国人被告の死刑が確定するのは、統計を取り始めた1966年以後、同年の横浜地裁判決以来2件目で、最高裁での確定は初めて。来日外国人としては、初めてである。
 C、Fはいずれも再審請求中。
文献 「簡単に大金がとれる―異国の地で―」(佐久間哲『死刑に処す 現代死刑囚ファイル』(自由国民社,2005)所収)
備考  
6/ 概要 〈浦和市高校教諭息子殺害事件〉
 1992年6月4日、埼玉県浦和市の高校教師の夫(54)と妻(49)が、息子(23)の家庭内暴力に困り果てた上、自室で寝ていた息子を出刃包丁などで約10回刺すなどして殺害した。息子は4日午前8時前、アルバイト先から帰宅。ビールを飲んで暴れ出したため、妻が近くの実家に避難。電話で高校にいた夫を呼び出した。二人は連れたって帰宅したが、家庭が滅茶苦茶になると、夫が息子を刺し、妻が抵抗する息子の頭をモデルガンで殴った。
 二人はその後、自宅から110番通報。駆けつけた浦和署員が現行犯で逮捕した。
 息子は県立高校を中退した後、大学入学資格検定に合格して都内の私立大学に進んだが、中退。その後、アルバイトをしていたが、女性との交際がうまくいかないことから1991年の夏頃から酒を飲むと暴れ出すようになった。夫と妻は粗暴な言動に戸惑いながら、自立させようとしたが、家庭内暴力はひどくなるばかりで「万策尽きた」と殺害を決意したものだった。
 父親はまじめな高校教師で信望も厚く、教え子を中心に85,000通近くの減刑嘆願書が浦和地裁に提出された。
 1993年3月4日、浦和地裁は「長男の甘えが事件の第一の要因だった」と弁護側主張を全面的に認め、夫に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役7年)、妻に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役6年)の有罪判決を言い渡した。事件後、すぐに自首しており、社会的制裁も受けていることや、残された二人の子供への責務が残っていることを指摘し、「もはや実刑をもって臨むことを考慮する余地はなく、社会生活の中で長男のめい福を祈りつつ余生を誠実に歩むことが最良」と、弁護側の主張を全面的に認めた。
 量刑不当と検察側は控訴した。1994年2月2日、東京高裁は夫の一審判決を破棄、懲役4年の実刑判決を言い渡した。妻については検察側の控訴を棄却した。判決で裁判長は「長男の精神的な症状は、一審判決の言うように回復不可能な状態ではなく、治ったり軽くなる可能性が十分あった。親としてもっと忍耐強く、対話・交流を試みるべきだった」と指摘した。また「長男の家庭内暴力に対し、尽くすべき手立ては残されており、殺すまでのことはなかった。また、犯行の責任の大半は夫が負うべきだ」と述べた。
 検察側、被告側は上告せず、確定した。
文献 斎藤茂男『息子殺し 演じさせたのはだれか』(太郎次郎社,1993)

横川和夫『仮面の家 先生夫婦はなぜ息子を殺したのか』(共同通信社,1993)
備考  
10/1 概要 〈女性スイミングコーチ殺人事件〉
 1992年10月1日0時50分、石川県金沢市でスイミングクラブコーチAさん(20)が、勤め先のスイミングクラブ駐車場の車中で絞殺されているのが発見された。後に殺害現場は、松任市の果樹園であることが判明している。Aさんは暴行こそされていなかったものの、下着の一部が切り取られていた。知り合い、変質者両方の線で捜査は進められたが、犯人は見つからず、2007年9月30日に時効が成立した。
文献 大川橋造「女性スイミングコーチ惨殺事件を解くカギはあるのか」(『ワニの穴10 ドキュメント 消えた殺人者たち』(ワニマガジン社,1999)所収)
備考  
10/17 概要 〈日本人留学生射殺事件〉
 米ルイジアナ州の高校に留学していた服部君(16)は1992年10月17日、仲間とのハロウィンのパーティーに出かけ、訪問先を間違えて玄関をノックした。訪問先の男性Bは彼らを強盗と思い、銃を構えながら出てきて、「フリーズ(動くな)」と呼び止めた。しかし、意味がわからず近寄っていったため、短銃で射殺された。
 11月、Bは傷害致死罪で起訴されたが、陪審制度による裁判の結果、1993年5月無罪判決。服部君の両親は11月、米国での銃所持の規制を求めた署名170万通を持参して訪米。服部君のホストファミリーであったH家が集めた署名15万通とともにクリントン大統領に手渡した。同月、拳銃購入申込者に人物チェックを行うフレディ法案が可決された。
 1996年1月、ルイジアナ州最高裁判所での民事裁判でBの過失責任が認められ、65万3000ドルを支払うように命じた判決が確定した。
 アメリカ在住の中国人、クリスティン・チョイによってドキュメンタリー映画「The shot heard Round The world(世界に轟いた銃声)」が制作され、1996年に完成された。
文献 賀茂美則『アメリカを愛した少年―「服部剛丈君射殺事件」裁判』(講談社,1993)

ティム・タリー『フリーズ―ピアーズはなぜ服部君を撃ったのか』(集英社,1993)

坂東弘美・服部美恵子『海をこえて銃をこえて―留学生・服部剛丈の遺したもの』(風媒社,1996)
備考  遺族は「YOSHIの会」を設立し、銃規制運動を続けている。また「YOSHI基金」を設立し、銃のない日本社会を体験してもらおうと毎年1名の米国高校生を日本に留学させている。

【1993年】(平成5年))

日付 事件
4/20 概要 〈埼玉愛犬家連続殺人事件〉
 埼玉県熊谷市で、犬猫繁殖販売業S(53)と元妻のペット店経営H(38)は共謀して、1993年4月20日、会社役員(当時39)を犬の高額売買をめぐるトラブルから、猛毒の「硝酸ストリキニーネ」入りカプセルを飲ませて殺害し、群馬県片品村の元会社役員(38)の自宅に遺体を運んで切断・焼却し、捨てた。さらに同7月21日には、暴力団幹部(同51)に男性殺害を知られて金を要求されたことなどから、幹部と運転手(21歳)を、また、Sは同8月26日、犬の高額売買をめぐるトラブルから主婦(同54)をそれぞれ同様に殺害するなどし捨てた。二人は1995年1月5日逮捕。元会社役員は4人の遺体の遺棄などにかかわったとして、すでに死体損壊・遺棄罪で懲役3年の実刑判決が確定し、刑を終えている。
 浦和地裁でSは、すべての事件への関与を認めながらも、全ての事件についてHが首謀で、殺害の実行には加わっていないと主張。Hは、すべてをSが首謀とし、暴力団幹部と運転手の2人に対する死体遺棄事件への関与だけ認めている。また、両被告は元会社役員が殺害の実行行為者とも主張している。2001年3月21日、浦和地裁でS、Hへ求刑通り死刑判決。2005年7月11日、東京高裁で控訴棄却。2009年6月5日、最高裁で上告棄却、確定。
 Sは2017年3月25日、病死。75歳没。Hは2019年現在、再審請求中。
文献 髙田燿山『仁義の報復 元ヤクザの親分が語る埼玉愛犬家殺人事件の真実』(竹書房,2016)

貫田晋次郎『沈黙の咆哮』(毎日新聞出版,2025)

蓮見圭一『悪魔を憐れむ歌』(幻冬舎,2003)(志麻永幸『愛犬家連続殺人』(角川文庫,2000)を大幅に加筆訂正)

深笛義也『罠~埼玉愛犬家殺人事件は日本犯罪史上最大級の大量殺人だった!』(サイゾー,2017)

山崎永幸『共犯者』(新潮社,1999)(志麻永幸『愛犬家連続殺人』(角川文庫,2000)に改題)

「第二章 埼玉愛犬家連続殺人事件 風間博子」(片岡健『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』(鹿砦社,2016)所収)

「埼玉・大阪愛犬家殺人事件 「愛犬の友」は殺人鬼」(『別冊宝島333 隣りの殺人者たち』(宝島社,1997)所収)
備考  
5/30 概要 〈島根主婦ひき逃げ疑惑事件〉
 1993年5月30日早朝、島根県松江市の路上で主婦(65)が心肺停止で倒れているのが発見され、6月2日に死亡した。松江署は病気による転倒、内因性クモ膜下出血と判断した。
 遺族は遺体にあった打撲や傷跡などより、交通事故によるひき逃げであると島根県警等に訴えたが、いずれも退けられた。遺族によると、警察は事故当日、単車によるひき逃げと知り、直ちに県内に緊急手配を実施し犯人捜査中の二時間後、突然病気転倒として捜査をやめたという。また6月2日には検視官により司法解剖が行われており、外傷性クモ膜下出血と判明したと訴えている。
 遺族は1995年に松江地方検察庁へ告訴状を提出したが、同年、不起訴の決定が通知された。
 遺族らは2005年の第162回国会において、「松江市における交通事故死の疑いのある事案の明確な説明を求めることに関する請願」を提出し、初めての苦情請願として行政監視委員会に付託された。衆議院の解散により、審査されるに至らなかったが、同年の第163回国会においても苦情誓願が提出され、10月24日、行政監視委員会で苦情請願として初めて審査され、採択された。26日には本会議で採択され、内閣に送付された。しかし、その後の動きはない。
文献 木村莊一『死体は真実を知っている-妹の不慮の死の真相を訴える』(光陽出版社,1997)

木村莊一『死体は真実を訴えている-妹の不慮の死の真相』(光陽出版社,1997)

木村莊一『真実は警察よりも正しい 再び、妹の不慮の死の真相を訴える』(杉並けやき出版,2000)

木村莊一『これでよいのか日本 警察十年の大嘘を暴く』(杉並けやき出版,2002)

木村莊一『島根警察は悪魔 私は死んでも許さない』(本の泉社,2007)

木村莊一『国会採択しゃぼん玉』(本の泉社,2010)

比留川洋『国会決議すら無視する警察権力、それを許す政治家・政府の責任を問う 島根・主婦ひき逃げ致死事件の真相』(本の泉社,2007)
備考  
8/10 概要 〈甲府信金誘拐殺人事件〉
 甲府信用金庫大里支店の新入職員Uさん(19)は1993年8月10日午後、地元新聞社が発行する雑誌の記者を名乗る男から、本店総務課と支店長を通して電話で写真撮影取材申し込みを受け、午後5時半ごろ退社した。支店前で犯人側が差し向けたタクシーに乗り、6時前、指定された体育館に到着。7時半ごろ、自宅の父親(48)に電話したのを最後に連絡を絶った。11日午前8時20分、大里支店に中年の男の声でUさんを誘拐し、身代金4500万円を要求する電話があった。その後8回の電話があり、現金受渡場所を高速道路の指定場所に置くよう指示があった。しかし捜査員の配置などに手間取り、指定時間を50分オーバー。犯人は現れず、連絡は途絶えた。17日、Uさんの遺体が富士川で発見。誘拐直後に殺害されていた。録音テープが公開された後、自動車セールスマン(38)は22日に韓国に逃亡するも、2日後に帰国。24日早朝、警察に出頭し、逮捕された。車の値引き販売や架空契約で約一億円の借金を抱え、返済に困っての犯行だった。
 1995年3月9日、甲府地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。逮捕前に出頭したことを自首とは認めなかったものの、情状が酌量された。検察側・弁護側が量刑不当を理由に控訴するも、1996年4月16日、東京高裁で控訴棄却。「死刑は究極の刑罰で、適用は慎重でなければならず、近年は被害者が一人の事案では適用は控え目な傾向がうかがえる」と、死刑の選択に際しては被害者数を重視する考えを示した。検察・弁護側は上告せず、無期懲役確定。
文献 「甲府信用金庫女子職員誘拐殺人事件」(礫川全次『戦後ニッポン犯罪史』(批評社,1995)所収)

読売新聞社甲府支局編『戦慄の夏'93・甲府信用金庫OL誘拐殺人事件』(山梨ふるさと文庫-星雲社,1994)
備考  Uさんの家族は極刑を望んでいたものの、その願いは届かなかった。
11/22 概要 〈森安九段刺殺事件〉
 1993年11月23日午前9時頃、「だるま流」の異名で一世を風靡した将棋の森安秀光九段が、自宅の2階で刺殺体となって発見された。発見者は妻(40)で、驚いて電話をかけようとしたところ長男(12)がいきなり電話を切り、包丁で斬りかかってきた。揉み合いながら妻は包丁を取り上げたが、長男は「あんなに叱られたら、ぼくの立場がない。逃げ場がない」「パパが死んだのは、ぼくのせいやない」などと叫び、部屋を飛び出して行方をくらました。その後の調べで、殺害されたのは22日の夕方と判明した。24日、親しくしている店員がいるファミコンショップに長男は姿を見せた。店員とやり取りをしている間に、店長が通報。警察に保護された。
 警察での取り調べで長男は、部屋から血の付いたトレパンなどが発見されたがかたくなに否認。その後少年法に基づき児童相談所へ預けられた。
文献 「森安九段刺殺事件」(山崎哲『〈物語〉日本近代殺人史』(春秋社,2000)所収)

「「少年法」の闇に消えたうたかたの家族-西宮「森安九段」刺殺事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備考  
12/4 概要 〈日野不倫OL放火殺人事件〉
 1993年12月4日早朝、会社員K(27)は、当時不倫関係にあった職場の上司(34)方に侵入。ガソリンをまいて火を放った。住居は全焼、就寝中だった幼子2名(6、1)が焼死、周辺住民も焼け出された。Kと上司は2年前から不倫関係にあり、2度中絶。1993年5月18日に不倫が上司の妻に発覚し非難されたが、関係を解消することができなかった。Kは翌年の2月6日、父親に伴われ警察に出頭した。
 Kは殺意を否認し続けたが、1996年1月19日、東京地裁で求刑通り無期懲役判決。1997年10月2日、東京高裁で被告側控訴棄却。2001年7月17日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 上司夫婦はKに損害賠償を求めて提訴。Kの両親が1,500万円を支払ったことと、Kが3,000万円を支払うことで和解した。
文献 「焔の中で夫と暮らした女の「その十年」―日野「不倫放火」殺人事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)

「エリートOL不倫放火殺人事件 毒の木」(『別冊宝島333 隣りの殺人者たち』(宝島社,1997)所収)
備考  上司の男性は会社を自己退職している(実質的な解雇)。後に上司夫婦には1男1女が生まれている。

【1994年】(平成6年)

日付 事件
1/26 概要 〈大阪愛犬家連続失踪殺人事件〉
 大阪府八尾市のUは、蓄犬業で金儲けしようと、長野県塩尻市内の農地を借りる。Uは「犬の訓練士」と称して業界紙に広告を出し、出資者を集めようとした。1992年5月、預かった犬を散歩させていた途中、偶然Aさん(23)と出会う。Aさんとは以前一緒にあるバイトをしていた仲だったが、UがAさんの悪口を言いふらしたと文句を言ったことから殴り合いになりかかった。Uは知り合いの獣医を訪ね、犬の安楽死に使うと、筋肉弛緩剤である塩化スキサメトニウム2%溶液のアンプルを入手。Aさんを呼び出し、仲直りだと言って睡眠薬入りの酒を飲ませて眠らせ、腕に注射して殺害し、塩尻の訓練所予定地に埋めた。
 1992年10月頃、大阪市の主婦B子さん(47)と知り合う。1993年にB子さんは銀行から80万円を借り、10月25日以降行方不明になった。1991年9月頃知り合った大阪の主婦C子さん(47)も、1992年10月29日から失踪していた。1991年頃、犬の雑誌を通して知り合った大阪市の無職Dさん(35)は、1992年7月にUの銀行口座に30万円を振り込み、8月頃から失踪した。警察庁は一連の失踪事件を警察庁指定120号事件に指定。Uの身辺調査に入った。1994年1月26日、大阪府警が殺人などの容疑でUを逮捕。連続殺人を自供した。DさんとB子さんは出資金のトラブルから、C子さんは車に隠していたB子さんの遺体を見付けられそうになり、殺したものだった。さらにアルバイト料を催促していたEさん(20)も殺害していた。いずれも筋肉弛緩剤で殺害し、遺体を塩尻の予定地に埋めていた。
 Uはその後、供述は警察の暴力によるものだとして一貫して無実を訴えた。1998年3月20日、大阪地裁で求刑通り死刑判決。2001年3月15日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2005年12月15日、被告側上告棄却、確定。2011年現在、第二次再審請求中。
文献 「大阪愛犬家連続失踪殺人事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

「大阪府愛犬家連続失踪殺人事件」(山崎哲『〈物語〉日本近代殺人史』(春秋社,2000)所収)

「埼玉・大阪愛犬家殺人事件 「愛犬の友」は殺人鬼」(『別冊宝島333 隣りの殺人者たち』(宝島社,1997)所収)

梅本啓子『じゃあ、誰がやったの!―息子を奪われた母の無念』(MBC21京都支局・すばる出版,1998)

梅本啓子『息子はもう帰らない!―大阪・愛犬家連続殺人事件13年目の結審』(清風堂書店,2007)
備考  
2/16 概要 〈世田谷大学生殺人事件〉
 1994年2月18日、青山学院大学の卒業を間近に控え、航空大学へ進学が決まっていた大学生Mさん(23)がアパートの自室にて刃物で刺されて殺されているのを、連絡が付かなくなって心配した母親の依頼を受けた伯母が発見した。Mさんにはトラブルもなにもなかったため、捜査は難航した。
 2月22日、静岡県の別荘に無断侵入していたアベックがガスコンロで自殺をはかろうとしたところ、ライターの火がガスに引火、男が全身に火傷を負ったとの通報が入った。二人はD(20)とI(20)だった。Dは病院に運ばれ、Iは熱海警察署で事情聴取されたが、このとき世田谷の大学生殺人事件を認めた。
 DとIは1年前に知り合い、Iが仕事を辞めたあとは盗みなどを繰り返して転々としていた。DとIは、Iの中学時代に付き合いのあった大学生(20)のアパートを2月11日に訪れるものの、実家に帰って留守だった。そこで自殺しようとしたが失敗。15日に隣室のMさんに口実を付けて誘い込んで縛り上げ、5万円を奪った。DはIにMさんと性行を強要、IはMさんにまたがって性行を始めた。その後DとIは普通に性交したあと、Mさんをナイフで刺して逃走した。
 9月5日、東京地裁はDに無期懲役、Iに懲役15年を言い渡した。二人は控訴せず、刑はそのまま確定した。Iは妊娠しており、後に獄中出産をした。
文献 「現場で「異常性交」をした二十歳の自爆と再生-世田谷「青学大生」殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備考  
2/23 概要 〈藤田小女姫さんハワイ殺人事件〉
 1994年2月23日、米国ハワイ州ホノルル市の高級マンション32階から出火があった。消防隊の活動で間もなく沈火したが、室内から胸を銃で撃たれた女性が発見された。1時間前、女性は知り合いの銀行員に2万ドルの融資を申し込んでいたが、電話の声が怯えていることに気付いた銀行員が領事官に連絡。職員がマンションに急行したが、部屋からは既に煙が出ていた。さらに火災現場から3km離れたホテルの駐車場でも乗用車が焼け、中には胸に弾痕があり、縛られた遺体があった。女性はかつて「予知能力を持つ天才少女」と言われた藤田小女姫さん(56)、男性はその息子(20)であった。息子の交際関係を洗ううち、ダイバー仲間であるF(28)が浮かび上がった。事件の2日後、藤田さんのものとみられる8個のダイヤを質屋に持ち込んで2,000ドルを借り、日本に帰国していた。アパートの部屋からは血痕が見つかり、アパートの防犯カメラには息子の車が写っていた。動機は金欲しさだったらしい。
 3月3日、日本のスポーツ紙に「邦人アベック逃亡」の記事が出た。Fは先手を打って神奈川県警に出頭、無実を主張した。だがホノルル市警は血痕のDNA鑑定を行い、4月3日、郡大陪審が強盗殺人罪で起訴。5月11日、法務省へ日米犯罪人引き渡し条約による正式の請求が来たため、Fは8月16日にハワイに送還された。  Fは遺体の搬送を手伝っただけで殺害は行っていないと無罪を訴えたものの、殺人罪で終身刑が言い渡された。その後もFは無実を訴え続けた。
 2024年10月14日未明、ハワイ州の刑務所でFが首を刺された状態で見つかり、その後、死亡が確認された。同じ監房に収監されていた別の受刑者による犯行とみられる。
文献 「藤田小女姫さんハワイ殺人事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)
備考  
2/27 概要 〈福岡美容師バラバラ殺人事件〉
 1994年2月27日、美容院マネージャーのK(38)は、美容師Iさん(30)が自分の不倫相手と交際していると邪推し、美容院事務室でIさんの首を包丁で刺して殺害。犯行を隠すため、包丁や鋸で遺体を切断、3月2日頃、福岡県山川町のゴミ集積場や熊本県のコインロッカーなど、九州各地に捨てた。
 Kは当時結婚していたものの、経営者の知人男性と不倫していた。しかしKは、男性ががIさんと交際していると邪推。それを責めて周囲に言いふらすKに覚めた男性は、自分の家族に不倫が発覚するのを恐れ、Kと別れた。
 3月3日に九州自動車道玉名パーキングエリアのゴミ箱から、切断された人間の左腕が、九州自動車道山川パーキングエリアで右腕が発見されたことで事件が発覚。現在でも頭部は見つかっていない。3月15日、Kは逮捕された。逮捕後、Kは離婚している。
 Kは死体遺棄・損壊を認めたが、殺人については正当防衛による無罪を主張した。1995年8月25日、福岡地裁で懲役16年判決(求刑懲役17年)。1997年2月3日、福岡高裁で被告側控訴棄却。1999年9月3日、最高裁で上告が棄却され、刑は確定した。
文献 「福岡美容師バラバラ殺人事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

「福岡県美容師バラバラ殺人事件」(山崎哲『〈物語〉日本近代殺人史』(春秋社,2000)所収)

「妻を切り刻んでトイレに捨てる」(龍田恵子『バラバラ殺人の系譜』(青弓社,1995)(後に『日本のバラバラ殺人』(新潮OH!文庫,2000)と改題)所収)

「福岡・美容師バラバラ殺人事件 平気でウソをつく女」(『別冊宝島333 隣りの殺人者たち』(宝島社,1997)所収)

城戸文子『告白 美容師バラバラ殺人事件』(リヨン社,1997)
備考  犯行の残虐さから、報道陣の多くは複数犯行説をとっており、それに基づいた記事が続いた。
2/28 概要 〈富士写真フイルム専務殺人事件〉
 1994年2月28日午後9時頃、富士写真フイルム専務のAさん(61)が東京世田谷区の自宅玄関前で、何者かに斬り付けられ死亡した。1992年に暴力団対策法が施行され、Aさんは陣頭指揮を執り、暴力団をバックにした総会屋と絶縁するため、次々と手を打った。事件は総会屋絡みと推測されたが捜査は難航。10月に関西の指定暴力団幹部(29)と知人で別の暴力団組員(25)が実行犯、運転手として逮捕された。
 運転手は1995年7月31日、東京地裁で懲役4年6月(求刑懲役6年)が言い渡され、確定した。
 実行犯の元幹部は殺意を否定したが、1995年12月12日、東京地裁で懲役14年(求刑懲役15年)が言い渡された。1996年6月19日、東京高裁で被告側控訴棄却、その後上告したが棄却され確定した。
 1996年10月17日、元幹部らにAさん襲撃を指示し必要経費として10万円を支払い、殺人容疑で指名手配されていた元暴力団幹部(42)が、京都市の知人宅で発見され逮捕された。
 幹部は無罪を主張したが、1999年11月29日、東京地裁は懲役10年(求刑懲役12年)を言い渡した。判決理由で裁判長は「背後関係や動機など事件の全容は明らかではないが、被告は黒幕として重要な役割を果たした」と指摘。「富士フイルム幹部に傷害を与え関係者に恐怖心を抱かせようとした事件で、企業関係者に衝撃と不安を与えた」と述べた。弁護側の「被告はAさんと面識もなく犯行動機はない」との主張に対し「背後に総会屋の影が見え隠れし、第三者の存在が疑われる」と退けた。被告側は控訴したが、2000年11月27日、東京高裁は一審判決を支持した。その後上告したが、棄却されたものと思われる。
文献 「富士写真フイルム専務殺人事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

「無念を晴らす―富士写真フイルム専務殺人事件―」(三沢明彦『捜査一課秘録 オウムとの死闘、凶悪犯逮捕の舞台裏』(光文社,2004)所収)
備考  
4/23 概要 〈井の頭公園バラバラ殺人事件〉
 1994年4月23日、東京三鷹市にある井の頭公園で、男性のバラバラ遺体が発見された。切断された遺体の断片は全部で27個、いずれも半透明のビニール袋に入れられ、池の周囲にあるゴミ箱に点々と捨てられていた。遺体は手足と胸の一部だけで、頭部と胴体の大部分がなかった。三日後、公園の近くに住む一級建築士Kさん(35)の遺体と判明。被害者をバラバラにしたことから顔見知りの犯行と思われたが、捜査線上には何も浮かんでこなかった。
 捜査本部は延べ約37000人の捜査員を投入。情報は約250件寄せられ、23日早朝にごみ袋のようなものを持って公園内を歩く30歳前後の男2人組も目撃されたが、容疑者は特定できなかった。2009年4月23日、殺人罪の公訴時効(15年)が成立した。
文献 「切断された「二十七の肉塊」は何を語る-井の頭公園「バラバラ」殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)

「井の頭公園バラバラ殺人事件 都会のミステリー」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備考  
5/15 概要 〈相模原事件〉
 1994年、八王子の暴走族集団と横浜の暴走族集団が抗争を繰り広げていた。八王子側には暴力団組員が入り、主導して仕掛けていたらしい。
 1994年5月15日未明、対立する暴走族集団の報復のため、横浜の暴走族メンバー約100人が凶器を持って結集、対立する八王子の暴走族集団と乱闘を繰り広げた。メンバー約10人が、対立する暴走族集団の男性(当時21)を相模原市内の路上で襲い、頭を鉄パイプで殴るなどして殺害した。そして首謀者として、横浜市の工員(22)が傷害・殺人・監禁・凶器準備集合罪等の容疑で逮捕された。
 工員は殺害現場にはいなかったと無罪を主張。検察側は、検察官調書で複数人が福井被告を目撃していたと供述していることが証拠としてあげた。
 公判ではメンバーらも、工員は関係ないと主張したが、2000年9月12日、横浜地裁で懲役10年(求刑懲役13年)判決。高裁、最高裁でも棄却され、刑は確定した。
 工員の男性は満期出所し、現在は再審検討中である。
文献 目森一喜、斉藤三雄『司法の崩壊 やくざに人権はないのか』(現代人文社,2002)
備考  
6/27 概要 〈松本サリン事件〉
 オウム真理教は長野県松本市に支部を開設しようとしたが、購入した土地をめぐって地元住民とトラブルになった。1994年7月19日に長野地裁松本支部で予定されていた判決で敗訴の可能性が高いことから、教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時39)は裁判官はじめ反対派住民への報復を計画。土谷正実(当時29)、中川智正(当時31)、林泰男(当時36)らが作成したサリンや噴霧装置を用い、6月27日、村井秀夫(当時35)、新実智光(当時31)、遠藤誠一(当時34)、端本悟(当時27)、N(当時27)、T(当時36)の実行部隊6人は教団施設を出発したが、時間が遅くなったため攻撃目標を松本の裁判所から裁判官官舎に変更。官舎西側で、第一通報者の会社員男性(当時44)宅とも敷地を接する駐車場に噴霧車とワゴン車を止め、午後10時40分ごろから約10分間、サリンを大型送風機で噴射した。7人が死亡、586人が重軽傷を負った。
 第一通報者で被害者の男性(44)は、警察の家宅捜査、事情聴取を受け、マスコミにも犯人扱いをされた。証拠不十分で捕まることはなかったが、1995年3月20日の地下鉄サリン事件まで、警察、マスコミから疑惑の人物扱いをされた。第一通報者である男性の妻はサリンの影響で意識が戻らないまま、2008年8月に亡くなった。
 本事件がオウム真理教によるものとわかったのち、男性の元へ野中広務国家公安委員長(当時)が謝罪に訪れた。しかし長野県警は未だ謝罪しておらず、捜査のミスも認めていない。またマスコミ各社は謝罪文等を掲載したものの、男性への直接謝罪は皆無である。
 村井秀夫は1995年4月23日、教団東京総本部前において殺害された。松本智津夫は求刑通り死刑が二審で確定。端本悟、新実智光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一は求刑通り死刑が最高裁で確定。Nは無期懲役(求刑死刑)判決が最高裁で確定。Tは懲役17年(求刑無期懲役)判決が二審で確定。
 松本智津夫、新実智光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一は2018年7月6日、死刑を執行された。土谷以外は再審請求中だった。端本悟は2018年7月26日、死刑を執行された。
文献 「松本サリン事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

浅野健一、河野義行『松本サリン事件報道の罪と罰』(第三文明社,1996)

磯貝陽悟『サリンが来た街 松本毒ガス事件の真相』(データハウス,1994)

熊井啓編『日本の黒い夏 冤罪・松本サリン事件』(岩波書店,2001)

河野義行『妻よ! わが愛と希望と闘いの日々』(潮出版社,1998)

河野義行『「疑惑」は晴れようとも―松本サリン事件の犯人とされた私』(文藝春秋,1995/文春文庫,2001)

河野義行『松本サリン事件―虚報、えん罪はいかに作られるか』(近代文芸社,2001)

河野義行『命あるかぎり 松本サリン事件を超えて』(第三文明社,2008)

菅家利和・河野義行『足利事件 松本サリン事件』(TOブックス,2009)

佐々木ゆり『家族―松本サリン事件・河野さん一家が辿った「深い傷」そして「再生」』(小学館文庫,2003)

永田恒治『松本サリン事件―弁護記録が明かす7年目の真相』(明石書店,2002)

林直哉、松本美須々ヶ丘高校放送部『ニュースがまちがった日―高校生が追った松本サリン事件報道、そして十年』(太郎次郎社エディタス,2004)
備考  オウム関連は〈地下鉄サリン事件〉参照。
6/29 概要 〈池田町少年リンチ殺人事件〉
 1994年6月29日夜、長野県池田町の小学校の校庭で、高校三年生の男子(17)と一年生の弟(16)が、北安曇郡内の少年グループ7人(いずれも16)に呼び出されたうえ、集団リンチを受けて、翌日、男子が脳内出血で死亡した。少年グループは、「むかつくやついない?」というリーダー格の少年の一言で、名前の挙がった弟に電話をかけて、兄弟を呼び寄せた。少年らは男子とはほとんど面識がなかった。
 事件は、けんかによる傷害致死事件として処理され、家庭裁判所での審判の結果、加害少年のうち2人が少年院送致、5人が保護観察処分となった。
 殺害された男子の両親は、加害者少年7人を相手取り、逸失利益や慰謝料など約3億9千万円の損害賠償を求めた民事訴訟を起こした。2000年3月28日、長野地裁松本支部は男子にも過失があったとする被告側の主張を退け、「ほとんど被告らによる一方的な集団暴行」と指摘し、被告少年らに慰謝料など計約1億500万円の支払いを命じた。判決では、被告らの行為について、「執ようかつ悪質」と断じ、行為の悪質性を認定。慰謝料については、被告側が交通事故などを例に独自に算定した額より1,000万円多い3,000万円を支払うよう命じた。一方、原告側の「未必の故意による殺人」との主張については、「遅きに失したとはいえ、最終的には119番通報するなど、殺意まで含んでいたと認めるには無理がある」と指摘。さらに、制裁の意味あいで慰謝料を上乗せすることについては「民事と刑事が分化している現行制度上、採用できない」として、原告側の主張を退けた。
 遺族側は「加害者側から支払方法が明確に示されていない」とし、加害者側も「被害者側もゴルフクラブを持って現場に出かけるなど過失があり、賠償額は高額」と双方が東京高裁に控訴した。2,000年12月12日、東京高裁で和解が成立した。和解内容は、被告側が一方的な加害行為を認め、事件について心から謝罪し、遺族に対し総額7,000万円を支払うというものである。
文献 日垣隆『少年リンチ殺人-ムカつくから、やっただけ』(講談社,1999/新潮文庫,2010)

藤井誠二『17歳の殺人者』(ワニブックス,2000/朝日文庫,2002)
備考  
8/5 概要 〈福徳銀行5億4千万強奪事件〉
 1994年8月5日、神戸市中央区の旧福徳銀行神戸支店(現なみはや銀行)裏の駐車場から支店内に運ぼうとした3つのジュラルミンケースに入った現金5億4,100万円を2人組の男に強奪された。犯人は付近に待機させていた車に乗り込み逃走したが、支店内にいた行員も客も全く犯行に気づかなかったという。
 1997年11月に参考人として神戸市に住むパチンコ店員の男性を事情聴取したが、その翌日、自宅近くの廃屋で首を吊って自殺しているのが見つかっている。
 兵庫県警は1999年10月、自殺した会社員を被疑者死亡のまま書類送検すると共に、強盗容疑で元暴力団組員を指名手配した。2002年4月1日、公訴時効が成立。同組員が海外渡航を繰り返していたため、時効を約8ヶ月延長していた。
 2007年2月9日、元組員は名古屋市中区の銀行支店駐車場で、信金の男性職員2人が車からジュラルミンケースを下ろそうとしたところ、拳銃のようなものを突き付け「ケースを置け」と脅した。元組員は職員に取り押さえられ、駆け付けた愛知県警中署員が強盗傷害容疑で現行犯逮捕した。2007年5月17日、名古屋地裁は元組員に求刑通り懲役8年を言い渡した。公判では、5億4千万強奪事件については一切触れられなかった。
文献 森下香枝『史上最大の銀行強盗 5億4000万円強奪事件』(幻冬舎,2003)
備考  
9/14 概要 〈住友銀行支店長射殺事件〉
 1994年9月14日早朝、名古屋市のマンションに住む住友銀行名古屋支店長の男性(54)が自宅で何者かに射殺された。住友銀行は当時不良債権の回収能力が高く、恨みを買う可能性が大きかったことと、犯行の手口から、銀行の取引先とのトラブルにより、報復として誰かがプロに仕事を頼んだものと思われた。ところが事件から7日後、住友銀行の頭取宛に「われわれがやった」という脅迫状が送り届けられた。さらに11月11日午前10時過ぎ、大阪にある住友銀行本店に「頭取に手紙を送ったのは俺だ、融資を申し入れたい」との電話が入った。午後2時25分、この男は本店を訪ね、同行担当者2名と面談。支店長殺害をほのめかしたが、特に融資を申し入れることはなかった。男は2時間後に銀行を出たところ、張り込み中の捜査員に職務質問を受けたが、拳銃を所持していたことから現行犯で逮捕された。
 男はK(73)で、1952年9月13日に起きた愛知医大3億円強奪事件の主犯であり、懲役13年の刑を受け、1991年8月に仮出所していた。またそれ以前にも放火と強盗で懲役5年+10年の実刑判決を受けている。
 Kが持っていた拳銃のライフルマークは事件のものと一致した。しかし動機や侵入方法、目撃証言など、Kを犯人とするには様々な疑問が残った。結局Kは殺人容疑では起訴されず、銃刀法違反と住友銀行に対する恐喝未遂容疑の2件で起訴された。
 一審でKは懲役7年(求刑懲役8年)の実刑判決を受け、控訴するも取り下げて確定した。実行犯についてはまだ特定されていない。
 Kは他に別の強盗致傷事件で逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けた。そして1993年2月に日本中央競馬会(JRA)理事長を襲撃し、軽傷を負わせていた。Kは服役後の1999年11月、事件の関与を認める供述をし、強盗致傷容疑で再逮捕。懲役4年(求刑懲役6年)の実刑判決を受けた。
 Kは2009年1月、収監先の岐阜刑務所で病死した。87歳没。6月中旬に刑期を終える予定だった。9月14日、事件は容疑者不詳のまま公訴時効を迎えた。
文献 「住友銀行支店長射殺事件 殺人者志願の男」(『別冊宝島333 隣りの殺人者たち』(宝島社,1997)所収)
備考  
9/28 概要 〈大阪・木曽川・長良川連続リンチ殺人事件〉
【大阪事件】1994年9月28日、大阪市中央区の路上で通りがかりの大阪府柏原市の無職(26)を同区内のたまり場に連れ込み、絞殺。遺体を高知県の山中に遺棄。(殺人、死体遺棄)
【木曽川事件】同年10月6日夜、愛知県稲沢市の知人宅を訪れた同市の型枠解体工(22)をビール瓶などで殴打。同県尾西市の木曽川堤防で暴行、河川敷に放置して殺害。(傷害、殺人)
【長良川事件】同7日、稲沢市のボウリング場で3人に因縁をつけ、車で連れ回し暴行、1万円余を強奪。翌8日、岐阜県輪之内町の長良川河川敷で尾西市の会社員(20)と同市のアルバイト(19)を殴り殺した。大学生は大阪市で解放。(強盗殺人、強盗致傷、監禁)
 一連の事件では、事件当時少年だった7人を含む計10人が逮捕された。起訴された8人は有罪判決が確定。残り2人は少年院送致されている。
 8人のうちグループの中心人物とされた事件当時少年の3人は、公判において4人に暴行して死亡させた責任は認めている。だが、積極的な殺意は否定した。2001年7月9日、名古屋地裁はKM(事件当時19)に死刑、OJ(事件当時19)、HY(事件当時18)に無期懲役判決を言い渡した。2005年10月14日、名古屋高裁は一審判決を破棄し、3人に対し求刑通り死刑判決を言い渡した。2011年3月10日、最高裁は3人の上告を棄却し、死刑が確定した。
 KMは2011年12月16日、名古屋高裁へ再審請求をした。2013年2月4日、名古屋高裁は請求を棄却。即時抗告中。
 Jは2013年1月18日、名古屋高裁へ再審請求をした。2013年8月19日、名古屋高裁は請求を棄却。即時抗告中。
文献 青木理『絞首刑』(講談社,2009/講談社文庫,2012)

中日新聞社会部『少年と罪 事件は何を問いかけるのか』(ヘウレーカ,2018)

「第十章 少年法の守護神となったコンピュータ裁判官」(門田隆将『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社,2003/新潮文庫,2005)所収)

「第3章 連続リンチ殺害事件死刑囚との養子縁組」(月刊「創」編集部『死刑囚と家族になるということ』(創出版,2025)所収)
備考  
10/29 概要 〈つくば母子殺人事件〉
 1994年11月3日、横浜市鶴見区の京浜運河で、ビニール袋に入れられ、重しを付けられた女性と女児の絞殺遺体が発見された。調査の結果、10月29日に捜索願が出ていたつくば市に住む医師N(29)の妻Eさん(31)と長女(2)と判明した。続いて長男(1)の遺体も横浜港近くの海で発見された。捜査本部は、N夫婦の身辺調査を進めた結果、Nが複数の女性と付き合ったり、借金の利子返済に追われていたことがわかった。取調官は11月7日からNを事情聴取して説得、25日にNは自供した。10月29日、朝帰りをしたNはEさんに離婚を切り出され、慰謝料とEさんのローンを支払うよう要求され逆上、Eさんを絞殺した。我に返ったNは、母を失い、父が殺人者になった子供が哀れになり、眠っている長男を絞殺。さらに犯行を偽装に見せかけるため、長女も絞殺した。10月31日早朝、遺体を車に乗せ、海中に投げこんだ。死体を遺棄する前、ストリップやソープランドに立ち寄ったり、翌日には愛人の看護婦とともに北海道旅行の予約をするなど、異常な行動が見られている。
 1996年2月22日、横浜地裁は検察側の死刑求刑に対し「被告の人格が未熟であった。計画性はなく、衝動的な犯行である。夫婦不和が原因であり、被告人の責めにのみ帰することはできない面がある」として無期懲役判決を下した。検察側は量刑が軽すぎる、弁護側は量刑が重すぎると控訴。1997年1月31日、東京高裁は双方の控訴を棄却した。Nは上告したものの、その後取り下げ、刑が確定した。
文献 「つくば母子殺人事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

「つくば母子三人殺人事件」(山崎哲『〈物語〉日本近代殺人史』(春秋社,2000)所収)

「崩壊した夫婦の黒き情欲の影で「微笑む看護婦」-つくば「エリート医師」母子殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)

「つくば母子殺人事件 魔が射すとき」(『別冊宝島333 隣りの殺人者たち』(宝島社,1997)所収)
備考  Eさんの過去など、事件に関係ないことが数多く報道され、人権侵害ではないかといわれた。
11/14 概要 〈葛飾社長一家無理心中事件〉
 1994年11月10日朝、会社経営M(50)は妻(49)と娘(23)を絞殺した。Mは音楽会社を退社後クラシック音楽のソフト制作会社を設立したが、経営に行き詰まり借金を重ねるようになった。10日は金融会社からの借金2800万円のうち700万円の返済日だったが金策はなく、殺害にいたった。その後Mは自殺するつもりだったが怖気ついて逃亡。11月14日、葛飾区の公団賃貸マンションを訪れた親族が妻と娘の死体を発見。19日、Mは逃亡先の塩尻市内のホテルで首吊り自殺。このとき、絶命する瞬間までをテープに残した。
文献 「「自殺実況テープ」の出してはいけない中身-葛飾「社長一家」無理心中事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備考  
12/19 概要 〈牧場夫婦強盗殺人放火事件〉
 1994年12月19日午後10時40分頃、元牧場作業員Hは生活費や遊興費に窮し、以前住み込みで働いていた栃木県市貝町の牧場経営者夫妻(当時72,68)方に押し入り貴金属を盗もうとしたところ、夫に気付かれたため、二人をナイフや千枚通しで刺殺。現金約56万円と771万円相当の宝石類などを奪い、20日午前4時半頃、犯行を隠すため室内に灯油をまいて火をつけ、木造二階建て住宅一棟約百八十平方メートルを全焼させた。Hは1993年夏から1994年7月末まで一年間、牧場に妻といっしょに住み込みで働いていた。
 Hは1974年3月3日、福島県郡山市のモーテルで、同宿した女性を金銭トラブルから殺害し、同年6月5日、地裁郡山支部で懲役10年(求刑12年)の判決。控訴せず確定。殺人、窃盗など前科十数犯。牧場を辞めたあと数回、夫婦方に忍び込み盗みを働いたことを認めている。
 Hは22日、宇都宮中央署から指名手配されていた道交法違反(無免許、酒気帯び)容疑で逮捕、乗っていた車が盗難車だったため窃盗容疑でも再逮捕された。窃盗は合計8件起訴された。Hは捜査段階において犯行を自供したものの、公判では「盗みに入ったが、殺意はなく、もみ合っているうちに偶然ナイフが刺さった」と殺人と放火を否認し、住居侵入と強盗傷害を主張して争った。
 2000年2月17日、宇都宮地裁で求刑通り一審死刑判決。2002年7月4日、東京高裁で被告側控訴棄却。2006年9月1日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。2008年9月11日執行、61歳没。 
文献 「栃木・牧場経営者殺害事件の遺族が語る「死刑の感触」」(藤井誠二『アフター・ザ・クライム 犯罪被害者遺族が語る「事件後」のリアル』(講談社,2011)所収)
備考  

【1995年】(平成7年)

日付 事件
3/20 概要 〈地下鉄サリン事件〉
 目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。
 松本智津夫は地下鉄サリン事件、松本サリン事件など全13事件、計27人が死亡、約6,000人が負傷したとして起訴された。薬物密造他4事件については、裁判迅速化を図るため、検察側が起訴を放棄した。
 松本の弁護側は一審の裁判で無罪を主張。事件は村井秀夫元幹部が計画したものと主張した。松本は公判途中から一切の発言をしなくなり、弁護側との接見にも応じなくなった。2004年2月27日、東京地裁は全事件について松本が首謀者と認定、求刑通り死刑判決を言い渡した。
 弁護側が控訴。一審弁護団12人は全員辞任。新たな私撰弁護人がついたが、松本は弁護士の接見の求めに一切応じなかった。東京高裁は控訴趣意書の提出を2005年1月11日に設定。その後弁護団の要請により8月31日に延長した。しかし弁護団は高裁の鑑定への立ち会いや公開法廷での鑑定人尋問などが拒否されたことを理由に、趣意書の提出を拒否した。
 2006年2月20日、東京高裁から精神鑑定を依頼された精神科医西山詮医師は、「訴訟を継続する能力を失ってはいない」とする鑑定結果を同高裁に提出した。東京高裁は、3月15日までに意見書を提出するよう弁護団に要請した。だが弁護団は、西山医師の鑑定書を批判する内容の意見書を提出するだけだった。その後28日に趣意書を提出する旨を明らかにしたが、27日に東京高裁は松本の訴訟能力を認めたうえで、控訴を棄却する決定を出した。最高裁の統計がある1978年以降、一審で死刑とされた被告の控訴審が、棄却決定されるのは初めて。刑事訴訟法は、裁判所が指定した期限内に控訴趣意書を提出するよう定め、これに違反した場合は決定で棄却するよう規定している。一方、刑事訴訟規則で「遅延がやむを得ない事情に基づくと認めるときは、これを期間内に差し出されたものとして審判をすることができる」との規定も設けられている。
 弁護団は3月28日に趣意書を提出するとともに、30日に決定に対する異議を東京高裁に申し立てた。東京高裁は不定出を理由に5月29日、異議を却下した。9月15日までに最高裁第三小法廷は東京高裁の控訴棄却決定を支持し、被告側の特別抗告を棄却する決定を出した。これで松本被告の死刑が確定した。
 村井秀夫は1993年4月、刺殺された。犯人は逮捕されたが、動機は不明である。
 横山真人、林泰男、広瀬健一、豊田亨、新実智光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一は求刑通り死刑が最高裁で確定。井上嘉浩は一審無期懲役判決だったが、二審で求刑通り死刑判決、最高裁で確定。最後に判決が出たのは遠藤で、2011年11月21日である。
 林郁夫は逮捕後犯行をすべて自供したことが認められ、求刑通り一審無期懲役判決がそのまま確定。
 外崎清隆、北村浩一、杉本繁郎は求刑通り無期懲役判決が最高裁で確定。
 営団地下鉄で事件に遭い、瞳が収縮し視界が暗くなる「縮瞳」の症状が確認された1~2日後、入浴中に水死した被害者について、刑事事件としては起訴内容に含まれなかったものの、2008年12月に施行されたオウム真理教犯罪被害者救済法に基づき給付金を申請し、警察当局は縮瞳というサリン中毒特有の症状を示したことが公的書類などで医学的に裏付けられ、死亡にサリンガスが影響した可能性が高いと判断。厳密な立証が必要な刑事事件とは異なり、救済法上の「地下鉄サリン事件に係る犯罪行為により死亡した者」と認定できると結論付け、国は給付金を支払った。
 高橋克也は逃走し続け、目黒公証役場事務長拉致事件など殺人容疑等に問われた平田信、地下鉄サリン事件でサリンを生成したなど殺人容疑等に問われた菊地直子とともに特別指名手配された。平田信は2011年12月31日、本庁丸の内署に出頭し、翌日に逮捕された。菊地直子は市民からの通報で、2012年6月3日に逮捕された。菊地らの供述で偽名が判明した高橋は、偽名で勤めていた会社の寮から逃走したが、市民からの通報で6月15日に逮捕された。
 平田信は2014年3月7日、東京地裁で懲役9年(求刑懲役12年)判決。2015年3月4日、東京高裁で被告側控訴棄却。2016年1月13日、被告側上告棄却、確定。
 菊地直子は東京都庁爆発物事件で殺人未遂ほう助の罪にのみ問われた。2014年6月30日、東京地裁で懲役5年(求刑懲役7年)判決。しかし2015年11月27日、東京高裁はテロ計画認識なしとして一審判決を破棄、無罪を言い渡した。2017年12月25日付で最高裁第一小法廷は検察側の上告を棄却し、無罪が確定した。
 高橋克也は2015年4月15日、東京地裁で求刑通り無期懲役判決。2016年9月7日、東京高裁で被告側控訴棄却。2018年1月18日付で上告が棄却され、刑が確定。オウム裁判はすべて終了した。

 松本智津夫、新実智光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一、井上嘉浩は2018年7月6日、死刑を執行された。土谷以外は全員再審請求中だった。横山真人、林泰男、広瀬健一、豊田亨は2018年7月26日、死刑を執行された。全員再審請求中だった。
文献 青木由美子『オウムを生きて―元信者たちの地下鉄サリン事件から15年』(サイゾー,2010)

青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』(新潮社,2004)

吾妻博勝『王国への追跡 ~地下鉄サリン事件から15年 オウム特別手配犯の潜伏先~』(晋遊舎,2010)

朝日新聞出版企画室編『日本を揺るがしたサリンとオウム』(朝日新聞社,1995)

麻原控訴審弁護人『獄中で見た麻原彰晃』(インパクト出版会,2006)

麻生幾『極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』(文藝春秋,1997/文春文庫,2000)

阿部三郎『破産者 オウム真理教 管財人、12年の闘い』(朝日新聞出版,2008)

アンソニー・トゥー『サリン事件の真実』(新風舎文庫,2004)

アンソニー・トゥー『サリン事件 死刑囚中川智正との対話』(KADOKAWA,2018)

池田昌昭『オウム真理教とサリン事件の本質』(金沢印刷,1995)

磯貝陽悟『推定有罪 あいつは…クロ 松本、地下鉄サリン~オウム密着2000日事件現場最前線は』(データハウス,2000)

伊東智夫『富士山麓にオウムなく 地下鉄サリン事件の預言』(幻冬舎メディアコンサルティング,2020)

伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社,2006)

井上順孝(責任編集)、宗教情報リサーチセンター(編)『〈オウム真理教〉を検証する そのウチとソトの境界線新刊』(春秋社,2015)

江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』(文藝春秋,1995)

江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記』1~2(文藝春秋,1996~1997)

江川紹子『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』(中央公論社,2000/新風舎文庫,2006)

NHK「クローズアップ現代」取材班『オウム真理教の子どもたち 知られざる30年』(集英社インターナショナル,2026)

遠藤誠、佐藤友之『オウム事件と日本の宗教 対談捜査・報道・宗教を問う』(三一新書,1996)

オウム問題を考える議員の会編『オウム事件は終わらない カルト宗教と日本社会』(立風書房,1996)

大田俊寛 『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義〈増補版〉』(春秋社,2023)

緒方重威『総括 戦後公安事件秘録』(小学館,2025)

門田隆将『オウム死刑囚 魂の遍歴 井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり』(PHP研究所,2018)

カナリヤの会編『オウムをやめた私たち』(岩波書店,2000)

河上和雄『犯罪捜査と裁判 オウム事件を追って』(悠々社,1994)

河出書房新社編集部編『オウムと死刑』(河出書房新社,2018)

木村晋介『サリンそれぞれの証』(本の雑誌社,2015)

久保田正志『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』(春秋社,2024)

古賀義章『アット・オウム』(ポット出版,2015)

小松賢寿『麻原地獄の思想』(桜書房,1996)

さかはらあつし『サリンとおはぎ 扉は開くまで叩き続けろ』(講談社,2010)

さかはらあつし・上祐史浩『地下鉄サリン事件20年 被害者の僕が話を聞きます』(dZERO(インプレス) ,2015)

佐木隆三『オウム裁判を読む』(岩波ブックレット,1996)

佐木隆三『オウム法廷連続傍聴記』シリーズ(小学館,1996~)

佐木隆三『大義なきテロリスト―オウム法廷の16被告』(日本放送出版協会,2002)

佐木隆三『成就者たち』(講談社,2003)

佐木隆三『慟哭―小説・林郁夫裁判』(講談社,2004)

島田裕巳『オウム』(トランスビュー,2001)

島田裕巳『オウム真理教事件 1 武装化と教義』(トランスビュー,2012)(『オウム』の改題)

島田裕巳『オウム真理教事件 2 カルトと社会』(トランスビュー,2012)(『オウム』の改題)

島田裕巳『「オウム」は再び現れる』(中央公論新社 中公新書ラクレ,2018)

下里正樹『悪魔の白い霧 追跡ドキュメントサリン事件とオウム真理教』(ポケットブック社,1995)

下里正樹『オウムの黒い霧 オウム裁判を読み解く11のカギ』(双葉社,1995)

瀬口晴義『検証・オウム真理教事件 オウムと決別した元信者たちの告白』(社会批評社,1998)

瀬口晴義『オウム真理教偽りの救済』(集英社クリエイティブ,2019)

高橋シズヱ『ここにいること 地下鉄サリン事件の遺族として』(岩波書店,2008)

高橋徹『『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力』(現代書館,2023)

高山文彦『麻原彰晃の誕生』(新潮文庫,2018)

竹岡俊樹『考古学が解く混迷の現代 オウム事件の本質』(勉誠出版,2018)

谷川葉『警察が狙撃された日 そして〈偽り〉の媒介者たちは』(三一書房,1998)

地下鉄サリン事件被害者の会『それでも生きていく 地下鉄サリン事件被害者手記集』(サンマーク出版)

東京新聞社会部編『オウム 組織犯罪の謎』(東京新聞出版局,1995)

富田隆『オウム真理教元幹部の手記』(青林堂,2018)

中沢昭『暗くなった朝―3・20地下鉄サリン事件』(近代消防社,2005)

中谷友香『幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか』(ベストセラーズ,2019)

野田正彰『「麻原死刑」でOKか?』(ユビキタスタジオ,2006)

早川紀代秀・川村邦光『私にとってオウムとは何だったのか』(ポプラ社,2005)

林郁夫『オウムと私』(文藝春秋,1998)

一橋文哉『オウム帝国の正体』(新潮社,2000)

一橋文哉『オウム真理教事件とは何だったのか? 麻原彰晃の正体と封印された闇社会』(PHP新書,2018)

広瀬健一『オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記』(朝日新聞出版,2019)

福山隆『「地下鉄サリン事件」戦記 出動自衛隊指揮官の戦闘記録 1995.3.20』(光人社,2009)(後に『「地下鉄サリン事件」自衛隊戦記 出動部隊指揮官の戦闘記録』(光人社NF文庫,2015)と改題、加筆)

藤岡オウム騒動を記録する会編『町にオウムがやって来た』(リベルタ出版,2001)

藤田庄市『オウム真理教事件』(朝日新聞社,1995)

降幡賢一『オウム法廷』シリーズ(朝日文庫,1998~)

文藝春秋編『「オウム事件」をどう読むか』(文藝春秋,1995)

毎日新聞社会部編『オウム事件取材全行動』(毎日新聞社,1995)

毎日新聞社会部編『オウム「教祖」全法廷記録』シリーズ(現代書館,1997~)

松田美智子『オウムの女』(早稲田出版,1995)

松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~』(徳間書店,2010)

松本麗華『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社,2015)

宮崎学・上祐史浩『オウム解体 宮崎学vS上祐史浩』(雷韻出版,2000)

宮台真司『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』(筑摩書房,1995/ちくま文庫,1998)

宗形真紀子『二十歳からの20年間―“オウムの青春”という魔境を超えて』(三五館,2010)

村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社,1997)

村上春樹『約束された場所で Underground2』(文藝春秋,1998)

森武夫『麻原彰晃の犯罪心理』(東京出版,1996)

森達也『「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川文庫,2002)

森達也『A3』(集英社インターナショナル ,2010)

安田好弘『「生きる」という権利―麻原彰晃主任弁護人の手記』(講談社,2005)

渡辺脩『刑事弁護雑記帳 麻原弁護に至るまで』(日本評論社,1998)

渡辺脩『麻原を死刑にして、それで済むのか?』(三五館,2004)

「地下鉄サリン事件とオウム真理教」(礫川全次『戦後ニッポン犯罪史』(批評社,1995)所収)

「地下鉄サリン事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

「オウムとの死闘」(三沢明彦『捜査一課秘録 オウムとの死闘、凶悪犯逮捕の舞台裏』(光文社,2004)所収)

「オウム真理教 地下鉄サリン事件 1995」(赤石晋一郎『完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録』(文芸春秋,2021)所収)

「第1章 オウム幹部と獄中結婚した妻たち」(月刊「創」編集部『死刑囚と家族になるということ』(創出版,2025)所収)

「オウム真理教事件 松本智津夫」(『別冊宝島#1419 死刑囚最後の1時間』(宝島社,2007)所収)
備考  オウム真理教は1996年に破産。事件で生命・身体に被害を受けた人や遺族が申請した債権の件数は1201件。破産手続きを行った結果、2008年11月26日に東京地裁で開かれた最後の債権者集会で事件の被害者が受け取る配当は、約38億円の債権の約4割、15億4千万円にとどまった。この中には、一般市民から受け取った寄付金も加わっている。破産手続きは完了し、今後は被害者弁護団が設立した「オウム真理教犯罪被害者支援機構」が、教団側に賠償を求めていく。
 2008年6月に「オウム真理教犯罪被害者救済法」が成立し、被害者は被害の程度に応じて10万~3千万円の給付金を国から受け取る。破産手続きで債権を届け出た被害者以外も対象となっており、12月18日から2年間、全国の警察本部で申請を受け付ける。
3/30 概要 〈国松警察庁長官銃撃事件〉
 1995年3月30日午前8時半頃、東京都荒川区の自宅マンションで国松孝次警察庁長官(57)が約20m離れた場所から拳銃で狙撃され、4発中3発が腹などに命中し重傷を負った。
 警視庁捜査本部は、事件翌日に配布した「警察庁長官撃たれる」と書かれたビラに、事件当日に捜査中止を求めた脅迫電話のかかってきた時間が未公表にもかかわらず正確に記されていたことなどから、当時地下鉄サリン事件などで家宅捜索を受けていたオウム真理教が捜査攪乱を狙い、松本智津夫(麻原彰晃)教祖(45)が指示した組織テロであるとの疑いを強めた。要人を狙った事件ということもあり、今まで一連のオウム真理教事件を捜査していた刑事部捜査一課ではなく公安部が捜査に当たった。
 1996年3月、教団幹部からの供述を元に公安部は在家信者だった警視庁巡査長(34)を聴取したところ、「長官を撃ったような記憶があるんです」と供述した。極秘のプロジェクトチームが編成され、巡査長を都内のウイークリーマンションに隔離し事情聴取を重ねた。しかし決定的な供述は得られず、10月には表面化。当時の公安部長は更迭、警視総監は引責辞任を余儀なくされた。巡査長は翌月に懲戒免職となった。
 公安部はその後も元巡査長に聴取を重ねた。元巡査長が実行犯に貸したというコートから、拳銃を発射した際にできる溶解穴があったことなどから物証が得られたと判断。2004年7月、元巡査長を含む教団幹部ら4人を殺人未遂容疑などで逮捕したが、狙撃者を特定できず不起訴となった。
 その後も元巡査長のアタッシュケースから新たに火薬成分を検出したことを踏まえ、元巡査長を狙撃手と見て2009年10月に任意聴取を再開。しかし現場近くに待機していたことは認めながらも、狙撃については否定した。
 一方2003年、別の強盗殺人未遂事件で刑事部捜査一課から取り調べを受けていたNに事件との関連性が浮上。事情聴取で「自分が撃った」と認めた。捜査一課は独自に捜査を続け、2007年12月28日に当時の警視総監へ経過を報告。以後、聴取を担当した捜査一課管理官が捜査本部へ入り、Nに関する捜査を続けた。Nの供述は詳細だったが、共犯者は特定できず、物証は出てこなかった。
 2010年3月30日午前0時、時効が成立した。ただしNには渡航歴があるため、Nが犯人である場合は時効が1年近く延びることとなる。捜査に動員されたのは延べ約482,000人となる。警視庁公安部は同日、捜査結果概要をホームページに公開。事件はオウム真理教信者による組織的なテロと断定。元巡査長や元幹部など8人を容疑者グループと指摘した。翌日、教団主流派の団体Aleph(アレフ)の広報部長が記者会見し、重大な人権侵害であるとして削除を求める抗議書を警視庁に送ったことを明らかにした。Alephは東京都などに5,000万円の損害賠償と謝罪を求め、東京地裁(石井浩裁判長)は2013年1月15日、100万円の賠償と謝罪文の交付を都に命じる判決を言い渡した。当時の警視総監への請求は棄却した。後に最高裁で確定している。
 2023年3月20日、毎日新聞は、Nと交友関係のあった元自衛官の男性の取材内容を掲載。当時21歳だった男性は、N(92)の死期が迫っているとして重い口を開き、当日5万円で運転を手伝ってほしいと言われ、JRの駅で落ち合い、現場からおよそ700m離れた駐車場でNを降ろし、およそ1時間後戻ってきたNを載せて元の駅で降ろしたと告白した。当時は銃撃犯と知らず、2年後に伝えられたという。
 警察庁の露木康浩長官は23日の定例記者会見でこの件について、「既に公訴時効が完成して警視庁が捜査を終了しているので、コメントは差し控えたい」と述べた。
 Nは2024年5月22日、収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)にて誤嚥性肺炎で死亡した。94歳没。
文献 小野義雄『公安を敗北させた男 国松長官狙撃事件』(産経新聞出版,2011)

鹿島圭介『警察庁長官を撃った男』(新潮社,2010/新潮文庫,2012)

清田浩司『警察庁長官狙撃事件 真犯人“老スナイパー”の告白』(平凡社,2019)

竹内明『時効捜査 警察庁長官狙撃事件の深層』(講談社,2010)

竹内明『完全秘匿 警察庁長官狙撃事件』(講談社+α文庫,2016)

原雄一『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(講談社,2018)

原雄一『宿命 國松警察庁長官を狙撃した男・捜査完結』(講談社文庫,2021)

「国松警察庁長官狙撃事件 時効までにウルトラCはあるか」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備考  東大中退のNは南米での革命運動に参加するための活動資金を得るために金庫破りを繰り返し、1956年、吉祥寺で職務質問をしてきた警官を射殺。無期懲役が確定し、18年間服役後、1976年に仮釈放。その後、架空名義の戸籍を偽造して他人に成りすまし、先物取引で1億円近くを蓄財。また大阪などで現金輸送車を襲撃するなどの犯行を重ねるも、2002年に名古屋の事件で現行犯逮捕。無期懲役が確定し、服役している。
4/20 概要 〈浪人生父親殺人事件〉
 1995年4月20日午後4時頃、浪人生であった男性(24)は母親を六万ボルトのスタンガンで制圧して手錠足錠をかけて自宅に監禁。自宅2階の書斎で中学教師である父親(58)の両手首に足錠をかけ、ボクシンググローブをはめた手で首や顎などを数十回殴った。さらに父親の胸の上に両膝乗りになり数十回飛びはね、窒息死させた。
 男性は中学・高校で秀才ともてはやされていたが、家庭の中では父親に読書からテレビ番組・食事まで徹底的に管理され、不満が募っていた。そのため自らが希望した東大受験には失敗。その後男性による家庭内暴力が激しくなった。男性の暴力に耐えかねた両親は知人の家に非難。男性は両親を拉致・監禁して自宅などの所有権を自分名義に移して、財産をも支配下に置く計画を二年間に渡って練り上げて、犯行に及んだものだった。
 男性はその後遺書を残し、自殺を図ったが死にきれず、約1ヶ月後に東京都内で逮捕された。
 男性は殺意を否認したが、1997年2月2日、懲役10年(求刑懲役13年)が言い渡された。
文献 「尊属殺人事件 家族狩り」(『別冊宝島333 隣りの殺人者たち』(宝島社,1997)所収)
備考  
4/29 概要 〈京都主婦首なし殺人事件〉
 1995年4月29日午前11時40分頃、京都府福知山市の会社員が家族を連れて山菜取りに船井郡の山中へ出かけたところ、小川の岸辺に横たわっている色の白い女性死体を発見した。上半身裸で下半身はスカートを履いていた。ただ、首と両手がなかった。京都府警は捜査本部を設置。被害者は兵庫県三田市で看護婦のパートをしている主婦Kさん(44)だった。捜査本部はKさんが妻子のあるT(45)と10年以上もの不倫関係に陥っていることからTの周辺を調べた。9月1日、Tを殺人並びに死体遺棄の容疑で逮捕した。KさんはTと死の直前までラフホテルにいたことが発覚。さらにTの自家用車から血痕までが検出された。Tの自宅にある焼却炉からはKさんの持ち物と思われるブラジャーのホック、サングラス、キーホルダーも見つかった。しかしTは、ラブホテルまで行ったがその後車で送り届け別れたと供述。警察は犯行現場を特定できなかったことやTから自白が得られなかったことから、処分保留のまま釈放。翌年3月、京都地検は不起訴処分を下した。Kさんの頭と両手は未だ発見されていない。
文献 「覆せない「物語」、最重要容疑者はなぜ釈放された-京都「主婦首なし」殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備考  容疑者であったTは2005年、別の殺人事件で逮捕され、懲役15年の判決を受けている。
6/21 概要 〈函館空港ハイジャック事件〉
 1995年6月21日11時45分ごろ、羽田空港発函館空港行きの全日空857便が山形県上空で、中年の男にハイジャックされた。男はオウム真理教信者を名乗り、猛毒のサリンが入っているように見せかけたビニール袋をきりで突き刺すまねなどをし客室乗務員や機長らを脅迫。飛行機は函館空港に到着。男は当初、麻原彰晃の釈放を要求するも、その後は羽田空港に引き返すように要求した。
 乗客の一部が犯人の目を盗み、携帯電話で犯人の状況を警察に連絡。翌22日3時42分、北海道警察は強行突入して男を逮捕した。乗客350人、乗員15人のうち、1人が犯人にアイスピックで肩を刺され軽傷を負った。男は東洋信託銀行を休職中の行員(53)であり、オウム真理教とは無関係だった。爆弾やサリンも偽物だった。銀行は事件解決後、新聞紙上で謝罪広告を掲載した。
 全日空は公判中の行員に対し、5,367万円の損害賠償を求めて提訴した。1996年7月8日、東京地裁は請求通り5,367万円を支払うように命じた。
 起訴前に行われた簡易鑑定では「心神耗弱の状態にあった可能性がある」とされたが、一審で行われた本鑑定では「精神疾患にかかっておらず、責任能力にはほとんど障害がない」とされた。1997年3月21日、函館地裁で懲役8年判決(求刑懲役15年)。検察、被告の双方が控訴。控訴審の再鑑定でも「精神的な疾患は見られず、刑事責任能力はあった」とされた。1999年9月30日、札幌高裁で「関係者の被害感情、社会的影響等の諸般の状況に照らすと、一審判決の量刑は軽すぎて不当」として一審破棄、懲役10年判決。上告せず確定。
文献 相原秀起『ANA857便を奪還せよ 函館空港ハイジャック事件15時間の攻防』(柏艪舎,2002)
備考  警視庁は1977年のダッカ日航機ハイジャック事件やルフトハンザ航空機ハイジャック事件を受け、1977年11月1日付で警察庁は、ハイジャック対策を主要任務とする特殊部隊を警視庁と大阪府警察に設置した。警視庁の組織はSAPなどと呼ばれていた。警察庁は部隊の存在を極秘としていたが、本事件でSAPが出動したことにより、存在が明らかになった。1996年4月1日に警察庁の通達により公式部隊となり、5月8日付でSpecial Assault Team、通称SATという部隊名で編成された。
7/17 概要 〈福岡・近畿大附属女子高校体罰事件〉
 1995年7月17日の放課後、福岡県飯塚市の近畿大学付属女子高校で副担任の男子教諭(50)が簿記の再々試験をしたとき、受ける必要のない高校2年生の女子(16)が残っていた。退室を命じたが、すぐに出ようとはしなかったため注意。その際、スカート丈が校則に違反して短いことに気付き、女子を廊下に押し出した。「分かっちょる」という発言に腹を立て、午後3時45分頃、女子の肩付近を、力を込めて二回連続して突き、左手で右頭部を下から上に突き上げ、コンクリート柱に激突させるなどの暴行を加えた。女子は頭部打撲などでそのまま意識不明になり、救急車で病院に運ばれたが、18日午後2時30分頃、急性脳浮腫で死亡した。
 教諭は同日、傷害致死で逮捕された。
 事件後、学校、教諭宅だけではなく、被害者宅にもいたずらや脅迫、中傷の電話や手紙が多数、届いたうえ、被害者に対する根拠のない中傷デマが長期間流れた。
 逆に、卒業生や一般市民の間で、教諭の減刑を求める嘆願署名の動きが広がり、75,000人以上の署名が裁判所に提出された。
 10月2日の初公判で、教諭は偶発的な事故であると主張。検察側は、学校では体罰が日常化していたこと、そして教諭は体罰必要論者で日頃から遅刻や校則違反をした生徒を殴打したり、髪を引っ張ったりしていたと述べた。後の公判で教諭は、日常的に体罰を行っていたことを認めている。
 教諭の弁護側は起訴事実を認めたうえで(1)生徒数に比べ教師の数が著しく少ないなど生徒管理のために体罰を誘発する素地があった(2)他の教師に比べれば被告の体罰は少なかった(3)校則を守らせるという教育的見地からの「愛のむち」だった(4)激しい暴行ではなく、死亡は偶発性が強い――と執行猶予を求めた。
 12月25日、福岡地裁は「教育的意図よりも私的な怒りから、十分な説諭もせず短絡的に犯行に及んだ。責任は重い」と、懲役2年の実刑(求刑懲役3年)を言い渡した。判決理由で(1)校則を守る理由を十分説諭すべきなのに、いきなり暴行を加えた(2)女子の約1m後ろにはコンクリート柱などがあったのに、手加減を加えず突いており、危険性は大きい(3)遺族は厳罰を望み、教育界や社会に与えた衝撃も大きい――と指摘。ただ「日ごろ生徒の就職活動に奔走し、卓球部の活動でも面倒みのよい教師と慕う卒業生も多い。懲戒解雇され、社会的制裁も受けている」などと情状を酌み求刑より1年軽くした。体罰死に対する司法判断は、1986年の水戸地裁浦和支部判決(懲役3年)、1987年の横浜地裁川崎支部判決(懲役3年)に続き3件目の実刑判決である。
 教諭側は控訴。1996年5月28日の控訴審初公判で、弁護側は一審判決について(1)被告が私的な怒りによって被害者を突いたとする部分には事実誤認がある(2)実刑は重過ぎる-などと控訴理由を述べた。また同日、教諭の妻が、被害弁償のため用立てていた950万円を8月から10月にかけて「福岡県教育委員会のナカニシ」と名乗る男からだまし取られていたことを明らかにした。
 6月25日の判決で、福岡高裁は「教育の名に値しない私憤に由来する暴行で、まさしく違法な体罰。一審判決が重すぎて不当とは考えられない」として、教諭の控訴を棄却した。裁判長は「体罰は生徒の人格を著しく傷付ける。これを禁止した学校教育法は、教育現場において何よりも順守されなければならない」と、一審判決より明確にその違法性を認めた。教諭側は上告せず、刑は確定した。
 女子の遺族側は高校を経営する近畿大に損害賠償を求め、1997年3月に訴訟外の和解が成立した。和解内容は(1)近畿大が元教諭の使用者責任を認め、慰謝料などを含む金額を支払う(2)遺族側は損害賠償などの訴訟を起こさない―などである。
文献 藤井誠二『暴力の学校 倒錯の街―福岡・近畿大附属女子高校殺人事件』(雲母書房,1995/朝日文庫,2002)
備考  
7/22 概要 〈東住吉事件〉
 1995年7月22日夕方、大阪市東住吉区に住む青木恵子さん(31)宅の木造二階建て約94平方メートルが全焼。恵子さん、内縁の夫で電気工事業の朴龍晧(29)さん、恵子さんの長男(8)は逃げ出して無事だったが、当時入浴中だった恵子さんの長女(11)が焼死した。
 大阪府警捜査一課と東住吉署は、(1)まだ明るい時間帯に火の気のないところから出火している(2)車に異常はなく、ふろのたきがまにも出火した痕跡がない(3)炎が立ち上がる前に、焦げ臭いにおいをかいだり、煙を目撃した人がいない――などから、放火と断定。浪費が多く400万円以上の借金があって返済に追われていたこと、新築マンション購入に伴う登記料他100数十万の支払期限が7月末に迫っていたことなどから、長女に掛けられていた生命保険金1,500万円を狙った保険金殺人であるとした。約1か月前に恵子さんが朴さんに犯行を持ちかけ、事件当日、恵子さんの勧めで長女が風呂に入った直後、朴さんが自宅一階の土間兼ガレージに止めてあった軽自動車の下にガソリンをまいてライターで着火。車から家屋へと火を燃え移らせ、長女を焼死させた、として9月10日、現住建造物等放火と殺人容疑で恵子さんと朴さんを逮捕した。後に詐欺未遂で再逮捕した。恵子さんは8月25日に保険金を請求していたが、逮捕によって支払われなかった。
 恵子さんは逮捕当日こそ犯行を認めたが、後に否認。朴さんは犯行を認め、自白調書、自供書が計61通作られた。分離公判となり、1995年12月19日、大阪地裁の初公判で、朴さんは無罪を主張。自白調書は違法な取り調べによるものと主張した。1996年1月26日、大阪地裁の初公判で、恵子さんも無罪を主張した。弁護側は、火をつけたとされるライター、ガソリンを抜いたとされるポンプ等が見つかっていないことなどから、自然発火による事故だと主張した。
 しかし1999年3月30日、大阪地裁は自然発火の可能性は極めて低いとして朴龍晧さんに求刑通り無期懲役判決を言い渡した。5月18日、大阪地裁は朴さんの自白調書は信用性が高いとして青木恵子さんに求刑通り無期懲役判決を言い渡した。2004年11月2日、大阪高裁で恵子さんの被告側控訴棄却。12月20日、大阪高裁で朴さんの被告側控訴棄却。2006年11月7日、最高裁は朴さんの被告側上告を棄却。12月11日、最高裁は恵子さんの被告側上告を棄却。いずれも無期懲役判決が確定した。
 放火以外の原因で出火した可能性が高いとする鑑定結果などを「新証拠」とし、2009年7月7日、朴さんが大阪地裁に再審請求。8月7日、恵子さんが再審請求。弁護団は再審請求審で、出火元の車庫内に事件当時あったものと同型の風呂釜を使い、2回の再現実験を実施。いずれも自白調書にあるガソリン約7リットルをまき切らないうちに風呂釜の種火に引火し、炎上する結果が出た。このため弁護側は、朴さんの自白通りに放火するのは不可能であり、放火ではなく、車庫に止めていた車のガソリン漏れが原因で自然発火した可能性がより高まったと主張した。検察側は再現実験について約40年前に増改築した関係者の記憶で現場が再現されたことなどから「車庫の床の傾斜や通気口、天候などが忠実に再現されていない」とし、請求棄却を求めた。
 2012年3月7日、大阪地裁は再現実験に基づいて「放火方法に関する朴元被告の自白には科学的に不合理なところがある。確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じた。無罪を言い渡すべき明らかな証拠を発見した時に該当する」と判断し、2人の再審開始を決定した。大阪地検は3月12日、即時抗告した。大阪地裁は3月29日付で刑の執行を停止する決定を出し、4月2日に釈放される予定だったが、直前に大阪高裁は取り消した。9月18日付で最高裁は2人の特別抗告を退け、執行停止を認めなかった高裁決定が確定した。
 即時抗告審で大阪高検は2013年5月27~29日、民間企業敷地内で弁護団立ち会いの下で実験を行ったが、自白通りの放火は不可能であるという結果となった。12月20日、大阪高検は新たな実験を行い、車のメーカーが「配管の故障で漏れる最大量」とするガソリン約33mLを床面に垂らしたが、発火しなかったため、「火災原因はガソリン漏れではなく放火だ」と主張した。2015年10月23日、大阪高裁は「火災は放火ではなく、車のガソリン漏れからの自然発火である可能性が否定できない」として大阪地裁の再審開始決定を支持し、検察側の即時抗告を棄却した。検察側が行った追加実験については「漏れると想定するガソリン量が少なすぎるほか、冬場に行われるなど再現性が不十分」と退けた。高裁は「無罪を言い渡すべき蓋然性がより高くなった」と刑の執行停止も認め、26日午後2時以降に指定。検察側はただちに高裁に異議を申し立てたが、26日、高裁は異議を棄却。検察は釈放手続きを取り、同日午後、恵子さんは和歌山刑務所から、朴さんは大分刑務所から釈放された。検察側は特別抗告を断念し、再審開始が確定した。
 2016年4月28日、朴さんの再審初公判で、検察側は有罪主張を行わなかった。自白調書については自発的であると主張するも、信用性が無いことを認めた。自然発火の可能性について、「抽象的な可能性に過ぎない」と述べた。5月2日、恵子さんの再審初公判で、検察側は同様の主張を行った。
 8月10日午前、大阪地裁は恵子さんに無罪を言い渡した。同日午後、朴さんに無罪を言い渡した。大阪地検は同日、上訴権を放棄し、2人の無罪は即日確定した。
 12月20日、青木恵子さんは国と大阪府に計約1億4,500万円の国家賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。
 2017年1月30日、恵子さんは発火の原因について、再現実験の結果から「車庫にあった軽自動車に構造上の問題があり、給油口からガソリンが漏れて風呂釜の火が引火した。ガソリン漏れのおそれがあるという情報をユーザーなどに提供しなかった」として、メーカーのホンダに対し5,200万円余りの賠償を求める裁判を大阪地裁に起こした。
 2017年3月31日、大阪地裁は恵子さんと朴さんに、7,352日間身柄を拘束されたとして、それぞれ9,190万円の刑事補償を支払うことを決めた。
 2018年10月26日、ホンダへの損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は請求を棄却した。裁判長は、火災から20年の除斥期間が過ぎ、賠償請求権が消滅していると判断した。
 2022年3月15日、国と府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は府に約1,220万円の支払いを命じた。国への請求を棄却した。裁判長は、大阪府警が青木さんに「自白」を強要したことを認定し、「担当警察官の取り調べは明らかに違法だ」と非難した。証人として出廷した当時の取調官が、「今でも(青木さんを)犯人だと思う」と証言した発言についても触れ、「再審無罪判決を正しく理解しない根拠のない中傷を招きかねない」と指弾し、慰謝料の算定要素に加えた。検察の対応については、当時の証拠資料などを考慮すると「違法とまでは断定できない」と判断した。ただ、判決は捜査段階の証拠を早く開示すれば真相究明が早まった可能性にも言及し、「種々の疑問がある」と苦言を呈した。
 2003年2月9日、大阪高裁は大阪府警の捜査を違法と認め、府に約1,220万円の賠償を命じ、府側の控訴を棄却した。国の賠償責任は否定し、青木さんの控訴を棄却した。府側は上告せず、確定した。
 2024年3月28日付で最高裁は国の賠償責任を否定し、青木さんの上告を棄却した。
文献 青木惠子『ママは殺人犯じゃない 冤罪・東住吉事件』(インパクト出版会,2017)

村山満明『東住吉冤罪事件 虚偽自白の心理学』(岩波書店,2019)
備考  
7/30 概要 〈八王子スーパー店員三人射殺事件〉
 1995年7月30日夜9時20分頃、八王子市のスーパーマーケット2階事務所で、パートの女性(47)とアルバイトの女子高生二人(17)(16)が帰り支度をして事務所を出る直前に強盗が押し入った。犯人は女子高生2人を粘着テープで口を塞ぎ、手を縛った。そしてパートの女性とともに、3人の頭部を拳銃で撃ち、殺害した。当時、近所の公園で盆踊りが催されていたため、銃声は花火の音に紛れたらしい。スーパーの売上金は事務所の金庫にあり、開けようとした形跡はあるものの、現金の被害はなかった。犯人が誰か、わかっていない。
 中国大連市で2003年6月、中国人から覚せい剤5キロを買い、7月に運び役の日本人ら5人に渡したなどとして、2007年8月に遼寧省の高級人民法院(高裁)で死刑判決が確定して収監中の日本人男性(後に執行)が、「(事件は)知り合いがやった」と告白。2009年9月13日、警視庁八王子署捜査本部は捜査員を中国の大連に派遣し事情を聴いたが、男性は関与を否定した。ただし、男性は「カナダにいる中国人が実行犯を知っているはずだ」などと供述した。警視庁はこの人物を特定し、出国の際に日本人名義で不正に取得した偽造パスポートを使用した容疑で、逮捕状を取得。外交ルートを通じて、カナダの司法当局に身柄の引き渡しを求めた。男性は否認したが、カナダ・トロントの裁判所は2012年9月10日、日本側の身柄引き渡し請求を認める決定をし、身柄を拘束した。2013年9月23日、控訴裁判所は男性の控訴を棄却した。男性は上告を断念。11月15日、警視庁は男性をカナダ当局から身柄の引き渡しを受け、旅券法違反容疑で逮捕した。男性は時間が経ってわからないと証言している。男性は2014年9月18日、東京地裁立川支部で懲役2年執行猶予5年(求刑懲役2年)が言い渡された。検察、被告側双方控訴せず確定し、男性はカナダに強制送還された。
 時効が廃止されたため、現在も捜査は続けられている。
 2015年2月17日の報道で、被害者の女子高校生2人が縛られた粘着テープから指紋の一部が採取され、約10年前に60代で病死した日本人の男の指紋とほぼ一致したことが判明した。
文献 「第5章 八王子スーパーナンペイ事件」(沖田臥竜『迷宮 三大未解決事件と三つの怪事件』(サイゾー,2020)所収)

「八王子スーパー店員三人射殺事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

木村三浩「東京・八王子スーパー「ナンペイ」事件の卑劣さ」(『ワニの穴10 ドキュメント 消えた殺人者たち』(ワニマガジン社,1999)所収)

「八王子スーパー3人射殺事件 犯人「中国潜伏説」を追う!」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備考  別の強盗殺人未遂事件で無期懲役判決を受けたNが犯人であるかのような記事を「週刊新潮」及び「文芸春秋」で書かれたため、Nは名誉を傷つけられたとして損害賠償の請求を起こした。
 2007年7月27日、大阪地裁は新潮社に80万円の損害賠償を命じた。2008年1月31日、大阪高裁は一審・大阪地裁判決を変更、賠償額を150万円に増額するとともに訂正広告の掲載を命じた。2008年6月6日、大阪地裁は「文芸春秋」に40万円の損害賠償を命じた。
9/1 概要 〈東村山市議転落死事件〉
 1995年9月1日午後10時前後、東京都東村山市の市議である女性(当時50?)が東村山駅近くにある6階建てビルから転落。翌日午前1時、搬送先の病院で死亡した。
 女性は草の根市民グループに所属する市議当選3期目。事件当時、女性が創価学会や公明党の攻撃を繰り返していたことなどから、遺族などは謀殺であると訴え、またマスコミもその疑惑を取り上げた。事件前の6月には、女性による万引事件があったとして、洋品店店主が提訴。逆に女性は創価学会員である洋品店店主が創価学会の意を受けて万引き事件をでっち上げたと主張していた。万引事件で女性は書類送検されているが、死亡により不起訴となっている。
 創価学会は一部マスコミに対して名誉毀損で提訴し、勝訴している。逆に女性の遺族らは一部マスコミが掲載した自殺自殺を主張・示唆する記事に対する名誉毀損で提訴し、一誌を除いて請求は棄却されている。
 東村山署は12月に自殺と断定。東京地検も翌年4月、自殺の疑い濃厚と結論を出した。
文献 乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会,1996)

宇留嶋瑞郎『民主主義汚染―東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画,1998)

佐倉敏明『デマはこうしてつくられた。―東村山女性市議「自殺」を「他殺」と騒いだ人々』(鳳書院,2003)

矢野穂積・朝木直子『東村山の闇 「女性市議転落死事件」8年目の真実』(第三書館,2003)

備考  
10/9 概要 〈ユネスコ派遣女性強盗殺人事件〉
 1995年10月9日、ユネスコ(関係教育科学文化機関)に派遣されていた文部省職員の女性(当時25)方に、アパートの管理人の甥(当時24)が皿洗い機の故障を修理するといって訪問。口を手でふさぐなどして女性を殺害し、CDラジカセなどを奪った。13日、甥は犯行を自白し、逮捕された。1997年11月の裁判で甥は、管理人の末娘の恋人男性(当時18)が主犯であると証言し、再捜査となった。
 2003年1月、男性に禁固10年、甥に禁固7年の判決が下される。両方とも控訴。2004年2月7日、控訴審では、証拠不十分であるとして、検察側は男性の求刑論告を中止し、無罪が確定。甥の単独犯行であるとして、禁固10年判決が言い渡され、確定した(フランスでは控訴は一回に限られている)。同時に行われた民事裁判では、甥に慰謝料など約15万2,622ユーロ(約1,985万円)を支払うよう命じた。しかし甥には支払い能力はなかった。
 他に管理人の末娘が、女性の物品に対する窃盗について2003年に有罪判決を受けている。
文献 藤生好則『パリで娘が殺された―藤生朱美殺害事件とフランスの刑事裁判参加の体験』(草土文化,2011)
備考  
10/18 概要 〈道頓堀ホームレス襲撃事件〉
 1995年10月18日朝、ホームレスの男性(63)が台車の上に寝ていたところ、何者かからパイプで殴られ、戎橋から道頓堀側に投げ込まれて水死した。大阪府警は目撃証言などから男性A(23)、B(24)を殺人容疑で逮捕。投げ落とした後で男性を助けようと捜したことから、大阪地検は殺意の認定は困難と判断、傷害致死罪で起訴した。
 A、Bとも捜査段階では犯行を自白した。しかしBは公判で「近くにいただけで被害者の体に一切触れていない」と無罪を主張した。Aも公判で「自分が一人で抱え上げた」と証言した上で、「脅すつもりで橋の上に担ぎ上げたら、手を伸ばしてきたので振り払ったら落ちた」と過失を主張。
 1997年1月、大阪地裁は目撃証言を信用できると、Aに対し傷害致死で懲役6年(求刑懲役7年)を言い渡した。しかしBに対しては、1999年5月、無罪を言い渡した。検察側は控訴したが、1999年6月、大阪高裁はAに対し故意ではなかったと懲役4年に減刑。Bは2000年3月、大阪高裁で検察側の控訴を棄却、無罪が確定した。
文献 北村年子『大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件―“弱者いじめ”の連鎖を断つ』(太郎次郎社,1997)
備考  
12/3 概要 〈元文京区役所職員殺人事件〉
 東京都杉並区のマージャン店女性経営者(47)は1995年12月3日午前0時ごろ、元文京区役所職員で、夫の不倫相手だったマージャン店店長の女性(53)と口論になり、女性の首を絞めて殺害し、遺体を切断して家の中に隠した。そして12月中旬から翌年1月初めにかけて、杉並区と中野区の大手都市銀行支店で銀行口座から計3回、現金計約340万円を知人男性と一緒に引き出した。5月、別の知人男性に大型の飼い犬を捨てに行くのを手伝ってほしいと騙し、遺体の入ったをケースを山梨県足和田村へ車で運び、男性を車の中で待たせ、一人で遺体を山中に埋めた。
 女性の姉らが杉並署に届け出た。警視庁捜査一課は、1997年10月から捜査を本格化。現金を引き出した二人を突き止め事情聴取するも、女性経営者は行方をくらました。12月15日、別の知人男性が事情聴取で、犬を埋めたことを供述。捜索した結果、白骨化した遺体が発見された。
 女性経営者は21日午前3時25分ごろ、北海道小樽市の公衆電話から「一昨年、東京で人を殺した。娘と死にたい」と110番し、北海道警小樽署員が経営者と長女(29)を発見、身柄を確保。同日、捜査本部は2人を死体遺棄容疑で逮捕した。1998年1月10日、女性経営者を殺人容疑で再逮捕。長女は何も知らなかったとして処分保留で釈放された。同日、現金を引き出した知人男性が詐欺他の容疑で逮捕されたが、こちらも事情を知らなかったとして30日に処分保留で釈放された。
 1998年7月25日、東京地裁は女性経営者に懲役14年判決(求刑懲役18年)を言い渡した。
文献 「阿佐ヶ谷女性殺人死体遺棄事件・檜原村老女殺人事件 1997&1998」(赤石晋一郎『完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録』(文芸春秋,2021)所収)
備考  
12/21 概要 〈SMクラブ殺人事件〉
 双子のM兄弟(24)は、給料面などの待遇面に関するトラブルから、勤務先である東京五反田のSMクラブの乗っ取りを企て、1995年12月21日、経営者(32)および店長(33)を手斧、ハンマー、バタフライナイフで斬殺、約20万円を奪った。その後、死体を保冷車の中で作った木箱に入れコンクリート詰めにし、別の3人が遺体を茨城県の鹿島港に捨てた。その後、SMクラブは首謀者であるM弟が経営、約1億円の利益が出たという。警視庁は経営者、店長の失踪に関連し、5人を詐欺などの容疑で逮捕。死体遺棄グループの供述から、遺体が発見された。
 1998年6月5日、東京地裁はM弟に求刑通り死刑判決、M兄に求刑通り無期懲役判決を言い渡した。途中から公判が分離し、2001年9月6日、東京高裁でM兄の被告側控訴棄却。上告したかどうかは不明だが、刑は確定。2001年9月11日、東京高裁でM弟に被告側控訴棄却。2005年10月17日、最高裁で被告側上告棄却、確定。死体遺棄を手伝った3人も有罪となった。
 M弟は2008年6月17日、死刑を執行された。37歳没。
文献 「慶応大卒SM倶楽部経営者コンクリート詰め殺人事件」(宇野津光緒『23の事件と被告たち 法廷ドキュメント』(恒友出版)所収)

池田晶子・陸田真志『死と生きる 獄中哲学対話』(新潮社,1999)
備考  

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